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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

2103名無しさん:2015/07/25(土) 10:49:05 ID:Mii5n1..0
大阪・都島で「地車囃子」 天神祭りに併せ地元保存会が披露
2015年07月25日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1388/

 大阪・都島の櫻宮境内(大阪市都島区中野1)で天神祭最終日となる7月25日、櫻宮地車囃子(だんじりはやし)保存会が地車囃子を披露する。


 和楽器の大太鼓・小太鼓・鉦(しょう)の構成で演奏する地車囃子。普段は地車を動かす際に演奏されるが、今回は舞台囃子として天神祭の奉納花火に併せて披露。当日は地元の小学生や中学生も囃子に参加する。

 同会副会長の佐藤正豪さんは「天神祭の花火が見える櫻宮境内で地車囃子をやれば、もっとにぎやかになるのではという思いから開催したのが始まり。もう10年以上たつ」と経緯を話す。「開催当初に比べ、年々観客が増えてうれしい。今では天神祭の定番スポットになっている」とも。

 同行事の他にも、伝統を残そうとさまざまな催しで地車や地車囃子を披露し活動している同保存会。「近年では地域の仲間に声を掛け、大阪の祭りを全国に発信できるよう活動している。自分たち自身も楽しんでいる」と佐藤さん。花火終了後は、境内や川沿いの道路の清掃活動も行っているという。「迫力ある花火を見ながら地車囃子を楽しんでもらえたら」と意気込みを語る。

 開催時間は、花火の上がる19時ごろを予定。

2104名無しさん:2015/07/25(土) 21:25:05 ID:Kk0DL0t.0
天神祭の船渡御にぎわう
07月25日 18時41分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150725/4759831.html

大阪の夏を彩る天神祭は25日
「船渡御」が行われ、大勢の人たちで賑わっています。
大阪の天神祭は25日本宮を迎え、夕方からは「船渡御」が行われています。
「船渡御」は大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した行事です。
太鼓をのせた船を先頭におよそ100隻の船が大阪中心部の大川を行き交い、船に乗り込んだ人たちが互いに太鼓やカネを鳴らし、声をあげて祭りを盛り上げていました。
25日の大阪市は日中の最高気温が32度4分という厳しい暑さとなりましたが、川沿いや橋の上には浴衣姿の女性や家族連れなど見物の人たちが大勢詰めかけまつりの雰囲気を楽しんでいました。
天神祭は午後7時半から、およそ5千発の花火の打ち上げが行われまつりは最高潮を迎えます。

2105名無しさん:2015/07/26(日) 03:57:47 ID:Kk0DL0t.0
浪速の街は祭り一色 天神祭宵宮、あふれる熱気
2015年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150725/20150725042.html

 日本三大祭りの一つ天神祭は24日、宵宮を迎えた。大阪市北区の大阪天満宮をはじめ市内各地で多彩な行事があり、25日の本宮に向け、浪速の街は祭りのにぎわいに包まれた。

早朝に天満宮本殿で宵宮祭の神事が行われ、講社の一つ「神鉾(かみぼこ)講」を中心にした約300人の渡御列が同宮を出発。堂島川に面した斎場に到着すると、天神祭の本格的な幕開けを告げる鉾流(ほこながし)神事が厳かに執り行われた。

 氏地巡行で御神霊がお休みになる「御旅所」が設けられた千代崎行宮(同市西区)でも宵宮祭の神事が行われたほか、祭りの花形「催太鼓」が豪壮な太鼓の音を響かせて氏地を巡行。市内の川でも「どんどこ船」が中之島周辺から道頓堀川まで縦横に行き来して祭りムードを盛り上げた。

 この日の大阪市は前日までの雨も上がり、絶好の祭り日和。天満宮の境内には多くの参拝者が訪れ、熱気あふれる祭礼に見入っていた。

 25日は午後3時半に陸渡御が天満宮を出発。同6時から大川一帯で船渡御を展開する。第69回水都祭・天神祭奉納花火(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は午後7時20分から実施予定。大川沿いの2カ所で計約4千発を打ち上げ、船渡御のにぎわいに花を添える。

2106名無しさん:2015/07/26(日) 10:12:08 ID:SMNMZkJc0
天神祭に船100隻、夜空に花火 大阪に夏本番
2015年7月25日 20:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150725/20150725098.html

 夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の「天神祭」は25日、多くの船が市中心部の大川を行き交う伝統行事「船渡御」があった。クライマックスでは約5千発の奉納花火が披露された。

約1万2千人が乗り込んだ100隻ほどの船が手拍子や三味線の音とともに、にぎやかに大川を行き来し、赤や緑、黄など色とりどりの打ち上げ花火が夜空と川面を鮮やかに照らした。河岸や橋では多くの見物客がうちわやビールを手に夏本番の訪れを楽しんだ。

 奉納花火は近年約4千発だったが、今年は市民らから資金を募り、千発増やした。天神祭には千年以上の歴史があるとされる。

2107名無しさん:2015/07/26(日) 19:28:19 ID:AwlO8qWU0
浪速の夏4000発彩る 水都祭・天神祭奉納花火
2015年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150726/20150726026.html

 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の例大祭「天神祭」が25日、本宮を迎え、大阪の街は祭りの熱気に包まれた。約3千人が市街を練り歩く陸渡御や約100隻の船が川面を行き交う船渡御が盛大に行われ、第69回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡る祭り。市中の人々の暮らしぶりを見ていただき、加護を祈願する。

 この日の大阪市は、日中の最高気温が32・4度。強い日差しが照りつける中、陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を展開。船渡御では船上の個性豊かなイルミネーションが見物人らの心を捉え、水都・大阪をあらためて印象づけた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのが奉納花火。高さ15メートル、幅約60メートルの仕掛け花火「ナイアガラ」が数年ぶりに復活したほか、約4千発の花火が打ち上げられ、船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩った。

2108名無しさん:2015/07/26(日) 19:40:11 ID:AwlO8qWU0
華やぐ水都、5000発花火で船団彩る…天神祭
2015年07月26日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150726-OYO1T50019.html?from=oycont_top_txt

 大阪天満宮の天神祭が本宮を迎えた25日、大阪市中心部の大川を約100隻の船が行き交う「船渡御ふなとぎょ」があった。例年より1000発多い約5000発の打ち上げ花火が船団を照らし=写真、本社ヘリから、里見研撮影=、見物客約114万人(大阪天満宮発表)でにぎわった。

 午後6時頃、氏子ら計1万2000人を乗せた船団が天神橋と飛翔橋から出発、鉦かねを鳴らし水面みなもを進んだ。今年はインターネットサイトで寄付を募る「クラウドファンディング」を活用。287万円が寄せられ、花火を増やした。

2015年07月26日

2109名無しさん:2015/07/26(日) 21:57:46 ID:m82BFQa20
■大阪市東住吉区で模擬原爆追悼式
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008177.shtml

70年前、アメリカ軍が広島や長崎へ原爆を投下する訓練として、日本各地に「模擬原爆」を落としました。模擬原爆が投下された大阪市東住吉区では、26日、追悼式が営まれました。

 爆弾の投下時刻=午前9時26分に始まった追悼式には、地元の住民ら約250人が参加しました。

 「模擬原爆」は、アメリカ軍が広島や長崎への原爆投下の前に、訓練のため日本各地で同じ形状の爆弾を投下したもので、大阪市東住吉区では7人が死亡、73人が重軽傷を負いました。

「(姉の親友は)朝、私の家に来ていた。『警戒警報が出ているから帰る』が最後の言葉」(姉の親友を亡くした龍野繁子さん)

 龍野さんは、「今の日本は私が子どもの頃の状況と似てきた。体験を語り継ぐことはその後を生きた者の使命だ」と、静かに話していました。 (07/26 18:46)

2110名無しさん:2015/07/29(水) 00:47:25 ID:8aWuiCHY0
世界文化遺産推薦ならず
07月28日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3591211.html

文化庁の審議会は再来年の世界文化遺産への登録を目指し、福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
28日、文化庁の審議会の世界文化遺産特別委員会は、再来年の登録を目指す4件の候補について審議しました。
その結果、福岡県宗像市の沖ノ島や宗像大社など5つの資産からなる「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
審議会は、「古代の祭りのあとがほぼ手つかずの状態で保存されており、現代でも神聖な島として信仰の対象であることなどが世界的に見ても顕著だ」などと評価しています。
一方、このほかの▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」、▼新潟の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、それに▼大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
世界遺産をめぐっては、今月、登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」について、韓国との調整が難航する場面がありましたが、審議会は、今回の決定について、「政治的、外交的な観点では見ておらず、学術的な立場から候補を決めた」としています。
国はことし9月末までに、暫定版の推薦書をユネスコに提出し、再来年・平成29年の世界遺産委員会で審査されることになります。

2111名無しさん:2015/07/29(水) 00:53:13 ID:8aWuiCHY0
米朝さんの追善落語会開催へ
07月28日 07時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3623192.html

上方の落語家たちがファンと触れ合う大阪恒例の「彦八まつり」で、ことしは、3月に亡くなった人間国宝の桂米朝さんをしのんで一門の落語家による追善落語会が催されることになりました。
「彦八まつり」は、上方落語の祖と言われる江戸時代に活躍した米澤彦八をたたえようと、上方落語協会が毎年、彦八の記念碑がある大阪・天王寺区の生國魂神社で開いています。
上方落語協会によりますと、ことしの彦八まつりは9月5日、6日の2日間行われ、このうち6日に、桂米朝さんの追善落語会が催されることになりました。
落語会では米朝さんの長男の桂米団治さんら一門の落語家5人が話芸を披露するほか、会場には米朝さんそっくりに作られたロボットも展示されます。
また、ことしはまつりが25回目の節目にあたることからオープニングの記念イベントとして、上方落語協会の桂文枝会長が率いるハワイアンバンドがフラダンスのチームとともに演奏と踊りを披露するということです。
このほか、落語家らによる屋台がおよそ40店舗、出される予定です。
桂文枝会長は「まつりに来て頂いたお客さんに必ず握手とサインをしようとみんなで申し合わせました。落語のファンを増やすためまつりを盛り上げたい」と話していました。

2112名無しさん:2015/07/29(水) 01:01:27 ID:8aWuiCHY0
地下軍需工場「高槻倉庫」の写真、米で発見
2015年07月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150728-OYO1T50028.html?from=oycont_top_txt

太平洋戦争末期に造られた地下軍需工場、通称「高槻地下倉庫」(大阪府高槻市)の終戦直後の様子を撮影した写真17枚が、米国立公文書館で見つかった。戦闘機のエンジンを製造する極秘工場として建設され、当時の様子を伝える写真はほとんどなかった。研究者らは「工場の実態を知る貴重な資料だ」と話している。

 高槻市などによると、工場は山中に巨大な地下壕(ごう)を掘って造られた。1944年秋、旧陸軍が貯蔵庫として建設を開始。兵庫県明石市の航空機工場が空襲を受けたため、途中で代替工場に切り替えた。

 戦闘機「飛燕」のエンジン製造を目指したが、実際には稼働することなく終戦を迎えた。45年10月、米軍の調査団が内部を調べ、報告書を残している。

 17枚はこの調査団が写したとみられ、撮影日は45年10月15日。5月に渡米した「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の福林徹代表(67)(京都府亀岡市)が同館で見つけ、大阪経済法科大の塚崎昌之客員研究員(日本近現代史)らが、周りの風景などから、高槻地下倉庫と確認した。

 写真には、木製の柱で支えられた地下壕の中に工作機械が並んでいる様子が写っていた。天井には電線が巡り、電源機器や排水溝もあって、稼働寸前だった工場の姿が具体的に確認された。壕の外にはブルドーザーや変圧器もあった。

 建設には日本兵約800人、朝鮮半島出身者約3500人も携わったとされ、居住地とみられる兵舎や宿舎も写っていた。

 武庫川女子大の三宅宏司名誉教授(産業技術史)は「本土への空襲が激しくなる中、軍需工場を地下に隠して兵器を生産し、戦い続けようとしていた様子がうかがえる」と分析する。

 45年6月半ば、大阪府立北野中(現・北野高)から学徒動員された大阪市の中原充雄さん(85)は、建設を米軍に気づかれないよう、掘り出した土砂を草木で隠すよう言われた。「当時、何のための壕なのか知らされず、中を見たのはこの写真が初めて」と話す。

 工場は当時、「タチソ」という暗号で呼ばれており、幅4メートル、長さ150メートル前後の地下壕約20本などがほぼ完成していた。現在では十数メートルの穴だけが残っており、実態は不明な点も多い。保存に取り組んでいる市民団体「高槻『タチソ』戦跡保存の会」は、壕内の写真集を制作中で、今回の写真も加え、8月15日に発売する。

 福林さんは「終戦間際だったにもかかわらず、巨大な地下軍需工場を造ってまで戦争を続けようとした。最後の最後まで、いかに多くの国民が愚かな戦争に駆り立てられたかを知ってほしい」と話している。

2015年07月28日

2113名無しさん:2015/07/31(金) 23:34:16 ID:t/xKOSI60
「パペット落語」披露
07月30日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150730/4906991.html

持ち芸の人形を使った「パペット落語」が厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞した落語家の笑福亭鶴笑さんが、29日、大阪で記念公演を行い、夏休みの子どもたちに得意の演目を披露しました。
笑福亭鶴笑さんは、ことし5月、持ち芸の人形を使った「パペット落語」が「子どもにもわかりやすい」として厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞しました。
大阪の「なんばグランド花月」で29日夜、記念公演が行われ、吉本新喜劇の辻本茂雄さんや
人気お笑いコンビの「8,6秒バズーカー」らも出演して、コントなどを繰り広げました。
このあと鶴笑さんが、手作りの人形を使って、賞を受賞した演目、「時ゴジラ」を披露しました。

「時ゴジラ」は、古典落語の「時うどん」をパロディーにした噺で、鶴笑さんが手作りの怪獣の人形を両足にはめて、得意のネタを演じると、会場は子どもたちの大きな笑い声に包まれていました。
小学4年生の女の子は、「普通の落語と違って、すごくわかりやすかった」と話していました。

公演のあと、鶴笑さんは、「こどもたちが大勢来てくれてうれしかった。また頑張って、新しいパペット落語を作ります」と話していました。

2114名無しさん:2015/08/06(木) 00:35:54 ID:LPLsXlQE0
■戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008271.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。 (08/05 12:21)

2115名無しさん:2015/08/09(日) 09:51:11 ID:9sKBNFgE0
戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150805/00000007.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。

2116名無しさん:2015/08/09(日) 09:56:37 ID:9sKBNFgE0
祖国のため命を捧げた先人たち「国主導の慰霊を」 旧真田山陸軍墓地シンポジウム
http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n1.html

全国最古、最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地(大阪市天王寺区)の保存活動について考えるシンポジウム「今、旧陸軍墓地は」(産経新聞社など後援)が8日、大阪市中央区のタカラベルモントホールで開かれた。

 明治4年に設置された旧真田山陸軍墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの約5100の墓碑があり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠る。シンポジウムを主催した公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(吉川秀隆理事長)が維持、管理している。

 基調講演で、佐藤正久参院議員は「国のために命を捧げられた方を思い、慰霊・顕彰を大切にしなければいけない」と強調。「真田山(陸軍墓地)を大切に、次の世代につないでいく必要がある」と訴えた。

http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n2.html

パネルディスカッションでは、納骨堂が老朽化し、墓碑の9割近くに劣化が生じている現状について同維持会の永田綾奈学芸員が報告した。宇都隆史参院議員の秘書は、真田山を含め戦没者の慰霊や遺骨帰還事業が民間主導で行われてきた戦後の経緯を説明。「国が墓も守らず、遺骨も戻してくれないという状態が続いていいのか」と述べ、国の主導による慰霊・顕彰の必要性を訴えた。

 司会の近藤豊和・産経新聞東京本社正論調査室長が「祖国のために命を捧げた先人たちに思いをはせ、現代に生きる者は力、勇気をいただいて国をさらに発展させる。共通の思いを一人でも多くの人が持つことができれば」とあいさつ、閉会した。



 詳報は後日、月刊正論に掲載します。

2117名無しさん:2015/08/10(月) 05:19:39 ID:6MSBAf3I0
連歌づくりのこつ学ぶ 杭全神社で初心者講座
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805031.html

 日本で唯一連歌所がある大阪市平野区の杭全(くまた)神社で4日、初心者向けの連歌講座が開かれた。平野法楽連歌会の山村規子さんは連歌の歴史について「お茶や酒を飲みながら楽しんでいた」と解説し、受講生は地域の伝統文芸に親しんだ。

「連歌ってどんなん? なんで平野やねん?」と題して7月28日に続いて開催。2日間で延べ28人が受講した。

 連歌は短歌の「五七五」と「七七」を数人が交互につなげていく言葉遊びで、受講者は前の句を見ながら指を折って文字を数えた。講師を務めた大阪教育大付属平野中学校教諭の小村典央さんは「前にあった言葉を使わなくていいだけ」と連歌づくりのこつを説明し、山村さんは「連歌は楽しんでやるもの」と呼び掛けた。

