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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

2485名無しさん:2019/03/06(水) 22:24:01 ID:NrdB.GxU0
安閑天皇陵「本来の形、対称だった可能性」 研究者が立ち入り 大阪
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/064000c

 宮内庁が「安閑天皇陵」として管理する大阪府羽曳野市の高屋築山古墳で22日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の16団体の研究者16人が立ち入り調査をし、墳丘の状況を観察した。

 高屋築山古墳は古市古墳群南部に位置する長さ約120メートルの前方後円墳で、中世には畠山氏の居城として使われていた。世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥( もず )・古市古墳群」の構成資産には含まれない。1992年の宮内庁の発掘調査では6世紀の円筒埴輪(はにわ)や須恵器が出土。東京国立博物館が所蔵するペルシャ製とみられるカットガラスの碗(わん)が出土したとの伝承がある。

 研究者らは午後1時半から約1時間半かけ墳丘の裾部分などを歩いた。日本考古学協会陵墓担当理事の杉井健・熊本大准教授は「中世の築城時に本来の斜面を削って急にするなど大きく造り変えられている。形が左右非対称なことが特徴と言われていたが、本来は対称だった可能性もある」と話した。

 陵墓は普段立ち入りが制限されているが、研究者団体の要望を受け宮内庁が2008年から条件付きで許可している。【花澤茂人】

2486名無しさん:2019/03/09(土) 16:11:14 ID:NrdB.GxU0
改元前にシステム改修の注意説明
03月07日 15時01分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190307/0013215.html

 ことし5月1日に元号を改める「改元」を控え、企業の情報システムの改修について、注意点などをまとめた説明会が大阪・中央区で開かれました。

説明会は、経済産業省が全国で実施しているもので、7日は、大阪・中央区で開かれ、企業や自治体からおよそ120人が出席しました。
経済産業省によりますと、企業の情報システムは、2000年問題を経て多くが西暦を使用するようになっていますが、和暦を使っている場合、改元に対応しなければ、日付が認識されず、会計システムの不具合などのトラブルが発生するおそれがあるということです。
そのうえで、▼自分の会社の情報システムで和暦が使われていないか確認して改修することや、▼改修後もテストを繰り返すなどの対応を促しました。
参加した企業の担当者は、「システムの改修はだいたい終わっているが、実際は、ふたを開けてみないとわからないところもある。不安もあるが何とか乗り切りたい」と話していました。

2487名無しさん:2019/03/11(月) 22:00:28 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵清掃に地元住民ら400人 大阪
3/11(月) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00000017-san-l27

 今夏の世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」のひとつ、仁徳天皇陵(堺市堺区)の周辺で10日、地元住民や高校生らによる清掃活動が行われた。

 同古墳を訪れる人たちに、気持ちよく参拝してもらおうとボランティア団体「仁徳陵をまもり隊」が呼びかけた。同隊は堺市や地域団体などが協力して平成18年に設立。清掃活動を中心に活動を年2回のペースで定期的に行っており、今回で27回目。

 この日の清掃活動には、約400人が参加。古墳周辺の歩道上で空き缶や落ち葉などのごみ拾いを行った。同隊の草野利夫事務局長(65)は「長い間、世界遺産登録のために清掃活動に励んできた。今年こそは決まってくれることを期待している」と話していた。

2488名無しさん:2019/03/13(水) 21:11:49 ID:NrdB.GxU0
小学校の校歌にも出てくる「ご神木」残したい 台風21号から半年…語り継ぐ“災害”
3/13(水) 19:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00026970-mbsnews-l27

 昨年秋の台風の影響で、近畿各地では倒木が相次ぐなど大きな被害が出ました。あれから約半年、大阪の神社では倒れたご神木を保存して台風被害を語り継ごうと動き始めています。

 大阪府泉大津市にある泉穴師神社。1300年以上前の創建で、本殿などが国の重要文化財に指定されている由緒ある神社です。宮司の津守康有さんの案内で境内を歩いてみると…

 「まだこの大きな木も倒れているので…」(泉穴師神社・宮司 津守康有さん)

 多くの木が倒れたままになっていました。

 「根っこから倒れている気が数十本あるので、危ない木は整備しないといけない」(泉穴師神社宮司 津守康有さん)

 昨年9月に近畿地方を非常に強い勢力で縦断した台風21号。当時、各地の街路樹や公園などで数多くの倒木被害が報告され、処理が追い付かないほどでした。泉穴師神社も例外ではなく、地域の憩いの場となっていた境内の木々が、無残になぎ倒されてしまいました。特にショックを受けたのが…

 「これが今回の台風で一番大きなクスノキが倒れたところで、だいたい600年、この神社とか氏子の人を見守ってくれていたご神木なので、倒れてしまったのは残念」(津守康有さん)

 樹齢600年ともいわれる高さ25メートルのご神木が根元から倒れてしまったのです。最初は泣く泣く切断し処分するつもりでしたが、地元のシンボルでもあった御神木を残したいと、氏子から提案があったといいます。

 「小学校の校歌にも『くすの大木』とか『穴師の森』と歌詞が入っているくらい、地元にとってはなくてはならない。(自然災害遺産として)何とか残したいなと」(氏子 辻川正實さん(69))

 慣れ親しんだご神木を残し、未曾有の台風被害を語り継ぐことにしたのです。しかし、建物の屋根の修理やほかの倒木の撤去費用もかさんでいたため、保存にかかる費用はクラウドファンディングで集めることに。お礼の品には絵馬や御朱印帳のほか、普段は公開されていない本殿の見学会が用意され、締め切りまで3日を残して約130万円の寄付が集まったのです。

 「予想以上に反響があり、クラウドファンディングはあと3日ですが、すでに目標金額を大幅に超える金額をご寄付いただきました。このクスノキを残すことで、台風21号のような大きな台風が来ることを思い返すひとつのきっかけになればと思います」(津守康有さん)

 長い間、町を見守ってきたご神木。これからは自然災害遺産として地元の人たちが語り継いでいきます。

2489名無しさん:2019/03/13(水) 21:28:16 ID:NrdB.GxU0
「四代 桂小文枝」襲名披露公演
03月13日 07時15分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190313/0013397.html

 落語家の桂きん枝さんが上方落語の名跡、「桂小文枝」を襲名し、12日夜、大阪で襲名披露公演が行われました。

「桂小文枝」は、明治時代から戦後にかけて上方落語を支えた由緒ある名跡で、きん枝さんの師匠にあたる先代の桂文枝さんが長く名乗っていたことでも知られています。
「四代 桂小文枝」を襲名したきん枝さんは12日夜、大阪・ミナミの「なんばグランド花月」で襲名披露公演を行いました。
公演では、同じ一門の六代桂文枝さんや三遊亭円楽さんら東西の落語家6人が口上を行い、このうち文枝さんは「これからも一生懸命、支えていきたいと思うので、どうかよろしくお願いします」と述べました。
そして襲名後、初めて高座に上がった小文枝さんは、変わり者で知られた男が花見の代わりに墓を見に行く「天神山」という落語を披露し、勢いある滑稽な語り口に会場からは大きな笑い声が響いていました。
公演のあと、小文枝さんは「師匠の先代文枝は小文枝という名前に愛着を持っていた。師匠には及ばないかもしれないが、この名前を次につないでいくためにも大事にしていきたい」と話していました。
桂小文枝さんの襲名披露公演は、今後1年かけて全国で行われる予定です。

2490名無しさん:2019/03/13(水) 23:07:26 ID:NrdB.GxU0
南船場で写真展「わが大阪」 古き良き大阪を見つめ直す /大阪
3/13(水) 16:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00000044-minkei-l27

  大阪・南船場の写真ギャラリー「Photo Gallery 壹燈舎(いっとうしゃ)」(大阪市中央区南船場2、TEL 06-6121-6202)で3月12日、同ギャラリー開設10周年企画第1弾となる写真展「杉本征克写真展-わが大阪-」が始まった。(なんば経済新聞)

 同ギャラリーを主宰する杉本征克さんの個展。26歳から写真を始めた杉本さんは、会社員として働く傍ら写真を撮り続け、南船場のギャラリー「ナダール」での個展や、キヤノンの巡回展などの個展を開いたほか、グループ展にも多数出展。

 同展では、ドラマチックな場面ではなく、大阪の町と人々、日々の生活や風景といった何気ない瞬間をテーマに32点の作品を展示。ギャラリーソラリスで同時に個展を開いている写真家・河合止揚さんと共に、「2つの写真展が手触り感のある『大阪』を盛り上げることに、少しでも役に立つことができれば」との思いを込めて開催。

 杉本さんは「カジノ開発や万博で盛り上がっているが、そういうことと無関係に生活している人々の粘り強さを感じてもらえれば」と話す

 開催時間は12時〜19時(最終日は18時まで)。月曜・火曜定休。今月17日まで。

2491名無しさん:2019/03/15(金) 19:23:41 ID:NrdB.GxU0
【維新150年】立憲国家めざした「大阪会議」の地
2019.3.15 08:04
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150004-n1.html

京阪天満橋駅から大川沿いに岸辺を散策する。「八軒家浜(はちけんやはま)船着場」は水都・大阪の水上ターミナルの一つで、明治初年の頃は駅ビルの反対側、土佐堀通南側の昆布店のあたりにあった。その脇を抜け石段を上っていくと、高台の一角に「三橋楼(さんきょうろう)跡」の顕彰碑(大阪市中央区石町)。天満橋、天神橋、難波橋を眺望できる人気料亭だったという。

 東横堀川の葭屋(よしや)橋を渡って北浜へ。今は証券の街というイメージだが、古くは「蟹島新地」「今橋築地」と呼ばれた歓楽街だった。「専崎楼」や「竹式楼」など、中之島を望む高楼が軒を連ね、今橋、高麗橋の旦那衆が贔屓(ひいき)にしたが、市電開通や証券取引所の拡大でやがて姿を消した。唯一残るのが料亭「加賀伊」=「花外楼(かがいろう)」(中央区北浜)で、世に言う「大阪会議」の歴史を伝えている。

 明治7(1874)年、新政府は維新の大業なかばで崩壊という最大の危機にあった。

 直接の火種は、征韓論(武力で朝鮮を開国させるという主張)をめぐり、西郷隆盛や板垣退助ら征韓派が、内政改革、国力増強を優先する大久保利通や岩倉具視らに敗れ、下野した「明治6年の政変」だ。翌年には台湾征討に失望した木戸孝允が参議を辞職、維新三傑の2人が中央政府を去った。

 当時、国内には徴兵制や急激な西洋化に反発する士族・守旧派の不満がくすぶっていた。国会の開設をめぐる急進派と漸進派の対立や、大久保の専制政治への反感もあり、日本は「反政府」で爆発する寸前だったのである。


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 大久保は木戸を政府に復帰させるため伊藤博文に協力を要請。すでに下野して大阪で実業家として活躍していた井上馨と五代友厚も水面下で動いた結果、木戸と大久保が大阪で会談することが決まった。さらに井上の画策で板垣も加わることになり、明治8年1月、三者三様の思惑をのせた大阪会議が始まった。

 最高実力者の大久保は丁重に木戸をもてなした。2週間前には大阪入りし、靱(うつぼ)の五代邸(西区靱本町)に逗留(とうりゅう)を重ねながら、1月5日、神戸に木戸を出迎えた。3日後には木戸の宿泊先「加賀伊」を訪ね、天満橋の「三橋楼」に案内し、酒席を伴う最初の会談は10時間に及んだという。

2492名無しさん:2019/03/15(金) 19:25:08 ID:NrdB.GxU0
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150004-n2.html

 ところが、この会談で酒乱の黒田清隆が暴言を吐き、木戸が激怒した。初日で決裂したかと思われたが、2人を大阪にとどまらせたのは囲碁だった。大久保は何度も木戸を囲碁に誘い、木戸も囲碁会を主催し、大久保らを呼んだ。

 一方で、伊藤は「木戸の望みは政策のみ」と、木戸の政体構想に理解を示したうえで、大久保に対し、元老院や大審院の設立、地方官会議の開催など、国会の開設と三権分立につながる4カ条の改革案を提案。伊藤の斡旋(あっせん)を軸に会合は1カ月余、加賀伊や三橋楼、伊藤の宿舎「専崎楼」などで断続的に行われた。

 この間、井上の仲介で木戸-板垣会談も実現。大久保は4カ条の改革を約束し、木戸と板垣は政府に戻ることで合意した。2月11日に加賀伊で全員が顔を合わせ、大団円を迎えたが、大阪会議はこうした予備会議、個別会談を含めた総称とするのが正確だろう。

 落ち着いた雰囲気のビルの1階、料亭「花外楼」の玄関に「大阪会議開催の地」の碑がある。大阪市が歴史的な場所や文化財を顕彰する233カ所の史跡のうち、昭和34年に指定された第1号の石碑である。

 2階に上がる階段の踊り場に「花外楼」の扁額がある。大阪会議の成功に気をよくした木戸が「加賀伊」から改めるよう与えた揮毫(きごう)である。さらに、伊藤が書いた回想録か日記の下書きのような一文が店に残っている。

 その中で伊藤は大久保の「国家ノ大政ニ就テハ木戸君の驥尾(きび)に付従シ」という言葉を引き合いに、大久保の木戸招聘(しょうへい)にかける強い決意を伝えている。

 大久保は政権の強化を図り、木戸は独裁を抑制し、板垣は国会開設を急ぐ-。大阪会議はやはり同床異夢の舞台だったのか、新政権もまもなく瓦解(がかい)する。ただ、大阪で立憲国家への方向性を示し、礎を築いたことはまちがいない。(今村義明)




 明治6年の政変 征韓論をめぐり明治政府内で起きた政変。岩倉使節団の外遊中、武力行使を辞さない征韓派と全権大使の派遣を主張する遣韓派が西郷隆盛の派遣を決定。使節団帰国後、岩倉具視や大久保利通が反対し、派遣は無期限延期となり、西郷や板垣退助らが下野、軍人や官僚約600人が一斉に辞職し、後の佐賀の乱、西南戦争につながっていく。

2493名無しさん:2019/03/17(日) 17:27:04 ID:NrdB.GxU0
蕪村のまち 伝えるで…都島の商店主ら 活性期待
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190316-OYTNT50207/

おおさか東線 城北公園通駅

 府東部を南北に結ぶJR西日本の「おおさか東線」(新大阪―久宝寺、20・3キロ)が全線開通した16日、大阪市旭区の新駅「城北公園通駅」でも式典が開かれ、JRや地元の関係者らが開業を祝った。新大阪駅と10分弱で結ばれることになり、周辺の商店主らは「地元の魅力を発信し、活性化につなげたい」としている。

 駅西側の都島区は江戸期の俳人で画家の与謝蕪村の出身地とされる。城北公園通駅の西口は「蕪村口」と名付けられ、構内に蕪村像も設置された。蕪村通り商店街(約20店)で呉服店を夫婦で営む糀谷時子さん(82)が約10年前に地元住民と協力して造った像で、これまで店の中にあった。糀谷さんは「蕪村の俳句しか知らなかったが、絵を見て衝撃を受けた。蕪村のことをもっと知ってほしい」と話す。

 商店街の金子清治会長(71)は「駅ができれば商店街を通る人も増える。蕪村のまちだと誇りを持って伝えていきたい」と語り、開業式を見に来た都島区の自営業高橋英尊さん(37)は「新大阪とつながるので出張や旅行に使いやすい。商店街もにぎやかになるのでは」と期待する。

2494名無しさん:2019/03/17(日) 18:47:48 ID:NrdB.GxU0
「芸術選奨」に藤山直美、蒼井優、小野絢子、篠原聖一、菅原直樹ら
3/7(木) 11:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-00000029-natalies-ent

 文化庁が主催する「芸術選奨」の、2018年度受賞者が発表された。

演劇部門の文部科学大臣賞を受賞したのは文楽太夫の豊竹呂勢太夫と、「おもろい女」の成果を評価された藤山直美。新人賞には、先日、第26回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞した蒼井優が、「アンチゴーヌ」ほかの成果を認められ輝いた。

このほか、舞踊部門の大臣賞にはバレエダンサーの小野絢子、舞踊家の篠原聖一、新人賞には日本舞踊家の井上安寿子が、芸術振興の新人賞には「老いと演劇」OiBokkeShi主宰の菅原直樹が、評論等の大臣賞には「評伝 鶴屋南北」の著者・古井戸秀夫が選ばれ、メディア芸術の新人賞を蓮沼執太が獲得している。

2495名無しさん:2019/03/17(日) 19:07:56 ID:NrdB.GxU0
「天王祭舞楽」番組に 関係者、森町長に今夏放映PR
3/15(金) 7:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000007-at_s-l22

 全国各地の祭りを後世に伝える企画「ダイドードリンコ日本の祭り」を実施しているダイドードリンコ(大阪市)の関係者が14日、取り組みの一環として放映する山名神社(森町)の「天王祭舞楽」特別番組のPRのため、同町役場に太田康雄町長を訪ねた。

 舞楽は国指定重要無形民俗文化財。毎年7月に開かれ、児童らが八つの演目を披露する。カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は、京都の祇園祭の要素も含むという。

 番組は今夏に静岡放送で放送予定。舞楽の模様を事前の練習から撮影し、1時間のドキュメンタリー番組に仕上げる。

 同社の「日本の祭り事務局」の森田忠良事務局長は「地元の皆さんと祭りの関わりや歴史を踏まえ、祭りを全国にPRしたい」と意気込んだ。太田町長は「全国有数の祭りとお墨付きをいだたいた形。取り上げていただき記録にも残る」と歓迎した。

2496名無しさん:2019/03/17(日) 19:13:17 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の悲願だった律令制度、大化改新後はどうなったのか?
3/5(火) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190305-00010144-besttimes-pol

■中臣鎌足による皇位継承の辞退案と難波宮

『日本書紀』をよく読んでみると、中大兄皇子が律令制度導入にあまり積極的でなかったと思えてくる。それどころか、むしろ中大兄皇子はこの新制度をつぶそうとさえしていたのではないかと思われる。

 
では、中大兄皇子が律令制度をつぶそうとした理由はあったのだろうか。

問題は、改新後の朝廷の動きにある。

入鹿暗殺後の朝廷が最初に取り組んだ仕事は、皇位継承問題だった。皇極女帝が譲位を申し出たのである。そしてこのとき、どういうわけかクーデターの最大の功労者、中大兄皇子が即位しなかったのだ。

『日本書紀』の記述にしたがえば、このとき皇極天皇は、まず最初に皇位を中大兄皇子に譲ろうとした。ところがこの申し出に対し、皇子の側近である中臣鎌足は辞退するよう忠告する。

「古人大兄は殿下(中大兄皇子)の異母兄、軽皇子(のちの孝徳天皇)は叔父です。それなのに、今殿下が即位すれば、人の道に反することになりましょう。そこでしばらく軽皇子を立てて民衆の願いにしたがったほうがよいと思われます」

そこで中大兄皇子は母・皇極の譲位を断ったうえで、軽皇子を推挙したのである。

2497名無しさん:2019/03/17(日) 19:17:22 ID:NrdB.GxU0
こうして孝徳天皇が誕生し、都が難波(現在の大阪)に遷され、改新の詔が出の律令制度整備のための布石であり、ここに聖徳太子の悲願は成就され
されるにいたった。ここに孝徳天皇を頂点とし、中大兄皇子が補佐するといった新体制が築きあげられたのである。そして、これは朝廷たと『日本書紀』は意味づけている。

ところが、こういった『日本書紀』の示す大化改新と律令制度という図式には、数々の腑に落ちない点が見られるのだ。

たしかに孝徳天皇は日本に新しい風を入れようと努めた気配がある。

その好例として難波宮(正確には難波長柄豊崎宮と称される)を挙げることができる。

大阪城外濠の南側の高台に位置するこの宮は、完成当時、目の前に海がせまった、水上輸送を眼中に入れた画期的な宮だった。

しかも発掘調査の結果、この宮の朝堂院の構造と規模は、のちの平城京をもしのぐほどの広さであったことが分かっている。つまり、この宮が藤原京・平城京・平安京といった都城のさきがけであったことは明らかである。

ちなみに、難波宮が完成するまでの天皇宮は天皇が替わるたびに遷しかえられるという、悪くいえば小屋に毛の生えたような意外と質素なものだった。だが、難波宮は 何代もの天皇が使用可能な構造になっていた。(次回に続く)

2498名無しさん:2019/03/17(日) 20:01:13 ID:NrdB.GxU0
「古墳」にコーフンする女子増加中! グッズ化で「女性でも好きと言いやすく」
2/1(金) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00014385-jprime-life&p=1

 世界遺産指定を目指す、日本最大級の古墳・仁徳天皇陵の発掘調査が、宮内庁と地元の大阪・堺市により昨年秋に行われた。

 
歴代天皇の陵墓とされる古墳を、宮内庁が外部機関と共同で発掘するのは初めての試みとあり、大きな話題を集めたが、実はここ数年、古墳が好きな女性が増加中って知ってました?

