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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1631よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/15(日) 15:01:54 ID:CN.85ztY0
ウマくいくこと願って 道明寺天満宮にジャンボ絵馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131214-OYT8T00048.htm

 学問の神様・菅原道真を祭る藤井寺市の道明寺天満宮で13日、来年の干支(えと)・午(うま)のジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えし、境内には一足早く、迎春ムードが漂っている。

 上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家・長谷川貞信さん(寝屋川市)が、仲良く並走する親子の馬を描いた。飾り付けは毎年行っており、この日は午前9時から神職らが本殿前に設置した。

 南坊城光興(みなみぼうじょうみつおき)宮司(39)は「皆さんが景気の回復を実感できる年になってほしい」と願っていた。同天満宮では同じ絵柄の「開運干支絵馬」(初穂料1500円)を5000枚用意している。

(2013年12月14日 読売新聞)

1632ノースフェイス マウンテンパーカー:2013/12/15(日) 15:44:47 ID:uo8E9i/.0
1968年、米国のカリフォルニア州バークレーで創業。まもなく発売した、高品質の グースダウンを惜しげもなく使用したクオリティーの高いスリーピングバッグにより、高い 信頼を得ました。
ノースフェイス マウンテンパーカー http://www.losarrudos.com/ノースフェイス.html

1633よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 21:25:17 ID:TVCEHKWA0
「大坂の陣」400年 市民の手で歴史検証
2013年12月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131216/20131216028.html

 大阪の歴史上で大きなターニングポイントとなった大坂冬の陣(1614年)、夏の陣(15年)から間もなく400年の節目を迎える。大阪市などではプロジェクトを立ち上げ2014〜15の両年を文化観光創造の“シンボルイヤー”と捉えてさまざまなイベントを実施する。一方で、戦いのあった各地の市民団体などが連携して、慰霊をはじめ歴史を考察する「大坂の陣400年祭」を計画しており、18日には関係者の顔合わせを兼ねたフォーラムを開催。市民の手によって歴史的な周年の検証に向けた動きが本格的に始動する。

■語り継ぐ

 同祭の実行委代表を務めるのは「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」創設者の河井計実さん(51)=藤井寺市=。本番に向けて「無数の庶民も巻き込んだ日本史最大級の内乱の節目であり、まずは歴史の中で忘れられた犠牲者を慰霊したい」と心情を語る。

 同甲冑隊は河井代表が講師を務めた、紙製よろい・かぶと制作講座の修了者らとともに2003年に創設した。「大坂の陣」をはじめ大阪を守ろうと散った人々を慰霊し、語り継いでいくことを目的とし、大阪城を中心に他府県にも遠征し各種行事に積極的に参加。豊臣方につき奮戦し倒れた信州上田の武将、真田幸村公への感謝と追悼を込めて「真田の赤備え」として知られる赤い甲冑姿で活動している。

■副産物期待

 原点は河井代表が2000年に岐阜県大垣市で見学した「関ケ原合戦400年祭」だった。単なる歴史イベントにとどまらず、犠牲者への鎮魂の要素が取り入れられていた点に心を突き動かされ、「14年後に大阪でも同様のイベントができれば」と一念発起。来るべき年の草案を練った。

 昨秋はプレイベントとして、「夏の陣」の一大合戦にちなみ、藤井寺市の地元商店街などと連携した「道明寺合戦まつり」を大々的に開催した。また各地のイベント会場に出向き400年祭のPRを展開している。

 本番の両年には同合戦の激戦地、柏原市の小松山一帯に点在する後藤又兵衛らの供養碑前での慰霊や、大規模な合戦の再現なども企画。「400年前の人々が浮かばれるような取り組み」を念頭に調整に奔走中だ。「締めくくりは落城の日に関係者や市民が大阪城に集い、しめやかに手を合わせたい」といい、「関係地域は400年祭の盛り上がりをまちづくりや活性化につなげてもらうことになれば」と、取り組みの“副産物”にも大きな期待を寄せる。

 「大坂の陣400年へつながるフォーラム」はまちライブラリー@大阪府立大学(大阪市浪速区敷津2丁目)で午後6時から開かれる。一般の参加希望者も同甲冑隊ホームページのメールフォームで申し込みのうえで来場可。

1634よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 22:28:52 ID:TVCEHKWA0
なにわの夢募金、個人寄付4800万円に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131215-OYO1T00235.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の本丸地下に眠る豊臣秀吉時代の城の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、「ふるさと納税(ふるさと寄付金)」の対象となる大阪市への個人寄付が11月末までに約4800万円(1860件)に達した。年内に寄付すれば来年の確定申告で税の軽減を受けられるため、市は積極的な協力を呼びかけている。

 市によると、4月にスタートした同夢募金には11月末現在、企業・団体を含めて総額約6000万円の寄付があり、ふるさと納税制度が適用される個人寄付が8割を占めた。個人寄付のうち大阪市内在住者分は約2130万円(703件)、市外は約2660万円(1157件)だった。

 市が2012年度に緑化推進や天王寺動物園の充実などを目的に集めたふるさと納税は総額4678万円(359件)で、これを8か月で超えたことになる。

 ふるさと納税は、居住地に関係なく、応援したい自治体に寄付することで税の軽減を受けられる制度。市によると、配偶者と子ども2人を扶養する給与収入700万円以上の人が3万円寄付した場合、所得税と住民税が約2万8000円軽減され、実質負担は2000円ほどで済む。年内の寄付なら、来年3月17日までに確定申告手続きをして税控除を受ける。

 同夢募金は市と読売新聞大阪本社の共同プロジェクト。募集は来年度末までの予定で、目標額は5億円。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城して地中に埋められた豊臣時代の城の石垣を発掘中で、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 1万円以上の寄付をした人には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」が贈呈されるほか、10万円以上で氏名板、100万円以上で記念芳名板がそれぞれ公開施設に掲示される。

 問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年12月15日 読売新聞)

1636よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/20(金) 22:41:32 ID:mKlsQB2Q0
文楽補助金、満額厳しく…入場者の基準達成困難
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131218-OYO1T00709.htm?from=newslist

 国立文楽劇場(大阪市)の、今年度の11月公演までの文楽公演有料入場者数がまとまった。前年同期比9・2%減の7万5027人で、大阪市が文楽協会への補助金満額支給の条件としている年間10万5000人の集客は困難な情勢となった。

 文楽協会への補助金を巡っては、昨年6月、橋下徹・大阪市長が凍結の意向を表明、協会との話し合いを経て、今年度から、同劇場での本公演4回と鑑賞教室の入場者数と連動して運営補助金の額を増減させる新制度を導入した経緯がある。具体的には、〈1〉入場者が9万人以下なら補助金はゼロ〈2〉9万1人からは、人数に比例して支給額を増やす〈3〉10万5000人以上は満額の2900万円――という仕組みだ。

 昨年度はこうした論争で文楽への注目度が高まり、「曽根崎心中」「仮名手本忠臣蔵」など人気演目の上演が続いたこともあって集客は大幅に伸びたが、それでも満額基準に届かない10万3793人だった。

 今年度、満額支給されるためには、残された初春公演(1月3〜26日、計46ステージ)で計約3万人の集客が必要。1ステージ(満席731席)あたりの入場率が約89%の計算になる。実際には、ここ数年の1月公演の入場者は2万人前後。仮に2万5000人が入り、累計が10万人の場合、補助金は1000万円近く減らされる。初春公演は「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」などを上演。第2部(午後4時開演)の「近頃河原の達引(たてひき)」には人間国宝の太夫、竹本住大夫さん(89)も登場する。

(2013年12月18日 読売新聞)

1637東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/21(土) 22:25:58 ID:4YA0C76g0
消えゆく大阪弁知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131221-OYT8T00115.htm

◇旭堂南陵さん 30年で600語集める

 ほあてん(慌てん坊)、しわんぼ(ケチ)、どまくれる(自滅する)――。消えつつある大阪弁の言葉を紹介する講談師・旭堂南陵(きょくどうなんりょう)さん(64)の講座「辞典にない大阪弁」が21日午後1時半〜4時、府新別館南館(大阪市中央区大手前)で開かれる。約30年かけて〈絶滅危惧種〉になった言葉を集めたという南陵さん。「言葉は生き物。忘れられた大阪弁の魅力を伝え残したい」と、多くの来聴を楽しみにしている。(桑田睦子)

南陵さんは堺出身の父と大阪・船場出身の母の間に生まれ、物心がついた頃から大阪弁の中で育った。大学入学と同時に先代の旭堂南陵に師事し、2006年に四代目旭堂南陵を襲名。上方講談の第一人者として活躍している。

 耳にしなくなった大阪弁に興味を持ち、集め始めたのは30年ほど前。「言葉を生業(なりわい)にする者にとって、大阪弁が消えていくのは嫌なことだし、寂しい」と、聞き慣れない大阪弁を耳にする度、口にした人に意味を尋ねて手帳に書き留めてきた。

 「上方語源辞典」(前田勇編)や「大阪ことば事典」(牧村史陽編)に収録された言葉は、日常会話に使われるものが意外に少なかった。そこで、「ええ言葉やなあ」と感じるものは講談や会話にも取り入れるなど、辞典にはない約600語を集めた。「おまん(正座)」や「南京割る(破産する)」など多岐にわたる。

