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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1980名無しさん:2015/02/01(日) 14:07:49 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150129/20150129026.html
歴史的資料 守れ! 服部天神宮で消防訓練
2015年1月29日

 文化財防火デー(26日)にちなみ、足の神様として知られる大阪府豊中市服部元町1丁目の服部天神宮で豊中南消防署による消防訓練があった。職員らが市指定文化財である「算額」の持ち出しや初期消火などに取り組んだ。

境内の駐輪場から出火したとの想定で訓練がスタート。煙を目撃した職員が「火事だ」と別の職員に伝え、算額に見立てた箱の持ち出しや消火器による初期消火をした。その後同タンク車1台とポンプ車1台が到着し、消火活動に当たった。

 参加した同神社職員の福岡宣幸さん(44)は「算額以外にも多くの歴史的資料を所蔵しているので、訓練を重ねて火災に備えたい」と話した。

 算額は、江戸後期と明治初期に奉納された代数や微積分の問題と解法を記したもので、近世の庶民文化を伝える文化財。

 市内では、26日までに社寺13カ所で消防訓練を実施した。

1981名無しさん:2015/02/08(日) 04:39:22 ID:0BThCWB20
大阪キタで若手が文楽公演 民放5局が初めて共催
2015年2月6日 20:43
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150206/20150206131.html

 人形浄瑠璃文楽の魅力を広くPRする文楽公演「うめだ文楽」が6日、JR大阪駅北側のグランフロント大阪内の劇場「ナレッジシアター」で始まった。

 在阪の民放テレビ局5局が初めて手を組んで主催する若手中心の公演。繁華街・キタでの上演とあって客席には若者の姿も目立ち、大阪が育んだ伝統芸能に熱心に見入った。

 演目は、目の不自由な夫と献身的に支える妻が互いを思い合う姿を描く世話物「壺坂観音霊験記」の沢市内より山の段。人形遣いの吉田幸助さん(48)、太夫の豊竹希大夫さん(36)ら、20〜40代の技芸員が出演するのが特徴だ。

1982名無しさん:2015/02/08(日) 20:04:48 ID:nAIkI8dE0
大阪キタでなく大阪梅田と書けよ。

1983名無しさん:2015/02/08(日) 20:06:47 ID:nAIkI8dE0
うめだではなく梅田。ひらがな嫌い。

1984名無しさん:2015/02/09(月) 00:02:41 ID:4pA.d1f.0
春を呼び、福授かる 堂島薬師堂節分お水汲み
2015年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150204/20150204028.html

 節分の日の3日、大阪市北区の堂島薬師堂周辺で、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲み祭り」があり、鬼追いや龍の巡行が盛大に繰り広げられた。参拝客は1年の厄を払い、福を授かった。

 「お水汲み」では、参拝者一人一人の竹筒護符に、奈良薬師寺の僧侶が祈祷(きとう)したお香水をくみ清めた。僧侶や鬼、福男らでつくる鬼追い隊は、堂島北新地の飲食店や企業を回り、従業員や客が鬼に福豆を投げて厄を払った。

 堂島薬師堂内に祭られている弁財天の化身とされる龍の巡行では、鬼追い隊、お化けに仮装した北新地の女性が参加。夜の通りを舞いながら清めると興奮は最高潮に達し、一帯は歓声と笑顔に包まれた。

 同祭りは地元で長年続いた「節分祭」と薬師堂の「お水汲み祭り」の両行事を統合し、ことしで12回目。

1985名無しさん:2015/02/09(月) 00:03:41 ID:4pA.d1f.0
大阪天満宮で針供養
02月08日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150208/4796421.html

使い古した針を柔らかいこんにゃくに刺して、これまでの労をねぎらう針供養が、大阪天満宮でおこなわれました。
大阪・北区の大阪天満宮では、大阪の裁縫業者や和裁教室などでつくる組合が、毎年2月8日に針供養をおこなっています。奈良時代、中国の唐から裁縫技術を日本に持ち帰ったとされる吉備真備を祭ったほこらの前に、組合の関係者など約20人が集まり、針に感謝する神事がおこなわれました。
このあと、使い古したり、曲がったりした針を持ち寄った人たちが、たて20センチ、横50センチの大きなこんにゃくに次々と針を刺しました。硬い布などに通し続けた針を、柔らかいこんにゃくに刺すことによって、これまでの労をねぎらうとともに、裁縫技術の上達を願おうと、境内では1000人近くが列を作っていました。
奈良県から訪れた和裁の仕事をしているという女性は、「『1年間おつかれさまでした』という思いを込めて針をこんにゃくに刺してきました」と話していました。

1986名無しさん:2015/02/14(土) 21:31:29 ID:Q5CqhPm.0
神戸の国宝銅鐸、鋳型と一致 大阪・東奈良遺跡で製作か
2015年2月11日 19:47
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150211/20150211079.html

 1964年に神戸市で見つかった「桜ケ丘12号銅鐸」(弥生時代中期、国宝)と、大阪府茨木市の東奈良遺跡で出土した「第1号流水文銅鐸鋳型」(重要文化財)の大きさや形状がほぼ一致することが11日、銅鐸を所蔵する神戸市立博物館への取材で分かった。

博物館の橋詰清孝学芸員によると、12号銅鐸のレプリカを製作、東奈良遺跡の鋳型のレプリカにはめ込むと一致した。青銅器製作の一大拠点とされる東奈良遺跡で作られた可能性があり、銅鐸の流通を解明する手掛かりとして注目されそうだ。

 12号鐸は高さ31センチ、重さ約2・6キロ。鋳型に彫られた銅鐸の型はほぼ同じ。

1987名無しさん:2015/02/15(日) 10:34:49 ID:5aYTlbQo0
高山右近と妻 生誕地に石像
2015年02月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150214-OYTNT50019.html

◇没後400年 豊能町民ら5月建立

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615年)の没後400年を記念して、生誕地の豊能町の住民らが、5月に右近と妻・ユスタの石像を建立する計画を進めている。町ではほかにも、右近の足跡をたどる史跡巡りなど様々なイベントの開催が予定されており、町民らは「町おこしにつなげたい」と張り切っている。(神谷次郎)

 右近は、同町高山地区の生まれで、父の影響で少年期に洗礼を受け、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。高槻や明石(兵庫)の領主となり、黒田官兵衛ら多くの大名をキリスト教に導くなどしたが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。信仰を貫いた殉教者として、日本カトリック司教協議会は、ローマ法王庁に右近をカトリックで「聖人」に次ぐ「福者」に認定するよう申請しており、年内にも認められる公算が大きいという。

 石像の建立は、ユスタも同町出身であることから、自治会や町観光ボランティアガイドの会などが「2人の生誕地に目に見える証しを残したい。ここだけにしかないものを」と昨年4月に実行委員会を発足させて、取り組みを進めてきた。

 現在、等身大のものを地元の御影石を使って制作中で、廃校となった高山小跡地に建て、5月に除幕式を行う。費用は約500万円で、実行委が住民や企業などから寄付を集めている。

 町内ではこのほか、10月に右近に関する講座やクイズ大会のほか、右近が茶人としても名高いことから茶会も開催する予定。右近やユスタ役を公募し、仮装行列を行う計画もある。

 一方、町は昨年11月に、右近の生涯や魅力を伝えるシンポジウムを開催。町観光協会も、没後400年をPRするのぼり約300本を町内に立てて、ムードを盛り上げている。

 実行委の甲田廣行会長(79)は「右近がこの地に生まれたことを知ってもらい、多くの人が町を訪れ、活性化につながればうれしい」と話している。

◆バチカン大使ら石碑の前で祈り

 町には今月4日、ジョセフ・チェノットゥ駐日バチカン大使のほか、日本国内のカトリックの大司教ら約10人が訪問した。

 前日に神戸市で開催された没後400年を記念したミサに参加した有志らが「ぜひ右近の生誕地を見てみたい」と希望したためで、田中龍一町長が「みなさまと歩調を合わせて顕彰事業を進めたい」とあいさつ。一行は右近の生誕地にある石碑の前で、祈りをささげた。

2015年02月14日

1988名無しさん:2015/02/15(日) 15:43:52 ID:5aYTlbQo0
僧侶転読に息災祈る 四天王寺で「初庚申」
2015年2月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150213/20150213031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)の庚申(こうしん)堂で12日、市指定無形民俗文化財の伝統行事「庚申まいり」のうち今年最初の「初庚申」が始まった。朝から多くの参詣者が荘厳な堂内で無病息災などを祈願している。

えとの組み合わせで約60日ごとに巡る「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなむ信仰行事。四天王寺南大門から南約200メートルに位置する庚申堂は日本の庚申信仰の発祥地と伝わり、本尊に除災無病の霊験あらたかと伝わる青面(しょうめん)金剛童子を祭っている。

 この日は、同寺僧侶が全600巻の大般若経を順次頭上に広げて速読する「大般若転読祈祷(きとう)会」が執り行われた。転読で起こる風が災いを退けて福を招くとされることから、参詣者は真剣な面持ちで手を合わせ僧侶の所作を見守った。

 毎年夫婦で訪れている女性(69)=堺市北区=は「健康と安全を祈願した。元気なうちは通い続けたい」と話していた。

 13日の本庚申は午後2時から「柴燈(さいとう)大護摩供」が執り行われる。

1989名無しさん:2015/02/15(日) 17:25:31 ID:5aYTlbQo0
優雅な花姿に感嘆 大阪天満宮「盆梅と盆石展」
2015年2月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150214/20150214036.html

 大阪市北区の大阪天満宮で13日、てんま天神梅まつりが始まった。境内の参集殿では梅の高齢樹など約50点を集めた「盆梅と盆石展」が開かれ、趣ある枝や花姿が拝観者の目を楽しませている。3月15日まで。

祭神の菅原道真公が梅をめでたことにちなんで毎年開かれ、書院造り百畳敷きの会場には樹齢約300年の大和野梅や同80〜100年の八重野梅がずらり。小輪が古木の枝先を優雅に彩る姿に、人々からは「すごい」「きれい」の声が上がった。

 日本一の梅林で知られる和歌山県みなべ町で出土した「瓜渓石(うりだにいし)」の盆石も展示され、注目を集めている。

1990名無しさん:2015/02/19(木) 04:23:51 ID:.Ep5OaHg0
「大阪相撲れきはく場所」展
02月18日 15時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150218/4854451.html

大阪で古くから行われている相撲の歴史を知ってもらおうと、江戸時代から昭和にかけての力士の絵や番付表などを集めた展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で18日から始まりました。
この展示会は、3月8日から大阪で大相撲春場所が行われるのにあわせて開かれ、江戸時代から昭和にかけての大阪の相撲にまつわる資料などおよそ60点が集められています。
大阪では江戸時代から相撲の興行が行われ、「古今相撲大全」という江戸時代の書物には、当時の大阪の力士が腕を大きく振って歩く姿が描かれています。
また、昭和の初めに69連勝を果たした横綱、双葉山の土俵入りを見ようと大阪の国技館に大勢の人が詰めかけた様子を収めた写真や、大阪の銭湯の屋根に飾られていた双葉山をイメージした形の鬼瓦などが展示され、当時の相撲人気を伺うことができます。
大阪歴史博物館の飯田直樹学芸員は「春場所にあわせて、大阪の相撲の歴史を感じ取ってもらいたい」と話しています。
この展示会は、3月30日まで開かれています。
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1991名無しさん:2015/02/24(火) 20:56:31 ID:aTcDP6ZU0
「上方落語若手噺家グランプリ」を開催へ
2015年2月24日
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01502240036.html
 上方落語協会会長の桂文枝(71)が24日、大阪市北区の定席寄席小屋、天満天神繁昌亭で、今春に協会所属落語家のトーナメント「上方落語 若手噺家 グランプリ」を開くと発表した。今年から10年連続開催を目指す。

 会長職に就き、悲願の上方定席(繁昌亭)を開き、自らは師匠の名跡を襲名。文枝にとって、次の悲願は後進の育成だった。

 「先日も(ラッスンゴレライでブレークした)8.6秒バズーカーと共演しましたが、類い稀な才能があり、どうも最近は若い人の才能があちら(漫才、コント)へ流れている」と危惧。未来の落語スターを発掘しようと思案してきた。

 そんなおり、上方芸能の支援を目的としたアーツサポート関西へ、500万円の寄付金が届いた。文枝が三枝時代から親交のあるアートコーポレーションが若手落語家育成を支援しようとしたもので、これを機に、今グランプリの創設が決まった。

 すでに入門6年目〜15年目までの協会所属落語家に希望を募り、31人の参戦を決定。4月7、14、16、22日に繁昌亭で予選を行い、6月に本選を行う。本戦の審査員には在阪テレビ各局のプロデューサー、ディレクターらが入り、大賞(賞金20万円)1人、奨励賞(同5万円)1人を選出する。

 文枝は入門1年足らずだった67年、MBSラジオ「ヤングタウン」に抜てき。駆け出しながら頭角を現し、タレント活動のかたわら、240本を超える創作ネタを生み出すなど、今なお第一線で走り続ける。

 「今の若い人にもチャンスを作ってあげたい」と言い、審査員にはテレビ局関係者を選んだ。タレントの原石を発見し、レギュラーに採用してもらいたい考えもある。

 「私たちのときのように、落語家にもまずはチャンスが与えられるようになれば。おもしろいと思ったらリポーターでも使ってもらいたい。ただし、その後の未来は本人の努力次第」と話す。

 協会内に賞レースを設けて活性化をはかるとともに、自らが歩んできたように、ワンチャンスを確実に物にし、スターへの道を駆け上がる形を作るねらいもある。

 また、6月に予定される本選について「今年は放送はないですけども、来年はM-1やR-1のようにテレビや、ラジオでも中継、もしくは深夜でもいいので、そういった形を思い描いています」とし、将来的にはテレビ、ラジオでの本選中継も望んでいる

1992名無しさん:2015/02/28(土) 20:05:28 ID:7pzVWyhk0
大阪大空襲画集、3月に出版…元看板職人の男性
2015年02月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150228-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

火の粉が飛び交う中、逃げ惑う人々の姿、忘れることのできない恐怖――。大阪市平野区の元看板職人、矢野博さん(77)が自宅を失った第1次(1945年3月13〜14日)の大阪大空襲の様子や、戦時中の生活を描いた画集をちょうど70年がたつ来月13日に出版する。「今でも夜、飛行機の音を耳にすると炎の中を走り回った日を思い出す。7歳の目で見た体験を残しておきたい」と4年がかりで鮮明な漫画風の絵に仕上げた。

 「あの日、あの時 国民学校一年生の記憶」と題した画集はB5判126ページ。空襲での体験を中心に「変わってしまった学校生活」などをテーマに描いた。

 矢野さんは大阪・日本橋近くで3人兄弟の末っ子として育った。45年3月13日、当時は国民学校1年生。父と長兄は徴用で留守の深夜、空襲警報が鳴り、母と次兄と3人で近所の防空壕(ごう)に走り込んだ。

 米軍の爆撃機B29が落とした焼夷(しょうい)弾の音が壕内に響き、やがて煙が入ってきた。外に出ると周囲は火の海。3人で300メートル北東にあった百貨店を目指したが、炎に行く手を遮られた。

 どこを走ったかわからず、浪速区の鉄道の高架下でひと息つき、自宅から直線で2キロほどだった天王寺区の親戚宅に着いたのは、14日の夜明け前だった。

 絵には必死の形相で逃げる子供たち、おぶわれたお年寄り、リヤカーに乗せられた病人らが描かれ、<焼夷弾は雨のように降り注ぎ、一面炎が舞っていた。ただただ走るしかなかった><みんなパニックで目は恐怖で見開き、何処(どこ)へ行けばいいのかわからず右往左往する人が大勢いた>などと記した。家族は無事だったが、自宅は全焼、街は一晩で消えた。

 終戦の5年後、母をがんで亡くした。生活の苦しさやさみしさを埋めてくれたのは貸本屋で借りた手塚治虫の漫画。自分も漫画を描くようになり、中学卒業後には映画の看板の絵などを手がける職人に。59年に大阪で看板業者として独立、2005年まで営んだ。

 空襲の様子を取り上げるようになったのは5年前。「絵に残せばいつか孫娘が見てくれるだろう」との思いからだった。「戦争当時の写真はどんよりした白黒ばかりだが、カラーの絵にすることで、『こんな出来事があったんだ』と現実のこととして、子どもたちにもわかってもらえるはず」と水彩絵の具と色鉛筆で描き込んだ。

 出版にあたって疎開先や学校のことなど詳細を確かめようと母校にも協力を求めてきた。「画集は母校の小中学校にも寄贈したい。空襲を伝えられる最後の世代の一人として、出来るだけのことをしておきたい」と話す。