 10年ほど前に、奈良県の家具店が地元を盛り上げるためにグッズを製作。そのキュートさがネットで話題を集め、ハマる女子が急増。『古墳の歩き方』など初心者向けの本が出版されたり、ポータルサイトまで誕生するブームに♪

 そこで本誌記者が実際に現地に行って、大調査。マニアでなくても思わず欲しくなるグッズからグルメまで、古墳の楽しみ方を紹介しちゃいます♪
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女性でも好きと言いやすくなった

 古墳に関する作品もある、漫画家でイラストレーターの“古墳女子”水谷さるころさん。

「もともと興味はありましたが、足を運ぶようになったのはパワースポットとして訪れた、奈良県にある箸墓(はしはか)古墳がキッカケ。“卑弥呼の墓”ともいわれている場所なのですが、生で見て一気にハマりました」

 ’11年からは大阪・高槻市にある今城塚古墳公園で古墳×アートのコラボイベント『古墳フェスハニコット』もスタート。一昨年は2万8000人の来場者が訪れるなど、開運グッズやイベントも増加中!

「古墳シンガー・まりこふんさんが’13年に立ち上げたポータルサイト『古墳にコーフン協会』の存在が大きいですね。古墳って教科書で学ぶメジャーな存在なので、潜在的ファンは多かったと思うんです。そこに情報がまとめられたサイトができたことで、初心者も楽しみやすくなった。そして東急ハンズがグッズ販売に力を入れたり、本が出版されたことで、女性でも好きと言いやすくなった印象はありますね」

 スカパー!の旅チャンネル『行くぞ! 30日間世界一周』という企画で世界の史跡を訪れたことで、改めてその魅力に気づいたとか。

「西暦400年ごろにできた史跡が、同じ民族、文化の中で残っているのは世界的にも珍しいんです。しかも現在の日本文化とも密接な関係があり、宮内庁が管理している。古墳を通じて歴史を調べていくと、その奥深さ、日本という国の面白さも発見できると思いますよ!」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00014385-jprime-life&p=2

 記者が古墳に行ってみた!大阪・堺市

 仁徳天皇陵があることで知られる堺・百舌鳥(もず)古墳群。かつては100基以上あったといわれ、現在でも44基が残っている、古墳好きの聖地。今年の世界文化遺産登録に向けて、町をあげて盛り上げているんです。そこで古墳初心者の記者が半日かけて、ガチンコ調査。古墳&ゆかりの店巡りをしてきました!

 仁徳天皇陵前にはボランティアスタッフが常駐。説明のほか、写真撮影もしてくれるので、ひとりで行っても楽しめる。

 百舌鳥・古市古墳群で撮った写真を見せるともらえる『もずふるカード』。記者は12枚ゲット!

 JR阪和線・南海電鉄の三国ヶ丘駅西出口徒歩1分の場所にある『Co.FUNカフェ』(大阪府堺市堺区向陵西町4-11-15)では、クッキーやたわしなどオリジナルグッズを多数販売中!

 JR阪和線・百舌鳥駅近くにある『お食事処 花茶碗』(大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2-265)では、古墳カレーも。このために作ったという専用容器も、古墳好きにはたまらない♪

 大仙公園内にある堺市博物館ではVR体験も(大人800円)。また博物館や近くにある土産物店には古墳グッズがたくさん販売されていました

2499名無しさん:2019/03/20(水) 21:04:55 ID:NrdB.GxU0
木造僧形八幡神及諸神坐像など 重文、府内3件指定へ
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190318-OYTNT50246/

文化審答申


 国の文化審議会が18日、柴山文部科学相に行った答申で、府内からは壺井八幡宮(羽曳野市)の「木造僧形八幡神及諸神坐像もくぞうそうぎょうはちまんしんおよびしょしんざぞう」など3件が、国の重要文化財に指定される見込みとなった。

 木造僧形八幡神及諸神坐像は、高さ20・2〜59・8センチの5体。うち1体の像の底に記された銘文などから、南北朝時代の1353〜54年に制作されたとみられる。制作年代が特定でき、彩色もきれいに残っていることから同時代の像の基準として役立つ点が評価された。
 
  ほかに答申されたのは、桃山時代の高級食器「黄瀬戸福字鉢きせとふくじはち」(大阪市中央区、湯木美術館所有)と、鎌倉時代から江戸時代にかけての文書群「和田家文書みきたけもんじょ」(個人蔵、堺市博物館に寄託)。

 黄瀬戸福字鉢は直径16・6センチで、中央に「福」の文字が押されている。和田家文書は、現在の堺市南区美木多地域に本拠を置いた武士・和田氏に関係する文書で、104通が巻物や掛け軸として整理されている。

 答申では、阿倍王子神社旧本殿など(大阪市阿倍野区)、安倍晴明あべせいめい神社本殿など(同)、萩原家住宅主屋など(八尾市)を有形文化財(建造物)に登録することも求めた。

2500名無しさん:2019/03/20(水) 22:06:40 ID:NrdB.GxU0
豊臣六大将・佐竹義宣氏邸宅か 大坂城西側で出土
3/20(水) 20:49配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000609-san-cul

 大坂城の建物跡としては最大規模となる大名屋敷跡が大阪市中央区の建設現場から出土し、大阪府文化財センターが20日、発表した。出土した瓦の紋=扇(おうぎ)に月丸(つきまる)紋=などから、徳川氏や島津氏などと同じ豊臣政権六大将の一人とも呼ばれる佐竹義宣の屋敷跡と推定される。大坂城の大名屋敷跡が見つかるのは初めて。難攻不落とたたえられた大坂城を壮観な大名屋敷が守る情景が明らかになった。

 豊臣秀吉が築城した大坂城の西側の三ノ丸があったとされる場所で出土。東西約20メートル、南北約15メートルで100坪を超える。柱を支える礎石や建物の周囲を囲う玉砂利が見つかり、格式の高さをうかがわせる。

 周辺では「さ竹(たけ)内」と墨書された木簡や佐竹氏の家紋瓦などが出土。その場所から、屋敷の敷地範囲は東西約150メートル、南北約100メートルと想定され、大型建物跡はその中央に位置する。

 秀吉は最晩年の慶長3(1598)年、東国諸大名の屋敷を京都の伏見城から大坂城に移し、大坂城の守りを固めた。大阪歴史博物館の大澤研一学芸課長は「大名屋敷群の様子を伝える史料は乏しい。今回の発見は具体的事例として初めてであり、非常に重要」と話す。

 現地説明会は23日午前10時〜午後3時。問い合わせは現地事務所(06・6467・4769)。

 千田嘉博・奈良大教授の話「大坂城の一等地に築かれており、佐竹義宣や妻子が過ごした書院造りの奥御殿だろう。豊臣時代の大名屋敷がこれほど大きかったとは驚いた。天下人の政権の力を示す感動的な大成果だ」

2501名無しさん:2019/03/24(日) 15:37:29 ID:NrdB.GxU0
幕末の改元詔書下書き、大阪で発見
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20190324-OYO1T50005/

 1860年に「安政」から「万延まんえん」に改元した際、孝明天皇が発布した「改元詔書」の下書きが、大阪府内で見つかった。漢籍に詳しい公家・清岡家に伝わったものとみられ、前年の江戸城本丸焼失や、欧米への開国などの「災い」の一掃を理由に挙げ、新年を「某元年」としていた。下書きが見つかるのは珍しく、公家が改元に関与していたことを改めて示す発見だ。

 元号は明治時代に天皇一代に一つとすることが制度化されたが、その前は天皇の在位期間中にも災害や戦乱を理由に改元が行われた。下書きは縦33センチ、横45センチの和紙で、漢文で書かれている。現所有者の親族が1964年頃、清岡家の子孫から譲り受けたという古文書の一つで、元号や朝廷文化に詳しい吉野健一・京都府立丹後郷土資料館学芸員(日本近世史)が調査した。

 安政6年(1859年)に火災で江戸城本丸が灰燼かいじんに帰したことや、「蛮夷ばんい」(欧米諸国)に迫られての開国、疫病の流行を列挙。「咎在朕躬」〈その咎とが(責任)は朕ちん(天皇)の身にある〉と憂え、「宜よろしく旧号を革あらため、以もって新元を施すべし」と改元理由を説明し、「安政七年を改め某元年と為なす」としている。

 宮内庁所蔵の実際の改元詔書と比べると、「某元年」が「万延元年」となる以外は、ほぼ同内容という。吉野学芸員によると、「万延」の元号が決まる前に、清岡家が記した文書の可能性が高いという。江戸時代の改元は朝廷か幕府の申し入れで進められた。朝廷が清岡家など菅原道真の子孫とされる公家らに、元号案を複数出させる「勘申かんじん」を行い、幕府と相談の上で天皇が最終決定したとされる。

2502名無しさん:2019/03/24(日) 15:57:52 ID:NrdB.GxU0
新西国霊場の38寺院が集結 四天王寺で記念事業
2019年3月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190324/20190324035.html

 多くの人々に親しまれている近畿2府4県の巡拝コース「新西国霊場」の第1番所である和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で6月5〜9日、「霊場巡拝(おまいり)いこか〜新西国ほとけさま大集合」が執り行われる。同寺など全38札所寺院でつくる新西国霊場会の発足90周年事業のほか、2022年の年忌法要「聖徳太子一四〇〇年御聖忌」や新天皇即位に伴う新元号施行を記念する一大行事。関係者が着々と準備を進めている。

 新西国霊場は、日本仏教の基礎を築いた聖徳太子の信仰と身心健全な行楽を兼ねる巡拝コース。同寺での行事には、記念法要や趣向を凝らした特別プログラムなどを用意している。

 事業の中心となる「出開帳(でかいちょう)」(参拝料千円)では、ご朱印とお砂踏みの巡礼を行う。五重塔がそびえる境内・中心伽藍(がらん)の回廊に38カ寺がずらりと並び、札所巡りが途中の人や初めての人でも一度で集印、万願が可能だ。

 お砂踏みは“一日で巡る巡礼の旅”として人気。本坊・五智光院(ごちこういん)(重要文化財)を会場に、各寺院から集められた砂の上でお参りができることから、両方とも期間中はにぎわいが予想される。

 事前予約限定の授与品の数々も製作中。38の全ご朱印が押印されている記念法印帳(朱印帳)をはじめ、記念お軸、記念笈摺(おいずる)(いずれも朱印料込み)などが決まり、同寺によると早くも予約や問い合わせが多数寄せられているという。

 このほか、聖霊院(しょうりょういん)絵堂特別開扉での絵解きと法話▽道成寺(和歌山県)による「出張絵解き」(縁起や安珍清姫伝説)▽国内外の参詣者が世界平和など祈願する「インターナショナル座禅会」▽縁日屋台とフードコート-などを予定している。

 四天王寺参詣課の山岡武明課長は「多くの方々と大きな節目をお祝いできれば。タイトルの通り気軽に足を運んでもらい、『巡拝に来てよかった』と感じていただける行事を目指したい」と、細部の調整に励んでいる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

2503名無しさん:2019/03/24(日) 16:14:44 ID:NrdB.GxU0
>天津神社の舞楽は能生白山神社の舞楽と共に大阪四天王寺の舞楽を伝承しているといわれ


神輿をぶつけ合うお祭り!新潟県糸魚川市「糸魚川けんか祭り」
3/24(日) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190324-00183931-tkwalk-life

 五穀豊穣・豊漁を祈願して二基の御輿をぶつけ合う「天津神社春大祭(糸魚川けんか祭り)」が、4月10日(水)・11日(木)の2日間、新潟県糸魚川市の天津神社で開催される。

 10日(水)は、男御輿(一の御輿)と女御輿(二の御輿)と呼ばる二基の御輿が、早朝から舞が行われる舞台の上に据えられ、舞台で神事が行われた後に、露払いの鳥爺(とりじ)を先頭に担ぎ手や獅子頭・錫杖を持った金棒などが境内を歩く行列「お練り」が行われる。

お練りには衣装をまとった「お稚児さん」が大人に肩車されて参加し、そのお稚児さんが舞台に降りると、それまでの静けさが一変した喚声の中激しく凄まじい勢いの「御輿の競り合い」が始まる。境内の周囲を全速力で走り抜け、御輿をぶつけ合い、再び疾走し激しくぶつけることを10回前後繰り返す。

激しい神輿の競い合いが終わると、神へ奉納する12の舞により静けさを取り戻す。天津神社の舞楽は能生白山神社の舞楽と共に大阪四天王寺の舞楽を伝承しているといわれ、「糸魚川・能生の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。なお、舞楽は10日・11日とも12曲が奉納され、11日は衣装が変わる。

春の糸魚川市で激しい「動」のけんか神輿と、おごそかな「静」の舞を楽しむことができる「天津神社春大祭(糸魚川けんか祭り)」に参加してみよう。

2504名無しさん:2019/03/24(日) 16:16:46 ID:NrdB.GxU0
>カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の
>大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は


「天王祭舞楽」番組に 関係者、森町長に今夏放映PR
3/15(金) 7:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000007-at_s-l22

 全国各地の祭りを後世に伝える企画「ダイドードリンコ日本の祭り」を実施しているダイドードリンコ(大阪市)の関係者が14日、取り組みの一環として放映する山名神社(森町)の「天王祭舞楽」特別番組のPRのため、同町役場に太田康雄町長を訪ねた。

 舞楽は国指定重要無形民俗文化財。毎年7月に開かれ、児童らが八つの演目を披露する。カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は、京都の祇園祭の要素も含むという。

 番組は今夏に静岡放送で放送予定。舞楽の模様を事前の練習から撮影し、1時間のドキュメンタリー番組に仕上げる。

 同社の「日本の祭り事務局」の森田忠良事務局長は「地元の皆さんと祭りの関わりや歴史を踏まえ、祭りを全国にPRしたい」と意気込んだ。太田町長は「全国有数の祭りとお墨付きをいだたいた形。取り上げていただき記録にも残る」と歓迎した。

2505名無しさん:2019/03/30(土) 21:32:03 ID:NrdB.GxU0
廻り舞台で役者気分 道頓堀ミュージアム並木座
2019年3月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190329/20190329035.html

 大阪市中央区道頓堀のビル1階に30日にオープンする歴史館「道頓堀ミュージアム並木座」が28日、報道陣に公開された。直径1・8メートルの小さな廻(まわ)り舞台も設け、歌舞伎や文楽など上方文化を育んだ芝居町の歴史を体感できる施設となっている。

 道頓堀通に面したビルを改装し、芝居小屋が並ぶ芝居町として栄えた江戸時代の道頓堀の風情を演出。「廻り舞台」や「セリ」を考案・活用した歌舞伎作家の並木正三や、「義経千本桜」など人形浄瑠璃三大名作すべてに関わった並木千柳の紹介、日本最古の芝居小屋で廻り舞台を人力で動かす様子などを捉えた動画上映などを行っている。

 スタッフが人力で動かす廻り舞台の上には顔を乗せて撮影できるパネルが設置されており、来館者はかつらを着けて役者気分で記念撮影ができる。仕掛け人の山根秀宣さん(大阪まちプロデュース主宰)は「道頓堀がエンターテインメントの街として再認識されるきっかけになれば」と話している。

   ◇    ◇

 午前10時半(30日のみ11時)〜午後6時半。大人600円、子ども300円。問い合わせは電話06(6575)7919。

2506名無しさん:2019/03/30(土) 21:57:56 ID:NrdB.GxU0
上板の9歳文楽太夫入門 藤本君(高志小3年) 小学生36年ぶり 来月から 大阪の師の下 芸磨く
3/30(土) 8:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-03182243-tokushimav-l36

 上板町の高志小3年藤本智大君(9)=同町瀬部=が、大阪の人形浄瑠璃文楽の太夫(語り手)の竹本織太夫さん(43)に弟子入りした。小学生の太夫は織太夫さん以来36年ぶりで、「竹本織子太夫」の名を授かった。4月1日から文楽協会研究生となり、師匠の下に通って芸を磨く。

 藤本君は小2だった2017年4月、徳島市で開かれた体験会で阿波人形浄瑠璃に出合った。すぐに太夫の竹本友和嘉さん(56)=徳島市八万町西山=に師事。その後、公益財団法人阿波人形浄瑠璃振興会に所属して同年12月に阿波十郎兵衛屋敷で初舞台を踏み、勝浦町や鳴門市などで計7回、語りを披露した。同年の「チャレンジとくしま芸術祭」では、最も印象深い出演者に贈られるMIPを受賞した。

 国立文楽劇場(大阪市)にも数カ月に一度のペースで通って公演を鑑賞していた。昨年6月に織太夫さんと出会い、太夫になることを決意。織太夫さんも1983年に8歳で入門していた。

 これまでは友和嘉さんの自宅に月4回通い、稽古をつけてもらっていた。藤本君は対面で「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」をおうむ返しに繰り返し、演目の後半で語りのテンポが速まっても、軽妙な語り口で情感たっぷりに語っている。

 友和嘉さんは「最初から度胸があった」と話し、「語りは人間の心情が分かっていないとできない。最近は心から言葉がにじみ出てくるようになった」と評価する。

 4月以降は週末や夏休みを利用して、大阪で稽古に励む日々が続く。藤本君は「もっと上手になって憧れの舞台に立ちたい」と話している。

2507名無しさん:2019/03/30(土) 22:03:12 ID:NrdB.GxU0
【センバツ】父と兄は人形浄瑠璃文楽の人形遣い、福知山成美・岩田「尊敬している」
3/19(火) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190319-00000180-sph-base

 第91回センバツ高校野球大会(3月23日から12日間・甲子園)の甲子園練習2日目が19日、行われた。5年ぶりの出場となった福知山成美(京都)の岩田涼雅(りょうが)内野手(3年)も1時間、室内練習場で練習を行い「雨でグラウンドでできなくて残念だった。甲子園の中に入るのは初めて。スタンドは階段状になっていて、広くて包まれたような感じ」と初々しい感想を口にした。 岩田の父・哲志さん(49)と兄の悠甫さん(23)は、人形浄瑠璃文楽の人形遣いとして大阪の国立文楽劇場を中心に、東京や海外など各地で公演を行っている。自宅で夜遅くまで練習をする父を見て育った岩田も「小さい頃から人形を持たせてもらっていたりしました。小さい頃は言葉が難しくてあんまり分からなかったけど、中学からは言葉も分かるようになって、伝統的なものなんだって分かってきました」と幼少期から文楽に親しんできた。

 岩田家は曽祖父から4代にわたって人形遣いを務めてきており、父は中学卒業後から、兄も大阪・豊島高卒業後から文楽の世界に本格的に足を踏み入れた。現在、吉田一輔(いちすけ)として活躍する父と、吉田簑悠(みのひさ)として奮闘する兄を、岩田は「尊敬しています」と誇りに思っている。兄が後を継いだこともあり将来は「好きにして良いと言われています」と話すが「高校に入ってから(文楽を)1回も見に行けていないので、引退したら見に行きたい。将来の選択肢としてはアリだと思っています」と卒業後は父、兄とともに伝統芸能を継承していくことも視野に入れている。

 初戦の第4日第1試合の筑陽学園(福岡)戦は、たまたま公演がないため、父も兄も甲子園に応援に来られることになった。兄は高校まで野球を、父も中学までソフトボールをプレー。5日ほど前に右肩を脱臼してしまった岩田に対し、父からは「やりきって、でも無理だけはしないように。存分に楽しめ!」とLINEが届き、兄からも「甲子園おめでとう。友達を集めて応援に行くから」と祝福されたという。甲子園の舞台は「緊張します」と話す岩田だが、家族にとびっきりカッコイイ姿を見せる。

2508名無しさん:2019/03/31(日) 16:48:53 ID:NrdB.GxU0
大阪城の“やぐら” 内部を特別公開
3/30(土) 12:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00021288-asahibcv-cul

 大阪城にある重要文化財で、普段は非公開の「やぐら」の内部が、特別公開されています。

公開されているのは、大阪城の玄関にあたる、大手口を守る、千貫櫓などの内部、3ヵ所で、いずれも、江戸時代初期に建てられたものです。「銃眼」と呼ばれる壁の穴は、外に向けて火縄銃を構え、城を守る戦いで使われていたということです。特別公開は土曜・日曜・祝日限定ですが、春休み期間中は、毎日行われています。

2509名無しさん:2019/04/03(水) 21:53:34 ID:NrdB.GxU0
>「令和」の典拠、いわゆる出典について「『令和』は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(きよ)風和らぎ(やわらぎ)、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものだ」と述べました。
 (菅官房長官の発表より引用)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011868721000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001

>「『令和』は『万葉集』の梅花の歌

 そして『梅』は『大阪府の花』でもあります。

>「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」という歌で、現在の大阪市及びその辺りにおいて、
>寒さに耐え冬籠りをしていた梅の花が、春を感じ咲いた様子が詠まれたものだぞ。
 http://www.kami-chan.net/kuni-ken-flower/z0089.html

 そしてそして、

>元号使用の歴史
>難波宮で行われた大化の改新(645年)時に「大化」が用いられたのが最初であり、以降、日本という国号の使用が始まったとされる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7

 大阪は日本文化揺籃の地、日本国の母なる大地であり、今なお日本国を代表する世界中から注目を集める先端的大都市であるという稀有な存在なんですよね。
 大阪の人たちはそういう誇りを持っていい、もっと自分たちに自信を持っていい。