 やんわりと断る「あかしまへん」や「あきまへん」、ばかばかしくなった時の自嘲気味な「あほらしやのかねがなる」など、昔ながらの大阪弁には「温かみがある」。それなのに、大阪弁が「下品」と思われがちな風潮が広がりつつある。

 「上品で優しい言葉遣いが大阪弁の魅力。下品な大阪弁がはびこる今、古き良き大阪弁を残したい」。南陵さんはそう、訴える。

 “収集”の成果を披露するのは今回が初めて。南陵さんは「『うちのおじいちゃんやおばあちゃんが、こんな言葉を使(つこ)うてたな』と懐かしがってもらえたら、うれしい」と話している。受講料1000円(学生500円)。問い合わせは主催する市民団体「船場大阪を語る会」の事務局(06・6532・3094)へ。

1638よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/23(月) 23:58:00 ID:3upS7hAk0
ふかし南瓜食べて健康 生根神社にぎわう
2013年12月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131223/20131223032.html

 大阪市西成区の生根神社で22日、「こつま南瓜(なんきん)祭り」が開かれ、境内でふかした南瓜を食べ健康長寿を願う多くの参拝客でにぎわった。

 かつて「勝間(こつま)村」と呼ばれた南瓜の産地だった同地域一帯。野菜が今ほど豊富でなく、夏にとれた南瓜を冬至まで大事に保存したという逸話が伝わる。そのため地元の人々は南瓜に対し強い感謝を持っている。

 この日は約300個のかぼちゃを使い、2500食を用意。寒さは厳しいものの天候に恵まれた日曜とあって、南瓜のふかしが追いつかないほど境内は参拝者でにぎわった。

 「冬至は日が一年で一番短く、体を使いきる日。こういった日に南瓜を食べて英気を養い、新年を迎えてもらえたら」と吉見友伸宮司。子どものころから訪れているという泉大津市の国久悦子さん(66)は「毎年楽しみにしている」、同市の吉川君子さん(80)は「活力をつけて一年を乗り越えたい」と話していた。

1639東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:09 ID:EDxJFzJA0
【ベテラン記者のデイリーコラム・江戸っ子記者のなにわ放浪記】
「軍都・大阪」の歴史 乱は西から…地政学的、なにわの安全保障考
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131226/wlf13122616300026-n1.htm

 天下の台所といわれ商都としてのイメージが強い大阪。しかし、先の大戦前までは名実ともに軍都でもあった。陸軍第4師団司令部庁舎、砲兵工廠(こうしょう)など、その史跡をたどっていくと、安全保障や防衛を考えるうえで、歴史的資産があふれる街であることが浮かび上がってくる。

■陸軍第4師団…戦後も大阪市警視庁、府警に

 大阪城内に陸軍の西日本最大拠点となる大阪鎮台が明治4年にでき、明治21(1888)年には第4師団となる。

 第4師団司令部庁舎は現在も大阪城天守閣の前に地下1階・地上3階の建物として残る。この秋、特別に公開された際に内部を見学する機会を得た。2階にあった天皇の御座所には、その後に大阪市立博物館として使われた時代の展示物だった「タイムカプセル」の一部がまだ残っていた。

 外観は中世のヨーロッパの古城をイメージに建てられ、ロンバルジアバンドという連続した半円形の装飾があちこちに見られる。

 正面の塔には焦げ茶の古びた壁面に、うすく丸い形の痕跡があるが、戦前は菊のご紋が輝いていたのを戦後に取り外したためだ。

 この司令部庁舎は、昭和初期の大阪城天守閣再興のために、旧財閥の寄付や大阪市民の浄財として集まった150万円の資金のうち、80万円が庁舎建設費として使われた。

 なぜ、庁舎建設費に充当されたのか。それまで、第四師団司令部があったために、大阪城内に市民は原則入れなかった。昭和天皇即位記念として始まった天守閣再興の際に、場内を公園として開放しようとの機運が高まった。

 しかし、城内には司令部がある。そこで、司令部の新築建設費を集まった資金から拠出し、その代わりという意味合いから、公園として開放された。

 庁舎は戦後、米軍に接収され、その後は、大阪市警視庁、大阪府警本部として使用された。昭和35(1960)年から平成13(2001)年までは、大阪市立博物館だった。
(続く)

1640東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:41 ID:EDxJFzJA0
(続き)
■東洋一の兵器工場

 現在、大阪城北側からJR京橋駅の間に「大阪ビジネスパーク」がある。超高層のオフィスビルが立ち並ぶ広大なエリアだ。

 ここに、陸軍砲兵工廠があった。当時、35万6500坪の敷地に、弾丸、小銃、大砲、戦車などあらゆる陸軍兵器を造っていた。そこで稼働する人々は、終戦時に約7万人いたとされる。この砲兵工廠を中心に大阪の製造業は拡大していった。しかし、米軍による空襲で壊滅し、廃虚になった。ここでくず鉄を盗む集団「アパッチ」を描いた『日本三文オペラ』は開高健氏の傑作としてあまりに有名だ。

■大村益二郎

 東京の靖国神社に銅像があり、長編歴史小説「花神」で生涯を描かれた大村益次郎。明治維新に日本の近代軍の創設を主導した。

 大村は軍の中核都市を江戸から首都となった東京ではなく、大阪に据えようと企図し「大阪開兵」を主唱していた。

 明治新政府の太政官制で軍務を統括した兵部省大輔となった大村はなぜ、軍の要を大阪にしようとしたのか。江戸幕府を倒し新政府がスタートを切ったものの、各地には新政府に対する反抗勢力がまだまだ多かった。特に、西日本にはそうした勢力が根強く、事実その後、西南戦争、佐賀の乱、萩の乱などはいずれも西日本で起きている。

 大村も「今後注意すべきは西である」との発言を残しているいることからも分かり、地政学的な考慮があった。

 また、大阪は当時、海運などで物資の流通の中心地であり、経済活動も盛んだったため、軍の兵站(へいたん)確保にも格好な都市であった。

 大村は「大阪開兵」のため、5つの着想を持ち、それらは、大村が明治2年に京都で不平士族によって襲われ、大阪の病床で死去した後、結実していった。まず、兵部省の基礎を大阪に設けようとした。さらには、その後、東洋一の兵器工場である砲兵工廠の前身となる造兵廠の建設。後の陸軍士官学校につながっていく兵学寮の創設、将兵の訓練地となった。

 また、近代戦の多数の負傷将兵のために陸軍病院を建設。多数の戦死者の埋葬、慰霊のためには、陸軍墓地の造設となった。

■陸軍墓地

 大阪市天王寺区に陸軍墓地は残る。最古で最大の陸軍墓地である。

 明治初期の戦死者は、遺体引き取りまで2日以上経過する場合、遺体の損傷などを考慮して陸軍墓地に

埋葬された。当初の墓地の面積は、28040平方メートルあった。陸軍創設期の病死した兵士から、明治10年の西南戦争、日清、日露、先の大戦の戦死将兵らが埋葬され、墓碑総数は5299基以上。戦死者が急増した日露戦争以降は合葬墓や納骨堂が建立されている。

 清国やドイツの捕虜となった兵士らの墓もある。碑銘には「俘虜」の文字があったが、ドイツ兵の墓石からは削られている。昭和6年に第四師団長が参拝中に、墓参に来たドイツ領事と会い、「俘虜」の碑銘が削られたという。

■米軍捕虜銃殺も

墓地入り口脇の小さな空き地は、昭和20年8月15日の終戦の日に、大阪に留置されていた米軍捕虜5人が斬首、銃殺された埋められた場所だ。戦後、米軍が掘り返し、米国に遺骨を戻した。その時の様子を記録した写真は、米公文書館に保存されている。

1641よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:28:47 ID:IouThzn20
ご加護に感謝 大阪天満宮「終天神」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226019.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内最後の縁日「終(しまい)天神」が執り行われた。絵馬掛けに奉納された1年間の祈願絵馬のたき上げなどが行われる中、多くの参拝者が続々と境内に足を運び、この一年の天神さんのご加護に感謝し手を合わせた。

 毎月25日は祭神・菅原道真公の縁日で、1月25日の「初天神」に始まり12月の終天神で締めくくる。

 境内では諸願が記された5万枚を超える大量の絵馬が集められ、御神火(しんか)を用いて着火。参拝者は暖を取りながら高く燃え上がる光景を見届け、カメラに収めるなどした。

 一画では神職らが元日朝の「歳旦祭」に供える餅つきを行い、つきたての一部を参拝者に振る舞った。同市城東区から親子で訪れた渡辺アサ子さん(88)と堀山彩子さん(61)は「何事もなく1年を過ごせたことに感謝したい。来年も御利益があれば」と話し、授かった餅を手に笑顔を浮かべていた。

1642よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:40:55 ID:IouThzn20
住吉大社で初詣準備と訓練
12月26日 12時34分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131226/3324871.html 