 杭全神社連歌所記によると、杭全神社の連歌は、征夷大将軍だった坂上田村麻呂の坂上家の子孫と称する平野七名家を中心として室町時代に盛んになった。同神社連歌所は1614年に大坂冬の陣で焼失したが、1708年に再建された。

2118名無しさん:2015/08/10(月) 05:44:02 ID:6MSBAf3I0
陰影ゆらり 四天王寺で「篝の舞楽」
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805038.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で4日、恒例の舞楽公演「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催)が開かれた。多くの参詣者が夜の境内を訪れ、飛鳥時代から連綿と伝わる古典芸能を満喫した。

夏の風物詩として長年親しまれており、今年で61回目を迎えた。 中心伽藍(がらん)・講堂前庭の特設舞台には、天王寺舞楽を伝承する団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」有志の舞人、楽人らが古式ゆかしい装束姿で出演。舞楽の幕開けを告げる儀式的な舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「延喜楽(えんぎらく)」などの曲目を次々と繰り広げた。

 舞台の四方でかがり火が燃えさかる中、みやびやかな舞と雅楽の調和が満員の客席を魅了した。

2119名無しさん:2015/08/11(火) 17:32:43 ID:JFZ66pCY0
市役所食堂で「すいとん定食」
08月11日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150811/3930031.html

終戦の日を前に、大阪・吹田市役所の食堂では11日、食料が乏しかった戦時中の暮らしぶりを知ってもらおうと、当時食べられていた「すいとん」が提供されました。
大阪・吹田市の吹田市役所の食堂では、10日と11日の2日間限定で、80食のすいとん定食が提供されました。
すいとんは、小麦粉を水でこねて団子にし、かつおだしの汁で煮たもので、もちもちとした食感で腹持ちがよく、食料が乏しかった戦時中に米の代わりによく食べられていました。
11日に提供されたすいとん定食は、すいとんに麦ごはん、ふかしたサツマイモなど6品がセットになっていて、近所の人や市役所の職員などが味わっていました。
70代の女性は「娘に食べさせてあげたいと思ってきました。戦争を語り継ぐ人が減る中、こういう機会があるといいと思います」と話していました。
30代の女性は「きょうのすいとん汁は、おいしく味付けされているけど戦争中は、もっと質素な食事だったのではないかといろいろ考えました」と話していました。
吹田市人権平和室の早瀬健次郎さんは「戦時中は、このすいとんを食べて、毎日毎日必死で生きていた人たちがいます。若い人たちにも、そういうことを知るきっかけになればうれしいです」と話していました。

2120名無しさん:2015/08/11(火) 18:15:23 ID:JFZ66pCY0
<私の戦後70年>卒業式で帰阪 大空襲
2015年08月10日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150809-OYTNT50225.html

◇学童疎開先での集合写真

 ◇瀬戸 寛治さん 83

 学童疎開先での生活を半年間辛抱すれば、また元いた場所で暮らすことができる。そんな思いは、かないませんでした。

 疎開先は島根県出雲市。1944年9月、堀江国民学校(現堀江小学校、大阪市西区)6年生の時です。大阪駅から夜行列車で約20時間。みんなが一緒で遠足気分でした。

 私の男子西組の約30人は、宍道湖近くのお寺にお世話になりました。ただ、浮かれていたのは最初だけ。帰りたいと泣いたり、寺を逃げ出そうとしたりした友達もいました。

 写真は、疎開先の国民学校の正門で同じ組の友達と撮影したものです。普段はそんなに雪の積もらない場所らしいのですが、この冬はよう降りました。大阪では経験したことのない寒さで、寺では掘りごたつにみんなで足を突っ込んで眠りました。

 食糧事情は都会より多少良いと言いながら、いつも空腹でした。その頃の思い出といえばゴマ塩。みんな、家から送ってもらったゴマ塩の瓶を持っていて、おやつ代わりにゴマをなめては空腹を紛らわせてね。食事の時、大きい器に当たったら、うれしかった。小さい器でも量は同じやのに、大きい方がたくさん入っている気がして。

 みんな同じ境遇やったんで、疎開の暮らしを楽しいとも、特段つらいとも感じなかった。黄だんが出て1か月ほど学校に通えなかった時は、寺の周りでシイの実を取ったり、散歩したり。卒業式のため大阪に戻った日は、そりゃあ、うれしくて。卒業式は1945年3月14日。前日にリハーサルをして、「明日で学校ともお別れやなあ」と思いながら、コッペパンとみそ汁の最後の給食を食べました。

 ところが、13日夜に空襲警報が響きました。大阪大空襲です。空から、どんどん焼夷(しょうい)弾が落ちてきて、やがて辺りは火の海に。「もうあかんなぁ」と何度もあきらめかけました。

 両親、祖母、妹と弟の家族6人は無事でしたが、自宅は全焼。焼けこげた遺体がそこら中に横たわっていました。私たちは、空襲に遭うために疎開先から帰ってきたようなものでした。結局、卒業式はできず、空襲の犠牲になった同級生もいました。戦後、私は17歳で父を亡くし、食べていくために高校を中退し、必死で働きました。

 終戦から5年程した頃、同級生の所在を電話帳で調べ、同窓会を開きました。その後も疎開先の寺を訪ねるなど、定期的に集まりました。そんな中、2007年に「卒業証書をもらっていない」という話になったんです。堀江小学校にお願いし、08年3月14日に卒業式を開くことができました。「63年の月日を経て、あなたが堀江国民学校の課程を修めたことを証します」と書かれた卒業証書を受け取った時は、感無量でした。

 戦争は多くの子供も犠牲にしました。二度とあんなことがあったらいかん。戦争はもう、ごめんやね。(聞き手 久場俊子)

 

 ◆将来の戦力温存

 空襲から逃れるため、都市部の児童を地方に避難させた国の政策。防空態勢の強化とともに、将来の戦力を温存する目的があった。

 親族を頼る縁故疎開が原則だったが、戦局が不利になると、1944年6月の閣議決定で学校ごとの集団疎開も始まった。集団疎開したのは40万人以上で大阪からは滋賀、奈良、香川、島根などに移住した。

 学童疎開を巡っては、沖縄から長崎に航行していた学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷で沈み、780人の学童が亡くなる悲劇もあった。

2015年08月10日

2121名無しさん:2015/08/11(火) 18:26:47 ID:JFZ66pCY0
<私の戦後70年>広島長崎の訓練だった
2015年08月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150810-OYTNT50403.html?from=ycont_top_txt

◇東住吉の模擬原爆語る

◇龍野 繁子さん 90

 大阪市東住吉区田辺の一角にひっそりと碑が立っています。広島、長崎へ原爆が投下される前の1945年7月26日朝、落とされた「模擬原爆」の犠牲者を追悼する慰霊碑です。

 広野国民学校(現大阪市立摂陽中学校)の教師をしていた私はあの日、教え子約20人を引率し、海軍の制服のボタンを作る工場にいました。

 「今日も材料が入ってこない。勉強していてください」。そう工場長に言われ、生徒たちを工場の別の空き部屋に移動させて「国語にしようか、算数にしようか」と話し始めた時でした。「バリバリ」「ズドーン」。けたたましい音に、生徒たちが叫び声をあげました。

 音がやみ、さっきまでいた隣の部屋をおそるおそるのぞくと、直径1メートルほどの石が天井と床を突き破って落ちていました。幸い、生徒たちにけがはありませんでした。

 工場から約150メートル離れた料亭付近に爆弾が落ちたらしいとしか、そのときは分かりませんでした。生徒を自宅に帰した後、料亭近くへ向かう道すがら見た光景は忘れません。電線に、二つ折りになった畳や布団とともに、バラバラになった遺体の一部が引っかかっていました。足がすくみました。近くの田辺国民学校(現市立田辺小)の講堂には、亡くなった人の遺体が安置されていました。

 姉の親友のトシちゃんが亡くなったと聞かされました。トシちゃんはあの朝、病気療養中の姉を見舞いに我が家を訪れてくれていました。警戒警報の発令を聞き、「夫が隣組の組長だから帰るわ」と自宅に戻る途中に爆風で吹き飛ばされたのでした。姉と母は、泣きながらトシちゃんの背中に刺さった無数のガラス片を抜いたそうです。

 忘れられるなら、忘れたい。消したい記憶でした。戦後、体験を語ることはしませんでした。終戦から50年ほどたってから、あのときの爆弾が広島、長崎に原爆を落とすための訓練として投下された模擬原爆だと知り、驚きました。田辺で練習して、広島、長崎で多くの犠牲者を出したのかと思うと、強い憤りを感じました。

 広島で小学生の時に被爆した友人は、原爆の後遺症に苦しんで亡くなりました。今もなお、多くの人を苦しめる原爆。その原爆につながる被害が大阪にあったことを伝えなければ。そう思い始めた頃、別の友人から「孫に聞かせてやりたい」と頼まれました。自分にできることがあるのではないか。背中を押された気がしました。7、8年前から機会があるごとに体験を話すようになりました。

 7月26日に毎年、慰霊碑前で追悼式が営まれています。今年の追悼式では、小中学生ら約250人に「あの日」を語りました。聞き終えた後、子供たちが「私たちがこれからの平和を守りたい」と話す姿を見ると、体が動く限り語り継がなければとの思いを新たにします。(聞き手 斎藤七月)

 ◇全国30都市に50発

 模擬原爆は、米軍が1945年7〜8月、大阪や、東京、愛知など全国約30都市に計約50発投下した。B29爆撃機が原爆投下後の爆風に巻き込まれずに飛行するための訓練用だったという。長崎に投下された原爆と同じ形状、重さで、中には通常の爆薬が詰められていた。

 大阪市史によると、東住吉区田辺には7月26日に投下され、7人が死亡、73人が負傷したとされる。2001年、遺族と住民が協力して慰霊碑を建立。住民でつくる実行委員会が毎年、慰霊碑前で追悼式を行っている。

2015年08月11日

2122名無しさん:2015/08/12(水) 10:07:46 ID:GblVDpUA0
<私の戦後70年>「軍都大阪」戦跡に学ぶ
2015年08月12日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150811-OYTNT50357.html?from=oytop_ymag

◇旧真田山陸軍墓地

 ◇森田 敏彦さん 72

 大阪市内を中心に、太平洋戦争の遺跡を訪ね歩いています。きっかけは、約1万5000平方メートルの土地に約5100もの個人墓碑や合葬墓が並ぶ旧真田山陸軍墓地(天王寺区)の存在を知ったことです。

私は1943年に大阪市阿倍野区で生まれましたが、幸い空襲には遭いませんでした。高校生の時に父が亡くなり、遺品を整理していたら、軍隊手帳が出てきました。「父はどんな気持ちで従軍していたのか。無謀と思われる戦争を、父や当時の人々は一体どう思っていたのか」。そんな思いに駆られ、満州事変と日中戦争に出兵した父に戦争体験を聞けなかったことを悔やみました。

 旧真田山陸軍墓地を初めて訪れたのは、公立高校の社会科教員時代です。それは、まるで街中に突如として現れた墓石群。その時の衝撃は忘れられません。退職後、観光ボランティアガイドになり、大阪城や玉造界隈などの観光スポットを案内する中で、墓地への関心が深まりました。

 よく見ると、軍人のものだけでなく、外国人捕虜や軍の仕事を助けた軍役夫ら非戦闘員の墓もある。墓石の大きさは階級ごとに異なりますが、それでも身分、立場を超えて弔われていることに意義深さを感じました。日頃は戦争の傷痕など感じられない大阪の街中に、戦争遺跡がまだ多く残されていることに気づき、訪ね歩くようになりました。

 市内の寺社の境内では、焼けたご神木や、爆撃の痕跡が残るこま犬なども見ました。都島区の善源寺楠公園に残る「渡辺綱・駒つなぎの樟」は、戦災で枯死した大木の木肌が黒光りし、戦争の愚行を断罪しているように感じます。船場のレトロなビルにも弾痕があり、50回を超えた大阪空襲のすさまじさを知ることができます。

 大空襲の犠牲者を悼む慰霊塔や供養碑も、戦争の惨害を語り継いでくれています。1945年6月7日の第3次大空襲では市北東部が壊滅し、多数の死者が出ました。身元不明の千数百人の遺体を集め、遺骨を埋葬した城北公園(旭区)千人塚。爆撃の無慈悲さを思い、怒りと悲しみがこみ上げます。

 大阪城やその周辺には多くの軍事施設が作られ、現存する建物もあります。大阪が軍事都市であったことはあまり知られていません。戦争に実感が持てない若い人にも、想像力を働かせて、戦争の愚かさを知ってもらわなければなりません。

 私が実際に足を運んだ戦争遺跡のうち、約60か所を「大阪戦争モノ語り 街かどの『戦跡』をたずねて」(清風堂書店)と題した本にまとめ、戦後70年のこの夏、出版しました。これからは身近な人に戦争体験を聞くことも、どんどんなくなります。だからこそ、身近な戦跡に触れ、戦争について考えてほしい。二度と同じ過ちを起こさないために。(聞き手 東礼奈)

2123名無しさん:2015/08/12(水) 10:09:11 ID:GblVDpUA0
◇犠牲者増え合葬に

 旧真田山陸軍墓地は1871年(明治4年)に設置された全国初の陸軍墓地。西南戦争から日露戦争の戦傷病死者や、訓練中の死者らの個人墓碑が並ぶ。戦況が激しくなるとともに犠牲者が増えて合葬となり、日露戦争・満州事変の合葬墓、日中戦争から太平洋戦争の犠牲者の納骨堂もある。

 「真田の抜け穴」で知られる三光神社に隣接し、真田山陸軍墓地維持会が毎年10月に慰霊祭を行っている。「NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」のメンバーらが調査研究を進め、見学者の案内などで墓地の保存に尽力している。

2015年08月12日

2124名無しさん:2015/08/13(木) 00:28:24 ID:M/S.Cy6U0
踊りの輪 幾重にも 四天王寺で盆踊り大会
2015年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150812/20150812025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で11日夜、恒例の盆踊り大会が盛大に始まった。お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」でにぎわう中、多くの参詣者が踊りの輪に加わり、夏の夜のひとときを楽しんだ。

やぐらとして装飾された境内・石舞台(国重要文化財)の上には、昨年に続き伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんが登場。同寺開祖・聖徳太子の年忌法要「1400年御聖忌(ごせいき)」(2022年)にちなみプロデュースしたオリジナル河内音頭「不滅の光明・聖徳太子一代記」を名調子で歌い上げた。

 軽快な調べに乗せて石舞台周辺に踊りの輪が幾重にも広がるなど、境内は大いに盛り上がった。盆踊り大会は12日まで実施。午後7時半開始で参加自由。

2125名無しさん:2015/08/14(金) 16:58:07 ID:QX0FxsFc0
陸軍地下工場、写真発見 大阪、終戦直後に米軍撮影
2015.8.14 09:40更
http://www.sankei.com/photo/story/news/150814/sty1508140003-n1.html

太平洋戦争末期、大阪府高槻市で建設が進められた陸軍の地下壕内の工場「高槻地下倉庫」(暗号名「タチソ」)の写真17枚が、米国立公文書館に残されていることが14日分かった。「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」代表の福林徹さん(67)=京都府亀岡市=が5月に渡米して持ち帰った500枚以上の写真データの中から見つけた。
 日付は1945年10月15日で、米軍が工場について報告書を作成する際に撮影したとみられる。高槻「タチソ」戦跡保存の会事務局長の橋本徹さん(75)は「日本国内で写真や資料はほとんど残っておらず、貴重な資料だ」と評価している。

地下壕内はくいで補強され、電線のような配線や工作機械などが写っていた。写真説明には「機械は入り口から600フィート(約180メートル)奥にあった」などと記述されていた。また工場建設に従事した朝鮮人労働者が住んでいたとみられる住居群も撮影されていた。橋本さんは「朝鮮人労働者たちがどのような環境で生活していたか、よく分かる」と話している。

2126名無しさん:2015/08/14(金) 18:30:20 ID:QX0FxsFc0
京橋駅慰霊祭に250人、終戦前日に空襲
2015年08月14日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150814-OYO1T50011.html?from=oycont_top_txt

 大阪市のJR京橋駅前で14日、慰霊祭が営まれた。遺族ら約250人が参列し、犠牲者を悼んだ。

 京橋駅空襲慰霊祭世話人会・寺西忠幸会長(86)は「この地で、熱い熱いとうめいて亡くなった人や、母の胸に抱かれて息絶えた人がいる。多くの犠牲があったことを忘れないことが供養になる」とあいさつ。

 続いて、千羽鶴を折って慰霊碑に供えた地元の市立聖賢小学校の児童4人が「二度と戦争しないために、自分たちになにができるか考えていきます」と誓った。

 学徒動員先の工場で一緒に働いていた同級生を空襲で失った大阪府松原市の本城実さん(86)も参列し、「終戦前日に亡くなるなんて本当に気の毒で無念。戦争のない世界を願うばかりです」と話した。

