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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

2287名無しさん:2016/06/04(土) 20:21:23 ID:0kfUCQtw0
ぜい尽くした150点…大阪くらしの今昔館で「船場花嫁物語」展
http://www.sankei.com/region/news/160529/rgn1605290058-n1.html

戦前の大阪・船場の豪商が調えた花嫁支度の品々を集めた企画展「船場花嫁物語」が28日、大阪市北区の大阪くらしの今昔館で始まった。振り袖や帯、かんざしといった花嫁衣装をはじめ、美しい刺繍(ししゅう)が施された袱紗(ぶくさ)や装身具などぜいを尽くしたものばかりで、会場は華やかな雰囲気に包まれている。6月26日まで。

 同展は、昭和14年に船場の商家、廣野家が娘のカツさんのために用意した花嫁道具約150点を展示して、古き良き船場の文化を知ってもらおうと企画された。これらの品々は戦火を免れ、家族が大切に保管してきたといい、結納や荷飾りの様子を撮影した当時の写真も公開されている。

 そのなかでも目を引くのが着物類。礼装から日常着まで季節に合わせて膨大な数に及ぶ。黒地に鳳凰(ほうおう)など吉祥を意味する図柄が描かれた豪華な「松竹梅橘吉祥円紋黒振袖」は、後にカツさんの孫娘たちが結婚式を挙げた際に着用したという。

 このほかにも、桐に透かし彫りなどの精緻な装飾を施した桐だんすなどもあり、当時の大阪文化の豊かさを伝えている。

 所蔵者でカツさんの長女、佐野恵美子さん(69)は「母は着物が大好きで、ほとんど洗い張りをして大事にしていました。日本の伝統工芸や着物文化の魅力に触れてもらえれば」と話している。

 問い合わせは大阪くらしの今昔館(電)06・6242・1170。

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2288名無しさん:2016/06/20(月) 03:33:53 ID:uJReOkpM0
歴史ロマン 歩いて体感 大阪シティウオーク2016
2016年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160617/20160617033.html

 大阪市は、戦国時代から昭和までの歴史をテーマにしたコースを歩くイベント「大阪シティウオーク2016」をスタートさせた。参加者たちは市内の名所や史跡を訪ねながらウオーキングを楽しんでいた。

都市の魅力を再発見してもらおうと3年前から実施。本年度は「大阪歴史ロマン」をテーマに計5回開く。今回初めて外国人観光客に対応したガイド付きのコースも設けた。

 初回の12日は、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた明治の実業家、五代友厚の像が建つ大阪商工会議所や大阪取引所をはじめ、都心部の近代建築を回るコースで実施。約13キロと約7キロの2種類を用意した。子どもから高齢者まで参加。それぞれのペースで街中をめぐってゴールし、「完歩証」やオリジナルバッジを受け取っていた。

 市担当者は「マイペースで大阪の魅力を楽しんでもらえれば」と話していた。

 今後の日程とテーマは次の通り。

 9月19日「水都大阪・リバーウオーク」▽10月2日「インバウンド対応ガイドコース」▽11月27日「大坂の陣・徹底ウオーク」▽2017年3月12日「住吉大社から平野郷をウオーク」

 問い合わせは電話06(6205)0818、事務局。

2289名無しさん:2016/06/25(土) 01:00:05 ID:vkpMeMFg0
高山右近、来年2月大阪で列福式 戦国時代のキリシタン大名
2016年6月23日 20:19
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160623/20160623116.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近が、カトリックで最高の崇敬対象とされる「聖人」に次ぐ地位の「福者」に認定される儀式「列福式」が来年2月7日、大阪城ホール(大阪市中央区)で開かれることが決まった。日本カトリック司教協議会が23日、明らかにした。

 同協議会は、右近が大名の地位を捨てて信仰に命をささげたとして、福者に認定するようローマ法王庁(バチカン)に申請。列福式には列聖省のアマート枢機卿が派遣される。

 大阪で生まれた右近は父の影響で洗礼を受けた。

2290名無しさん:2016/06/25(土) 20:41:51 ID:Nb9lgvLw0
古墳群を世界遺産に
06月25日 18時37分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20160625/3396741.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産に登録してもらうために地元の住民ができることを学ぼうという集いが堺市で開かれました。
大阪の堺市、羽曳野市、それに藤井寺市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」は、再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
25日は古墳群を世界遺産にするため住民でできることを考えようと地元の人たちが集いを開き、およそ400人が集まりました。
このなかで、世界遺産に登録された長崎の「旧グラバー住宅」があるグラバー園の名誉園長、ブライアン・バークガフニさんは、「地元で古くから親しみを持って守り続けられている古墳群の価値をどう伝えていくかが大切だ」とアドバイスしました。
世界文化遺産への登録をめざすのは、ほかにも▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」や、▼新潟県の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、▼「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」があり来月下旬ごろ日本からユネスコに推薦される候補地が1か所に絞り込まれます。
集いを開いた市民の会の会長で堺商工会議所の前田寛司会頭は、「市民一体となって機運を高め、なにがなんでも、ことしの国内推薦を勝ち取りたい」と話していました。

2291名無しさん:2016/06/28(火) 12:38:49 ID:x58mt6gk0
天神祭の魅力完全収録 大阪天満宮などDVD作製
2016年6月28日
 大阪天満宮(大阪市北区)などは、日本三大祭りの一つ天神祭の魅力をまとめたDVDを作製した。祭りの打ち合わせの段階から、都心部の川を船が行き交う本宮祭当日の様子まで一連の流れを紹介。売り上げは祭りの運営資金に充て、今後の発展に生かすという。

千年を越える歴史を誇る天神祭については、7月25日の本宮祭に合わせた奉納花火や、船渡御の露出度が高いものの、七夕の日に開かれる祭りなど、毎年多彩な関連行事を展開。関係者らは事前に何度も会合を開いて、より安全で盛大な開催を目指している。

 DVDでは2011〜15年の5年間を対象に、事前の準備段階から各種行事の様子まで収録。万力康司権禰宜(ごんねぎ)は「天神祭の全てを完全収録しており、各シーンをご理解いただける」と出来栄えをアピールしている。

 33分。3千円。7月15日から大阪天満宮境内の授与所で購入できる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160628/20160628027.html

2292名無しさん:2016/06/30(木) 04:13:46 ID:LD9amo960
「愛染祭」地下鉄でお越しを 愛染娘ら呼び掛け
2016年6月28日
 30日から天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)(山岡武明住職)で大阪の夏祭りの幕開けを飾る「愛染祭(まつり)」が始まるのを前に、地下鉄長堀橋駅(中央区島之内1丁目)構内で「公共機関をご利用くださいキャンペーン」があった。一般公募のキャンペーンガール「愛染娘」らが駅利用者に「地下鉄で来てね」と笑顔で夏祭りの到来を告げた。

キャンペーンは市交通局の賛同を得て22日に実施。“愛染さん”の愛染祭は参詣者が年々増える一方、近年は迷惑駐輪が顕著となっていることから、山岡住職が対策とPRを兼ねて企画した。

 ポスターやのぼりなどで飾られた構内では、ゆかた姿の愛染娘に交じって駅員も参加。乗客や地下街を行き交う人々にチラシを手渡して協力を呼び掛けた。

 愛染娘の青山奈里香さん(26)、葉山夢さん(21)は「最寄り駅の四天王寺夕陽ケ丘駅から徒歩2分という便利な場所なので、ぜひ地下鉄でお越しください」「愛染娘が笑顔でお待ちしています」と話していた。愛染祭は7月2日まで。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160628/20160628030.html

2293名無しさん:2016/07/01(金) 00:49:55 ID:9a1rQBBY0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」始まる
更新:06/30 20:30

無病息災を祈願して約1400年前に始まった「愛染まつり」が大阪・天王寺区で始まりました。

 初日の6月30日は、「宝恵かごパレード」が行われ、色鮮やかな駕籠に乗せられた12人の愛染娘が天王寺公園前から愛染堂・勝鬘院まで練り歩きました。

 中には、こんな「べっぴんさん」も・・・

 「ベトナムから来ました。楽しかったです。」(ベトナム出身の愛染娘)

 「愛染まつり」は7月2日まで開かれています。

http://www.mbs.jp/news/kansai/20160630/00000065.shtml

2294名無しさん:2016/07/06(水) 09:00:32 ID:T7zJUrN20
浴衣姿の歌舞伎役者に歓声、大阪 船で川巡る初夏の風物詩
2016年6月29日 18:05

 歌舞伎役者が船で川を巡る初夏の風物詩「船乗り込み」が29日、大阪市内で催され、襲名披露の中村雀右衛門さんをはじめ、片岡仁左衛門さんら浴衣姿の人気役者に歓声が上がった。

大阪松竹座の「七月大歌舞伎」をPRする恒例行事。雨が降る中、役者らは同市中央区の船着き場「八軒家浜」から船に乗り込んだ。船はゆっくりと航行し、川岸や橋の上に集まったファンから「京屋!」「松嶋屋!」などと声が掛かると、傘を差した役者らが手を振って応えた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160629/20160629096.html

2295名無しさん:2016/07/06(水) 09:06:58 ID:T7zJUrN20
「不落(おちない)」兵糧米が受験生らに人気 楠木正成ゆかりの地、大阪・千早赤阪村
南北朝時代の武将・楠木正成ゆかりの地、大阪府千早赤阪村で販売されている合格祈願の「正成公御兵糧米(まさしげこうおんひょうろうまい)」が、就職活動を迎えた学生や受験生の人気を集めている。

 「日本の棚田百選」にも選ばれた下赤阪の棚田(同村)で収穫された米150グラムを詰めたもので、副題は「不落(おちない)千早城」。鎌倉幕府の大軍を前に落城しなかった正成築城の千早城にあやかったものだ。

 扱っているのは同村内で飲食業などを手がける「金剛山麓まつまさ」。正成が倒幕を掲げる後醍醐天皇に応じて挙兵、籠城戦に耐え抜いた話にちなんで、千早城跡にある千早神社で収穫米をおはらいし、平成25年から販売を始めた。一袋千円だが、縁起がいいと受験生らに注目され、これまでに1500袋が売れた。

 同社の松本公成社長(43)は「『兵糧米』を通じて正成公の名声が広まってくれるのは、うれしいことです」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160706/wst1607060026-n1.html

2296名無しさん:2016/07/06(水) 10:46:16 ID:T7zJUrN20
「五代友厚一色に」 船渡御で、関係者ら意欲
2016年6月29日
 NHK連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた明治の実業家五代友厚が、日本三大祭りの一つ天神祭でも存在感を示しそうだ。都心部の川を船が行き交う船渡御におととしから登場している「五代友厚船」。今年は世間の盛り上がりを受けて例年以上に企画に力が入っており、関係者は「彼一色にしたい」と意気込んでいる。




 同船は、大阪の中小企業の社長らでつくる市民団体「なにわ文化サポーター倶楽部」が出航。五代の生きざまを映画化しようと弁護士が立ち上げたプロジェクトの関係者と連携して取り組んできた。五代もかつて天神祭に参加したという。

 当日は、源八橋東詰の大川沿いに停船。五代と血縁関係のある人や、ゆかりのある企業関係者を招くほか、出身地の鹿児島県にちなんだ食事や酒を振る舞い、彼をテーマにした講談やパネル展示を行う。

 同倶楽部の中本敦士代表は「五代さんに成り代わって大阪の元気を発信したい」と意欲を示し、船長を務める不二建物の近藤潔社長は「大阪の未来のために滅私奉公した人生を将来に伝えていければ」と意気込んでいる。

 問い合わせは携帯電話090(8231)9251、五代友厚プロジェクト。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160629/20160629022.html

2297名無しさん:2016/07/06(水) 11:02:20 ID:T7zJUrN20
中国語、ハングル版追加 天神祭パンフ
2016年7月1日
 大阪観光局は、天神祭を見に訪れる外国人観光客に対応しようと、中国語とハングルで表記した案内パンフレットを作製した。従来は日本語と英語の2種類だけだった。




 同局は例年、24日の宵宮祭と25日の本宮祭を紹介したパンフレットを製作。伝統衣装に身を包んだ一団が都心部を練り歩く陸渡御や、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御の様子を詳しく紹介している。

 昨年までは日本語と英語だけだったが、アジア圏からの外国人観光客が増加し、天神祭を見学する人も増えているとして、2カ国分を増やした。

 パンフレットは、大阪天満宮(大阪市北区)の境内をはじめ、大阪市の観光案内所や外国人観光客が多い一部の施設で配布する。

 同局地域素材開発担当の松本浩一課長は「できるかぎり母国語に近い形で天神祭を理解してもらえれば」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160701/20160701048.html

2298名無しさん:2016/07/06(水) 11:23:48 ID:T7zJUrN20
江戸時代のちょうちん再現 OAPで展示始まる
2016年7月2日
 日本三大祭りの一つ天神祭に合わせ、大阪天満宮の氏地で江戸時代に飾られていたちょうちんが再現され、大阪市北区の大阪アメニティパーク(OAP)で1日、展示が始まった。各町の独自性があふれる計28種類が勢ぞろい。わざと読めない字を書き、参拝者と住民の対話のきっかけにしていたという「おもてなし」の文化が体感できる。31日まで。入場無料。



 OAP開業20周年を記念し、テナント会が大阪天満宮などと連携して実施した。

 大阪天満宮文化研究所研究員の高島幸次・大阪大招聘(しょうへい)教授によると、各町が掲げた「お祭りちょうちん」の役割は大きく三つ。足元を照らす「照明」と、神にささげる「献灯」に加え、各町があえて難解な字を書いて、参拝者が住民に意味を聞く形で会話が始まる「コミュニケーションを誘発する装置」の役割があったという。

 会場では、てん書で「夜燈(やとう)」と書かれていたり、草書や隷書で「献燈」と書き込まれていたりと、多彩なちょうちんを展示。27張は江戸時代の再現で、一つはOAP開業を受けて1998年に誕生した。

 OAP事務局の飯守将平・三菱地所プロパティマネジメント主査は「地元に根ざした取り組みで天神祭のにぎわいに貢献できれば」と来場を呼び掛けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160702/20160702036.html

2299名無しさん:2016/07/08(金) 04:30:06 ID:.HUxyLJw0
「天神祭月間」機運高まる 祭り料理で盛り上げ意欲
2016年7月7日
 大阪天満宮の寺井種伯宮司と天神祭渡御行事保存協賛会の尾崎裕会長(大阪商工会議所会頭)は6日までに、大阪市北区の大阪天満宮で大阪日日新聞のインタビューに応じ、天神祭を七夕から本宮祭までの19日間と位置付け、「期間中にさまざまな催しを展開して盛り上げることが大切」などと意見交換した。寺井宮司は来年以降、祭りの時期に振る舞われる料理をテーマにしたキャンペーンを実現させる意向を示した。



 天神祭は日本三大祭りの一つとして知られ、24日の宵宮祭と25日の本宮祭の関連行事が有名。室町時代には天神祭を七夕の日に行った記録がある点を踏まえ、近年は7日を天神祭の開始日とし、25日まで「天神祭月間」として盛り上げようとする機運が関係者の間で高まっている。

 期間中は例年、七夕関連の行事をはじめ、ヨットレースや京都・伏見の酒の奉納など多彩な催しが開かれている。

 尾崎会長は、インターネットを活用した発信の重要性を指摘した上で「単発よりも一定期間ある行事のほうが打ち出しやすい。プレゼンテーションのやり方次第でいろいろなことができるのではないか」と語った。

 寺井宮司は「夏祭り気分を満喫してもらえることをやっていきたい」と強調。その一つとしてハモやタコ、魚のすり身を油で揚げた「白天」といった伝統的な祭り料理を地元飲食店が扱うキャンペーンに意欲を示した。関係者に協力を求め、早ければ来年の実施を目指す。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160707/20160707029.html

2300名無しさん:2016/07/09(土) 02:34:25 ID:uA3u27O20
七夕神事で幕開け 天神祭「月間」行事 多彩に
2016年7月8日
 天神祭の幕開けを告げる七夕の神事が7日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われ、19日間に及ぶ「天神祭月間」がスタートした。今年は、江戸時代に氏地で飾られていた「お祭りちょうちん」が再現され、地域の施設で展示されているほか、25日の本宮まで多彩な恒例行事が各地で繰り広げられ、浪速の夏を盛り上げていく。


ササと鈴を手に神楽を披露したみこ=7日午後、大阪市北区の大阪天満宮

 「天神祭月間」は、室町時代に天神祭を七夕の日に行った記録がある点を踏まえ、7日を天神祭の開始日とし、船渡御や奉納花火のある25日まで祭りを盛り上げようと関係者らが打ち出している。

 この日、大阪天満宮は本殿で天満天神七夕祭の神事を行い、寺井種伯宮司の祝詞の後、2人のみこがササと鈴を手に神楽を披露。参列者らは願い事を書いた短冊を奉納した。

 天神祭を支える講社連合会の宗石剛会長は「これから夏本番を迎えるが、関係者一同、元気で盛大に祭りを行っていけるように励んでいきたい」と話していた。

  ◇    ◇

 宵宮、本宮までの主な行事は次の通り。

 大阪アメニティパーク(大阪市北区)で「お祭りちょうちん」の展示。31日まで▽9日午後2時半から大阪天満宮(同)で「青葦(あおよし)奉納式」▽22日午後7時半から北新地地区(同)で「天神祭北新地巡行」▽23日正午ごろから天神橋筋商店街(同)でギャルみこし巡行▽23日午後5時から大阪ビジネスパーク(中央区)で「OBP天神祭前夜祭」