 問い合わせは新風書房(06・6768・4600)へ。

大阪大空襲 1944年12月〜45年8月、大阪は約50回にわたって米軍機の攻撃を受けた。このうちB29爆撃機100機以上が来襲した8回を「大阪大空襲」と呼ぶ。大阪国際平和センター(大阪市)によると、第1次の被害が最も大きく、274機が1733トンの焼夷弾を投下。死者は約4000人、被災家屋は13万6000戸とされる。

2015年02月28日

1993名無しさん:2015/03/07(土) 23:48:21 ID:n9PF6uAY0
アカペラバトルフェス 四天王寺で過去最大規模
2015年3月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150305/20150305027.html

 「アカペラバトルフェスティバル」(実行委員会主催)が14日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で開かれる。1次選考を勝ち抜いた24組が、歴史ある寺院建築を背景に歌声を披露する。午後1時から。観覧無料。小雨決行。

周辺の阿倍野、天王寺エリアは2013年以降、鉄道会社や不動産会社が「アカペラタウン化計画」を展開。街中でコンサートを開き、学生や一般のグループの活動を後押ししている。

 フェスティバルは14年度の最終イベントとして、仁王門前に特設ステージを備えて過去最大規模で開催。上位2組は活動応援資金と、5月の「関西アカペラジャンボリー」への出場権が与えられる。

 歌手の相川七瀬さんをはじめ、関西を拠点に活動するアカペラグループもゲスト出演し、スペシャル共演も披露する。

 問い合わせは電話078(242)8617、実行委員会事務局。

1994名無しさん:2015/03/18(水) 20:18:17 ID:2WhEeRCw0
古墳や埴輪 手にとる歴史
2015年03月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150316-OYTNT50442.html

◇3Dプリンターで教材

 ◇藤井寺市 小学生向け 点字図書館にも

 「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に関連する古墳や埴輪(はにわ)などの模型を、藤井寺市が3Dプリンターで作製した。同市立小で教材に使うほか、視覚障害者のために府内の点字図書館にも寄贈する予定だ。

古墳群は堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがり、府と3市が共同で世界文化遺産登録を目指している。

 藤井寺市では、2011年度から市立小6年の授業で、独自の教材「ふじいでらの世界遺産学習ノート 百舌鳥・古市古墳群」を使っている。

 視覚障害のある児童が新年度から6年生になるため、教材の点訳に協力している市内のボランティア団体から、「3Dプリンターで教材を作ってみては」との意見が出た。市が協力を呼びかけると昨年10月、市内の団体からプリンターが寄贈された。

 樹脂製の模型は、大きさが5〜10センチ程度。津堂城山古墳から出土した水鳥形埴輪(重要文化財)や重量物の運搬に使う木製のそり「修羅」など市に関連する模型のほか、鏡や前方後円墳など全部で23種類を用意した。

 市は、市や府立近つ飛鳥博物館が所有する埴輪のレプリカを専用の機器でデータ化。古墳の測量データなどを用いたり、インターネット上で無料公開されているデータを参考にしたりして作った。

 市世界遺産登録推進室の山田幸弘室長は「触れることができない発掘史料も多いなか、模型を手にとって具体的にイメージし、地域の歴史に理解を深めてほしい」と話している。

2015年03月17日

1995名無しさん:2015/03/18(水) 21:17:22 ID:2WhEeRCw0
文楽の移動舞台をお披露目 六本木での公演を前に
2015年3月18日 18:40
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150318/20150318106.html

 人形浄瑠璃文楽を気軽に体験してもらおうと、日本財団が新調した移動舞台が完成し、東京都港区の六本木ヒルズの屋外広場で18日、お披露目された。「にっぽん文楽」と題した公演を同地で19日から4日間開き、今秋には大阪、来年以降は年2回のペースで各地を巡る。

都心に出現したヒノキの舞台は幅約20メートル、高さ約7メートル。開放的な雰囲気の中、舞台開きに続いて招待客向けの公演があり、関係者らが大阪発祥の伝統芸能を楽しんだ。

 六本木ヒルズの「にっぽん文楽」ではお祝いの時の演目「二人三番叟」などを上演(雨天中止)。チケットは2千円(自由席)で、飲食しながら観劇できる。

1996名無しさん:2015/03/18(水) 22:24:11 ID:2WhEeRCw0
豊作と繁栄を願って 伝統儀式の「祈年祭」
2015年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150318/20150318031.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で17日、今年の五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る伝統儀式「祈年祭(きねんさい)」が執り行われた。快晴の空の下、境内南側に広がる御田(おんだ)でコメ作りに奉仕する御田講など多くの参列者が神前で豊作を祈願した。

同祭は「としごいのみまつり」とも称され、最も重要な大祭として斎行される。第一本宮では、祝詞奏上に続いて住吉大社の神楽女が神楽を奉納。文楽人形遣いの桐竹勘十郎さんらも参列し、人形とともに玉串をささげたほか、祝儀の曲として知られる「寿式三番叟(さんばそう)」を奉納。3人で操る人形の繊細な所作が披露されると、参列者や一般の参拝者から大きな拍手が送られた。

 御田講で講元を務める山本英夫さん(88)は「昨年は豊作だったので、今年も皆さんの協力を得て例年以上の実りに期待したい」と胸を張った。

 この日は祈年祭に先立ち、境内・種貸(たねかし)社で種をお払いする「神種頒賜祭(かんざねはんしさい)」が厳かに執り行われた。

1997名無しさん:2015/03/18(水) 22:28:35 ID:2WhEeRCw0
四天王寺で春季彼岸会 18日から24日まで
2015年3月17日

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で18〜24日に春の彼岸「春季彼岸会(え)」が執り行われる。諸堂で先祖供養の法要が行われるほか、広い境内に骨董(こっとう)品や飲食など多彩な露店が軒を連ね、例年多くの参詣者でにぎわう。

中日の21日(春分の日)は、午後5時25分から伝統行事「日想観」を厳修。夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環で、かつて弘法大師もこの地で修行したと伝わる。春、秋の彼岸の中日にのみ、境内真西の「石鳥居(いしのとりい)」中央に夕日が沈みゆく中、同寺僧侶の読経がなされる。

 問い合わせは電話06(6771)0066。

1998名無しさん:2015/03/19(木) 20:52:06 ID:F4UIz15U0
暖かな日 先祖に手 四天王寺「経木流し」
2015年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150319/20150319038.html

 彼岸の入りの18日、大阪府内各地で軒並み今年最高の気温を観測した。大阪市は4月下旬並みの21・4度まで上がり、市内の霊園や寺院は朝から多くの人々が訪れ、ぽかぽか陽気の中で先祖に手を合わせた。

天王寺区の和宗総本山四天王寺では春季彼岸会が始まった。参詣者は先祖の戒名を記した経木を清水に流す「経木流し」に列をなし、極楽往生を祈念。地元の女性(71)は「『暑さ寒さも彼岸まで』の通り、暖かな日に供養できました」と話した。

 彼岸の中日の21日には落日に極楽浄土を思う「日想観法要」を厳修。同寺は24日までの期間中に約15万人の人出を見込んでいる。

1999名無しさん:2015/03/19(木) 23:26:56 ID:YzRv3Sa20
訃報:桂米朝さん89歳=上方落語復興の立役者 人間国宝
毎日新聞 2015年03月19日 
http://mainichi.jp/gougai/news/20150319urgitr090001000c.html
 戦後の上方落語復興の立役者で、落語家として初めて文化勲章を受章した人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため亡くなった。89歳だった。合同葬儀は25日午前11時、大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館。喪主は長男で落語家の桂米団治(中川明=あきら)さん。

 1925年、中国・大連生まれ。大東文化大在学中に落語評論家の故正岡容(いるる)氏に入門した。だが、演じ手が少なくなり、存亡の機にあった上方落語界の現状を見て、評論家としての道には進まず、自ら演じ手になろうと決意。47年、四代目桂米団治に入門した。

 古典を現代にマッチさせるため、細部に工夫を凝らした“米朝落語”は「わかりやすい」と定評があり、幅広い層の人気を集めた。一代で大きくした米朝の名で生涯を通した。

2000名無しさん:2015/03/19(木) 23:33:09 ID:YzRv3Sa20
桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳
時計2015/3/19 22:57
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835871.shtml
 上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう=本名・中川清)さんが19日午後7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時から、合同葬は25日午前11時から、いずれも吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。

 米朝さんは1925(大正14)年、旧満州で生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3代目米朝を襲名した。

 入門後間もなく「高津の富」で初高座。精力的に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった上方落語の復興に中心的な役割を果たした。故笑福亭松鶴(6代目)、故桂文枝(5代目)、桂春団治(3代目)とともに「上方落語の四天王」と称された。

 ラジオやテレビ番組の司会を務めるなど、多方面で活躍。落語ファンの開拓に努めた。後進育成にも尽力し、故・桂枝雀さん、桂ざこばさんら弟子は22人、孫、ひ孫弟子まで含めると一門は60人以上に上る。

 古典の発掘にも取り組み、「百年目」「地獄八景亡者戯」など、埋もれていた数十のネタを再び世に出した。また米朝落語全集の出版や、ビデオ全集を出すなど、落語の文字化、映像化の先駆者としても知られる。著書に「上方落語ノート」「落語と私」など。

 96年4月、胆管結石で入院したが、復帰後、柳家小さん氏に次いで、落語界では2人目となる重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。このほか芸術祭優秀賞(69、70年)、神戸新聞平和賞(92年)などを受賞。87年に紫綬褒章、2002年に文化功労者。

 06年8月と08年5月に転倒して背骨を折るなどしたが回復。同年10月には長男が5代目桂米団治を襲名した。
本格派の語りでファン魅了 桂米朝さん死去
2015/3/19 23:01
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835893.shtml
 理知的な語り口で名人芸ともいえる落語を披露し続けてきた桂米朝さんが19日、89歳で他界した。上方落語界を背負って約60年、かつて消滅の危機にひんしていた上方落語界はその尽力もあり、今や200人以上の落語家を抱える大所帯に。上方落語界がかつてないほどの隆盛期を迎えている中、最大の功労者は惜しまれつつ、生の高座から静かに降りた。

 父に連れられて小学生のころから寄席に通い、演芸好きに。旧制姫路中学を経て、現在の大東文化大学に進学。大学に籍を置きつつ、作家で演芸演芸評論家の故・正岡容氏の元でも学んだ。

 落語家への転機は戦後間もなく。上方では落語家が相次いで亡くなり、10人にも満たないほどだった。惨状を憂慮した正岡氏の「上方落語の中興の祖たれ」との言葉で、大学を中退、落語家へ転じた。

 上方落語復興への思いは、弟子への指導を激しいものにした。「芸は師匠と弟子の対決。厳しくなかったら、上達なんて絶対にありません」と言ってはばからなかった。基本に忠実なけいこは言葉づかい、アクセント、目線など細かいところにまでおよび、よく弟子を泣かせた。高座から下がる弟子に向かって、すれ違いざまに言う寸評は「米朝の袈裟懸け」と恐れられた。

 だが、いつも人を笑わせるサービス精神にあふれていた。人間国宝の認定を受けた際には「国宝と言われても、つぼや絵なら息子も売れますが、私は売れないし、扱いが難しうなると、息子はぼやいてるんやないかと思うんです」とちゃめっ気たっぷりにコメントした。

 晩年は「もうぼけてきて、噺をすっとばしたり、エピソードが前後に入れ替わったり」とこぼしていたが、豊富な知識に裏付けされた本格派の語り口は、ファンを魅了してやまなかった。

2001名無しさん:2015/03/20(金) 04:13:29 ID:J1E93mR20
【桂米朝さん死去】
「何ちゅうええ空間や…」後進うならせた落語家の理想形
http://www.sankei.com/west/news/150319/wst1503190089-n1.html

5年前の秋、文化勲章受章を記念したDVD発売会見でのこと。桂米朝さんは車いすで登壇したが、質問に的確に答えられる状態にはなかった。

 高座姿の米朝さんを見たのは平成14年、旧サンケイホール(大阪市北区)閉館前の独演会での「厄払い」が最後。でなければ、遡(さかのぼ)ること約30年。一門伝統の京都・安井金比羅宮の勉強会での凛とした姿だ。「老い」に凌駕(りょうが)されつつある大看板に、内心ショックでいっぱいだった。

 5年ほど前だったか、ラジオ局ではこんなこともあった。司会者が差し入れた大阪の十三・喜八洲(きやす)総本舗のまんじゅうを、米朝さんはほおばっていた。「私ね、甘辛ですねん。ここのまんじゅうに目がおまへんのや」。その振る舞いは希代の落語家ではなく、ごく普通の好々爺のそれだった。

 一門でも、晩年の米朝さんが表舞台に出ることに反対する人がいたと聞く。だが、米團治さんは「本人が『引退したくない』と言ったんです。ならば、素のままを見ていただこうと」。

 ある時、米朝さんが舞台に現れるだけで、会場全体がえもいえない心地よい“空気”に満たされることに気づいた。居合わせた笑福亭鶴瓶さんもこうつぶやいた。「何ちゅうええ空間や…」

 その時の感覚を、私は早世した筆頭弟子の枝雀さんが生前、理想とした高座姿に重ね合わせた。「こちらが黙ってニコッとしているだけで、お客さんも機嫌よくニコッとする。そんなんがよろしいなぁ」

 極めた者だけが醸し出す存在感。少なくとも最晩年の米朝さんは、愛してやまなかった筆頭弟子が語る落語家としての理想形を、本能的に体現していたと信じてやまない。(豊田昌継)


「関西人として誇りに思っていた」ファンや市民、惜しむ声
http://www.sankei.com/west/news/150320/wst1503200009-n1.html

「関西人の誇り」「神様のような人だった」。上方落語の大御所桂米朝さんの死去に、大阪のファンや市民からは19日夜、惜しむ声が上がった。

 大阪府池田市で居酒屋「ちりとてちん」を営み、アマチュアの落語大会で優勝したこともある南野三千世さん(53)は、米朝落語全集を教科書代わりに勉強した。突然の訃報に「えっ」と驚き「十数年前に高座を聞いたこともある。神様のような人だったと思います」。

 会社から帰宅途中だった同府寝屋川市の会社員持留多聞さん(39)は「一般人でも知っているような重鎮だった。関西人として誇りに思っていた」と残念がった。「見るからに威厳があり、若い人の見本になっていた。今後、米朝さんのような落語家が出てくるかは分からない」とも話した。

2002名無しさん:2015/03/20(金) 04:19:21 ID:J1E93mR20
古墳群で推薦書原案まとまる
03月19日 21時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150319/3075041.html

再来年の世界文化遺産への登録を目指す、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」について、大阪府と、堺市など地元の3つの市は、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
堺市、羽曳野市、藤井寺市には、4世紀から6世紀にかけて200を超える古墳が築かれたとされ、大阪府と地元の3つ自治体は、61の古墳について再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
19日、大阪府の小西副知事や地元の3市長が出席して会合が開かれ、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
原案では、古墳群には、仁徳天皇陵とされる古墳など世界でも最大級の王の墓があり、古代国家の形成過程を示す巨大モニュメントとして世界遺産にふさわしいとしています。
また、2年前に推薦が見送られた際には、保全管理の体制が不十分とされたことから、代表的な古墳の周辺を景観地区に指定して、建物の高さを規制することなどを盛り込んでいます。この原案は、今月27日までに文化庁に提出されます。
国内には、他にも3か所で世界遺産を目指す動きがあり、文化庁の審議会がことしの夏までにどの候補地をユネスコに推薦するか、絞り込むことになっています。
大阪府の小西副知事は、「前回は、準備不足を指摘されたが、今回は推薦を勝ち取れる内容に仕上がった」と話しています。
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2003名無しさん:2015/03/22(日) 00:37:56 ID:TVJTby2U0
米朝さん登場の「地獄八景」熱演 米団治さん、父ゆかりの演目
2015年3月20日 19:39
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150320/20150320122.html

 上方落語家で人間国宝の桂米朝さんの死去から一夜明けた20日、長男桂米団治さん(56)は大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演、噺の中に米朝さんを登場させるなど熱のこもった高座をやり遂げ、観客を沸かせた。

 約50人のファンらが詰め掛けた寄席に、米団治さんは黒紋付き姿で現れ、噺のまくらで、米朝さんが亡くなった経緯を説明、「本当に大往生。さすが人間国宝」と笑わせた。その後「やっぱりこれかなと思って」と、古い噺を米朝さんが再構成した代表演目「地獄八景亡者戯」の前半を演じた。