正月を前に大阪の住吉大社では、消防訓練を行うとともに、初詣客に渡す縁起物の準備に追われています。
消防訓練は大阪・住吉区の住吉大社が毎年、この時期に行っているもので神職や巫女などおよそ50人が参加しました。
第二本宮から出火したという想定で、ご神体にみたてた箱を持ち出した後、初期消火にあたり、最後に境内に備えられている放水銃で建物に向かって一斉放水を行いました。
また社務所では、縁起物作りが進められ、6人の巫女が住吉踊りをおどる女の子の人形がついた小さな編み笠に笹をとりつけていました。
作業をしていた巫女の1人は「お参りをしてくださった方に幸福がくるように祈りながら作業をしています」と話していました。
住吉大社では、来年の正月三が日におよそ235万人の初詣に訪れると見込んでいます。

1643よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 22:19:15 ID:IouThzn20
舞台一気に迎春ムード 国立文楽劇場「にらみ鯛」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226020.html

 伝統の正月舞台飾り「にらみ鯛(だい)」の取り付け作業が25日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場であった。新年3日初日の新春公演の準備が着々と進む中、全長約3メートルの真っ赤なタイ2尾がお目見えし、劇場内を一気に迎春ムードに変えた。

 にらみ鯛は戦前まで上方の各劇場を飾る風物詩だった。戦後は途絶していたが、同劇場が開業して初めての正月となる1985年の新春公演で約40年ぶりに復活させた。

 重さ約15キロのタイはスタッフによってワイヤで引き上げられ、慎重に調整しながら向かい合うかたちで設置。中央には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)の朝日芳英宮司が「豊穣」と揮ごうした大凧(だこ)も掲げられ、舞台をいっそう華やかに彩った。

 新春公演初日の開演前には地元の黒門市場から本物のにらみ鯛が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも行われるなど初芝居を大いに盛り上げる。

1644よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/27(金) 23:01:33 ID:Lfs7B4ew0
すがすがしい新年を 住吉大社で縁起物準備
2013年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131227/20131227019.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月に授与される縁起物「住吉踊り」の準備が始まり、奉仕した6人の神楽女(かぐらめ)が「すがすがしい新年をお迎えしていただきたい」と心を込めて仕上げ作業をこなした。迎春の作業は年内いっぱい続く。

 同大社の縁起物は100種類を超え、このうち「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)の笠(かさ)と童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。

 この日は正月に祈祷(きとう)を予約した参拝者に授与される1500点が制作された。笠の大きさ別に直径約10センチから約60センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササに笠を手際よく取り付けた。

 境内では恒例の「煤払(すすはらい)式」や自衛消防隊による歳末訓練もあり、間近に迫った初詣に備えた。同大社は正月三が日に約230万人の人出を見込んでいる。

1645よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 11:36:17 ID:vtSNvsjc0
息災祈る茅の輪 錦織神社で完成
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00080.htm

 富田林市の錦織神社(宮甲田町)で、無病息災を祈る神事に使う、カヤで編まれた「茅(ち)の輪」(2.7メートル)が完成した。31日午後7時から行われる大祓(おおはらえ)式の後、参拝者にくぐってもらう。

 同神社で茅の輪を置くのは初めて。氏子の要望があり、9月に滋賀県からカヤを調達し、神職や神社の総代らが、今月に入ってから輪の形に編んでいった。

 本殿前に据え付ける作業を終えた吉年(よどし)英仁宮司(64)は「一年の出来事を思い出しながらくぐり、改まった気持ちで新年を迎えてほしい」と話していた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1646よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 14:48:56 ID:YJfyKjVs0
和を願う大門松 成田山不動尊にお目見え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00076.htm

.寝屋川市の成田山不動尊(成田西町)の山門前に、新年の参拝者を迎える2本の大門松(高さ13メートル)がお目見えした。

 男性を表す黒松、女性を表す赤松で、13本の竹を束ねて立て、葉ボタン、梅、南天などを飾り付けた。一対の松は「夫婦の和合」、束ねた竹は「家庭円満」を意味しているという。

 大阪市淀川区の広告会社勤務浦野祐佳子さん(39)は「こんなに大きな門松は初めて見た。御利益がありそう」と驚いていた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1647よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 12:38:05 ID:CPRLApf.0
住吉大社 初詣でにぎわう
01月01日 04時11分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140101/4111121.html 

新年を迎え、海の神様として知られる大阪の住吉大社は、初詣の参拝者でにぎわっています。
海の神様として知られ、「すみよっさん」の愛称で親しまれている大阪の住吉大社には、大みそかの夜から大勢の参拝者が訪れ、本殿の前には、長い列ができました。新年を迎え、宮司が、年が明けたことを伝えると、訪れた人たちは大きな歓声をあげ、新しい年への願いを込めてさい銭を投げ入れ、手を合わせていました。

参拝を済ませた人たちは、縁起物の破魔矢を買い求めたり、おみくじを引いてことしの運勢を占ったりしていました。

奈良県から訪れた男性は「去年は、年末に息子が結婚したので、ことしは、孫ができたらいいなと思って祈りました」と話していました。住吉大社では、正月三が日、去年とほぼ同じ230万人の人出を見込んでいます。

1648東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/01(水) 15:25:15 ID:tPAftF160
大阪は日本の中心、畿内全体で「大阪城」守る…秀吉の壮大な構想=新解釈が示す「奈良の城」の重要性
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140101/wlf14010115000014-n1.htm

 古代の古墳や神社仏閣などが関心を集める奈良県。これまで戦国時代の城郭はあまり注目されてこなかったが、最新の研究で県内の城郭の重要性がクローズアップされている。大坂城を拠点とした秀吉との関係も深い当時の大和の城の姿を探った。

 

■文献の新解釈

 織田信長の後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉が、大阪城の築城にあたり、畿内(摂津、河内、和泉、大和、山城)全体で中心の大阪城を守るという構想を抱いていたとする見解が近年、専門家から提唱されている。当時の日本の中心を畿内五カ国、畿内の中心を大阪城と広域的に捉える壮大な構想。構想が実際にあったとすれば、奈良県内の城も重要な一角を占めることになり、その位置づけが新たな脚光を浴びそうだ。

 「大阪城の築城を始めた時点で、秀吉自身の構想として大阪を畿内で守る構想を持っていたのは確実」。元大阪城天守閣館長の中村博司氏は提唱する。

 こうした構想について、これまでも指摘する研究はあったが、中村氏は「根拠としていた文献に不可解な部分があり、あまり議論されてこなかった」と指摘する。

 その根拠となる文献は、秀吉が柴田勝家との合戦前後の状況を記録させた「柴田合戦記」。中村氏は、より原本に近く成立の古い文献を調査するなどし、新たな解釈を導き出した。

 中村氏の調べた古い文献には、「河内の国において城郭(大阪城)を定め、<略>五畿内において外構えとし、かの地の城主を以て警固とするものなり」と書かれていた。ただ、この記述のままでは、実際には摂津に存在する大阪城と矛盾が生じる。

 これを、中村氏は「大阪城の東西南北に大和、摂津、和泉、山城をあてはめるため、便宜的に大阪城が河内にあったことにし、周辺を守る体制を表したのでは」と推測した。

 この構想の体制を中村氏は「大坂城−五畿内外構え」と名付け、「秀吉は大阪城を単なる軍事的拠点としてではなく、日本の中心としての畿内、畿内の中心としての大阪という重層的な支配構造を描いていた」と強調する。

 

■盤石の布陣構築

 根拠となる文献によると、五畿内外構えの体制では当初、大和に筒井順(じゅん)慶(けい)、和泉に中村一(かず)氏(うじ)、摂津に中川秀政ら武将を配置したとされる。しかし、秀吉によってすぐに別の場所に移されていく。

 山城、摂津、河内は秀吉の直轄となり、和泉、大和は、信頼していた弟の秀長に与えた。畿内全体を豊臣一門と、信頼できる家臣で押さえる盤石の布陣を構築したことになる。

 その余波で、県内では大和郡山市周辺を治めていた筒井が伊賀に移され、代わりに秀長が入ってきた。秀長は大和、和泉、紀伊に100万石の所領を保有。郡山城は、その中心的な役割を果たす。

 秀長は、さらに最終拠点となる「詰め城」として高取城(高取町)を重臣に与え、大規模な城郭に改修。宇陀松山城(宇陀市)にも豊臣の家臣らを入れ、東国から大和への街道を押さえた。

 その宇陀松山城では、昨年までの発掘調査で、大型の鬼瓦やしゃちほこが出土。絵図面にある天守閣の存在を裏付け、重要性が改めて注目されている。

 中村氏は「秀吉が日本の中心として重要視していた畿内の城は、当時どうなっていたのか。発掘成果や今後の研究に注目したい」と力をこめる。

1649よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:15:29 ID:CPRLApf.0
遷宮守った太閤 出世餅に名残す
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20131123-OYT8T00170.htm

 伊勢神宮(三重県伊勢市)は今年、20年に一度の式年遷宮を迎えた。天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる内宮(ないくう)の門前、旧参宮街道などは例年以上のにぎわいを見せる。