「奉祝の記帳」始まる 四天王寺
2019年4月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190402/20190402029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、新天皇即位(御代替大典)に伴う「奉祝の記帳」が始まった。聖徳太子を祭る境内・聖霊(しょうりょう)院(太子殿)の堂内に記帳台が設けられ、多くの参詣者が足を運んでいる。

 当初、案内看板は新元号の部分が空欄になっていたが、発表後に職員が「令和」の文字を貼り出すと、記帳に訪れた人々が足を止めて見入っていた。

 一番目に記帳した加藤利美さん(70)=和泉市=は「毎月お参りに来ているが、きょうはとてもいい記念になった。新元号に『和』の文字が入っているので四天王寺さんとの縁を感じる」と笑顔で話した。

 記帳(千円、新元号入り授与品付き)は午前8時半〜午後4時半。10月22日まで受け付けており、以後、同寺が宮内庁に奉納する。

 このほか納経所では、奉祝のご朱印(500円)が新たにお目見えし、注目を集めた。

2510名無しさん:2019/04/03(水) 22:33:03 ID:NrdB.GxU0
石切劔箭神社の改元奉祝「刀剣奉納」プロジェクト、支援額4200万円超に /大阪
4/2(火) 20:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000073-minkei-l27
石切劔箭神社(東大阪市東石切町1、TEL 072-982-3621)が所蔵する「太刀 石切丸」を新たに復元し奉納する「復元石切丸『刀剣奉納』プロジェクト」のクラウドファンディングが3月26日に始まり、4月2日現在、4200万円を超える支援金が寄せられている。(東大阪経済新聞)

 「太刀 石切丸」は重要美術品に認定されているため神前に奉納できず、同神社では、元号が「平成」から「令和」に変わる奉祝の事業として石切丸を復元し、矢筒とともに奉納しようと同プロジェクトを始動。同神社と縁が深く、奈良県無形文化財に指定されている刀匠・河内國平さんに作刀を依頼し、平安時代に作刀された当時の石切丸を復元する。

 同プロジェクトには、刀剣を擬人化したキャラクターの一人として石切丸が登場するオンラインゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」が賛同し、神社やゲームにちなんだプロジェクト限定商品や刀剣奉納祭への参加などの返礼品を用意。2,500円から50万円の20コースを設けた。クラウドファンディングの開始から4時間弱で目標金額の1000万円に到達し、翌日には3000万円の支援が集まった。

 支援金は作刀と刀装に使うとし、「余剰金が出た場合には研磨されていない刀剣の研磨など、所蔵する刀の維持管理に使わせていただきたい」と同神社宮司の木積康弘さん。「皆さまの、それも全国の皆さまからの御懇志に大変感謝している。改元奉祝事業は来年まで続く事業となるのでまだ始まったばかり。改元奉祝事業へのご協力を引き続きお願いいただければ」と話す。

 同プロジェクト支援募集締め切りは5月15日。

2511名無しさん:2019/04/07(日) 19:32:12 ID:NrdB.GxU0
笑福亭松之助でなければ、あの“お笑い怪獣”こと明石屋さんまさんを御せなかった。ここまで大きな人にはならなかった。


笑福亭松之助さんを偲ぶ会 弟子の明石家さんまさんなど約200人が参列
4/7(日) 18:22配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190407-18220608-kantelev-l27

 今年2月、93歳で亡くなった落語家の笑福亭松之助さんを偲ぶ会が開かれ、親交のあった人たちが別れを惜しみました。

大阪市内で開かれた笑福亭松之助さんを偲ぶ会には、弟子の明石家さんまさんや落語家の月亭八方さんなど約200人が参列しました。

松之助さんは、1948年に五代目・笑福亭松鶴に入門しました。自身の本名から「明石家」という名前を弟子のさんまさんに授けた名付親でもあり、式ではさんまさんが思い出を語ったということです。

【長男・明石家のんきさん】
「まさかこんな盛大に楽しい偲ぶ会になるとは思ってなかった。100歳まで生きると言うて、孫の成人式には参加するといっていたので、それは悔やまれる」

参列した人たちは、思い思いに松之助さんとの別れを惜しみました。

2512名無しさん:2019/04/10(水) 14:55:51 ID:NrdB.GxU0
"心の琴線"触れる新院歌 太魂院、年祭で披露へ
2019年4月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190410/20190410039.html

 妙見宗「太魂(ふとたま)院」(東住吉区山坂、浅田妙浄主管)は、今年5月5日の年祭に向け「変革と感謝の式典にしたい」と新しい「院歌」を作った。これまでの「参拝歌」「太魂音頭」「祝歌」も編曲し、“新曲”として披露する。完成した新・太魂音頭は「ハア〜 ここは大阪 田辺の町よ/人の情けが かよう町」と明るく元気の出る曲でラジオ関西のラジオ番組「嶺陽子の歌の散歩道」でも放送され反響を呼んだ。浅田修法副主管は「今年の年祭は、一緒に歌い楽しく踊っていただきたい」と呼び掛けている。

同院は「一人でも多くの人々に幸福になってもらいたい」と、本部玄関脇に開運の神「運子童子」の設置や落語会「にんやか寄席」を院内で開くなど地元に広く開放している。

 新曲は音楽事務所「ソルトワークス」(箕面市、塩川桂三代表)がプロデュースし、作曲家の池田八声さん、「太魂音頭」の歌を市町村演(援)歌歌手として知られる嶺陽子さん、曲の振り付けを創作舞踊家、花柳輿桂(よか)さんが担当した。

 作詞・作曲の最終案が決まり、妙浄主管の了承を得て、ソルトワークスの塩川代表、歌手の嶺さん、太魂院の「歌・音頭」チームのメンバーらも参加して、大阪市内のスタジオでレコーディングを行った。完成した新曲は妙浄主管からも「“心の琴線”に触れる未来に残るいい歌」とねぎらいの言葉を掛けられた。

 浅田芳順法嗣は「今年の5月から新元号に変わるその時を、新しい太魂院の出発の日にしたいです」と話している。

2513名無しさん:2019/04/16(火) 21:25:44 ID:NrdB.GxU0
赤字でも奮闘続ける落語茶屋 「若手」のために…オーナーの熱い落語愛
4/15(月) 10:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190415-00000053-dal-life

 落語と料理が楽しめる落語茶屋「あすか」が今年1月、大阪市住吉区にオープンし、話題を呼んでいる。オーナーの石川武さん(70)が「若手の発表の場が増えたら」との思いから作り上げた。店の中央にある小さな高座が何とも粋。プロの落語家の噺を間近で堪能し、うまい料理とお酒を楽しめる落語茶屋は「関西初です」と石川さん。落語愛を貫き、赤字でも奮闘している。

 阪堺電軌「姫松」駅から徒歩1分。レトロな路面電車を降りると、ほどなく「あすか」の看板が見える。元は串カツ店で17年間空き家だった店舗。「交通の便が良く、家賃が安くて天井が高いことを条件に探しました」と石川さん。前の借主が3億円かけたという内装は、エントランスに囲炉裏があったり、大理石のトイレなどゴージャスな片りんが残る。しかし、古さは否めず電気系統やエアコンを取り付け、落語会用の「高座」を設けるなど約800万円かけて改装した。

 石川さんは元商社マン。わけあって40歳で脱サラ後は飲食店の経営などに携わってきた。5年ほど前から落語にひかれ始め、落語会や寄席をはしごするように。落語の魅力について「たった一人、扇子と手ぬぐいという最小限の小道具で演じるひとり芝居。引き算の美学を感じます。同じ演目でも演者の表現能力によってイメージが変わるところが奥深い」と言う。

 さらに、「テレビでも落語の中継がありCDでもよく聞きましたが、ナマで聞くのが何倍も面白い」と力説する。

 寄席に通ううちに若手〜中堅噺家の勢いある落語にはまっていき、「彼らの発表する場が一つでも増えたら」という思いが大きくなっていった。飲食店経営のつながりや経験を活かし「儲からないのは覚悟の上で」落語茶屋を誕生させた。

 「あすか寄席」は現在、毎水・金曜日に開催。昼席は午前11時、夜席は午後7時から。桂佐ん吉(35)がプログラムを構成し出演者の采配も担当している。昼・夜席共に2人が各30分の落語を披露する。

 取材日は“美人落語家”露の紫(45)、昨年の繁昌亭大賞奨励賞を受賞した桂雀太(42)の出演だった。露のは、江戸と上方の賭場の違いを題材にした「看板の一(ピン)」を、雀太は古典落語「芝浜」をアレンジした「夢の革財布」を演じた。両者共にさすがはプロの迫力で、ぐいぐいと引き込んでいく。

 最前列で聴き入っていた中学生の男子は「女性落語家さんの実物は初めて。楽しかった」とにっこり。近所に住む70代の夫婦は「こんなに間近で落語が聞けるとは。楽しいひとときでした」と満足そう。

 紫は「お客さんの反応がダイレクトで勉強になります。(1席)30分という時間もちょうどいい感じですね」。

 落語2席と1ソフトドリンクで1500円。店内はテーブル席と、掘りごたつの座敷があり、くつろげる雰囲気に。料理は気鋭のシェフが手掛ける中華、洋食のメニュー。ローストビーフ500円、酢豚600円などリーズナブル。昼席のランチも炒飯500円などとなっている。

 石川さんは「落語は芸術とも言われているが良い意味で“たかが落語”だと思う。気軽にお酒を飲みながら、若い人から年配の方まで、ゆったり落語を堪能してもらえれば」。

 ただ、目下、赤字が続いているそうで「続けていくためにもいろいろと試みていきたい」と、イベントやサークルなどに店ごと貸し出す「一日席亭」を募集中。「高座は小さなステージにもなり、文化施設のように使えると思う。厨房があるので内輪のパーティーもできますよ」と呼びかけている。(デイリースポーツ特約記者・入谷晴美)

2514名無しさん:2019/04/16(火) 21:26:31 ID:NrdB.GxU0
▼落語茶屋「あすか」 大阪市住吉区帝塚山東1-3-34 PLOT帝塚山ビル地下1F 阪堺電軌姫松駅から1分、南海電鉄帝塚山駅から8分。落語2席、1ドリンク1500円。アルコールは差額で。予約がベター。「1日席亭」は午前11時〜午後5時の利用で8000円、午後5時〜同9時は1万円。

2515名無しさん:2019/04/16(火) 21:32:01 ID:NrdB.GxU0
20日に淀屋研究会講演 大阪駅前第3ビル
2019年4月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190416/20190416026.html

 講演会「幕末の鳥取藩と淀屋」が20日、大阪市北区の鳥取県関西本部交流室(大阪駅前第3ビル22階)で開かれる。午後2時10分〜4時。入場無料。

 淀屋橋で知られる江戸期の大坂の豪商「淀屋」を顕彰する淀屋研究会(大江昭夫代表代行兼事務局長)が、総会に合わせて開催する。

 講師は森本良和氏(元鳥取県立図書館長、映画監督)。幕末の京都で結成された農兵隊で、鳥取藩に加わり戊辰(ぼしん)戦争で活躍した「山国(やまぐに)隊」をはじめ、リーダーを務めた鳥取藩士・河田左久馬(影与)ら人物にもスポットを当てる。

 会員以外の入場は、総会閉会後の午後2時から。問い合わせは電話090(3263)4108、大江さん。

2516名無しさん:2019/04/19(金) 21:21:08 ID:NrdB.GxU0
剣は磨けよ、しかし使うべからず。
江戸幕府天下泰平260年の世においても、武備の整備は怠らず。
もっとも幕末の頃には幕府の鉄砲の多くは旧式となり、徳川親藩も同様。
それにより攘夷は果たせず、そして倒幕派にも抗しきれず江戸幕府は滅ぶに至る。
平和を欲するのであれば、平和な時に粛々と時代の趨勢に合わせて武備を整備しなければならないのです。

堺の鉄砲鍛冶、平和な江戸時代も活況だった 斜陽化したという通説を覆す
4/19(金) 9:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000504-san-l27

 近世の鉄砲生産の中心地の一つだった堺で、江戸時代にも盛んに鉄砲が製造されていたことがわかった。鉄砲鍛冶(かじ)屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区)に所蔵されていた資料を分析して判明したもので、「江戸時代に堺の鉄砲産業は斜陽化した」という通説を覆すことになる。調査関係者は「さらに精査して、知られざる鉄砲ビジネスの全容を明らかにしたい」と意気込んでいる。(古野英明)

 堺市と関西大学が、井上家に残された2万点を超える資料を4年間にわたって共同調査。鉄砲の注文数が江戸後期になるにつれて増加していた。天保10(1839)年には280丁を超える鉄砲を受注し、天保13(1842)年には関東から九州までの大名・旗本232家から注文があった。

 また、幕府の軍事拠点だった大坂城の鉄砲の維持・管理に井上家が深く関わっていたことも判明した。関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は「大坂城には1万丁以上の鉄砲が備蓄されていたことはわかっていたが、誰がメンテナンスしていたのかとの視点がまったくなかった」と、井上家の大きなビジネスになっていた可能性を指摘する。

 そのうえで「戦はなくても、有事の備えとして鉄砲は必要だった。農民たちも獣害対策として鉄砲を使っていた。外国船が来航した幕末には、沿岸警備の需要もあった。資料だけでも『平和が続いたから鉄砲産業が衰退した』という定説を覆すに十分な証拠になる」と評価している。

2517名無しさん:2019/04/25(木) 20:42:29 ID:NrdB.GxU0
ワッハ上方リニューアルオープン
04月24日 12時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190424/0014943.html

 落語や漫才など上方演芸の資料の収集などを行う大阪府の施設「ワッハ上方」が、資料の展示や解説などを充実させた施設としてリニューアルオープンしました。

平成8年にオープンした「ワッハ上方」は、入館者が目標を下回っていたことなどから規模を縮小して運営されていましたが、展示スペースを充実させた施設としてリニューアルオープンしました。
24日はオープニングイベントが開かれ、大阪府の吉村洋文知事が「全国の中で笑いの資料館は大阪が唯一です。国内外から多くの人が訪れるので、上方演芸をどんどん発信していきたい」とあいさつしました。
新たな施設は、漫才の小道具など7万点を超える所蔵資料から貴重な品々が大阪弁を解説するパネルなどとともに展示されています。
また、画面に映し出されたお笑い芸人とにらめっこをしたり一緒に記念撮影したりできる体験型のスペースもあります。
このほか施設には、NHK大阪放送局など大阪にあるテレビやラジオで放送されたおよそ3000本の落語や漫才などの演芸番組や、上方演芸に関する書籍を無料で視聴し、閲覧できるブースが備えられています。

2518名無しさん:2019/04/27(土) 19:42:19 ID:NrdB.GxU0
四天王寺の亀形石槽は飛鳥時代か
04月26日 17時29分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190426/0015036.html

 大阪の四天王寺にある亀の形をした石造物が7世紀・飛鳥時代に作られたものとみられることが分かりました。
同じ亀形の石造物は、奈良県の酒船石遺跡でも見つかっていて、専門家は、四天王寺が飛鳥時代、重要な場所であったことを示す貴重な資料だとしています。

これは、調査を行った四天王寺と元興寺文化財研究所のグループが発表したものです。
四天王寺にある亀井堂には亀をかたどった石の水槽と、そこから出た水を受ける同じく亀の形をした石の水槽があり、古くから儀式などで使われてきました。
グループがこの2つの石造物を調査したところ、古墳時代から飛鳥時代に使われていた「竜山石(たつやまいし)」と呼ばれる石が使われていたことが分かりました。
また、水が流れ出すほうの亀の形は後の時代に作られたもので、当初は単純な造りの石の水槽から出た水を、亀の形をした別の水槽が受ける構造であったことも分かったということです。
こうした構造は、奈良県明日香村にある、斉明天皇ゆかりとされる酒船石遺跡の亀形石造物と同じで、作られたのも同じ7世紀ごろと考えられるということです。
元興寺文化財研究所の佐藤亜聖研究員は「四天王寺が当時の国家にとって重要な場所であったことを示す資料だ。酒船石遺跡と比較することで当時の祭祀(さいし)について考える手がかりとなる」と話していました。


太子たたえ盛大に 四天王寺で「聖霊会」
2019年4月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190423/20190423033.html

 聖徳太子の命日にちなむ伝統行事「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が22日、太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で盛大に執り行われた。多数の奉仕者によって舞楽と法要がみやびやかに繰り広げられた。

 約1400年の歴史があり、同寺の最も重要かつ大規模な年中行事。聖霊会の奉納舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 “日本三舞台”の一つに数えられる境内・石舞台上では、同寺僧侶が太子をたたえる声明を唱えたほか、天王寺舞楽伝承団体である天王寺楽所(がくそ)の舞人・楽人が奉仕。舞楽の幕開けを告げる「振鉾(えんぶ)」をはじめ、唐で舞われたと伝わる「賀殿(かてん)」などを数多く奉納した。

 大阪管区気象台によると同日の大阪市では日中の最高気温が6月中旬並みの27・6度まで上がり、今年最初の夏日に。境内では多くの参詣者が初夏の日差しの下で、平成最後となる一大行事に見入っていた。

2519名無しさん:2019/04/27(土) 20:22:30 ID:NrdB.GxU0
羽曳野にはにわ作り体験施設完成
04月26日 12時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190426/0015022.html

 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市に、はにわ作りを体験できる施設が完成しました。

この施設は、古墳やはにわにちなんだグッズを製作している地元の企業が設けたもので、27日のオープンを前に関係者に公開されました。
施設には、古墳群について紹介するパネル展示や古墳にちなんだ各地のグッズを販売するコーナー、それに、はにわ作りを体験できるスペースがあります。
26日は近所の人たちが体験に訪れ、粘土で胴体などを作ったあと、ヘラを使って顔や模様を描いていました。
はにわは、このあと窯で焼くなどして1か月から2か月ほどで出来上がります。
参加した近所の女性は「胴体に付けた輪っかの模様や頭にリボンを付けたところにこだわりました。初めて作りましたが、よくできたと思います」と話していました。
百舌鳥・古市古墳群をめぐっては、来月にもユネスコの諮問機関から世界遺産にふさわしいかどうか勧告が出される見通しです。
施設の運営会社でプロジェクトリーダーを務める朝野亜紀子さんは「1500年前の古墳時代に、たくさんの古墳やはにわが近くで作られていたという古代ロマンを感じてもらい、世界遺産の登録に向けた機運醸成に貢献したいです」と話していました。

2520名無しさん:2019/04/27(土) 20:56:01 ID:NrdB.GxU0
江戸期の農村支配地域の古文書読む 住民ら郷土史理解
2019年4月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190426/20190426031.html

 東住吉区の田辺地域に残る古文書をひもとき、大坂近郊農村の姿を明らかにする講演会「古文書から見る江戸時代の農村支配システム」が東田辺2丁目の東住吉会館であった。幕府が定める法令の回覧手段などの解説があり、住民が郷土史に理解を深めた。

 21日に講演したのは、大阪大の村田路人教授(日本近世史)。村田教授は、領主が頻繁に入れ替わり、所領も入り乱れていたのが上方の特徴とした上で、旧北田辺村に残る「御触書御用留(おふれがきごようとどめ)」を引き合いにした。

 この資料は、幕末の1858(安政5)〜66(慶応2)年の9年間に村々を回覧した「触書」が書き留めてあり、当時米英など五カ国と結んだ不平等条約を背景に、幕府が新しく鋳造した貨幣の流通制度や交換レートを収録。当時は、代官や大名、社寺など変動しがちな領主とは別に、大坂町奉行所(幕府)による広域統治を加えた二重行政が敷かれており、資料からは触書が二つのルートを通じて巡ったことが分かる。

 また、「用聞(ようきき)」と呼ばれる第三者が情報伝達に介在する役割を果たしており、大坂周辺に所領を有する領主に召し抱えられ、兼業または専業となる業者もあったとした。

 約100人が見守る中、村田教授は「支配の政策を見るだけでは不十分。実現メカニズムを併せて見ることが大事だ」と説いた。

 主催は「にんやか田辺」(田辺HOPEゾーン協議会)。

2521名無しさん:2019/05/03(金) 20:58:48 ID:NrdB.GxU0
極楽浄土へ「万部おねり」法要
05月02日 19時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190502/0015149.html

 人々を極楽浄土に導こうと、金色の面をかぶった僧りょがぼさつにふんして境内を練り歩く「万部おねり」という法要が、大阪・平野区の寺で行われています。

大阪市の無形民俗文化財に指定されている「万部おねり」は、平野区の大念佛寺で毎年5月1日から5日まで行われる法要です。
金色の面をかぶった僧りょが境内を練り歩き、命が尽きるときに阿弥陀仏がぼさつを従えて極楽浄土から迎えにくる様子をあらわそうとしたのが始まりとされています。
面とともにきらびやかな衣装をまとった僧りょたちが、本堂の周りに設けられた高さ2メートル余りの橋の上をゆっくりと歩いていきました。
そして、本堂に入ったあと雅楽の調べが響く中、仏前に花を手向けると、見守っていた参拝客たちも静かに手を合わせたり写真を撮ったりしていました。
大阪市から訪れた70代の女性は「すごく厳かでよかった。令和の時代になったので、平和で家族が健康でいられるよう気持ちも新たに頑張っていきたい」と話していました。