 京橋駅周辺では1945年8月14日昼、B29が駅南側の軍需工場「大阪砲兵工廠こうしょう」を狙って計約700トンの爆弾を投下した。「京橋駅空襲」と呼ばれ、犠牲者は行方不明者を含めて500〜600人とされる。

2015年08月14日

2127名無しさん:2015/08/16(日) 12:50:42 ID:TA7sMoOQ0
平和への誓い新た 京橋駅空襲慰霊祭
2015年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150815/20150815028.html

 大阪市の旧国鉄京橋駅に1トン爆弾が落とされ、多くの人が犠牲になった「京橋駅空襲」から70年の14日、慰霊祭が同市のJR京橋駅近くの慰霊塔前(都島区)で執り行われた。遺族や関係者ら約200人が手を合わせて冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。

京橋駅慰霊祭世話人会によると 、終戦前日の1945年8月14日にあった空襲では同駅周辺に1トン爆弾が数発投下され 、200人以上が命を落とした。駅舎は吹き飛び、近くの民家や工場も大きな被害を受けたという。

 慰霊祭は55年に当時の京橋駅長から「供養をお願いします」と依頼を受けて始まった。記憶の風化を防ごうと、空襲の日に法要を毎年行い、ことしで61回目になる。

 慰霊祭では妙見閣寺(同市旭区)の住職がお経を上げ、参列者が順に焼香。じっと目を閉じて静かに両手を合わせていた。

 当時44歳の陸軍軍人だった父親を亡くした女性(77)=神戸市長田区=は「壊れた腕時計と財布と軍服があり、それで父親だと分かった。その後、母親が姉の結婚式で初めて笑顔を見せたことを覚えている」と話し、若い世代には「私たちみたいな目に遭ってほしくない」と戦争のない世の中が続くよう思いを託していた。

2128名無しさん:2015/08/16(日) 14:09:08 ID:TA7sMoOQ0
<戦後70年>動物殺処分 愚かな時代
2015年08月15日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150814-OYTNT50377.html

◇天王寺動物園 剥製を展示

 太平洋戦争中に犠牲になった猛獣の剥製などを展示する「戦時中の動物園展」が、大阪市天王寺動物園のレクチャールームで開かれている。動物園で起きた悲劇を知り、平和を考える内容。(中谷圭佑)

 100年前に開園した同園にも戦争は暗い影を落とした。餌不足や栄養失調でキリンやゾウなどが次々に死んだ。戦局が悪化し、「空襲で逃げ出すと危険」として1943年9月からは、猛獣の殺処分がやむを得ず行われ、ライオンやトラなど10種26頭が犠牲になった。

 会場には猛獣の剥製や、戦意高揚のプロパガンダに使われた軍服姿のチンパンジーの「リタ」(雌)の写真なども並ぶ。同園の榊原安昭獣医師は「飼育員はどんな思いだっただろうか。戦争の愚かさと平和の大切さを感じてほしい」と話す。23日まで。入園料のみが必要。問い合わせは同園(06・6771・8401)へ。

2015年08月15日

2129名無しさん:2015/08/16(日) 14:28:01 ID:TA7sMoOQ0
万灯に先祖思う 四天王寺で盂蘭盆会行事
2015年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150814/20150814020.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝統行事「万灯供養法要」が執り行われている。本格的なお盆休みが始まった13日も多くの参詣者が先祖をしのび、静かに供養の火をともした。16日まで。

 五重塔などが建つ境内・中心伽藍(がらん)には、回廊に沿ってろうそく台が設置され、先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」が連日1万本以上ともされている。

 日没後、ほのかな明かりが諸堂を幻想的に照らす中、家族連れなどが、ろうそくの前にたたずんで手を合わせたり、故人の思い出を語ったりするなど、心穏やかなひとときを過ごしていた。

 万灯供養は日没後から午後9時。期間中は同寺僧侶が午後6時半(15日は同6時)から般若心経とともに伽藍内を練り歩く法要も行われ、一般参詣者も加わって長い列が続いた。

2130名無しさん:2015/08/16(日) 18:37:05 ID:TA7sMoOQ0
400年ぶり「豊国踊り」 ノリノリ現代版も誕生
2015年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150815/20150815032.html

 豊臣秀吉の七回忌の祭礼で踊られたという「豊国(ほうこく)踊り」が、大阪城天守閣前で400年ぶりに復活した。忠実に再現したバージョンだけでなく、三味線を使ったノリの良い現代版も誕生。派手好みだった秀吉を彷彿(ほうふつ)とさせる出来栄えで、関係者らは「大阪を代表する踊りになれば」と思いを寄せている。

 豊国踊りは、1604(慶長9)年に京都・豊国(とよくに)神社で執り行われた秀吉の七回忌祭礼でクライマックスを飾った踊り。計1500人が参加し、グループごとにそろいの衣装を着て、工夫を凝らした造(つく)り物を出したという。その様子は、秀吉の臣下・太田牛一による「豊国大明神臨時御祭礼記録」などに残されている。

 今回、官民連携で取り組まれた「大坂の陣400年プロジェクト」の一環で、文献や絵画史料を基に再現。作・演出は大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが務めた。

 踊りの考証に当たった橋本裕之・追手門学院大教授は豊国踊りのジャンルについて「今の盆踊りにつながっていく、当時流行した風流踊りの一つ。そこに(参加人数やそろいの衣装といった)奇抜な趣向を取り入れて行われた」と解説する。

 制作した踊りは、当時のものを忠実に再現するようにした“正統派”バージョンだけでなく、「現代の人でも楽しめるように」と、テンポが早い“平成版”も含めて3段階のスピードを用意した。

 踊りは、中央区の天守閣前で開かれた夕涼みイベントの中で8日に披露。宝塚歌劇団OGとOSK日本歌劇団OGら十数人が、軽やかなステップも盛り込まれた“平成版”を繰り広げた。

 最後には同OGと観客らが、天守閣を背景に組まれたやぐらを取り囲み、一緒になって挑戦。子どもから高齢者まで息を切らしながらも笑顔で楽しみ、「もっと踊りたかった」との声も上がっていた。

 企画・監修を担った北川央・大阪城天守閣館長は「踊りを各地の団体に取り入れてもらったり、アレンジしてもらったりしながら大阪の夏の風物詩として定着していければ」と展望を語っていた。

2131名無しさん:2015/08/18(火) 01:05:24 ID:Ydh1X6aM0
600人が戦没者悼む 大阪護国神社
2015年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150816/20150816085.html

 戦後70年の終戦の日となった15日、大阪市住之江区の大阪護国神社(柳澤忠麿宮司)で戦没者を悼む祭儀「英霊感謝祭」が盛大に執り行われた。府内各地の遺族、戦友会などの関係者をはじめ、一般参拝者が続々と参列。せみ時雨の中で犠牲者の冥福を祈った。

今年は大きな節目の年とあって例年の倍近い約600人が参列。本殿では全員が正午に合わせ黙とうをささげたのに続き、祝詞奏上、みこによる「みたま慰めの舞」が厳かに奉納された。

 柳澤宮司は、戦後の占領政策で慰霊祭の禁止や神社名の一時改称を余儀なくされた歴史にも触れ、「神社が存在する限り、絶えることなく英霊、先人への慰霊と感謝をささげていきたいと決意を新たにした」とあいさつした。

 海軍の航空機搭乗員だった男性(89)=同市阿倍野区=は「慰霊碑の掃除などで頻繁に境内を訪れているが、今日は戦友に会えるのが楽しみ」と参拝。「戦時中は多くの戦友を見送ったが、若い人には大変な思いをしてもらいたくないので平和な時代が続いてほしい」と話していた。

 夜には伝統行事の「みたま祭り」も斎行。無数のちょうちんがともる中、盆踊りが奉納され、遅くまで多くの参拝者でにぎわった。

2132名無しさん:2015/08/22(土) 21:01:33 ID:KvIrOSYE0
学童疎開「6割旅館」 鳥取での実態解説
2015年8月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150822/20150822048.html

 太平洋戦争末期の1944年から国策として実施された学童集団疎開のうち、鳥取県への疎開をテーマにした講演会が20、21の両日、大阪市北区の鳥取県関西本部交流室であった。同県立倉吉西高教諭の石田敏紀さん(50)が、児童約4千人が鳥取へ疎開した経緯や受け入れ側の体制などについて解説した。

鳥取の歴史文化や産業など各分野の識者による月例講座「鳥取学出前講座」(同本部、大阪鳥取県人会主催)として開いた。

 石田さんは冒頭、神戸市内の国民学校9校の受け入れ先が鳥取県に決まり、相互の調整を経て同年9月から疎開が始まったことを紹介。「鉄道沿線で旅館が多い地域が選ばれた」といい、他県の受け入れ施設は寺院が多数を占める中、鳥取県は旅館が約6割だったことを特徴に挙げた。

 石田さんは、当時多くの人々が子どもたちを助けるために尽力したことに触れ、「集団疎開が戦争継続のための政策であり、戦争は人々の善意も利用して遂行された」と持論を述べた。

 来場者の中には当時を知る人もあり、疎開児童の増加や再疎開など、政策が時々刻々と破たんしていく実相に聞き入っていた。

2133名無しさん:2015/08/24(月) 00:57:27 ID:ZbbGMv0s0
戦後70年シンポ・命の大切さ「創作落語」で〜大阪
更新:08/23 18:13
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150823/00000021.shtml
戦後70年の記念シンポジウムが23日、大阪市内で開かれ、落語家の桂春蝶さんが特攻隊をテーマとした創作落語を披露し命の大切さを訴えました。

 このシンポジウムは、戦後70年を迎えて戦争体験が風化する中、大阪市が平和について考えようと開いたものです。

 まず、NPO法人代表の神直子さんが、フィリピンで聞き取りをした元日本兵について基調講演を行い、最後に落語家の桂春蝶さんが鹿児島県の知覧基地跡で特攻隊員らの遺影を見て創作した落語を披露しました。

「明日があるというのは、ありがたいことやと思って生きててほしいんや」(落語家 桂春蝶さん)

 シンポジウムの参加者らは、命の大切さを訴える春蝶さんのメッセージに聞き入っていました。

2134名無しさん:2015/08/25(火) 20:32:25 ID:RJBm2YRU0
世界文化遺産の登録目指す 百舌鳥・古市古墳群
2015年8月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150825/20150825025.html

 2017年の世界文化遺産登録を目指す国内候補から外れた大阪府の百舌鳥・古市古墳群(堺、羽曳野、藤井寺各市)について、府と3市の首長でつくる世界文化遺産登録推進本部会議が24日、府庁であり、16年度の国内推薦獲得と18年度の登録を目指す方針を確認した。

 松井一郎知事の代理で小西禎一副知事らが出席し、本部長の竹山修身堺市長が「機運醸成を3市と府でスピード感を持って取り組みたい。この1年が試金石になる。来年は必ず国内推薦を得る覚悟で頑張りたい」と決意を述べた。

 今後の主な取り組みとして、首都圏など全国での広報活動の強化をはじめ、シンポジウムや講演会を通して古墳群の価値を広くPRする。海外の考古学の専門家を新たに交え、文化庁に提出する推薦書の作成検討委員会を開催することなども確認した。

2135名無しさん:2015/08/29(土) 21:01:19 ID:3Vmp/iAs0
爆笑王・桂枝雀さんの長男、落語家に ざこばさんに入門
篠塚健一2015年8月28日
http://digital.asahi.com/articles/ASH7W328CH7WPTFC001.html

 落語界の爆笑王として知られ、16年前に亡くなった桂枝雀さんの長男前田一知(かずとも)さん(43)が、枝雀さんの弟弟子の桂ざこばさん(67)に弟子入りした。芸名は「桂りょうば」。枝雀さんとざこばさんの師匠である桂米朝さんの追善の一門会が開かれた今月16日付で入門し、二世落語家として歩み出した。

 一知さんは大阪府豊中市生まれ。幼稚園の時から枝雀さんの弟子が稽古する噺(はなし)を聞き覚えてしゃべっていた。落語少年ぶりを枝雀さんは喜んでいたが、「かわいらしいと言ってもらえるのは小学生まで。本当にやりたかったら、高校を卒業してから改めて来なさい」と考える時間を与えた。

 中学に進むころに落語から離れると、高校では演劇や音楽に夢中に。英語落語の前座をすることはあったが、20代後半から東京を拠点にミュージシャンとしてバンド活動に打ち込んだ。

 転機は枝雀さんの没後10年だった2009年。亡き父の落語を改めて熱心に聴くうちに、「子どものころとは違う面白さに気づいた。すごい人だったんだ、と思いました」。自分もやってみようと、各地でアマチュアとして高座を重ねてきた。表情や口調に枝雀さんの面影が宿る。プロへの思いが高じて今年、ざこばさんに弟子入りを志願。9月から大阪で本格的な修業生活に入る。

 ざこばさんは「どうしてもなりたいと言うんでね。(枝雀)兄ちゃんへのお返しという気も少しはあるけど、そない大層には考えない。僕の弟子で噺家として渡っていけるんなら、かめへん」と話している。(篠塚健一)

     ◇

 〈桂枝雀〉 39年神戸市生まれ、本名・前田達(とおる)。神戸大を中退して桂米朝に入門し、73年に枝雀を襲名。爆笑落語で一時代を築き、84年には上方落語家で初めて東京・歌舞伎座で独演会を開いた。英語落語の先駆者でもあった。99年、59歳で死去。

2136名無しさん:2015/09/11(金) 13:30:35 ID:Mii5n1..0
大阪城で太閤秀吉の愛した「薪能」 大坂の陣400年天下一祭で
2015年09月05日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1396/
 「大坂の陣400年天下一祭 夏の陣2015」の一環として行われる同公演。大阪を代表する能楽師の大槻文藏さんをはじめ、能楽界の重鎮から若手までの実力派能楽師が4日間にわたり、天守閣を背景にした特設舞台に立つ。

 演目は、初日=「翁(おきな)」「猩々(しょうじょう)」、2日目=「蚊相撲」「土蜘蛛」、3日目=「仏師(ぶっし)」「安宅(あたか)」、4日目=「蝸牛(かゅう)」「吉野詣」。4日目の「吉野詣」は、豊臣秀吉が自分の事績をもとに作らせた「豊公能(たいこうのう)」と呼ばれる作品で、当時「豊公能」の作品のほぼ全ては、能をこよなく愛していた秀吉自らが演じていたといわれる。

 8月11日に大槻能楽堂(大阪市中央区上町A)で行われた記者発表会では、出演者を代表して大槻文藏さんと、その芸養子で高校生能楽師として注目を集めている大槻裕一さんが見どころなどを語った。

 「吉野詣」で豊臣秀吉役を演じる文藏さんは「20年ほど前に復曲した作品。この役を大坂の陣から400年という特別な年に演じさせてもらうことに大変意義を感じている」と意気込みを見せた。裕一さんは「普段は能をご覧にならない方にも分かりやすく華やかな曲を選んだ。能は難しいと感じる方にもぜひ見に来てほしい」と呼び掛けた。

 当日の出演は、ほかに観世清和さん、野村萬斎さんなど。18時30分開演。チケットは、VIP=1万5,000円、S=1万円、VIP通券=5万5,000円。チケットはイープラスなどで扱う。

2137名無しさん:2015/09/11(金) 22:57:29 ID:qtZg/EPQ0
戦時写す卒業アルバム
2015年09月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150911-OYTNT50036.html?from=ycont_top_txt

◇防空頭巾で訓練・日の丸イラスト  金光藤蔭高に遺族寄贈

 金光藤蔭高(大阪市生野区)に、71年前に発行された卒業アルバムが届いた。贈ったのは、北海道岩見沢市の獣医師、加山朋欣(ともよし)さん(59)。同校の前身・浪花高等女学校の卒業生だった母の遺品を整理中に見つけた。防空訓練の写真や開戦詔書の写しなどが載ったページからは戦時中の様子がうかがえ、加山さんは「戦争を乗り越えた人々の苦労を若い人に感じてもらえるよう、役に立ててほしい」と話している。(浅野友美)

 加山さんの母・よし子さんは、2011年9月に86歳で他界。アルバムは、よし子さんが暮らしていた京都市伏見区の家を処分するにあたり、加山さんが取り寄せた遺品の箱の中から、今年4月に見つけた。

約60ページのアルバムは、表紙はなくなっていたが、巻頭には開戦詔書の写しやアジア圏の地図、日の丸のイラストを掲載。よし子さんら卒業生約270人の顔写真のほか、防空頭巾をかぶった女学生がバケツリレーをしたり、高野山の霊場で修養をしたりする写真も収められている。

 福岡県出身のよし子さんは、下宿をしながら浪花高等女学校を卒業。終戦後に京都に嫁ぎ、加山さんら3人の子を育てた。子供が好きで、進路などについても、加山さんらの意思を尊重してくれたが、自らの生涯については、ほとんど語ることはなかったという。

 加山さんは、知らなかった母の過去の一部を目の当たりにし、「さぞかし大変な人生を生きたのだろう」と思いやった。それと同時に、アルバムで笑顔を見せる、若き日のよし子さんら卒業生たちが「戦争のことを、今の時代に伝えて」と訴えているようにも感じ、8月に金光藤蔭高に手紙で寄贈を申し出て、今月5日に届けた。