米朝さん、僧侶転身の勧めに「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」 ざこばさんが高座で思い出披露
http://www.sankei.com/west/news/150321/wst1503210054-n1.html

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんのまな弟子、桂ざこばさん(67)が21日、大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演し、米朝さんを悼んで、出会いや修業時代の思い出を約50分にわたり披露した。

 師匠の没後初の高座となったこの日は、ざこばさんの弟子、桂塩鯛さん(60)の還暦記念連続落語会の初日にゲスト出演。約60人を前に落語のネタはやらず、米朝さんとの思い出を語った。

 ざこばさんは、中学時代に米朝さんの舞台を見たその場で弟子入りを志願。米朝さんと兄弟子の桂枝雀さんの前で、一度しか聞いたことのない「浮世床」を語り、大笑いされたという。また、薬師寺元管主の高田好胤氏に僧侶への転身を勧められたが、米朝さんが高田氏に「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」と断った-などと数々のエピソードを披露し、客席から笑いが起きた。

2004名無しさん:2015/03/22(日) 00:40:50 ID:TVJTby2U0
「落語の神様のよう」…文枝さんら米朝さん悼む
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150321-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

上方落語界を支えて来た、人間国宝の落語家、桂米朝さんが89歳で亡くなり、一夜明けた20日、上方落語協会会長の桂文枝さん(71)が取材に応じた。仕事先の兵庫県・淡路島のホテル前に現れた文枝さんは、「落語の神様のような存在。もっともっとお話をしたかった」と涙ぐんだ。

 20歳の時に、米朝さんの口演を聴いて落語にほれたという文枝さん。「私は顔も普通だし、どうすれば笑いを取れるのか分からない」と相談すると、米朝さんは「顔だけで10分も笑わせることはできへんやろ。やっぱり噺(はなし)が大事やで」と諭してくれたという。

 一方、米朝さんの長男の桂米団治さん(56)は20日午前の記者会見を終えた後、午後には大阪市内の寄席「動楽亭」に予定通り出演。米朝さんの十八番「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を、普段と変わらぬ明るさで披露した。

 冥土旅行を楽しむ面々が、冥土の寄席に出演している米朝さんを見にいく場面があり、顔の表情と声色を父親そっくりに演じながら、桂枝雀、桂吉朝ら亡くなった一門の落語家について語り出すと、約50人の観客から拍手が湧き上がった。

 米朝さんと歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)は、1963年、雑誌「上方風流」の創刊にかかわった。藤十郎さんは「米朝さんも私も、まだまだ若手の頃で、茂山千之丞さんや藤山寛美さんをはじめ、ジャンルの違う人たちが集まって、これからの上方芸能をよくするためにはどうすればいいか、皆で朝まで話し合ったものでした」と振り返った。

2015年03月21日

2005名無しさん:2015/03/22(日) 00:54:12 ID:TVJTby2U0
桂米朝さん「落語の原点それでええ」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50022.html?from=oytop_ymag

◇笑福亭鶴笑さん、独自の芸 後押し感謝

 上方落語の復興に力を尽くし、日本を代表する落語家として活躍した人間国宝の桂米朝さんが89歳で亡くなって一夜明けた20日も、多くの落語家やファンらが重鎮の死を悼んだ。

 上方落語の定席(じょうせき)、天満天神繁昌亭(大阪市北区)。寄席に出演するため訪れた笑福亭鶴笑さん(55)は「あの言葉がなかったら、今も続けられていたかどうか」と振り返った。

 25年前、人形を使って創作や古典を演じる「パペット落語」を始めた。周囲から「落語ではない」と批判され悩んでいた時、米朝さんから「おまはんがやっていることは、落語の原点なんや。それでええんやで」と声をかけられた。上方落語は元々、屋外で通りすがりの人を相手にしており、気を引くために道具を使っていたという。

 パペット落語は昨年末、落語家の芸としては初めて、厚生労働省の児童福祉文化財に選ばれた。「自分は桂一門ではなかったのに背中を押してくれた。感謝しきれない」と語った。

 繁昌亭近くの喫茶店「喫茶ケルン」店主の井上和彦さん(70)は、「ついにこの時が来たか、と残念だ」とうつむいた。

 米朝さん本人が訪れたことはなかったが、長男の米団治さんや、ざこばさんら桂一門が「楽屋代わり」に店を利用しているという。

 店内の壁には、米朝さんが、その芸風を思わせる丁寧な筆致で「一期一会」と記した色紙が掲げられている。約3年前、弟子を通じて贈られたものだ。

 井上さんは「お弟子さんたちには、遺志を継ぎ、再び人間国宝が出るよう頑張ってもらいたい」と話した。

 50年来の付き合いという人形浄瑠璃文楽の人間国宝、竹本住大夫さん(90)は、「お互い『べいちゃん』『すみさん』と呼び合う仲で、よく2人で酒を飲んだ」と懐かしんだ。「米朝さんは酒が強くて楽しい酒で、必ず芸の話になった。(浄瑠璃の)義太夫も落語も、人情を伝える芸。通じるところがあるので、話が合った」と語り、「最大の友達で仲間で、同志だった人が居なくなってしまった。寂しい」と言葉を詰まらせた。

2015年03月21日

2006名無しさん:2015/03/22(日) 17:55:02 ID:UyPivy/o0
米朝さんの遺業しのぶ…TV各社が追悼番組
2015年03月22日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150322-OYO1T50005.html?from=oycont_top_txt

上方演芸界を代表する落語家、桂米朝さんが19日に死去したのを受け、読売テレビ(大阪市中央区)は21日、弟子の桂ざこばさん(67)や長男の桂米団治さん(56)らが出演する追悼番組を収録した。

 収録が行われたのは、22日午後0時35分から約1時間放送する「桂米朝追悼番組〜笑うて 遺した らくごの世界」。ざこばさん、米団治さんのほかに、孫弟子の桂吉弥さん(44)、漫才師のハイヒール・リンゴさん(53)らが、生前の米朝さんの姿や桂歌丸さん、俳優の近藤正臣さんらのインタビューを撮った映像を見ながら、足跡を振り返った。

 リンゴさんは「漫才と落語はジャンルが違うのに、私に合わせて話をしてくださった」と言い、吉弥さんは「落語のうまい下手ではなく、(品性の)悪いやつだけにはなるなと言われてました」と思い出していた。

 他の放送局も追悼番組を相次いで放送する。毎日放送は23日午前1時からの特別番組で、米朝さんの代表作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を流す。NHKは22日午前7時45分からと28日午前4時半から、関西テレビは4月12日午後4時から放送を予定。ラジオでは、ABCラジオがきょう22日午前5時からと同9時からの落語番組内で、米朝さんの落語を紹介する。

2015年03月22日

2007名無しさん:2015/03/22(日) 18:10:27 ID:UyPivy/o0
住大夫さんに「卒業証書」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50027.html

◇空襲で焼失 近大レプリカ贈る

 人形浄瑠璃文楽太夫(義太夫語り)の人間国宝、竹本住大夫さん(90)が20日、母校の近畿大学(東大阪市)の卒業式に出席し、空襲で焼失した卒業証書のレプリカを塩崎均学長から授与された。

 住大夫さんは1944年、近畿大の母体の大阪専門学校を卒業。しかし、翌45年3月の大阪大空襲で、大阪市内の自宅で保管していた卒業証書が焼失したという。昨年、近畿大関係者が経緯を聞き、進呈が決まった。

 卒業証書のあて名は、本名の「岸本欣一」。住大夫さんは「出来の悪い学生やったのに、こんなんしてもろて。胸が熱くなりました」と語った。

2015年03月21日

2008名無しさん:2015/03/22(日) 18:14:18 ID:UyPivy/o0
地域の寄席で桂米朝さんしのぶ
03月21日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150321/3366161.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんをしのび、大阪・阿倍野区で長年開かれている落語会では、21日、弟子たちが米朝さんの思い出を語り、ファンが別れを惜しみました。
大阪・阿倍野区の地元の人たちが40年余り前から開いている落語会、「田辺寄席」では、亡くなった桂米朝さんの一門を中心とした5人の落語家が1席ずつ演じました。
このうち、米朝さんの弟子の桂米二さんは、食べることが大好きだった米朝さんとともに長野県に出かけた際、米朝さんが朝の5時半から、弟子が寝ているホテルの部屋をまわってケーキを食べるよう勧めてきたエピソードをユーモラスに語り、笑いを誘っていました。
幕あいには、訪れた100人余りの落語ファンが米朝さんの思い出を語り、死を悼んでいました。10年近く通っているという64歳の男性は、「若い頃からずっと、米朝さんの落語の音源を集めてきました。生きるためのヒントを教えてくれたのが落語で、米朝さんが亡くなり、悲しさと空虚さを感じます」と話していました。

2009名無しさん:2015/03/24(火) 22:29:13 ID:6C.lxnOE0
桂米朝さんの通夜祭 大阪・吹田
3月24日 21時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150324/k10010026561000.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんの通夜祭が、24日夜、大阪・吹田市で営まれました。
桂米朝さんは、戦後上演されなくなっていた古典落語の演目を復活させるとともに、端正な語り口でみずから演じ、いわゆる人間国宝に認定されたほか、古典落語の分野で初めて文化勲章を受章しました。
米朝さんの通夜祭は、24日午後6時から大阪・吹田市の斎場で営まれ、祭壇の中央には穏やかな笑顔の遺影が飾られました。
笑福亭仁鶴さんや月亭八方さんなど上方落語の関係者のほか、親交のあった人たち、それに落語ファンなど、合わせておよそ1200人が参列しました。
この中で、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんは「米朝師匠からは大勢の人との和を大切にすることなど、人間としての育ち方を教わりました。恩人です」と話していました。
また、人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんは、「50年来のおつきあいで、共に苦労してきました。酒を飲んでも最後は芸の話になりました。天国から多くの弟子を見守り、これからの上方芸能をしった激励してほしい」と述べました。
このあと参列者は祭壇に玉串をささげ、死を悼みました。
告別式は25日午前11時から、同じ大阪・吹田市の斎場で営まれます。 .

悼む声 相次ぐ

参列した西川きよしさんは「ベテラン、新人関係なく、分からないことは何でも教えてくれて、芸能界のお父さんのようでした。どうぞお父さん、向こうでも楽しくやってください」と話していました。
喜劇俳優の大村崑さんは「上方芸能を引っ張ってくれた機関車が逝ってしまったので、ショックの大きさは計り知れません。頑張らないかんと思うのですが、今までは、こういう時にいつも立ち上がらせてくれたのが米朝さんでした」と振り返りました。
また、落語家の桂小枝さんは「まだ、亡くなったという実感がありません。ほとんどの落語家は米朝さんがいなければ、はなし家にはなっていません。今までありがとうございました。師匠が残してくれた財産をしっかり守っていきます」と話していました。

2010名無しさん:2015/03/24(火) 22:32:44 ID:6C.lxnOE0
「知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人…」 桂米朝さん通夜に各界著名人やファン続々、別れ惜しむ 
http://www.sankei.com/west/news/150324/wst1503240060-n1.html

19日に89歳で亡くなった落語界初の文化勲章受章者で人間国宝、桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。「上方落語四天王」の一人、桂春團治さん(84)や文楽太夫の竹本住大夫さん(90)、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら芸能界をはじめ各界著名人のほか、数多くの一般ファンが参列。戦後の上方文化最大の功労者の死を悼んだ。

 白い花で飾られた祭壇には、文化勲章や人間国宝の認定証、平成17年11月に撮影された着物姿の遺影が飾られた。通夜は神式で執り行われ、神主による祭詞の後、喪主を務める長男の桂米團治さん(56)らが玉ぐしをささげ、別れを告げた。

 参列者へのあいさつに立った米團治さんは「弟子が固まって戦っても太刀打ちできない知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人だと思いました」と述べた。

 この日は一般の参列も受け入れ、別れを惜しむ多くのファンらが会場を訪れた。葬儀は25日午前11時から同所で行われる。

2011名無しさん:2015/03/25(水) 00:33:50 ID:6C.lxnOE0
稽古の成就を祈願、豪快に「昇神之儀」 住吉大社
2015年3月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150323/20150323022.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた22日、立浪部屋が場所中に部屋を構えた大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で、場所中を含め約1カ月間迎えた神様を天へと送る神事「昇神之儀」が執り行われた。力士衆が無事への感謝を込め、稽古の成就を祈願した。

住吉大社によると、大社には「横綱」の語源となる逸話が残るなど相撲とは縁が深い。立浪部屋は2007年から春場所中、境内に部屋を構えている。

 境内の土俵前では地元住民など多くのファンが見守る中、神職が「稽古に精進され、一つでも番付を上げて大阪に帰ってきていただきたい」とあいさつ。一同の大阪締めに続き、力士衆が「エイエイオー」の掛け声で神職を豪快に持ち上げて儀式を締めくくった。

 近くに実家があり、家族連れで初めて見学したという茨木市の会社員、石川悟さん(34)は「娘がお相撲さんに興味を持ってくれた。連れてきてよかった」と喜んでいた。

2012名無しさん:2015/03/25(水) 00:41:00 ID:6C.lxnOE0
読んで聴いて米朝の話芸…書籍やDVDなど人気
2015年03月24日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150324-OYO1T50032.html?from=oycont_top_txt

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんの関連書籍やDVDなどの販売が伸びている。落語全集や高座の映像、音源を通して、至高の話芸に触れようというファンが絶えない。

 演芸関係の品ぞろえが豊富なジュンク堂書店千日前店(大阪市中央区)は死去した翌日に追悼コーナーを設置した。昨年完成した「米朝落語全集」の増補改訂版などを並べたが、手に取ってみる客が相次ぎ、スペースを拡大。現在は約30点をそろえた。森本浩平店長(40)は「これまでに30冊以上売れ、電話での問い合わせもあった」と驚く。大阪市北区の紀伊国屋書店梅田本店でも、落語の舞台を紹介した「米朝ばなし 上方落語地図」など、20冊以上が売れた。

 DVDやCDを発売しているユニバーサルミュージックによると、DVD「落語研究会 桂米朝全集」などの注文が相次いでいるという。


2015年03月24日

2013名無しさん:2015/03/26(木) 09:49:06 ID:c3AiAYoQ0
米朝さんは我らの誇り…告別式に弟子・ファンら
2015年03月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150325-OYO1T50022.html?from=oycont_top_txt

19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さんの告別式が25日、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。喪主を務めた米朝さんの長男、桂米団治さん(56)のほか、桂ざこばさん(67)ら米朝一門の弟子たちが黒紋付き姿で参列者を迎える中、多くのファンが訪れ、不世出の名人との別れを惜しんだ。

 式には、落語協会会長の柳亭市馬さんを始め、上岡龍太郎さん、春風亭小朝さん、井戸敏三・兵庫県知事、近藤正臣さん、松尾貴史さん、茂山宗彦さん、茂山逸平さんらが参列。一般の弔問客を含め約1500人が訪れた。天皇陛下の弔意も届けられた。

 上方落語協会会長の桂文枝さん(71)は弔辞を述べ、「繁昌亭に掲げられている、『楽』の字は師匠に書いていただきましたが、落語家は心からお客に楽しんでいただいてこそ、本物の落語家なんやと受け止めました」と振り返り、「師匠は風前のともしびだった落語を残してくださった。その血のにじむような努力を無駄にしないように、『楽』の字のもとで努力してまいります」と唇をかみしめた。人間国宝になり、文化勲章を落語家として初めて受章したことに触れ、「この偉業は我々上方落語家の誇りでございます」と心を込めてたたえた。

 一門の弟子たちもあいさつに立ち、相次いで師匠の思い出を語った。最古参の月亭可朝さん(77)は「よう私のようなムチャ者を育ててくれました。私は掃除も何もせず、キャバレーに行っていましたが、黙っててくれました。米朝師匠、あの世のほうが面白いと思います。(漫才師の)横山のやっさんもいるかもしれない。ゆっくりとお休みください」と感慨深げに語った。最後に米団治さんは「(米朝さんは)みんなのお父さんでした。今日は抜けるような青空です。たぶん高いところから見ていると思います。これからも米朝一門をよろしくお願い申しあげます」と締めくくった。

2015年03月25日


桂米朝さんの通夜に1200人 別れを惜しむ
2015年3月24日 21:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150324/20150324135.html

 上方落語の復興に尽力し、19日に89歳で死去した落語家で人間国宝の桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市で営まれた。歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら親交のあった芸能界の関係者やファンら約1200人が参列し、別れを惜しんだ。

 喪主を務めた長男で落語家の桂米団治さん(56)があいさつし、父であり師でもある米朝さんについて「すごい人でした。すごく知識がありました。そしてすごくおちゃめでした」とかみしめるように語った。