 門前の一角で香ばしい焼き餅のにおいが漂う。1565年創業の名物「太閤(たいこう)出世餅」を売る店だ。できたてをほおばる客が不思議そうに尋ねた。

 「なぜ、伊勢に太閤さん(豊臣秀吉)の名前があるの」

 即座に社長の河口妙(たえ)さん(86)が答える。「実は太閤さんが喜んで食べた餅なんですよ」

 秀吉は幼名・日吉丸の頃、蜂須賀小六とともに参宮して以来、たびたび伊勢を訪れている。街道で食して「美味也(なり)」とほめたのが、この餅だそうだ。

 神宮と秀吉。その関係を示すのは餅だけではない。

 「式年遷宮にも大変貢献した人なんです。特に今年は多くの人に知ってほしいですね」と、河口さんは力を込めた。

◆下支えに徹した◆ 

 伊勢神宮の式年遷宮は7世紀末、持統天皇の時に始まったとされる。内宮、外宮(げくう)(祭神=豊受大神(とようけのおおみかみ))で、20年ごとに萱葺(かやぶ)き屋根の高床式社殿や神宝類を一新し、ご神体をうつす。神が永遠に若くあること、「常若(とこわか)」の思想に基づく行事だ。

 国家的な事業として続いたが、15〜16世紀に100年以上途絶えた時期がある。戦乱で室町幕府が弱体化、労賃やヒノキ材などの財源「役夫工米(やくぶくまい)」を全国で徴収する制度が崩壊したのが要因という。

 「社殿の柱が朽ち、屋根が腐り、惨たんたる様子だったことが読み取れる」。当時の史料を調べる歴史学者の皇学館大教授岡野友彦さん(52)は話す。

 「神さまに申し訳ない」と自発的に動いたのは、伊勢の慶光院の尼僧らだ。国家丸抱えを脱却しようと、民衆や大名などに幅広く浄財を募り、1563年、外宮で129年ぶりに遷宮が復活。次は内宮も、という時、織田信長から巨額援助の約束を取り付けたが、本能寺の変(1582年)によって頓挫する。

 その後、手を差し伸べたのが秀吉である。尼僧への協力を約束した朱印状に〈遷宮の件は承知した……詳しくは口頭で〉とある。総額は不明だが、「天下人として信長以上の気前のよさを見せたのだろう」と岡野さんは推測する。秀吉が支配体制を確立するために始めた「太閤検地」も、神宮領は免除した。

 1585年、内宮の遷宮は123年ぶりに復活。内宮、外宮の遷宮は、この年から同時に営まれるようになった。

 ただ、秀吉が復活に貢献したことは広く知られているわけではない。岡野さんは「名も無き民衆も含め、みんなで神宮を復活させる運動が実を結んだ。その輪の中に秀吉もいたということでしょう。お金の多寡(たか)よりずっと大切です」と考える。

 国家に頼らず、みんなで復活させるという尼僧たちの思いを理解し、下支えに徹したとも言えるかもしれない。

 哲学者の梅原猛さん(88)は違った視点でこう語る。「日本列島ではずっと生命流転の思想、循環の思想があった。それが遷宮の常若だ。能やお茶に傾倒したように、秀吉は理屈ではなく、感覚的に伝統文化への理解があった人物だと思う」

1650よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:16:53 ID:CPRLApf.0
>>1649

◆スタイルは健在◆ 

 式年遷宮は戦後の占領期にずれ込むこともあったが、今年で62回目、秀吉時代から数えて22回目となる。きょう2日は内宮で神の引っ越し「遷御(せんぎょ)」の儀があり、5日は外宮で催される。遷宮は最高潮を迎えている。

 今回の総費用約550億円のうち6割は神宮の資金で、4割が全国から集まった奉賛金という。新社殿の敷地に市民らが石を敷き詰める「お白石持(しらいしもち)行事」ではこれまでにない延べ約23万人が奉仕し、秀吉時代に始まった〈みんな〉で参加するスタイルは、今なお健在だ。

 「どうして太閤さん?」。太閤出世餅の店では、相変わらずお客の質問が飛び交う。

 東京から嫁いできた河口さんは、遷宮の歴史を勉強しながら「お伊勢さん」に対する多くの人々の思いに触れてきた。「にぎわいを見ると、みんなで遷宮を守ろうという精神が続いているのを実感します。未来にずっと継承してほしいですね」。そう言って内宮へ向かう人たちを見つめた。(渡辺達治)

 伊勢神宮の遷宮に貢献した豊臣秀吉は大坂城でも神仏に祈りを捧(ささ)げたのだろうか。実は当時、城内に宗教施設があったかどうかは大きな謎という。

 一つの手がかりは「大坂冬の陣図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館所蔵)だ。城内の本丸や山里丸(やまざとまる)の辺りに「方形造(ほうぎょうづくり)」という四角すいの屋根のやぐらが立ち、てっぺんに宝珠(ほうじゅ)に似た物があるのが分かる。「仏堂かもしれない」との見方は出ているが、遺構は地中深くに埋もれ、残念ながら未確認のままだ。

 現大阪城の宗教施設では、豊国神社が知られる。明治期、大阪・中之島に造営され、戦後移った。玉造口から梅林に向かう途中にある「蓮如上人袈裟(れんにょしょうにんけさ)がけの松」は豊臣大坂城の敷地になる前、真宗の一大拠点があった名残だ。

(2013年10月2日 読売新聞)

1651よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:30:26 ID:CPRLApf.0
太閤なにわの夢募金お知らせ
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20130408-OYT8T01039.htm

 大阪市は、大坂夏の陣から400年となる2015年に向け、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業を進めています。その資金を募るため読売新聞大阪本社は、市と共同で「太閤なにわの夢募金」に取り組んでいます。1万円以上の寄付をいただいた方に造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」を贈呈するなどの特典もあります。

 寄付は、ゆうちょ銀行または郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードの申し込みとなります。

 振り込みは、寄付パンフレットの専用の用紙が必要。パンフレットの配布場所は市役所1階の市民情報プラザ、各区役所、サービスカウンター(梅田、難波、天王寺)など。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年4月3日 読売新聞)

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1653よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:03:48 ID:zTbTF29M0
新春の祈り胸に 府内の神社、初詣にぎわう
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103016.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の神社では初詣の人出でにぎわい、大阪市東住吉区の住吉大社でも親子連れやカップルら多くの参拝者が行列をつくり、それぞれの思いを祈願した。

 太鼓橋の名で親しまれている赤塗りの反橋では、本宮へと向かう参拝者が橋いっぱいに広がり、急な斜面に足元を気にしながら上り下りしていた。

 四つの本宮にはそれぞれ、手を合わせる人が延々と続き、おみくじを引く人やお守りを買う人などで広い境内が埋め尽くされた。滋賀県から訪れた女性は「みんなの身が清まりますようにと願った」と話していた。

 また、五穀豊穣(ほうじょう)、庶民繁栄などを祈り、長柄の傘を持つ一人の周りを複数で踊る住吉踊りの新春特別奉納が行われ、参拝者を楽しませていた。

 1日の参拝者は昨年より3万人増の150万人で、住吉大社では三が日で昨年より5万人多い240万人の人出を見込んでいる。

1654よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:11:24 ID:zTbTF29M0
心静かに思い込め 大阪天満宮で書き初め
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103018.html

 学問の神様、菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区)の境内にある梅香学院で、新春恒例の「書き初め」が行われている。クラス別に設けられた課題をもとに、幼稚園児から小、中、高校生、一般まで広く書を楽しんでいる。3日まで。

 同宮では三が日で55万人の参拝者を見込んでおり、2日は朝から多くの家族連れやカップルらが会場を訪れた。学年などに応じて設けられた「こま」「走れ小馬」「梅咲く村」など、今年のえとや菅原道真にちなんだ言葉に真剣な表情で取り組んだ。

 祖父母らと訪れた筒井琉君(6)=大阪市鶴見区=は、習いたての書道で「あんまり上手に書けなかったけど、面白かった」と笑顔で話していた。

 受け付けは午前10時〜午後4時。清書用半紙は5枚で100円。作品は毎年6千点の応募があるという「大阪梅風会全国書き初め展覧会」への申し込みが可能で、入選作品は24日から境内に展示する。締め切りは10日(郵送可)。問い合わせは電話06(6353)0025、同宮へ。

1655東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/03(金) 23:08:24 ID:nDyj1B.w0
そりゃご無体な 補助金ほしけりゃ客を呼べ 初春公園開幕も満額は厳しく
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140103/wlf14010320470019-n1.htm

 補助金問題で揺れる文楽の初春公演が1月3日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開幕した。平成25年度から観客動員数で大阪市の文楽協会への補助金の額が決まる「インセンティブ方式」が導入されたが、現在の動員数では満額助成は難しい状況で、1月はそのカギをにぎる公演として注目される。

平成財務出来高始末の段

 初日は開演前に文楽人形による鏡開きが行われ、人間国宝、竹本住大夫さんが「文楽はここしばらく重大危機が続きます。大阪府や大阪市は芸術文化にもうちょっと理解を持ってほしい。みなさまには一回でも多く劇場に足を運んでいただければうれしいです」とあいさつ。文楽人形が来場者に振る舞い酒を注ぐなど大勢のファンでにぎわった。

 インセンティブ方式は、国立文楽劇場の観客動員数によって補助金の額が増減するシステム。大阪市は平成25年度、文楽協会に3900万円の予算を計上しており、うち協会運営費などに充てられる2900万円分をこの方式で決める。