 同校には、当時の卒業アルバムは残っておらず、安元祥二校長(65)は「71年の時を経て、学校の歴史がよみがえった」と感激。加山さんの思いを受け、全校生徒にアルバムが届いたことを伝えるとともに、「厳しい時代に先輩たちが社会で自立するため必死に学んだのを見習って、感謝を忘れず、人の役に立つ人になってほしい」と呼びかけたという。同校は今後、このアルバムをデジタルデータ化して長期保存することにしている。

 加山さんは「母は生前、このアルバムを大切に保管し、何度も見返していたはず。こういう形で受け継がれ、喜んでいるでしょう」と話している。

2015年09月11日

2138名無しさん:2015/09/20(日) 14:32:04 ID:kCiGURGQ0
岸和田だんじり祭り始まる
更新:09/19 12:31
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150919/00000024.shtml

大阪・岸和田市では、だんじりが城下町を豪快に駆けぬける「岸和田だんじり祭り」が19日始まりました。

 重さ4トン、高さ約4メートルのだんじり34台が法被姿の男たちにひかれ、全速力で町を駆けぬけます。

 祭りの最大の見せ場は、勢いよく走りながら交差点で直角に向きを変える「やり回し」です。

 岸和田だんじり祭は、五穀豊穣を祈願して江戸時代に始まったとされる伝統行事で、今年も沿道を埋める大勢の見物客から、拍手が上がっていました。

「すごく迫力があっておもしろいです」(来場者の子ども)

「1年に1回の楽しみです」(来場者の子ども)

 22日は、だんじりが3つの神社に入る「宮入り」が行われます。

2139名無しさん:2015/09/20(日) 14:43:55 ID:kCiGURGQ0
天満天神繁昌亭が9周年
09月15日 14時22分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150915/4834071.html

大阪にある上方落語専門の寄席、「天満天神繁昌亭」がオープンから9周年を迎え、桂春之輔さんらが出席して記念の式典が開かれました。
「天満天神繁昌亭」は、大阪では60年ぶりとなる、上方落語専門の寄席として平成18年にオープンしました。
9周年を迎えた15日、記念の式典が開かれ、上方落語協会の副会長を務める桂春之輔さんが、「あっという間に9年がたち、来年は10周年です。消費税の値上げもあってきょうから入場料を500円上げることになりましたが、今後もよろしくお願いいたします」とあいさつしました。
続いて、四斗だるを開けて訪れた人たちに日本酒が振る舞われ、会場は華やかな雰囲気に包まれていました。
繁昌亭にはこの9年間に127万人を超える人が訪れたということで、春之輔さんは、「ここまで発展すると思いませんでした。落語家が手探りで運営してきましたが、今後も一生懸命後輩に引き継いでいきたい」と話していました。

2140名無しさん:2015/09/20(日) 16:01:36 ID:kCiGURGQ0
岸和田だんじり祭 34台疾走し開幕
2015年09月19日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150919-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が19日、開幕。だんじりが交差点を勢いよく曲がる勇壮な「やり回し」に、見物人が歓声を上げた。

 見せ場の「やり回し」は南海岸和田駅前などの交差点で披露。法被、ねじり鉢巻きの曳(ひ)き手たちがだんじり34台を疾走させ、猛スピードで直角に曲がったり、高さ4メートルの大屋根で大工方が華麗に舞ったりする姿に、驚きの声が上がっていた。市は20日の本宮と合わせて55万人の人出を見込んでいる。

2015年09月19日

2141名無しさん:2015/09/20(日) 16:05:28 ID:kCiGURGQ0
舞の秋 優美に 大槻能楽堂で「與桂の会・花扇会」
2015年9月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150915/20150915038.html

 日本舞踊の花柳與桂(はなやぎよか)さんによる「與桂の会・花扇会」が13日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開かれた。與桂さんは平安時代の歌謡集で後白河法皇編さんの『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を披露。花扇会の門下生も次々に出演し、来場者約200人を楽しませた。

與桂さんは梁塵秘抄の創作舞踊や長唄『扇の的』を通して日本舞踊の美しさを表現。門下生らは長唄『梅の栄』『秋の色種』『越後獅子』などを踊り、舞台に花を添えた。

 與桂さんは「踊れる喜びをかみしめて精進し、日本舞踊の発展にまい進したい」とあいさつ。この日の舞台について「文化は秋から始まる」と話し、日本舞踊を通して文化の秋到来を盛り上げた。

2142名無しさん:2015/09/20(日) 16:52:10 ID:kCiGURGQ0
売り切れ続出 四天王寺「亀の文鎮」人気
2015年9月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150915/20150915025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)に新たな授与品として「黒い亀の文鎮」がお目見えした。境内のほぼ中心に位置する「亀の池」「亀井堂」にちなんだ品で、参詣者には「縁起がいい」と評判。境内諸堂の窓口では売り切れ続出で、亀の歩みに反し、売れ行きの出足は好調だ。

2022年に行う忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」の取り組みの一環。かねて参詣者から亀にちなんだ授与品の問い合わせが絶えなかったことを受け、実際に使えるものとして南部鉄器の本場である岩手県のメーカーに特注した。

 全長約7センチ、幅約5センチ、重さ約180グラムとほどよいサイズ。腹部に同寺の角印を刻んだ。使い込むうちに表れる鉄特有の黒光りも魅力という。

 お守りではないが「長寿の願掛けにしたい」と購入する人が相次ぎ、早くも追加生産に。同寺参詣課の山岡武明課長は「多くの方に親しんでいただけるよう今後も四天王寺の魅力を発信したい」と話している。価格は1200円。

2143名無しさん:2015/09/21(月) 20:17:58 ID:x3juxcHk0
大坂夏の陣400年 大阪城で重要文化財の櫓など公開
更新:09/21 14:57
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150921/00000032.shtml

大阪城では、大坂夏の陣から400年を記念して国内最大級の「多聞櫓」など重要文化財4つが公開されています。

 大阪城の西の丸庭園で公開されているのは重要文化財の「多聞櫓」「焔硝蔵」など4つの建造物です。

兵士たちが籠城して寝泊りするために作られた国内最大級の「多聞櫓」をはじめ、大阪城内で最古の建造物となる「千貫櫓」や「乾櫓」など普段は公開されていない櫓を見ることができ同時に4つの文化財が公開されるのは珍しいということです。

「あまり見られないものが見れるのはとても貴重だなと」(来場者)

「この床なんか昔の江戸時代ですね削った跡がありますから400年前の世界に戻れるということですばらしい」(来場者)

これらは23日までと26日・27日に公開されます。

2144名無しさん:2015/09/22(火) 11:50:43 ID:ZwuTXadk0
寝屋川に邪馬台国期集落跡
2015年09月18日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150917-OYTNT50386.html

邪馬台国時代の2世紀後半〜3世紀半ばの集落跡が、寝屋川市の小路(しょうじ)遺跡で出土したと、市教育委員会が17日、発表した。市教委は「北河内地域でこの時期の集落跡が確認されるのは初めてで、代表的な集落遺跡になる」とみている。

 市教委によると、約4000平方メートルを発掘し、柱穴や溝、井戸跡などを確認。ごみ捨て穴などから、2世紀後半〜3世紀半ばの土器片が数千点出土した。集落は南北300メートル、東西200メートルの範囲に広がると推測している。

 また、土器には、吉備(岡山県)や東海(愛知県)のものが各1点含まれており、広域的な交流があったことをうかがわせる。

 遺跡の南東500メートルには全長87メートルの前方後円墳、忍岡(しのぶがおか)古墳(4世紀初め)があり、集落と関連する可能性がある。市教委文化スポーツ振興課は「北河内地域の古墳出現期について解明する手がかりになる」と評価している。

 現地説明会は26日午後1〜3時。京阪バス小路北町バス停から南約200メートル。駐車場はない。問い合わせは同課(072・824・1181)へ。

2015年09月18日

2145名無しさん:2015/09/23(水) 11:14:06 ID:la3at3U60
「飲みながら 食べながら 文楽」 鑑賞プロジェクト
2015年9月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150921/20150921028.html

 本格的なヒノキ造りの組み立て式舞台を使った文楽公演が10月17〜20日、大阪市中央区の難波宮跡公園で上演される。「飲みながら 食べながら 文楽」をキャッチフレーズにした開放的な屋外公演となる。

「古代、難波宮があった大阪の都市文化の発祥の地で、文楽が『大阪のタカラ』『日本のタカラ』であることを多くの人に思い起こしてほしい」との思いで日本財団が取り組む「にっぽん文楽プロジェクト」の一環。3月に東京・六本木ヒルズ公演からスタートし、2020年をめどに年2回全国を巡演する。

 2都市目となる大阪公演の演目は、文楽ゆかりの地・道頓堀の開削400年を祝って「二人三番叟」と、「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」。出演は桐竹勘十郎さん、吉田玉男さんら。

 昼の部午後2時、夜の部同6時半開演。飲食物は持ち込み自由。入場料2千円(全席自由)。問い合わせは電話03(6229)2648、にっぽん文楽プロジェクト。

 【チケットプレゼント】同公演の19日と20日の昼の部または夜の部の招待チケットを計20枚プレゼント。希望者はメールで件名に「にっぽん文楽チケット希望」と書き、本文に氏名、住所、連絡先電話番号、希望公演日時、枚数(1人2枚まで)を明記し9月30日午後5時までに応募。

 メールアドレスは pr〓ps.nippon-foundation.or.jp

2146名無しさん:2015/09/24(木) 21:59:46 ID:e4A4vG9U0
大河「真田丸」新たな出演者
09月24日 19時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150924/5065011.html

戦国の武将、真田幸村の生涯を描く来年放送のNHKの大河ドラマ「真田丸」の新たな出演者9人が発表されました。
来年の大河ドラマ「真田丸」は、幸村の名で知られる真田信繁が、戦国の世を駆け抜けるドラマで、脚本は人気劇作家の三谷幸喜さんが手がけます。
東京・渋谷のNHK放送センターでは、豊臣家側の登場人物を演じる出演者9人が新たに発表され、信繁役の堺雅人さんも出席して記者会見が開かれました。
このうち、▼秀吉最愛の側室、茶々役は大河ドラマ初出演となる竹内結子さんが演じることになりました。
また▼秀吉の正室、北政所役を鈴木京香さん、▼豊臣家に絶対的な忠誠を誓う石田三成役を山本耕史さん、そして▼茶人、千利休役は桂文枝さんが演じることになりました。
会見では、茶々役の竹内さんが「これまでさまざまな方が茶々を演じていて、そこに加えていただけることをとても光栄に感じます」と話しました。
また、大河ドラマ初出演となる桂文枝さんは、「私も千利休と同じ大阪の堺出身で、ぴったりちゃうかなと思っています。史実では秀吉に自害を命じられますが、私は一生懸命生き抜いて歴史を変えたいと思います」と冗談を交えながら抱負を語りました。
会見では脚本を手がける三谷さんが突然、記者席から「台本が遅れた方が役作りに悩むことがなくなるというのは本当か」などと質問し、壇上の出演者たちから笑いが起きました。
大河ドラマ「真田丸」は、今月1日からすでに撮影が始まっていて、来年の1月から1年間放送されます。

2147名無しさん:2015/09/24(木) 22:59:51 ID:e4A4vG9U0
落日に合掌 極楽浄土思う 四天王寺で伝統の「日想観」
2015年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150924/20150924021.html

 彼岸の中日「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で伝統行事「日想観」が執り行われた。薄暮の中、多くの参詣者が真西に沈む落日に極楽浄土を観想した。

かつて四天王寺の西側は難波(なにわ)の海が広がり、境内の西門は極楽浄土の東門へ続くと信仰されたことに由来する行事。年に2度、春と秋の彼岸の中日にのみ夕日が境内「石鳥居(いしのとりい)」の中央に沈む光景を望むことができる。

 夕刻の境内・西大門(極楽門)付近では同寺僧侶が参集し、厳かに般若心経などを読経。参詣者も読経に加わり、ゆっくりと傾き始めた夕日をカメラに収めたり、手を合わせたりして見届けた。年2度のうち、あいにくの空模様で夕日が見られない場合もあることから「きれいな夕日を拝めた」「初めて見た」など方々から喜ぶ声が聞かれた。

 この日の境内は墓参りなどの家族連れなど多くの参詣者で終日にぎわった。

2148名無しさん:2015/09/27(日) 13:43:54 ID:1vDRPrZY0
都市を生きる建築(44)】
時間を超えた存在感…三井住友銀行大阪本店
http://www.sankei.com/west/news/150927/wst1509270009-n1.html

住友ビルディングとして完成してから現在までの85年間に、建物以外のさまざまなものは移り変わった。西に流れていた西横堀川は高度成長期に埋め立てられ、今は高速道路が走っている。周囲に超高層ビルも増えた。旧住友本社と連系各社の本拠であった建物も、現在では、三井住友銀行大阪本店ビルとなった。

 それでも、土佐堀川越しの景色は変わらない。大阪の発展を支えてきた川の流れは太く、建物全体を観察する余地を与えている。そんな人々の視線に対して建築は時間を超えた美しさで、臆することなく応えているように見える。

 「住友本店・銀行本店」の建設は、1895(明治28)年に住友家が本格的な銀行業への進出を決定した時から構想されていた。これを担当する部署として設立された住友本店臨時建築部は、住友家の寄付によって1904年に開館した大阪府立中之島図書館の設計を担当した後、1908(明治41)年、現敷地の南側に本格的な木造西洋建築である住友本店仮建物を竣工させた。そして、2期にわたる建設工事を経て、1930(昭和5)年に完成したものである。

 「住友ビルディング」の名と実を反映するかのように、外観には「ビルディング」らしさと「銀行」らしさが噛み合わさり、互いに引き立てあっている。西洋風の列柱を使わず、窓のプロポーションによって品位を獲得する手法は、1925年に渡辺節の設計で完成した中之島の大阪ビルヂング(現ダイビル本館)と同じもの。表現を抑制し、見た目の機能を限定しない先進性、合理性が読み取れる。

http://www.sankei.com/west/news/150927/wst1509270009-n2.html

土佐堀川に面した正面の「銀行」らしさは、中央に立つ2本のイオニア式オーダーの柱とその上の梁状のエンタブラチュアに集約されている。印象的な外壁は兵庫県高砂産の黄竜山石を砕石、これにイタリア産大理石トラバーチンを砕いて混合し、鉄筋を入れて成形した擬石ブロックで覆ったもの。そこに黄竜山石の本石によるオーダー柱とエンタブラチュアに導かれて3階部分まで達するエントランス空間が穿たれている。

 壮大な営業室が位置するのは、その先である。吹き抜けの空間に大理石製のコリント式オーダー31本が並び、植物をモチーフとした紋様が細部にまで駆使されている。圧倒的な説得力をもって、戦前の銀行本店が備えるべき質が何であったかを教えてくれる空間だ。

 建物には明治からの様式の保守本流と、大正以降の合理性が高度に統合されている。住友の本店としての重みを理解し、長期的な判断を下す精神が、時代に流されない存在感として結実している。

 もう一つ、変わらないのはその精神だろう。2015年に約2年間の改修工事を終え、ステンドグラスも当初の輝きが蘇った。建築は今日も見られることの責任を受け止め、大阪にいるのだと人々に実感させるような公共性を提供し続けている。(倉方俊輔/建築史家・大阪市立大学准教授)

2149名無しさん:2015/10/04(日) 17:34:52 ID:OcGGtAPo0
太閤はんご満悦 大阪城みやげは金平糖
2015年10月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20151001-OYTNT50018.html?from=yartcl_blist

大阪城の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘・公開するプロジェクトへの資金を募る「太閤なにわの夢募金」(◎)を応援しようと、大阪ビジネスカレッジ専門学校(大阪市北区)の学生が大阪城にちなんだお土産を開発した。第1弾として「大坂つゆの恋」と名付けた金平糖が10月下旬から販売される予定で、売り上げの一部は募金に寄付される。学生らは「お土産を通じて多くの人に夢のあるプロジェクトを知ってもらい、寄付金が集まれば」と期待している。(斎藤七月)

プロジェクトの応援事業の商品「太閤石垣クランチ」を販売する「Ko.Ko.Moよしもと」の小林広和さん(50)と同校講師の成羽学さん(50)が知人だったことから、学生のアイデアを生かしたお土産の共同開発がスタート。同校でファッションや商品企画などを学ぶ計19人が参加し、4月から課外時間に大阪城の歴史や石垣について学んだり、大阪城や大阪市内の土産物店を見学したりして、観光客の好みを調べた。

 その結果、学生たちと同世代の若者と急増している外国人観光客をターゲットに商品開発することを決定。学生らは学科ごとに検討を重ね、戦国武将の家紋柄のビニール傘やデニム生地で大阪城の石垣を表現したトートバックなど計8点の商品アイデアを生み出した。応援事業を担当する大阪市観光課の担当者やKo.Ko.Moよしもとの幹部らに説明したところ、8点の中から、まず金平糖を「大坂つゆの恋」の商品名で販売することが決まった。