 続いて藤十郎さん、人形浄瑠璃文楽太夫の竹本住大夫さん(90)という伝統芸能の重鎮が盟友をしのんだ。

2014名無しさん:2015/03/27(金) 01:16:34 ID:dWxb3lvU0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150325/20150325020.html
暑さ寒さも… 四天王寺、蜂須賀桜が盛り
2015年3月25日

 春の彼岸明けの24日、近畿地方は冬型の気圧配置が続き、雲が広がる空模様となった。大阪管区気象台によると大阪市の日中の最高気温は10・3度と平年を4・6度も下回る2月中旬並みとなり、待望の桜(ソメイヨシノ)の開花がやや遠のいた。

大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺では「春季彼岸会(え)」の結願(けちがん)日法要や地蔵尊供が執り行われ、境内は朝から多くの参詣者や海外の観光客らでにぎわった。

 かつて世界最大の釣り鐘があった英霊堂の前ではカンザクラ系の「蜂須賀桜」が開花のピークに。遠目に紅梅を思わせる濃いピンクの小輪が咲き誇り、時折、風に花弁を散らしながら人々の目を楽しませた。阿倍野区から3人グループで訪れた女性(73)は「中日も暑いぐらいの天気で、いいお彼岸でした」と笑顔を浮かべた。

 同気象台によると桜の開花の平年値は3月28日。8割以上が咲く満開は4月5日となっている。

2015名無しさん:2015/03/29(日) 21:24:55 ID:dmzWAfps0
愛染まつり 未来へ 大阪市無形民俗文化財に指定
2015年3月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150329/20150329041.html

 大阪の夏祭りの幕開けを華やかに飾る、和宗総本山四天王寺支院・愛染堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区、山岡武明住職)の伝統行事「愛染(あいぜん)まつり」がこのほど、本年度の大阪市指定無形民俗文化財の指定を受けた。同院では前年度にも収蔵品が市指定文化財となり、2年続きの朗報に関係者一同が大喜び。「未来へ伝えたい」と伝統の重みを胸に、3カ月後に迫る祭りの準備に熱を込める。

同院の文化財は、豊臣秀吉再建で大阪市内最古の木造建造物として知られる「多宝塔」(国の重文、旧国宝)をはじめ、本堂(府指定文化財)、昨年市指定を受けた多宝塔本尊「木造大勝(だいしょう)金剛坐像」と合わせて計4件となった。

■歴史を刻む

 祭りは、本尊で良縁成就や愛嬌(あいきょう)、無病息災などの霊験あらたかな「愛染明王」の縁日にちなんだ行事。近松門左衛門の名作で人形浄瑠璃の演目で知られる「冥途の飛脚」や「心中刃は氷の朔日(ついたち)」などにも描かれている。初日恒例の「宝恵かごパレード」の原型である「宝恵駕籠(かご)行列」は、もともと大阪市内の芸妓(げいぎ)衆がかごに乗って境内へ参詣する風習で、文献史料的には「十日戎(えびす)」よりも先に行われていたとされる。

■温故知新

 長年の歴史の中には、伝統を守る一方で時代に合った変革にも挑んできた。近年では一般公募するイメージガール「愛染娘」が登場し、華やかな祭りの顔としてすっかり定着。また芸能上達の御利益もあることから、かつては地元で踊りを習う人々が「愛染おどり」を奉納していたが、現在は歌やダンスで祭りを盛り上げる一般公募の「愛染女組」に受け継がれている。

 パレードの主役となるかごも進化しており、隠れた部分にキャスターを装着、けん引できる“現代版”も登場。雰囲気を損なうことなく担ぎ手の負担を軽減し、限られた時間内に長距離の移動を可能にしている。

 祭りの世話人代表を務める池永純造さん(67)は「長年にわたって皆で盛り上げてきたので大変うれしい知らせ」と笑顔。山岡住職は「指定を受けたことでより広く認知されることに期待。伝統を未来につなげるためにも史料を再認識し、楽しいお祭りというだけではなく、歴史と信仰を大事にしていきたい」と喜びをかみしめている。祭りは6月30〜7月2日に開かれる。

2016名無しさん:2015/03/31(火) 23:01:07 ID:n1I7kM9.0
文楽人形遣い「二代目玉男」襲名 吉田玉女さん
2015年3月31日 12:51
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150331/20150331060.html

 4月の「二代目吉田玉男襲名披露公演」を前に、人形浄瑠璃文楽の人形遣い吉田玉女さん(61)が31日、師であった初代玉男さんの墓に襲名を報告し、生国魂神社(大阪市天王寺区)で公演の成功祈願をした。

墓参りを終えた玉女さんは「感無量の思いで師匠に報告しました。『頑張りや』と聞こえてくるような気がしました」と話した。

 「玉男」の名の復活は、人間国宝で多くのファンに愛された初代が2006年に亡くなって以来、8年半ぶり。玉女さんは1968年、初代玉男さんに入門。名人の下で長年、修業を積んだ。

2017名無しさん:2015/04/01(水) 21:01:36 ID:blNVTqc20
大坂の陣400年 華やか催し
2015年04月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150401-OYTNT50038.html?from=oytop_ymag

◇9月末まで 金箔の遊覧船・あんどん400個

大阪の歴史や文化をPRするイベント「大坂の陣400年天下一祭 夏の陣2015」が4月1日〜9月30日、大阪市中央区の大阪城公園で開かれる。府や大阪市、民間事業者でつくる実行委員会の主催で、昨年の「冬の陣2014」に続くイベントで、大坂城が陥落した「大坂夏の陣」から今年で400年となるのに合わせ、公園内で様々な催しが繰り広げられる。

 イベントでは4月中旬から、金箔(きんぱく)を貼った船で、城内の内濠(うちぼり)を遊覧しながら大阪城の歴史を学べる「天下一の黄金の和船 大阪城御座船」がスタート。1615年5月7日に大坂城が陥落し、戦乱の世が終わり、その後、大阪が発展したことにちなみ、5月7日の夜、本丸広場に400個のあんどんをともす「大阪城 天下泰平(たいへい)の灯」を開く。

 また、9月20〜23日には、観世流宗家の観世清和さんや、大阪能楽界の重鎮・大槻文蔵さんらによる公演「大阪城本丸薪能」も開催。7月〜8月には、西の丸庭園にお化け屋敷もオープンするほか、大阪城公園内を走る人力車も登場する。

 2015年は、道頓堀川開削400周年、天王寺動物園100周年など、大阪にとって節目のイベントが多い年で、実行委員会事務局は「各事業との相乗効果で、大阪を盛り上げたい」としている。

2015年04月01日

2018名無しさん:2015/04/01(水) 21:03:09 ID:blNVTqc20
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
2015年4月1日 11:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150401/20150401065.html

 大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2019名無しさん:2015/04/02(木) 18:34:34 ID:PmxbfUjY0
2015年4月6日(月)放送
“平凡な人間”こそ面白い 〜桂米朝さんが残したもの〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/index_yotei_3635.html

先月亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝さん(89)。三味線や太鼓のお囃子が入り、笑いを貪欲に追求する上方落語を復活させた「上方落語中興の祖」と呼ばれる。自宅には今まで公開されなかった自筆の資料が膨大に残されている。終戦時、19歳だった米朝さんの日記には、焼け野原の大阪で行われていた文楽の公演を観て、上方文化の底力に「賛嘆」したと書かれ、「東西共存落語を書きぬく」と決意が記されている。昭和22年に桂米團治に入門、戦争の影響や漫才の隆盛によって衰退が激しかった上方落語を、古老を訪ねて聞き取りし復活に取り組んだ。面白い話を聞けば全て記録する“メモ魔”で、伝統の上方落語に時代に応じた新たなネタを加えて、多くのファンを魅了した。登場人物が小心者だったり、欲深かったり、酒好きだったり、、、「“平凡な人間”だけど、みなが助かり、世の中よくなる、という人が“落語国”にはたくさんいる」としていた米朝さん。残された肉声や、未公開のものを含む膨大な自筆資料をもとに、落語を通じて残そうとしたものに迫る。

2020名無しさん:2015/04/03(金) 04:11:02 ID:Wvxiq3ZQ0
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
http://news.livedoor.com/article/detail/9956626/

大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

 京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2021名無しさん:2015/04/04(土) 20:07:19 ID:.MP.3pLc0
二代目吉田玉男さん襲名披露公演始まる
2015年04月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150404-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女改め二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露となる4月文楽公演が4日、国立文楽劇場(大阪市中央区)で始まった。

 口上では、緊張した面持ちの玉男さんと太夫の豊竹嶋大夫さん(83)、人形遣いの桐竹勘十郎さん(62)らが並び、文楽三味線の人間国宝、鶴澤寛治さん(86)が「先代の元で一生懸命修業し、立派になられ、さぞかし亡き師匠も喜んでいられると思います。将来の文楽を担ってくれることを期待しています」とあいさつした。

 初代は立役(男役)で活躍した人間国宝で、2006年に87歳で死去。玉男さんは1968年に初代に入門し、存在感のある立役として活躍している。

 公演は26日まで(15日は休演)。玉男さんは「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の師匠の当たり役、熊谷次郎直実などを勤める。

2015年04月04日

2022名無しさん:2015/04/05(日) 09:43:58 ID:BGEOr9gg0
二代目玉男襲名披露始まる 初代の当たり役で登場
2015年4月4日 13:02
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150404/20150404045.html

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露公演が4日、大阪市中央区の国立文楽劇場で始まった。「玉男」の名の復活は、人間国宝で文楽界を代表する人形遣いだった初代が亡くなって以来、8年半ぶり。

「口上」では、公演の中軸となる太夫と三味線、人形遣いが登場。三味線の人間国宝鶴沢寛治さん(86)は「師匠に勝るとも劣らぬ立派な人形遣いになられ、将来の文楽を担ってくれることを期待しています」と述べた。続く「一谷嫩軍記」で、二代目玉男さんが初代も当たり役とした悲劇の主人公、熊谷直実を遣うなど、華やかな襲名披露公演になった。

2023名無しさん:2015/04/07(火) 18:40:29 ID:u4Ex5cK20
「幸村の謎」展 連日にぎわう なんばマルイ
2015年4月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150406/20150406015.html

 “日本一の兵(つわもの)”とうたわれ、大坂の陣で活躍した武将、真田幸村の企画展「真田幸村の謎」が、大阪市中央区の商業施設「なんばマルイ」の2階特設会場で開かれている。根強い人気を誇る幸村だけに連日、来場者でにぎわっている。26日まで。

会場内には、絵巻作家の正子公也さんが描いた幸村ら武将の大型作品と、「幸村の本名は」「幸村は関ケ原でなぜ西軍に味方したのか」など幸村に関するエピソードをパネルで展示。来場者は、入り口で渡された「5つの謎」と書かれた紙を手にパネルを見ながら問題を解いていた。

 真田幸村は来年のNHKの大河ドラマにも決定。大阪市西区の男性(35)は「自分は大阪の人間なので、幸村は豊臣家を守ってくれた英雄のイメージ」と語っていた。

 企画展は、大阪にゆかりの戦国武将を紹介する「戦国武将列伝フェア」の第1弾。幸村にちなんだオリジナルグルメとグッズの販売、等身大パネルを置いた撮影スポットも設置している。

2024名無しさん:2015/04/16(木) 21:52:03 ID:Mq9yPwJ.0
大阪城の石捨て場か 豊臣、徳川時代の破片
2015年4月15日 18:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150415/20150415101.html

 大阪城(大阪市中央区)の西側で豊臣期の堀跡などが見つかり、大阪府文化財センターが15日、発表した。堀跡付近では、石垣に使えず廃棄された石(長さ0・6〜1・5メートル)など38点以上が出土。石捨て場とみられ、豊臣期や徳川期の石もあった。

うち4点には墨で丸に線を引いたマークや扇形のような印が記されていた。石工らが管理用に記した可能性があるという。

 堀跡は1991年度から調査を実施。今回新たに見つかったのは、幅18メートル、長さ11メートル、深さ2・6メートルで、堀を埋め立てた土からは金箔を張った瓦や陶磁器も見つかった。

2025名無しさん:2015/04/18(土) 04:15:00 ID:hPUaIHUw0
落語家の故桂米朝氏に従三位 政府が閣議で決定
2015年4月17日 8:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150417/20150417023.html

 政府は17日の閣議で、3月19日に89歳で死去した人間国宝で文化勲章受章者の落語家桂米朝(本名中川清)氏に従三位を贈ることを決めた。

2026名無しさん:2015/04/19(日) 20:42:49 ID:bVu/8Q020
特別展「大坂」開幕 大阪城跡出土瓦など展示
2015年04月18日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150418-OYO1T50041.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣400年にちなんだ特別展「大坂―考古学が語る近世都市―」(読売新聞社など主催)が18日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開幕した=写真=。発掘調査で出土した遺物約200件が並び、近世大坂の歴史と文化、生活、産業を知ることができる。大坂城跡から出土した「方形桐文(きりもん)金箔(きんぱく)瓦」や、「黒織部茶碗(くろおりべちゃわん)」などに来場者が見入っていた。火曜(5月5日は開館)と5月7日休館。6月8日まで。入館料は大人600円、高校・大学生400円。

2015年04月18日

2027名無しさん:2015/04/21(火) 08:42:19 ID:L6BvP.dg0
藤棚 優雅に 福島区で「のだふじ」が開花時季
2015年4月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150418/20150418037.html

 大阪市福島区で、区の花「のだふじ」が開花時季を迎えた。関係者の努力の積み重ねによって公園、神社、学校など各地の藤棚で優雅に咲き連なり、人々に晩春の訪れを告げている。

福島区の野田地区は古来「吉野の桜」などと並び称される藤の名所で、豊臣秀吉も藤の見物に訪れたと伝わる。現在は63カ所に171基の藤棚があり、このうち「藤の宮」の別名がある春日神社周辺では五分咲きに。薄紫色の房が花の波を演出している。

 ボランティアで手入れに尽力する「のだふじの会」事務局長の藤三郎さん(75)は「今季は順調に開花。区内の藤棚を巡って花を堪能してもらいたい」と話している。

 開花状況は場所によって異なり、春日神社周辺では来週いっぱい楽しめる見込み。

2028名無しさん:2015/04/22(水) 21:20:47 ID:eKrZkGco0
四天王寺で「聖霊会」
04月22日 19時07分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/3816541.html

大阪の四天王寺で、聖徳太子をしのぶ大規模な法要、「聖霊会」が行われ、大勢の人が訪れました。
大阪・天王寺区にある四天王寺は聖徳太子が建てたと伝えられることから命日とされる4月22日に、毎年「聖霊会」と呼ばれる法要を行っています。
法要は午後0時半から始まり、僧侶や寺の関係者ら約100人が列を作り、笛や太鼓を吹き鳴らしながら境内を練り歩きました。
このあと、国の重要文化財の「石舞台」で、長方形の布に丸や三角で人の顔をかたどった面をつけて踊る独特の舞、「蘇利古」など約1400年の歴史を引き継ぐとされる舞楽が次々と奉納されました。
四天王寺によりますと境内には約2000人が訪れたということで、兵庫県尼崎市の男性は「厳かで、見ていて心がスッキリとあらわれます。貴重なものが見られて良かったです。」と話していました。
また、アメリカのカリフォルニアから来た男性は「音楽がとてもいいです。平和で穏やかな気持ちになります」と話していました。

2029名無しさん:2015/04/22(水) 22:05:01 ID:eKrZkGco0
古墳群 展示室新設し公開へ
04月22日 06時31分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/4064061.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が古墳や埴輪などの出土品を集めた展示室を新たに設置し、5月から一般に公開することになりました。
この展示室は、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が、市役所の敷地内に設置しました。
展示室は広さがおよそ80平方メートルで、「百舌鳥・古市古墳群」のうち羽曳野市内の古墳から出土した埴輪などおよそ100点が展示されています。
また展示室につながる通路からは古墳群の1つである向墓山古墳を間近に見ることができます。
羽曳野市教育委員会の井原稔課長補佐は「この施設をきっかけにして、羽曳野市などが世界遺産への登録を目指す百舌鳥・古市古墳群についてより多くの人に関心を持ってもらいたい」と話していました。
展示室は、5月7日から一般に公開されます。

2030名無しさん:2015/04/22(水) 22:23:53 ID:eKrZkGco0
僧侶「絵解き」が好評 四天王寺絵堂特別御開扉
2015年4月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150421/20150421024.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で、太子の偉業を描いた壁画がある境内・絵堂の特別御開扉「飛鳥から未来へ」が開かれている。僧侶による解説「絵解き」や記念品授与もあり、多くの参詣者から好評を得ている。拝観無料。30日まで。