2522名無しさん:2019/05/03(金) 21:03:58 ID:NrdB.GxU0
記念御朱印色紙 きょう参拝客に授与 大阪天満宮
2019年5月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190501/20190501038.html

 新天皇の即位に合わせ、大阪天満宮(大阪市北区)では1日、記念の御朱印色紙を参拝客に授与する。神職が一枚一枚、筆で新元号「令和」の文字を金色でしたためた色紙で、新時代の幕開けへの期待が込められている。

 平成最後の日を迎えた30日、神職が筆を取り、真剣な表情で一枚一枚に丁寧に文字を書いていった。色紙の中央に大きく令和と書かれ、その横に新元号の基となった日本最古の歌集「万葉集」の一節が添えられている。

 また、1日は境内で奉祝行事も行われる。餅や酒が参拝客に振る舞われるほか、落語や雅楽が披露される。

 権禰宜(ねぎ)の小林倫宏さん(26)は「平成への感謝と令和への期待を持って新しい時代を迎えてほしい」と話している。

 記念色紙は限定250枚で、初穂料2千円が必要。午前9時から授与する。このほか、1日は「慶祝」と書かれた御朱印も授与する。

2523名無しさん:2019/05/03(金) 21:05:37 ID:NrdB.GxU0
祝賀準備万全に 新天皇陛下あす即位 府内社寺
2019年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190430/20190430037.html

 5月1日の「天皇の即位の日」を目前に、大阪府内各地の社寺で奉祝の準備が着々と進んでいる。

 府神社庁のお膝元、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)では、神職が境内に掲げる奉祝懸垂旗やのぼりなどを準備。汚れなどがないかチェックしたほか掲揚する場所を調整した。田中裕人権禰宜(ねぎ)は「平成の御代に感謝するとともに、すがすがしい気持ちで新しい御代をお祝いしたい」と話した。
 このほか同市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)では、御即位奉祝奉納行事を行う。記帳や神館特別拝観(1〜6日)をはじめ、1日には風流武者行事、住吉踊(おどり)、江戸芸かっぽれ、枕太鼓など。2日にはみこし、獅子舞などを予定している。 同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、30日夜に「奉祝の鐘」が行われる。僧侶が午後11時45分ごろから境内・北引導鐘堂と太子引導鐘堂の2カ所でお経を唱え、平成から令和に変わるタイミングで引導鐘を21回突く。この様子をより多くの人に見てもらおうと、インターネットでライブ配信する予定で、同寺ホームページからリンクできるよう調整中という。

2524名無しさん:2019/05/03(金) 21:09:39 ID:NrdB.GxU0
住吉大社 平成最後の御朱印
04月30日 12時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190430/0015107.html

 平成最後の日の30日、大阪市の住吉大社には「平成」の日付が書かれた最後の御朱印を求めて多くの人が参拝に訪れています。

大阪・住吉区の住吉大社は神功皇后ゆかりの全国の住吉神社の総本社で、大阪では「すみよっさん」の愛称で親しまれています。
30日は、「平成」の日付が書かれた最後の御朱印を求めて朝から約50人が列を作りました。
訪れた人たちはそれぞれの御朱印帳に黒い墨で「奉拝 住吉大社平成三十一年四月三十日」の文字が入った御朱印を受け取ると、早速、平成の日付を確認していました。
住吉大社では、「平成」の日付が書かれた御朱印を求める人たちが連休に入ってから増えているということで、29日は普段の倍以上の500人ほどが御朱印を受け取ったということです。
吹田市から親子で訪れた10歳の男の子は、「平成最後の御朱印を授かって改めて平成が終わってしまう悲しみを感じています。令和は幸福な時代になってほしいです」と話していました。
住吉大社の万力一雅権禰宜は「平成最後の御朱印を受けていただくことで平成の時代を振り返ってもらい、新たな時代もすがすがしく迎えてもらいたい」と話していました。

2525名無しさん:2019/05/03(金) 21:37:31 ID:NrdB.GxU0
5日「幸村祭」 天王寺・安居神社
2019年5月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190503/20190503037.html

 「大坂の陣」の奮戦で知られる信州上田の武将・真田幸村を慰霊する伝統行事「幸村祭」が5日、大阪市天王寺区逢阪1丁目の安居神社(中島一熈宮司)で行われる。午前11時から。見学自由。

 同神社は大坂夏の陣(1615年)の「天王寺口の戦い」で幸村が戦死した地と伝わることから、神社関係者らが長年にわたり顕彰や慰霊を手掛けている。

 同日は慰霊祭に続いて、大阪城真田鉄砲隊(澤田平代表)、長野県上田市の殺陣サークル眞による奉納演武などを予定。問い合わせは電話06(6771)4932

2526名無しさん:2019/05/03(金) 22:05:04 ID:NrdB.GxU0
皇族ゆかりの「神館」 新天皇即位を祝い特別公開 大阪・住吉大社
5/2(木) 11:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000019-ytv-l27

 大阪市の住吉大社で、新天皇の即位をお祝いして、皇族ゆかりの建物・「神館」が特別に公開されている。

 住吉大社で特別公開されている「神館」は、約100年前に大正天皇の即位を記念して、皇族が滞在する建物として作られ、国の登録有形文化財に指定されている。

 建物の中には、皇族が休憩するための部屋「『玉座』の間」があるほか、明治天皇から送られたひな人形や、歴代の天皇が書かれた和歌の短冊など皇族にゆかりの品、約30点が展示されている。

 訪れた70代夫婦は「ここで結婚式を挙げさせていただいて、何十年ぶりかにお参りしようと」と話していた。

 境内には、新天皇の即位をお祝いする記帳所も設けられていて、特別公開とともに、6日まで行われる予定だ。

2527名無しさん:2019/05/03(金) 22:06:12 ID:NrdB.GxU0
「難波宮」古代水路を特別公開
05月03日 19時41分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190503/0015161.html

 古代の「難波宮」にあった巨大な石組みの水路の見学会が、大阪歴史博物館で行われました。

飛鳥時代の宮殿「難波宮」の跡にあたる大阪・中央区の大阪歴史博物館では、地下6メートルのところに、巨大な石組みの水路が保存されています。
幅およそ50センチメートル、深さ1メートルほどのこの水路は、わき水を難波宮の外に流す目的で作られたと考えられています。
ふだんは一般に公開されておらず、3日の見学会に訪れた人たちは、1300年あまり前の古代の土木技術に見入っていました。
建築関係の仕事をしているという50代の男性は「大きな石を運ぶクレーンがない時代にこれだけの水路を作るのは大変な労力だったと思う。設計も含め、大昔の土木技術に感心しました」と話していました。

2528名無しさん:2019/05/08(水) 20:45:36 ID:NrdB.GxU0
幼稚園児が作ったこいのぼり100匹 豊中の椋橋総社
2019年5月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190508/20190508034.html

 コイが神の使いであるとの伝説が伝わる豊中市庄本町の椋橋総社境内に、幼稚園児が作ったこいのぼり約100匹が飾られている。赤や青、緑と色とりどりのこいのぼりが大空を気持ち良さそうに泳いでいる。

 庄本地区には、奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架けるため、同総社に工事の成功を祈願すると、無数のコイが集まって背を並べて魚橋となり、工事を完成させたという「鯉(コイ)伝説」が残る。境内の池には、現在も100匹以上のコイが泳ぐ。

 こいのぼりは、鯉伝説を後世に伝えるために、同総社に隣接する私立庄本幼稚園(川辺豊園長)が2005年から制作。長さ80センチほどでビニール袋を使って作った。境内に飾られたこいのぼりを見た園児たちは「こいのぼり、飛んでる!」「作ったこいのぼりあった!」と歓声を上げて喜んでいた。こいのぼりは5月中旬まで飾られる。

 川辺園長は「例年の行事となり、地域の皆さんに鯉伝説を知ってもらえています。この時期の風物詩を多くの人に楽しんでいただけたら」と話している。

2529名無しさん:2019/05/08(水) 21:18:39 ID:NrdB.GxU0
みやびやか卯之葉神事 住吉大社
2019年5月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190508/20190508028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)は6日、祭神である住吉大神の鎮座を記念する「卯之葉(うのは)神事」を執り行い、多くの参拝者が厳かな神事をはじめ奉納行事を見守った。

 
毎年、卯の花(ウツギ)が咲く5月最初の「卯」の日に行われる伝統行事。

 境内・第一本宮の本殿祭では、初夏の日差しの中、ウツギを装飾した神職らが厳かに神事を斎行。玉串拝礼の際、参列者らが本来のサカキではなくウツギを神前にささげた。

 同神事恒例の奉納舞楽は通常、境内の石舞台上で行われるが、今年は天皇即位奉祝記念行事として吉祥殿内の特設舞台で大々的に実施。天王寺舞楽の伝承団体「天王寺楽所(がくそ)」の舞人・楽人が奉仕し、天皇即位礼大饗(たいきょう)に必ず奏される「萬歳楽(まんざいらく)」などをみやびやかに披露した。

 続いて、すみよし反橋能実行委による奉納能「大典」が上演され、約500人の来場者を魅了した。

2530名無しさん:2019/05/10(金) 21:32:49 ID:NrdB.GxU0
ミナミに若手芸妓11年ぶり誕生
05月10日 17時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190510/0015395.html

 かつて日本有数の花街としてにぎわいを見せていた大阪・ミナミに、11年ぶりに若手の芸妓が誕生し、10日、関係者にお披露目されました。

新人芸妓としてデビューしたのは、奈良県出身で20歳の「玉幸」さんと大阪出身で24歳の「多美鶴」さんです。
10日は、大阪・ミナミに唯一残る茶屋「たに川」で、報道関係者を前に、先輩の「八重鶴」さんとともに、舞踊や三味線の演奏を披露しました。
ミナミはかつて「南地」と呼ばれる花街があり、およそ2000人の芸妓を抱えていましたが、芸妓や茶屋は次第に減り続け、ここ数年は地元の芸妓が1人だけの状況が続いていたということです。
ミナミで若手の芸妓が誕生するのは11年ぶりだということで、玉幸さんは、「中学生から続けていた日本舞踊を仕事にしたいと思い、インターネットで調べて芸妓に興味をもつようになりました。大阪は若い芸妓がいなかったので、大阪の伝統文化を継承していけるように頑張りたいです」と話していました。

2531名無しさん:2019/05/10(金) 21:40:20 ID:NrdB.GxU0
高島屋東別館が有形文化財に登録 「国土の歴史的景観に寄与」 /大阪
5/10(金) 10:52配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190510-00000015-minkei-l27

  高島屋東別館(大阪市浪速区日本橋3)が、国の有形文化財(建造物)に登録された。(なんば経済新聞)

 
同館は、1928(昭和3)年の建築。鉄筋コンクリート造、地上9階、地下3階建てで、延べ床面積は4750平方メートル。昭和の初めに建設され、これまで約90年にわたり、百貨店が最も華麗だった頃の内外装を今に伝える貴重な建築物として知られている。今回、有形文化財の登録基準である「国土の歴史的景観に寄与しているもの」と評価された。

 建築から1966(昭和41)年まで松坂屋大阪店として営業。この間、増改築を繰り返し、1940(昭和15)年には、延べ床面積が1万2000坪と松坂屋最大で、国内でも最大規模の百貨店だったという。その後、1968(昭和43)年に高島屋が東別館として事務所などとしての利用を開始。1970(昭和45)年には高島屋が保有する美術・着物・資料などを展示する高島屋史料館も開設した(現在は改装のため休館中)。

 全体にアールデコ調のデザインでまとめられた建物外観は、1階と2階の一部を「基壇」、2階〜6階を「主階」、7階を「アテック階」とする3層構成となっており、堺筋沿いの1階には約67メートルものアーケードを設け、11連のアーチ状の開口部が外観の特徴となっている。

 現在は改装工事中で、サービスレジデンス(キッチンなど長期滞在を可能とする設備を設けたホテル)を核テナントとした施設に転換するほか、高島屋史料館もリニューアルオープンを予定する。
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2532名無しさん:2019/05/12(日) 14:13:01 ID:NrdB.GxU0
天神祭も「令和」お祝い 本年度初の実行委で方針
2019年5月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190511/20190511039.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭の渡御行事保存協賛会は10日、本年度の実行委員会の初会合を大阪市北区の大阪天満宮で開いた。代替わりに伴う天皇陛下即位を祝う行事を、祭りの中で斎行する方針を示し、関係者らは令和で初めてとなる祭りの成功に向けて士気を高めた。

 本年度は天皇陛下の即位に関連し、大阪天満宮の本殿前や門前、行事の道中にのぼりや懸垂幕を設置するなどして祝意を表す。

 本宮祭は、即位を祝う「奉祝祭」を兼ねて斎行することにし、国歌斉唱や万歳といった儀式を含む祭儀にすると報告。寺井種治宮司は「天神祭でも奉祝の気持ちを伝えたい」と意欲を示した。

 初会合では、例年と同じく7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭や奉納花火約5千発を打ち上げるなどの事業計画案を承認。栗原宏武実行委員長は「令和の初めにふさわしく、盛大かつ安全に斎行したい」と本番に思いをはせた。

 承認された案は、5月末の委員総会で議決する。

2533名無しさん:2019/05/12(日) 16:08:39 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 登録なるか
5/9(木) 18:33配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190509-00000161-nnn-soci

  世の中で議論を呼んでいる話題について、ゲストに意見を聞く「opinions」。今回の話題は「百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 登録なるか」。雑誌「Discover Japan」の編集長・高橋俊宏氏に聞いた。

世界遺産登録に向けて期待が高まる大阪府の百舌鳥・古市古墳群。
日本最大の古墳として知られる仁徳天皇陵や、応神天皇陵など45件、49基の古墳で構成されている。

ユネスコの諮問機関「イコモス」が「世界文化遺産への登録がふさわしい」とユネスコに勧告するかどうかが注目されていて、近く結果が判明する見通しだ。

ネット上ではこんな意見が見られた。

「日本の文化が認められていいこと」
「その歴史的価値は明白」
「全体が見渡せる場所があるといいな」


――この話題について高橋さんにフリップを書いていただきました。

「天皇から日本、再発見!」です。

元号が変わり、天皇というものに対して関心が高まっていますが、天皇も神話の時代から数えると2700年続いていることになるのですが、実際は、実在した天皇というのは諸説あるのですが、仁徳天皇から実在したのではないかというような話があるんです。

つまり1700年前から天皇がいたのではないかと、そういう意味でいうと、実在された仁徳天皇のお墓の仁徳天皇陵が認められれば、さらに機運が高まるのではないかと思います。

また、仁徳天皇陵は“世界三大墳墓”のひとつなんですけど、クフ王のピラミッドも秦の始皇帝陵も世界遺産になっています。ここで世界三大墳墓の最後のひとつとして、世界遺産に認定されればと期待したいところです。


――日本にとっても大きなことですよね。

古墳でいうと日本で1位、2位、3位が、ここにありますからね。私は出身が岡山なんですが、4位の造山古墳というのがありまして、子どものころ行ったことがありますが、そこのナンバースリーがある。いわば古墳銀座です。古墳の魅力再発見につながるといいなと思います。

2534名無しさん:2019/05/12(日) 16:09:18 ID:NrdB.GxU0
――古墳に行きたいという人もいらっしゃると思うのですが、楽しみ方というのは、どういったところなのでしょう。

仁徳天皇陵は中に入れないと思うのですが、やはり想像力とロマンで見るというのと、あとは堺市の市役所の展望台から見えるらしいので、そういうところから見て楽しむのというのもあると思います。

あと、古墳マニアとしては前方後円墳があってお堀が残っているというのはすごいんです。大体、お堀が埋められてなくなっているところが多いんですが、本来の姿が残っているので上空から見ると、かなりインパクトがありますし、こういってはあれですが、インスタ映えもすると思います。


――展望台から中はどうなっているんだろうとロマンを感じながら眺めるといいんですね。

副葬品とかも出ていますので、それらは美術館や博物館で見ていただいて、当時のことに思いを寄せるというのも楽しいんじゃないでしょうか。


――気になるのが、古墳というのは海外の方はどう見ているのでしょうか。

海外から見ても、ピラミッドにみんな行きたいのと同じで、私も始皇帝の兵馬俑を見に行きましたが、観光のスポットとして重要だと思います。やはり日本を知る上でのルーツですから。

【the SOCIAL opinionsより】

2535名無しさん:2019/05/14(火) 08:46:12 ID:qyBlkDVA0
「仁徳陵」など古墳群、世界遺産へ ユネスコ機関が勧告
2019年5月14日
https://www.asahi.com/articles/ASM4L6JB7M4LUCVL01W.html?ref=yahoo

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に「大山(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵)」など「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)が登録される見通しとなった。事前審査する諮問機関が「登録が適当」と勧告した。6月30日からアゼルバイジャンで開かれる世界遺産委員会で最終的に決まる。

 ユネスコが13日、諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告内容を日本政府に伝えた。

 古墳時代最盛期の4世紀後半〜5世紀後半に築造された古墳群。国内最大の前方後円墳「大山古墳」(墳丘長486メートル、堺市)、2番目の規模の「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(伝応神天皇陵)」(同425メートル、羽曳野市)のほか、帆立貝形墳や円墳、方墳など大きさも形も多様な45件49基で構成される。

 古墳が密集する堺市の百舌鳥エリアと羽曳野(はびきの)・藤井寺両市の古市エリアは、古代日本の政治や文化の中心地の一つ。個人の権力の大きさや身分の差が目に見える形で示されるようになっていった日本の歴史を物語る物証として顕著な特徴があると認められた。

 49基中29基が歴代天皇や皇后、皇族の墓として宮内庁が管理する陵墓(りょうぼ)など。「静安と尊厳の保持」を理由に一般の人の立ち入りは禁じられ、学術的な調査も制限される。名称についても、宮内庁の指定に沿って「仁徳天皇陵古墳」などで推薦されたが、考古学や歴史学者から「被葬者が学術的に確定していない」として地名に基づき大山古墳などと呼ぶべきだとの指摘がある。こうした点がどう評価されるのかが注目されていた。

 イコモスは、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階の評価で勧告する。世界遺産の総数は1092件。日本からは文化遺産18件、自然遺産4件の計22件が登録されており、正式に決まれば、大阪府では初めてとなる。

2536名無しさん:2019/05/14(火) 19:55:03 ID:NrdB.GxU0
古墳群世界遺産登録へ 喜びの声
05月14日 12時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190514/0015509.html

 世界文化遺産への登録を目指している大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」について、ユネスコの諮問機関は、登録することがふさわしいとする勧告をまとめました。
これにより、「仁徳天皇陵」として管理されている国内最大の前方後円墳などが、ことし世界文化遺産に登録される見通しとなりました。

「百舌鳥・古市古墳群」の地元大阪・堺市では市民が集まり、世界遺産に登録される見通しになったことを祝う横断幕を掲げました。
「百舌鳥・古市古墳群」を構成する古墳のひとつ「仁徳天皇陵」とされる国内最大の前方後円墳の近くにある大仙公園には、14日午前中からボランティアガイドとして活動する市民などおよそ50人が集まりました。
集まった人たちは「百舌鳥・古市古墳群登録勧告!」と書かれた横断幕を掲げ、万歳して喜びを分かち合いました。
このあと、ハニワのかぶり物をした堺市のマスコットキャラクターハニワ課長が公園を訪れた人たちに「世界遺産ニュース」と題した号外を配り、世界遺産登録に向けて大きく前進したことをPRしました。
ハニワ課長は「土器だけにドキドキして勧告を待っていました。これからも古墳のすばらしさを知ってもらえるよう活動したい」と話していました。
また、古墳周辺で10年以上清掃活動を続けていて去年9月にはユネスコの諮問機関イコモスの現地調査で活動の様子を説明した草野利夫さんは「こつこつ活動してきた結果が実り、うれしいです。イコモスの調査員にも良い説明ができていたのではないか」と話していました。

【市役所展望ロビーでも喜びの声】
「仁徳天皇陵」を見渡せる、地上80メートルの堺市役所の21階の展望ロビーでも喜びの声が聞かれました。
堺市の60代の女性は、「世界文化遺産登録を目指していると知ってから、これまで長い間待ち望んでいただけにとてもうれしいです」と話していました。
また、夫と展望ロビーに来ていた堺市の40代の女性は、「世界の人たちに堺の歴史を知ってもらえることになり、とてもうれしいです。ただ、展望ロビーから見ても、全体がはっきりと見えないので、全体が見えるような場所ができたら観光客にも喜ばれるのではないか」と話していました。

【吉村知事“観光振興につなげたい”】
大阪府の吉村知事は、大阪府庁で記者団に対し、「世界遺産にふさわしいという勧告を受けてうれしく思う。大阪初の世界遺産を目指して、正式に登録されるよう、地元自治体や国と協力しながらやっていきたい。堺、大阪にとって、ものすごく大きな魅力になるので、観光振興につなげていきたい」と述べました。