 「大坂つゆの恋」は、大阪城をあしらったパッケージに、送り主からのメッセージを書き込めるのが特徴だ。秀吉の辞世の句から発想を広げたといい、開発プロジェクトのリーダーの玉川将也さん(19)は「秀吉の句のはかない雰囲気と、すぐに溶けてしまう金平糖を恋にかけた。お土産で恋心を伝えてほしい」と話す。

 パッケージは大阪城の石垣をくりぬいた形の部分から、中身の金平糖が見えるようになっている。小林さんは「金平糖が石垣を思い起こさせる。応援商品にぴったりのアイデアで、発売後の販売促進も学生ならではの発想で取り組んでもらいたい」と期待する。

 ほかのアイデアも商品化に向け検討を続ける予定という。玉川さんは「大阪が誇る大阪城のプロジェクトに関われたのは、学生時代のいい思い出になりそう。この経験を社会人になっても生かしたい」と話した。

 (◎)太閤なにわの夢募金 大阪市と読売新聞大阪本社が共同で実施し、目標額は5億円(2017年3月末まで)。8月末現在で約1億4700万円が寄せられている。1万円以上の寄付をした方には造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される。問い合わせ(平日)は市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)へ。

2015年10月01日

2150名無しさん:2015/10/04(日) 17:52:22 ID:OcGGtAPo0
「それどこやない」 船場商人の言葉紹介
2015年10月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151004/20151004025.html

 繊維や金融の中心として大阪の繁栄を築いた船場商人の言葉を紹介する展示が、大阪市西区の市立中央図書館で14日まで開かれている。「伝統を守るなにわの会」が船場言葉や風習をまとめた巻物14点を並べている。

同なにわの会発起人の故清水路子さんが生前に語った船場言葉の特徴も紹介。「特徴は丁寧語やあいさつ言葉の豊かさ。相手を思いやる優しい言葉にある」と解説している。

 船場言葉を記した巻物には「それどこやない(それどころではない)」「そないに(そんなに)」「そばえる(ふざける)」「ばあ(場所)」「ひょこっと(ひょっこり)」などと記されている。巻物のほか、いろはかるたも展示している。

 会場は大阪の書籍を集めた図書館3階の閲覧室にあり、郷土資料を求める来館者が立ち止まって見ている。担当者の沢谷晃子さんは「若い方は使わなくなったが、高齢の方は懐かしく思うのでは」と話している。

2151名無しさん:2015/10/04(日) 19:46:45 ID:OcGGtAPo0
「倭の五王」に思いはせ 大阪・近つ飛鳥博で「ワカタケル大王の時代」展
http://www.sankei.com/region/news/151004/rgn1510040058-n1.html

「古代の画期」とされる雄略(ゆうりゃく)天皇の時代を考古資料で探る特別展「ワカタケル大王の時代」(産経新聞社など主催)が3日、河南町の府立近(ちか)つ飛鳥博物館で開幕した。河内平野に築かれた巨大古墳から出土した豪華な副葬品などが展示され、訪れた古代史ファンが「倭(わ)の五王(ごおう)」の時代に思いをはせた。11月29日まで。

                  ◇

 雄略天皇は5世紀後半に実在したヤマト王権の大王で、中国・宋に使節を派遣した倭の五王のうち最後の「武(ぶ)」としても知られる。日本書紀では、第21代・大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)と贈り名されている。

 5世紀はヤマト王権の勢力が伸長した時期で、各地の首長の墓である前方後円墳も巨大化した。また国際化の時代で、朝鮮半島に出兵したり、先進技術がもたらされたりした。

 特別展では、埼玉県行田(ぎょうだ)市にある稲荷山(いなりやま)古墳から見つかり、「ワカタケル大王」と読める文字の刻まれた金錯銘鉄剣のレプリカをはじめ、真の雄略天皇陵の可能性が指摘される岡ミサンザイ古墳(藤井寺市、仲哀天皇陵)出土の埴輪(はにわ)などが展示されている。

 また、5世紀代の近畿各地の古墳の多様な出土品や、墓に供えられた須恵器なども公開。この時代の国際色豊かな文化のありようを探っている。

 この日の開会式では、白石太一郎館長が「雄略朝は古代の画期と認識されており、遺跡や遺物からもそれは裏付けられる」と見どころなどを紹介した。

 25日には仁藤敦史・国立歴史民俗博物館教授(日本古代史)による講演「『治天下大王』の支配観」があるほか、多彩な講座、シンポジウムを企画。10月4、17、31日と11月21、29日のいずれも午後2時からは、学芸員が展示解説を行う。月曜休館(ただし、10月12日と11月23日は開館)。問い合わせは同館(電)0721・93・8321。

2152名無しさん:2015/10/13(火) 04:28:01 ID:oP1PJR/k0
再現 だんご茶会
10月12日 12時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151012/5480001.html

豊臣家とゆかりが深く、千利休が茶会を開いたと伝えられている大阪の神社で、当時を再現した「だんご茶会」が開かれました。
大阪・中央区の「玉造稲荷神社」は豊臣家とゆかりが深く、千利休が茶会を開いて武将たちをお茶とだんごでもてなしたと伝えられています。
神社では、毎年この時期に当時の茶会を再現する「だんご茶会」が開かれ、12日は、裏千家の人たちが屋外で茶をたてる「野だて」を行いました。
お茶とともに、当時の茶会で出されたというよもぎだんごがふるまわれると、参加した人たちはゆっくりと味わいながら当時に思いをはせ、秋の一日を過ごしていました。
大阪・守口市から訪れた70代の女性は、「毎年、楽しみに来ています。さわやかな秋空のもとお茶をいただくのはいいですね」と話していました。

2153名無しさん:2015/10/17(土) 00:37:01 ID:3V8M37VY0
野外文楽公演 安全祈願祭
10月16日 21時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151016/5582011.html

人形浄瑠璃「文楽」の野外公演が17日から大阪で行われるのを前に16日、出演する人形遣いの桐竹勘十郎さんなどが公演の成功を願う神事を行いました。
文楽の野外公演は、開放的な場所で飲食もしながら気軽に楽しんでもらおうと、大阪・中央区の難波宮跡公園で17日から行われます。
本番を前に、会場では16日、神事が行われました。
文楽の技芸員などおよそ50人が神職からおはらいを受けたあと、出演する人形遣いの桐竹勘十郎さんが総ひのき造りの特設の舞台に上がって玉串をささげ、全員で、文楽発祥の地、大阪での公演の成功を祈願しました。
桐竹勘十郎さんは「文楽は堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、地元、大阪の皆さんに、歴史あるこの場所での公演を、気軽に楽しんでいただきたい」と話していました。
野外公演は17日から20日まで毎日2公演行われ、当日券も用意されるほか、一般の人が人形を操ることができる体験会なども開かれます。

2154名無しさん:2015/10/24(土) 12:00:34 ID:7llCaoaQ0
豊竹嶋大夫さん引退へ 人間国宝の文楽太夫
2015年10月21日 12:31
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151021/20151021057.html

 人形浄瑠璃文楽太夫の人間国宝、豊竹嶋大夫さん(83)が来年初めに現役を引退することが、文楽関係者の話で21日分かった。同日、大阪市内で記者会見する予定。嶋大夫さんの引退で、現役の文楽太夫の人間国宝は不在となる。

嶋大夫さんは松山市出身。1948年に十世豊竹若大夫に入門し、68年に八世嶋大夫を襲名した。94年には太夫の最高位の「切場語り」になった。時代物や、人物の「情」の繊細な表現が求められる世話物で高く評価され、今年10月に人間国宝に認定された。

2155名無しさん:2015/10/24(土) 19:45:33 ID:gBXZITq60
聖徳太子の偉業伝える 四天王寺絵堂特別拝観
2015年10月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151022/20151022022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、開祖聖徳太子の一生を描いた壁画の特別拝観が行われている。境内・聖霊(しょうりょう)院絵堂には連日参詣者が絶えず、克明に描かれた壮大な歴史の場面に見入っている。拝観無料。31日まで。

 2022年に訪れる太子の年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」記念事業として昨春から実施。7面からなる壁画「聖徳太子絵伝」には生前や誕生をはじめ、物部勢と崇仏派の争いで崇仏派の蘇我側についた太子が戦勝を祈願する、同寺建立の起源となる場面も。同寺僧侶による法話と解説「絵解き」も人気の一つで数々の偉業を分かりやすく伝えている。

 21日は弘法大師の月命日の縁日「大師会(だいしえ)」とも重なり拝観者が1千人近くに上った。生野区から家族と訪れた女性(80)は「何度見てもいい作品。より多くの人に見てもらいたい」と話していた。

 午前8時半〜午後4時。絵解きは午後1時、同3時の2回。拝観者には壁画の一部をデザインした記念ポストカードが授与される。

2156名無しさん:2015/10/25(日) 04:14:11 ID:gBXZITq60
大阪城「金蔵」囲む柱の跡
10月24日 06時48分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151024/5931151.html

大阪城で行われた発掘調査で、重要文化財の蔵を囲む塀を支えた柱の跡が見つかりました。
塀の外側では幕末の戊辰戦争で焼けた塀などとみられる炭のようなものが多数見つかりましたが、内側では柱が焼けずに残っていて、調査した研究所は塀によって蔵が焼失を免れたとみています。
大阪文化財研究所などは、おととし、大阪城の天守閣近くにある年貢などを納めた重要文化財の蔵、「金蔵」の東側で発掘調査を行いました。
その結果、金蔵を囲む塀を支えていた柱の跡が見つかりました。
塀の外側では戊辰戦争で焼けた塀などとみられる炭のようなものが多数見つかりましたが、塀を内側から支えた柱の跡では焼けずに残った柱が確認され、調査した研究所は、金蔵は塀によって焼失を免れたとみています。
このほか、天守閣の東側のやぐらの部分には、5段の石段があったことが確認され、赤く変色した痕は戊辰戦争によるものとみられています。
研究所の京嶋覚総括研究員は、「塀のおかげで金蔵が今も残っていることが明らかになった。構造が分かったので、今後、復元も可能になる」と話しています。
この発掘現場は、今月31日と来月1日に一般公開されます。

2157名無しさん:2015/10/25(日) 04:32:43 ID:gBXZITq60
伊勢神宮で太鼓演奏 11月「神恩感謝祭」
2015年10月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151022/20151022024.html

 全国の太鼓グループが一堂に会する三重県伊勢市の「神恩感謝日本太鼓祭」(11月7、8日)のPRキャラバン隊が21日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れた。

全国の太鼓の音を、伊勢神宮に奉納することが目的。同神宮近くにある江戸時代の街並みを再現した「おかげ横丁」(伊勢市宇治中之初町)の従業員らでつくる実行委員会が、同横丁一帯で開催している。例年、全国から5、6万人が訪れる。

 今回は、新潟県や大分県から12団体約100人が出演。同横丁の誕生とともに結成したグループ「神恩太鼓」をはじめ、昔話の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」が起源とされる和知太鼓(京都府)や世界各地で公演を行っている太鼓集団「鼓童」(新潟県)などが同横丁内に設けられた三つのステージで演奏する。

 会場にはケヤキの胴に革を張るミニ太鼓作り教室や屋台も並ぶ。 キャラバン隊は「太鼓の音で心が浄化されるとの感想をいただいた。会場では一日中、太鼓が鳴り響いているので、浄化される感覚を体感してもらえれば」と話していた。

2158名無しさん:2015/10/27(火) 04:39:03 ID:Gzq8RGgQ0
「平成中村座」25日開幕 勘九郎さんら出陣式
2015年10月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151025/20151025024.html

 大坂の陣400年記念「大阪平成中村座公演」を前に、中村勘九郎さんら出演者が24日、会場の大阪城西の丸庭園内特設劇場で出陣式を行った。5年ぶり3度目の大阪公演で、勘九郎さんは「父(勘三郎)との約束が実現できた。江戸時代にタイムスリップした歌舞伎の面白さを楽しんでください」と気勢を上げた。公演は25日から11月26日。

出演は勘九郎さんのほか、弟の七之助さんと中村扇雀さん、中村橋之助さんら、豪華俳優陣が勢ぞろい。七之助さんが「父の思いが詰まった舞台になる」と思いを新たにすれば、扇雀さんが「お兄さんを回顧する場面もあるし、お客さんがびっくりする場面も用意している」とPRに力が入る。

 演目は昼の部が「女暫」「三升猿曲舞」「狐狸狐狸(こりこり)ばなし」、夜の部が「俊寛」「盲目物語」。勘九郎さんは「三升-」と「盲目物語」で太閤さん(秀吉)を演じる。前回よりも舞台が大きくなった印象で「いい舞台にしたい」と勘九郎さんらは誓い合った。

2159名無しさん:2015/10/30(金) 03:50:26 ID:Dm61s2LI0
ねね助けた家臣に秀吉が感謝状 本能寺の変、恩賞も
2015年10月29日 19:13
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151029/20151029117.html

 滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館は29日、1582年に起きた京都・本能寺の変の際、長浜城にいた羽柴秀吉の妻「ねね」らを避難させた家臣広瀬兵庫助に感謝し、恩賞を与えると記した文書が見つかったと発表した。

文書の写しが存在し、内容は既に知られていたが、今年9月、兵庫助の子孫で東京在住の男性が原本を博物館に寄託した。博物館は「本能寺の変の際に秀吉の家族が逃げるのを家臣が助けたことを裏付ける貴重な史料」と話している。

 これまでの研究では、本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日、秀吉は備中高松城(岡山市)を攻略していたが、ねねら家族は居城の長浜城にいた。

2160名無しさん:2015/10/31(土) 04:43:25 ID:xQHl7wpg0
大阪での発掘調査の成果展示
10月29日 07時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151029/4769451.html

大阪市内で去年おこなわれた発掘調査で見つかった瓦や土器などの展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれています。
この展示会は、大阪文化財研究所が、去年、大阪市内でおこなった発掘調査の成果を紹介しようと開き、去年の出土品を中心に、縄文時代から昭和にかけての瓦や土器など約250点が展示されています。
このうち、大阪城の敷地で発掘されたしゃちほこの一部は、2代目の天守閣で使われたものとみられています。
大阪城や周辺で発掘された、すずりに水を入れるための小さな容器、「水滴」は、鳥や魚、かぼちゃなどの形をしていて、江戸時代の人たちの遊び心が感じられます。
さらに、大阪・中之島の、かつて蔵屋敷があった場所で見つかった鬼瓦は、今の秋田県や佐賀県にあった小さな藩が使っていたものとみられています。
大阪歴史博物館の学芸員、村元健一さんは、「大阪は遺跡の宝庫です。出土品を直接見て、まちの歴史の深さを感じてほしい」と話しています。
この展示会は、12月27日まで開かれています。

2161名無しさん:2015/11/01(日) 20:31:28 ID:YYVFx7dQ0
住吉大社で七五三準備 縁起物を袋詰め
2015年11月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151101/20151101035.html

 11月の七五三シーズンを前に大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)は31日、子どもたちに渡す千歳あめやお守り、鉛筆などの縁起物「撤下(おさがり)」の袋詰め作業を行った。

七五三は子どもの安全無事な成長を神様に祈願するお祝いの年中行事。袋詰め作業は10月から行っており、この日は連歌所で頭に飾り物「挿頭(かざし)」を付けた神楽女(かぐらめ)(みこ)の6人が最後の千個を詰めて合計6千個を用意した。

 神楽女の森岡可奈さん(21)は「笑顔でお参りしていただけるとうれしい」と話していた。同大社ではすでに千人が祈祷(きとう)を終えており、「近年は前倒しの傾向」(神職の武田昌也さん)という。ピークは14、15の両日。祈祷の受け付けは午前9時から。

2162名無しさん:2015/11/06(金) 14:10:44 ID:rrmXCExM0
七五三前に「ちとせあめ」準備
11月06日 12時46分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151106/3253831.html

今月15日の「七五三」を前に、大阪の住吉大社では縁起物の「ちとせあめ」などを袋に詰める作業が行われています。
大阪・住吉区の住吉大社には、毎年、およそ6000人の子どもたちが七五三のお参りに訪れるということで境内にある社務所では先月から、こどもたちに渡す「ちとせあめ」などを準備する作業が続いています。
神楽女とよばれる6人のみこが長さ20センチほどの「ちとせあめ」やお守り、それに鉛筆などを1つ1つ丁寧に袋に入れていました。
神楽女の1人は、「お子さんの健康と成長をお祈りしながら詰めています。すがすがしい気持ちでお参りしてもらえたらと思います」と話していました。
住吉大社によりますと、最近の七五三のお参りは、時期が早まる傾向にあり、ことしはすでにおよそ2000人が訪れたということですが最も多くなるのは来週末ではないかとみています。
訪れていた家族は「着物を着た我が子を見ると成長したんだなあと感じます。とにかく元気に育って欲しいです」と話していました。