絵堂内には7面で構成する「聖徳太子絵伝」(杉本健吉氏作)を奉納。特別御開扉は2022年に迎える年忌法要「聖徳太子御聖忌(ごせいき)1400年」に向けた取り組みの一環で昨春から実施している。

 注目の記念品はポストカードで、「聖徳太子孝養半跏(はんか)像」(白鳳〜室町)「童子と遊ぶ太子」(鎌倉)「蘇我・物部の合戦」(同)と、同寺所蔵の文化財をデザインした3種類を用意。入堂した参詣者全員に1枚配布され、封筒入りで絵柄が分からない点も楽しみの一つとなっている。

 絵解き担当の僧侶の数も以前よりも増えており、同寺参詣課の山岡武明課長は「仏教徒としてもレベルアップを図る機会。さらに多くの方に太子の偉業を知っていただきたい」と話している。

 午前8時半〜午後4時半。絵解きは連日午後1時、同3時の2回。

2031名無しさん:2015/04/25(土) 20:48:26 ID:dXaVnBx.0
みやびな舞 太子慰霊 四天王寺で大法要
2015年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150423/20150423022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で22日、開祖・聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が盛大に執り行われた。初夏の日差しの中、太子慰霊の法要と舞楽が繰り広げられ、参詣者を魅了した。

同法要は国の重要無形文化財に指定されており、四天王寺の年中行事のうち重要かつ最大規模。住吉大社、厳島神社とともに「日本三舞台」と称される境内・石舞台では僧侶による声明(しょうみょう)に続いて、天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)の舞人、楽人がみやびやかな舞楽の数々を奉納した。

 朝鮮半島伝来で太子の目覚めを慰める供養舞とされる「蘇利古(そりこ)」や、王朝時代の武官の正装をした舞人による「春庭花(しゅんていか)」などが舞台上で披露され、周囲に集まった人々が歴史絵巻を思わせる光景に見入っていた。

2032名無しさん:2015/04/26(日) 20:17:32 ID:Lp2ugnhw0
みやび境内に響く 大阪天満宮で「鎮花祭」
2015年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150426/20150426025.html

 大阪市北区の大阪天満宮で25日、「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。快晴の下、雅楽や神楽などの奉納があり、初夏の伝統行事をみやびやかに飾った。

同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれ、疫病の流行する季節の変わり目に花に乗って散り広がる精霊を鎮めて心身の健康を祈願する。

 雅楽奉納では神職らが笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などを演奏し、「賀殿急(かでんのきゅう)」「胡飲酒破(こんじゅのは)」の2曲を境内いっぱいに響かせた。

 このほか同宮の神職とみこが神楽を、関西雅楽松風会が舞楽をそれぞれ奉納。いずれも繊細で息の合った所作と優美な装束が相まって、多くの参拝者を魅了した。

2033名無しさん:2015/04/26(日) 20:32:05 ID:Lp2ugnhw0
三代目「桂花団治」襲名 70年ぶりの名跡復活祝う
http://www.sankei.com/west/news/150426/wst1504260047-n1.html

上方落語の桂蝶六改め三代目桂花団治さん(52)の襲名披露公演が26日、大阪府池田市の市民文化会館で行われ、桂福団治さん(74)や桂文枝さん(71)らが70年ぶりの名跡復活を祝った。

 「花団治」は、二代目が歌手や俳優もこなすなど多彩な才能を誇ったが、昭和20年の大阪空襲で亡くなった。襲名した三代目は大阪府豊中市出身。古典落語のほか狂言にも精通し、将来が期待されている。

 口上では、一門を代表して福団治さんが「上方落語にまた新しい花が咲きました。よろしくお願いします」とあいさつ。桂ざこばさん(67)は「大阪の名前がまた一つ復活できてうれしい。どっしり、そして明るい名前、応援してあげてください」と激励。花団治さんは「これからも精進してまいります」と神妙に語った。

2034名無しさん:2015/05/01(金) 20:53:26 ID:GQ7PWjh.0
「卑弥呼展」開幕…大阪・弥生文化博物館
2015年05月01日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150501-OYO1T50017.html?from=oycont_top_txt

古代史最大の謎、邪馬台国の女王の新たな実像に迫る春季特別展「卑弥呼―女王創出の現象学―」(読売新聞社など主催)が1日、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で始まった。卑弥呼にまつわる鏡など約300点が並ぶ。7月5日まで。

 「卑弥呼と出会う博物館」として同館が3月、大規模刷新したのを記念して開催。「魏志倭(わ)人伝」に登場する伊都(いと)国の王墓とされる福岡県糸島市・平原(ひらばる)方形周溝墓の超大型内行花文鏡(国宝、直径46・3センチ)、「卑弥呼の鏡」候補の一つ、神戸市・西求女塚(にしもとめづか)古墳の画文帯神獣鏡(重文)などが並ぶ。

 月曜(4日は開館)と7日休館。問い合わせは同博物館(0725・46・2162)。

2015年05月01日

2035名無しさん:2015/05/03(日) 01:55:41 ID:ag9OrMUw0
荘厳の世界 大念佛寺「万部おねり」
2015年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150502/20150502027.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺で1日、伝統行事の「万部(まんぶ)おねり」(市指定無形民俗文化財)が始まった。文字通りの五月晴れの下、菩薩(ぼさつ)が現世から極楽浄土へ向かう来迎の光景を再現。多くの参詣者が荘厳な儀式に見入っている。7日まで。

 同寺の数多い年中行事のうち最大規模を誇る。今年は開宗900年記念に加えて、第46世上人で江戸時代の宗門再興に尽力した大通上人の300回御遠忌(おんき)という節目の大法要として執り行われる。

 本堂沿いの特設回廊では諸講元ら奉仕者の行列に続いて、きらびやかな面と装束の観世音菩薩や普賢菩薩など二十五菩薩が順次登場。また大法要にあたり特別に地蔵菩薩も厳かにお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ入堂した。

 期間中は声明コンサートや郷土芸能といった奉納行事も行われる。お練りは連日午後1時から。

2036名無しさん:2015/05/03(日) 09:08:28 ID:DlWd16nY0
桂文珍さんら磨き抜かれた話芸披露 上方落語名人会
http://www.sankei.com/west/news/150502/wst1505020076-n1.html

産経新聞社が昭和39年に上方芸能の振興を目指して創設した「上方落語名人会」(産経新聞社など主催、上方落語協会提供、大阪製紙、近鉄タクシー協賛)が2日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれた。

 52回目となる今回は、1月の新進落語家競演会で新人賞を受賞した桂二乗さんがトップバッターを務め、桂春蝶さん、桂文三さん、桂文之助さんが続いた。

 中入り後は、笑福亭枝鶴さん、トリは桂文珍さんが「憧れのホーム」を披露し、会場を大いに沸かせていた。

 上方落語名人会は、新進芸術家の育成を目指し39年から続いている総合芸術祭「なにわ芸術祭」の演目の一つとして定着。若手、中堅、大御所それぞれの魅力が楽しめる落語会として人気を博している。

 今年も日本舞踊、落語、クラシック音楽、ジャズ、洋舞の5部門で新人賞を選出し、7月17日には各受賞者が一堂に会して演目を披露する「受賞者記念公演&表彰式」が同ホールで開催されることになっている。

2037名無しさん:2015/05/03(日) 19:51:23 ID:ZS0bIma.0
道明寺合戦から400年
05月03日 12時33分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150503/4216441.html

「大坂夏の陣」からことしで400年を迎えるのにあわせて、激戦が繰り広げられた大阪・藤井寺市で3日、武者行列が行われました。
「大坂夏の陣」の「道明寺の戦い」が行われた大阪・藤井寺市にある道明寺天満宮に、かっちゅうや華やかな着物を身にまとったおよそ70人の市民が集まりました。
豊臣方の武将の真田幸村や淀君などにふんした一行は、おはらいを受けたあと、1キロ近い道のりを20分ほどかけて「えい、えい、おー」と声をあげながら練り歩きました。
そして、ゴール地点の河川敷に到着すると、鉄砲隊が火縄銃を次々に放ち、沿道につめかけた人たちが盛んに写真を撮っていました。
1歳の子どもを連れて見物に来ていた女性は「武者行列はかっこよかったです。娘にも見せられて子どもも喜んでいると思います」と話していました。
主催者の森田剛浩さんは「400年の節目となることし、この地で合戦があったことを多くの人に知ってもらう機会になればいいと思います」と話していました。

2038名無しさん:2015/05/04(月) 08:15:21 ID:0rRfemIw0
歴史や武将など紹介 「るるぶ」発行、無料配布
2015年5月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150503/20150503039.html

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(事務局・大阪市経済戦略局)は、情報誌「るるぶ特別編集・大坂の陣400年天下一祭」を発行した。大坂の陣の歴史や武将、各軍の配置図を紹介。市役所、区役所、図書館、大阪城天守閣で無料配布している。

 「るるぶ-」は12ページオールカラー。大坂の陣以外の歴史スポットや食の情報も掲載している。発行部数は8万部で、東京都内の旅行代理店やバスターミナルなどにも配布。7月中旬には第2弾の発行を予定している。

 天下一祭は9月30日まで開催。期間中は金箔(きんぱく)貼りの御座船による大阪城内堀の遊覧があり、7日は「大阪城天下泰平の灯(ともしび)」、16、17の両日は「大坂ノ陣合戦祭り」が予定されている。

2039名無しさん:2015/05/04(月) 14:38:08 ID:PL380kNM0
華麗な舞 魅了 住吉大社で卯之葉神事
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504026.html

 住吉大神の鎮座を記念する伝統の祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が3日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で盛大に執り行われた。多くの参拝者が見守る中、舞楽奉納もなされるなど初夏の境内をみやびやかに飾った。

卯の花(ウツギ)の開花期となる5月最初の「卯」の日の伝統行事。境内・第一本宮で斎行された「本殿祭」では祝詞奏上や献香、献茶に続いて、参列者の代表がサカキではなく卯の葉の玉串を神前にささげた。

 舞楽は大阪の四天王寺、広島の厳島神社と並び日本三舞台として知られる境内・石舞台(国指定重要文化財)で奉納された。天王寺楽所雅亮会の舞人が東西の楽所から響く雅楽の調べに乗せて登場。舞楽の幕開けを告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「萬歳楽(まんざいらく)」「登天楽(とうてんらく)」などを次々と舞い、装束や勇壮華麗な所作で参拝者を終始魅了した。

2040名無しさん:2015/05/05(火) 22:19:25 ID:FkT34vbs0
大みこし復活へ 来夏の住吉祭に向け修繕
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504034.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の大(おお)みこしが、修復を終えて来年春にお披露目される。70年以上にわたって倉庫で“眠っていた”が、地元有志が3千万円の修繕費用を確保。担ぎ手不足を乗り越え、来年夏に開かれる大阪三大夏祭りの「住吉祭」での復活を目指している。

大みこしは、1881(明治14)年に同神社に奉納された。現在、同神社で使われているみこしと比べて二回り以上の大きさを誇り、重さは約2・6トンとされている。「住吉さんのみこしと言えば大みこし」と言われるほど住民に愛されてきた。

 しかし太平洋戦争を背景に住吉祭のうち、みこしを担いで練り歩く「神輿(みこし)渡御」が中止に。戦後になって再開され、その後、再度の中止をはさんで2005年に再開されて現在に続くが、この間は新調した別のみこしなどを使っていた。

 かつての勇姿を見てもらおうと住吉祭神輿渡御実行委員会は昨年6月から奉賛金を募り、修繕に必要な3千万円以上を確保。かざり金具は京都で、木彫部などは富山に分かれ、それぞれの箇所ごとに復元作業が進められている。

 昔の熱気を取り戻そうとする動きを肌で感じ、同委員会の中野紀久雄会長(74)は「この機会を逃したら次はない。できることは何でもしたい」と意気込む。

 課題は担ぎ手の確保だ。現在は約200人が交替でみこしを担いでいるが、大みこしはその倍の人数が必要。「今も少ない20、30代の若手にどんどん参加してほしい」と中野さん。次男で担ぎ手をまとめる若者頭の光典さん(43)は「今のみこしとは大きさがまるで違う。自分たちも成長しないといけない」と気を引き締めている。

 同神社の権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「祭りが人をつなぎ、一つにする。20年、30年先を見据えて、地域をもり立てたい」と話していた。

2041名無しさん:2015/05/07(木) 11:33:29 ID:zCNjF7qc0
幸村 悲運から400年 最期の地で慰霊祭
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506089.html

 信州上田の武将真田幸村が「大坂夏の陣」(1615年)で戦死した場所と伝わる大阪市天王寺区の安居神社(中島一熈宮司)で5日、「真田幸村公戦没400年慰霊祭」が盛大に執り行われた。氏子衆や幸村崇敬者など多くの参拝者が参列。境内を静かに見守る幸村座像にじっと手を合わせた。

天王寺口の戦い」で徳川家康に迫りながらも境内で絶命した悲運の武将を悼み、戦前から「幸村祭」として毎年斎行。座像前では祝詞奏上などに続いて長野県上田市の関係者や大阪城真田鉄砲隊、大阪城甲冑(かっちゅう)隊ら参列者代表が玉串をささげた。

 このほか同鉄砲隊代表で砲術史家の澤田平さん=同市東成区=が、大坂の陣ゆかりの貴重な品々を展示した。歴史愛好家に解説しつつ「あらためて歴史を検証する好機であり、幸村公の無念を晴らすことができたと思う」と感無量の表情を浮かべた。中島宮司は「大きな節目を迎えたが、今後も皆さんとともに幸村公を温かく見守っていきたい」と話した。

2042名無しさん:2015/05/07(木) 11:42:17 ID:zCNjF7qc0
歌劇武将隊さっそうと 大阪城ファミリーフェス
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506086.html

 大阪城の歴史・文化を身近に感じてもらうイベント「大阪城ファミリーフェスティバル2015」の最終日が5日、大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場で開かれた。天守閣前特設ステージには、宝塚歌劇団とOSK日本歌劇団の出身者による「大阪城歌劇武将隊」が登場。晴天の下、りりしい姿で来場者を魅了した。

歌劇武将隊は、桜花昇ぼるさん(元OSK)が真田幸村、鳴海じゅんさん(元宝塚)が後藤又兵衛に扮(ふん)するなど、大坂の陣で活躍した5人の武将をそれぞれ女性が歌やダンスで演じた。

 5人を中心とした舞台公演「太鼓×歌劇 大阪城パラディオン」(5月30、31日・サンケイホールブリーゼ)が予定されており、この日はテーマ曲「将星」や舞台の一場面を披露した。

 桜花さんは「大坂の陣から400年の年に、この作品に巡り合うことができて本当に幸せ。夏の陣の場面は、涙なしでは見られない」と公演をPRしていた。

2043名無しさん:2015/05/07(木) 11:48:23 ID:zCNjF7qc0
伝統の神事に流鏑馬の型奉納 生国魂神社
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506090.html

 「いくたまさん」と呼ばれて親しまれている大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で5日、端午の節句の伝統行事「走馬(そうめ)神事」が執り行われた。流鏑馬(やぶさめ)の型が奉納され、大勢の参拝客らは勇壮な礼法に見入った。

同神社の流鏑馬は、豊臣秀吉が大坂城を築城する約400年前、現在の場所に神社が移って武士が稽古していたことから始まったとされる。明治に入って途絶えてしまい、神事のみが続いていた。

 型は「木馬の型」といわれ、かつて武士が流鏑馬の稽古として行っていたもの。昨年の夏の大祭で、大阪城への渡御列が70年ぶりに復活するにあたり、弓馬術礼法小笠原教場の協力で、102年ぶりに復活した。

 大阪の繁栄を願う神事が本殿で営まれた後に型を披露。武士の衣装を身にまとった同教場の3人が、順次木馬にまたがり、回転しながら鏑(かぶら)矢で三つの的を射抜くと、参拝客から拍手が送られた。

 かつて流鏑馬が行われていた表参道は現在、谷町筋によって遮られているため、同神社は「氏子の皆さんとともに、流鏑馬が再び行えるように願っている」と話している。

 また、近くの生玉公園では、新庄乗馬クラブの協力で子ども向けの乗馬体験も開かれた。

2044名無しさん:2015/05/07(木) 21:27:01 ID:vjPUMxfM0
大坂城落城400年イベント開始 あんどんの明かりに願い
2015年5月7日 19:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150507/20150507096.html

 大坂夏の陣で大坂城が落城してから7日で400年となるのにちなみ、大阪市中央区の大阪城天守閣前で、400個のあんどんに明かりをともすイベントが始まった。

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会が、天下太平の世が訪れた重要な日に、大阪のさらなる発展を祈願したいと主催した。特設の台に並べたあんどん400個全てに、城の来場者が書いた未来の大阪への願いが貼られた。