【専門家は】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しになったことについて、大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長は、「ピラミッドや秦の始皇帝陵などとともに、世界的に非常に巨大で独特の形態や構造を持つ日本の前方後円墳が、世界遺産として登録されるにふさわしいものだと判断され、古墳の研究に従事する者として非常にうれしく思う」と述べました。
そのうえで、「畿内を中心に日本列島各地の勢力が政治連合を形成していた、日本の初期国家のあり方を反映しており、貴重な遺産であるということが評価されたのではないか。また、当時の人たちの死後の世界観についてや、東アジアの国々から日本にどのようなものが伝わってきていたのかなど、当時の国際関係について考えるうえでも、重要な遺産であることも評価されたのではないか」と述べました。
今後、必要となる取り組みについては、「宮内庁の管理のもとでこれまで保護されてきたのは良かった一方、一般に公開されていないのは問題点だと思う。公開のあり方についてはさまざまな意見があるので、世界遺産への登録を機に、国民的議論が深まることを期待したい」と話していました。

2537名無しさん:2019/05/14(火) 19:55:55 ID:NrdB.GxU0

【地元の店も「古墳効果」に期待】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録される見通しとなったことを受けて、地元では地域の魅力が高まり、より多くの人が訪れてくれると期待する声が上がっています。
このうち、仁徳天皇陵とされる古墳のすぐ近くの飲食店では世界遺産登録に向けた機運を盛り上げようと前方後円墳をかたどった「古墳カレー」を提供してきました。
古墳カレーは特製の型を使って古墳の形にごはんを盛り付けたあと、古墳群がまたがる羽曳野市で生産されたいちじくを混ぜ込んだルーをかけたこだわりのカレーです。
店主の中屋麗子さんは「国全体でこれから古墳を守っていこうという流れになっていくので良かったと思います。店に来るお客さんにも古墳は大事なものなんだと意識してもらいながらカレーを食べてもらえるとうれしいです」と話していました。
また、堺市内の堺山之口商店街にある雑貨店では5年ほど前から古墳をモチーフにしたアクセサリーやTシャツなどを販売しています。
店舗を経営する松永友美さんは大の古墳好きで去年からは商店街の中で半年に1度、「古墳祭り」と題したイベントを開催しています。
今月初めの大型連休中に開催したイベントではおよそ2500人が全国各地から訪れ、古墳に関連した商品などを買い求めていたということです。
松永さんは「全国各地を巡っていても古墳がある町にはとても魅力があると感じます。登録に向けた勧告や古墳のイベントが商店街の存在を知ってもらうきっかけになれば」と話してました。

【古墳ファン「まりこふん」さんは】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しとなったことについて、長年の古墳ファンで、古墳の歌を歌うシンガーソングライターの「まりこふん」さんは、「古墳だけに大興奮です。古墳ファンにとって歴史的な日なのではないでしょうか。やっと日本の古墳が世界に知ってもらえる時が来た」と話していました。
また、古墳の楽しみ方については、「まずは周りを歩いてどのくらい大きいか感じて、古墳を作った当時の人に思いをはせてほしい。地元には古墳型のカレーや、古墳のクッションなどさまざまなグッズがあるので、おしゃれでカワイイ古墳の形を楽しんでもらいたいです」と話していました。
まりこふんさんは、「古墳は全国におよそ16万基あり、身近なところに古墳は存在しているので、自分の街の古墳にも注目してもらえたらうれしいです」と話していました。

2538名無しさん:2019/05/14(火) 19:56:32 ID:NrdB.GxU0
【百舌鳥・古市古墳群とは】
「百舌鳥・古市古墳群」は大阪府南部の堺市と、羽曳野市、藤井寺市にまたがる2つの古墳群で、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた49基の古墳からなります。
巨大な前方後円墳が集中しているのが特徴で、このうち堺市にあり宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は全長およそ500メートルと国内で最大です。
エジプト・クフ王のピラミッドや中国・秦の始皇帝陵などと並び世界最大級の王の墓とされています。
また、羽曳野市にあり、「応神天皇陵」として管理されている前方後円墳は国内で2番目の大きさです。
巨大な古墳の近くに大小さまざまな古墳があるのも特徴で円墳や方墳など古墳の形や大きさは埋葬された人物の地位を表していると考えられています。
巨大な前方後円墳に葬られた王の親族や臣下の墓とみられ、日本列島における古代王権の成り立ちを表す貴重な遺跡とされています。

【登録までの経緯】
日本国内の世界遺産は、文化遺産と自然遺産のあわせて22件ありますが、近畿の2府4県では唯一、大阪府だけ世界遺産がなく、府は地元とともに「百舌鳥・古市古墳群」の登録に力を入れてきました。
府と地元の3つの市がユネスコへの国内推薦を目指して初めて名乗りをあげたのが平成25年です。
しかし、国内候補地を決める文化審議会から、古墳や周囲を含む一帯の保全のあり方や計画が十分でないなど10点にのぼる課題が指摘されました。
堺市などは屋外広告を規制する条例の策定に取り組みましたが、2回目の挑戦となった平成27年にも再び推薦が見送られ、海外の人にも分かる古墳の価値の詳しい説明など5点の課題を指摘されました。
そして、翌年の3回目の挑戦でも推薦は見送られ、古墳の歴史的な価値をさらに分かりやすくすることや、観光客の移動手段など、より具体的な課題が指摘されました。
そして、4回目となったおととしの挑戦では、保存状態の悪い古墳を除いて49まで絞り込んだうえで、将来にわたる保全や管理の計画を具体化しました。
さらに巡回バスの運行など観光客の移動手段などの解決にも取り組んだ結果、その年の7月、国内推薦の候補に決まりました。

【古墳全景が見えない課題】
百舌鳥・古市古墳群は古墳の周辺に展望施設がほとんどなく、巨大な古墳の全景を見渡すことができないのが大きな課題となっています。
このうち仁徳天皇陵とされる国内最大の前方後円墳は、堺市役所の21階にある展望ホールから見ることはできますが、鍵形をした古墳の全景を確認することはできません。
堺市ではこうした課題に対応するため去年10月、民間の会社と協力して古墳の上空をヘリコプターで遊覧飛行するツアーを試験的に行いました。
市はこうしたツアーを定期的に開催できるよう調整を進めています。
このほか、仁徳天皇陵とされる古墳と隣接する場所には高さ12メートルほどの展望デッキを整備する計画もあります。
展望デッキの下には古墳群の成り立ちなどを詳しく解説するガイダンス施設も整備されるということです。

2539名無しさん:2019/05/14(火) 20:40:14 ID:NrdB.GxU0
日本文化揺籃の地・大阪。
日本国の母なる大地・大阪。
豊潤な歴史を誇る・大阪。

新しい御代・令和における日本国最初の世界遺産のある場所として選ばれた大阪。
時代は大阪。時の流れは大阪へ向かう。

世界の目が大阪へ集まる新時代の始まり。


「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録勧告 地元・堺市は早くも“お祝いモード”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00027750-mbsnewsv-l27

 大阪府にある「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの諮問機関から世界遺産に登録するよう勧告されました。今後、世界遺産委員会で登録が正式に決定する見通しです。地元・堺市では14日朝から祝福ムードです。

 「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録勧告を受け、近くの公園では市民らが号外を配りました。イベントにはこの方も…。

 「元号が変わったタイミングでこれは運命だと思いますので、非常にめでたいと喜びたいと思います」(ハニワ課長)
 「念願がやっと叶って夢のようでございます。(Q.どれぐらい応援してきた?)1600年」(堺市民)

 一方、こんな祝い方も…。

 「古墳こんにゃくといううちのオリジナル商品があるのですが、それを勧告の記念にふるまわせていただきます」
.
MBSニュース

2540名無しさん:2019/05/15(水) 22:44:05 ID:NrdB.GxU0
大阪城を眼前に、秀吉の大茶会を再現する茶道イベント
5/15(水) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190515-00067056-lmaga-l27

 「大阪城」本丸広場にある施設「ミライザ大阪城」(大阪市中央区)内の「ザ ランドマークスクエア オオサカ」 屋上で、茶道イベント『大阪城大茶会』が6月16日におこなわれる。

 かつて豊臣秀吉が開催した「北野大茶湯」を現代的に再現しようという同イベント。庶民から大名まで身分に分け隔てなくお茶をたしなむことができたという秀吉のお茶会のように、訪日外国人観光客をはじめ、初心者でも気軽に茶会に参加でき、茶道を通した日本文化と秀吉の大阪城との融合を感じることができれば、と企画された。

当日は、本格的な茶席(抹茶、干菓子付き)や野点(のだて)、外国人のための英語の解説資料も用意され、性別や年齢、国籍を問わずに広く楽しめるようになるという。5部制(要予約・各回80名)で、料金は1人500円。

2541名無しさん:2019/05/21(火) 20:31:23 ID:NrdB.GxU0
長い事、多くの人々から忘れられていた昔の大阪が徐々に姿を見せ始めてきた。
長い豊潤な歴史を誇る大阪。大阪とは歴史の玉手箱でもあるのです。

泉佐野市、河内長野市の2件 日本遺産に認定
2019年5月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190521/20190521027.html

 文化庁は20日、地域の歴史的魅力や特色を観光資源として活用する2019年度の「日本遺産」に全国の16件を認定、認定証を交付した。大阪府では泉佐野市の「旅引付(たびひきつけ)と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘(ひねのしょう)の風景-」、河内長野市の「中世に出逢(あ)えるまち〜千年にわたり護(まも)られてきた中世文化遺産の宝庫〜」の2件のほか、府内の和泉、藤井寺、茨木、箕面の各市を含み滋賀県など2府5県がネットワーク型で申請した「1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜」が認定された。(5月21日3面に関連記事)

 今回が第5弾となり、全国では72件の申請があった。

 泉佐野市は800年前に上級貴族の九条家の領地であった日根荘で、2枚の荘園絵図と九条政基が書いた「旅引付」という日記が残されている。絵図と日記に描かれた風景と人々の生活は、現在の農村景観にもつながっているという内容。

 審査委員会は、上級貴族の荘園に着目した興味深く魅力的なストーリーで、中世から受け継がれる荘園の景観と文化が大都市近隣に色濃く残っていると評価した。

 京と高野山を結ぶ街道の中間地に位置した河内長野市は、檜尾山(ひのおやま)観心寺と天野山金剛寺の2大寺院が隆盛した。街道沿いに白壁の塀や優美な建物などもあり、多くの社殿や堂、仏像、山城も築かれるなど、中世文化遺産の宝庫としている。

 都市近郊にあって、中世文化遺産や景観をよくとどめた豊かな地域で「寺院による荘園」というテーマも興味深いという。

 終活をテーマにストーリーをまとめた西国三十三所観音巡礼は、海外でも高い関心があり、将来的に活用面で大きな期待が持てると評価された。

 ミニクリップ

 日本遺産 地域の文化財の魅力を高め、観光資源として積極的に活用する目的で、文化庁が認定している。寺社や城郭、祭り、伝統芸能など複数の有形・無形の文化財で構成される。有識者委員会が、外国人にも分かりやすい物語性や日本遺産を生かした地域振興策などを審査する。認定されると、国が観光ガイドの育成や多言語のホームページ作成といった取り組みを財政支援する。

2542名無しさん:2019/05/21(火) 20:38:18 ID:NrdB.GxU0
船渡御に即位奉祝幕 ムード盛り上げへ 講社連合会
2019年5月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190518/20190518046.html

 大阪天満宮は17日、天神祭を支える講社連合会の会合を大阪市北区の同宮境内で開いた。祭りの呼び物の一つでもあり市内の川を約100隻の船が行き交う船渡御では、代替わりに伴う新天皇陛下即位を祝い、講社と連携して各船に奉祝の横断幕を掲げる構想を示した。

 天神祭の本宮祭は、奉祝祭を兼ねて斎行するが、一連の行事でも関係者らが連携してお祝いの意を示すことを確認。令和最初の天神祭を祝福ムードで盛り上げる考えだ。

 会合では、神職から前年度決算の報告や本年度予算の説明があったほか、渡御行事や奉納花火の計画が示された。

 講社連合会の森本幸一会長は「日本三大祭りの名に恥じない夏大祭にしたい」と、参加者らに協力を求めていた。

2543名無しさん:2019/05/21(火) 20:48:58 ID:NrdB.GxU0
別れ惜しみ人形を奉納 大阪天満宮
2019年5月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190520/20190520029.html

 長年親しんだ人形を奉納する「人形祭」が19日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。境内には、一般家庭から節句人形をはじめ、フランス人形やぬいぐるみが寄せられ、同宮の神職によって奉納された。

 関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。朝から訪れる人が後を絶たず、奉納台は人形たちで埋まっていった。奉納した人たちは、その様子を写真に収めるなどして別れを惜しんだ。

 高槻市から訪れた二宮玲子さんは五月人形2体とぬいぐるみ1体を奉納。3人の息子が全員成人したのを機に、人形を手放すことを決めた。「転勤が多く、何回も引っ越ししたが、(壊れることなく)無事に成長を見守ってくれた。粗末なお別れではなく、感謝の気持ちで手放せてよかった」と、穏やかな表情を浮かべていた。

 近年は住宅事情の影響もあり、奉納される人形は増加傾向。昨年は約1500体が集められたが、今年はその数を上回ると予想される。同組合の元賀圓治さんは「人形メーカーとして次の時代につながるものをアピールしていかないといけない」と話していた。

2544名無しさん:2019/05/21(火) 20:57:47 ID:NrdB.GxU0
日本遺産に認定、泉佐野市「中世日根荘の風景」
5/21(火) 8:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000508-san-soci

 文化庁の「日本遺産」には大阪府内から、泉佐野市が申請したストーリー「旅引付(たびひきつけ)と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘(ひねのしょう)の風景-」も認定された。中世の村の生活を記録した絵図2枚と貴族の日記が基になっており、魅力ある農村の景観が現在に受け継がれていると評価された。

 市文化財保護課によると、「日根荘」は鎌倉時代の天福2(1234)年に有力貴族の九条家の領地として成立。戦国時代の享禄3(1530)年ごろまで記録が残っている。成立当初は現在の同市のほぼ全域に広がっていた。

 ストーリーの基になった2枚の「日根野村絵図」=宮内庁所蔵=は、鎌倉末期の延慶3(1310)年ごろと正和5(1316)年の荘園の様子を描いたものとされ、作者は不明。緑豊かな風景に、田畑を潤すため池や水路、社寺などが描かれている。

 日記は「政基公旅引付」と呼ばれ、領主の九条政基(くじょう・まさもと)が戦国期の文亀元(1501)年〜永正元(1504)年の4年間、日根荘に滞在中に記したとされる。村の祭りや、罪人が捕らえられる様子、寺の住職が酒でもてなしてくれたことなどが記されている。

 同課は「中世の荘園の様子がこれだけ確実な史料として残っている例は全国でもほかにない」と話す。

2545名無しさん:2019/05/21(火) 21:00:08 ID:NrdB.GxU0
日本遺産認定の河内長野市 正成は観心寺で学び、金剛寺で祈願
2019.5.20 12:11
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190520/lif19052012110013-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link

 文化庁から20日、新たに日本遺産に認定された大阪府河内長野市は、大阪・難波から南海高野線で30分圏内という都市近郊にありながら、南北朝時代の風景をとどめている。京都と高野山(和歌山県)を結ぶ「高野街道」の中間に位置し、楠木正成とゆかりが深い観心寺と金剛寺をはじめ、多くの歴史的遺産を今に伝えている。

 観心寺は大宝元(701)年、金剛寺は天平年間(729〜749年)の草創と伝わる古刹(こさつ)。少年時代の正成は観心寺の支院「中院」で学問を修め、鎌倉幕府軍との戦いではたびたび金剛寺に戦勝祈願を依頼したという。

 中世には、両寺院とも朝廷との関係を強く築いたことから地域は繁栄し、社殿や仏像などが盛んに造られた。先の大戦でも戦災を免れ、市内には観心寺の「金堂」や金剛寺の「木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)」をはじめ8件の国宝、76件の国指定重要文化財がある。

 市内を通る高野街道は、空海が高野山を開いて以降、京や堺などをたった参詣者が皇族や公家、庶民といった身分を問わず行き交い、発展してきた。造り酒屋や宿場町跡などの古い町並みが今も残り、地元では毎年秋に「高野街道まつり」が開かれている。





 棚田も点在している。正成が築城した古城跡と伝わるエリアや、金剛寺がかつて寺領として支配した地域などにも里山の風景が広がり、散策スポットには事欠かない。

 市は昭和29年に6町村が合併し人口約3万1000人で発足。大阪のベッドタウンとして宅地開発が進んできたが、人口は平成12年2月の約12万3600人をピークに減少に転じた。今年4月末現在は約10万5300人まで落ち込んでいる。

 市は人口減対策として観光を重視。旅行者や短期滞在者による交流人口を増やし、雇用創出や定住につなげていく狙いがある。その原動力となる日本遺産の認定は大きな目標だった。

2546名無しさん:2019/05/23(木) 00:11:38 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣でびょうぶなど展示
05月22日 12時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190522/0015778.html

 来月、日本で初めて開催されるG20大阪サミットにあわせて、大阪城天守閣で重要文化財のびょうぶなどを展示する企画展が、22日から開かれています。

この企画展「サムライたちの躍動」では、大阪城天守閣で収蔵しているコレクションの中からびょうぶやかっちゅうなど、あわせて71点が展示されています。
このうち、重要文化財の「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」は、慶長20年の大坂夏の陣の戦いを描いたものです。
びょうぶは左右ひと組で、右側には徳川軍と豊臣軍が激しくぶつかる様子が、躍動感を持って描かれ、左側には民衆たちが川を渡って逃げ惑う様子が描かれています。
また、「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織(ふじごしんかもんくろきらしゃじんばおり)」は、豊臣秀吉が使用したと伝えられています。
背中には、富士山がデザインされ、襟や袖の部分にヨーロッパの洋服をまねたフリルを取り入れるなど、目立つことを好む当時の侍たちの風潮がうかがえます。
金沢市から訪れた57歳の男性は「歴史と文化を感じる展示が多くすばらしいと思います」と話していました。
アルゼンチンから仕事で訪れたという31歳の女性は「アルゼンチンと日本の文化の違いを学べて興味深いです」と話していました。
大阪城天守閣の学芸員、宮本裕次さんは「侍文化は日本固有と思われますが、ヨーロッパの影響を受けた部分も多いので、ぜひそういった視点で展示を見てほしい」と話していました。
この企画展は7月17日まで開かれています。

2547名無しさん:2019/05/23(木) 16:31:59 ID:NrdB.GxU0
ブラタモリ、日本最大の古墳がある大阪・堺市を歩く
5/17(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00066765-lmaga-ent

 街歩きの達人・タモリが、街の歴史や人々の暮らしに迫るバラエティ番組『ブラタモリ』(NHK総合)。5月25日放送回では、タモリが林田理沙アナと歴史の街・大阪の堺市を歩く。

 日本最大(全長約486m)の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」がある大阪府堺市。商人の町として繁栄し、戦国時代には鉄砲技術、現在も自転車産業が盛んと、同市が誇る鉄の加工技術は古墳に原点があったという。

古墳好きを豪語するタモリが「仁徳天皇陵古墳」を訪れ、堺市に巨大古墳が作られた理由を調査。自ら抱く「古墳の夢」も語り始める。この模様は、25日・夜7時半からの放送。

2548名無しさん:2019/05/23(木) 17:50:18 ID:NrdB.GxU0
>一方、一部に「お墓をのぞき込むのはいかがなものか」との意見があるほか、

 これ、よくわかるんですよね。
 恐れ多くも現存する世界最古の王朝である皇室の墳墓を上から生で見下ろすのはどうにも抵抗感がある。
 しかし同時に学術的見地から上から見てみる事でわかることもあろう。
 ならば妥協案として上空から「あくまで学術的見地から撮った映像」を「最新のVRで見る」という形にしてはどうか。
 品位と敬意を持って古墳群には接したいものです。


仁徳陵「全景見たい」 ヘリや気球での遊覧飛行検討
5/22(水) 11:41配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190522-00000522-san-soci

 世界文化遺産登録がほぼ確実になった「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)。国内最大の前方後円墳を中心に大小の古墳が密集する雄大な景観が魅力の一つだが、大きすぎて地上からでは全体像をつかみにくい。「上空から見てみたい」との要望や登録による集客増を見込み、地元ではヘリコプターや気球による遊覧飛行などを検討している。(有年由貴子)

 「ニュースを見て駆けつけたが、やはりとても大きい。何か象徴的なものでも見て帰りたいのですが…」

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスによる世界遺産登録の勧告が明らかになった14日。古墳群で最大の仁徳(にんとく)天皇陵古墳(大山〈だいせん〉古墳、堺市堺区)を訪れた埼玉県川越市の教員、小林伸和さん(54)は撮影スポットを探しながらつぶやいた。

 エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられる仁徳陵は、最大長840メートル、最大幅654メートル。拝所のそばには全体像を示した航空写真が掲げられているが、宮内庁が管理する天皇陵のため敷地内に入場はできない。木々に覆われた巨大な墳丘が遠目に見えるのみだ。