2163名無しさん:2015/11/08(日) 04:31:27 ID:NwVbHvmY0
道頓堀川完成400年を記念
11月07日 18時16分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151107/5568861.html

大阪・ミナミを流れる道頓堀川が完成して400年となるのを記念して、水上のステージで歌や喜劇などを披露する催しが開かれました。
この催しは、道頓堀川が完成してから400年となるのを記念して、大阪府や地元の商店街などが開きました。
川の上に水上ステージが設けられ、出演者は船に乗って登場しました。
大阪・ミナミを拠点に活動する歌劇団が美しい歌声を披露したほか、ご当地アイドルや地元の子どもたちのダンスチームが元気いっぱいに歌ったり踊ったりして、家族連れなどが手拍子をしながら聞き入っていました。
また、お笑い芸人による新喜劇も行われ、訪れた人たちは劇場とはひと味違った開放的な雰囲気を楽しんでいました。
大阪市内の60代の女性は、「喜劇などが外で見られるのはいいですね。こうしたイベントを今後も続けてほしい」と話していました。

2164名無しさん:2015/11/11(水) 23:38:46 ID:yUIeK1Uc0
道頓堀川400年で慰霊祭
11月11日 21時13分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151111/3414731.html

大阪のシンボル、道頓堀川が完成して、ことしで400年になり、地元の人などが集まって、川の造成工事で亡くなった人たちの慰霊祭がおこなわれました。
大阪の道頓堀川は、江戸時代に水上交通などに利用する運河として造られ、工事を指揮した安井道頓の功績をたたえて道頓堀川と名付けられました。ことしは、1615年に川が完成してからちょうど400年にあたり、11日、地元の人など約70人が集まって、川の造成工事で亡くなった人たちの慰霊祭がおこなわれました。
慰霊祭には、神道や仏教、それにキリスト教の関係者も参加し、川を船でゆっくりと行き来して犠牲者を弔っていました。地元の人によりますと、道頓堀川の造成工事では、工事中の事故などで多くの人が亡くなったとみられていますが、はっきりした記録は残っていないということです。
道頓堀川近くの寺で住職を務める鳥居弘昌さんは、「宗派を越えて慰霊の活動を続けることで、今後の街の発展に貢献していきたい」と話していました。

2165名無しさん:2015/11/26(木) 04:27:32 ID:s2wOKEE.0
繁昌亭大賞に林家菊丸さん 定席の名を広めたと表彰
2015年11月24日 19:33
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151124/20151124106.html

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)は24日、第10回「繁昌亭大賞」に林家菊丸さん(41)を選んだ。賞金は20万円。同賞は、質の高い落語を披露して定席の名前を広めた落語家を表彰する。

また、奨励賞は桂米紫さん(41)に決まった。賞金は10万円。表彰式と記念落語会を後日、繁昌亭で開く。

 菊丸さんは三重県四日市市出身。1994年に林家染丸さんに入門し、昨年、菊丸を襲名した。米紫さんは京都市出身。94年に桂塩鯛さんに入門し、2010年に米紫を襲名した。

 上方落語協会会長の桂文枝さんは「来年は2人に繁昌亭を引っ張っていってほしい」と話した。

2166名無しさん:2015/11/27(金) 19:54:21 ID:2koqNLBE0
京都、木簡に難波津の歌全文 完成形に近い平仮名
2015年11月26日 19:48
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151126/20151126098.html

京都市中京区で見つかった平安時代の邸宅跡とみられる遺構から、「難波津の歌」の全文を記した木簡(9世紀後半)が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。

平仮名の完成形に近い字が多く、合同調査した京都産業大の吉野秋二准教授(日本古代史)は「和歌の歴史を考える上で非常に重要な発見。仮名の研究をする上で基準となる史料だ」と話し、平仮名の成立の解明につながる発見とみている。

 木簡には2行あり、右側に「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌、左側に散文を記した珍しい様式。散文の意味は不明だが、歌の注釈の可能性がある。




 京都市中京区で見つかった平安時代の邸宅跡とみられる遺構から、「難波津の歌」の全文を記した木簡(9世紀後半)が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。

2167名無しさん:2015/11/27(金) 21:04:03 ID:2koqNLBE0
幸せの使者40人決まる 今宮戎の福娘
2015年11月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151124/20151124025.html

 今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎に花を添える福娘40人を決める審査会が23日、同区のクボタ大ホールで開かれた。参加者たちは、特技や経歴を披露しながら福娘への熱い思いをアピールした。

 
今年の応募者は3123人(前年2983人)。この日は書類審査などを経て選ばれた約500人が臨んだ。

 審査会では、グループ面接で約100人に絞られた参加者が、一人15秒の自己PRに挑戦。特技のバトンを披露して「幸せのバトンをつなぎたい」とアピールしたり、ハンガリー語を披露して「ハングリー精神で頑張る」と意欲を示す場面もあった。

 40人が決まり、松原栄一禰宜(ねぎ)は「えべっさんの福を皆さんに届けてほしい」と期待を込めていた。

 29日に、留学生10人を加えた計50人がおそろいの装束で発表会を行う。その後、官公庁へのあいさつ回りや、十日戎の参拝者に福ザサを授ける役を担う。

2168名無しさん:2015/12/04(金) 01:29:14 ID:FCYu0e5E0
難波宮跡 屋根瓦を保存公開へ
12月01日 19時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151201/3835411.html

大阪の難波宮跡で行われた発掘調査で、半世紀以上前に出土したあと埋め戻された奈良時代の大量の屋根瓦が再び発掘されました。大阪市は、今後は現場を保存して公開したいとしています。
奈良時代などに宮殿が築かれた大阪・中央区の難波宮跡のうち、天皇の住まいだった「内裏」の西側にあたる部分で大阪市が発掘調査した結果、大量の屋根瓦が出土しました。
「重圏文」と呼ばれる同心円状の珍しい文様が刻まれ、製作のときに付いたとみられる縄の跡もあり、8世紀の「後期難波宮」で使われたとみられています。
今から54年前の昭和36年に発見されたあと、表面を合成樹脂で覆う、当時の最新の保存処理をしたうえで埋め戻され、今回、整備事業のための調査で再び出土しました。
樹脂の影響で一部が青みがかっていますが、損傷はないということです。
難波宮で使われた資材の多くはその後、京都の長岡宮に再利用されたため(ながおかきゅう)大量の瓦などが見つかるのは珍しいということで、大阪市は、今後は出土した状態で現場を保存し、公開したいとしています。
大阪市文化財保護課の佐藤隆主任学芸員は「未来に残したいという半世紀前の人たちの情熱を感じた。
歴史を感じてもらえるよう整備して公開したい」と話しています。
この調査結果については、12月6日に現地説明会が行われます。
半世紀余り前、25歳の時にこの屋根瓦の発掘に携わった帝塚山学院大学元教授の中尾芳治さん(79)は「無事に残っているのを確認できて、安どするとともにうれしく思う。半世紀前に掘り出した時の感動をまた味わうことができた。難波宮の姿を残す生きた遺跡を将来のために守っていってほしい」と話しています。

2169名無しさん:2015/12/05(土) 10:44:28 ID:q8NyZ1ZM0
藤原氏の居館跡か 遺構発見
12月02日 21時22分
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151204/00000061.shtml

大阪・吹田市の遺跡で、建物の四方にひさしが巡らされていたり、内部に「床張り」の部分があったりする平安時代の格式高い2つの大型建物の跡とみられる遺構が見つかりました。専門家は、貴族の屋敷や荘園の管理施設だったのではないかとみています。
吹田市と大阪府文化財センターが、ことし8月から、JR岸辺駅の北側にある「吹田操車場遺跡」で発掘調査をしたところ、10世紀前半の平安時代のものとみられる2つの大型建物の跡が見つかりました。
このうち南側の建物は、南北9メートル、東西11メートル余りの大きさで、4つの面すべてにひさしが巡らされた構造とみられています。
また、北側の建物は、南北7メートル、東西13メートル余りで、内部に床が高くなっている床張りの部分があったとみられ、いずれも当時としては珍しい構造の格式が高い建物だということです。
さらに、2つの建物を結ぶ長さおよそ5メートルの廊下のような特殊な構造物の跡や、高級な陶器も出土しました。
当時の歴史や地理に詳しい京都大学の金田章裕名誉教授は「この付近には荘園があり、藤原氏などの貴族の屋敷や、大寺院の荘園の管理施設だったのではないか。京の都や、港の難波津、それに山陽道に近く、交通や経済の要所だったことを示す貴重な資料だ」と話しています。
この調査結果については、12月5日に現地説明会が行われます。

2170名無しさん:2015/12/05(土) 11:25:38 ID:q8NyZ1ZM0
四天王寺 五重塔の耐震改修
更新:12/04 19:49
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151204/00000061.shtml


耐震改修工事が行われている四天王寺の五重塔が報道陣に公開されました。

 五重塔は高さ39メートルで、最上層の屋根からはあべのハルカスや通天閣なども見渡せます。

 2022年に聖徳太子が亡くなってちょうど1400年を迎えますがこの工事は「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う整備事業の一環として行われているもので、新しい五重塔は来年7月頃にお披露目の予定です。

 工事で取り外されたものの一部については、今月14日から来年の1月10日まで一般公開されます。

2171名無しさん:2015/12/05(土) 11:50:41 ID:q8NyZ1ZM0
大丸心斎橋店の歴史集めた展覧会 本館建て替え、30日まで
2015年12月2日 11:38
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151202/20151202051.html

 大丸心斎橋店(大阪市中央区)は2日、歴史的な建造物として知られる同店本館を建て替えるのを前に、1933年の完成当時の内装デザイン画などを集めた展覧会を開いた。30日まで。入場は無料。

現在の本館は、米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ボーリズが設計した。老朽化で建て替えるため、30日にいったん営業を終了する。

 7階の会場には本館の内装デザイン画や設計図面、石こう模型、昭和初期に使用した宣伝ポスターなど計60点以上の資料を展示。百貨店建築の傑作と評され、長年親しまれた歴史を振り返ってもらう。

 新本館は2019年秋に開業予定。北館と南館は営業を続ける。

2172名無しさん:2015/12/05(土) 19:26:19 ID:pZheQUA60
工事本格化 四天王寺で中心伽藍耐震改修
2015年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151205/20151205034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で現在、境内中心伽藍(がらん)の耐震改修工事が行われている。2022年に控える開祖・聖徳太子の年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」に向けた一大整備事業の一環で9月に着工。長年にわたり“ランドマーク”として親しまれている五重塔(高さ39メートル)の修復を中心に、約3年にわたる一大工事が本格化した。


五重塔は長い歴史の中で災害や戦乱によって幾度も失われ、昭和では1934年9月の室戸台風で倒壊。40年に再建された塔も太平洋戦争末期の大阪大空襲(45年3月)で焼失した。現在の塔は8代目で59年に鉄筋コンクリートで再建された。

 再建後初となる大改修では塔内の耐震措置のほか、外観部分では全体の塗り直しや2万9千枚に及ぶ瓦の敷き直しを実施、来年6月の完工を目指す。新調が必要な瓦200枚は寄進を募る。

 4日は報道関係者に塔頂上の相輪「九輪塔」などの改修現場を公開。相輪は後日修復のため分解して地上に降ろし、瓦や風鐸(ふうたく)とともに一般公開(14〜1月10日)する。同寺担当者は「相輪を地上へ下ろすのは前代未聞。多くの方にご覧いただきたい」と呼び掛けている。

 工期中には伽藍内の回廊改修なども順次行われる。

2173名無しさん:2015/12/05(土) 19:34:34 ID:pZheQUA60
新たな旅の楽しみに? 全国各地のお寺のみどころ探索
http://ddnavi.com/news/270256/a/

四天王寺は大阪に建つお寺で、推古元年(593年)に聖徳太子が創建したとされる日本最古の官寺です。中門、五十塔、金堂、講堂が南北に並ぶ特徴的な様式を持っており、全体的に朱塗りの柱・白壁・瓦葺きの屋根などの色調が、飛鳥時代を感じさせます。聖徳太子に対する信仰(太子信仰)を集めているお寺であるため、宗派を問わず人気があり、そのせいかどうかは分かりませんが年中行事も豊富です。例えば、1月に行われる「生身供」です。これは聖徳太子の生誕を祝う行事なので、太子信仰が集まっている四天王寺の代表行事といってもいいかもしれません。また、同じく1月の14日には、通称「どやどや」と呼ばれる修正会結願法要が行われます。これは、下帯姿となった青年たちが赤と白の組に分かれ「どやどや」の掛け声と共に厄除けの護符を奪い合うという、なんとも血気あふれる行事です。

2174名無しさん:2015/12/05(土) 20:20:03 ID:pZheQUA60
歴史歩こう庚申街道 東住吉の住民ら新春探訪会
2015年12月02日

古くから庶民の「庚申こうしん信仰」の拠点だった、大阪市天王寺区の四天王寺庚申堂から、平野区まで延びる旧街道「庚申街道」(約10キロ)。東住吉区田辺地区の住民らによるまちづくり団体「田邊たなべHOPEゾーン協議会」が、街道をPRして地域活性化に取り組んでいる。メンバーは、町歩きイベントや街道名プレートの設置を進め、「様々な方法で街道の魅力を発信したい」と意気込んでいる。(河部啓介)

 庚申街道は、同寺南大門から旧北田邊村を横断し、平野区長吉川辺まで続く道で、庚申堂への参詣道として親しまれ、この名で呼ばれる。江戸時代頃には、村々を結んで農産物や肥料などを運ぶ生活道路としても盛んに利用されたという。

同協議会は、2008年7月に結成。皆でにぎやかにやっていこうという思いから、方言を使い、「にんやか田邊」の愛称も付けた。町並みの修景整備などで歴史や文化を活用したまちづくりを進める大阪市の事業とも連携。地元産の田辺大根を味わう行事、ホタルを育てて観賞するイベントなどを企画してきた。

 PR強化の第1弾は来年1月17日、協議会メンバーらが案内して田辺地区から庚申堂への町歩きイベントを開く。大蛇退治の伝説がある桃ヶ池(阿倍野区)や、近代建築の建物が目を引く市立工芸高校(同)などの前を通る。メンバーの谷福江さん(68)は「昔の町並みに思いをはせたり、街道の曲がり具合を楽しんだりして」と参加を呼びかける。

 協議会は「庚申街道」と書かれた木製の街道名プレート(縦40センチ、横7センチ)も製作。街道沿いの市民らに協力を求め、軒先に掲げてもらう運動も展開している。協議会の松原恵子会長(78)は「活動の輪を広げ、地元に根付いた街道の良さをもっと多くの人に知ってもらいたい」と話している。

2015年12月02日

2175名無しさん:2015/12/07(月) 04:26:46 ID:uaYN9FyE0
54年ぶり再発掘 屋根瓦公開
12月06日 11時49分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151206/3835651.html

大阪の難波宮跡で行われた、およそ半世紀ぶりの発掘調査で再び出土した奈良時代の大量の屋根瓦が、6日現地で一般に公開されました。
奈良時代などに宮殿が築かれた大阪・中央区の難波宮跡には、歴史愛好家らあわせて450人が訪れました。
大量の屋根瓦は、いまから54年前の昭和36年に発見されたあと、表面を合成樹脂で覆う当時の最新の保存処理をした上で埋め戻されましたが、遺跡を整備するための調査で再び出土しました。
8世紀の「後期難波宮」で使われたとみられていて、「重圏文」と呼ばれる同心円状の珍しい文様が刻まれ、製作のときに付いたとみられる縄の跡もあります。
一般公開では、大阪市教育委員会の担当者が、屋根瓦の特徴や、難波宮で使われた資材の多くは京都の長岡宮に再利用されたため大量の瓦が見つかるのは珍しいことなどを説明しました。
広島市から訪れた30代の女性は「1000年以上前の屋根瓦がきれいなかたちで残されていたので、驚きました」と話していました。

2176名無しさん:2015/12/08(火) 04:46:45 ID:d9Q0IudQ0
大阪 船場で「みかんまき」
12月07日 15時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151207/3802661.html

商人の街として知られる大阪の中心部、船場で、火の用心を祈願する恒例の「みかんまき」が行われました。
「みかんまき」は、大阪・中央区の船場にある御霊神社で江戸時代から続けられてきた火の用心を祈願する神事にあわせて毎年この時期に行われています。
はじめに、火打ち石を使っておこした火に神職が、願いごとなどが書かれた木をくべて、災厄を退ける神事を行いました。
このあと、集まったおよそ400人に向けて境内に設置されたやぐらの上からおよそ600キロのみかんがまかれるとその場で味わう人の姿も見られました。
神社によりますと、みかんは火の色を象徴し、「みかんまき」には火の用心の意識を高めてもらうとともに栄養価の高いみかんを食べて風邪を予防するという意味もあるということです。
御霊神社の園文夫宮司は「商人の街、船場は今ではオフィス街になっていますが、行事には多くの企業の代表も駆けつけてくれます。
船場の冬の風物詩として今後も続けていきたい」と話していました。

2177名無しさん:2015/12/14(月) 04:34:49 ID:AO1mnj4U0
「泉布観」来年3月一般公開
12月09日 06時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151209/4003261.html