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160708/20160708027.html

2301名無しさん:2016/07/09(土) 21:58:17 ID:46dRe3lQ0
大阪・生國魂祭、初の平日「渡御」 府警難色も警備員配置など協議実る
 7月12日に生國魂(いくくにたま)神社(大阪市天王寺区)で行われる「生國魂(いくたま)祭」の中心神事で、氏子ら約500人が大通りを練り歩く「渡御(とぎょ)」が、平成26年に往時の形に復活させて以降、初めて「平日」に実施されることになった。26、27年はいずれも「休日」に行われていたが、今年は12日が平日にあたるため、大通りの交通規制に府警が難色を示し、実施が危ぶまれていた。神社側が警備員を独自に配置するなどして協議を進めた結果、実施にこぎ着けた。

 生國魂神社は「いくたまさん」の愛称で知られる大阪最古の神社。毎年7月11、12の両日に行われる生國魂祭は、天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭の一つに数えられる。疫病を鎮めるため、平安時代から始まった「夏越(なごし)の祓(はらえ)」がルーツとされ、江戸時代ごろから祭りになった。今では夏の風物詩として知られ、12日には、氏子らが神社から大阪城まで練り歩く。

 渡御は戦後70年の節目を前に26年、往時に近い形で復活。今年が初の平日にあたるため、府警は当初、平日に大規模な通行止めを実施した前例がないとして難色を示していたが、神社側が渡御の巡行順路や警備員の配置図、交通規制の実施予定時刻などをまとめた「警備計画書」を作成して協議を進め、府警の了解を取り付けた。当日午前9時半〜午後5時半、神社周辺と谷町筋で交通規制を行う。中村文隆権禰宜(ごんねぎ)(40)は「今後も渡御を永続させ、地域文化を継承していきたい」と話している。

http://www.sankei.com/region/news/160702/rgn1607020073-n1.html

2302名無しさん:2016/07/13(水) 21:49:09 ID:Y61B2Lac0
暑さ吹き飛ばすお練り 「生国魂祭」にぎやか宵宮
2016年7月12日
 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)の「生国魂祭」が11日、宵宮で幕を開けた。獅子舞やみこし、布団太鼓が氏地へ繰り出し、勇壮華麗な姿で伝統の夏祭りの到来を触れて回った。



 奉仕する氏子崇敬者は本殿でおはらいを受けた後、同神社特有の手締め「いくたま締め」を交わしてにぎやかに宮出した。

 大阪管区気象台によると、この日の大阪市の最高気温は8月上旬並みの33・7度まで上昇。奉仕者は暑さを吹き飛ばすような勢いで、区内や中央区の氏地でお練りを繰り広げ、日暮れに宮入りした後も、多くの参拝者が見守る境内で勇壮華麗な所作を披露した。

 子ども約150人が参加した「いくたま子供獅子」は今春から練習を開始し、祭り直前の集中練習を終えて参加。指導者の村田弦さん(34)は「万全の態勢で臨み、昨年を上回る良いお祭りにしたい」と息を弾ませた。

 本宮(12日)では陸渡御が行われ、約500人からなる壮大な渡御列が同神社本来の鎮座地である大阪城を目指す。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160712/20160712024.html

2303名無しさん:2016/07/20(水) 12:00:24 ID:LqSzuzew0
お米しっかり守ってね 住吉大社でアイガモ農法
2016年7月20日
 住吉大社(大阪市住吉区住吉2丁目、高井道弘宮司)の境内に広がる御田(おんだ)(御神田)で今年も恒例のアイガモ農法がスタートした。愛らしいひなたちは、6月14日の「御田植(おたうえ)神事」(重要無形文化財)で奉仕者が植えた苗の間をすいすいと往来。雑草や害虫を食べる“仕事”ぶりが参拝者ら多くの人々の注目を集めている。


御田でアイガモの放鳥を体験する園児

 御田(約20アール)でのアイガモ農法は約20年前から実施。数年前からは地元幼稚園が農業の一端に触れることのできる機会として参加している。11日に約20羽の放鳥があり、区内の市立墨江幼稚園(大倉有紀園長)から園児約30人が訪れた。

 興味津々の園児たちは生後2週間のひなを代わる代わる抱え上げて大はしゃぎ。「頑張って」「しっかり虫を食べて」などと声を掛けながら広い御田に放った。

 同大社では2013年度から近隣の幼稚園、小学校に御田のかかしを制作してもらう「住吉かかしプロジェクト」に取り組んでいる。担当者で同大社権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「身近にある御神田を訪れて、日頃自分たちが食べているコメができる過程を見ていただきたい」と期待を込める。

 大倉園長は「子どもたちの心に残る大事な取り組み。食育にもつながる貴重な体験ができた」と笑顔で話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160720/20160720033.html

2304名無しさん:2016/07/25(月) 04:37:33 ID:a1xhaCmU0
天神祭前夜祭 会場熱気あふれ 大阪ビジネスパーク
2016年7月24日
 天神祭(24日宵宮、25日本宮)をハイライトで楽しめる「天神祭前夜祭inOBP」(実行委員会主催)が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパークで開かれた。渡御などに参列する各講社は伝統の舞や演奏などで会場を熱気で包み込んだ。


吹き抜けの会場で踊りの輪を広げる菅公会=23日午後、大阪市中央区のツイン21

 1986年から続くイベントで、今年は第31回。地域住民や会社員らが“祭りの心と力”に触れられる場にしようと大阪ビジネスパーク協議会と大阪天満宮が実行委となって取り組んでいる。

 今年もツイン21で本式にのっとった清祓(きよはらい)式の後、太鼓中、地車講、天神講獅子、菅公会が登場。太鼓中は祭りの花形「催(もよおし)太鼓」に奉仕し、太鼓の下に丸太を敷いて大きく揺らして打つ「からうす」を披露。地車講はおはやしに乗せた龍おどり、天神講は獅子舞で、本番とはひと味違う室内会場での祭りを盛り上げた。

 地域の復興を目的に始められた天神踊が母体となり48年に結成された菅公会は、天神祭ばやしに合わせて会場いっぱいに踊りの輪を広げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160724/20160724031.html

2305名無しさん:2016/08/01(月) 00:16:39 ID:6KBKdBAw0
ど田舎ど僻地だった東京に幕府を開いた徳川家康

https://www.youtube.com/watch?v=UsZy6KF8Ypg

2306名無しさん:2016/08/11(木) 04:54:27 ID:HefL02SY0
参詣者続々 先祖を供養 四天王寺「盂蘭盆会」
2016年8月10日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で9日、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まった。無数の献灯灯ろうが飾られる中、多くの参詣者が墓参りなど先祖供養に訪れている。16日まで。


西大門(極楽門)に飾られた無数の献灯灯ろう=9日午前、大阪市天王寺区の四天王寺

 灯ろうは門や諸堂などに奉納。先祖の霊名と清らかなハスの花が書かれ、時折吹き抜ける風に揺れながら人々を迎えている。

 この日の夜から境内に約1万本のろうそくに火をともす「万灯供養法要」(16日まで)が始まり、日中は先祖の霊名を記す万灯ろうそくの申し込みに列ができた。同寺の東門近くで生まれ育った女性(73)=同市生野区=は「万灯ろうそくは、わが家の習わしで、生きている者の務め。今年も亡き夫やおしゅうとめさんらの供養ができ、ひと安心」と笑顔で汗をぬぐった。

 境内・六時堂では観音功徳日にちなんだ「千日まいり」(9、10日)も始まった。古来、両日に参詣すると千日間続けてお参りしたのと同じ功徳を授かるとされることから、大勢が祈願や厄病よけ札の授与に並んだ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160810/20160810049.html

2307名無しさん:2016/08/13(土) 17:24:06 ID:kD/uDf2s0
伝統芸能「かっぽれ」後世に 普及へ教室開講
2016年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160810/20160810050.html

 滑稽な踊りとして親しまれている「かっぽれ」。その伝承・普及活動に取り組んでいる桜川梅后さん(54)=大阪市浪速区敷津西=は東京から大阪に移住したのをきっかけに先月、カルチャー教室「梅后流かっぽれ」をなんばカルチャービル(浪速区難波中)で開講した。

 かっぽれは、大衆文化を代表する日本の伝統芸能として関心が高まっており、桜川さんは「3代目家元として、母(宗家で初代家元)が築き上げた梅后流かっぽれの種を大阪でまき続けたい」と張り切っている。

 かっぽれは、大阪・住吉大社の御田植え神事の住吉踊りが起源とされ、江戸時代に伊勢神宮(三重県)の参拝者を前に街道で披露する大道芸として広まっていった、という。

 その後、江戸に伝わり、三味線伴奏に乗せて「かっぽれ、かっぽれ」のおはやしに合わせて踊る現在のスタイルが形成され、明治になってお座敷芸の余興として評判を呼んだ。

 桜川さんは母でもある初代桜川梅后さん(1998年に文部大臣表彰、故人)のそばで幼少期から、かっぽれに親しみ、「母とそっくり」といわれる芸を習得。「座敷芸であるかっぽれを、パレードのできる大道芸としても発展させたい」という母の思いを形にしていった。

 浴衣に鉢巻きを締めた粋なスタイルで、老若男女が踊る、かっぽれは、「見ても、踊っても楽しい」と人気を集め、桜川さんは踊り手の中心的存在として、全国各地のイベントに参加。アメリカ、ヨーロッパ各国で開かれる日本文化紹介イベントにも出演している。

 教室はこれまで関東地区を中心に開講。かっぽれを踊る愛好者は全国で4千人といわれているが、大阪での普及はこれから。「基礎を作り上げた初代家元の娘として、かっぽれの楽しさをできるだけたくさんの人に味わってもらえるよう、汗を流していきたい」と目を輝かせている。

 「梅后流かっぽれ」は毎週金曜日の午後0時半から同2時まで開講。問い合わせは電話06(6645)1236、なんばカルチャービル。

2308名無しさん:2016/08/14(日) 04:11:40 ID:K2KRraq60
大阪城で秀吉にささげた踊り再現 市民らが天守閣前広場で
2016年8月13日 19:50

 約400年前、豊臣秀吉の七回忌で人々が踊った「豊国踊り」を再現するイベントが13日、大阪市中央区の大阪城天守閣前の広場であった。あかね色に染まる夕空の下、数百人の市民や観光客が太鼓や三味線の音に合わせて軽やかに舞った。


 大阪城天守閣前の広場で行われた「豊国踊り」を再現するイベント=13日夕、大阪市

 豊国踊りは1604年8月、京都市の豊国神社で行われた七回忌の祭礼のクライマックスで約1500人が踊ったとされる。国の重要文化財「豊国祭礼図☆(尾の毛が併の旧字体のツクリ)風」に当時の様子が描かれている。こうした史料を基に大阪城天守閣の北川央館長らが中心となって踊りを学術的に再現した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160813/20160813111.html

2309名無しさん:2016/08/14(日) 12:44:42 ID:Mu5tK16Y0
輪になり「豊国踊り」 「真田丸」ゆかりの伝統満喫
2016年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160814/20160814049.html

 大阪城天守閣(北川央館長)は13日、大阪市中央区の天守閣前本丸広場で、豊臣家ゆかりの「豊国(ほうこく)踊り」を再現、披露する催しを開いた。当時の資料に沿い、慶長時代に近い形でよみがえった“平成の豊国踊り”を来場者らが楽しんだ。

 NHK大河ドラマ「真田丸」の放映を記念し、主人公真田信繁(幸村)を顕彰する催しの一環。豊国踊りは1604年、信繁が仕えた秀吉の七回忌祭礼で奉納されたと伝わるもので、大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが演出、上方舞山村流六世宗家の山村友五郎さんが振り付けを担うなど時代考証を踏まえて昨年再現した。

 特設の舞台では、朝宮真由さんら宝塚歌劇団、美砂まりさんらOSK日本歌劇団のOGが浴衣姿で、三味線の音に合わせてアップテンポな手踊りを披露。観光客も輪に加わり、400年前に思いをはせた。曲芸師の豊来家一輝さんは刃物や皿を用いて放下芸(曲芸)を再現し、会場を沸かせた。大阪城天守閣広報の青木美佐子さん(41)は「市民参加型の催しとして、夏の風物詩に」と期待を寄せた。

2310名無しさん:2016/08/16(火) 11:57:59 ID:RYp.RDoM0
ろうそく見つめ故人思う 四天王寺万灯供養
2016年8月16日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)でお盆行事、盂蘭盆会(うらぼんえ)の「万灯供養」が執り行われている。家族連れなど多くの参詣者が先祖をしのび、ほのかなろうそくの明かりに手を合わせている。16日まで。


無数の万灯ろうそくに照らされる中心伽藍=15日午後、大阪市天王寺区の四天王寺

 五重塔、金堂、講堂が建つ境内・中心伽藍(がらん)では回廊沿いにろうそく台が設けられ、夕刻、先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」に点火。同寺によると15日に点灯された本数は約2万5千本を数え、毎晩、幻想的な明かりが伽藍内を照らす。

 同寺僧侶が般若心経の読経とともに練り歩く法要もなされ、参詣者も続々と僧侶に続く姿が見られた。

 人々は燃えるろうそくを静かに見つめたり、「今年も来たよ」と故人の人柄を思い出したりしながら、思い思いに供養のひとときを過ごしていた。

 万灯供養は日没後から午後9時まで。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160816/20160816049.html

2311名無しさん:2016/08/17(水) 01:31:50 ID:Ug7Y25ck0
大阪文化PRのポスター展 環状線と地下鉄の95駅で 大阪商議所が発表 18日スタート
 大阪商工会議所は16日、大阪の歴史や文化をクイズ形式で紹介する「大阪検定ポスター展」を、JR大阪環状線と大阪市営地下鉄の計95駅で開催すると発表した。大商が平成21年から毎年主催している「なにわなんでも大阪検定」の認知度を高めるとともに、地域の魅力を再発見してもらう狙い。18日から10月5日まで。

 環状線の全19駅と地下鉄の76駅を対象に、駅ごとに異なるポスターを1枚ずつ展示する。クイズは4択形式で、大商に近い地下鉄中央線の堺筋本町駅では、前身の「大阪商法会議所」の初代会頭五代友厚にちなみ、「大阪経済の立役者、五代友厚の功績でないものはどれ?」とした。

 クイズは今回の企画に合わせた新作に加え、大阪検定の過去の出題問題で構成する。大阪らしい派手な色彩のイラストを盛り込み、目につきやすいよう工夫した。

 大商の担当者は「街めぐりを楽しむ気分でポスターを探してほしい」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160816/wst1608160066-n1.html

2312名無しさん:2016/08/18(木) 18:54:37 ID:X9aKZSHA0
歴史散策「一心寺」寄って…無料案内・休憩所
2016年08月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160815-OYTNT50299.html

 ◇「大坂の陣屏風」複製も

 大阪市天王寺区の一心寺そばの同寺所有地に、近隣散策の案内所と休憩所の機能を持つ施設ができた。寺近辺は「大坂の陣」の舞台となっており、観光客をサポートしようと、寺が1年あまりかけて建築。無料で利用できる。大坂の陣の様子を描いた屏風びょうぶも複製され、常設展示されている。

 大坂の陣では、真田幸村や徳川家康が、同寺周辺の茶臼山にそれぞれ陣を張ったとされる。また、今年はNHK大河ドラマ「真田丸」が放映され、観光客が増えていることから、同寺が建築を計画した。

 建物は寺境内の東につくられ、建築面積約250平方メートル、地上3階、地下1階建て。大坂の陣当時に同寺の住職だった「存牟ぞんむ上人」にちなんで、「存牟堂」と名付けた。

 大阪城天守閣が所蔵する重文「大坂夏の陣図屏風」を拡大し、複製した陶板(縦2メートル、横4・5メートル)をつくり、1階に常設。夏の陣当時の幸村や伊達政宗、豊臣秀頼らが確認できる。1階にはベンチも置いて休憩スペースとする。

 2階はギャラリースペースとして活用。3階は備蓄倉庫となっており、災害時用に500ミリ・リットル入りペットボトル1万本分の水を蓄えている。

 先月27日には、関係者や地元住民約60人が参加して法要が営まれ、同寺の高口恭行長老が「社会貢献も念頭に置いている」と建築の理由を説明。来賓の北川央・大阪城天守閣館長は「歴史観光の拠点施設になってほしい」と期待していた。

2016年08月16日

2313名無しさん:2016/08/18(木) 19:07:08 ID:X9aKZSHA0
少年救った将校「父かも」…京橋空襲71年
2016年08月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160813-OYTNT50295.html?from=yartcl_blist

 ◇半田さん 男性の話に心の区切り

 71年前の終戦前日の8月14日、京橋空襲で陸軍将校の父(当時30歳)を亡くした半田江津子さん(74)(栃木県)は戦後間もなく母とも生き別れ、父の最期を知らずに育った。以来ずっと父の足跡を求めてきたが、この夏、空襲の際に将校に助けられたという大阪市内の男性と会い、当時の話を聞いた。「父かどうかはわからないが様子が浮かび、ようやく心の区切りがついた」と特別な思いで14日を迎える。 (浅野友美)

 「お父さんは天国で見守ってくれてますよ」。慰霊塔が立つJR京橋駅南口(大阪市城東区)で先月27日、半田さんは近くに住む高原秀夫さん(83)からそう言葉をかけられ、涙ぐんだ。

 戦時中、半田さんは両親と2歳下の妹と同市旭区に住んだ。父・佐藤武さんは将校として大阪砲兵工廠こうしょうに勤務。写真とクラシックが趣味だった。半田さんが幼い頃、川で流されかけ、父が助けてくれた記憶もあるが、思い出は断片的だ。

 「お父さんは砲兵工廠で亡くなった」。そう聞かされた以外、何もわからず、1945年9月には栃木県の父の実家へ。その後、母と妹は母方の実家に移った。

 家族で一人きりになり「私はこういう宿命」と割り切ることもあったが、父の実家には、父が撮った幼い頃の自分や家族の写真が何十枚も避難させてあり、「こんなにかわいがってくれていたんだ」と感じた。幸せな時間を戦争に断ち切られた悔しさから、父のことをたどるようになった。