 夕暮れとともに明かりがつくと、天守閣前の広場には幻想的な光景が広がり、訪れた人たちは城と穏やかな光の共演を楽しんだ。あんどんの展示、点灯は9日まで毎日午後6〜8時に行われる。入場無料。

2045名無しさん:2015/05/07(木) 21:43:29 ID:vjPUMxfM0
落城400年 来訪者に証明書
05月07日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150507/4393251.html

大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になるのを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られています。
徳川家康が豊臣氏を滅ぼした1615年の大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になります。
これを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られることになり、配布が始まる午前9時前から、約80人が列を作りました。
かぶとをかたどった証明書には、城が攻め落とされてから400年になる7日、天守閣を訪れたという内容が日本語と英語で書かれています。
静岡県から家族で訪れた男性は「いい記念になりました。4歳の息子が大きくなったら話して聞かせたい」と話していました。
台湾から訪れた男性は「どうしても証明書がほしくて会社を休んで来ました。大阪城は台湾でも人気があるので、帰って自慢したい」と話していました。
広報を担当する青木美佐子さんは「落城の日が過ぎても400年記念のイベントは続くのでたくさんの人に訪れて欲しい」と話していました。
8日は、豊臣秀吉の子、秀頼が自害した日とされ、大坂の陣終結から400年の証明書が配られます。

2046名無しさん:2015/05/07(木) 22:15:36 ID:vjPUMxfM0
夏の陣400年武将悼む…大阪の神社で慰霊祭
2015年05月07日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150507-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣から400年に合わせ、大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、慰霊祭が営まれ、地元の住民ら約50人が、戦いで命を落とした武将らを悼んだ。

 夏の陣では、慶長20年(1615年)5月7日に最後の決戦があり、大坂城が落城。翌日、豊臣秀頼と母の淀殿が自害した。

 同神社は大坂城三の丸があった地に立ち、豊臣、徳川の時代に「大坂城の鎮守神」として信仰を集めた。境内には秀頼が寄進した鳥居が残っている。

 慰霊祭では、祭主を務めたサントリーホールディングスの鳥井信吾副会長らが玉串を奉納した。

2015年05月07日

2047名無しさん:2015/05/08(金) 21:19:11 ID:VXCIbyd.0
幻のからくり人形を再現…右半身不自由な人形師
2015年05月08日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150508-OYO1T50020.html?from=oycont_top_txt

大阪府寝屋川市のからくり人形師、東野進さん(65)が、立ち姿の武者が矢を射るからくり人形「弓射り武者」を製作した。幕末から明治時代の発明家で、東芝創業者の田中久重(ひさしげ)の「幻の人形」を再現したものだ。東野さんは、脳梗塞で右半身が不自由になりながら、3年半かけて完成させた。

 高さ約35センチの武者人形が矢立から取った矢を弓につがえ、首を傾けて狙いを定める。放たれた矢は2・5メートル先の的に突き刺さった。台座の中のからくりは、ぜんまいが生み出す動力をカムや腕木と呼ばれる部品を介して14本の糸に伝える。両脚を通って両腕や首につながった糸に操られ、人形は4本の矢を次々と放つ。

 田中のからくり人形は、これまでに5体が確認されている。東野さんは、このうち座った童子が弓を射る「弓曳(ひ)き童子」など4体を国内外で発見し、修復。弓曳き童子は日本機械学会の機械遺産に認定された。

 弓射り武者は、田中の業績を伝える昭和初期の本で「丈(た)け一尺(約30センチ)餘(あまり)の見事な甲冑(かっちゅう)人形」と紹介されているものの、現在は所在不明となっている。東野さんは以前、高さ50センチほどの一回り大きな弓射り武者を作ったことがあるが、原寸大での再現にも挑戦したいと考えていたという。

 2011年2月、脳梗塞で倒れ、右半身が自由に動かなくなった。だが、半年間の入院中も枕元に鎧(よろい)を置いて構想を練り、退院後に製作に着手。子供の頃は左利きだったため、やすりや彫刻刀を左手で扱った。ただ、木や鉄の部品は約200個に及び、「手間は右手が使える時の倍はかかった」と振り返る。

 弓射り武者は16年の正月、江戸東京博物館(東京都)で披露する。東野さんは「渾身(こんしん)の作で、これでやり残したことはない。多くの人に楽しんでほしい」と話している。

田中久重 1799年(寛政11年)、筑後国(現福岡県)でべっこう細工師の長男として生まれた。からくり人形製作のほか、佐賀藩に招かれ、蒸気機関や大砲の技術開発にも取り組んだ。1875年(明治8年)に東京・銀座に構えた工場兼店舗が後に、東芝へと発展した。

2015年05月08日

2048名無しさん:2015/05/08(金) 21:45:58 ID:VXCIbyd.0
秀頼、淀らしのぶ ”鎮守”玉造稲荷で慰霊祭
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508022.html

 “大阪城の鎮守”として知られ、豊臣家と縁が深い大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、「大坂の陣400年慰霊祭」が営まれた。関係者や氏子が出席し、豊臣、徳川両家をはじめ戦いで命を落とした全ての人をしのんだ。

玉造稲荷神社は紀元前12年に建立されたが、その後は荒廃し、1603年に秀頼によって再興された。境内には、秀頼と母の淀を結ぶ胎盤と卵膜が鎮まる「秀頼公胞衣(よな)塚」がある。

 400年前の7日、大坂の陣は最後の決戦を迎え、大坂城は落城。翌8日に秀頼と淀が自害した。

 この日は、胞衣塚の前で鈴木一男宮司が祝詞を奏上。サントリーの鳥居信吾副会長、森下仁丹の駒村純一社長らが玉串を奉納した。境内にある秀頼の銅像にも献花した。

 鈴木宮司は「平和で大阪が発展していくことを祈念致します」とあいさつ。氏子代表の二ノ宮※治さん(76)=中央区=は「無事に終わって良かった。できる限り、神社を守るお手伝いをしていきたい」と話していた。

※は王ヘンに秀

2049名無しさん:2015/05/08(金) 21:52:48 ID:VXCIbyd.0
「大坂城落城」思いはせ 来館者に登閣証明書配布
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508020.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で7日、400年前の「大坂夏の陣」での落城の日にちなみ、来館者へ記念の天守閣登閣証明書が配布された。大きな節目に当たり、多くの人々が日本を揺るがした壮大な歴史ドラマに思いをはせた。

大阪城天守閣による「大坂の陣400年プロジェクト」の一環。大坂の陣関連の多彩な展示会や事業を通じて大阪の歴史や魅力に触れてもらおうと企画した。

 証明書の配布は、「大坂冬の陣終結」400年に当たる2014年12月22日に続いて2度目。城の屋根をモチーフにした前回に対し、今回はかぶとをデザインした。前回同様、日本語と英語で歴史と登閣を証明する内容が表記され、国内外の来館者が見入っていた。

 大阪歴史博物館で長年ボランティアを務める山田康広さん(74)=豊中市=は証明書を受け取り「大阪城が大好きなので、ぜひこの日に訪れたかった。これからも全国の皆さんに歴史と魅力を広めたい」と笑みを浮かべていた。

 大坂の陣終結400年の8日には「高麗橋擬宝珠」をデザインした証明書(5千枚限定)を配布。同天守閣では「縁あって皆さんがお越しになったこの場所で、積み重なってきたさまざまな歴史に思いをはせてもらえるきっかけとなれば」と話している。

2050名無しさん:2015/05/12(火) 19:12:05 ID:2Go/SKJY0
幸村博 歴女が行列 天王寺、イベント沸く
2015年5月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150511/20150511023.html

 大坂の陣400年にちなんだ歴史顕彰イベント「天王寺真田幸村博〜赤備えの章」が10日、大阪市天王寺区の近鉄大阪上本町駅周辺で行われた。戦国武将の真田幸村にスポットを当てたステージが開かれるなど、大勢の歴史ファンでにぎわった。

イベントは、同区役所などでつくる実行委員会が主催。大坂の陣を代表する戦国武将の幸村が大坂城の出城「真田丸」を築き、最期を迎えた同区の魅力を発信しようと、昨年から区内各地でさまざまなプログラムを実施している。

 10日は、同駅に隣接する商業施設「うえほんまちハイハイタウン」で、殺陣パフォーマンスや、武者行列と演武、幸村の子孫の真田徹さんを招いてのトークショーが開かれた。また、幸村関連のゲームのグッズや工芸品の販売があり、買い求める“歴女”の長い行列も。真田丸のジオラマや特設の幸村神社を参拝する幸村ファンの姿もあった。

 同区長の水谷翔太実行委員長は、来年のNHK大河ドラマに真田丸が決まって天王寺が盛り上がってきたといい「今から400年前に悲しい戦いがこの地で繰り広げられた。今回を機に、新しい400年を刻むことができれば」と話していた。

2051名無しさん:2015/05/12(火) 19:39:39 ID:2Go/SKJY0
天神祭成功へ一丸 実行委が初会合
2015年5月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150512/20150512035.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は11日、2015年度の初会合を大阪市北区の大阪天満宮会館で開き、7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭と奉納花火を行うことなどを確認した。また実行委員長に栗原宏武氏が就任したことが報告された。

会合には大阪天満宮の寺井種伯宮司や氏子代表ら関係者約80人が出席。会の冒頭、寺井宮司が、体調不良のため京極俊明氏が実行委員長を退任し、栗原氏が就任した経緯を報告した。

 栗原氏は「伝統のある天神祭をなんとしても盛り上げ、次の時代に引き継いでいかないといけない。皆さんに協力いただき、力を一つにして頑張っていきたい」と決意を述べた。

 会合では、14年度の決算や15年度の予算が報告され、累積赤字の解消策などが話し合われた。事業計画も発表され、25日の奉納花火では約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が披露される。

2052名無しさん:2015/05/14(木) 21:12:57 ID:RoDNhHXk0
初夏の薫り 住吉大社で卯の花見頃
2015年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150514/20150514028.html

 13日の近畿地方は高気圧に覆われ、台風6号の影響で大荒れとなった前日から一転、各地でさわやかな五月晴れとなった。

大阪市住吉区の住吉大社境内にある「卯(う)の花苑」では卯の花(ウツギ)が見頃を迎え、一帯は初夏の薫り。13種約500株が植栽されており、純白のウツギをはじめ紅白織り交ぜたハコネウツギ、八重のサラサウツギが参拝者を迎えていた。

 大阪管区気象台によると、大阪市の最高気温が25・5度まで上昇。このほか枚方市26・0度▽堺市26・0度▽八尾市25・9度と各地で夏日となり、軒並み平年を0・3〜2・9度上回った。

2053名無しさん:2015/05/14(木) 21:44:48 ID:RoDNhHXk0
「くすりの町」に薬の史料館
05月12日 22時44分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150512/4212221.html

大手製薬会社「田辺三菱製薬」の本社が「薬のまち」として知られる大阪の道修町に移転し薬の歴史などを学べる史料館が12日オープンしました。
この史料館は、「田辺三菱製薬」が大阪・中央区の道修町に新しく建設した本社ビルに設けられ、薬にまつわる歴史や知識を学ぶことができます。
このうち、明治初期の薬を扱う商店を再現したコーナーでは、店主の姿がスクリーンに映し出され、薬のまち、道修町がどのように発展してきたかを紹介しています。
また、「産前産後打ち身によし」などと書かれた江戸時代の看板や、昭和初期のはかりなども展示されています。
このほか、体の中で薬が作用する仕組みを説明する立体画像や、薬の知識を問うクイズを楽しめる展示などもあります。
見学した男性は、「薬の歴史を物語る貴重なものを見ることができてよかったです」と話していました。
田辺三菱製薬広報部の原健司さんは、「所蔵品を入れ替えて展示していくので、歴史を感じてもらいたい」と話していました。
この史料館は事前に申し込めば誰でも見学できるということです。

2054名無しさん:2015/05/19(火) 04:53:22 ID:4U8lp5tg0
感謝を込めて「家族」と別れ 大阪天満宮で人形祭
2015年5月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150518/20150518034.html

 思い出の詰まった人形に感謝の思いを込めて奉納する「人形祭」が17日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。納められた日本人形やひな人形、フランス人形、縫いぐるみなどを前に祝詞があげられ、玉串が奉納された。

関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。「200人以上の人が人形を持って来られ、1500体前後の人形が納められた」と元賀圓治同祭実行委員長。

 午後3時から行われた神事「人形奉謝祭」には人形を納めた人や組合の関係者、地域の人らが参列。今までの恩恵に感謝し、これからの加護も祈った。

 同組合の小出康雄理事長は「さまざまなお祝いごとで贈られ長い間親しんできた人形など、お役目を終えた後どうしたらいいかと困っている人は多い。作り手として、今後も最後まで面倒を見ていきたい」と話していた。

2055名無しさん:2015/05/22(金) 21:51:44 ID:fw7ynx6A0
まだ地中に眠る不発弾 多く残存の可能性
2015年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150520/20150520032.html

 全国各地で不発弾の発見が続いている。大阪市では3月にミナミの繁華街で見つかり、5月9日に撤去作業が行われた。70年前の大阪大空襲による不発弾は、まだ地中に眠っていると指摘する声も多い。戦争の記憶が風化する中、関係者は警戒感を緩めないよう呼び掛けている。


 繁華街は一時、1個の不発弾処理で機能停止に陥った。約2200人が避難を強いられ、商業施設は休業、電車も一時運休した。

 ミナミのマンション新築工事現場で見つかったのは長さ1・8メートル、直径60センチの1トン爆弾。地上で爆発すれば半径1キロの範囲で破片が吹き飛ぶサイズだ。

 「まさかこんな商業地に70年前の遺物が埋もれているなんて」。近くの団体職員、丸尾三郎さん(72)は声を震わせた。

1発の破壊力
 太平洋戦争末期、米軍は大阪を約50回にわたって空爆。100機以上の来襲も何度か繰り返され、そのたびに数百発の爆弾が投下された。空襲後は地面のあちこちに大きな穴ができたという。

 空襲による被害を調査してきた大阪電気通信大の小田康徳名誉教授(日本近代史)は「恐ろしい破壊力。1発でも直撃すれば人の体は跡形もなくなり、工場の鉄骨はあめ細工のように折れ曲がった」と指摘する。

 市内で不発弾が発見されたのは、記録がある1955年以降、今回で87個目。城東区や都島区など大阪城周辺の工事現場で見つかることが多い。民家の庭で見つかることもあり、高齢者が自宅で保管していたケースもあった。

 不発弾の処理について、近畿2府4県を管轄する陸上自衛隊第3師団への通報は年間100件程度で推移し、年数回ペースで処理されている。これまでの撤去作業はすべて成功し、けが人はない。

70年経ても機能
 しかし、全国で撤去された不発弾数の約半分を占める沖縄県では、子どもが石を投げ付けて爆発したり、処理中にさく裂するなどの事故が発生。同県防災危機管理課のまとめでは、本土復帰した72年以降の不発弾による死者は6人、負傷者は51人に上る。

 陸上自衛隊の推計によると、全国に埋もれた不発弾は約2600トン。都市開発が進む大阪市でも今後、工事現場などで見つかることが想定される。

 このため、大阪市危機管理室の橋口博之住民保護企画担当課長は「民家の下に眠っている可能性も否定できない。見つけた場合はすぐに警察へ通報し、絶対に触れないでほしい」と呼び掛け、第3師団広報班の塩津知明班長は「70年を経た不発弾の信管であっても衝撃を加えれば機能する可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 戦後70年。不発弾の相次ぐ発見について、小田名誉教授はこう説く。

 「戦地だけでなく、市民の暮らしや命までも奪った。そんな戦争の一端を不発弾が物語っている。歴史は未来の平和を照らす。戦争が問うたことを若い世代にも考えてもらいたい」

2056名無しさん:2015/05/24(日) 18:55:36 ID:DjGiuHxM0
仁徳陵石室 CG映像で再現
2015年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150523-OYTNT50023.html

◇堺市博物館 ミニシアター映像公開

 世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)古墳群」を紹介する堺市博物館(堺区百舌鳥夕雲町)内のミニシアターに、仁徳天皇陵の内部の石室をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した映像が登場し、来館者を楽しませている。

 宮内庁が管理する仁徳陵では発掘調査ができないが、1872年(明治5年)に何らかの原因で前方部が崩れた際、大王ゆかりの人物の石室が見つかり、内部で長持形石棺(幅約2・4〜2・7メートル、長さ3・9メートル)が確認された。今回のCGは、当時の様子を描いた絵図をもとに再現した。