 対象公演は年間4回の本公演と鑑賞教室。年間動員数10万5000人以上で満額支給、9万人以下ならゼロ。その間の人数なら、人数割の計算になるという。

 文楽協会によると、平成25年4月からの観客動員数は現在までに計約7万5000人。満額にはあと3万人の動員が必要だが、平成25年1月公演は2万1000人、平成24年は2万人で、過去10年間で総動員数が10万5000人を超えたのは国立文楽劇場の開場20周年で記念公演が行われるなどした平成16年の1年だけ。「満額助成は大変厳しい状況」と三田進一事務局長は話す。

未来文楽窮地の巻

 2900万円は文楽協会の事務局の人件費など運営費。今夏発足した第三者機関「大阪アーツカウンシル部会」は、26年度もインセンティブ方式で支給することを決定したが、27年度以降は運営資金目的の補助金は打ち切られる方針だ。

 大阪市からの補助が打ち切られても、国などの補助金があるほか、大多数を占める本公演は国立文楽劇場と東京の国立劇場の主催で協会とは直接関係がないため、すぐさま公演ができなくなるというわけではない。

 しかし、三田事務局長は「協会の運営ができなくなると、技芸員の受け皿がなくなるなど大きな影響がある。文楽を未来につなぐため、劇場や技芸員と協議して抜本的な組織改革をしなければ」と話している。

 公演は1月26日まで。「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」などが上演される。

1656よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/04(土) 13:58:24 ID:BEzJUObw0
■文楽劇場 鏡開き
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003443.shtml

 国立文楽劇場では公演初日の3日、恒例の鏡開きが行われました。

 大阪・日本橋の国立文楽劇場では近くの黒門市場から縁起物の「鯛」が届けられ、文楽人形が集まった人たちに樽酒をふるまいました。

「華やかで非常に楽しい行事で楽しみにしています」(観客)

 文楽をめぐっては大阪市から文楽協会への補助金が1年間の観客数によって増減することになっています。

 満額を支給されるには、今年3月末までに、あと3万人の動員が必要で、3日からの公演が正念場となっています。 (01/03 18:09)

1657よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/04(土) 14:13:20 ID:BEzJUObw0
掛け声勇ましく 水間寺で「千本餅つき」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140104-OYT8T00058.htm

 貝塚市の水間寺で3日、奈良時代から続く伝統行事「千本餅つき」が行われ、檀家(だんか)の若者ら16人が勇ましいかけ声に合わせ、長さ約1・5メートルの木の棒を使って厄よけの餅をついた。

 もち米約10キロが用意され、鉢巻きにたすき掛けの若者らが本堂に続く渡り廊下で、かけ声や歌に合わせて何度も餅をついた。つき上がった餅が棒で高々と掲げられると、初詣客から歓声が上がった。

(2014年1月4日 読売新聞)

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1659よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/05(日) 21:07:51 ID:Q7tU0DIQ0
世界遺産へ3月にも保全骨格案
01月05日 06時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140105/4119421.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指し、大阪府と堺市など地元の3市は、ことし3月にも、古墳群周辺の景観や環境の保全計画の骨格をとりまとめる方針です。
大阪の百舌鳥・古市古墳群は平成27年度のユネスコ世界文化遺産の登録を目指していましたが、去年8月に、古墳群周辺の景観や環境の保全計画の整備が不十分なことなどから、推薦が見送られました。
これを受けて、大阪府と堺市など地元の3市は平成29年度の世界文化遺産登録を目指すため、ことし3月にも、保全計画の骨格をとりまとめる方針です。
骨格には、保全する範囲や、建築物を新築したり、建て直したりする場合の高さやデザインの規制などを盛り込みたい考えです。
ただ、内容によっては、地元の住民や事業者から反発が出ることも予想されることから、府や堺市などでは、事前の調整もきめ細かく進める方針です。

1660よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/05(日) 21:30:08 ID:Q7tU0DIQ0
知恵の輪くぐり合格祈願 四天王寺で元三大師法要
2014年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140104/20140104036.html

 元三(がんざん)大師合格祈願法要が3日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で営まれた。受験生やその家族らが知恵の輪をくぐり、燃え上がる護摩木の炎に合格への思いを込めた。

 同法要は、985(寛和元)年1月3日の命日にちなんで「元三大師」と尊称される第18代展台座主の良源に由来する。学業成就や合格祈願であつく信仰され、大師に祈れば知恵を授かると伝わる。

 大師を祭る境内・元三大師堂では、瀧藤尊淳執事長による護摩祈祷(きとう)がなされた。参詣者は、堂前に設置された知恵の輪にくぐって入堂し、僧侶から錫杖(しゃくじょう)の加持を授かりながら手を合わせた。

 高校受験を来月に控える同市大正区の田中佑樹君(15)は「追い込みの今の時期に力をつけ、志望校に挑みたい」と話していた。

 同法要は、各月の3日午前10時から行われる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1661よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/06(月) 22:00:15 ID:b20cjSvg0
国宝や重文 間近で拝観 四天王寺で「新春名宝展」
2014年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140106/20140106013.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)宝物館で年頭恒例の「新春名宝展」が開かれている。同寺所蔵品の中でも国宝や重要文化財、重要美術品など数多くの寺宝を展示中。初詣に訪れた家族連れなど多くの参詣者が貴重な品々を見学している。2月2日まで。

 館内には法華経信仰美術の代表作「扇面法華経冊子」(国宝、平安後期)のうち「歌枕梶の葉図」「千物図」を公開。15日以降は複製と入れ替えられることから、歴史愛好家らが下絵に経文を記す繊細な技法に見入っていた。

 このほか高さ約12センチの白檀材の箱仏「千手観音・二天箱仏」(重要文化財、平安後期)や、平安期の子どもや女性が身につけていたお守り「懸守(かけまもり)」のうち「桜折枝文(さくらおりえだもん)」「桜透丸文(さくらすかしまるもん)」(ともに国宝)なども並び注目を集めている。

 兵庫県伊丹市から訪れた女性(55)は「歴史的に貴重な品々を間近で拝観することができた。初めて四天王寺を訪れたが境内も見どころが多い」と興味深そうに話していた。

 拝観料500円(高校・大学生300円、中学生以下無料)。開館時間午前8時半〜午後4時。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1662よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/08(水) 23:22:01 ID:b9vR9XzA0
邪気はらう神馬 住吉大社白馬神事
2014年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140108/20140108032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。今年はうま年とあって例年よりも多くの人々が参拝する中、同大社の神馬(しんめ)「白雪」号が駆け巡る姿を一目見ようと境内は朝から多くの参拝者でにぎわった。

同神事は宮中行事「白馬の節会(せちえ)」に由来。新春に白馬を見ると邪気をはらい、無病息災で新年を過ごせるという縁起にちなんでいる。現在の神馬は2009年、北海道函館市生まれ。11年5月9日、先代白雪の引退に伴い、大阪の燃料卸商業関係者らでつくる「神馬講」によって奉納された。

 この日は正装姿の神馬が第一本宮をはじめ各本宮をゆっくりと巡拝したほか、さっそうと早駆けなどを行った。神事の後、参拝者は縁起にあやかって目の前をゆっくりと歩く神馬の体に手を伸ばし触っていた。

 家族でたてがみに触ることができたという小林節子さん(79)=滋賀県彦根市=は「新年早々縁起がいい。よい一年となるようお祈りした」と笑みを浮かべていた。

 境内の授与所ではえとにちなみ、子ども無事成長を祈願する馬形の「竹駒守(まもり)」も並び、買い求める人々の姿が見られた。

1663よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/09(木) 00:31:09 ID:b9vR9XzA0
「十日戎」前に福娘来社 大阪
2014.1.7 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140107/osk14010702060003-n1.htm

 商売繁盛を祈願する「十日戎」(9〜11日)を前に、大阪市浪速区の今宮戎神社の福娘14人が6日、PRのために同区の産経新聞大阪本社を訪れ、「打ちましょ」と声をそろえて手拍子を打つ「上方締(じ)め」を華やかに披露した。

 福娘たちは金色の烏帽子(えぼし)、白の千早(ちはや)姿で今年の干支(えと)の「午」が描かれた絵画を寄贈した。

 十日戎では、9日からの3日間、参拝者に福笹(ふくざさ)などの縁起物を授ける。

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1665よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 21:54:51 ID:8ptyHEPg0
えびす様が出迎え 大阪天満宮の蛭子門で像除幕
2014年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140110/20140110032.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)の「天満天神えびす祭」が9日、宵えびすで初日を迎え、境内は「商売繁盛」の掛け声が飛び交うなど、正月三が日から続く華やいだムードに包まれた。

 この日は宵えびすに合わせ、境内南西にある「蛭子(えびす)門」横に石造りのえびす像がお目見えした。蛭子門はかつて門の付近にあった境内社「蛭子社」に由来。蛭子社は境内北西に移されたが現在も門の名称が残っている。

 早朝、本殿に祭られている蛭子命(ひるこのみこと)を蛭子社へ移す「遷幸の儀」が執り行われ、同祭の世話人を務める氏子衆が参列。お払いを受けた後、寺井宮司と共に像の除幕を行った。