 妹もまた父の最期を知ろうと大阪国際平和センター(同市中央区)などに足を運んでおり、妹の様子が6年前、新聞に掲載。その記事を高原さんが見たのをきっかけに、姉妹との間につながりができた。

 高原さんは12歳の時、研修に来ていた工廠内で空襲に遭い、そばにいた将校がとっさに「防空壕ごうに入れ」と叫んでくれたお陰で生き延びた。だが爆撃音がやみ、外に出ると、3人の将校が血を流して絶命しており、その姿に大きなショックを受けた。戦後も空襲のことが頭をよぎると涙が止まらなくなり、体験をほとんど話さなかった。

 半田さんは大阪を訪れて初めて高原さんと対面。「私は全て『忍』の一文字で生きていかなくてはと、諦めたこともあった。高原さんの話を聞き、空襲の様子とともに、父の姿が浮かび、心が前向きになれた」と感謝した。

 高原さんは「家族で一番楽しい時期を奪われた半田さんのお父さんは本当に気の毒だと思う。体験を伝えることができて、私の戦後もようやく終わったような気がする」と話した。

 

 ◆京橋空襲

 1945年3月以降続いた大阪大空襲の第8次空襲。8月14日昼、大阪城東側にあった軍需工場・大阪砲兵工廠が標的となった。工廠内にいた約360人が死亡したとされる。さらに工廠北側の京橋駅にも爆弾が直撃。多数の死者、行方不明者が出た。

2016年08月14日

2314名無しさん:2016/08/23(火) 04:11:14 ID:9RJH9FfI0
間国宝の吉田文雀さんが死去 文楽人形遣い
2016年8月21日 20:22

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀(よしだ・ぶんじゃく、本名塚本和男=つかもと・かずお)さんが20日午後9時12分、心静止のため兵庫県西宮市の病院で死去した。88歳。東京都出身。葬儀・告別式は24日午前11時半から西宮市城ケ堀町1の40、公益社西宮山手会館で。喪主は長男宏(ひろし)氏。


 自前の「老女方」の首を持つ吉田文雀さん=2006年4月、大阪市の国立文楽劇場

 最後の舞台となった「花競四季寿」で、関寺小町の人形を遣う人間国宝の吉田文雀さん=2015年1月、大阪・国立文楽劇場(同劇場提供)

 1945年に文楽界に入り、50年、女形の名人として知られた三代目吉田文五郎に入門、文雀を名乗った。人間国宝の吉田簑助さんと並ぶ女形の第一人者で、他にも老人や武士など幅広い役柄を手掛けた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160821/20160821066.html

2315名無しさん:2016/08/29(月) 04:41:29 ID:rOO6C8Rk0
夏よ、さらば 晩夏恒例の「南御堂盆おどり」
2016年8月28日
 浄土真宗の開祖、親鸞の縁日にちなむ晩夏恒例の「南御堂盆おどり」が27日、大阪市中央区の真宗大谷派難波別院(南御堂)で始まり、詰め掛けた市民らが過ぎゆく夏を惜しんでいる。28日まで。


やぐらを囲み、幾重にも踊りの輪ができた境内=27日午後、大阪市中央区の難波別院

 境内が戦災から復興し、1963年に再開して今年で54回目。28日は親鸞の月命日で、前日の8月27日から法要が営まれることもあって難波別院が両日に開いている。

 境内が夕闇に包まれると、やぐらを囲んで浴衣姿の踊り手たちが一斉に手踊りを披露。「江州音頭」や「炭坑節」など全国に伝わる民踊20曲余りを、太鼓や三味線の生演奏と生歌に乗せて軽やかに踊り続けた。

 屋台が並び、「河内音頭が踊れる夏最後の祭り」(担当者)ということもあって毎年千人規模の輪でにぎわう。難波別院の宗正俊主幹(56)は「ぜひ活力にしてほしい」と来場を呼び掛けている。

 午後6時〜同9時半。問い合わせは電話06(4708)3272、難波別院。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160828/20160828025.html

2316名無しさん:2016/09/04(日) 04:42:30 ID:NXguUcI.0
くまモンもポケモンも出現? 「彦八まつり」にぎやかに 大阪・生國魂神社
「彦八まつり」のオープニングには、熊本県PRキャラクター「くまモン」(中央)も駆け付けた=3日、大阪市天王寺区
 上方落語協会(桂文枝会長)のファン感謝祭「彦八まつり」が3日、大阪市天王寺区の生國魂神社(通称・いくたまさん)で開幕した。4日まで。

 上方落語の祖、米沢彦八の功績をたたえ、同神社に顕彰碑を建立したのを機に平成3年から開催。10万人以上を動員する協会最大のイベントとして、今年で26回目を迎える。

 オープニングセレモニーでは、実行委員長で来年秋に「七代目笑福亭松喬(しょきょう)」を襲名する笑福亭三喬さんが獅子舞を披露したほか、熊本県PRキャラクターの「くまモン」も駆け付けた。

 会場では、落語家による約40の屋台やバンド演奏、奉納落語会などに大勢の落語ファンでにぎわった。会長の文枝さんは「会場には結構レアなポケモンもいます。いろいろお楽しみください」とあいさつ。

 4日は、落語家による綱引き大会や鏡開き、NHK大河ドラマ「真田丸」で千利休を演じた文枝さんによるお手前の披露などが予定されている(雨天決行)。

.http://www.sankei.com/west/news/160903/wst1609030052-n1.html

2317名無しさん:2016/09/11(日) 00:18:59 ID:puwbk0BY0
古墳の所有権移転求め提訴 大阪・藤井寺、民間から市へ
2016年9月6日 17:29
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160906/20160906075.html


 大阪府藤井寺市は6日、世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」に含まれる浄元寺山古墳(同市)の墳丘部の所有権を、民間から市に移転するよう求める訴訟を大阪地裁堺支部に起こした。


 大阪府藤井寺市にある浄元寺山古墳(左上の木立)。中央は墓山古墳

 市によると、古墳の墳丘部がある土地(約3300平方メートル)は1983年、登記名義人の孫から市に寄贈したいと申し出があり、市教育委員会が維持管理してきた。

 登記名義人と孫はすでに亡くなり、民法の規定で不動産は20年占有すると時効が発生し所有権を取得したと見なされるが、市の調査で相続人が96人いることが判明。市は所有権移転手続きのため提訴に踏み切った。認められる見通し。

2318名無しさん:2016/09/11(日) 10:00:05 ID:puwbk0BY0
USJに「純国産ホラー」登場 ハロウィーン関連イベント
2016年9月8日 19:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160908/20160908112.html

 大阪市の米映画テーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は9日から開催する秋のハロウィーン関連イベントの詳細を8日、パーク内で発表した。日本人形が待ち構える「純国産ホラー」のアトラクションが初登場。家族連れが楽しめるイベントも用意するなど趣向を凝らし、集客増を狙う。

 10日から期間中の毎日開催する「ハロウィーン・ホラー・ナイト」では10のアトラクションをそろえた。「Jホラー・エリア」にある迷路型の「祟 TATARI」では、荒廃した村を舞台に日本人形が来場者を出迎え、「心の底からわき上がるような」(担当者)恐怖体験が味わえる。

2319名無しさん:2016/09/11(日) 10:13:33 ID:puwbk0BY0
上方落語「繁昌亭」10年…138万人笑った
2016年09月11日 09時32分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160910-OYT1T50088.html?from=ytop_main9

 上方落語唯一の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区、216席)が15日、開場から10年を迎える。

 落語家が資金集めや運営に携わる全国的にも珍しい寄席で、上方では戦後初の常設小屋。ファンの裾野を広げ、累計入場者数は138万人に到達。落語家の数も約3割増加した。一方で、「第二の繁昌亭」構想を巡っては慎重論も出ている。

 ◆落語家自ら運営

 開場は2006年9月。上方落語協会会長の桂文枝さん(73)の先導で、大阪天満宮の隣接地を無償で借り受け、落語家や地元・天神橋筋商店街の商店主らが集めた寄付金で建設した。

 興行主が出演者を決める東京の寄席とは異なり、協会が運営に携わり、落語家自身がプログラムを組む。

 年間入場者数は、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」効果で、16万9800人に達した08年度をピークに頭打ち傾向とはいえ、この5年間は12万〜13万人で推移。集客では、東京・浅草の観光地にある浅草演芸ホールの約11万人(15年)に劣らない。

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2016年09月11日 09時32分

2320名無しさん:2016/09/17(土) 01:26:31 ID:F.E0k.ic0
献歌句朗詠や舞楽奉納 住吉大社で「観月祭」
2016年9月16日
 中秋の名月の15日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で「観月祭」が厳かに執り行われた。雲間から時折、月の光が差す中、献歌句の朗詠や舞楽奉納があり、多くの参拝者が情緒ある光景に見入った。



 境内では第一本宮での神事に続いて、神職らが反橋で全国から寄せられた短歌、俳句の入選作を紹介。ススキや団子が供えられた橋上から秀作の数々を朗々と詠み上げた。

 舞楽は天王寺舞楽の伝承に務める団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」の有志が奉仕し、幕開けを飾る「振鉾(えんぶ)」をはじめ勇壮華麗な所作を披露。みやびやかな雅楽の音色と相まって見守る人々を魅了した。また「住吉踊(おどり)」奉納では同保存後援会の童女らが躍動感あふれる踊りを繰り広げ、伝統行事を盛り上げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160916/20160916024.html

2321名無しさん:2016/09/17(土) 01:32:57 ID:F.E0k.ic0
大阪の繁昌亭が開業10周年 落語家が商店街でお練り
2016年9月15日 9:28

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)が15日、オープンから10周年を迎え、地元の天神橋筋商店街を落語家がにぎやかに練り歩いた。



 上方落語協会会長の桂文枝さんが「あっという間の10年間。本当にありがとうございました」とあいさつした後、赤い人力車に乗り、おはやしなどと隊列を組み繁昌亭まで約2キロをお練りした。鏡開きの後、文枝さんら出演者による記念口上を含む特別公演を開催。

 大阪の落語定席は戦後、姿を消していたが、企業や市民からの寄付で2006年に約60年ぶりに復活した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160915/20160915028.html

2322名無しさん:2016/09/22(木) 03:40:06 ID:texUiLyI0
信繁の兜や書状 真田丸展に180点…17日から
2016年09月17日Tweet
 ◇大阪歴史博物館


 NHKで放送中の大河ドラマ「真田丸」にちなんだ展覧会「2016年NHK大河ドラマ特別展『真田丸』」(読売新聞社など主催)の開会式が16日、大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開かれた。

 ドラマの主人公・真田信繁(幸村)が使っていたとされる兜(かぶと)など真田家ゆかりの品々や、信繁を「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と評した書状など国宝、重要文化財を含む計約180点を会期中に展示する。

 開会式で、同博物館の栄原永遠男館長が「信繁の第二の故郷といえる大阪に全国からゆかりの品々が集まった。楽しんでほしい」とあいさつ。テープカットに続き、内覧会が行われた。

 一般公開は17日〜11月6日(火曜日休館)。一般1300円など。問い合わせは同博物館(06・6946・5728)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160916-OYTNT50313.html

2323名無しさん:2016/09/22(木) 03:51:24 ID:texUiLyI0
枚方の「お台場」一般開放…史跡公園化
2016年09月16日Tweet
 ◇勝海舟設計、17日説明会

 国内唯一の河川砲台跡地「楠葉台場跡」(枚方市)の暫定的な史跡公園整備が終わり、枚方市は今月から一般開放を始めた。周辺は植栽が施され、当時の堀や土塁、番所の位置をしのぶことができる。明治期に消えた幻の要塞・大阪の「お台場」が復活し、17日に現地で説明会が開かれる。

 大阪から京都につながる淀川を上る外国船を大砲で攻撃する名目で、勝海舟が設計した。南側と西側の突出部に砲台3基を備え、北海道函館市の五稜郭と同じ西洋式の築城技術が採用され、1865年に完工した。ただ実際には、長州藩士ら尊皇攘夷派の京都入りを阻止する関門の役割だったとする考え方が有力という。

 戊辰戦争の舞台にもなったが、明治以降は民間に払い下げられ、田畑になっていた。京都で見つかった設計図を参考に枚方市教委が2008年から発掘調査を進め、堀や石垣の一部が出土。大坂と京都を結ぶ京街道を台場内に引き込んだ跡なども見つかった。幕末の政治、軍事状況を把握する上で重要と評価され、11年に約3・1ヘクタールが国史跡になった。

 市文化財課は「迫る山を望む景観を含めて、台場跡地を感じてほしい」としている。説明会は17日午前11時、午後1時の2回。いずれも30分程度で、集合は史跡南側。事前申し込みは不要で参加無料。問い合わせは同課(050・7105・8058)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160915-OYTNT50351.html?from=yartcl_blist

2324名無しさん:2016/09/23(金) 03:53:55 ID:YY9JakGI0
大和政権の影響及ぶ?「池田茶臼山」4世紀の前方後円墳と判明

 大阪府池田市教育委員会は22日までに、同市五月丘にある池田茶臼山古墳(4世紀半ば、古墳時代前期)が、前方後円墳であることが確定したと発表した。前方後円墳の発祥地とされる奈良盆地東南部にあったとされる大和政権の影響が、この時期には大阪府北西部に及んでいたと推定できるという。

 以前の測量調査で、前方後円墳と考えられていたが、今回の発掘で前方部と後円部との境界の「くびれ部」で葺石を見つけ、改めて前方後円墳だったことを確認した。また前方部は細長く、前期古墳に特徴的な「柄鏡式」と呼ばれるタイプだったことも分かった。円筒埴輪の破片も出土、全長は想定されていた62メートルよりも短い57メートルだった。

 市教委によると、大阪府北西部を流れる猪名川左岸で最も早く築造された首長墳の一つと考えられている。

 現地説明会は24日午後1〜3時。

http://www.sankei.com/west/news/160922/wst1609220037-n1.html

2325名無しさん:2016/09/25(日) 18:19:18 ID:MLQWHo7E0
http://mainichi.jp/ch160935223i/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3
大坂の陣 迫真ルポ 秀頼が裏切り者を城壁から突き落とす
毎日新聞2016年9月21日 21時25分(最終更新 9月23日 12時23分)

駐日オランダ人の書簡 初確認

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)について、駐日オランダ人が書き残した文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認された。国際日本文化研究センター(日文研)=京都市西京区=が21日、発表した。追い詰められた豊臣秀頼が寝返ろうとする大名を城壁から突き落としたなどと記されており、専門家は「大坂の陣の様子がうかがえる貴重な史料だ」と話している。

<まんがで解説>大坂の陣から400年 http://mainichi.jp/sumamachi/news.html?cid=20150517mul00m04000400sc

 オランダ東インド会社が日本での外交・貿易活動拠点としていた「平戸オランダ商館」の書簡で、一部は既に和訳されているが、09〜33年に書かれた約520点について日文研が現地の大学と共同で新たに調査していた。

 大坂の陣について書かれた文書は、豊臣家が滅亡した夏の陣の約1週間後、同社社員が長崎の平戸オランダ商館長あてに記していた。大坂城の落城直後、大坂などで大名の家臣や商人などから聞き取った情報を基にまとめたとみられる。「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火を付けたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ。また、その火事を消すことは不可能であったため、戦う勇気を失っていた秀頼と他の大名たちは切腹し、それによって皇帝は(中略)城を奪還した。(中略)秀頼の家臣のうち兵士やその他の者約1万人が死んだ」などと書かれている。

 大阪城天守閣(大阪市)の跡部信・主任学芸員は「秀頼の家臣が裏切ったという記述は他の文献にもあるが、城壁から落としたという記述は見たことがない。外国人の目を通した客観的な記述という点でも意味がある」と評価する。調査にあたった日文研のフレデリック・クレインス准教授(日欧交流史)は「研究を進め、更に当時の日本の様子を明らかにしたい」と話している。【宮川佐知子】

2326名無しさん:2016/09/28(水) 04:53:49 ID:HspMmVCw0
木津市場の”恩人”に感謝 篠山神社例祭
2016年9月27日
 江戸期に現在の大阪木津卸売市場(大阪市浪速区)の礎を築いた大坂代官・篠山景義の偉業をたたえる例祭が26日、同区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)境内社の篠山神社で執り行われた。多くの市場関係者や氏子衆が参列し、祭壇に手を合わせ市場の原点を顧みた。


篠山神社前で神楽を奉納するみこ=26日午前、大阪市浪速区の難波八阪神社

 当時の大坂では天神橋-天満橋にあった天満青物市場のみが幕府官許の市場だったが、木津・難波の住民が地元での青物の市場開場の公認を願い出たところ、篠山代官の尽力によって開設が認められた。生活が安定し、地域が発展したことで住民たちが篠山代官に感謝し、生き神として祭ったのが同神社の起源とされる。

 神事では粟辻宮司による祝詞奏上に続き、みこが神楽を奉納。参列者が玉串を次々と奉納した。

 大阪木津市場の桑原浩社長(55)は「毎年お参りするたび原点に戻るような気持ち。心新たにする大変意義のある例祭」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160927/20160927034.html

2327名無しさん:2016/09/29(木) 03:47:12 ID:96QpRtrQ0
よみがえる極彩色・・・加賀田神社
2016年09月24日Tweet
 ◇本殿の保存修理完了

 河内長野市加賀田にある市指定文化財「加賀田神社本殿」で、塗られていた色を復活させるため、2014年度から続いていた修理が終わり、23日、報道関係者らに公開された。本殿には、明治時代に海外から持ち込まれた青や緑の独特な顔料が使われていたことがわかり、今回の修復で鮮やかな極彩色がよみがえった。(戸田聡)