 仕事帰りに訪れた近くの男性会社員(61)も、「まだ全景を見たことがない。これから観光客も増えるだろうし地元のPRのためにも気軽に見られるようになればいい」と話した。

 堺市によると、おなじみの「鍵穴」など仁徳陵の全景を近くで見るには、日本一高いビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)に匹敵する地上300メートル以上から眺める必要がある。

 周辺に高い展望施設はなく、一般開放されている堺市役所(堺市堺区)の21階展望ロビー(地上約80メートル)から見下ろせるが、「大きな丘のようで全体像までは見えない」(市担当者)。市は仁徳陵近くの市博物館で、ドローンで撮影した映像を使い、上空から眺めているような疑似体験ができるコーナーを設置している。

2549名無しさん:2019/05/23(木) 17:50:50 ID:NrdB.GxU0
ただ、「実際に目で全景を見たい」という市民からの要望は強い。現時点では、民間事業者が実施している遊覧飛行を利用する以外になく、朝日航空(大阪府八尾市)によると、チャーターしたセスナ機で八尾空港(同)を出発し仁徳陵周辺を18分かけてめぐるコースは大人8400円。「一度見てみたい」「子供に見せたい」といった需要が多いという。


世界遺産登録を目指す機運醸成のため、堺市は昨年10月、民間業者によるヘリコプターや気球の遊覧飛行の試行を企画した。ヘリで地上500メートル付近から古墳群を眺めるツアー(大人6500円)に市民ら計約200人が参加。アンケートでは9割以上が定期運航に賛成した。

 大阪へのインバウンド(訪日外国人客)は増加の一途をたどり、平成30年には過去最多の約1200万人を記録。世界遺産登録により古墳群を目当てにした観光客の大幅な増加も期待される。

 一方、一部に「お墓をのぞき込むのはいかがなものか」との意見があるほか、周辺には住宅地が広がるため、ヘリの離着陸場所の確保や騒音問題など都市部ならではの課題も残る。

 堺市観光企画課の担当者は「全景を見ることで、多くの人に古墳群の雄大さや歴史、価値を感じてもらえる。課題を検証しながらニーズを把握し、世界遺産登録までに民間事業者による事業化を目指したい」と意気込んでいる。

2550名無しさん:2019/05/25(土) 21:40:50 ID:NrdB.GxU0
>今後、大阪府と堺市が連携して、古墳群を上から見られる方法を検討するということです。

 くれぐれも古墳時代から今に連綿と続く皇室に非礼の無きようにお願いします。

百舌鳥・古市古墳群吉村大阪府知事が視察
5/25(土) 8:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190525-08115201-kantelev-l27

 大阪府で初めての世界遺産に登録される見通しの「百舌鳥・古市古墳群」を吉村洋文知事が視察に訪れました。

「百舌鳥・古市古墳群」は世界三大墳墓の1つとも言われる仁徳天皇陵(大山古墳)を含む
49基の古墳で構成され堺市など3市にまたがって点在しています。

世界遺産の審査を行う「イコモス」が今月14日に登録を勧告したため、
7月上旬に大阪府で初めての世界遺産になる見通しとなり、24日、吉村知事が視察に訪れました。

【吉村洋文大阪府知事】
「古墳の形を自らの目で見られるようなそんな仕組みが必要だと思いました」

今後、大阪府と堺市が連携して、古墳群を上から見られる方法を検討するということです。
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関西テレビ

2551名無しさん:2019/05/25(土) 22:06:56 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣で「サムライたちの躍動」展 初公開「うんすんカルタ貼交屏風」も /大阪
5/24(金) 16:21配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00000044-minkei-l27

  大阪城天守閣(大阪市中央区大手前1)で5月22日、企画展示「サムライたちの躍動-大阪城天守閣名品セレクション-」が始まった。(京橋経済新聞)

 
重要文化財「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」、武田信玄と上杉謙信が戦った「川中島合戦図屏風」など71点が展示されている。「川中島合戦図屏風」では、謙信が馬上から刀で斬り掛かり、信玄が軍配で受け止めた迫力ある場面が描かれている。

 真田兄弟の甲冑(かっちゅう)などの武具も展示。弟・幸村が着用したとされる甲冑には、胴の部分が鉄の板を2枚つないであり、西洋の騎士の甲冑を模した作りとなっている。籠手(こて)には、真田家の家紋「六文銭」が打ち出されている。兄・信之の甲冑は、胴にはしごが描かれているのが特徴的。「上に上る」という縁起にちなんだもので、父・昌幸も同じはしごの甲冑を持っていたという。

 期間中6月28日、29日にG20大阪サミットが開催されることもあり、国際交流を意識した展示も。その一つがスペイン・ポルトガルとの貿易が盛んな様子を描いた重要文化財「南蛮屏風」。南蛮屏風はいくつかの種類があり、今回は左側に外国の港、右側に日本の港が描かれたものが展示される。ほかにも「うんすんカルタ貼交(はりまぜ)屏風」は桃山時代にポルトガルから伝えられた「うんすんカルタ」33枚を貼ったもので、西洋の剣や聖杯、中国の仙人、日本の武士などが描かれている。

 企画した大阪城天守閣研究副主幹の宮本裕次さんは、「侍の躍動を感じながら、外国の文化を受け入れ、さらにそこから日本のオリジナルティーとして発展させた日本文化の柔軟性を見ていただきたい」と話す。

 開館時間は9時〜17時。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住の65 歳以上(要証明)、障がい者手帳持参の人は無料)。7月17日まで(南蛮屏風の展示は6月21日〜7月4日)。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2552名無しさん:2019/05/25(土) 22:48:32 ID:NrdB.GxU0
おいしく食べて合格祈願 ご祈祷最中クッキー製品化
2019年5月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190524/20190524042.html

 四天王寺大(羽曳野市、岩尾洋学長)が食べられる学業成就・合格祈願グッズ「ご祈祷最中(きとうもなか)クッキー」を製品化し、23日、母体である和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で祈とうを受けた。非売品で、6月上旬から実施するオープンキャンパスの来場者へ配布する。

 従来の配布品だった文房具類に替わるものとして、2016年にオリジナルグッズのプロジェクトが始動。地域連携を目指し羽曳野市内の菓子製造業者と共同で手掛けている。

 4作目となる今年は和菓子工房「あん庵」が製造を担当。クッキー生地に全10色もあるハート形のもなかの皮をかぶせた。2個入りパッケージに添えるイラストは3種類あり、伝統の天王寺舞楽に欠かせない「大太鼓(だだいこ)」を題材に3人の学生の作品を採用した。

 同日は境内・元三大師堂(重要文化財)で同寺の瀧藤尊淳執事長(学校法人四天王寺学園理事長)を導師に祈とうの護摩たきが執り行われ、学生の代表ら関係者が参列した。

 イラスト作者の一人で教育学科3年の大西真弘さん(20)は、「風格ある太鼓の色合いを表現するのが難しかった。多くの方にグッズを配布して、喜んでいただきたい」と話した。

2553名無しさん:2019/05/27(月) 21:00:07 ID:NrdB.GxU0
歴史感じウオークラリー スタンプ集め「ビンゴ」
2019年5月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190527/20190527036.html

 ウオークラリー形式で地域を巡る「ビンゴウォーク」が26日、大阪市住吉区の住吉大社一帯であった。鎮座1800年の歴史を感じさせる周辺の建物や商店街がコースに設定されており、親子連れや学生ら約200人が汗ばむ陽気の下で歩みを進めた。

 府レクリエーション協会が、2015年から大阪市内2カ所で実施しており、行政や地域団体と共に進めている「おおさか元気プロジェクト」の一環。

 境内を発着点に3人程度のグループが、地元の粉浜商店街を含む周辺1・5キロを巡り、スタンプを集めて「ビンゴ」を完成させた。音楽に乗せた「レク体操」でも体を動かした。

 保育士を目指しており、資格取得の一環で参加したという大阪国際大短大1年の谷口月望さん(18)は「街並みがきれいで、商店街を巡るのも楽しかった」と満足そう。一昨年に大病を患ったという茨木市の益田政男さん(67)は「リハビリには歩くのが一番。健康で仲間と参加できてよかった」と、気持ち良さそうに汗をぬぐっていた。

2554名無しさん:2019/05/27(月) 21:14:19 ID:NrdB.GxU0
登れる、触れる古墳も!古市古墳群の意外な魅力
5/24(金) 17:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00027897-mbsnews-l27

  ユネスコの世界文化遺産への登録が勧告された百舌鳥・古市古墳群。堺市の仁徳天皇陵とされる大山古墳に注目が集まりますが、構成される49基のうち26基が藤井寺市と羽曳野市にまたがる「古市エリア」にあります。どんな魅力があるのでしょうか。

 郵便局では自慢の古墳が描かれたおそろいのベストを局員が着用し、パン屋さんでは古墳の形をしたパンを販売。勧告から1週間あまり、地元は沸いています。

 「古墳パンを持ってピクニックに行ったりする方もいるので、写真に上げてもらったりして喜んでもらっている」(パン店「coccoya」店員さん)

 玉巻映美アナウンサーは、古市古墳群の保全に30年以上携わってきた藤井寺市役所の山田幸弘さんに古墳を案内していただきました。まず、近鉄土師ノ里駅の真ん前にある小高い丘は、5世紀前半の鍋塚古墳です。実際に登ってみると…

 (玉巻アナ)「とっても見晴らしいいですね」
 (山田さん)「展望台みたいになってるでしょ」

 古墳は権力を見せつけるためのお墓。より大きく見えるよう高台に造られることが多いといいます。古市古墳群では、特にこの辺りに密集していて見て回るのには最適なんです。ここ土師ノ里は古墳の設計などをしていた土師氏の本拠地だといわれています。

 「古墳の設計をしたり埴輪をつくったりは土師氏が全部やってると思いますね」(藤井寺市 山田幸弘さん)
 Q.百舌鳥・古市古墳群の49基は土師氏が手がけた?
 「主管して作ってるのは事実だと思いますね」

2555名無しさん:2019/05/27(月) 21:14:58 ID:NrdB.GxU0

いわば百舌鳥・古市古墳群の発祥の地なんです。それもあってか、市の面積に占める古墳の割合は6.6パーセントと全国トップクラスです。このエリアには国内有数の規模の古墳もいくつもあります。前方後円墳の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は、仁徳天皇陵とされる堺市の大山古墳に次いで国内2位、仲津山古墳(仲姫命陵)は国内9位です。

 古墳の外周部にあたる場所に建つ家も多く、今でも数十センチ掘れば埴輪などが見つかるんだそうです。中にはこんな古墳も…

 (玉巻アナ)「高架の真下にありますよ!」

 西名阪自動車道の高架下にひっそりとたたずむ赤面山古墳。環境の悪さなどから世界遺産の対象からは外されたそうです。

 「陰で草生えませんしね、保全するという意味では悲しい古墳ですね」(藤井寺市 山田幸弘さん)

 数ある古墳の中で山田さんの一押しは古室山古墳です。仁徳天皇陵のように宮内庁が管理する古墳は立ち入りが制限されていますが、ここは藤井寺市が管理していて登ることもできます。

 「斜面に石がボロボロ出ていますけれども、これが古墳の表面に葺かれていた石」(藤井寺市 山田幸弘さん)

 古墳の斜面を覆っていた石が今もあちらこちらに転がっています。さらに…

 「土器、埴輪の一部ですね」(山田幸弘さん)

 古墳の上に並べられていた円筒埴輪の一部だそうです。ここでは1500年前の息吹が少し身近に感じられます。

 「大阪・住之江区の南港からぶらぶらと。この人が“古墳ガール”にデビューして」(男性)
 Q.いつから古墳ガールに?
 「土曜日から。すごく見晴らしもいいし、気持ちいいなと思って」(女性)

 市はこれらの古墳を年間約1500万円かけ維持管理しています。今後、世界遺産登録となれば、遊歩道の整備などより多くの費用がかかると見込まれますが、町おこしの起爆剤になると期待を寄せています。

 「墳丘の形や高さを体感できるので、ぜひともいろいろ見ていただければうれしい」(藤井寺市 山田幸弘さん)
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MBSニュース

2556名無しさん:2019/05/27(月) 21:26:23 ID:NrdB.GxU0
観心寺で「楠公祭」日本遺産認定後の河内長野市
5/26(日) 22:09配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00000565-san-soci

  「中世に出逢えるまち」として日本遺産に認定された大阪府河内長野市にある観心寺で26日、寺にゆかりの深い南北朝時代の武将・楠木正成を供養する「楠公(なんこう)祭」が営まれ、約300人がその遺徳をしのんだ。

 観心寺は約1300年前の草創と伝わる古刹(こさつ)。支院のひとつ「中院」が楠木一族の菩提寺(ぼだいじ)で、「大楠公(だいなんこう)」として知られる正成は少年時代に中院で学問を修めたとされる。神戸・湊川の戦いで敗死した命日(5月25日)に最も近い日曜日に楠公祭が営まれている。

 日本遺産に認定された同市の中で、観心寺は中心をなす寺院のひとつ。認定後初の楠公祭では、観心寺楠公会会長の山中諄(まこと)・南海電鉄相談役が「一片の私心も持たれなかった大楠公の真心と行動は、時代を通じて最も尊ばれるべき行為」と、祭文を読み上げて功績を称(たた)えた。その後、読経の響く中で参列者は焼香し、人生を通じて「公」を貫いた正成に思いをはせた。

 出席した島田智明市長は「観光都市として自立できるよう、今後の取り組みを楠公さんとつなげていきたい」と強調。このほか、書道家・永山玳潤(たいじゅん)さん(47)が、歌い上げられる詩吟「大楠公」に合わせ、歌詞を揮毫(きごう)していくパフォーマンスを披露した。

2557名無しさん:2019/05/28(火) 21:00:55 ID:NrdB.GxU0
秀吉の陣羽織や真田幸村の鎧…サムライ文化を世界に発信する企画展 大阪城天守閣 G20控え
5/28(火) 12:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-00000026-ytv-l27

 主要20か国・地域(G20)首脳会議が来月、大阪で開かれるのを前に、大阪城天守閣では、サムライ文化を世界に発信する企画展が行われている。

 真田幸村が戦場で着たとされる鎧や、派手好きの豊臣秀吉が愛用したとされる富士山の噴火を描いた陣羽織など、大阪城天守閣に収蔵されている重要文化財6点を含む計71点が展示されている。

 日本人女性とオーストラリア人男性は「鎧とか見たかったみたいなので、見られてすごいかっこいいねって、さっきから言ってる」「it’s very cool」などと話していた。

 企画展は、7月17日まで。

2558名無しさん:2019/05/28(火) 21:19:46 ID:NrdB.GxU0
熱中症対策で救護所2倍 天神祭渡御行事
2019年5月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190528/20190528026.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は27日、昨年の記録的な猛暑を踏まえ、救護体制を拡充する方針を示した。救護所が3カ所だったのを6カ所に倍増。テントだったのを、プレハブか車両にして冷房できるようにする。

 昨年の人手は、記録的な猛暑を受け、24日の宵宮と25日の本宮両日を合わせ前年比14万2千人減の120万5千人だった。25日夕方以降の混雑時を頂点に熱中症発症者が相次ぎ、救護所が不足。重症者はいなかったというが、対応が課題となった。

 今年は、4カ所にプレハブ型を設置。2カ所に2台ずつ4台車両を置いて救護所代わりにする。全ての救護所に看護師を配置し、医師は、プレハブ型2カ所に1人ずつ待機する体制にする。救護所が目立つよう案内板を用意し、赤いランプを取り付ける。

 大阪市北区の大阪天満宮で開いた府警関係者との会議で提示。栗原宏武実行委員長は「天神祭を安全に斎行したい」と協力を求めていた。

2559名無しさん:2019/05/29(水) 21:41:32 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館で「鋳造関係遺物」展示 出土品から学ぶ、大阪の町の成り立ち /大阪
5/29(水) 14:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000038-minkei-l27

 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で現在、豊臣時代前期に使われた鋳型や炉跡など鋳造関係の遺物展示を行っている。(京橋経済新聞)

 
鋳型や炉跡は、大阪のビジネス街となっている船場から出土。同館学芸員の豆谷浩之さんによると、当時船場に鋳造所があったのは、大坂の城下町を開発するのに必要な道具を作り出す場所として交通のアクセスが良かったためと推測されているという。「城下町はその後、船場にまで拡大し民家が増えたため、火を扱う鋳造所は場所の移動を余儀なくされた」とも。

 展示品は、スコップのように土を掘り起こす農工具「鋤先(すきさき)」や、鍋の取っ手部分の鋳型など。鋤先は土木作業にも使えるため、船場で作られた犂先は大阪の城下町を開発するのに使われたのではないかといわれている。

 豆谷さんは「豊臣時代の発掘によって分かる、大阪の町の成り立ちを展示品から感じ取っていただければ」と話す。

 開館時間は9時30分〜17時。火曜休館。入場料は一般=600円。中学生以下、大阪市在住・65 歳以上(要身分証明証)、障がい者手帳持参者は無料。8月19日まで(予定)。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2560名無しさん:2019/05/29(水) 22:38:15 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録へ 「百舌鳥・古市古墳群」の謎を歴史作家解説
5/28(火) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000002-pseven-soci

  今年6月末〜7月にアゼルバイジャンで開かれる「世界遺産委員会」で、「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」の世界文化遺産登録がほぼ確実な情勢だ。歴史の教科書にも登場し「日本最大」として知られる仁徳天皇陵など、49基の古墳からなる。日本人なら誰でも知っているようで、実は知らない「古墳」の謎を歴史作家の島崎晋氏が解説する。

 大阪府の悲願がまもなく叶おうとしている。百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録が今年の7月にも実現しようとしているのだ。大阪府としては初の世界遺産登録となる。

 古墳とは古代における有力者の墓のことで、文化庁の統計によれば、日本全国で発見された古墳・横穴の総数は約16万基。日本列島に広範囲に散在しているが、巨大古墳と呼ばれる大きなものは現在の奈良県と大阪府に集中している。そのなかでも4世紀後半から5世紀後半の古墳時代最盛期のものがもっとも集中しているのが、大阪府堺市から羽曳野市・藤井寺市の一帯で、西寄りにある百舌鳥と東寄りにある古市古墳群とをあわせ、百舌鳥・古市古墳群と呼ばれている。

 百舌鳥・古市古墳群には円墳、方墳、前方後方墳、前方後円墳の4種類があるが、このうち巨大古墳に分類されるのは後二者で、世界文化遺産への登録にあたっては、「顕著な普遍的価値」を有するか否かが審査の大きなポイントであった。単なる巨大墳墓では落選した可能性が高く、百舌鳥・古市古墳群の場合、大小の古墳が集中していることに加え、前方後円墳という形状が世界的に見ても極めて特殊で、なおかつ計算し尽くされた美しい造形が審査員の心を捉えたものと考えられる。

 正式に世界文化遺産に登録されれば、国連の下部機関であるユネスコから助成金が出される。それには行き届いた維持管理と一般公開が前提となるが、宮内庁の管轄下にあり、内部への立ち入りが許されない古墳は大丈夫なのかとの不安はあった。しかし、一般人の上陸を禁止している宗像大社の沖ノ島が世界遺産に指定された前例(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、2017年に登録)ができ、外観だけの公開でも問題なしとなったことで、この問題はクリアとなった。

2561名無しさん:2019/05/29(水) 22:39:09 ID:NrdB.GxU0
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000002-pseven-soci&p=2

 ところで、百舌鳥古墳群のなかで最大規模を誇るものには仁徳天皇陵=大仙陵(大山)古墳、同じく古市古墳群のそれには応神天皇陵=誉田御廟山(誉田山)古墳と、大きく二つの呼び方がある。なぜかといえば、古墳に眠るのが誰なのか正確にはわからないからである。

 どの古墳に誰が眠るかの特定がなされたのは明治になってからのことで、それは日本初の歴史書である『日本書紀』の記述と、江戸時代の実地調査をもとに行なわれた。埋葬地として記された地域でもっとも相応しいと判断されたものが選ばれたわけで、科学的な根拠と言えるものはないに等しい。

 それだけに、戦後になって古墳周辺の発掘調査が許されるとともに、時代的に合わないものが多々明らかとなった。そのため考古学と歴史学の世界では天皇陵という呼び方をやめ、地名に由来する呼び方をするようになったのである。

 宮内庁としては過去の指定を間違いと認めるわけにはいかず、そうかと言って考古学的な裏付けを無視するわけにもいかない。天皇陵である可能性のある古墳46基を「陵墓参考地」として宮内庁の管轄下に入れ、立ち入り禁止にするという策を講じている。現在までのところ、天皇、皇后、皇族方が眠る陵墓と「参考地」の合計は約900基を数えている。

【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『春秋戦国の英傑たち』(双葉社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。

2562名無しさん:2019/05/29(水) 22:42:19 ID:NrdB.GxU0
新西国霊場の38カ寺集う出開帳 6月に四天王寺で
5/29(水) 16:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000052-asahi-soci