 石像は守口市長の西端勝樹氏が寄贈した。台座を含む高さが約1・8メートル。タイとさかずきを抱えるにこやかな表情で多くの参拝者を迎えている。

 門前で「えびすや呉服店」を営む辻博志さん(62)は「いっそうにぎやかになって商売繁盛となれば」と笑顔でえびす像を見守っていた。

1666よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:22:01 ID:8ptyHEPg0
孝謙天皇「東南新宮」か 難波宮跡で「土壇」見つかる
2014年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140110/20140110034.html

 大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所は9日、大阪市中央区の史跡難波宮跡から後期難波宮(726〜784年)のものとみられる土で盛った建物の土台「土壇」跡が見つかったと発表した。天皇の即位など重要な儀式を行う大極殿の東側に位置し、構造などから天皇の住まいや重要な役所の一部である可能性があるという。

 現地の発掘調査は1954年にも実施されたが、当時見つかった遺構の評価は定まっていなかった。その後、現地に建てられた市営住宅が老朽化で解体されたことを受け、2013年11月からあらためて発掘調査に当たっていた。

 見つかった土壇は盛土などによって、周囲より15センチほど高くなっており、長さは東西に約16メートルに及ぶ。宮殿などで使われる重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)などが出土し、後期難波宮の遺構と考えられる。ひさしなどを備えた大規模な回廊構造をもっていたとされ、高い格式を示す要素になるとみられる。

 こうした点などから、この区画が天皇に関係するものとすれば、後期難波宮の中でも比較的新しい時期に造営され、続日本紀で756年に孝謙天皇が行幸したと記載されている宮室「東南新宮」と考えることもでき、重要な役所が置かれていた可能性もある。

 同研究所難波宮調査事務所の高橋工所長は「60年前の発掘では性格が分からなかったものがある程度推測でき、難波宮の東側の区画が、かなり格式の高いということが分かってきた」と話している。

 市教委と同研究所は11日午後1時〜同3時に現地説明会を開く。市営地下鉄谷町四丁目駅10号出口から東へ約300メートルの発掘現場で、調査結果の解説や出土遺物の展示が行われる。

 問い合わせは電話06(6943)6836、同研究所難波宮調査事務所へ。

1667よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:25:26 ID:8ptyHEPg0
難波宮跡で「土壇」出土 格式高い「東南新宮」の可能性も
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140110-OYT8T00082.htm
 
 大阪文化財研究所などは9日、難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)の発掘調査で、後期難波宮(726〜784年)にあった区画で瓦ぶきの回廊とみられる施設の土台となる「土壇(どだん)」が出土した、と発表した。周辺で瓦も見つかっており、同研究所では「区画内は、天皇の住まいや重要な役所だった可能性がある」と分析している。

 見つかった土壇は区画の南面にあり、南北の幅約2メートル、東西の長さ約16メートル、高さ最大約15センチ。同研究所は過去の調査から南北の幅は約7メートルで、区画の規模については東西約85メートル、南北約120メートルと推定する。昨年1月に調査結果が発表された「土壇」の続きとみられる。

 区画内からは過去に石敷きの土壇が出土しており、後期難波宮ではこれまで、国家の重要儀式が行われた大極殿や天皇の居住する内裏だけで見つかっていることから、同研究所は「格式が高い」と推測。続日本紀に孝謙天皇が756年に訪れたと記されている「東南新宮(とうなんしんきゅう)」の可能性もある、としている。

 土壇の南側では、溝(幅約80センチ、長さ約16メートル、深さ約80センチ)も見つかり、同研究所は雨水を流すための道路の側溝とみている。

 現地説明会は11日午後1〜3時。小雨決行。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)へ。

(2014年1月10日 読売新聞)

1668よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:28:45 ID:8ptyHEPg0
ペットと一緒に 少彦名神社健康合同祈祷
2014年1月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140112/20140112027.html

 “薬の神様”を祭る大阪市中央区道修町の少彦名神社(別所俊顕宮司)で11日、ペットと飼い主へ健康祈願の祈祷(きとう)が行われ、参拝者は愛犬とともに無病息災を祈った。

 今や家族の一員で、掛け替えのないパートナーであるペット。医薬・健康の神を祭る同神社では、ペット同伴での参拝を希望する問い合わせが以前から多く寄せられ、ことし初めて「ペットと一緒に初詣」として合同祈祷を行った。

 午前11時からの祈祷には、4組の参拝者が愛犬を伴い参加。別所宮司のおはらいをペットたちも神妙な面持ちで受けた後、飼い主が玉串を奉納した。

 阿倍野区の生地義明さん(65)と由紀子さん(62)夫妻は、雄のトイプードル、ビンちゃん(12歳)とともに参拝。トイプードルは平均寿命が14歳と言われ、「子どものような存在。1日でも長く生きてほしい」といとおしそうに話していた。

 同神社の祭神は、日本の医薬の神「少彦名命」と、中国古代の医療、農業の神「神農氏」。神社がある道修町は江戸時代から薬の仲買人が集まった「薬の町」として知られる。

1669よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:30:42 ID:8ptyHEPg0
福求めて活気 貝塚・脇浜戎大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140111-OYT8T00113.htm

 「本えびす」の10日、貝塚市の脇浜戎大社で戎大祭が行われた。

 泉州最古の戎神社とされる同大社は「脇浜のえべっさん」として親しまれており、福ザサなどを買い求める参拝者でにぎわった。午後からは、積み上げた護摩木を燃やして無病息災などを願う「柴灯(さいとう)大護摩供」があり、山伏姿の修験者がお経を唱え、護摩札を炎の中に投じていた。残り火の上をはだしで歩いて無病息災を願う「火渡り行」では、参拝者が手を合わせて炭火の上を通り抜けていた。

(2014年1月11日 読売新聞)

1670よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 00:00:06 ID:Ujb1.1.A0
好景気期待 さい銭奮発 今宮戎、勘定始まる
2014年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140113/20140113028.html

 商売繁盛を願う新春の祭礼「十日戎(えびす)」(9〜11日)で集まったさい銭の勘定が12日、大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で始まった。紙幣や硬貨に交じって、「29451(福よ来い)」などの額面の小切手や外国紙幣が見られた。同神社によると、3日間の参拝者数は昨年より約4万9千人少ない約90万人だったが、景気回復への期待でさい銭を奮発する人が多く、総額は例年並みの4600万円となる見込み。

 拝殿でおはらいを受けた池田泉州銀行の行員たちが大量の紙幣や硬貨を机に広げ、手際よく仕分けた。さい銭の中には、豪ドル、ウォンなどの外国紙幣や伊藤博文の旧百円札があり、小切手では「1129(いい福)」などユニークな語呂合わせの額面が見られた。

 同神社によると、今年は福ササに付ける縁起物を多く購入する人や熱心に参拝する人の姿が目立ち、担当者は「景気上昇に対する期待の表れでは」と話していた。

 さい銭の集計作業は今月末まで行われる。

1671よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 00:05:31 ID:Ujb1.1.A0
厳か宮大工「手斧始め式」 四天王寺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140112-OYT8T00050.htm

 聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪市天王寺区)で、宮大工の仕事始めの儀式「手斧(ちょんな)始め式」が11日、関係者ら約30人が参列して営まれた。

 儀式を担う同寺正大工(しょうだいく)(宮大工の棟梁(とうりょう))は代々、社寺専門の建設会社・金剛組(同市天王寺区)を創業した金剛家当主が務めてきた。昨秋、先代が死去し、当主不在となったため、同社相談役の植松襄一さん(71)が正大工の代務者となり、儀式を執り行った。

 ろうそくに照らされたほの暗い金堂内で、古式ゆかしい装束を身に着けた植松さんが大工道具の手斧で柱材を削り出す作業を模し、祝詞を奏上して、1年の工事の安全を願った。植松さんは「宮大工の一番大事な儀式。1400年続く伝統を担うことができ、安堵(あんど)した」と話していた。

(2014年1月12日 読売新聞)

1672よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 22:56:24 ID:7U7ycjoo0
和泉 太古の宝里帰り
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140115-OYT8T00121.htm

.◇弥生文化博物館 黄金塚古墳出土品を展示

 和泉市上代町の国史跡・和泉黄金塚(こがねづか)古墳から出土し、現在は東京国立博物館の所蔵となっている銅鏡や装身具約30点が、同市池上町の府立弥生文化博物館で展示されている。3月2日まで。

 同館が企画した「和泉黄金塚古墳と『卑弥呼の鏡』」。1950、51年の発掘調査で見つかった神像や龍、虎など神獣の模様を施した銅鏡5枚と、装飾品に使われ、断面が六角形の「水晶製大型切子(きりこ)玉」(長さ7センチ)、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の魏に使いを送ったとされる「景初三年(239年)」の銘が入った銅鏡のレプリカなどが並ぶ。市教委の2002年以降の調査で出土した円筒や傘をかたどった埴輪(はにわ)も紹介している。

 同古墳は古墳時代前期末(4世紀後半)に築造されたとみられる前方後円墳で墳丘の長さは94メートル。地方の豪族が葬られたとみられている。08年3月に国史跡に指定された。