 本殿は1703年(元禄16年)の建立とされる。剥落が目立ってきたため、神社側が調査。工事時期などを記した棟札が2枚見つかり、本殿は1720年(享保5年)に彩色され、1882年(明治15年)に塗り直されたことがわかった。

 さらに、本殿の壁面に描かれていた馬や花鳥の絵には、エメラルドグリーンやプルシアンブルーなど、舶来の合成顔料が使われていることも判明。明るく派手な色合いが特徴で、当時の極彩色をとどめている建物は珍しいという。市文化財保護審議会が、現状を維持して保存することを決め、修理は3年に及んでいた。

 当時の色が残っているのは全体の3割程度で、にかわで固めるなどし、剥落を防ぐ措置を講じたという。 色が欠けていた部分は、文様を復元した上で、当時と同じ顔料で補色した。

 1882年の棟札には、「大和国宇智郡二見村(現在の奈良県五條市二見周辺)」「絵師ノ」「大西安太郎」と絵師の名前もあった。修理を担当した天野山文化遺産研究所の山内章代表理事は「二見の絵師は、奈良や和歌山の神社でも活躍したのではないか」と推測する。

 修復を終え、加賀田神社の田中義光宮司は「神社を支えてきた人たちの思いに応える機会に巡り合えて、うれしい」と話している。

 同神社では24日夜、ご神体を本殿に戻す遷座祭が行われる。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160924-OYTNT50003.html

2328名無しさん:2016/09/29(木) 04:15:11 ID:96QpRtrQ0
空襲耐えた「手水舎」修復…堺・開口神社
2016年09月28日Tweet
 ◇夏の陣で焼失・再建


 堺市堺区甲斐町東の開口(あぐち)神社で、参拝者が手などを清める「手水(てみず)舎」の修復工事が完了した。1615年の大坂夏の陣で焼失した後に再建され、歴史を刻んできたが、老朽化が進んでいた。

 同神社は約1800年前に建立されたとされ、大坂夏の陣で全焼。手水舎は江戸時代に再建され、1945年の堺空襲の被害もまぬがれた。しかし近年、屋根材の腐食で雨水が漏れ、柱の一部が欠けるなど傷みが目立つようになり、同神社が修復・保存を決めた。

 寄付などで500万円が集まり、今年3〜7月に工事を実施。使用可能な部材は残し、張り替えた屋根板などは古びた感じに着色し、違和感のないようにした。

 三上尚嘉宮司は「手水舎は長年参拝者を迎えてきたので、地元の宝として守っていきたい。よみがえった姿を見て堺の歴史に思いをはせてもらえたら」と話す。

 修復を記念し、同神社は「戦前の開口神社周辺のにぎわいについて」をテーマにした講演会を29日午後7時から開く。無料で申し込み不要。問い合わせは同神社(072・221・0171)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160927-OYTNT50288.html

2329名無しさん:2016/10/05(水) 05:01:19 ID:FMR0Woyw0
来場者を魅了 大阪天満宮で神社婚フェス
2016年10月3日
 「神社婚フェス」が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。華やかな着物やドレスに身を包んだモデルが特設のランウエーを歩き、来場者を魅了した。


ショーで華やかな和装を披露するモデルら=2日午後、大阪市北区の大阪天満宮

 大阪天満宮が神前式を身近に感じてもらおうと初めて企画した。同所では挙式と披露宴のセットが年間で350件以上、行われているという。

 イベントでは、境内に設置された特設会場の長さ6メートルほどのランウエーを、10人ほどのモデルが練り歩いた。赤色や金色の色彩豊かな色打ち掛けをはじめ、純白のウエディングドレス、かわいらしいピンク色や大人の雰囲気が漂う紺色のイブニングドレスを披露した。

 このほか、「天神天満花娘」による野だてや、津軽三味線の演奏など多彩な催しも行われ、多くの来場者が楽しんでいた。

 天満宮会館の婚礼受付担当者は「人生の節目の結婚を伝統のある神前式で行うことは魅力」と話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161003/20161003035.html

2330名無しさん:2016/10/06(木) 21:45:35 ID:PrrArDrw0
岡本太郎さん「太陽の塔」内部公開 耐震化工事を前に
更新:10/06 13:58
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161006/00000035.shtml
.
 1970年に大阪で開かれた万博のシンボル「太陽の塔」が、今月末から耐震化工事を始めるのを前に、報道陣向けに内部が公開されました。

 芸術家の岡本太郎さんがデザインした大阪万博のシンボルである「太陽の塔」。塔の内部は万博の閉会後、非公開とされてきましたが、今月末から耐震化工事が始まることになり、大阪府は6日、報道陣向けに内部の様子を公開しました。中には高さ41メートルのオブジェ「生命の樹」やマグマをイメージした壁が、当時の姿をとどめています。

 大阪府は今月末に一般向けの内覧会を予定していますが、500人の定員に対し約8万人の応募が殺到するほどの人気ぶりをみせています。太陽の塔は耐震化工事を経て2018年3月から内部が一般公開される予定です。

2331名無しさん:2016/10/10(月) 20:47:21 ID:/BY30Yd60
http://www.sankei.com/west/news/161010/wst1610100048-n1.html

 本紙「正論」欄執筆メンバーで軍事ジャーナリストの井上和彦氏と、元海軍パイロット2人によるトークライブ「大東亜戦争を語り継ぐ会」(主催・産経新聞月刊「正論」、協賛・大阪冶金興業)が10日、大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた。
 出演したのは、終戦直前の昭和19年に本土防空戦の切り札として編成された精鋭部隊「第343海軍航空隊(通称「剣部隊」)のパイロット、本田稔氏と笠井智一氏。
 井上氏は「命をかけて母国を守った2人の証言を、ぜひとも胸に納めてください」と訴えた。ラバウル航空隊などに所属し、最前線で米軍機と闘った“撃墜王”こと本田氏は、今の日本について「自信をもって自分の主張をはっきりと出してもらいたい」と話した。
 また、特攻隊の直掩任務(=敵の攻撃から特攻機を守る任務)で同期の最後の勇姿を見届けてきた“エースパイロット”こと笠井氏は、「同期も私も、日本の空を守るという気持ちしかなかった」と話した。

2332名無しさん:2016/10/15(土) 22:29:55 ID:7Xt26Bio0
片桐且元が西本願寺宗主に宛てた書状発見
更新:10/15 08:27
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161015/00000010.shtml
.
 大坂冬の陣で、徳川方の武将・片桐且元が豊臣方と近く和睦が成立すると、西本願寺の宗主に送った書状が発見されました。

 東京都内の古書店で今年6月に見つかった1枚の書状。これは、慶長19年(1614年)12月18日に大坂冬の陣で徳川方の武将として活躍した片桐且元が、西本願寺の宗主に送った手紙です。手紙には、豊臣方が徳川方に謝罪の意思を伝え和睦が進んでいることや、視察に訪れた徳川秀忠の機嫌が良かったことなどが記されています。豊臣方と友好関係にあった西本願寺が、かつて豊臣家に仕え親交のあった且元を通じて、戦況を見極めようとしたと考えられます。

「近日に和議が成るだろうという、見通しまで且元はちゃんと付けていますから、おそらく相当(徳川方は)強気な交渉をしていたんだと思われます」(本願寺史料研究所 大喜直彦上席研究員)

 書状は龍谷大学大宮図書館で今月21日まで公開されています。

2333名無しさん:2016/10/15(土) 22:52:57 ID:7Xt26Bio0
文楽人形が東京・浅草でお練り 屋外公演の成功を祈願
2016年10月14日 14:50

 組み立て式舞台で全国各地を巡り、人形浄瑠璃文楽の魅力を発信するプロジェクト「にっぽん文楽」の東京・浅草公演の開幕に先立ち、出演者らが14日、文楽人形と共に雷門から浅草寺本堂までを華やかに練り歩いた。



 文楽人形遣いの吉田和生さん、吉田玉男さんらが「お練り」に参加、本堂では今公演の成功を祈願。木やりの声と共に隊列が仲見世を練り歩くと、沿道にいた観光客らは「きれい」「かわいい」などと声を上げた。主催者によると、歌舞伎の襲名披露などで見られるお練りを、文楽で行うのは珍しいという。

 公演は日本財団の主催で、15日から18日まで浅草寺境内で開催する。


http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161014/20161014068.html

2334名無しさん:2016/10/24(月) 00:19:08 ID:fPgLDL2U0
「真田丸」展が5万人突破 大阪歴史博物館
大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開催中の「2016年NHK大河ドラマ特別展 真田丸」の入場者数が23日、5万人を突破した。

 5万人目となった兵庫県西宮市の小学3年生、寺下凉介君(9)は両親と兄の4人で来場。一家は伊藤広之副館長から図録や関連グッズなどを贈られた。

 この日の朝、一家で録画していた大河ドラマを見て、舞台となる大阪城の見学を思い立ち、併せて特別展に立ち寄ったという。凉介君は「幸村(主人公の真田信繁)が好き。賢くて強い」と照れながら話した。

 特別展は信繁ゆかりの品などを展示しており、11月6日まで。展示品は期間中に入れ替えがあり、現在は大坂の陣での信繁の勇猛な戦いぶりを「真田日本一の兵」などと評した内容を含む文書も展示されている。

.http://www.sankei.com/west/news/161023/wst1610230041-n1.html

2335名無しさん:2016/10/28(金) 08:16:43 ID:Mii5n1..0
大阪市で近代建築見学会、安藤忠雄氏設計の住宅公開
2016/10/28
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO08879490X21C16A0LDA000/

 普段立ち入れない大阪市内の近代建築76件の内部を見学できる「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2016」が11月5、6日に開かれる。今年は建築家、安藤忠雄氏の住宅作品「日本橋の家」が初公開される。

 市や企業、大学などで構成する実行委員会が開催する。

 日本橋の家は間口2.9メートルしかない細長い住宅で、2階から4階までの吹き抜けの居間が見ものだ。大阪府庁本館、中之島ダイビルを含む11件が初登場する。このイベントの先輩格で、ロンドンで1992年から建物を公開してきた「オープンハウスロンドン」の創始者、ヴィクトリア・ソーントン氏を招いたシンポジウムも6日午後4時半から開かれる。

 同イベントは14年から始まり、再開発などで失われていく大阪の貴重な近代建築を見直す契機になっている。

2336名無しさん:2016/10/30(日) 15:40:01 ID:CJM3pfe20
全国最古で最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地で秋季慰霊祭
 全国最古で最大の旧陸軍墓地として知られる「真田山旧陸軍墓地」(大阪市天王寺区)で29日、公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(理事長・吉川秀隆タカラベルモント社長)が秋季慰霊祭を開催し、多くの参列者が戦没者らに祈りをささげた。

 同墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの墓碑が5100以上あり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠っている。しかし、納骨堂の老朽化などが進み、維持・管理が課題になっている。

http://www.sankei.com/west/news/161030/wst1610300045-n1.html.

2337名無しさん:2016/11/01(火) 08:44:31 ID:9Pn9BVYE0
幸助さんが「五代目玉助」襲名へ 文楽人形遣い
2016年10月31日 20:04

 文楽協会(大阪市)などは31日、人形浄瑠璃文楽の人形遣い吉田幸助さん(50)が2018年4月に「五代目吉田玉助」を襲名すると発表した。祖父の三代目が1965年に死去して以来の復活となる。


 吉田幸助さん

 幸助さんは大阪府出身。80年に父吉田玉幸さん(2007年死去)に入門し、翌年、初舞台を踏んだ。立役を中心に活躍している。

 玉幸さんには「四代目玉助」が追贈される。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161031/20161031136.html

2338名無しさん:2016/11/02(水) 03:46:48 ID:ZT.hNErY0
願いを詰めて 住吉大社で撤下袋詰め
2016年11月1日
 15日の七五三参りを前に大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で参拝の子どもたちに渡す撤下(おさがり)の袋詰めがピークを迎えた。31日は同大社の神楽女(かぐらめ)5人が協力し、千歳あめやお守り、鉛筆などの縁起物一式を色鮮やかな袋に丁寧に詰めていった。


手際よく縁起物の袋詰めを行う神楽女=31日午前、大阪市住吉区の住吉大社

 子どもの安全な成長を祈願する儀礼である七五三。同大社によると例年の参拝者数は約6千人に上る。以前は15日前後に集中していたが近年は前倒し傾向にあり、今年も10月中に約千人がすでに参拝している。袋詰めも同月から始まり、この日で計約6千個の準備を終えた。

 神楽女の一人、永田由美さん(21)は「参拝に来られたお子さまが元気で健やかに成長していただきたい」と話していた。

 この日も着物姿の子どもらが両親や祖父母に手を引かれて続々と参拝に訪れ、境内は華やいだ雰囲気に包まれた。同大社では今年の参拝数は例年並みと見込んでいる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161101/20161101025.html

2339名無しさん:2016/11/03(木) 03:33:14 ID:YkpVs4SE0
桂三金が「三題噺」に挑戦 14日から繁昌亭
2016年11月2日
 客席からキーワードになるお題を三つもらい即興で高座の噺(はなし)を組み立てる「三題噺」に中堅の上方落語家、桂三金(45)が挑戦する。それも定席の天満天神繁昌亭で、14日から1週間連続での実施。120キロと上方落語会きっての“大型”芸人は「僕にとっても大冒険。1週間やり切って自信を付けたい」と張り切っている。


1週間連続で三題噺を披露する桂三金=大阪市北区の上方落語協会

 1夜だけの三題噺は、東京落語の三遊亭円丈など得意とする噺家は東西で何人かいるが、1週間続けるとなると“21題噺”となるだけに、過去にも例がない。

 おとうと弟子三幸とともに三金が登場し、場内からお題を次々と上げてもらい、その中から拍手の数で三つ選んでもらい、いったん退席。楽屋で推考した上で、上方落語で最後を指すトリの直前に当たるモタレで再び登場し、三つのお題を巧みに盛り込んだ落語を披露する。

 関大出身で金融機関勤務の経験もある三金は、古典以外の創作落語もこなすが、「三題噺となると既存のネタにかぶせてばかりでは無理。新たな創作落語にならざるを得ないと思う。創作は文枝師匠からみっちり基礎を学んでおり、思わぬ発想の展開でネタが増えれば」と前向きな姿勢。

 繁昌亭運営委員長の笑福亭松枝は「三題噺から生まれた名作に財布が元になった芝浜があるが、他にも卵酒が出てくる鰍沢(かじかざわ)などが有名。今回は即興といっても時間があるので、キチッとサゲのあるネタにしてもらいたい」と注文。繁昌亭の恩田雅和支配人は「三題噺は手間暇が掛かり昼席ではなかなか掛けることができないため、1週間連続は実にユニーク。お客さんには即興噺が持つ面白さや完成度を楽しんでもらえれば」と期待している。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161102/20161102034.html

2340名無しさん:2016/11/05(土) 04:28:03 ID:nsYbrJ2g0
南陽が「玉田派」復活 25日、国立文楽で襲名興行
2016年11月3日
 約1世紀ぶりに上方講談の名門・玉田派の名跡を復活させる上方講談師、旭堂南陽(39)が25日、日本橋・国立文楽劇場で襲名記念興行を行う。


襲名あいさつに配っている玉田派の家紋が入った扇子と手ぬぐいを示す旭堂南陽=大阪市北区の大阪日日新聞

 南陽は大阪市大法学部出身で留学経験も長く、英語や中国語など日本語以外で7カ国語を操る異色の存在。今春4代目玉田玉秀斎の襲名が決定し、同じ4代目旭堂南陵門下の小二三改め5代目小南陵と共にダブル襲名披露となる。

 当日は両名がそれぞれ1席ずつ語った後、落語家・桂米団治の司会で、東京講談の一龍斎貞水と神田松鯉をはじめ、2人の師匠南陵、落語家の桂文枝と桂春之輔がそれぞれ口上を述べる。ゲストコーナーではザ・ぼんちの里見まさとと歌手のBOROが歌を披露。南陽と日ごろからジャズ講談で競演しているジャズメン4人が集まっておなじみの曲を奏でる。襲名する両名の後輩となる南陵一門の南啓ら講談師6人が集まって真田幸村の立体講談を演じるのも見もの。

 南陽は「長年慣れ親しんだ旭堂の名前から離れるのは寂しい。由緒ある玉田派では家紋も“亀甲に柊(ひいらぎ)”と珍しい物に変わる。まず玉田の名前を広げるために高座を続け、東西のお客さまに応援していただけるよう頑張る。玉田派の代名詞である神道講談と立川文庫物に力を入れ、私がずっと取り組んできた音楽とのコラボも続け、独自性を少しずつ発揮していきたい」と抱負を述べた。

 25日午後6時半開演。入場料4500円(前売り4千円)。問い合わせはMC企画、06(7777)6680。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161103/20161103035.html

2341名無しさん:2016/11/06(日) 14:09:09 ID:htgyxG4w0
勇壮な姿、見物客歓声 地車in大阪城
2016年11月6日
 大阪市内外の多くの地車(だんじり)が一堂に集まる「地車in大阪城2016」(同実行委員会主催)が5日、大阪市中央区の大阪城公園内の太陽の広場で始まった。初日は15台が公園内のコースを巡行し、太鼓に合わせて練り歩く勇壮な姿に見物客から歓声が上がった。最終日の6日は計31台が大規模な巡行を行う。


地車を引いて練り歩く引き手たち=5日午前、大阪市中央区の大阪城公園

 同実行委によると、地車囃子(ばやし)は元々、大坂城築城の際に工事を円滑に進めるための音頭だったと言われているという。“地車の聖地”の大阪城で、歴史のある地車の魅力をアピールしようと、2011年から毎年開催。今年は大阪市城東区を中心に、東大阪市や大東市など計6市から過去最多の計31台が参加し、江戸時代に製作された地車もある。