現存する大阪府内最古の洋風建築として国の重要文化財に指定されている「泉布観」が、来年3月、一般公開されることになり、大阪市は見学者を募集しています。
大阪・北区にある「泉布観」は、現在の造幣局の応接所として、明治4年に建てられたもので、現存する府内最古の洋風建築として国の重要文化財に指定されています。
貨幣を意味する「泉布」という言葉に、見晴らしのよい建物を意味する「観」という文字をつけて名付けられた建物は、レンガ造りで、2階にめぐらされた白いベランダが特徴です。
建物を保存するため、ふだんは内部に入れませんが、大阪市は、建物の魅力をより多くの人に知ってもらおうと、来年3月12日から14日までの3日間、無料で一般公開を行うことになりました。
1日あたりの定員は400人で、はがきでの事前の申し込みが必要です。
締め切りは1月22日で、当日の消印有効です。
詳しいことは、大阪市のホームページに掲載されています。

2178名無しさん:2015/12/16(水) 01:11:09 ID:I4QK7L3k0
「九輪塔」圧倒 五重塔耐震工事で間近に
2015年12月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151215/20151215028.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、大規模な耐震改修工事が進む境内中心伽藍(がらん)・五重塔(高さ約40メートル)の頂上部から降ろされた相輪「九輪塔」の展示が始まった。全長は五重塔全体のほぼ3分の1を占める約12メートルで、多くの参詣者が大きさに圧倒されながら「初めて近くで見た」と興味津々に見学している。

五重塔など伽藍全体の大改修は、2022年に営まれる開祖・聖徳太子の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う3年工期の重点事業。

 境内に降ろされた九輪塔は「宝珠(ほうじゅ)」「竜舎(りゅうしゃ)」「水煙(すいえん)」からなる先端部分と、輪が九つ連なる本体の九輪部分とを分割して展示。炎を表すという水煙部分には天人天女の細やかなレリーフ加工を見ることができる。同寺に納骨した亡夫の供養で訪れた女性(81)=堺市美原区=は「まず大きさに驚いた。またとない機会に間近で拝見でき、深いご縁を感じました」と目を細めていた。

 展示は来年1月10日まで。同寺によると五重塔改修工事は6月までとなる見通しという。

2179名無しさん:2015/12/16(水) 01:17:32 ID:I4QK7L3k0
豆内蔵助ら さっそう討ち入り 天王寺で「義士祭」
2015年12月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151215/20151215027.html


 赤穂浪士討ち入りの時期に合わせた「大阪義士祭」が13日、大阪市天王寺区の浅野家の大阪菩提(ぼだい)寺、万松山吉祥寺で開かれた。子どもたちは大石内蔵助など四十七義士に扮(ふん)し、市内各地へ“討ち入り”。元禄15(1702)年12月14日の赤穂事件を、現代に伝えた。

同寺と大阪義士会が行う恒例行事。今回は公募で集まった3〜9歳の子ども計46人が参加した。

 子どもたちは、事件を基にした『忠臣蔵』で描かれている黒地に白の山形模様の衣装を身にまとい、太鼓やビニール製の刀を手に「エイ、エイ、オー」と勝ちどきを上げて吉祥寺を出発。大阪城(同市中央区)や通天閣(同市浪速区)などを巡った。

 同寺では、恒例の「討ち入り蕎麦(そば)」が販売されたほか、真剣による形の演武が奉納された。

2180名無しさん:2015/12/21(月) 14:04:23 ID:S/n/UoZU0
白ちゃんお帰り 新春行事、息災運ぶ神馬
2015年12月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151221/20151221017.html 

大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)に20日、来年1月7日に行われる伝統行事「白馬(あおうま)神事」を前に神馬「白雪号」が帰ってきた。8日まで境内西側の神馬舎で過ごし、神事に備える。

同大社の神馬は代々白馬で、白河天皇や源頼朝らも奉納。江戸時代以降は“白”と反対の黒い炭を扱う大阪炭屋仲間の「神馬講」から奉納されている。白馬を新春に見ると無病息災の一年になるとされている。

 白雪号は2009年5月に北海道函館市で誕生したオス。日本在来馬の北海道和種馬で全身が白い毛に覆われた佐目(さめ)馬だ。年末年始と夏の住吉祭みこし渡御時のみ姿を見せる。神馬を見つけた参拝者は「白(しろ)ちゃんがいる」とうれしそうに駆け寄って眺めていた。

 世話は大阪市立大馬術部の部員が行っており、朝と夕方に馬舎から出して運動させている。馬舎横で「はぎり豆」などの授与品の販売も担当しており、2年生の勝井千尋さん(20)は「白はとても元気で力が強い。寒いけれどお世話を頑張りたい」と話していた。

 白馬神事は白雪号が2人の神職とともに各本宮を拝礼し、第一〜第四本宮の周囲を駆け巡る。午前11時から。

2181名無しさん:2015/12/24(木) 10:59:57 ID:k.CYJICQ0
東大阪・枚岡神社の不思議な神事 巫女が突然笑い出し・・・
更新:12/23 20:04
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151223/00000047.shtml

東大阪市の神社では新年の開運を願う、ちょっと変わった神事が執り行われました。

「福が来ますように!(巫女)

 参拝客を巫女さんが大笑いしながら出迎えます。

 東大阪市の枚岡神社で、毎年この時期に行われる「お笑い神事」は、天照大神が天の岩戸に隠れた際、神々の笑い声が気になり顔をのぞかせたという神話にちなんで始まったとされます。

 しめ縄が新しいものに掛け替えられると、まず宮司の笑い声に続いて参拝客が3回笑います。

 その後、およそ2,000人の参拝客は20分間笑い続け、新年の開運を願いました。

「今年で3年目なんですけど、だんだん短く感じるようになりました」(参拝客)

「もう楽しかったです。涙出てきました!笑いましょか?あーっはっはっは!」(巫女)

2182名無しさん:2015/12/25(金) 13:44:26 ID:bqNyVEOU0
迎春準備着々 国立文楽劇場「にらみ鯛」設置
2015年12月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151225/20151225022.html

 上方伝統の正月の舞台飾り「にらみ鯛(だい)」が24日、大阪市中央区の国立文楽劇場にお目見えした。1月3日開幕の「初春文楽公演」の準備が進む中、大きな張り子のタイがにらみ合うように取り付けられ、劇場を一足早く迎春ムードに包んだ。

戦前に上方の劇場で親しまれたとされるにらみ鯛は戦後に途絶えたが、同劇場は1984年4月の開業後、初めて正月を迎えた翌年に復活させた。

 作業では、舞台スタッフが1体ずつ慎重にワイヤでつり上げて取り付け位置を調整。2体の間には春日大社(奈良市)の花山院弘匡宮司の揮毫(きごう)による「申(さる)」の大たこも飾られた。

 753席ある客席も約20年ぶりに入れ替えられ、真新しいシートで新春公演の観客を迎える。

 公演初日は開演前に地元の黒門市場から本物の「にらみ鯛」が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも予定されている。

2183名無しさん:2015/12/27(日) 10:33:13 ID:/W4wMoWI0
有馬記念「無事にゴールを」 大阪天満宮で安全祈願
2015年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151226/20151226026.html

 JRA日本中央競馬会は25日、今年の最後を飾るGIレース「第60回有馬記念」(27日・中山)の安全祈願を大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で行った。競馬ファンら多くの参拝者が見守る中、サラブレッドとポニーが出走馬に代って参拝するなど、伝統のレースを大々的にPRした。

大阪の三大商店街(天神橋筋、千林、駒川)とコラボしたキャンペーンの一環。同宮では毎年10月に「流鏑馬(やぶさめ)神事」が行われているが、競馬の安全祈願として馬が参拝するのは初めて。

 2頭は参拝に先駆けて地元の天神橋筋商店街をパレード。境内ではタレントで有馬記念PR隊長を務める、じゅんいちダビッドソンさんら関係者とともに神職からお払いを受けた。

 あいさつに立った阪神競馬場の日置耕司場長は「今年活躍した馬が一堂に会する大事なレース。16頭の出走馬が無事にゴールしてほしい」と期待を込めた。

 この日は年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」にあたり、朝から祈願絵馬のたき上げや振る舞い餅などが行われ、多くの参拝者で終日にぎわった。

2184名無しさん:2015/12/28(月) 13:57:33 ID:H2VUnaNc0
もうすぐ出番 「住吉踊り」製作始まる
2015年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151227/20151227022.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月の縁起物「住吉踊り」の製作が始まった。奉仕した神楽女(かぐらめ)がていねいに仕上げ作業をこなした。同日には、境内の防災訓練と本宮のすす払い式が行われ、迎春準備を本格化させた。

「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)のかさと童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。商売繁盛・家内安全を呼び込むとされ、正月までに約3千個を製作する予定。

 かさの大きさ別に直径12センチから55センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササにかさを手際よく取り付けていた。

 同大社は、正月三が日で約230万人の人出を予想している。

2185名無しさん:2015/12/28(月) 14:42:12 ID:H2VUnaNc0
繁昌亭で落語家が餅つき
12月28日 11時21分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151228/4497081.html

年の瀬を迎え、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で28日、落語家たちが餅つきを行いました。
これは上方落語協会が毎年、行っているものです。
大阪・北区の天満天神繁昌亭には、上方落語協会の桂文枝会長をはじめおよそ30人の落語家が集まりました。
まず、文枝会長が「繁昌亭の人気もながもちするように、来年もよろしくお願いします」とあいさつをしたあと、男性の落語家が餅をつき、できあがった餅を女性の落語家が食べやすい大きさにまるめていきました。
そして、できあがった餅はぜんざいなどにして集まった人たちに配られ、親子連れなどがおいしそうに食べていました。
天満天神繁昌亭では年末年始も公演が行われ、さまざまな落語の演目が披露されることになっています。

2186名無しさん:2015/12/28(月) 17:18:58 ID:H2VUnaNc0
大丸心斎橋本館、30日閉館 ランドマークとして街に重厚な風格 「歴史を語る存在として次の時代にも」と期待
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n1.html

大阪・ミナミの大丸心斎橋店本館が建て替えのために30日、閉館する。米国出身の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた名建築で、戦災や震災を乗り越え、心斎橋のランドマークとして街並みに風格を与え続けてきた。建物は外壁と内装の一部を除いて解体される。再開は4年後。従業員や周辺の商店主らは「今の建物の重厚な風格が、次の時代へも受け継がれていってほしい」と願う。(中井美樹、石見有紀)

 同じ日に退職

 「建築の素晴らしさに、百貨店では一番という誇りをもって働いていた」

 同店営業推進部の高野弘さん(65)は、いとおしそうに本館1階の空間を見上げた。大理石や黒曜石をふんだんに使ったぜいたくさに加え、幾何学模様で埋め尽くされた華やかさの中に動物や植物など自然を感じるデザインがある温かみが好きだったという。

 今月が誕生月で、偶然にも本館が閉館する30日に、ともに退職の日を迎える。

 昭和45年に入社。以来、主に展覧会や物産展を行う催し物会場の企画や展示デザインに関わってきた。

 本館には思い出も詰まる。昭和の百貨店は文化の発信地としてぜいたくに予算を使えた時代。延暦寺の出開帳展では、柱に本物の杉皮を巻いて杉林を演出。北海道物産展では現地から本物の流氷を運んだ。肝心の流氷は運搬の途中で半分以上解けてしまって慌てたが、今では良い思い出だ。

http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n2.html

建て替えに寂しさを覚える一方、耐震性や劣化を考えると仕方ないと感じている。「老いて朽ちていくのを見ているようで痛々しかった。外壁や内装の一部は残ると聞いている。新しい技術で元気になってほしい」と話す。

2187名無しさん:2015/12/28(月) 17:25:19 ID:H2VUnaNc0
「街の個性」

周辺の商店主らからも、建て替えを惜しむ声が上がる。

 「いよいよその時がきたかという心境」。心斎橋筋商店街に本店を構える日本茶販売「宇治園」取締役顧問の重村泰弘さん(78)はそう話す。店の真向かいが本館。大丸のシンボルともいえる中央玄関上のテラコッタ(陶製)のクジャクを毎日のように見てきた。「あれは残ってほしいな」とつぶやく。

 かつては老舗がのれんを連ねた心斎橋筋商店街も、不況と後継者不足で次々と閉店し、ほとんどがテナントとして入居している店になった。近年は、訪日外国人客の“爆買い”の影響で、観光客をターゲットにしたドラッグストアなどが増えた。「時代の変化がますます早くなっている。本館が再開する4年後、街がどう変貌しているのか期待と不安でいっぱい」と話す。

http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n3.html

心斎橋筋北商店街振興組合の前理事長、春木洋次さん(71)も「重厚な、あの建物があってこその心斎橋」。本館の外壁が残されると聞いてほっとしたという。

 「これから東京オリンピックに向けて伝統や歴史が改めて注目されていくことになると思う。その中で、大丸は心斎橋という街の個性であり、歴史を語る存在としてあり続けてほしい」

2188名無しさん:2015/12/29(火) 08:27:56 ID:Mii5n1..0
【訃報】海原小浜さんが死去…女性漫才コンビで活躍
2015.12.28
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280085-n1.html

 上方の女性漫才コンビの先駆的存在だった「海原お浜・小浜」の海原小浜(うなばら・こはま、本名・田中桃江=たなか・ももえ)さんが24日、大阪市内の病院で死去した。92歳。葬儀・告別式は近親者のみで行った。

 岡山県出身。劇団の少女座長として活躍後、叔母のお浜さん(平成6年に死去)とコンビを結成。しゃべくり漫才で頭角を現し、上方漫才大賞や上方お笑い大賞などを受賞した。

 弟子に海原千里(現・上沼恵美子さん)・万里や海原さおり・しおりのほか、実子の海原かけるは、めぐる(現・池乃めだかさん)とのコンビで活躍した。姉妹コンビ「海原やすよ・ともこ」は孫にあたる。

 昭和53年にお浜さんが病気で引退してからは、1人でテレビの司会やラジオのパーソナリティーなどを務めていた。

2189名無しさん:2015/12/29(火) 11:27:15 ID:cRAT.jKc0
「あさ」の晩年示す文献見つかる 米建築家ボーリズが記す
2015年12月28日 17:17
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151228/20151228076.html

 NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルで、大同生命保険や日本女子大の創設に貢献した広岡浅子との交友や活動に関して、米国出身の著名建築家ウィリアム・メレル・ボーリズが約100年前に残した文献が見つかった。最晩年の浅子はボーリズを“屈指の親友”と認め、ボーリズは浅子を母のようだったと追憶している。

ボーリズは歴史的建造物とされる大丸心斎橋店(大阪市中央区)の設計などで知られる。大同生命の旧本社ビル(同市西区)も手掛け、浅子と接点があった。ただ2人を直接結び付ける記録は少ないという。

2190名無しさん:2015/12/29(火) 13:28:25 ID:cRAT.jKc0
大阪天満宮の招福娘が松井知事、吉村市長を訪問
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280066-n1.html

大阪天満宮(大阪市北区)で来年1月9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」で福笹を授ける「招福娘」12人が28日、大阪府庁を訪れた。

 府庁ではダブル選挙でともに当選を果たしたばかりの松井一郎知事と吉村洋文大阪市長が出迎え、招福娘は「来年が府市にとって輝かしい年になりますように」と祈願。2人に商売繁盛の縁起物を授けた。

 松井知事は「若いみなさんのため、成長する大阪をつくりたい」。吉村市長は「大阪に大きな福が訪れるよう頑張りたい」と意気込んだ。

2191名無しさん:2015/12/30(水) 14:11:03 ID:0dFftqvI0
伝統芸能 面白く 児童ら能の世界体感
2015年12月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151229/20151229030.html

 小学生を対象とした能を学ぶための体験教室「能と遊ぼう!」が大阪市中央区徳井町1丁目の山本能楽堂で始まった。子どもたちは舞台裏の見学や歩き方の練習などを通し、日本の伝統芸能を楽しく体感していた。

伝統文化の継承・発展などを目的とした文化庁の事業の一つで2008年から3〜10回の連続講座として開催。第8回の今回は全5回シリーズで、1回目は27日に「能楽堂で遊ぼう!」と題して開かれた。

 能楽師の林本大さんらが講師を務め、遠近感を出すために大きさの違う松の木を植えていることや、必然的に「お辞儀をさせるために」背の低い出入り口(切戸口(きりどぐち))となっていることなどを質問形式で説明。

 約40人の子どもたちは、「猩々(しょうじょう)」の一節を一緒に謡ったり、舞台に上がって能独特の歩き方「すり足」を練習。舞台裏で竹を使って「揚幕(あげまく)」を揚げるなど、さまざまな貴重な体験を積極的に楽しんでいた。

 山本能楽堂はほかにも子ども向け事業として、造形遊びを通して「創造的」な能の世界観を体験するワークショップや、能の地謡(コーラス)のワークショップなどを開催。参加者から後継者も育っているという。山本佳誌枝事務局長は「先入観がなく、感受性が強い幼少期に能の面白さを知ってもらえたら」と参加を呼び掛けている。