12分間の映像はまず、多くの埴輪(はにわ)が並ぶ築造当時の外観を紹介。続いて古墳の前方部にある石室をのぞき込むようにして、内部に収められた石棺を映し出し、朱色に塗られた表面外側の突起の一部を見ることができる。石棺の傍らで発見された副葬品の甲冑(かっちゅう)や剣なども再現された。

 昨年3月に整備されたミニシアターでは、百舌鳥古墳群の上空を飛んでいるような体験ができる映像が公開されており、今後は新しい映像と交互に上映する。

 入場無料。午前10時〜午後4時30分。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・245・6201)へ。

2015年05月23日

2057名無しさん:2015/05/24(日) 19:53:31 ID:DjGiuHxM0
淀屋の闕所 謎迫る 研究会10周年記念シンポ
2015年5月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150524/20150524032.html

 江戸時代の大坂の豪商「淀屋」を題材にした淀屋研究会(毛利信二代表)の創立10周年記念シンポジウム「豪商淀屋の闕所(けっしょ)から310年」が23日、大阪市中央区で開かれた。幕府の命で財産没収と大坂追放の闕所となった「日本一の豪商」淀屋の謎に迫った。

同研究会は、淀屋闕所300年後の2005年に発足し、淀屋に関する真実の探求や、鳥取県倉吉市など関係する自治体への貢献などを目的に活動を展開。これまでにシンポジウムを開催するほか、関係資料などの調査を進めてきた。創立10年を記念した今回は、いまだ謎に包まれている闕所をテーマに開催した。

 聴衆約300人が集まった会場では、有識者らが登壇し、それぞれの視点を披露。佛教大学歴史学部の渡辺忠司教授は「近世大坂の商業的発展と淀屋」と題して講演。淀屋が中心的な役割を担なった米や青物、塩干魚といった市場の整備によって、大坂が全国の物流拠点となったことが、江戸中心の社会を築きたい幕府の妨げとなったといい、闕所は「個人のうらみだけではなく、徳川政権が進めたい社会構造との兼ね合いによるものでは」と持論を述べた。

 また、同研究会の蒲田健三副代表と丹波紀美子幹事、淀屋の闕所を題材にした『謀(たばか)る理兵衛』の著者、松本薫さん=鳥取県米子市在住=ら3人が対談。このうち、松本さんは淀屋の番頭の出身地、伯耆・倉吉でひそかにのれんを守り、闕所から約60年後に大坂で再興を遂げたことから「大坂商人の意地を感じる。謀ったのは幕府ではなく、淀屋だったと思う」と話した。

2058名無しさん:2015/05/27(水) 04:25:47 ID:4pA.d1f.0
「天神祭」実行委員長に就任 栗原宏武さんに聞く
2015年5月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150525/20150525026.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の宵宮祭は7月24日、本宮祭は翌25日に盛大に催される。千年余りの歴史と伝統を誇る大阪の夏の風物詩。絢爛(けんらん)豪華な時代絵巻を繰る広げる渡御行事や夜空を彩る約4千発の奉納花火など、100万人以上の参拝者や見物客でにぎわう。大阪の観光や経済活性化にも寄与する同祭の実行委員長に、天神祭渡御行事保存協賛会副会長の栗原宏武さん(75)が就任した。重責を担うことになった新実行委員長に祭りへの意気込みなどを聞いた。

-実行委員長就任を打診されたときの心境は。

 「大変に責任のある仕事。困ったことになった、というのが正直な気持ちだった。前実行委員長の京極(俊明)さんとは、2011年以降、(天神祭渡御行事保存)協賛会の副会長を一緒に務め、実行委員長としての仕事ぶりを拝見してきた。その京極さんのご推薦でもあり、やらないかんのかな、と覚悟を決めた」

 -新実行委員長としての抱負は。

 「天神祭は、大阪のにぎわいにも関わってくる一大イベント。元気な大阪の象徴でもある。近年は協賛企業も少なくなり、厳しい運営となっているが、この素晴らしい伝統は、次の時代にきちんと伝えないといけない。幸い、経済情勢も上向いてきた。経済界はもちろん、各界の協力を頂きながら、さらに祭りを発展させ、盛り上げていきたい」

 -これだけの祭り、運営するのも大変だ。

 「事故なく終えることが重要だ。警察や消防などの関係機関とも十分に協議して、万全の体制を整えたい。併せて、熱中症対策にも力を入れたい。異常気象の影響か、近年は熱中症の人がものすごく増えた。医師会や医療系大学の協力も頂き、救護対策を充実しようと考えている。ただ、対策はするが、一番いいのは、熱中症にならないで祭りを楽しんでもらうこと。来場者自身に熱中症対策をしていただけるよう、事前にPRすることも考えたい」

 -宵宮祭や本宮祭の当日にも重要な役割がある。

 「陸渡御では、総奉行として馬に乗らないといけない。映画撮影用の人に慣れた馬で、引き手もいるそうだが、何といっても、身動きできないくらいのものすごい人出。馬も興奮して暴れることがあり、何度も落馬しそうになった、と京極さんに伺ったことがある。初めてのことでもあり、無事に務められるか心配だ。しかも、夏の炎天下で、時代装束。体力的にも厳しく、私より10歳年長の京極さんが、これまでよくやってこられたと感心している」

 -体力強化や体調管理も必要だ。

 「天神祭に向けて、というわけではないが、普段からバスや電車を利用して、できるだけ歩くようにしている。現在も大学で少年法の講義を持っており、学会や各種の会議などで出掛けることも多い。万歩計で測ると、1日1万歩以上。何とかなるかな、とは思っている」

 【プロフィル】栗原宏武(くりはらひろむ) 1939年、大阪市出身。関西大法学部、同大学院法学研究科を経て、64年に司法試験に合格した。67年4月に京都地裁判事補となり、大阪高裁部総括判事や大阪家裁所長などを歴任。2004年に定年退官し、同年9月に関西大法科大学院教授、10年4月から同名誉教授を務める。05年に大阪府公安委員となり、06年から14年まで同委員長。

2059名無しさん:2015/05/28(木) 20:09:57 ID:PGaBWCHM0
仁徳陵陪塚で築造時の葺石 堺市、全長も判明
2015年5月28日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150528/20150528079.html

 仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚の一つ、収塚古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で、築造時の状態とみられる葺石が見つかり、堺市が28日、発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57・7メートルではなく約59メートルと分かった。

市によると、収塚古墳は、大山古墳のすぐ南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんどが削られており、明治30年代の地図には円墳として描かれていた。

 1972年ごろ前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。

2060名無しさん:2015/05/28(木) 21:19:03 ID:PGaBWCHM0
額に宝印 伝統行事で注目集める長宝寺
2015年5月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150528/20150528038.html

 「えんまさんのお寺」として親しまれる大阪市平野区平野本町の長宝寺(西脇慈容住職)が注目を集めている。中世から現在に至るまで広く信仰を集めるえんま信仰の拠点。今年3月には大阪市指定文化財に寺関連の習俗や宝物など5件が登録された。参拝者の額にえんま王の花押を彫りこんだ宝印を授与する行事は全国的にも珍しく、毎年多くの参拝者が訪れて加護を願っている。

長宝寺は坂上田村麻呂の娘春子の創建とされる真言宗寺院。永正10(1513)年の年紀を持つ『よみがへりの草紙』では、長宝寺の比丘尼がえんま王の取り計らいで蘇生した話が記される。

 『よみがへり-』にも書かれるのが宝印授与の儀式。毎年、えんま王の縁日にあたる5月18日に行う。「全国的に見ても珍しく、中世の信仰習俗が現代まで継続して行われているという、大阪市内に残る特別なえんま信仰」として、他の宝物とともに市の無形民俗文化財に指定された。

 今月18日も多くの人が参拝。「坂上田村麻呂公の守護仏」「えんま大王」の年1回の開扉の中、宝印の授与式が粛々と行われ、約300人が、えんま王と縁を結び地獄に落ちなくなるという“天国へのパスポート”を授かった。

 宝印を授与された瀬戸正樹さん(59)=福島区=は「毎年、家内安全を願い、一年健康で過ごせるようにと参拝している」と話していた。

2061名無しさん:2015/05/31(日) 19:09:35 ID:yDNiVAjE0
猪飼野だんじり新調 「地域結束の象徴に」
2015年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150530/20150530040.html

 約130年前から大阪市生野区の猪飼野地区に伝わるだんじりが34年ぶりに全面修復され、夏祭りを前にこのほど完成した。中高生から80代の長老まで、まちぐるみで受け継いだ“宝”が31日の「入魂式」でお披露目される予定だ。まちの活性化に取り組む猪飼野保存会では「地域結束の象徴に」と新たな希望を託している。


保存会によると、猪飼野の地名は、四足獣を食用とすることが禁じられていた明治維新以前、「ヤマクジラ」という隠語を使ってイノシシを養殖したことからその名が付いたという。旧村が集まる地域だが、戦後はコリアタウン(御幸通商店街)が形成され、観光地としてもにぎわう。

 地域に残る資料によると、だんじりが製作されたのは1887(明治20)年で、1981(昭和56)年の改修まで使用された初代の見送り幕は、その鮮やかさを表現するため、ヒヒの血で真っ赤に染め、金の刺しゅうを施したという言い伝えが残っている。

 記録では戦後51(昭和26)年と81年の2度改修。「大阪型幕式地車」と呼ばれ、棒に肩を入れ、みこしのように持ち上げる「担ぎ上げ」が特徴で、大阪では福島区の海老江と並んで知られている。また、眼光鋭い魔よけの獅噛(しがみ)も特徴で、先代に倣う赤地に勇壮な竜虎が描かれた豪華な飾り幕も新調するなど、約半年がかりで完成させた。

 村の鎮守、御幸森天神宮に入庫するだんじりは、地域にとって大きな求心力。「だんじりを残してくれたお陰で地域の結束がある」としみじみ話すのは地車修復事業実行委員長の川野恵弘さん(68)。世代間交流のツールにもなっており、保存会会長の村井公一さん(65)は「だんじりがあるから、隣の家を行き来できる。都市部でこんなことはない」と胸を張る。

 日頃から、祭りの担い手である中高生や20代の若手が、だんじりばやしの太鼓とかねの練習に来ることは年長者たちを喜ばせる。「譜面がないので耳で覚え、肌で感じてもらうしか思いは伝わらない。若い人が魅力を感じて集まってくれている」と村井さん。伝統は生き生きと受け継がれている。

 31日には、御幸森天神宮から先人たちが眠る霊園を墓参し、往復約2キロをえい航する予定だ。

2062名無しさん:2015/06/02(火) 22:12:49 ID:YABl/d1I0
「すずやか」天満に集う
2015年06月02日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150602-OYTNT50025.html

大阪市北区の大阪天満宮で1日、全国各地の風鈴工房が手作りの作品を販売する「大阪風鈴まつり」が始まり、ガラスや陶器、銅製など、さまざまな風鈴が境内の風に揺れて涼しげな音色を立てている。

 天満が、日本の産業ガラス発祥の地と言われることから、4日まで開催。全国16の工房から届いた風鈴は、1個2000〜3500円が中心という。

 同まつりの実行委員長で、東大阪市で空き瓶をリサイクルした「河内風鈴」を販売している菅二弥さん(67)は「ガラス産業の伝統を守り、風鈴の良さを伝えていきたい」と話していた。

2015年06月02日

2063名無しさん:2015/06/07(日) 18:50:11 ID:GAPePzGk0
■戦後70年 大阪市内の千人塚で慰霊法要
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007799.shtml

70年前の6月7日、大阪を襲った米軍による大空襲の犠牲者を弔う法要が、大阪市内の淀川河川敷で営まれました。
 
 法要は大阪市旭区の淀川堤防にある千人塚の石碑の前で営まれ、空襲の体験者ら150人余りが参列しました。

 70年前の1945年6月7日、アメリカ軍による3回目の大空襲で、大阪市の北東部は焦土と化しました。
 
 淀川河川敷に避難した大勢の市民も低空飛行した戦闘機の機銃掃射で狙われ、河原には数えきれないほどの遺体が積み上がったといいます。

 法要は終戦の翌年から市民らの手で毎年行われてきましたが、空襲体験者の高齢化に伴い、現在のような形で行うのは、70回目となる今年が最後になるということです。

 参列した人たちは犠牲者を弔うとともに、平和への誓いを新たにしていました。 (06/07 11:40)

2064名無しさん:2015/06/07(日) 20:58:58 ID:GAPePzGk0
笑顔でアピール 「天神天満花娘」の最終選考会
2015年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150607/20150607033.html

 天神祭に花を添える「天神天満花娘」の最終選考会が6日、大阪市北区の大阪天満宮で行われ、候補女性が花娘に懸ける思いや熱意などを審査員にアピールした。

天神天満花娘は、みこに準じる仕事で、天神祭を中心に1年間、同天満宮や地元商店街に関わるイベントに参加する。天神橋筋商店連合会などが、2003年から、19〜28歳の独身女性を対象に公募で10人を選んでおり、今年も大阪府を中心に関西地区から約200人が応募した。

 最終選考会に残ったのは、書類選考で選ばれた39人。13人ずつ3組に分かれ、同連合会の役員らが面接審査を行った。

 候補者の自己PRに続いて、面接官が天神祭や商店街への思いなどを質問。花娘候補は「ずっと花娘に憧れていました」「楽しむ側から行う側になって、祭りや商店街を盛り上げたいと思います」「明るさと元気で精いっぱい頑張ります」などと一人一人が笑顔で答えていた。

 選考結果は後日、本人に通知される予定。天神天満花娘に選ばれた10人は、20日に同天満宮で行われる研修会に参加し、天神祭の歴史やしきたり、花娘の役割などを学び、来月の祭り本番に備える。

2065名無しさん:2015/06/10(水) 00:34:03 ID:aAZ6sBh.0
大空襲の日に平和の折り鶴 大阪市営地下鉄3駅
2015年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150608/20150608032.html

 戦後70年の節目を迎えて大阪市交通局は7日から、市営地下鉄3駅で、利用客と共に千羽鶴の制作を開始した。70年前の米軍による第3次大阪大空襲と重なったこの日、参加者たちは平和への願いを折り紙に込め、鶴を作った。

千羽鶴の制作は、市営地下鉄の利用客と一緒に千羽鶴を作って平和の尊さを学び、思いを形にしようと企画。7月19日までの毎週日曜日に、心斎橋駅、梅田駅、なんば駅の3駅に会場を設けて実施する。出来上がった千羽鶴は、長堀鶴見緑地線の心斎橋駅で展示するほか、8月に開かれる大阪戦没者追悼式に献納する。

 初日となったこの日、心斎橋駅では同線沿線で行われるイベントのために大勢の利用客で大にぎわい。時折、制作の趣旨に賛同した人が足を止めては、鶴を折っていた。

 参加者のうち、名古屋市から家族3人で訪れた向文博さん(51)は、今国会に提案された安全保障関連法案や、憲法改正を不安視。「子どもたちを戦地へ行かせたくない。平和への意識を高めるために、こういうイベントを増やしてほしい」と話していた。

2066名無しさん:2015/06/10(水) 00:52:10 ID:aAZ6sBh.0
天満天神繁昌亭が値上げへ
06月09日 19時10分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150609/5433511.html

上方落語の寄席を毎日楽しめる大阪の天満天神繁昌亭が、ことし9月から入場料を値上げすることになりました。入場料は平成18年のオープン以来、据え置かれてきましたが、運営する上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
大阪・北区の天満天神繁昌亭を運営する上方落語協会によりますと、入場料の値上げはことし9月16日からです。一般の入場料を500円引き上げ、前売りは2500円に、当日は3000円になります。小中学生の料金、1500円はそのまま据え置かれるということです。
天満天神繁昌亭は、上方落語を毎日楽しめる専門の寄席として平成18年9月にオープンしました。
入場料が値上げされるのは初めてで、上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
上方落語協会は、「これまで入場料を据え置いてきたが、安定した経営をしていくため値上げを決断した。これからもよい落語を提供できるようがんばっていきたい」と話しています。

2067名無しさん:2015/06/17(水) 04:15:22 ID:IkqBpCjg0
文楽の魅力をわかりやすく
06月15日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150615/5132031.html

人形浄瑠璃「文楽」の魅力を初心者にもわかりやすく紹介する催しが、14日、大阪・北区で開かれました。
この催しは文楽の魅力を広く知ってもらおうと大阪市と文楽協会が初めて企画し会場の大阪市中央公会堂にはおよそ700人が集まりました。