 この日は15台が巡行し、1台あたり100〜200人の引き手が、高さ3〜4メートル、重さ約3トンの地車を鐘や太鼓に合わせて引き、勇ましい掛け声を響かせた。地車の屋根には指揮を執る「大工方(だいくかた)」と呼ばれる男性が上がり、独特のしぐさで踊る「龍踊り」を披露して見物客を盛り上げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161106/20161106026.html

2342名無しさん:2016/11/06(日) 16:39:18 ID:htgyxG4w0
まち歩きや演奏秋空の下満喫 すみ博にぎわう
2016年11月6日
 住吉大社や帝塚山地域の魅力を発信する「すみよし博覧会(すみ博)」(同実行委員会主催)が5日、大阪市住之江区の住吉公園で始まった。秋空の下、まち歩きツアーのほか、地元中高生による音楽ステージなどが行われ、多くの参加者でにぎわった。6日まで。


住吉公園の潮掛道を演奏しながらパレードする市立墨江丘中吹奏楽部=5日午前、大阪市住之江区

 すみ博は1800年の歴史を持つ住吉大社を中心に、歴史と文化に恵まれた地域を住民に再認識してもらおうと、2008年からスタート。住民有志による実行委が運営を手掛け、今回で10回目となる。

 この日は、市立墨江丘中吹奏楽部が住吉公園の潮掛道を演奏しながらパレード。園内の特設ステージでも市立住吉中の吹奏楽部、市立住吉商業高のフォークソング部が元気な演奏を披露した。

 6日は、住吉大社反橋前で伝統芸能やダンスを披露する「住吉っさんの夕べ」をはじめ、住吉福祉会館前広場で「こどもすみ博」が行われる。

 岡本惣治実行委員長(74)は「若い人も住吉の歴史や伝統を認識してほしい。日ごろ、仕事で忙しい人もすみ博を機に足元を見てもらいたい」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161106/20161106028.html

2343名無しさん:2016/11/08(火) 04:41:11 ID:yolut8GA0
【亀岡典子の恋する伝芸】
人形遣いが3人とも顔を出し呼吸と力を合わせて…ど迫力の文楽「勧進帳」
(1/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
客席に設けられた花道での弁慶の豪快な引っ込み=大阪市中央区の国立文楽劇場(提供・国立文楽劇場)
「勧進帳」は歌舞伎の方がいいと思っていたが…

 大阪・国立文楽劇場の文楽公演でいま、「勧進帳」が上演されている(11月20日まで)。ご存じ、兄の源頼朝と不仲になった源義経が、家来の弁慶らと供に奥州へ落ちてゆくときの物語だ。

 山伏と強力に姿を変えた一行だが、途中の安宅の関(現在の石川県小松市)で、関守の富樫に見とがめられる。弁慶はとっさの機転で白紙の巻物を勧進帳のように読み上げ、さらに怪しむ富樫の前で義経をさんざんに打ち据える。その行動に、真実を悟った富樫だが、弁慶の主君を思う情に心うたれ、関所を通すのであった-。

 能の「安宅」をもとに、歌舞伎の「勧進帳」が作られ、その後、文楽では明治28年、二代豊澤団平の作曲により、「鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)」のタイトルで初演された。

 正直に言おう。文楽の「勧進帳」は、これまであまりおもしろいと思わなかった。どうしても、人間が演じる歌舞伎の方が、弁慶と富樫の丁々発止のやりとりなど、迫力と緊迫感があるように感じていたのだ。

 最後の飛び六方にしても、弁慶役者が力を振り絞って稲妻のように花道を引っ込む姿に息をのんだものだ。

 もちろん、文楽の「勧進帳」も、義太夫節の力強さや、人形ならではの動きの迫力もある。それでも、やっぱり、この作品は歌舞伎の方がいいなあ、なんて思っていた。
http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n1.html

2344名無しさん:2016/11/08(火) 04:46:08 ID:yolut8GA0
(2/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
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客席に設けられた花道での弁慶の豪快な引っ込み=大阪市中央区の国立文楽劇場(提供・国立文楽劇場)
大の男が3人がかりで遣うからこその臨場感と迫力

 ところが今回、認識が変わった。平成13年以来、実に15年ぶりに花道を客席に設けて上演された「勧進帳」に興奮したのだ。

 なぜなんだろう。

 文楽人形は主遣い、左遣い、足遣いの3人が呼吸と力を合わせ一体の人形を遣うスタイルで、通常は主遣いだけが顔を出し、左遣いと足遣いは頭巾で顔を隠している。ところが今回は、3人とも顔を出して遣っていた。これは珍しい。しかも、客席を縦断する花道まで設置されている。

 この花道を、主遣いの吉田玉男さん、左遣いの吉田玉佳さん、足遣いの吉田玉路さんの3人の人形遣いが呼吸を合わせ、弁慶の人形を遣って飛び去っていった。座席が花道の近くだったので至近距離で見たが、3人とも額から汗がしたたり、ハア、ハアという荒い息まで聞こえ、驚くほどの迫力だった。

 文楽人形をなぜ、3人もの男性が遣うのか、わかった気がした。もちろん、人間よりも細かい動きや繊細な心理を表現するのに必要だろう。でも、それだけではない。大の男が3人がかりで遣うからこそ、臨場感や迫力が生まれる。人間の感情をまるごと表現するのだから、これくらいのパワーがないと、見る人の心にまで届かないのであろう。

http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n2.html

2345名無しさん:2016/11/08(火) 04:49:25 ID:yolut8GA0
(3/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
動く度にビュンと風圧が

 そういえば、以前、人形の動きを、すぐ横で見せてもらったことがあった。一番驚いたのは、風圧。人形と3人の人形遣いが動く度にビュンと風が起こるのだ。次いで足遣いが床をドンと踏みならす「足拍子」の音が、こちらの体の芯にまで響く。「文楽人形ってすごい」と、いまさらながら驚嘆したものである。

 今月の文楽公演では、19年ぶりに、「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」より「志渡寺(しどうじ)の段」も上演されている。この作品も一度見たら忘れられない一種、異様な気配に満ちている。この曲を勤めている文楽三味線の鶴澤清介さんは「義太夫節は熱と力でお客さんを異次元に連れていく芸」と言っていたが、こういう曲を聞いていると、なるほど、と納得できるのである。

 日本の古典芸能を、静かでゆったりして退屈と、先入観を持っている人にぜひ見ていただきたいと思う。認識が覆されるに違いない。


http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n3.html

2346名無しさん:2016/11/09(水) 12:40:53 ID:qyBlkDVA0
東大阪の「樟徳館」、4年に一度の一般公開へ 「あさが来た」のロケにも
2016年11月08日
http://higashiosaka.keizai.biz/headline/367/

 樟蔭学園は11月12日・13日の2日間、同学園が保有する登録有形文化財「樟徳館(しょうとくかん)」(東大阪市菱屋西2)を一般公開する。

 同学園の創立者・森平蔵は1875(明治8)年に兵庫県で生まれ、16歳で大阪市内の木材商に見習い奉公に入り、26歳で独立開業。独立後は木材販売や植林業で成功を収め、木材を運搬する船舶に着目して汽船会社を設立した。大正初期の大阪では商家の子女を中心に教育に対する意識が高まっていたが、学校数が不足しており、平蔵は私財を投じて高等女学校設立することを決意。1917(大正6)年に設置認可を受け、翌1918年に樟蔭高等女学校を開校した。

 同館は、帝国キネマ映画長瀬撮影所の跡地を入手した平蔵が、構想を含め1939(昭和14)年の完成まで7年の歳月をかけて建築した私邸。大阪有数の材木商だった平蔵は、現在では入手困難な銘木を日本中から集め、原木から製材するための専用の製材所を隣地に設けるなど材木にこだわり、「関西で最高の松普請」といわれる大正モダンの香り漂う住居を築いた。建物は平蔵が1960(昭和35)年に亡くなった後、遺志により同学園に寄贈され「樟徳館」と名付けられた。

 建築面積1305平方メートルの建物は、外観は純和風、内観は和洋折衷の装飾が施されているのが特徴で、応接室は天井に大きなクスノキの一枚板、壁には西陣綴(つづ)れ織のクロス、曲線を用いた火灯(花頭)窓など、当時の最高技術が集結。2000年には「造形の規範となり、再現が容易でないもの」として、母屋・土蔵・鎮守社・門・東塀・南塀の6点が国の登録有形文化財に登録された。現在では、NHK連続テレビ小説「あさが来た」や「カーネーション」など、ドラマの撮影にも使われている。

 過去の一般公開時は、地域の人や建築関係者、建築に関心のある学生など、2日間で約2000人が来場した。一般公開する2日間には「樟徳館の魅力」と題し、同学園監事の藤原準二さんが解説する説明会を、各日11時からと13時からの2回行う。

 同学園スタッフは「木造2階建ての関西最高の松普請。今では入手困難な材木や、今ではできない技法を使った建築美を肌で感じていただけたら」と話す。

 開催時間は11時〜16時(受付は15時まで)。入場無料

2347名無しさん:2016/11/10(木) 18:51:54 ID:H4T.a/uA0
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e3%81%ae%e9%99%a3%ef%bd%a4%e8%b1%8a%e8%87%a3%e6%96%b9%ef%bd%a2%e7%9c%9f%e3%81%ae%e6%95%97%e5%9b%a0%ef%bd%a3%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%8b-%ef%bd%a2%e5%9f%8b%e3%82%81%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a0%80%ef%bd%a3%e3%82%88%e3%82%8a%e8%87%b4%e5%91%bd%e7%9a%84%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%bc%b1%e7%82%b9%e3%81%af%ef%bc%9f/ar-AAk6G2Y?ocid=spartandhp

大坂の陣、豊臣方「真の敗因」は何だったのか 「埋められた堀」より致命的だった弱点は?

「徳川vs豊臣」が激突した最後の戦いであり、戦国の世に終止符を打った「大坂の陣」。その戦いで豊臣秀頼は徳川家康に敗北するが、「その敗因」はいったい何だったのか。

(言い古された内容のため中略)

 このように、大坂の陣では、「城の堀を埋められたこと」が、豊臣秀頼が負けた「最大の理由」とされています。しかし、本当にそれだけだったのでしょうか。
 今回は、大坂の陣における「本当の敗因」について解説します。
 今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
豊臣家が滅亡した「大坂の陣」とは?
 Q1. そもそも「大坂の陣」とはどんな戦いですか?
 江戸時代初期、大坂城で行われた2つの戦いの総称です。それぞれを「大坂冬の陣(1614年11〜12月)」「大坂夏の陣(1615年4〜5月)」と呼んでいます。
 「関ヶ原の戦い」に勝利し、江戸に幕府を開いた徳川家康が「天下統一最後の総仕上げ」として、幕府にとって最も脅威だった豊臣家をこの戦いで攻め滅ぼしました。ちなみに、「大阪」は明治までは「大坂」と表記されます。
 Q2.「大坂の陣」はなぜ起きたのですか?
 「豊臣秀頼が徳川家康への臣従を断固拒否した」からです。
 徳川家康は当初、孫娘の千姫(せんひめ)を豊臣秀頼に嫁がせるなど「融和的に」豊臣家を幕府の傘下に組み込もうと考えていました。
 しかし、豊臣家では、豊臣秀頼の母「淀殿」やそれを支持する反徳川の強硬派が実権を握り、あくまで幕府への臣従を拒否しつづけました。そのため、徳川家康が「強硬手段」に出て、大坂の陣に発展したとされています。
 Q3. 戦いの発端は「方広寺の鐘銘」と言われていますよね?
 そうです。1614年7月、豊臣家が再建した京都の方広寺の鐘の銘文に、「徳川家康を呪った」とする「国家安康」「君臣豊楽」の記述が見つかり、これがもとで「大坂の陣」が勃発したとされています。
 しかし、実際のところ、鐘自体はそれ以前の4月に完成が周知されており、「家康の言いがかり」と言われても仕方ありません。
 実際、徳川家康は2月頃からイギリスに大砲や火薬の手配を打診するなど、戦いの準備を着々と進めていました。
 Q4.諸大名が豊臣秀頼に味方しなかった理由は?
 「すでに幕府の世襲制が確立し、徳川の世となっていた」からです。
 1600年の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は1603年に将軍になり幕府を開きますが、2年後には将軍職を子の徳川秀忠に譲ってしまいました。これは、大名たちに対して、「これからも徳川の世が続く」ことをアピールするものでもありました。
 しかもこのころ、すでに全国の諸大名は江戸幕府の体制下に組み込まれ、徳川に従うことで領地を安堵された形になっていました。新たな主君は徳川家康であり、「豊臣秀頼に従う理由」は何もなかったのです。
 Q5. では、「戦いの敗因」は何なのでしょう?
 一般的には、「大坂城の“外堀”も“内堀”も埋められたから」といわれています。もちろん、それは間違いではありませんが、こうした状況を招いた「本当の敗因」がほかにあったように思います。
 「大坂の陣」で、豊臣秀頼はなぜ敗れたのか。それを探っていくと、引き分けとなった「冬の陣」の時点で、すでに豊臣秀頼の勝利は難しかったことが見えてきます。
こうして大坂城の堀は失われた

2348名無しさん:2016/11/10(木) 18:57:50 ID:H4T.a/uA0
 【敗因1】そもそも豊臣家が孤立していた
 大坂の陣では、豊臣秀頼の呼びかけに対し、これに呼応して10万もの牢人が集まりました。しかし、秀頼に味方した「大名」は皆無です。
 そのころ、時代はすでに「徳川の世」。豊臣秀吉に仕えて天下統一を支えた大名たちも、関ヶ原の戦いのときから徳川方についたり、豊臣方として戦って敗れたりして、多くは亡くなっていました。
 「いまさら豊臣家を支えよう」という大名はいなかったわけです。
 【敗因2】大半が牢人で「優秀な指揮官」が不足していた
 【敗因1】でも述べたように、大坂方の10万の将兵は「牢人」で、「現役の大名」はいませんでした。
 そのため、真田幸村や長宗我部盛親といった一部の武将や元大名を除き、牢人たちを統率する「大軍の用兵」に長けた「優秀な指揮官」が圧倒的に不足していたのです。
 【敗因3】安易に籠城してしまった
 大坂城での籠城策も、大坂の陣の大きな敗因のひとつです。
 「大坂冬の陣」では、本来なら十分な兵力と地の利を生かし、大坂への敵の侵入を阻止する戦いも展開できたはずでした。ここである程度、敵に損害を与えていれば、その後の形勢は変わっていた可能性もあります。
 しかし、秀頼軍は「牢人」主体だったために思うような作戦行動がとれず、早々に大坂城の堅固な守りに頼った「籠城」に踏み切るしかありませんでした。
 【敗因4】「有利な和睦」を提示できなかった
 約1カ月におよぶ籠城のあいだ、「真田丸」での真田幸村の奮戦などがあったものの、戦いは膠着状態が続きます。兵糧、弾薬も減り、冬の厳しい寒さも近づいていたため、家康は秀頼に「和睦」を提案しました。
 この時点で、秀頼が敵の包囲にある程度のダメージを与えていれば、家康から主導権を奪い、豊臣方に「有利な交渉」ができた可能性も十分あります。
 しかし、秀頼は「目先の和平」を急ぎ、城の守りで最も重要な「堀を埋める」という不利な講和条件を受け入れてしまったため、「夏の陣」の悲劇を招くことになりました。
 Q6. なぜ秀頼は「この程度の戦い方しかできなかった」のですか?
 そこが今回のテーマにおける根本的な理由、つまり「本当の敗因」です。
 では、大坂の陣の「本当の敗因」とは何か? それはズバリ、豊臣秀頼の「遅すぎた誕生」です。
 【敗因5】豊臣秀頼の誕生が遅すぎて、秀吉から学べなかった
 豊臣秀頼は「太閤秀吉」の晩年の子で、生まれたときに秀吉はすでに57歳。後継者として生まれながらも、5歳で父を失いました。そのため、彼は偉大な天下人である父の「数々のノウハウ」を受け継ぐことができなかったのです。
 豊臣秀吉は「ひとたらし」の名人ですが、こうした狡猾な「①人心掌握術」を身近で見て学ぶ機会も、秀頼にはありませんでした。
 また、「②戦いのやり方」を知るチャンスもなく、「大坂の陣」を迎えるまでの秀頼の戦歴はゼロ。対して、家康は言うまでもなく「歴戦の猛者」で、実力、経験ともにその差は歴然でした。
 そして、父秀吉には、竹中重治(半兵衛)、黒田如水(官兵衛)といった「優秀なブレーン」に加えて、加藤清正、福島正則といった「子飼い」の武将たちが両腕としてついていましたが、秀頼はそうした「③優秀な人材」に恵まれませんでした。さらに、母「淀殿」の強い影響により、自由に意思決定ができなかったともいわれています。
 「①人心掌握術」「②戦いのやり方」「③優秀な人材」その3つを父秀吉から生前に継承できなかったことが、豊臣秀頼の大坂の陣における「本当の敗因」ではないかと思います。