 今シリーズの今後の予定は次の通り。来年1月5日「能面・能の衣装で遊ぼう!」▽11日「舞で遊ぼう!」▽17日「お囃子で遊ぼう!」▽24日「能役者になってみよう!」。いずれも午前10時半〜11時半。1日だけの参加も可、申し込み先着順(30人まで)。参加無料。申し込みはホームページから。

2192名無しさん:2015/12/30(水) 14:17:18 ID:0dFftqvI0
縄文人の骨 重労働のあとか
12月30日 06時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151230/4555471.html

大阪の「森の宮遺跡」でおよそ40年前に発掘された縄文時代の人の骨を専門家が改めて調査したところ、複数の人で、肩こりや腰痛を伴う重い病気の部分が確認されました。
専門家は過酷な労働が関係している可能性があると指摘しています。
大阪・中央区の「森の宮遺跡」では、およそ40年前、縄文時代から弥生時代にかけての人の骨が発掘されました。
その一部が去年、大阪市の指定文化財になったのを受けて、大阪市立大学大学院医学研究科の安部みき子学術博士が改めて調べたところ、見つかった骨は以前、確認された18人分ではなく、24人分あることが分かりました。
また、縄文時代の40代以上の男女2人とみられる骨には、▼肩こりや痛みを伴う「けい椎症」であることを示す首の部分の突起や、▼腰痛などを招く変形性脊椎症を示す腰の部分の異常が確認されました。
症状はかなり重く、重いものを運ぶなど過酷な労働が関係している可能性があるということです。
さらに、赤ちゃんの骨がこれまで確認されていた2人分ではなく5人分あることも分かりました。
安部学術博士は、「穏やかなイメージがある縄文時代だが、過酷な労働や子どもの高い死亡率など、厳しい環境だったと考えられる。
当時の暮らしを知る上で重要な発見だ」と話しています。

2193名無しさん:2015/12/30(水) 20:12:09 ID:pDrKspXQ0
大阪から伊勢神宮まで170キロを歩いて初詣 元日の到着目指し、4日間かけて踏破へ
http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290039-n1.html

江戸時代に大流行した伊勢神宮(三重県伊勢市)への「おかげ参り」を再現し、大阪から伊勢神宮まで歩いて初詣をする「伊勢迄(まで)歩(ある)講(こう)」の一行が28日の早朝、大阪市中央区の玉造稲荷神社を出発した。元日の到着を目指し、14〜81歳までの約70人が4日間かけて約170キロを踏破する。

 協力し合うことへの喜びや達成感を得てもらおうと、大阪ユースホステル協会が年末の恒例行事として主催し、今年で43回目。1日に約35〜65キロ歩く。

 江戸時代、同神社は大阪以西の人たちの旅の玄関口としてにぎわったという。同神社が所蔵する歌川広重の錦絵「伊勢参宮 宮川の渡し」には犬の姿もあり、犬も参るほど人気があったことがうかがえる。

http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290039-n2.html

この日、菅笠(すげがさ)と法被姿で安全祈願をした参加者は、道中安全木札を受け取り気合も十分。「度胸試しに」と初参加した神戸市の大学生、山田航(わたる)さん(22)は「この日のために訓練してきたので、達成できるはずです」と自信をみせていた。

2194名無しさん:2016/01/02(土) 13:38:45 ID:a1UaaI.o0
大阪・狭山池博物館 市民ボランティアらが手作り「片桐且元」展
http://www.sankei.com/region/news/151225/rgn1512250067-n1.html

 豊臣秀吉、秀頼親子に仕え、日本最古のため池「狭山池」の改修を行った片桐且元(かつもと)(1556〜1615年)の生涯や業績を紹介する特別展「片桐且元」が、大阪狭山市の府立狭山池博物館(工楽善通館長)で開かれている。同館の市民ボランティア約20人が約1年がかりで写真撮影や資料収集にあたり、手作り感あふれる展示会が話題になっている。

 同館の市民ボランティアたちは、これまでに地元特産品「河内木綿」などをテーマに、年1回程度のペースで手作りの展示会を行っている。狭山池築造1400年、且元の没後400年の節目にあたることから、今年は「賤ケ岳七本槍」の一人に数えられる武勇を持つ且元にスポットを当てることにした。

 元教師の西川正彦さん(76)=河内長野市=を代表とするメンバーたちは昨年9月、「且元集額会」と名付けたチームを結成。学芸員のアドバイスを受けながら且元の生涯や業績を調べ、手分けして写真撮影や資料収集にあたった。展示は「且元の生涯」「社寺の普請」「水利開発」の3つのテーマに分けて、且元の足跡がたどれるように工夫したという。

 西川さんは「素人ばかりで大変だったが、且元が身近な人になった。ぜひ見学にきてほしい」と自信の表情を見せる。工楽館長は「ボランティアの方々の熱心さには頭が下がる。専門の学芸員にはない視点もあって、とても面白い展示になっている。今後も続けてほしい」と話している。

 無料。展示は来年1月24日まで。月曜(月曜が祝日の場合は翌日)と12月28日〜来年1月4日休館。また、「大和川今池遺跡」の発掘調査速報展が1月17日まで開催されている。問い合わせは同館(電)072・367・8891。

2195名無しさん:2016/01/03(日) 21:09:01 ID:hsKmdIUc0
17日に年頭行事「綱引神事」 難波八阪神社
2016年1月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160101/20160101076.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で17日に年頭行事「綱引(つなひき)神事」が行われる。一般参拝者の見学可。

 八岐大蛇(やまたのおろち)退治で知られる祭神「スサノオノミコト」の威徳を仰ぐ伝統行事。江戸期の出版物でも紹介されており、2001年度に市指定無形民俗文化財の第1号となった。

 当日は午前8時から拝殿前で神事を斎行。文化財保持者である同神事保存会(竹立威三雄会長)が奉仕し、オロチに見立てた大綱を作る。完成後は双方から綱を引き、神社周辺を巡行する。

 問い合わせは電話06(6641)1149。

2196名無しさん:2016/01/03(日) 21:41:27 ID:hsKmdIUc0
「春から艶っぽく…」 愛之助さん公演始まる
2016年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160103/20160103016.html

 大阪府出身の歌舞伎俳優・片岡愛之助さんが地元の大阪松竹座(大阪市中央区)で2日から始まった「寿初春大歌舞伎」公演で新年の仕事をスタートさせた。初日開幕演目は歌舞伎十八番の「鳴神」で、鳴神上人の愛之助さんが雲の絶間(たえま)姫の中村壱太郎さんと競演し「春から艶っぽく…」と笑顔を振りまいた。

 鳴神上人が絶間姫の誘いで胸元に手を差し入れ思わずドキッとする。女に惑わされる純な鳴神が名前を替えて「かたおかあいのすけ〜」というアドリブのセリフで場内の笑いを誘う。ほかに市川中車さんと「らくだ」「研辰(とぎたつ)の討たれ」、人間国宝の坂田藤十郎さん、中村扇雀さんと上方歌舞伎の秀作「桂川連理※(れんりのしがらみ)/帯屋」。扇雀さんの「枕獅子」「芝浜革財布」が付く。26日まで。

 ※は「木へん」に「朔」

2197名無しさん:2016/01/03(日) 21:52:52 ID:hsKmdIUc0
それぞれの思い祈願 住吉大社、初詣にぎわう
2016年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160103/20160103013.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の社寺は初詣の人でにぎわい、大阪市住吉区の住吉大社でも家族連れやカップルら多くの参拝者が列をつくってそれぞれの思いを祈願した。

 
「太鼓橋」の名で親しまれる反(そり)橋では、本宮へと向かう参拝者が、足元を気にしながら急な斜面をゆっくりと上り下り。罪やけがれをはらい清めた。

 四つの本宮前にはそれぞれ人だかりができ、順番が回ってくると、さい銭を投げて手を合わせていた。

 おみくじを引いたり、お守りを買い求めたりする人も多く、広い境内は無数の参拝者で埋め尽くされていた。

 また境内では、天下泰平や庶民繁栄を祈って踊る住吉踊(おどり)の新春特別奉納がなされ、注目を集めていた。

 家族4人で訪れた山下智史さん(36)=同市阿倍野区=は「おサルさんたちのように家族みんなが陽気にワイワイとやっていければ」と、えとを踏まえた思いを語っていた。

 住吉大社は、三が日で約250万人の人出を見込んでいる。

2198名無しさん:2016/01/04(月) 13:11:28 ID:BgT.CLUU0
幸せな1年願う 大阪・住吉大社、156万人が初詣
2016年1月2日23時53分
http://www.asahi.com/articles/ASJ125D4MJ12PPTB001.html

西日本は元日に続き青空が広がり、各地の寺社は初詣客でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社境内には「志望大学に合格しますように」「元気な子どもを授かりますように」「社会人としていいスタートを切れますように」などと書かれた絵馬がずらり。


6日から米国に赴任する大阪市西区の会社員真山裕平さん(35)は「元気で平和で楽しく過ごせますように」と手を合わせた。

 住吉大社によると、元日は昨年より4万人多い156万人が参拝。1〜3日の三が日で例年250万人前後が参拝するが、天候に恵まれた今年は例年より多そうだという。気象庁によると、3日も西日本全域で晴れるという。


新年の願い、天神さんに 大阪天満宮、初詣客でにぎわう
2016年1月1日09時18分
http://www.asahi.com/articles/ASHD04WMDHD0PTIL009.html

大阪市北区の大阪天満宮は1日未明から、大勢の初詣客でにぎわった。本殿前の大門(おおもん)が開き、午前0時、新年を告げる「報鼓(ほうこ)」の音が鳴り響くと、列をなした初詣客が次々とさい銭を投げ入れて、手を合わせた。

 大阪府門真市の高校2年三野心さん(16)は「4月から3年生。受験生となるので目標の大学に合格したい」。大阪市東成区の会社員宮井康行さん(27)は「彼女とけんかをせずに平和に過ごせますようにとお願いしました」と話した。

2199名無しさん:2016/01/04(月) 14:01:47 ID:BgT.CLUU0
天満天神えびす祭をPR 招福娘が知事、市長を訪問
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104018.html

 大阪市北区の大阪天満宮で9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」を前に、祭りで奉仕する招福娘12人が、府庁を訪れ、同祭をPRした。

 一行は昨年末に府庁を訪問。梅鉢紋の入った赤い装束に、金色の烏帽子(えぼし)をかぶった招福娘は「笑顔と元気と福で、この大阪がますます元気で、活気のある街になるように奉仕します」などと元気良くあいさつ。掛け声を響かせ、「えびす締め」で商売繁盛を祈願した。

 招福娘から縁起物の「福箕(ふくみ)」を受け取った松井一郎知事は「福を持ってきてもらい、ありがとう。若い皆さんのために成長する大阪をつくっていきたい」と述べ、吉村洋文大阪市長は「大阪に大きな福が来るように頑張りたい」と決意を口にした。

 招福娘は、祭り期間中、境内で福ザサなどの縁起物を参拝者に授ける。

2200名無しさん:2016/01/04(月) 14:31:37 ID:BgT.CLUU0
受験生ら学業成就真剣に 「元三大師合格祈願法要」
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104015.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で3日、伝統行事「元三(がんざん)大師合格祈願法要」が盛大に執り行われた。受験生や家族らが続々と境内に足を運び、真剣な表情で学業成就などを祈った。

  元三大師は平安時代に実在した天台宗の僧侶・良源(りょうげん)上人の通称で、多大な智恵と記憶力を持ったことから、古来、学力向上などを祈る人々からの信仰があつい。

 早朝から境内に並んだ参詣者は、元三大師堂(重要文化財)の前に設けられた大きな「智慧(ちえ)の輪」をくぐって入堂。荘厳な堂内では森田管長、瀧藤尊淳執事長によって護摩供がなされ、無数の護摩木が高く燃え上がる中、手を合わせて僧侶から錫杖(しゃくじょう)で加持を受けた。

 多くの御利益に感謝して毎年訪れるという男性(84)=同市阿倍野区=は「長年子どもや孫のために祈願している。今年は天候もよく、すがすがしい気持ちでお参りできた」と笑顔で話していた。

 合格祈願護摩供は16日(午前10時)、2月3日(午後1時半)、10日(午前10時)にも行われる。

2201名無しさん:2016/01/04(月) 16:40:04 ID:BgT.CLUU0
来場者に祝い酒 国立文楽劇場で鏡開き
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104016.html

 国立文楽劇場(大阪市中央区)正面玄関前で3日、初春文楽公演の開幕を告げる鏡開きが行われ、文楽人形「太郎冠者」(吉田一輔さん)と「醜女」(吉田玉佳さん)が来場者らに祝い酒を振る舞った。

 
1985年以来、毎年行われている新春の風物詩で、地元の黒門市場からは縁起物のタイ2匹が到着。14日からNHKで始まる近松門左衛門を描いた人情喜劇「ちかえもん」に主演する俳優の青木崇高さんも交えて鏡開きを行った。

 同劇場の水野英二理事は「今年も充実したラインアップを用意している。形が固まり、一つの実を結ぶとされる『丙申(ひのえさる)』の今年、日ごろの努力が形となって現れるように」と期待を込めた。青木さんも「番組が文楽の盛り上がりにつながれば」と話していた。

2202名無しさん:2016/01/07(木) 18:02:52 ID:gqmpkY160
初詣の道は真田幸村へ続く
http://weblog.hochi.co.jp/arukulove/2016/01/post-adf8.html

 正月休みの運動不足解消と初詣を兼ねて大阪市天王寺区を歩いた。四天王寺から一心寺を訪ねたが、いつの間にか目的が変わった。このあたりは茶臼山の北側。1614年の大阪冬の陣では徳川家康が本陣を構え、翌15年の夏の陣では真田幸村が陣取った場所。NHK大河ドラマ「真田丸」も始まるので、その史跡へ足が自然に動いた。
地下鉄谷町線の「四天王寺前夕陽ケ丘」で降りて、谷街筋のひとつ東側の道を南へ向かう。そこは四天王寺の参道で、商店街が設置している「飛び出し注意」や「進入禁止」の看板まで、聖徳太子をモデルにしたイラストだ。

 四天王寺は1400年以上も前、聖徳太子が建立したと伝わるお寺だ。参道から境内に通じる門は3か所あるが、通り過ぎて南側の南大門から入る。お寺の中心伽藍(がらん)への近道だからだ。入ると目の前に仁王門(中門)が現れる。その向こうに五重塔がそびえているはずだったが、グレーのシートにすっぽり覆われていた。シートには大手ゼネコンと設計事務所の企業ロゴが張り付けてあって、その間に「聖徳太子千四百年御聖忌 2022年 厳修 中心伽藍耐震改修工事」と書かれていた。

聖徳太子こと厩戸王子(うまやどのおうじ)が死去したのが622年とされ、2022年はそれから1400年。その儀式を厳かに執り行うため、この場所の耐震改修を行っているという。現在の五重塔は1959年建立というから耐震改修は必要。仕方ない。
 見たかった五重塔が隠れていて残念だったので、西へ少し歩いて、今度は一心寺へ向かった。年が明けてまだ4日だけに初詣客は多い。幼い子供を連れた夫婦連れもいて、子供が山門の両側に立つ青銅の阿形像と吽形(うんぎょう)像を見て怖々、お母さんに「これ、動くの」と尋ねていたのが面白かった。神戸峰男さん作の像は、動くのではないかと錯覚するくらい迫力がある。

 その山門を下から眺めていて気がついた。怖い仁王にばかり気を取られていたが、その下の扉には4人の天女の像があった。秋野不矩さんの原画を神戸さんが浮き彫りにしたと説明されている。門の上では邪念を戒め世の乱れをにらんでいるが、その下には瑞々しい生命力がみなぎっている。この山門を見るだけでもこのお寺に来る意義がある。
 ところで、ここは大阪の陣の激戦地でもある。お寺のホームページによると、およそ5万人の武将が戦死。当時の住職が遺体を境内に集めて火葬し、供養したという。50年、100年、150年、200年の節目の年には供養法会を行っており、冬の陣から400年となった2014年にも関連行事を開催したと書かれている。

討ち死にした武将の中でもいまだに人気が高く、今年は大河ドラマの主人公になる真田幸村(信繁)の戦死跡とされる場所が、一心寺の北側にある安居神社。以前、このブログでも紹介したが、昨年秋に宮司さんに話を聞いてスポーツ報知大阪本社版に書いた。
 その時、分かったのは、ここが幸村戦死の史跡と認定されたのは、明治時代に陸軍が日本の過去の合戦を検証した結果だったという。2009年には宮司さんが寄付を集めてブロンズの座像も建立されている。彫刻家の播間公次さん制作のその像は、本懐を遂げた安らかな表情で夕日を眺めているイメージという。

 この日も若い参拝客が次々に訪れて、その座像に手を触れていた。あと一歩で家康の首は取れなかったが、幸村は400年後の若者たちにも愛されていた。(文と写真・鬼塚 静信)


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