 聖徳太子の創建とされる大阪市天王寺区の四天王寺や、日本最古の本格的寺院として知られる奈良県明日香村の飛鳥寺など、近畿各地の名刹(めいさつ)が名を連ねる新西国霊場会の出開帳が6月5〜9日、一番札所の四天王寺で開かれる。出開帳は40年ぶり。全38札所寺院のご朱印を一度に集めて「満願」を果たすこともできる。

 
新西国霊場は1932年、地元新聞社が信仰と行楽を兼ねる巡礼コースとして、読者の意見などに基づいて近畿2府4県から選んだ38札所寺院。仏教の教えで日本を平和国家にしたいと願ったとされる聖徳太子や、皇室にゆかりの深い寺が多いのが特徴だ。

 出開帳とは、寺に安置する本尊や仏画などを、別の寺や博物館などで公開すること。今回は新天皇即位の節目に合わせ、2022年に迎える霊場会90周年の記念事業と、聖徳太子の年忌法要「1400年御聖忌」として行われる。

 五重塔がある中心伽藍(がらん)の回廊に38カ寺の「ご朱印巡礼」の会場を設けるほか、各寺の仏像なども参拝できる。遠方で行く機会の少ない寺院も参拝できるほか、会期中に一度に巡って満願を目指すこともできる。

 会期中は、特別記念宝印帳を販売。38カ寺の押印済みで、特製(1万7千円)と金紙を使った特別仕様(5万2千円)がある。ジャージー姿の聖徳太子が登場することで知られるマンガ「ギャグマンガ日和(びより)GB」(増田こうすけ作)とのコラボレーション企画「ダンボール迷路巡礼」も登場する。

 参拝料千円を納めれば、いずれの巡礼会場にも入れる。期間中は連日午前と午後に記念法要も営まれる。

 四天王寺の山岡武明執事は「今回の出開帳をきっかけに『和の精神』を唱えた聖徳太子や日本の巡拝を多くの方に知っていただき、新しい時代の参詣(さんけい)のあり方を探る機会にしたい」と話す。

 開催時間はいずれも午前10時〜午後4時。問い合わせは事務局の四天王寺総務部参詣課(06・6771・0066)へ。(田中章博)
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朝日新聞社

2563名無しさん:2019/06/04(火) 20:45:27 ID:NrdB.GxU0
豊臣期大坂城の構造が明らかに
06月04日 17時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190604/0016189.html

 現在の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉が築いた当初の「大坂城」の詳しい構造が大阪市立大学のグループの最新の地下調査で明らかになりました。
これまで絵図などでしか確認されていなかった築城当初の大坂城の姿が大規模に確認されたのは初めてです。

これは、4日、大阪市立大学大学院の仁木宏教授らの研究グループが発表したものです。
豊臣秀吉によって築城された当初の大坂城は大坂の陣に勝利した徳川幕府によって埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれています。
しかし、大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているため、発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかありませんでした。
このためグループでは、細い金属の棒を地中に差し込んでその際の抵抗から地中の構造を推定する調査方法を使い、4年間かけて大阪城本丸のおよそ300地点を調べました。
その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたということです。
こうした構造は築城当初の大坂城を描いたとされる図面とほぼ一致していたということで、実際の調査で当時の大坂城の遺構が大規模に確認されるのは初めてです。
仁木教授は、「発掘調査が難しい中で絵図などに残されていたものが実際に確認できたことは大きな意義がある。今後は文化財を破壊しない方法を組み合わせてさらに調査を進めたい」と話しています。

【専門家“非常に価値のある成果だ”】
今回の調査結果について、大阪城天守閣の北川央館長は、「歴史研究者にとって築城当初の大坂城がどのような構造物であったか知る手がかりや方法は絵図以外にはほとんどなかった。徳川の時代とは異なる豊臣期の大阪城本丸の複雑な構造が確認されたことは非常に価値のある成果だ。文化財として保護されている場所での発掘調査は難しく、今回の調査手法は今後の研究でも参考になるはずだ」と話しています。

【今回の調査方法とは】
今回の調査は「スウェーデン式サウンディング調査」と呼ばれ、もともとは地盤調査などに用いられてきました。
先端にドリルがついた直径3センチほどの細い金属の棒を地中に差し込み、その際の抵抗の強弱を測定することで、地中の構造物の位置や形を推測することができます。
詳しく調べるためには多くの地点で調査を行う必要があり、今回の調査では4年間かけておよそ300地点に金属棒を差し込むことで地下の石垣や構造物の状況が明らかになりました。
一方で、地面を掘り起こさなくても地中の調査ができるため、今後、史跡に指定されている場合など、発掘が難しい場所での調査に役立つとして注目されています。

2564名無しさん:2019/06/04(火) 21:39:27 ID:NrdB.GxU0
世界遺産で注目、大阪・古市に古墳と埴輪専門店。埴輪づくり体験も
6/2(日) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00067800-lmaga-l27

  世界文化遺産登録勧告を受けた大阪の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」。そんななか注目を集めているのが、古市の埴輪づくり体験施設「河内こんだハニワの里 大蔵屋」。羽曳野市の古墳群観光、体験、発信を担う拠点となりそうだ。

 「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」に次ぐ2番目に大きな「応神天皇陵古墳」などが周辺に点在するエリアに、4月27日にオープンした同店。その母体は、地元・羽曳野の印刷会社「大蔵印刷工業」だ。2015年から、地元の企業と人々が連携して世界遺産登録推進を応援することを目的とした『もずふる応援隊』のメンバーとして、古墳メモやマスキングテープなど古墳グッズの開発を手掛けてきた。

「羽曳野市には埴輪の窯跡がたくさんあり、すぐ近くにも誉田白鳥埴輪製作遺跡があるんです。社長の『うちも埴輪工場みたいになれないか?』のひと言から、2018年夏に企画が動き出しました。世界文化遺産になってもならなくても、やり遂げようと決めていました」と、同社の企画営業部の朝野亜紀子さん。本社ビルを全面リニューアルし、オフィスは古墳グッズ売場、古墳ギャラリー、埴輪の工房へと変貌した。

5月の連休から家族連れを中心に埴輪づくり体験者が増え始め、とくにイコモスの勧告以降は、予約が続々と入っているという。「古墳グッズを買われたり、親子や大学生が埴輪づくりを体験したり・・・。幅広い層にお越しいただいています。保育園からの問い合わせもあり、地元の人にとっても楽しめる場になれば」と、同じく企画営業部の岡崎近子さんも手応えを感じている。

1階ではオリジナル文具のほか、アクセサリーやTシャツなどの古墳グッズも販売され、古墳に興味がなく立ち寄った人も「かわいい!」と、特に女性からの反応が良いそう。近隣の仕出し屋とコラボした「はにわ弁当」も販売し(要予約)、休憩スペースとしても利用できる。埴輪づくり体験は1人1700円(税別・要予約)。

取材・文/郡麻江(古墳ライター)

2565名無しさん:2019/06/04(火) 21:45:14 ID:NrdB.GxU0
皇室ゆかりの貨幣など展示 新天皇即位記念特別展
2019年6月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190603/20190603027.html

 大阪市北区の造幣局内にある造幣博物館で、新天皇即位を記念した特別展が開かれている。造幣局がこれまでに製造した皇室関係の記念貨幣やメダルのほか、皇族の人々が造幣局を訪問した際の写真も展示され、皇室との関わりを知ることができる。30日まで。

 明治天皇、大正天皇、昭和天皇の成婚や即位を記念して製造されたメダルなど約40点が並ぶ。

 1992年に、当時の皇太子が造幣局訪問の際に、七宝体験をした写真も並び、実際に釉薬(ゆうやく)を盛り付けた文鎮も紹介されている。来館者は皇室ゆかりの品をじっくり鑑賞している。

2566名無しさん:2019/06/04(火) 21:57:10 ID:NrdB.GxU0
学童疎開の体験後世に 記念冊子、6月中に発行
2019年6月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190602/20190602020.html

 太平洋戦争中の学童疎開を体験した関西在住の人々でつくる「国民学校と学童疎開を考える会(略称・国学考)」(奥田嗣夫会長)が、記憶を後世に伝えようと記念冊子「学童疎開を語り継ぐ」の製作に取り組んでいる。6月下旬の発行を目指し、編集作業もようやく大詰め。編集委員長を務める福山琢磨さん(85)=新風書房代表=は、「大阪の学童疎開の全体像がつかめる内容に仕上がった」と最終校正に目を光らせている。

 発足約10年となる同会の活動の中で冊子発行は初の試み。1944(昭和19)年6月の「学童疎開推進要領」の閣議決定から75年の節目と、2017年に当時の奥村誠一理事長、18年には代行だった寺師一清事務局長が相次いで亡くなったことを受け、会員の貴重な体験記録をまとめることになった。

 投稿の呼び掛けに約25編の手記が寄せられた。あくまでも会員が対象だが、投稿のために新たに入会した人も複数あった。

 項目は「集団」「縁故」のほか、疎開先である「受け入れ側」も設けて分類。会員の写真は、可能な限り疎開当時と現在の顔を並べるなどレイアウトも工夫した。

 福山さんは「集団疎開の途中で縁故疎開に切り替えた例や、集団疎開には費用が必要で、わが子を送り出した家族にとっては大きな負担であった事など、あまり知られていない事情もあった」と解説する。

 自身は受け入れ側として投稿し、郷里・鳥取県倉吉市の上北条国民学校に大阪から縁故疎開してきた児童との出会いを紹介。「当時から大阪に大変興味があったのでいろいろと話を聞こうとしたが、方言が大きな壁となった」と振り返り、「軍隊経験者はもとより、疎開体験者も高齢化の時代となった。より多くの人に見てもらいたい」と思いを込める。

 冊子は2部構成の約300ページで、第1部は会員の手記を中心とする「『国学考』の記録」、第2部には学童疎開展実行委員会事務局が1990年秋に発行した冊子「戦争を生きのびた子どもたち」を合本する。

◇    ◇

 国学考は発行記念の朗読発表会を7月21日に大阪市西区の市立中央図書館5階講堂で開く。午後1時半(会場は30分前)〜同4時半。1部は朗読会、2部(同2時45分)は奥田会長原作の映画「ボクちゃんの戦場」(85年)を上映する。入場無料。

2567名無しさん:2019/06/04(火) 22:03:08 ID:NrdB.GxU0
令和初の祭り成功へ 天神祭、事業計画と予算決定
2019年5月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190530/20190530035.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は29日、大阪市北区の大阪天満宮で委員総会を開き、本年度の事業計画と予算を決定した。厳しい財政状況が続くものの、工夫しながら健全化を図っていくことを確認。令和で初めての祭りの成功に向けて決意を示した。

 財政状況を巡っては、前年度は単年度での黒字化を達成し、累積赤字を圧縮したことを報告した。一方で本年度予算は、船の手配方法が変更となったことや警備費が膨らむなどし、健全化に向けては予断を許さない状況が続く。

 このため、協賛金集めや運営方法の見直しなどを説明して議決。新天皇陛下即位を祝う行事を執り行う点も申し合わせた。

 栗原宏武会長代行は「新しい年号で初めて迎える天神祭であり、奉祝の意味も兼ねて盛大に安全に斎行したい」と意欲を示し、寺井種治宮司は「環境は厳しいが、心を合わせて天神祭を守り伝えたい」と協力を呼び掛けていた。

2568名無しさん:2019/06/04(火) 22:04:52 ID:NrdB.GxU0
色めくアジサイ 坐摩神社
2019年5月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190530/20190530043.html

 “ざまさん”の呼び名で知られる大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で境内のアジサイが順次咲き始め、みずみずしい花姿で参拝者を迎えている。

 花は同神社の北岡忠澄権禰宜(ねぎ)が長年にわたり挿し木で増やし続け、現在は鉢と地植えで約30品種約300株を植栽。白のカシワバアジサイやアナベルのほか、近年はピンク系のダンスパーティーなど彩り豊かな品種を多く取り入れている。

 参道沿いに整然と並ぶ鉢植えは、環境に慣れさせるのと新緑の葉も楽しんでもらう目的で開花前の4月ごろから配置。訪れた人たちが日々変化する都心の花模様をじっくりと観賞している。

 北岡権禰宜は「昨年はやや早めだったが、今季は順調に開花している。社殿に映えるように配列した花たちを、多くの人に見ていただきたい」と話した。花は6月中旬まで楽しめる見込み。

2569名無しさん:2019/06/04(火) 22:05:50 ID:NrdB.GxU0
大阪・適塾で特別展 北船場地域の歴史をテーマに、古地図も /大阪
6/4(火) 12:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-00000024-minkei-l27

  国指定重要文化財の史跡「適塾」(大阪市中央区北浜3)で6月4日、特別展示「北船場地域と適塾・除痘館」が始まった。(船場経済新聞)

 
適塾は、医師で蘭(らん)学者の緒方洪庵が江戸末期に開いた私塾で、適塾からほど近い場所に除痘館があった。除痘館は、洪庵らが開設した天然痘予防事業の普及拠点で、現在、その跡地には緒方ビル(今橋3)が立ち、館内に記念資料室が設けられている。

 今回の特別展示では、洪庵が活動の拠点とした北船場地域の歴史にスポットを当てる。主な展示物は、洪庵が町家を購入した際の契約書「永代売渡申家屋敷之事」や、当時の土地台帳「過書町水帳」、地積図「尼崎町一丁目水帳附図(ふず)」など。いずれも実物の史料を展示する。
 
 大阪大学適塾記念センター特任研究員の尾崎真理さんは「適塾や除痘館がどういう場所に存在していたか、これまで目が向けられることは少なかった。洪庵や塾生らが活動していた頃の土地台帳や地積図から、当時の地域の姿を読み取ってほしい」と、見どころを解説する。

 開館時間は10時〜16時。月曜休館。入場料は、一般=260円、高校生・大学生=140円、中学生以下無料。今月16日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2570名無しさん:2019/06/04(火) 22:25:56 ID:NrdB.GxU0
地中に眠る「豊臣大坂城」の一端を大阪市立大の研究グループが解明
6/4(火) 18:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-18510605-kantelev-l27

 
今は地中に眠り、私たちが見ることがない、豊臣秀吉が築いた「大坂城」。
その構造の一端を、大阪市立大学の研究グループが解明しました。

【記者リポート】
「現在の大阪城、実は石垣などほとんどの部分が徳川家が築いたもので、豊臣秀吉の元祖大坂城は地中に眠っています」

約400年前、徳川家が豊臣方を破った大坂夏の陣の後、地中深くに埋められたかつての大坂城。

近世の城郭の出発点と言われ、歴史的にも重要なこの豊臣大坂城で今回、大阪市立大学・仁木宏教授の研究グループが、金属の棒を地中に刺す地盤調査を行いました。

調査では、「詰ノ丸」の正門を守る櫓台の高さが約4.5mだったことや、「詰ノ丸」に続く土橋の存在が初めて確認されました。

また、現在は一続きの平面である「山里丸」が、かつて高さ3m近くの石垣によって2つに分かれていたことも判明しました。

【大阪城天守閣・北川央館長】
「具体的な数字を伴ってデータが出てきたことでこれまで以上に豊臣大坂城がより具体的にイメージできるようになったかなと思っています」

地道な調査で、少しずつその姿を明らかにしている豊臣大坂城。

その全貌が分かる日も近いかもしれません。
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関西テレビ

2571名無しさん:2019/06/06(木) 19:23:16 ID:ylDuNnHU0
四天王寺で「霊場巡拝いこか」 新西国霊場38寺集結の出開帳 /大阪
6/6(木) 16:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000047-minkei-l27

関西で人気の古刹(こさつ)が集結する新西国霊場会発足90周年記念出開帳「霊場巡拝いこか」が6月5日、四天王寺(大阪市天王寺区)で始まった。(あべの経済新聞)


新西国霊場会は、1932(昭和7)年に新聞社が近畿2府4県(大阪・和歌山・奈良・京都・滋賀・兵庫)の寺院の中から、一般読者の意見を中心に人気投票で選定された38カ寺で構成している。今回は90周年を記念して各札所寺院が一堂に集まった。出開帳は40年ぶり。

 出開帳巡礼として、五重塔・金堂が立つ中心伽藍(がらん)の回廊には38カ寺が並び、各札所のご朱印が頂けて満願成就が可能な「ご朱印巡礼」が行われる。本坊・五智光院で行われる「お砂踏み巡礼」は、各寺院から集められた砂を敷き詰め、そこを踏み締めながら各寺のエリアを礼拝することができ、全ての札所寺院を参拝したのと同じ功徳が頂けるという。

 併せて、「ギャグマンガ日和GB」20周年と新西国霊場90周年がコラボレーションした「ダンボール迷路巡礼」も展開。迷路に聖徳大使などの登場キャラが描かれている。

 開催時間は10時〜16時。出開帳参拝料は1,000円(パンフレット、結願の記念品付き)。今月9日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2572名無しさん:2019/06/06(木) 21:47:07 ID:NrdB.GxU0
東大阪の旧河澄家、江戸時代に建てられた蔵を公開 庄屋の道具100点 /大阪
6/6(木) 19:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000067-minkei-l27

  東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で現在、企画展示「蔵の中を見てみよう」が開かれている。(東大阪経済新聞)

 
土蔵は江戸時代に建てられ、2年前に初公開。市内の収蔵庫と蔵にある約1200点の所蔵品から庄屋の暮らしをテーマに、「衣」「食」「住」「娯楽」「仕事」の5つに分類し、前回と展示品を入れ替え約100点を展示する。

 「衣」では、家紋付きの箱に入った陣笠や傘、下駄を初公開。河内木綿の着物や裃(かみしも)、草履とともに、着物のしわを伸ばすための火熨斗(ひのし)や、ワラを打ったり布のしわを伸ばしたりする砧(きぬた)などの道具を並べる。

 「食」では、村人たちの集まりなどで使われた膳や弁当箱などを展示。膳が収められた箱には60人分の膳があったことが記されている。家紋の入った祝膳の近くには、養子に行った河澄作兵衛の四男・米四郎が初めて里帰りした際に出された献立をパネルで紹介し、当時の高級魚についても解説する。

 所蔵品の中には陶磁器が多くあり、「住」のコーナーでは絵皿やたばこ道具、茶道具などが並び、「娯楽」では、琴や碁盤、将棋盤、百人一首などをそろえた。

 年貢を納めるために村人の健康管理をするのも庄屋の仕事で、「仕事」のコーナーでは、漢方薬を作る際に材料を砕く薬研(やげん)や、薬の効能を記した版木などを展示。期間中、希望があれば道具について学芸員が解説する。

 学芸員の川崎有里紗さんは「庄屋の暮らしはどんな風だったのか、民具がどう使われていたのか。現代と比べてもらえれば発見があるのでは」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館(祝日の場合は翌日)。7月15日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2573名無しさん:2019/06/07(金) 20:39:51 ID:NrdB.GxU0
熱中症対策は万全 天神祭渡御行事保存協賛会が方針
2019年6月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190607/20190607037.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は6日、昨年の猛暑を踏まえた熱中症対策として、祭り会場の救護所で常駐する医師や看護師らと連携し、まずは現地での回復を図る方針を示した。体調不良者全員を救急車の要請で対応した際の混乱を避ける考えだ。

 大阪市北区の大阪天満宮で開いた消防関係者との担当者会議で説明。昨年の記録的な猛暑の中で開かれた天神祭では、熱中症の症状を訴える観覧者が相次いだ。救急車に限りがある上、激しい雑踏の中で、搬送しにくい状況が課題として浮上した。

 今年は、救護所を倍増し、医師や看護師の態勢も拡充。熱中症などの症状がみられる観覧者に対し、専門家の意見を得ながらまずは現地での回復を図る。

 症状が重ければ速やかに救急車を要請。搬送用の経路については、立ち入り禁止区域の設定や露店の移動などで工夫し、移動しやすくする。

 栗原宏武会長代行は「暑さが心配される中、しっかりと対策を講じていかないといけない」と協力を呼び掛けた。

2574名無しさん:2019/06/08(土) 21:27:16 ID:NrdB.GxU0
孝徳天皇は朝廷改革派に近い存在だった?!
6/8(土) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190608-00010349-besttimes-cul

 ■中大兄皇子の本心が朝廷守旧派だった理由

 たとえば六六三年、滅亡しかけていた百済を救援するために遠征軍を派遣した白村江の戦いがいい例だ。当時、唐と敵対関係にあった百済に援軍を送ることは、すなわち唐との国交断絶を意味していた。律令制度が未完成であったこの時期、律令制度の本家本元であった唐とのかかわりを断つことは、律令制度導入政策が頓挫したことを意味する。

したがって、中大兄皇子の本心は朝廷守旧派としての旧体制維持であり、律令制度の確立をめざした聖徳太子を否定する立場にいたと断定してもよい。

要するに、太子の遺志を引き継いだのは中大兄皇子ではなく、反対に蘇我入鹿や孝徳天皇であり、だからこそ中大兄皇子の手によって入鹿は殺され、孝徳は捨てられたということになるのだ。