 塚本浩司・同館総括学芸員は「この機会に地元で見つかった貴重な出土品を見てほしい」と話している。

 月曜休館。入館料は一般400円、65歳以上と高校・大学生は300円。問い合わせは同館(0725・46・2162)へ。

(2014年1月15日 読売新聞)

1673よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 23:02:37 ID:7U7ycjoo0
勇猛果敢に体ぶつけ合う 四天王寺で「どやどや」
2014年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140115/20140115021.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で14日、年頭恒例の「どやどや」が盛大に執り行われた。紅白の鉢巻きとふんどし姿の男子中高生をはじめ約1270人が参加。多くの参詣者が見守る中、境内・六時堂でまかれるお札をつかみ取ろうと勇猛果敢に体をぶつけ合った。

 元日からこの日まで2週間にわたり、六時堂で新年の天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する「修正会(しゅしょうえ)法要」の結願(けちがん)日に執り行われる伝統行事。

 好天に恵まれたこの日の境内では四天王寺羽曳丘中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校の生徒が紅白軍に分かれて参加した。両軍の生徒は「わっしょい」の掛け声とともに六時堂に突入。全身に冷水を浴びせられながら、法要中に祈祷(きとう)された魔よけのお札「牛王宝印の護符」に高く手を伸ばしてもみ合った。運よくお札を手にした生徒は寒さも忘れ「取った」「やった」と歓声をとどろかせた。このほか行事の冒頭では元気な園児の列が入堂し境内をなごませた。

1674よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 23:04:46 ID:7U7ycjoo0
住吉大社で「とんど」
01月15日 14時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140115/4473951.html

正月のしめ縄や去年1年間、身につけていたお守りなどを焼き納めて、無病息災を願う「とんど」が大阪の住吉大社で行われました。「とんど」は、住吉大社が毎年この日に行っているもので、煙を浴びると、今年1年間、無病息災で過ごすことが出来ると言われています。
15日は近くに住む人たちが、朝から、しめ縄や、おふだ、それに去年1年間、身につけていたお守りなどを次々と持ち込みました。持ち込まれたものは、境内の一角に積み上げられ、「とんど」の場所を清めるお祓いなどが行われたあと、火がつけられました。
訪れた人たちは、燃え上がる火に静かに手を合わせて、家族の無事などを祈っていました。
阿倍野区に住む女性は、「しめ縄や正月に使ったお箸などを持ってきました。ことし1年間、家族みんなが健康で過ごせたらいいと思います」と話していました。

1677よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/19(日) 11:48:26 ID:v7LnV76k0
上る炎に安泰願う 府内各地で「左義長神事」
2014年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140116/20140116026.html

 しめ縄など正月の縁起物を火にくべ入れて1年の無病息災、家内安全を祈願する伝統行事「左義長(さぎちょう)神事(とんど)」が15日、大阪府内各地の神社で執り行われた。「正月の事じまい」とも言われ、訪れた参拝者は火に向かい手を合わせていた。

 大阪市天王寺区の生國魂神社(中山幸彦宮司)では、早朝の火入れ式で、神職によって本殿から御神火が運ばれ、境内の一角に積まれた縁起物に移されると高く燃え上がった。境内には、朝から破魔矢などを持った地域住民ら参拝者が多く訪れ、時折ポンポンと音を立てて燃える火を見守っていた。

 また、たき火の火種を使って作った小豆粥(かゆ)が振る舞われ、参拝者は冷えた体を温めていた。同市北区の女性(62)は「病気にならないように」と願っていた。

 「左義長」は、旧正月15日の前後に行われている神事で平安時代から行われているとされている。

1678よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/23(木) 22:38:51 ID:xFc7yW6c0
解体中本殿から墨書 大山咋神社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140119-OYT8T01051.htm

 ◆江戸前期建立記す、「地域の誇り」一転保存へ

 藤井寺市北東部・船橋町の地域の氏神「大山咋(おおやまぐい)神社」で、本殿の解体工事中、江戸時代前期にあたる「寛文八年(1668年)」の墨書が発見された。氏子ら住民は新築するとしていた当初予定を変更し、本殿を修理して保存することを決めた。市によると、墨書で年代が判明した江戸前期の神社建築は市内唯一で、文化財としての価値もあるという。(岡田英也)

 同神社は江戸時代初期、近江国(滋賀県)の日吉大社から分霊を受け、祭ったとの伝承があり、近くを流れる大和川や石川の水害に遭わず、豊作となるよう、地域住民が祈願してきた。

 本殿は高さ3・65メートル、間口1・2メートル、奥行き1・9メートルで、「一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)」と呼ばれる形式。長年の風雨で木材が腐食し、昨年7月から社寺建築を手がける「松原工務店」(堺市南区)が工事を開始した。

 本殿の解体中、上部の桁材から墨書が見つかった。年号は創建の伝承とほぼ一致し、建築様式も江戸前〜中期の特徴という。

 この新発見に、住民らは「地域の歴史を伝える文化財として保存するべきだ」と申し合わせ、工事を新築から修理に変更した。ヒノキの古材の35%を再利用し、彩色調査で朱色の塗料も確認されたことから、当時の外観を再現。本殿の修理費約1300万円を住民の寄付でまかない、昨年12月15日に落成式を営んだ。

 船橋町地区長の田中慶治さん(72)は「地元で誰も知らない古い年号が確認され、驚いた。地域の誇りとして大切に守っていきたい」と喜んでいる。

 大山咋神社は近鉄南大阪線・土師(はじ)ノ里駅の北東約1キロにあり、土、日曜は拝殿から参拝できる。

(2014年1月20日 読売新聞)

1679よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/23(木) 22:51:31 ID:xFc7yW6c0
難波の綱引「ヨーイヨイ」 難波八阪神社で「神事」 
2014年1月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140120/20140120017.html

 大阪市指定無形民俗文化財の「綱引(つなひき)神事」が19日、同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で執り行われた。氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を引き合って開運祈願するとともに都心に根付いた伝統の継承に努めた。

 同神事は八岐大蛇退治で知られる同神社の祭神・スサノオノミコトの遺徳をたたえ、地域繁栄を祈願する年頭行事。江戸期に刊行された観光案内書「摂津名所図(ず)会(え)」にも紹介されており、2001年度に市指定として最初の無形民俗文化となった。

 文化財保持者である同神事保存会(竹立威三雄会長)の氏子らが早朝の境内に参集。約100人が奉仕し、1本の細縄をより合わせて全長約22メートル、太さ約30センチのオロチの大綱を完成させた。この後奉仕者が二手に分かれて大綱を抱え、豪快に綱引きを開始。図会に描かれている様子を今に伝えた。

 会長の竹立さん(83)は「例年よりも太い縄を使ったことでかつてない力強い綱が完成した。これからも地域の方々の協力を得ながら伝統を後世に伝えていきたい」と笑顔で語った。この日は神社周辺で大綱の巡行も繰り広げられた。

1681よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/27(月) 21:52:46 ID:vo9MF1UU0
文楽 観客下回り補助金減へ
01月27日 18時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140127/4591381.html 

伝統芸能、文楽への補助金について大阪市は今年度の観客数がおよそ10万1000人で、満額の 2900万円を支給する条件を下回ったことから730万円余り減額する方針です。
文楽への補助金について大阪市は今年度から三味線などの購入費に充てる1000万円とは別に人件費などの補助に充てる2900万円を観客数に応じて支給することにしていて満額の支給には年間 10万5000人以上の観客数を条件にしています。
こうした中、今年度最後の文楽の公演「初春公演」がきのうまで行われ国立文楽劇場によりますと期間中の観客数はこれまでで最も多いおよそ2万6000人でしたが今年度の観客数はあわせて10万1200人でした。
このため大阪市は満額を支給する条件を4000人近く下回ったことから今年度の補助金を減額する方針で、きょう大阪府と共同で設けている文化事業を検証するための有識者会議で報告しました。
この中で大阪市は10万5000人を下回った人数1人につき  1930円ずつ減額する仕組みになっているとして今年度は730万円余りを減額したおよそ   2100万円を支給する見込みだと報告しました。
そのうえで会議では「文楽は『大阪の宝』であり宝を磨き継承することは国、大阪府、大阪市共通の責任であり文楽協会も振興の拡大に努めている」として補助金の支給を続けることが適当だという認識で一致しました。
大阪市の橋下市長は記者団に対し「観客数が10万人を超えるの
はかなり高いハードルだったと思うが技芸員も文楽協会もよく頑張ってくれたしやればできることが実証された。ただ残念だが補助金は当初決めたとおり減額になる。技芸員や文楽協会には今回、成功を導いたプロセスをもう一度、検証して目標達成に何が必要なのかを検証してもらいたい」と述べました。そのうえで来年度も観客数に応じて補助金を支給する仕組みを続ける考えを示しました。
文楽を運営する「文楽協会」の三田進一「決まりなので仕方が無い。協会の退職者を補充しないなど支出をおさえてきたので今回はしのげると思う。しかし来年度も同じ仕組みを適用されるのは厳しい。大阪市には上方の伝統芸能・文楽を守るという意識を持ってほしい」と訴えました。
一方で三田事務局長は今年度の観客数が10万人を超えたことについて「文楽を守ろうと多くの人が訪れてくれた結果であり、感謝している」と話しました。
また大阪市の橋下市長が国立文楽劇場が公演の演目を決めていることなど今の仕組みが問題だとして技芸員と文楽協会は仕組みを変えるよう働きかけるべきだという考えを示したことについて「劇場のメニューはあくまで劇場が決めるべきで我々が口を出す話ではない」と話しました。
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1682よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/27(月) 22:25:50 ID:vo9MF1UU0
文楽人形遣い、初の4代目が誕生 岩田悠甫さん「芸を継承していきたい」
2014.1.27 00:15
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140127/wlf14012700190000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140127/wlf14012700190000-n2.htm