2349名無しさん:2016/11/10(木) 19:01:52 ID:H4T.a/uA0
「天下の豊臣家の誇り」を守り、滅んでいった
 大坂の陣より少し前、徳川家康は、成人した豊臣秀頼に京都の二条城で対面しました。そのとき家康は、想像以上に立派に成長し、威厳に満ちた秀頼の武者ぶりに「強い脅威」を抱き、これが「後に大坂を攻める遠因」になったともいわれています。
 この会見では、加藤清正が陪臣として秀頼に従い、何かの場合には「家康と刺し違える」覚悟を見せたという話は有名です。こうした豊臣恩顧の武将たちの存在も、家康には脅威だったのかもしれません。
 秀吉の死後、豊臣家は徳川家康の台頭によって「没落の一途」をたどっていました。成長期の豊臣秀頼が目にしていたのは、家族や家臣たちが日々この屈辱にじっと耐え忍ぶ姿です。
 やがて大人になった秀頼は「彼らの思い」を背負い、宿敵家康に反旗を翻します。それが絶望的な戦いであることを知りつつ、最後まで家康に屈することなく戦い抜きました。
 そこまでして彼が守ろうとしたものは何か、それは父が築き天下にその名をとどろかせた「豊臣家としての強い誇り」にほかなりません。もし、父親譲りの資質をもった秀頼が、さらに経験と知識を父秀吉から継承できていれば、その後の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
 このように「過去の日本史の中にある経験や知識」は、「組織の永続」を考えるうえで、あるいは「ビジネスパーソンが生き抜く処世術」を身につけるうえで、大いに参考になるものです。
 過去の偉人たちの「成功と失敗」に学ぶことで、ぜひビジネス、そして人生の勝者になってください。

秀次を温存しとけば関ケ原すらなかったとか、真田昌幸が存命中に陣が起きてりゃ九度山で練った策が採用され第2の楠木正成になってた・・

2350名無しさん:2016/11/10(木) 21:22:42 ID:XwuuWezs0
二十五菩薩画が完成 区在住画家、谷さん奉納
2016年11月10日
 信仰の証しとして菩薩(ぼさつ)画を奉納し続けている大阪市平野区在住の画家が「二十五菩薩」の全25体を完成させた。足掛け10年で仕上げ、参詣者の「心のよりどころになれば」と充実感をにじませている。


内覧会の開幕を前にテープカットに臨んだ関係者ら

 奉納したのは、市立デザイン教育研究所教授などを務めた谷守さん(81)。区内の大念仏寺(平野上町1丁目)には、臨終に際して仏や菩薩が迎えに来る「来迎」を表す「万部おねり」という儀礼が伝わり、祭りで登場するのが二十五菩薩だ。

 谷さんが今回描いたのは「日照王」「大自在王」「華厳王」「薬王」の4菩薩。全作品ともアクリル画で荘厳な姿を描き、点描で金色の光沢を綿密に表現した。

 同寺は法要に合わせて2、3の両日に内覧会を開き、2日は同寺の吉村※英前宗務総長や平野区の稲嶺一夫区長らが出席してテープカットも行われた。一時は肺を患ったものの復帰し、二十五菩薩を完成させた谷さんは「ほっとした半面、寂しさもある」としみじみ話した。

 奉納式典は来春あらためて開かれる予定。

※は日ヘンに章
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161110/20161110031.html

2351undefined:2016/11/11(金) 04:48:27 ID:XwuuWezs0
四天王寺 強力な新顔 「四天王」お守り追加
2016年11月10日
 聖徳太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の数ある授与品に「四天王のお守り」(1500円)が加わった。寺の名前や地名として親しまれながら「ありそうでなかった」と好評で、太子とともに四天王が再認識されている。


4面に仏法の守護神「四天王」が刻印されたお守り

聖徳太子の一生を描いた「聖徳太子絵伝」。四天王像を刻み戦勝祈願する太子の姿が描かれている=大阪市天王寺区の四天王寺・絵堂

 現代では“トップ4”の意味で多用される四天王。本来は仏法の守護神であり、持国天、増長天、広目天、多聞天からなる。

■創建の原点
 日本書紀が伝える崇仏派の蘇我馬子勢と排仏派の物部守屋勢の衝突では、若き太子が蘇我勢として参戦し、不利な戦況を打破しようと四天王の像を彫って勝利を祈願。「勝利したら四天王を安置する寺院を建立し、世の人々を救済する」との誓いを果たし、四天王寺を建立したとされる。

 建立の経緯を含む太子の足跡は「聖徳太子絵伝」として描かれ、境内・聖霊院絵堂(1983年再建)に奉納。太子月命日の22日に公開されている。2014年春からは、22年に迎える年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌(ごせいき)」事業の一環として春と秋に特別御開扉も実施。同寺僧侶が1日数回行う「絵解きと法話」が評判となり、期間中は参詣者が続々と足を運んでいる。

■信心復活 
 絵伝の重要場面に登場し、ひときわ注目を集める四天王。関連の授与品としてはお札があるが、お守りについての問い合わせも寄せられるようになり、約1年半前に製作を企画した。

 高級工芸品の素材に用いられるナツメ材(全長約5・5センチ、1・5センチ角)の4面に四天王それぞれの全身を彫刻。微細な線も鮮明に表現し、底面には職員が手作業で「四天王寺」の焼き印を入れて仕上げている。お守りを手にした参詣者は「ほどよい大きさ」「いつも身に着けられる」と歓迎する。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「信心の復活も『1400年御聖忌』の大きなテーマ。現代人に苦しいときこそ神仏への信仰の心を取り戻してもらい、次なる1500年に向かいたい」と話している。

   ◇   ◇  

 四天王のお守りは六時堂、金堂、英霊堂、太子殿、庚申堂で販売。問い合わせは電話06(6771)0066。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161110/20161110027.html

2352名無しさん:2016/11/11(金) 12:35:28 ID:qyBlkDVA0
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」 大阪・四天王寺の境内で絆伝える記念碑除幕
2016.11.11
http://www.sankei.com/region/news/161111/rgn1611110070-n1.html

 「信州名物の野沢菜のルーツは天王寺蕪(かぶら)」という由来を記した「野沢菜伝来記念碑」が10日、大阪市天王寺区の四天王寺境内に建立された。野沢菜は、江戸時代、野沢村(現・長野県野沢温泉村)の僧侶が京都への遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種が先祖とされており、除幕式には関係者ら約60人が出席し、新たなシンボルの誕生を祝った。

 高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑が設置されたのは五重塔や金堂のある中心伽藍(がらん)の東側。記念碑には「野沢菜原種旅の起点」と刻まれ、野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されている。

 野沢菜は宝暦6(1756)年、同村にある健命寺の晃天園瑞住職が修行先で天王寺蕪の味に感動し、持ち帰ったのが栽培の始まりと伝えられている。

 一方、天王寺付近が発祥の地とされる天王寺蕪は、与謝蕪村が「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだほど全国にその名を知られ、多くの人に好まれたが、明治後期に虫の被害などで姿を消した。

 平成13年ごろ、天王寺蕪の普及を目指す「天王寺蕪の会」の関係者が野沢菜の言い伝えを知り、野沢温泉村を訪ねたのが交流のきっかけ。以来、野沢菜が伝わった道を歩いてたどる「野沢菜伝来の街道(みち)ウォーキング」に参加したり、地元で開かれる“蕪主総会”に出席したりして交流を続けてきた。

 記念碑は今年、同村が村制施行60周年に当たることから「後世にこのつながりを伝えたい」と記念事業の一環として企画された。

 野沢温泉村の富井俊雄村長(66)は「野沢菜を通して長野と大阪の絆を強めていきたい」と話している。

2353undefined:2016/11/12(土) 05:16:51 ID:W7GBlhxs0
寺跡の石、継体天皇?の棺材…市民の通報で発見
2016年11月11日Tweet
寺院跡に立っていた石材(今年10月、大阪府高槻市で)=今城塚古代歴史館提供高槻・今城塚古墳近く

 継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)近くの寺院跡に立っていた石材が、同古墳に納められた石棺の一部とみられることがわかり、同市立今城塚古代歴史館が10日発表した。長年にわたって集落の石橋として使われていたが、市民からの連絡で史料の「発見」につながった。

 石材は長さ1・1メートル、幅66センチ、厚さ25センチで、重さ250キロ・グラム。周辺で既に出土した数百点の破片から、古墳には熊本県宇土市産の「阿蘇ピンク石」を使った約7トンの石棺があったと推定され、石材は材質からその一部とみられる。天皇やその近親者が埋葬されていた可能性が高いという。

 地元の伝承によると、1596年の伏見地震後、崩れた墳丘から地元住民が石棺材を搬出し、集落の共同井戸を渡す石橋として使用。滑ってけがをする人が増えたため、たたりを恐れた住民が1960年頃から、古墳から約1キロ離れた「観音寺」でまつったが、2年前に寺が閉鎖され、更地に放置されていた。

 ところが今年7月、NPO法人「高槻市文化財スタッフの会」のメンバーがガイドとして古墳の関係先を巡った際、寺院跡の石材が石棺の材質に似ていることに気づき、連絡を受けた同館が調査にあたっていた。

 鑑定した和田晴吾・立命館大名誉教授(考古学)は「見つかった部材としては最大。納められた人物や石棺の大きさなどの実態に迫る発見だ」と話している。

 石材は今月12日から同館で展示される。問い合わせは同館(072・682・0820)。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20161111-OYO1T50004.html?from=oyartcl_blist

2354undefined:2016/11/19(土) 21:49:40 ID:D7hqDY6w0
「真田丸」は要害堅固…彦根藩「井伊氏家伝書」と書状が語る実録大坂冬の陣
(1/2ページ) .
手傷を負った井伊家家老、木俣守安への見舞い状(彦根城博物館提供)
 徳川家と豊臣家が戦った慶長19(1614)年の大坂冬の陣で、豊臣方の真田信繁(幸村)がこもった「真田丸」の攻略に参加した彦根藩の激戦の様子が分かる史料が彦根城博物館(滋賀県彦根市金亀町)で初公開される。彦根方が果敢に攻めたものの撃退された激戦のがうかがえる内容という。

 史料は、負傷した彦根藩の武将、木俣守安をかつての同僚がねぎらった書状「庵原三郎右衛門書状」と、木俣の子孫がまとめたとされる「井伊氏家伝書」。同市教委が木俣の子孫から入手していた。

 「井伊氏家伝書」は、彦根藩が福井藩と先陣を争い、真田丸の空堀まで進んだが反撃を受けて退却、100人強の死傷者を出し、木俣自身も負傷したと記している。同博物館によると、木俣は命令を受ける前に出撃する「勇み足」だったが、勇猛な先鋒隊としての面目を保ったとして幕府からたたえられたという。

 また「庵原三郎右衛門書状」は、木俣と彦根藩の同僚だった庵原三郎右衛門が書き送った。日付は木俣の負傷から約1カ月後の慶長20年1月5日。「(真田丸の堀まで突き進んだ)手柄は将軍(徳川秀忠)もお喜びで、みんなもほめている。傷を治して復帰を」などと励ましている。

http://www.sankei.com/west/news/161026/wst1610260016-n1.html

2355undefined:2016/11/19(土) 21:55:26 ID:D7hqDY6w0
(2/2ページ) .
 同博物館学芸史料課の渡辺恒一課長は「真田丸での彦根藩の戦いが分かる貴重な史料。敗れたが、将軍から評価され喜んでいたことが分かる」と話している。

 書状と井伊氏家伝書は、同博物館で開催中の「井伊家と大阪の陣」で12月1日から公開される。

http://www.sankei.com/west/news/161026/wst1610260016-n2.html

2356undefined:2016/11/19(土) 22:10:10 ID:D7hqDY6w0
後藤又兵衛討ち死に報告 豊臣秀頼に、書き付け発見
2016年11月17日 11:32

 岡山県立博物館は17日、徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)で豊臣側の「五人衆」として戦った後藤又兵衛が討ち死にしたことを、配下の武士が豊臣秀頼に報告した書き付けが、京都府内で見つかったと発表した。


 大坂の陣で後藤又兵衛が討ち死にしたことを、配下の武士が豊臣秀頼に報告した書き付け

 同館によると、腰に重傷を負った又兵衛は配下の武士に自身の首を討たせていたが、書き付けでは、その際に秀頼から授かった脇差し「行光」を使っていたことが初めて分かったという。

 書き付けは縦27・4センチ、横35センチ。又兵衛の下で戦い、秀頼に又兵衛の討ち死にを報告したとみられる金万平右衛門の子孫宅で見つかった。25日から同館で展示する。


http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161117/20161117050.html

2357undefined:2016/11/20(日) 12:16:34 ID:ZdFP/CpA0
初代大坂城「秀吉の石垣」を限定公開
更新:11/20 01:05
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161120/00000001.shtml

 豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣が19日、一般公開されました。

 地下約7メートル。地上から覗き込む形で見ることができるのは、豊臣秀吉が天下統一の拠点とした初代大坂城の石垣です。今の大阪城の真下に埋まっていて1959年に見つかりました。大阪市は普段、安全のため非公開としていますが、より多くの人にその存在を知ってもらおうと1日限定で公開しました。

 「何百年も昔のものだから、めったに見れないので、すごいと思いました」(見学者)

 「400年の歴史がこの7メートルに重なったのかと」(見学者)

 大阪市は2019年度には石垣を地下から見学できる施設を完成させる予定です。〆

2358undefined:2016/11/20(日) 14:07:48 ID:ZdFP/CpA0
泉州の魅力を語る 「村上海賊の娘」題材にシンポ
2016年11月20日
 ベストセラー歴史小説「村上海賊の娘」を題材に泉州弁について語り合うシンポジウム「泉州弁で考える」(泉州観光プロモーション協議会主催)が泉佐野市で開催された。著者の和田竜さんがパネリストの一人として登場し、約300人の参加者に泉州弁や泉州人の魅力について語った。


「俳味という言葉がいいのではないか」と泉州人の気質を表す言葉について話す和田さん

 シンポは12日に開催され、和田さんのほか、岸和田市出身の俳優林英世さん、大阪府立大の西尾純二教授、「Meets Regional」の江弘毅編集長、同協議会会長を務める竹山修身堺市長がパネリストとして登壇。主人公が属する村上海賊の敵役である泉州の侍たちが使う泉州弁について論じた。

 和田さんは「泉州の言葉をきっちり出さないと泉州の侍たちが持っているニュアンスとか感情が伝わらない」と考え、林さんから泉州弁の指導を受けたと説明。「ああ、そらあれじょ。直政(なおま)っさんの国がド田舎やさかいじょ」と総大将を友達のように呼ぶ接し方や、「塩で食(いか)んかえ」という食べ物を薦める際の勢いのある言葉など泉州弁を使うことで「せりふとしての魅力がまったく変わる」と強調した。

 交流のあった大阪人の印象について「へんてこなやつを、へんてこなままにしといてあげる」と語り、小説の中でも堂々と敵前逃亡する味方を「面白(おもしゃ)い」と感じる泉州人を表現。「異質なものを愉快がる俳味のようなものを持っている」と指摘した。

 終了後、和田さんは「ずっと残っている歴史はその土地の人が大事に思っている。自分が昔から使っている言葉を大事に思ってもらえたら」と話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161120/20161120032.html

2359undefined:2016/11/20(日) 15:05:32 ID:ZdFP/CpA0
スター浪曲師・梅中軒鶯童全盛期の映像
2016年11月19日Tweet
梅中軒鶯童の浪曲を記録したフィルムの一場面。柔和な表情に身ぶり手ぶりを交えた口演の様子を伝える 昭和の関西浪曲界を代表する人気浪曲師・梅中軒鶯童(ばいちゅうけんおうどう)の全盛期の口演を記録したフィルムが神戸映画資料館(神戸市長田区)で見つかった。1961年にテレビ番組用に収録した時のもの。レコードなどの音源は数多く残るが、映像記録は珍しいという。(横田加奈)

 鶯童は、繊細で軽やかな節回しの「鶯童節」を確立し、30年代から戦後にかけて人気を集め、レコードも多数発売された。師弟関係を重んじる浪曲界への反発から、特定の師匠に付かずに全国を巡業。束縛を嫌い、自由を愛したその生涯は「流れ雲」のタイトルでテレビドラマ化された。

 今回見つかったのは、16ミリフィルムで撮影された毎日放送の番組「浪曲名人会」。約30分間に61年4月放送の演目「紀伊国屋文左衛門」の「戻り船」が収録されている。

 毎日放送によると、当時は撮影テープが高価だったため、放送後は上書きして再利用するケースが多く、映像はほとんど残っていないという。見つかったフィルムは、スタジオ収録の様子を映し出したモニターを撮影し、関係者がたまたま保存していたとみられる。

 「紀伊国屋文左衛門」は、江戸時代の紀州の豪商・紀伊国屋文左衛門の立志伝シリーズで、鶯童の得意ネタの一つ。「戻り船」はその1編で、江戸で大もうけした文左衛門が意気揚々と故郷・紀州に戻るまでを描いている。

 鶯童は、豪快で色気のある語りで、江戸・吉原で豪遊する文左衛門を表現。船上シーンでは、悠々とキセルを吸う所作が優美で、音楽的な「節」とせりふの「啖呵(たんか)」を絶妙な間合いで使い分けている。映像の一般公開の予定はないが、同資料館では今後、検討するという。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20161119-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

2360名無しさん:2016/11/27(日) 21:26:52 ID:/Blf72kM0
上方講談、小二三さん小南陵襲名 大阪で披露公演
2016年11月25日 21:33

 上方講談、旭堂南陵さん(67)の筆頭弟子、旭堂小二三さん(41)が五代目「旭堂小南陵」を襲名し、披露公演が25日、大阪市の国立文楽劇場で開かれた。二番弟子の旭堂南陽さん(39)の四代目「玉田玉秀斎」襲名も併せて披露された。


 襲名披露の公演をする五代目旭堂小南陵さん=25日夜、大阪市の国立文楽劇場

 小南陵は師匠の前名で、女性が襲名したのは初めて。小南陵さんは俳優として活動しながら2001年に入門し、昨年、文化庁芸術祭新人賞を受けた。玉秀斎さんも01年入門。小南陵さんは「(高座に)上がった瞬間に泣きそうになった」と感無量な様子だった。

 口上では、南陵さんや上方落語協会会長の桂文枝さん(73)らが並んだ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161125/20161125121.html