 乙巳の変のクーデターが、朝廷守旧派・中大兄皇子による改革派・入鹿の暗殺だとすれば、ここで改めて大化改新の本質を見直す必要が出てくる。

「日本書紀』の示した乙巳の変の図式――すなわち、聖徳太子の夢をくじいた蘇我氏を滅亡に追いやることで、中大兄皇子は太子の遺志を引き継いだという構図は、ここで見事に崩壊してしまうのである。

2575名無しさん:2019/06/08(土) 21:27:48 ID:NrdB.GxU0
そこで、仮定した「聖徳太子と蘇我入鹿は、蘇我一族すべてを抹殺するために仕組まれた朝廷の陰謀によって滅亡に追いこまれた」という推論に立ち返って考えてみよう。

 大化改新後、皇位を継承したのは孝徳天皇だった。この孝徳天皇は、蘇我氏に近い存在だった疑いがある。その根拠は、皇極二年(六四三)の山背大兄王襲撃事件に際し、孝徳が入鹿の軍に加わっていたらしいこと、そして、蘇我系の皇族や家族が密集して眠る磯長谷に、孝徳の墓があるからである。

 そして、孝徳天皇と蘇我を結びつける最大の証拠は、難波宮である。

『日本書記』によれば、孝徳天皇が難波宮に遷都したとき、老人たちが「そういえば、春から夏にかけて、ネズミが飛鳥から難波に向かっていたのは、今思えば遷都の前兆だったのだ」と述べるくだりがある。

 春から夏というのは、入鹿暗殺の直前のことで、この一節は、難波遷都はすでに蘇我入鹿の時代に画定済みだったことを示している。難波宮は「律令制度導入の第一歩 だったのだから、孝徳天皇は「蘇我の遺志」を継承したことになる。

 孝徳天皇は入鹿暗殺後、すぐ即位し、律令制度の整備に奔走した。その一方で、入鹿を殺した中大兄皇子はどうかというと、孝徳の足をひっぱるような行動に出ている。 つまり、律令制度の導入をめざしていたのは、聖徳太子蘇我入鹿――孝徳天皇ラインであり、中大兄皇子はこのラインをつぶそうとしたのである。

(次回に続く)

『聖徳太子は誰に殺された?』(ワニ文庫)より

2576名無しさん:2019/06/09(日) 21:07:29 ID:NrdB.GxU0
伝統芸能描く「火色の文楽」音楽朗読劇に!天崎滉平、日笠陽子、熊谷健太郎ら出演
6/3(月) 14:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190603-00000062-nataliec-ent

 北駒生「火色の文楽」を原作とした音楽朗読劇「SOUND THEATRE × 火色の文楽」が、10月5日と10月6日の2日間、千葉・舞浜アンフィシアターにて開催される。

「火色の文楽」は“バレエ界の星”と呼ばれ、将来を期待されながらも怪我で引退を余儀なくされた青年・迫弓矢(さこゆみや)が、伝統芸能の人形浄瑠璃・文楽と出会う青春ストーリー。物語は、読み聞かせはもちろん、舞台美術、照明、衣装、特殊効果にまでこだわり、五感を刺激する“新感覚・音楽朗読劇”「SOUND THEATRE」として上演される。

朗読では迫弓矢役を天崎滉平が演じるほか、入江湊役は日笠陽子、柳川弦治役は熊谷健太郎、大楠柑太役は市川太一、藤竹潮路太夫役はてらそままさき、松永珠市役は井上和彦、蓮元光臣役は秋元羊介、菊元千鳥太夫役は高橋広樹、末広蕗役は植田佳奈が担当する。チケット代は税込9000円。チケットぴあでは6月16日23時59分までの期間、オフィシャル先行の申し込みを受け付けている。

■ 「SOUND THEATRE × 火色の文楽」
日時:2019年10月5日(土)18:00〜、6日(日)12:00〜
会場:千葉・舞浜アンフィシアター
料金:9000円

□ スタッフ
原作:北駒生「火色の文楽」(ゼノンコミックス / ノース・スターズ・ピクチャーズ)
脚本・演出:キタムラトシヒロ
音楽監督:土屋雄作
主催:サウンドシアター事務局
制作:アハバ クリエイティヴ パーティー

2577名無しさん:2019/06/09(日) 21:08:04 ID:NrdB.GxU0
□ 朗読
迫弓矢:天崎滉平
入江湊:日笠陽子
柳川弦治:熊谷健太郎
大楠柑太:市川太一
藤竹潮路太夫:てらそままさき
松永珠市:井上和彦
蓮元光臣:秋元羊介
菊元千鳥太夫:高橋広樹
末広蕗:植田佳奈

□ 演奏
ヴァイオリン:土屋雄作
ほか

※天崎滉平の崎は立つ崎が正式表記。

(c)北駒生/NSP 2017

2578名無しさん:2019/06/09(日) 22:12:40 ID:NrdB.GxU0
鎮魂、恒久平和祈る 第3次大阪大空襲74年
2019年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190608/20190608046.html

 太平洋戦争末期、米軍機約550機が大阪市北東部や豊中市などで銃爆撃を繰り広げた「第3次大阪大空襲」から74年となった7日、当時被災した各地で犠牲者を追悼する行事が執り行われた。朝から激しい雨が降るにもかかわらず、遺族や関係者が続々と参列。空襲の現場付近で手を合わせ、膨大な犠牲者の冥福と恒久平和を祈念した。

「生きている限り足運ぶ」 長柄橋南詰の観音像前

 6月7日の空襲で亡くなった千人以上の身元不明者らを弔う、大阪市旭区の城北公園内の「千人塚」。近隣にある常宣寺(藤林顕晶住職)では、地域住民らが慰霊法要を行い、不戦の誓いを新たにした。

 千人塚の碑は、慰霊法要協賛会の東浦栄一会長(90)の父が、犠牲者を弔うため庭の岩を使って設置。法要は終戦の翌年から続けられている。

 東浦会長は、自身の目で見た空襲直後の公園内の様子を「しし累々、昼なお薄暗く、燃えている太鼓橋。ああ、これが地獄かと思った」と説明。「74年間、日本は再び戦争しなかった。令和の時代も戦争はしないと誓いたい」と語気を強めた。

 参列者は犠牲者を悼み黙とうをささげ、焼香して静かに手を合わせた。義姉を亡くした辰本喜代子さん(74)は「74年前のことを孫や子の世代に語り、伝えていかないといけないと思っている。やっぱり戦争は嫌やから」と話していた。

「令和時代も戦争しない」 城北公園内の千人塚

 淀川に架かる長柄橋の南詰(大阪市北区)に立つ観音像前では、法要が営まれた。地元の正蓮寺(渡島正教住職)が戦後から代々手掛けており、空襲体験者を含む地域住民や同寺にある「愛の恵幼稚園」の園児らも焼香に並んだ。

 空襲では、現存しない旧長柄橋の下や淀川河川敷に集まって避難していた人々が機銃掃射や爆撃の犠牲となり、その数は推定で約400人に上るとされる。

 惨状を目の当たりにした大木末野さん(91)は「当日は橋と逆方向に避難したので助かった。橋の下以外でも多くの人が亡くなっており、自分が生きている限り足を運びたい」と気丈に語った。

 園児たちに観音像の由来を説いた渡島住職は「子どもたちに、身近な場所で悲惨な戦争があったことを伝えていくとともに、先々代から続く法要を末永く継承したい」と話した。

2579名無しさん:2019/06/10(月) 21:22:24 ID:ylDuNnHU0
寛容すぎる大阪「四天王寺」、その狙いとは?
6/6(木) 17:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul

  日本仏法最初のお寺である、和宗総本山「四天王寺」(大阪市天王寺区)。593年に創建され、1400年以上も歴史のある由緒正しいお寺だが、ここ2、3年、その「寛容さ」「和やかさ」が気になってきた。境内では意外性にあふれたさまざまなポイントを発見。その理由について同寺に直撃した。

 売り切れ続出、「四天王寺」のユニークグッズ

同寺を訪問し、まずは目に飛び込んでくるのが「聖徳太子の飛び出し坊や」。そして点在する売店には、個性的なアイテムがずらりと並んでいる。キューピーとコラボしたかわいい「聖徳太子ストラップ」、一斉を風靡したマンガ家・川崎ゆきおによる「四天王寺記念散華」、寺院の説明などが書かれた「四天王寺トランプ」、人気トップ3を誇る「黒い亀の寶器籠(ほうきかご)」、外国人がよく購入するというTシャツなど、ユニークなグッズのオンパレードだ。

そんななか、開発2年を費やし、売り切れ続出というのが、「御乳守(みむねまもり)」という乳パットのお守り。古代から胸の悩みを聞いてくれる布袋堂本尊の乳布袋尊。「乳がん」や「乳腺症」といった病気だけでなく、サイズに関する悩みまでもご祈祷されているお守りで、発売するや爆発的な人気に。各カラー売り切れ続出で、現在追加製造中なんだとか。

ギャグマンガ日和ともコラボ、3種のチラシ

そして、6月5日から開催される『霊場巡拝(おまいり)いこか』にも目を向けてみる。新西国霊場の札所全38カ寺が一堂に集まる、40年ぶりという一大イベントで、インターナショナル大座禅会など特別企画も盛りだくさん。それを告知するチラシは、なぜか3種類。1枚目は、オーソドックスだが、2枚目で一気にナゴヤカモードに。そして3枚目は、増田こうすけによる『ギャグマンガ日和』とコラボ。ちなみに『ギャグマンガ日和』で登場する聖徳太子は常にジャージ姿だが、ここでは初の正装が拝める(小野妹子も「太子が仕事してる」と驚いている)。

お寺の僧侶も、ユーチューバーの時代へ

公式サイトとYouTubeでは専用番組「おまいりイコカTV」も配信。「四天王寺」の2人の若手僧侶、加藤公啓さんと田渕観宝さんが霊場巡拝についてわかりやすく教えてくれる番組だが、自ら台本をつくり、スマートフォンで撮影し、編集、アップまですべてをおこなっている。これまで5回にわたって、霊場巡拝についてわかりやすく解説。厳粛で静謐なイメージのある僧侶が、ユーチューバーというのも驚きだが、その楽しそうなコメンテーターぶりが、なんだか微笑ましく、とても親しみがもてる。

2580名無しさん:2019/06/10(月) 21:23:17 ID:ylDuNnHU0
もう一度言うが、「四天王寺」は1400年以上も歴史のある由緒正しいお寺。それだけに、この「寛容さ」「和やかさ」はどういう狙いがあるのか、四天王寺の広報さんに話を訊いてみた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul&p=2

「和やかですが、芯はしっかりしているんです」(田渕さん)

──まずは率直に伺います。こんなに「和やか」で大丈夫なんでしょうか?

加藤さん「実はあえてそうしているんです。と言うのも、四天王寺は聖徳太子創建のお寺であり、その土台には『和の精神』があります。ここを訪れていただいたとき、心が救われるように、また、決して信者さんが不快に思ったり、傷ついたりしないよう実は細心の注意を払った言葉遣いにしているんですよ」

田渕さん「どんな取り組みでも、住職による細かく厳しいチェックがあります。でも、これまでの型にとらわれないように、新しい取り組みをしてきなさいとも、常々教えられています。和やかですが、芯はしっかりしているんですよ」

──ユーモアあふれる企画はほかの寺院ではあまり見かけないですが、なぜ「四天王寺」はこんなに自由な発想でアイテムや企画ができるんでしょうか?

田渕さん「四天王寺が総本山であることが大きいですね。系列の寺院ですと、本山の許可が必要だったりするんです。会社でいうなら系列会社が本社に許可を取るという感じでしょうか。その許可を得るスピードが速いんです」

加藤さん「これはダメだけど、こことここを変えればOKとか。細かな訂正ならすぐできますから、やはりスピード感は出ますね」

──こちらでは多種多様なユニークなグッズが販売されていますが、特に御乳守は思いもよらないアイテムですね。

加藤さん「女性の信者さんからの要望を形にしました。女性が肌身離さず身につけれるもので、パットはどうかな?ということで開発されたんですが、かなり時間はかかりましたね」

田渕さん「あの時は肌触りや素材、耐久性もかなり追求しましたね。あらゆるメーカーのパッドをさわりました。職員たちとひとつひとつ手作業でラベルを付けて、実際に使ってもらったりもして。販売すると爆発的に人気が出て、みんな、うれしさ反面、驚いてます」

「僕ら世代にとっては当たり前のツール」(加藤さん)

──おふたりが出演しているYouTubeチャンネル「おまいりイコカTV」も話題です。しかし、僧侶自ら動画を作るというのは、とても意外でした。

加藤さん「前回の新西国霊場の出開帳は40年前に開催されたんですが、当時も一生懸命広報活動したそうです。その時代を知る住職たちに、時代に合わせたことをやりなさいと常々言われていまして。時代に合わせるなら今のツールを駆使すること。つまり、インターネット、SNS、YouTubeなど、僕ら世代にとっては当たり前のツールなんです」

加藤さん「2番目のチラシは、増田先生にチラシのデザインをイメージしてもらうためのサンプルで。イラスト担当の谷口くんが描きました。『霊場巡拝いこか』も『ジャンプ』っぽいロゴにしていて、『40年ぶり』という文字もジャンプの表紙によく使われる描き方で。するとツイッターで拡散されて、コラボ前は1000前後だった告知ページのPVがいきなり40万PVになって、SNSのいいね!も4000を超える桁違いの反応でした」

2581名無しさん:2019/06/10(月) 21:24:03 ID:ylDuNnHU0
──谷口くんっていうのは、四天王寺のイラストを担当している方でしょうか?

田渕さん「はい、ブログの挿絵や地蔵山地図も描いています。もともとマンガ家志望で、絵が上手ということもあり四天王寺のイラストはほとんど彼が描いています。呼びましょうか?」

──ぜひ、お願いします!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul&p=3

「これからの時代、個性を出すことは大切」(田渕さん)

谷口さん「こんにちは、僕がイラストを担当している谷口です」

田渕さん「タレントの宮川大輔さんに似ているので、みんなから『四天王寺のペイペイ』って呼ばれています(笑)」

──お坊さんといえども、同世代が集まれば会話は普通の若い人たちと同じなんですね。

加藤さん「結構、冗談とか言ってワイワイやってますよ。番組作りもアイテム作りも、終始和やかで楽しい雰囲気です。田渕くんがイラストレーター(描画ツールソフト)などを使えるので、谷口くんが手描きで下絵を描いて、田渕くんがデジタル化するというタッグも組みます」

田渕さん「実は、今回のチラシの挿絵が『ジャンプ』の宣伝ページにも掲載されるんです。マンガ家志望だった谷口くんの夢が、ちょっと叶ったよね」

谷口さん「いやあ、まあ、とてもうれしい限りです(照)」

──アイテム、イラスト含め、オリジナリティ、ユーモア、人間味が溢れているように思います。粛々としたイメージのお寺に、親しみが湧いてきます。

田渕さん「業者に手配すれば簡単だけれど、味気ないものになってしまう。ですから、これからの時代、工夫して自己流で個性を出すことは大切でないかと思うんです。お守りひとつでも、四天王寺らしさやユーモアが出せれば、それを目当てに来てくれる人がいる。お参りだけでなく、こんなに面白い、楽しい面もあるので、ひとりでも多くの人が四天王寺に足を運んでもらえるようになればうれしいです」

そんな「四天王寺」の若手僧侶が今、もっとも力を入れている新西国霊場会発足90周年事業の『霊場巡拝いこか』は、6月5日から9日まで開催される。また、年間を通じてさまざまなイベントが企画されているので、チラシとともにチェックしてみて。

取材・写真/岡田由佳子

2582名無しさん:2019/06/13(木) 21:09:45 ID:NrdB.GxU0
大阪本町で「新・大阪長屋展」 長屋の型を現代版にアレンジ /大阪
6/13(木) 14:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00000040-minkei-l27

 企画展「新・大阪長屋展」が6月13日、大阪・本町の「トーヨーキッチンスタイル大阪ショールーム」(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-6241-1040)で始まった。(船場経済新聞)

 
北堀江に事務所を構える建築家の高橋啓さんが、大阪の都市住宅を代表する型である「大阪長屋」を現代的にアレンジした住宅の建築デザイン20パターンの間取り図や模型を展示する。

 高橋さんは「大阪では長屋が都市住宅の主役として、終戦時まで一貫して建て続けられてきた。長い年月で、塀で囲われた表庭など大阪特有の型も生まれた。こうした長屋の型を現代的にアレンジし、狭い敷地でも庭から自然を取り入れた豊かな生活ができる住宅を設計した」と話す。

 高橋さんが今回設計した住宅は全て3階建ての一戸建て住宅。敷地面積は16坪〜50坪で、縮尺50分の1サイズの模型と間取り図、各階の模型写真などを展示する。それぞれ通り庭や裏庭、壁に囲まれた表庭など、長屋の要素を取り入れた庭を持つ間取りになっている。

 トーヨーキッチンスタイルの原一孝さんは「当ショールームでは未来型のコンパクトなキッチンを提案しており、高橋さんが設計する新しい大阪長屋のコンセプトともマッチしている」と話す。

 高橋さんは「衣食住の中で『住』だけが大阪で楽しまれていないと感じる。東京オリンピックや2025年の大阪万博、その先の未来へ向け、大阪の中心であるこの会場から豊かな『住』の提案をしていきたい」と意気込む。

 開館時間は11時〜19時。水曜休館。入場無料。6月30日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2583名無しさん:2019/06/13(木) 21:15:36 ID:NrdB.GxU0
都会のオアシス、華やか「ダンス」 大阪の坐摩神社
6/13(木) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190612-00000004-san-l27

 大阪市中央区のオフィス街にある坐摩(いかすり)神社でアジサイが咲き誇り、訪れた人たちが境内を散策したり写真を撮ったりと、思い思いに楽しんでいる。今年は少雨で昨年より開花時期がやや遅れたが、20日頃までが見頃だという。

 アジサイは、同神社の北岡忠澄権禰宜(ごんねぎ)(44)が十数年前から栽培。境内の西側や石畳の参道沿いに、鉢植えと地植え合わせて約30種約300株がずらりと並ぶ。

 まるでダンスをしているように華やかな「ダンスパーティー」や、花が開くと手まりのような形になる「アナベル」など、さまざまな色や形のアジサイが社殿に映え、「都会の真ん中にこんな癒やしのスポットがあるなんて」と境内を訪れた女性たちを喜ばせている。

 問い合わせは同神社(06・6251・4792)。

2584名無しさん:2019/06/13(木) 22:14:47 ID:NrdB.GxU0
誰をどう葬ったか!世界遺産百舌鳥・古市古墳群が変えた埋葬のルールとは―清家 章『埋葬からみた古墳時代: 女性・親族・王権』出口 治明による書評
6/13(木) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00003383-allreview-life

 
僕たちは、古墳には1人しか埋葬されていないと思いがちだが、実は複数の人が埋葬されている方が多い。本書は、誰をどのように葬るかという埋葬の原理を分析し、古墳時代(3世紀半ばから7世紀)の実相に迫ったものである。

歯は遺伝的要素が強い。著者は、考古学者田中良之らの歯冠計測値法を用いた親族構造の研究をベースに、これを考古資料により補完・検証し、古墳の被葬者は兄弟姉妹が埋葬される「キョウダイ原理」が主で、父子・母子両方の親子関係を社会的に認める双系であったと分析する。初葬者(家長)の男女比はほぼ1対1だ。嫁婿などの婚入者は基本的に出身集団の墳墓に入る。なお、首長墳については、父系化が小古墳よりも早く始まっている。

夫婦原理の埋葬はかなり遅れて始まる。日本書紀が伝える欽明(きんめい)と堅塩媛(きたしひめ)の合葬は欽明の死後40年たっての改葬であった。時代は蘇我氏の全盛期。著者はこの改葬は、臣下の娘が大王と同じ墓に埋葬される様子を諸臣に見せつける蘇我馬子の政治的デモンストレーションであったとする。それまで堅塩媛は別の場所に葬られていた。つまり、夫婦別墓が原則だったのだ。

古墳時代の王墓群は、箸墓(はしはか)古墳に代表される大和盆地東南部に始まり、北部の佐紀古墳群、河内の古市古墳群、和泉の百舌鳥(もず)古墳群へと移動した。これらの王墓の移動は、これまでは大王位が交替したとする王朝交替論や、ヤマト政権は連合政権であったという学説の論拠となり、倭(わ)の五王と絡めて論じられてきた。

著者は、大和盆地に王墓が築造されていた時代は王統が複数存在したが、古市・百舌鳥古墳群成立以後、大王は両古墳群のグループに限定され首長位が父系的に継承されるようになったと仮説をたてる。理由は、わが国が韓半島の戦争に関与し、軍事的緊張が高まり首長層からの父系化を推し進めたからだと考える。知的好奇心が刺激された。

[書き手]出口 治明(でぐち はるあき・立命館アジア太平洋大学学長)

[書籍情報]『埋葬からみた古墳時代: 女性・親族・王権』
著者:清家 章 / 出版社:吉川弘文館 / 発売日:2018年04月18日 / ISBN:4642058656

朝日新聞 2018年7月7日掲載
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吉川弘文館


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