最初に語り手の豊竹英大夫さんなどが、発声の方法についてユーモアを交えながら分かりやすく説明しました。
続いて、主人公が、恩人の息子とその恋人を守るためしゅうとを殺してしまう「夏祭浪花鑑」と、戦国時代敵同士だった上杉謙信の娘と武田信玄の息子の恋愛を描いた「本朝廿四孝」の2つの有名な演目が披露されました。
会場では初心者でも楽しめるよう太夫の語りがスクリーンに字幕で映し出され、大勢の観客が舞台に見入っていました。
家族連れで来た小学3年生の女の子は「はじめて見ましたが、人形が本当の人のように動くことにびっくりしました」と話していました。

この催しは16日まで開かれています。

2068名無しさん:2015/06/17(水) 04:17:16 ID:IkqBpCjg0
踊りや舞奉納 古式ゆかしく 住吉大社
2015年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150616/20150616028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植神事」が盛大に執り行われた。境内には約420人の奉仕者が参集し、古式ゆかしい田植えをはじめ踊りや舞などの芸能を奉納、秋の豊作を祈った。

同神事は同大社鎮座の際、神功皇后が御田(おんだ)を定め、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされ、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 神事では、神前で田植えを奉告し、早苗を授かる本殿祭の後、境内南の御田(約20アール)で御田式を斎行。田の中央に設けられた舞台上では、八乙女(やおとめ)による「田舞(たまい)」や、御稔女(みとしめ)の「神田代舞(みとしろまい)」などが奉納される中、植女から苗を受け取った替植女(かえうえめ)ら奉仕者が、たすき姿で苗を植え付けていった。

 このほか住吉踊(おどり)、風流武者行事、棒打合戦などを次々と奉納。約3500人の参拝者が伝統の重みを実感しつつ、奉仕者の一挙一動を見守った。

2069名無しさん:2015/06/20(土) 10:30:08 ID:3eG0V.Gk0
大阪大空襲、写真と祈りと
2015年06月06日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150606-OYTNT50024.html

大阪大空襲70年に合わせ、犠牲者の慰霊と平和を祈る写真パネル展「石町一丁目の歴史〜三橋楼とハリストス正教会」が5日、大阪市中央区の府立労働センター(エル・おおさか)9階ギャラリーで始まった。7日まで。

 吹田市の大阪ハリストス正教会(水口優明神父)が主催した。同教会は1878年、大阪・天満橋南詰め付近(石町一丁目)にあった高級料理旅館「三橋楼(さんきょうろう)」の建物を利用して創立。1910年、木造ビザンチン式の聖堂に建て替えたが、45年6月の大阪大空襲で焼失し、62年、吹田市で再建された。

 会場には、1875年に明治政府の方針を協議した「大阪会議」を控え、大久保利通らが最初の会合を持った三橋楼や、焼失前の聖堂の写真、大空襲当時の神父の罹災(りさい)証明書、防空壕(ごう)に保管していた燭台(しょくだい)など計約40点が並ぶ。大阪市中央区の山岡照明さん(64)は「身近に歴史ある場所があることがよくわかり、平和の大切さを改めて実感した」と熱心に見入っていた。

 無料。入場は午前10時〜午後7時(7日は午後4時まで)。問い合わせは同教会(06・6388・4512)へ。

2015年06月06日

2070名無しさん:2015/06/20(土) 12:06:51 ID:3eG0V.Gk0
父子2代で追悼70年 第3次大阪大空襲
2015年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150607-OYTNT50361.html

太平洋戦争末期、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲となった「第3次大阪大空襲」から70年を迎えた7日、多くの住民らが逃げ込み、命を落とした同市旭区の城北公園で慰霊法要が営まれた。体験者や遺族ら約150人が参列し、鎮魂の祈りをささげた。

同空襲は、米軍が1945年3月13日〜8月14日にかけ、8度にわたり大阪市内を襲った爆撃の3度目。

 住民らは、B29の大編隊が投下した大量の焼夷(しょうい)弾や爆弾から逃れようと城北公園に集まったが、多くが戦闘機による機銃掃射の標的となった。身元不明の遺体は淀川河川敷で荼毘(だび)に付され、遺骨はそのまま埋められた。

 地元有志でつくる「千人塚慰霊法要協賛会」会長の東浦栄一さん(86)は、公園に逃げ込んだ一人。射撃され、変わり果てた姿の子供や女性の遺体を数多く目の当たりにしたという。

 一緒にいて無事だった父の栄二郎さんが終戦の翌年、「千人つか」と刻んだ碑を河川敷に建立し、私費を投じて毎年、この日に法要を行ってきた。栄二郎さんが62年に亡くなった後は、東浦さんが引き継いだ。

 法要では、僧侶による読経の後、参列者たちが静かに焼香し、手を合わせた。

 この空襲で母を亡くした茨木市中村町の浅野日出子さん(83)は、「ここに来るとお母ちゃんに会える気がして、70年間毎年欠かさず参列してきた。今日は、『私も年をとったよ』と語りかけました」とつぶやいた。

 当初30人近くいた協賛会メンバーは今、数人に減ったが、東浦さんは「体力が続く限り、法要を続けたい。それが生き残った者の使命だ」と話している。

2015年06月08日

2071名無しさん:2015/06/20(土) 12:39:07 ID:3eG0V.Gk0
幕末の高槻、京守る砲台
2015年06月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150610-OYTNT50497.html

幕末期の京都を防衛するため、高槻市内に建設された砲台「梶原台場」などを通して当時の歴史を学ぶ展示会「幕末の梶原台場と長州藩の上洛(じょうらく)」が、同市のしろあと歴史館で開かれている。8月2日まで。無料。

 同台場は、長州藩の上洛を防ぐため、幕府側が1865年に設置。明治以降に解体されたが、当時の市の状況を知ってもらおうと、展示会では旧高槻藩士や旧家が残した古文書や絵図、同時代の甲冑(かっちゅう)など約30点を紹介。中には、洋装で刀を腰に差した旧高槻藩士を撮影した明治初期の珍しい写真もある。

 中西裕樹学芸員(城郭史)は「京都の入り口に位置し、幕末期にも重要な場所だった高槻の歴史を知ってほしい」と話していた。

 入場は午前10時〜午後4時30分。月曜と祝日の翌日は休館。7月23、30日には学芸員の講座もある。問い合わせは、しろあと歴史館(072・673・3987)へ。

2015年06月11日

2072名無しさん:2015/06/20(土) 12:46:17 ID:3eG0V.Gk0
■登呂遺跡より大規模 大阪・高槻で弥生前期の集落跡
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007897.shtml

大阪府高槻市で、弥生時代前期のものとみられる大規模な集落の跡が発掘されました。

 登呂遺跡よりも古くて規模も大きく、近畿に進んだ農耕文化が発達していたことを物語る貴重な発見だということです。

 大規模な集落跡が見つかったのは、高槻市の京大農場跡の安満遺跡です。

 水田跡は約2500年前、弥生時代前期のものとみられ、縦100メートル、横90メートルの広さに水田が整然と並んでいたことがわかります。

 有名な静岡県の登呂遺跡より時期が古くて規模も大きく、棺を収めたとみられる墓の跡が16か所で出土したことが特徴です。

 水田と住居、墓地が1つのエリアにまとまって見つかったことで、大規模に組織化された集落だったと推定されます。

 「弥生人がどのように農業を始めて、どういうところに村をつくって、どういう生活をしていたのかが、ここを分析することでよりわかってくるだろう。弥生文化の本質に迫れるのでは。今後大いに期待される重要な遺跡」(高槻市教育委員会 文化財課 森田克行主幹)

 高槻市教育委員会では来週末、一般向けの現地説明会を行います。
(06/19 19:11)

2073名無しさん:2015/06/20(土) 14:01:51 ID:3eG0V.Gk0
安満遺跡、弥生前期の大規模水田 洪水後は墓地に
2015年6月19日 17:54
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150619/20150619090.html

 弥生時代の環濠集落跡として知られる大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期(約2500年前)の大規模な水田跡や木棺墓などが確認され、市教育委員会が19日、発表した。

集落と水田、墓の三つが一緒に見つかった例は、百間川沢田遺跡(岡山市)や、中の池遺跡(香川県丸亀市)など全国的にも珍しい。

 市教委によると、遺跡南西部を調査。約9千平方メートルの水田跡が確認された。南東部ですでに見つかっている遺跡と合わせると、弥生時代前期には、集落の南側に約1・5ヘクタールもの水田が広がっていたとみられる。

 洪水で耕せなくなった水田の上に築かれた方形周溝墓など計16基も発掘。

2074名無しさん:2015/06/20(土) 15:40:21 ID:3eG0V.Gk0
浮かぶ小舟は濠浄化…いたすけ古墳で堺工科高生
2015年06月13日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150612-OYTNT50388.html

堺市堺区、府立堺工科高校の生徒たちが、同市北区の「いたすけ古墳」の濠(ほり)に浮かべた手作りの浄化装置で、水質の改善に取り組んでいる。これまでの実地試験で水質の改善が期待できるデータを取得。同古墳は百舌鳥(もず)・古市古墳群の一つで、生徒たちは「濠を少しでもきれいにして、世界文化遺産登録を後押しできれば」と張り切っている。(吉田誠一)

生徒たちは同校エコデザイン部の13人。濠を管理する市から浄化の協力を依頼され、2012年11月に装置を製作した。約2メートル四方の木枠に発泡スチロールをはめ込み、太陽光パネル2枚とバッテリー、エアポンプを載せ、「水質浄化船」と名付けた。

 水底に垂らしたチューブから空気を送り込んで水を環流させ、微生物が汚れの原因となる有機物を分解するのを促す仕組みだ。13、14年は秋の2か月間、濠に浄化船を浮かべて水質を調査し、効果を確かめた。その結果、浄化船を設置した期間は、汚れを示す数値が下がったことが分かった。

 同部の3年、岡田弘司さん(17)は「浄化船の周辺で水質が改善されるのは確か。時間をかけて取り組めば、濠の汚れた水を浄化することも可能」と話す。

 「環境の日」の5日朝、生徒たちは濠の脇で約20分かけて組み立てた浄化船を、ゴムボートで濠の中央部まで移動させ、コンクリートブロックをいかりにして固定した。取り組みがスタートして4年目の今年は、汚れが最も目立つ夏場(6〜8月)のデータを取り、浄化船の改良などにも役立てる方針だ。

 指導する小寺雅仁教諭(39)は「自分たちで工夫して、地元の環境保全に熱心に取り組んでくれていることがうれしい」と、教育効果に手応えを感じている。

 浄化船の設置を見守った田村恒一副市長は「古墳群の世界文化遺産登録には、市民の『守ろう』という高い意識が不可欠。子供たちの取り組みは心強く、とても感謝している」と語った。

2015年06月13日

2075名無しさん:2015/06/21(日) 10:21:19 ID:JQntJ/sg0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 今年度候補に
2015年06月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150615-OYTNT50404.html

◇知事や議連、文科相らに要望

 世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市、羽曳野市、藤井寺市)について、松井知事と登録を推進する超党派国会議員連盟のメンバーらが15日、東京・霞が関で下村文部科学相、青柳正規・文化庁長官と相次いで会談し、登録に向けて同古墳群を今年度の国内推薦候補に選定するよう要望した。

 会談には、竹山修身・堺市長や北川嗣雄・羽曳野市長らも同席した。

 下村氏との会談では、松井知事らが要望書を手渡し、議連会長を務める自民党の谷垣幹事長が「応神陵や仁徳陵はどこへ出しても恥ずかしくない歴史遺産だ」と強調。公明党の北側副代表も「日本が国家として形成される5世紀頃の代表的な古墳が百舌鳥・古市古墳群だ」と価値を説明した。

 下村氏は「世界遺産に早く名前が出てもおかしくない」と評価し、「機会があれば現地を視察したい」と述べた。

 会談終了後、松井知事は記者団に「熱意は伝わったと思う。大阪初の世界遺産だという点をぜひわかっていただきたい」と期待感を示した。

 府魅力づくり推進課によると、政府は同古墳群を含む4候補から7月下旬に国内推薦候補を一つに絞る。その後、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関による審査を通過すれば、2017年度の登録が決まる。

2015年06月16日

2076名無しさん:2015/06/22(月) 22:56:08 ID:TYS/gX7k0
高山右近を「福者」認定へ ローマ法王庁
2015年6月22日 5:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150622/20150622002.html

 【アテネ共同】江戸時代に幕府の禁教令で国外追放となり、1615年に死亡したキリシタン大名、高山右近について、ローマ法王庁(バチカン)は22日までに、カトリックで最高の崇敬の対象とされる「聖人」となる前段階の「福者」に認定する手続きを進めることを了承した。バチカン関係筋が明らかにした。

 枢機卿らによる会議で認定を決定し、法王フランシスコの承認を経た上で、年内か来年初めにも正式に発表される見通し。福者認定の儀式「列福式」は来年日本で行われる予定という。

2077名無しさん:2015/06/26(金) 04:26:34 ID:s1yKMUEI0
高山右近生誕の大阪訪問 「福者」申請代理人の神父
2015年6月25日 12:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150625/20150625052.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近をカトリックの崇敬対象である「福者」に認定するための申請手続きに関わったアントン・ビットベル神父らが25日、右近が生まれた摂津国高山があった大阪府豊能町を訪れた。

生誕碑や、没後400年を記念し今年5月に完成した「高山右近夫婦石像」などを視察。通訳を通じて「右近が幼少のころにどのような経験をしたかを感じることができ、大変良かった」と話した。

 ビットベル神父は法王庁立グレゴリアナ大の教授。大名の地位を捨て信仰に命をささげた右近を殉教者として福者に認定するよう、ローマ法王庁に申請した日本カトリック司教協議会の代理人を務めた。

2078名無しさん:2015/06/28(日) 10:59:15 ID:HXBxFNrU0
■弥生時代前期の水田跡・安満遺跡で現地説明会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007950.shtml

大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期のものとみられる大規模な水田や集落の跡が発掘され、27日、現地説明会が行われました。

 説明会が行われているのは、大阪府高槻市にある京都大学農場跡の安満遺跡です。

 安満遺跡では、約2500年前の弥生時代前期のものとみらる水田や住居、墓などの跡がまとまって見つかりました。

 弥生時代の水田跡として有名な静岡県の登呂遺跡よりも、古く規模も大きいということで、弥生時代に農業が始まった過程を知る貴重な遺跡として注目されています。

「びっくりした。こんな近くに」(参加者)

「想像していたより、すごい発見」(参加者)

「弥生時代にどの程度の人が住んでいたか、興味がある」(参加者)

 現地説明会は28日も行われます。 (06/27 17:23)

2079名無しさん:2015/06/28(日) 12:11:08 ID:2nAE9jAc0
高山右近の領地に隠れキリシタンの墓…茨木で発見
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150628-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

キリシタン大名・高山右近の領地だった大阪府茨木市千提寺(せんだいじ)地区の山中で、江戸時代中頃の「隠れキリシタン」を埋葬した墓とみられる遺構が見つかった。近世以前のキリシタン墓で現存するものは全国でも珍しいという。現場は市立キリシタン遺物史料館の移転予定地だったが、市は「思わぬ歴史遺産の出土」で新たな場所を探す方針だ。

 市によると、現場は付近の民家で伝えられてきたキリスト像などを展示する現史料館から約500メートル南の山中。移転に向けて昨年秋に試掘したところ、遺構が15基ほど見つかった。

 うち1基を4月から詳しく調べたところ、縦1・7メートル、横0・95メートル、深さ0・7メートルと判明。その形状から、近世まで一般的だった体を折り曲げる「屈葬」ではなく、足を伸ばして埋葬するキリスト教式の「伸展葬」とみられることがわかった。骨の一部も確認された。

 一帯は江戸時代の「隠れキリシタン」たちが信仰を守り続けてきた地として知られ、日本人絵師が描いたとみられる「聖フランシスコ・ザビエル像」(国重要文化財、神戸市立博物館所蔵)も民家で発見された。2012、13年度には今回の遺構近くで、新名神高速道路の建設に伴ってキリシタン墓とみられる遺構計30基が出土したが、工事が優先され、遺構は壊された。

 市は今回の遺構をさらに調査し、保存・活用する方針。元長崎歴史文化博物館研究員で、キリシタン墓に詳しい大石一久さん(63)は「当時のキリシタン墓は大分県臼杵市など数か所しか現存しておらず、貴重な発見。新施設と連携すれば、キリスト教徒が置かれた状況を学べる希少な場所になるのではないか」と話している。

高山右近 1552〜1615年。織田信長や豊臣秀吉に仕え、秀吉の軍師・黒田官兵衛に洗礼を受けさせたことでも知られる。江戸幕府のキリスト教取り締まりを受けて現在のフィリピン・マニラに追放され、翌年亡くなった。

2015年06月28日


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