2361undefined:2016/12/01(木) 05:21:57 ID:DLqa4zxA0
堺市の履中陵陪塚に祭祀ステージ 大阪、百舌鳥古墳群の方墳で初
2016年11月30日 16:38

 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵、堺市西区)に付属する陪塚「寺山南山古墳」(方墳、5世紀初)で、祭祀を行うためのステージ状の「造り出し」が見つかり、堺市文化財課が30日、発表した。造り出しは前方後円墳に設けられることが多く、百舌鳥古墳群の方墳で確認されたのは初めて。担当者は「大王に近い人が埋葬された可能性が高まった」と説明している。


 寺山南山古墳で見つかったステージ状の「造り出し」の一部(中央上)。手前の斜面には葺石が敷かれている=堺市

 市によると、長辺約45メートル、短辺約36メートルの方墳で、墳丘は2段で築造されている。2014年3月に百舌鳥古墳群として国史跡になったことから、市が整備のため発掘したところ、古墳の東南側に造り出しが見つかった。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161130/20161130079.html

2362undefined:2016/12/01(木) 05:35:34 ID:DLqa4zxA0
後期難波宮で役所の建物群跡か 後期では初めて
(1/2ページ) .
 聖武天皇が奈良時代に造営した後期難波宮(大阪市中央区)で、役人が文書処理などの実務をした役所「官衙」とみられる建物群の跡が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。官衙跡は、飛鳥時代に完成した前期難波宮では発見されていたが、後期で確認されたのは初めて。

 調査を担当した大阪市博物館協会大阪文化財研究所の高橋工調査課長は「塀に囲まれたコンパクトな配置、簡素な構造などから官衙とみて間違いない」としている。

 発掘現場は、天皇が重要儀式や執務をした大極殿など主要建物群の西側。塀とみられる柱穴で仕切られた区域に、4棟の掘っ立て柱式建物跡が見つかり、うち二つは官衙によく見られる細長い建物だった。

 官衙跡のすぐ北側には東西に一直線に並ぶ11個の柱穴を発見。天皇が出入りするような格式の高い門を構えた「五間門区画」の一部とみられ、南北約200メートル、東西120メートル以上の大規模施設があったことも判明した。

http://www.sankei.com/west/news/161130/wst1611300069-n1.html

2363undefined:2016/12/01(木) 06:06:48 ID:DLqa4zxA0
(2/2ページ) .
 高橋課長は大規模施設について「立地や格式から宴会施設だったとする説もある」と指摘。区画内に東西約12メートル、南北約6メートルの遺構も見つかった。小規模な門を建てる際の地盤改良の痕跡か、貯水施設の可能性もあるという。

 難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年に造営した「後期」に分かれる。

 現地説明会は12月3日午後1時〜3時。

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http://www.sankei.com/west/news/161130/wst1611300069-n2.html

2364undefined:2016/12/02(金) 15:25:58 ID:.Sbw6kzo0
”鬼門エリア”一般公開開始 四天王寺
2016年12月2日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の本坊庭園「極楽浄土の庭」で1日、新たに整備された北東エリア(1450平方メートル)の一般公開が始まった。通路が大幅に延長されたほか、同寺鬼門鎮守である正一位荒陵稲荷(あらはかいなり)大明神も参拝可能となり、早くも多くの来園者が足を運んでいる。


整備を終え公開が始まった荒陵稲荷大明神=1日午後、大阪市天王寺区の四天王寺

 新たな通路は、瑠璃光の池、薬師の滝の周囲を巡るように設け、北東角にあった稲荷社を約2年かけて整備した。同寺によると、かつて境内数カ所に稲荷社と仏教の神・※枳尼(だきに)社が祭られていたとされるが、明治期の廃仏毀釈(きしゃく)や太平洋戦争末期の大阪大空襲でほぼ焼失。唯一、北東の稲荷社が残り、失われた稲荷と※枳尼をここに合祀(ごうし)した。

 現在庭園は紅葉のピークで、訪れた人々が新たなビューポイントから景色を楽しみつつ稲荷社に手を合わせている。同寺参詣課の山岡武明課長は「日本の文化で忘れられかけている鬼門を知ってもらうきっかけにもなれば」と話した。開園は午前8時半〜午後4時(年内無休)。

※は托のヘンが口
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161202/20161202025.html

2365undefined:2016/12/02(金) 15:41:00 ID:.Sbw6kzo0
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」 大阪・四天王寺の境内で絆伝える記念碑除幕
 「信州名物の野沢菜のルーツは天王寺蕪(かぶら)」という由来を記した「野沢菜伝来記念碑」が10日、大阪市天王寺区の四天王寺境内に建立された。野沢菜は、江戸時代、野沢村(現・長野県野沢温泉村)の僧侶が京都への遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種が先祖とされており、除幕式には関係者ら約60人が出席し、新たなシンボルの誕生を祝った。

 高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑が設置されたのは五重塔や金堂のある中心伽藍(がらん)の東側。記念碑には「野沢菜原種旅の起点」と刻まれ、野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されている。

 野沢菜は宝暦6(1756)年、同村にある健命寺の晃天園瑞住職が修行先で天王寺蕪の味に感動し、持ち帰ったのが栽培の始まりと伝えられている。

一方、天王寺付近が発祥の地とされる天王寺蕪は、与謝蕪村が「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだほど全国にその名を知られ、多くの人に好まれたが、明治後期に虫の被害などで姿を消した。

 平成13年ごろ、天王寺蕪の普及を目指す「天王寺蕪の会」の関係者が野沢菜の言い伝えを知り、野沢温泉村を訪ねたのが交流のきっかけ。以来、野沢菜が伝わった道を歩いてたどる「野沢菜伝来の街道(みち)ウォーキング」に参加したり、地元で開かれる“蕪主総会”に出席したりして交流を続けてきた。

 記念碑は今年、同村が村制施行60周年に当たることから「後世にこのつながりを伝えたい」と記念事業の一環として企画された。

 野沢温泉村の富井俊雄村長(66)は「野沢菜を通して長野と大阪の絆を強めていきたい」と話している。


http://www.sankei.com/region/news/161111/rgn1611110070-n1.html

2366undefined:2016/12/02(金) 22:08:47 ID:X1JY42/o0
奈良時代「役所」の建物群跡か 後期難波宮で初確認
2016年11月30日 17:36

 聖武天皇が奈良時代に造営した後期難波宮(大阪市中央区)で、役人が文書処理などの実務をした役所「官衙」とみられる建物群の跡が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。官衙跡は、飛鳥時代に完成した前期難波宮では発見されていたが、後期で確認されたのは初めて。


 後期難波宮で見つかった「官衙」とみられる建物群の跡=大阪市

 調査を担当した大阪市博物館協会大阪文化財研究所の高橋工調査課長は「塀に囲まれたコンパクトな配置、簡素な構造などから官衙とみて間違いない」としている。

 発掘現場は、天皇が重要儀式や執務をした大極殿など主要建物群の西側。塀とみられる柱穴で仕切られた区域に、4棟の掘っ立て柱式建物跡が見つかった。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161130/20161130095.html

2367undefined:2016/12/03(土) 04:37:28 ID:X1JY42/o0
【亀岡典子の恋する伝芸】
子供の頃にこんな授業があったら…国立文楽劇場近くの小学校で珍しい「文楽授業」 技芸員が指導
(1/3ページ「五条橋の段」を上演する高津小学校の児童=25日午後、大阪市中央区の高津小学校(奥清博撮影)
大阪発祥の伝統芸能通して「地元愛」高めよう

 全国でも珍しい、人形浄瑠璃文楽を授業に取り入れている小学校がある。文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪市中央区)から徒歩約5分の大阪市立高津小学校だ。十数年前から、大阪発祥の伝統芸能、文楽を通して、地域に誇りや愛情を持ってもらおうと文楽の授業がスタート。現在まで継続して行われている。

 そんな高津小学校の文楽の取り組みをより多くの人に見てもらって、文楽に親しく触れてもらおうと、11月25日、一般の観客を対象に、6年生による文楽公演「高津小学校子ども文楽〜伝統を未来へ〜」が開催された。地域の人々を中心に、たくさんの人たちが会場の体育館に集まり、小学生の懸命な演奏や舞台に、温かな拍手が送られた。

 同小学校は明治5年創立。現在の国立文楽劇場の場所に建っていたが、昭和45年、同劇場から約200メートルのところに移転した。その跡地に59年、開場したのが国立文楽劇場であった。そんな縁もあり、高津小学校では文楽を授業に取り入れるようになったのである。

 このプログラムができて2年後、取材で学校を訪れたことがある。子供たちは太夫、三味線、人形遣いの三業に分かれて一生懸命、稽古をしていたのを思い出す。

技芸員の熱血指導に子どもたちの顔も輝く

 “先生”は豊竹咲甫太夫(さきほだゆう)さん、鶴澤清馗(せいき)さん、桐竹勘十郎さんら文楽の技芸員。彼らは公演や稽古の合間を縫って学校を訪れ、熱心に子供たちを教えている。

 勘十郎さんによると、当初は授業のための人形をはじめ何もない状態だったそうで、「子供たちの稽古用にペットボトルで人形の足を手作りしたり、人形自体も作ったりしていました」とのこと。

http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n1.html

2368undefined:2016/12/03(土) 04:41:39 ID:X1JY42/o0
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(2/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
 見台なども手作り。教科書もない。勘十郎さんは東京公演のときなど、せりふと人形の動きを紙に絵で描いて宅急便で学校に送ったこともあった。

 同小学校の元校長、玉置美智子さんは当日の座談会で、「最初は見台を壊してしまう子もいましたが、秋の発表会が終わるころには、子供たちの顔が輝いていました。文楽の授業を続けて良かったと思いました」。勘十郎さんも「地域や先生方の熱心さでここまで続いたと思う」という。

 当日は、「とーざーい」の声で幕開き。上手に鮮やかな黄緑色の肩衣を身につけた太夫と三味線、下手には囃子方(はやしかた)、そして舞台では黒衣に身を包んだ人形遣いが、弁慶と牛若丸の出会いを描いた「五条橋」、2人の三番叟(さんばそう)が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈って舞う「二人三番叟」を上演した。

 「二人三番叟」ではリズミカルな浄瑠璃に乗って、足拍子も軽やかに人形たちが舞う。高津小学校バージョンでは、傘の上での玉転がしや皿回しなど楽しい演出もあり、観客を喜ばせた。

 人形を遣った姫野椿さん(11)は「みんなと息を合わせて遣うのが難しい。でも頑張って出来たときはチームワークが深まった」と話してくれた。

 当日は、文楽座の竹本三輪太夫さん、鶴澤燕三さん、勘十郎さん、桐竹勘次郎さんらによる「傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門・順礼歌(じゅんれいうた)の段」も上演。文楽にどっぷり触れた半日となった。


http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n2.html

2369undefined:2016/12/03(土) 04:44:32 ID:X1JY42/o0
(3/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
“技芸員の先生”の数が足りなくなる?

 それにしても、思うのは、もし、小学生のころ、こんな文楽の授業を受けていたら、もっと日本の伝統芸能に親しむのが早かったのではないかということ。難しそうとか、邦楽や義太夫の詞章がわかりにくいと思う前に、体に自然に浄瑠璃が染みこめば、構えずに楽しめただろう。

 いま、文楽や能、歌舞伎などで盛んに子供たちのための体験授業やワークショップが行われている。子供時代に一度触れておけば、いったん忘れても、大人になったとき必ず思い出すものだという。

 文楽は大阪が本場。高津小学校のような取り組みがもっと増えていけばいいのだが、そうなると、教えに行く“技芸員の先生”の数が絶対的に足りないし、頭の痛いところなのである。

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http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n3.html

2370undefined:2017/01/01(日) 21:40:48 ID:pAl9ciKw0
住吉大社 初詣にぎわう
01月01日 06時21分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170101/5711311.html

年を迎え、正月三が日で約240万人が訪れる見通しの大阪・住吉区の住吉大社は初詣に訪れる人たちでにぎわっています。
住吉大社は地元に住む人々を災難から守ってきた神様として知られ親しみを込めて「すみよっさん」の愛称で呼ばれています。
1日午前0時、新年を迎えると住吉大社の境内では太鼓が打ち鳴らされ、それを合図に本殿の前に列を作って並んでいた人たちが一斉に、さい銭を投げていました。
訪れた人たちは手を合わせてそれぞれこれからの1年について願いごとを祈願していました。
大阪市から訪れた60代の男性は「家族の安全を祈願しました」と話していました。
友人と訪れた大阪・岸和田市の20代の女性は「交際相手が欲しいとお願いしました」と話していました。
住吉大社では今年の正月三が日で去年とほぼ同じ、240万人程度の人出を見込んでいるということです。

2371名無しさん:2017/01/03(火) 18:27:45 ID:Yn1wk.ls0
そろばんはじき初め 大阪
01月03日 16時52分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170103/5264341.html

子どもたちが、ことし1年のそろばんの上達を願う「はじき初め」が学問の神様、菅原道真をまつる大阪天満宮で行われました。
はじき初めは、府内のそろばん教室でつくる団体が毎年1月3日に行っているものでことしは、小学生や中学生などおよそ1000人が参加しました。
大阪・北区の大阪天満宮の境内には、そろばんが並べられ、子どもたちは、読み上げられた数字を足していく「読み上げ算」に挑戦しました。
読み上げ算では、新しい年にちなんで「2017」が答えになる問題などが出され、日ごろからそ
ろばんに親しんでいる子どもたちは、次々と正しい答えをはじき出していました。
大阪・東淀川区の小学2年の男子児童は、「全問正解できてうれしい。ことしはそろばん1級を
目指して、家でも勉強して頑張りたい」と話していました。

2372名無しさん:2017/01/03(火) 18:32:46 ID:Yn1wk.ls0

正成ゆかりの地日本遺産申請へ
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170103/5457081.html

南北朝時代の武将、楠木正成、正行の親子にゆかりのある大阪と兵庫の6つの市町村が連携し、2月に、日本遺産への認定を申請することになりました。
日本遺産への認定の申請は、楠木正成の菩提寺、観心寺がある大阪・河内長野市が、正成と息子、正行にゆかりのある、大阪の四條畷市、富田林市、島本町、千早赤阪村、それに神戸市に呼びかけて準備を進めています。
日本遺産は、各地に点在する有形・無形の文化財を観光資源として国内外に発信していこうと、文化庁が昨年度、制度を設けました。
6つの市町村は、「南北朝時代の武将として、正成と正行は知略をもって大軍と向かい合い、後世まで名をはせた。浄瑠璃や講談でも演じられてきたサムライのヒーローは、この地に700年にわたって生き続けている」などとする内容で、2月に文化庁に申請することにしています。
河内長野市教育委員会の太田宏明係長は「楠木正成は全国にファンがいて、準備段階から多くのエールをいただいている。日本遺産認定を地域の活性化につなげたい」と話しています。

2373名無しさん:2017/02/03(金) 12:34:03 ID:qyBlkDVA0
「四代目春団治」、春之輔さんが来春襲名へ
2017年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170203-OYO1T50007.html

 上方落語の大名跡「桂春団治」の四代目を、昨年1月に亡くなった三代目の弟子、桂春之輔はるのすけさん(68)が来春、襲名することになった。春之輔さんと松竹芸能(大阪市)が2日、発表した。披露興行は来春、大阪松竹座(同)で行われる。

 春之輔さんは大阪府寝屋川市出身。1965年、三代目に入門した。軽妙な語り口が持ち味で、滑稽噺ばなしから人情噺まで幅広い演目をこなす。79〜92年、テレビの情報番組「2時のワイドショー」にも出演し、人気を集めた。現在、上方落語協会副会長を務めている。

 この日、記者会見した春之輔さんは「三代目が生前、私を四代目にと指名してくれていた。芸では歴代春団治にかなわないかもしれないが、自分なりに新しい春団治を作り上げていきたい」と抱負を述べた。

2374名無しさん:2017/02/08(水) 12:19:43 ID:qyBlkDVA0
高山右近、晴れて「福者」に 大阪の列福式に1万人参列
岡田匠2017年2月7日
http://www.asahi.com/articles/ASK2745L8K27PTFC004.html

 キリシタン大名・高山右近がカトリックの「福者(ふくしゃ)」に認められたことを宣言する列福(れっぷく)式が7日、大阪城ホール(大阪市)で開かれた。ローマ法王代理としてバチカン(ローマ法王庁)から派遣された枢機卿が進行役の主司式を務め、信者ら約1万人が参列した。

 福者は、聖人に次ぐ崇敬の対象。右近は昨年1月、法王から承認された。

 式では、聖遺物として右近のチョッキの切れ端が壇上に置かれた。岡田武夫・東京大司教が福者の列に右近を加えるよう請願。法王代理のアンジェロ・アマート法王庁列聖省長官が法王の書簡を読み上げ、イタリア語で「福者の列に加えます」と告げた。その後、長崎の信者で画家の三牧(みまき)樺(か)ず子さんが今回の列福式のために描いた右近の肖像画が除幕された。カトリックは今後、右近が亡くなった2月3日を記念日として毎年祝うという。

 右近は戦国時代、今の大阪府豊能町で生まれ、12歳で洗礼を受けた。豊臣秀吉のバテレン追放令でも信仰を捨てず、前田利家に保護された。1614年に江戸幕府の禁教令で国外追放となり、翌年2月3日にマニラで亡くなった。

 これまで日本では、秀吉に処刑され殉教したパウロ三木ら42人が聖人に、江戸初期に聖地エルサレムを訪れたペトロ岐部ら393人が福者に認定されている。(岡田匠)

2375名無しさん:2017/02/22(水) 20:07:22 ID:rWPPEqz20
木彫、匠の技披露 「山本一門」が実演 大阪天満宮
2017年2月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170219/20170219033.html

 大阪市北区の大阪天満宮で開催中の「盆梅と盆石展」で18日、だんじり彫刻を手掛ける山本仲伸さん率いる「山本一門」の彫刻実演が行われた。来場者は厳かな雰囲気の中、匠(たくみ)の技に見入っていた。







黙々と作業を行う山本一門の彫師たち=18日午後、大阪市北区の大阪天満宮


 彫刻の実演は、伝統文化に触れる機会を来場者に持ってもらおうと、ことし初めて開催した。山本さんは貝塚市でだんじりのほか、置物や寺社彫刻を手掛けている。

 参集殿で午後1時から山本さんら4人の彫師がそれぞれの作品を制作。「カッ」「カッ」という木を彫る音が響く中、黙々と作業に取り組んでいた。

 兵庫県西宮市から訪れた男性(60)は「下書きがないのに、彫っていくのがすごい。頭の中でイメージができているのでしょうね」と感心しきりだった。

 「盆梅と盆石展」は3月12日まで。午前9時半〜午後4時。拝観料は中学生以上500円、小学生300円、幼児無料。

2376名無しさん:2017/02/22(水) 20:26:14 ID:rWPPEqz20
香りと花姿 来園者満喫 四天王寺で梅見頃
2017年2月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170222/20170222026.html

 21日の近畿地方は冬型の気圧配置でおおむね曇り空だったが、昼前から高気圧に覆われ中・南部では青空が広がった。

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、境内の随所に植えられている梅の一部が見頃となり、多くの参詣者を迎えている。このうち四季折々の草花が楽しめる本坊庭園「極楽浄土の庭」(約1万平方メートル)でも白やピンクのかれんな小輪が枝先を飾っている。

 この日は同寺ゆかりの弘法大師の月命日の縁日「大師会(だいしえ)」で、境内は朝から大にぎわい。庭園内も来園者が絶えず、葉擦れとせせらぎの音に包まれる中、寒風が運ぶ梅の香りと花姿を満喫していた。

 大阪管区気象台によると大阪市の最高気温は8・6度で、前日を9・2度、平年を2・0度それぞれ下回る、寒い一日となった。

 開花時期は品種よって異なり、同寺によると順次咲き替わりながら3月中旬まで楽しめるという。

2377名無しさん:2017/02/22(水) 20:36:55 ID:rWPPEqz20
大量の焼けた瓦出土・・・高宮廃寺跡
2017年02月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170216-OYTNT50320.html?from=yartcl_blist

◇「講堂焼失」裏付け

 寝屋川市高宮の国史跡・高宮廃寺跡で、中世に再建された「講堂」が火災により焼失した状況を確認した、と市教委が発表した。焼けた瓦や黒く炭化した土の層が出土しており、市教委は「火災で建物が焼失したという状況が目に見える形で裏付けられた」としている。

 寺域はほとんどが、大杜御祖おおもりみおや神社の境内地内にあったとされる。講堂は僧侶が講話や説法を行った場所で、奈良時代に廃絶し、鎌倉から室町期に再建したとみられている。

 市教委が昨年8月から約500平方メートルを調査した結果、講堂跡(東西16・5メートル、南北13・5メートル)の北東部の土層(深さ約1・2メートル)から、一部が焼損するなどした大量の瓦や炭化した土の層が見つかった。瓦の材質や色などの形状から、1420〜90年代のものとみられるという。

 現地説明会は18日午後1時、同2時から。小雨決行。JR東寝屋川駅から西へ徒歩15分。調査は今年度末で終了するため、今後、周囲は埋め戻される。現状を確認できるのは今回が最後という。問い合わせは、市教委文化スポーツ室(代表072・824・1181)へ。

2017年02月17日

2378名無しさん:2017/03/06(月) 18:54:39 ID:eRtBF0Us0
http://www.news-postseven.com/archives/20170306_498772.html?PAGE=1#container

笑福亭鶴瓶、上方四天王「松鶴」復活の大本命に急浮上
昨年死去した三代目・桂春団治の一周忌追善落語会が2月26日に開催された。そこで、来春に四代目・春団治を継ぐこととなった桂春之輔(68)へ、笑福亭鶴瓶(65)がこんな言葉を投げかけた。
だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
 これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。

「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」

 近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。

「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。

 六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)

 鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。

※週刊ポスト2017年3月17日号

「僕は(襲名に)反対や。あんたが名乗る前に俺が『笑福亭春団治』を名乗るわ」

 鶴瓶流の激励に、会場は笑いに包まれた。もちろん「春団治襲名」は冗談だが、上方落語界では「別の大名跡を手にするのでは」(関西の落語関係者)と噂されている。

「春団治と並び“上方四天王”と言われる『笑福亭松鶴』の名跡です。もう20年以上の長い間、空席となっています」(同前)

 上方四天王とは、戦後、関西の落語界の復興に貢献した「春団治」、「松鶴」、「桂米朝」、「桂文枝」のこと。鶴瓶はそのひとり、六代目・松鶴の八番目の弟子である。

「六代目・松鶴といえば古典落語の大名人であり、上方落語界の巨人です。お酒好きの庶民が活躍する『らくだ』などは絶品でした」(上方文化評論家・福井栄一氏)

2379名無しさん:2017/03/06(月) 18:56:52 ID:eRtBF0Us0

笑福亭鶴瓶、上方四天王「松鶴」復活の大本命に急浮上
昨年死去した三代目・桂春団治の一周忌追善落語会が2月26日に開催された。そこで、来春に四代目・春団治を継ぐこととなった桂春之輔(68)へ、笑福亭鶴瓶(65)がこんな言葉を投げかけた。
「僕は(襲名に)反対や。あんたが名乗る前に俺が『笑福亭春団治』を名乗るわ」

 鶴瓶流の激励に、会場は笑いに包まれた。もちろん「春団治襲名」は冗談だが、上方落語界では「別の大名跡を手にするのでは」(関西の落語関係者)と噂されている。

「春団治と並び“上方四天王”と言われる『笑福亭松鶴』の名跡です。もう20年以上の長い間、空席となっています」(同前)

 上方四天王とは、戦後、関西の落語界の復興に貢献した「春団治」、「松鶴」、「桂米朝」、「桂文枝」のこと。鶴瓶はそのひとり、六代目・松鶴の八番目の弟子である。

「六代目・松鶴といえば古典落語の大名人であり、上方落語界の巨人です。お酒好きの庶民が活躍する『らくだ』などは絶品でした」(上方文化評論家・福井栄一氏)

だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
 これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。

「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」

 近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。

「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。

 六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)

 鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。

※週刊ポスト2017年3月17日号

2380名無しさん:2017/03/21(火) 22:05:45 ID:f218XYX.0
http://www.sankei.com/west/news/170321/wst1703210067-n1.html

「楠木正成考」シンポジウム 井沢元彦氏と東儀秀樹氏が講演 明治神宮会館で開催
 産経新聞で連載中の「楠木正成考」に合わせ、忠義の人で知られる南北朝時代の武将、楠木正成の魅力と現代における意義を考えるシンポジウム「楠木正成考」が21日、東京都渋谷区の明治神宮会館で開かれ、約1900人が熱心に耳を傾けた。
 基調講演では作家の井沢元彦さんが「楠木正成の魅力と再評価」と題し、怨霊信仰など日本の歴史をひもときながら評価の変遷を解説。「正成は軍略家で見通しのいい人だったのに、あえて殉じる道を選んだ。優秀で誠実、魅力に富んだ人だった」と述べた。
 続いて雅楽師の東儀秀樹さんが講演。「学校教育から叙情歌が減っていることに怒りを感じる。美しい歌と言葉に日本の心がある」と話し、今回のために編曲したという唱歌「桜井の決別」で知られる「楠公の歌」を演奏すると、会場は大きな拍手に包まれた。
竹島なんぞくれてやったらよろいいがなとのたまった某落語家は楠公にちなんだ芸名を返上すべきである。

2381undefined:2017/04/20(木) 16:02:04 ID:xksMER4c0
聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を 東京大学名誉教授・平川祐弘
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html

昭和の日本で最高額紙幣に選ばれた人は聖徳太子で、百円、千円、五千円、一万円札に登場した。品位ある太子の像と法隆寺の夢殿である。年配の日本人で知らぬ人はいない。それに代わり福沢諭吉が一万円札に登場したのは1984年だが、この二人に対する内外評価の推移の意味を考えてみたい。

 ≪平和共存を優先した聖徳太子≫

 聖徳太子は西暦の574年に「仏法を信じ神道を尊んだ」用明天皇の子として生まれ、622年に亡くなった。厩(うまや)生まれの伝説があり、厩戸皇子(うまやどのみこ)ともいう。推古天皇の摂政として憲法十七条を制定した。漢訳仏典を学び多くの寺院を建てた。今でいえば学校開設だろう。

 仏教を奨励したが、党派的抗争を戒め、憲法第一条に「和ヲ以テ貴シトナス」と諭した。太子は信仰や政治の原理を説くよりも、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化導入を機に力を伸ばそうとした蘇我氏と、それに敵対した物部氏の抗争を目撃したから、仏教を尊びつつも一党の専制支配の危険を懸念したのだろう。

http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n2.html

支配原理でなく「寛容」をまず説く、このような国家基本法の第一条は珍しい。今度、日本が自前の憲法を制定する際は、前文に「和ヲ以テ貴シトナス」と宣(の)べるが良くはないか。わが国最初の成文法の最初の言葉が「以和為貴」だが、和とは平和の和、格差の少ない和諧社会の和、諸国民の和合の和、英語のharmonyとも解釈し得る。日本発の世界に誇り得る憲法理念ではあるまいか。

 ≪独立自尊を主張した福沢諭吉≫

 ところで聖徳太子と福沢諭吉は、日本史上二つの大きなターニング・ポイントに関係する。第一回は日本が目を中国に向けたとき、聖徳太子がその主導者として朝鮮半島から大陸文化をとりいれ、古代日本の文化政策を推進した。第二回は Japan’s turn to the West 、日本が目を西洋に転じたときで、福沢はその主導者として西洋化路線を推進した。

 明治維新を境に日本は第一外国語を漢文から英語に切り替えた。19世紀の世界で影響力のある大国は英国で、文明社会に通用する言葉は英語と認識したからだが、日本の英学の父・福沢は漢籍に通じていたくせに、漢学者を「其功能は飯を喰ふ字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨る食客と云ふて可なり」(学問のすゝめ)と笑い物にした。

2382undefined:2017/04/20(木) 16:03:46 ID:xksMER4c0
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n3.html

このように大切な紙幣に日本文化史の二つの転換点を象徴する人物が選ばれた。二人は外国文化を学ぶ重要性を説きつつも日本人として自己本位の立場を貫いた。聖徳太子はチャイナ・スクールとはならず、福沢も独立自尊を主張した。太子の自主独立は大和朝廷が派遣した遣隋使が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」と述べたことからもわかる。日本人はこれを当然の主張と思うが、隋の煬帝(ようだい)は「之(これ)を覧(み)て悦(よろこ)ばず、〈蛮夷の書、無礼なるもの有り、復(ま)た以(もっ)て聞(ぶん)する勿(なか)れ〉と」いった(隋書倭国伝)。

 中華の人は華夷秩序(かいちつじょ)の上位に自分たちがおり、日本は下だと昔も今も思いたがる。だから対等な国際関係を結ぼうとする倭人(わじん)は無礼なのである。新井白石はそんな隣国の自己中心主義を退けようと、イタリア語のCina(チイナ)の使用を考えた。支那Zh●n★は侮蔑語でなくチイナの音訳だが中国人には気に食わない。

 東夷の日本が、かつては聖人の国として中国をあがめたくせに、脱亜入欧し、逆に強国となり侵略した。許せない。それだから戦後は日本人に支那とは呼ばせず中国と呼ばせた。

http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n4.html

≪学習指導要領改訂案に潜む意図≫

 アヘン戦争以来、帝国主義列強によって半植民地化されたことが中華の人にとり国恥(こくち)なのはわかるが、華夷秩序の消滅をも屈辱と感じるのは問題だ。

 その中国はいまや経済的・軍事的に日本を抜き、米国に次ぐ覇権国家である。中華ナショナリズムは高揚し、得意げな華人も見かけるが、習近平氏の「中国の夢」とは何か。華夷秩序復興か。だが中国が超大国になろうと、日本の中国への回帰 Japan’s return to China はあり得ない。法治なき政治や貧富の格差、汚染した生活や道徳に魅力はない。そんな一党独裁の大国が日本の若者の尊敬や憧憬(しょうけい)の対象となるはずはないからだ。

 しかし相手は巧妙である。日本のプロ・チャイナの学者と手をつなぎ「脱亜」を唱えた福沢を貶(おとし)めようとした。だがいかに福沢を難じても、日本人が言語的に脱漢入英した現実を覆すことはできない。福沢は慶応義塾を開設し、英書を学ばせアジア的停滞から日本を抜け出させることに成功した。だがそんな福沢を悪者に仕立てるのが戦後日本左翼の流行だった。

 これから先、文科省に入りこんだその種の人たちは不都合な史実の何を消すつもりか。歴史は伝承の中に存するが、2月の学習指導要領改訂案では歴史教科書から聖徳太子の名前をやめ「厩戸王」とする方針を示した由である。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわ・すけひろ)

2383undefined:2017/04/20(木) 18:07:51 ID:xksMER4c0
古民家の台所が幽玄の世界に 大阪・吹田で「能楽囃子」
http://www.sankei.com/region/news/170417/rgn1704170036-n1.html

 古民家の台所を舞台に、簡略化された能を堪能する「能楽囃子(のうがくばやし)の世界」が16日、吹田市南高浜町の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で開かれ、約90人のファンを魅了した。

 12回目の今回のテーマは、「ものまね条々」。司会、解説役の上田敦史さん(大倉流小鼓方)によると、ものまねは「物まね」ではなく、世阿弥が説く「さまざまな役柄を演じる際の心構え」のこと。関西で活躍する若手能楽師(観世流シテ方)らが「神」「男」「鬼」などを主人公とする5曲を披露した。

 最初の4曲は、紋付きはかま姿で能のクライマックスシーンを演じる「舞(まい)囃子」形式で行われ、住吉明神が登場するめでたい「高砂」などが舞われた。最後に、宇宙のすべてを映し出す「野守の鏡」を守る鬼神と山伏のやりとりがダイナミックな「野守(のもり)」が、曲の後半の見どころを演じる「半能」形式で披露された。

 浜屋敷は江戸時代の庄屋の屋敷跡で、薄明かりの台所の板間が舞台になった。能楽ファンらは、土間のカマドの前に置かれたイスに座って鑑賞し、幽玄の世界に浸った。

2384undefined:2017/05/01(月) 19:53:49 ID:82wZygKM0
よろい片、日本最北の出土 大和政権と関係か、新潟
2017年4月29日 16:00
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170429/20170429061.html


 新潟市東区の「牡丹山諏訪神社古墳」から、5世紀初めの古墳時代中期のものとみられるよろい片が見つかった。古墳時代のよろいとしては日本最北での出土。当時は畿内しかよろいを作る技術がなく、大和政権とのつながりを示す史料として研究者から注目を浴びている。

 調査団代表の橋本博文教授によると昨年9月に発見。縦約3センチ、横約4センチで、厚さ約2ミリの鉄板が2枚重ねられていた。2カ所の穴に革ひもの跡があったことなどから短甲のかけらとみられる。

 同古墳からはこれまで、円筒埴輪や朝鮮半島由来とみられる須恵器なども出土している。

2385undefined:2017/05/01(月) 20:40:34 ID:82wZygKM0
竹内街道・横大路 日本遺産に
04月28日 15時17分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170428/5904421.html

日本の文化や伝統を国内外に発信していこうと、文化庁が認定を行っている「日本遺産」に、大阪府と奈良県の12の自治体が申請していた「最古の国道竹内街道・横大路」が選ばれました。
「日本遺産」は、各地の有形・無形の文化財を地域的なつながりや時代的な特徴ごとにまとめ、その魅力を国内外に発信していこうと、文化庁が、おととし4月から認定しているものです。
今年度は、全国から79件の申請があり、17件が選ばれました。
このうち、大阪府と奈良県の12の自治体が申請していた「最古の国道竹内街道・横大路」は、古代の難波と飛鳥を結んだ道で、現在も大阪・堺市から奈良県の桜井市までを東西に結んでいる道です。
沿道には、百舌鳥・古市古墳群などの重要な文化財が残されるなど、古代から現代まで1400年にわたる悠久の歴史を伝える「最古の国道」として認定されました。
大阪府の文化財が日本遺産に認定されるのは初めてです。
大阪府の松井知事は記者団に対し「海外からも大勢の旅行客が訪れている。日本遺産という冠がつけば、さらに多くの人が訪れてくれると思うので、うれしい」と述べました。

2386undefined:2017/05/01(月) 21:46:35 ID:82wZygKM0
雅楽奉納 うっとり 大阪天満宮「鎮花祭」
2017年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170426/20170426023.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、伝統行事「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。本殿前の特設舞台で雅楽が奉納され、多くの参拝者がみやびやかな音色や所作に見入った。

 
同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれる行事。花が咲き誇るこの季節は人々の心も緩みがちで災いが生じやすいことから、古来、花の精霊の仕業と考えられ、舞い散る花に乗って飛ぶ精霊を鎮めて平安を祈念したと伝わる。

 冒頭の管絃では同宮神職が「君が代」と唐楽の「胡飲酒破(こんじゅのは)」を奏で、優美な音色を境内に響かせた。続いて、みこが浪速神楽「式神楽第一」、社伝神楽「珍しな」などを順次奉納した。このほかに関西雅楽松風会の奉仕で舞楽「白浜(ほうひん)」などが演じられ、古式ゆかしい装束と息の合った一挙一動が相まって参拝者を魅了。春の伝統行事を華やかに締めくくった。


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