 長い歴史を誇る文楽に初めて人形遣いの4代目が誕生した。古典芸能では珍しく家柄や門閥に関係ない実力主義の世界だが、曽祖父から続く文楽人形遣いの家に生まれた高校3年、岩田悠甫(ゆうすけ)さん(17)が昨秋、父、吉田一輔(いちすけ)さん(44)の師匠である吉田簑助さん(80)に入門。補助金削減問題など厳しい話題の続く文楽界の未来を明るく照らしそうだ。

 岩田家は代々、文楽人形遣いを輩出してきた。曽祖父・桐竹亀松さん、祖父・桐竹一暢(いっちょう)さんは女方の人形遣いとして活躍。一輔さんも「咲くやこの花賞」(平成21年度)を受賞するなど次代を担う人形遣いとして期待されている。

 悠甫さんにとって、文楽人形は身近で、義太夫節は子守唄代わりだったが、7歳のときに一暢さんが亡くなり、祖父の生の舞台もほとんど覚えていない。「でも父の舞台はよく見ていました。その姿はすごく格好良く、僕も将来やってみたいと思っていました」

 野球少年だったが、ひじを故障。プロ野球選手の夢を断念したとき、人形遣いへの夢が再び浮上。だが、一輔さんは「やめとけ」。人形遣いの修業は「足(遣い)十年、左(遣い)十年」といわれるように長く厳しい。さらに文楽界を揺るがす補助金問題もあり、一輔さんは「文楽がどうなるかわからない。息子を入れていいものか悩んだ」。

 江戸期以来、350年続く文楽。入門するには師匠に直接願い出て研究生になる方法と、国立劇場が行っている研修生制度がある。二世や三世もいるが、“御曹司”が代々名跡を襲名する歌舞伎などとは違い、一般家庭から入ってきた技芸員と同じ待遇。特別待遇がなく、経済的な厳しさがあることも文楽を代々継承していく家が少ない一因である。

 の文楽界では三味線の鶴澤藤蔵さんが4代目だが、父で人間国宝の竹本源大夫さんは太夫、祖父は三味線、曽祖父は太夫と、太夫、三味線を交互に輩出したかたちだ。

 現在、悠甫さんは見習いの研究生。授業のある日は放課後、休日は朝9時半に楽屋入りし、師匠や兄弟子の鏡台を磨き、楽屋の掃除。着物を畳んだり小道具を運んだり、空いた時間は舞台袖から舞台を見る。

 芸名はまだないが、高校卒業後の3月から人形遣いの卵として本格的修業が始まる。「不安はありますが文楽の芸を継承していきたい」と目を輝かせている。

1683よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/29(水) 22:55:44 ID:hdbLGMLE0
石垣発掘、チョコでPR…「なにわの夢募金」応援
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140129-OYO1T00251.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、大阪市は28日、「募金応援事業」の第1号として、吉本興業の関連会社「KO・KO・MOよしもと」の菓子「太閤石垣クランチ」を選んだと発表した。

 石垣の石をイメージしたホワイトチョコレート菓子で、14個入り560円(税別)。パッケージには、石垣公開プロジェクトの概要や募金ホームページのアドレス(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)も記している。31日から、なんばグランド花月(大阪市中央区)2階の「よしもと おみやげもん横丁」で販売する。

 太閤なにわの夢募金は、市と読売新聞大阪本社が共同で実施。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城した豊臣時代の石垣の発掘を進めており、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 応援事業は、募金協力への機運を高めようと、商店街や企業を対象に募集。募金の問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年1月29日 読売新聞)

1684よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/29(水) 23:13:03 ID:hdbLGMLE0
歌舞伎の人間国宝、坂田藤十郎さんが曽根崎心中「お初」から“引退” 通算1300回の当たり役、今年4月歌舞伎座で 
2014.1.28 13:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140128/wlf14012813140015-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140128/wlf14012813140015-n2.htm

 歌舞伎の人間国宝で第20回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞者の坂田藤十郎さん(82)が、代名詞ともいえる上方歌舞伎「曽根崎心中」のヒロインお初を、4月の東京・歌舞伎座の公演で“引退”する。昭和28年から60年余りにわたり、ほぼ一人で演じてきた当たり役は、演じ納めとなる4月26日の千秋楽で通算1351回。惜しまれながら歌舞伎座新築開場1周年の晴れ舞台で区切りを打つことになった。(亀岡典子)

 お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の心中物の代表作だが、江戸時代以来、長く上演が途絶えてきた。だが、昭和28年8月、東京・新橋演舞場で宇野信夫さんの脚本、藤十郎さん(当時、二代目中村扇雀)のお初、藤十郎さんの父の二代目中村鴈治郎さんの徳兵衛で、歌舞伎で復活初演。社会的現象となるほど人気を集め、“扇雀ブーム”を巻き起こした。

 藤十郎さんは「お初に出会ったことで私の人生は変わった。運命ですね」と振り返る。以来、藤十郎さん以外にお初を演じたのは、次男の三代目中村扇雀さん(53)と孫の中村壱太郎(かずたろう)さん(23)だけ。平成17年11月の四代目坂田藤十郎襲名の際にもお初を勤めたほか、イギリス、ロシア、アメリカなどでも上演された。

 「演じるたびにお初の人生を生きてきた。4月は初演のときのような気持ちで、お初さんに感謝しながら演じたい」と話す藤十郎さん。初日を迎えるまでに、「お初天神」として知られる大阪・キタの露天(つゆのてん)神社にあるお初像に、報告に行く予定だという。

 日本文学研究者で米コロンビア大名誉教授、ドナルド・キーン氏の話「初めて藤十郎さんの『曽根崎心中』を見たのは、昭和28年12月の京都・南座。私が日本に留学した年でした。歌舞伎の女形の中でもこの世のものでないような美しさで、自分の目を信じられないほどでした。その後、『曽根崎心中』は文楽でも復活上演され、現在の日本の伝統芸能に大きな影響を与えたと思います」

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1688よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/02(日) 16:30:11 ID:PCWuEzFY0
「お多福のくぐり門」お目見え 市軸稲荷神社
2014年2月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140201/20140201052.html

 2月3日の節分を前に、お多福大神などを祭る市軸稲荷(いなり)神社(大阪府豊中市刀根山2丁目、寸田敦男宮司)に1月29日、その下をくぐると願い事がかなうとされる「お多福のくぐり門」がお目見えした。参拝者は福を授かるようにとお多福像を参拝した後、お多福のふくよかな笑顔をかたどった門をくぐっていた。くぐり門は3日まで。

 同神社では、ご神体であるお多福像にちなんで1955年ごろから毎年、節分の時期に鳥居の前にお多福の門を設置している。門は、高さ約3メートル、幅約2メートルの板に、お多福のふくよかな笑顔が描かれている。口の部分に約1・2メートル四方の観音開きの扉が設けられており、その左右に大根が15本ずつ束ねてつるされている。

 訪れた人は、この扉をくぐって境内に入り、短冊に名前や年齢などを書いてかんざしに結ぶ。そのかんざしを頭に挿して願いを思い浮かべ「頭いた」と3回唱えながら、お多福像を参拝。帰る時に門をくぐって外へ出て、大根にかんざしを挿して奉納する。

 子どもと一緒に訪れていた中村小弓さん(39)は「毎年恒例になっているので、ことしも節分の時期が来たと感じる。ことしは主人が前厄なので、あまり悪いことが起きないようにとお願いした」と話していた。

1689よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/03(月) 22:15:07 ID:HJeo./X60
杏さん財前さんが豆まき
02月03日 14時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140203/4715881.html 

節分のきょうNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」のヒロインを演じる杏さんらが寝屋川市の成田山不動尊で豆まきをしました。寝屋川市の成田山不動尊に設けられた舞台にはNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」でヒロインの西門め以子役を演じる杏さんや、母親役の財前直見さん、長女役の松浦雅さんらが登場しました。
杏さんたちは縦・横およそ1メートル50センチ、高さが80センチもある特大の升から両手で豆をすくい舞台の上からまいていました。
境内にまつられている不動明王の前では鬼も改心するということから「鬼は外」ではなく「福は内、福は内」と声をかけ境内を埋め尽くした人たちは福をつかみとろうと紙袋などを広げて懸命に豆を集めていました。
豆まきを終えた杏さんは「いろんな人に福を分けられるような自分でありたいです。ドラマの撮影も失速することなく駆け抜けて全力でがんばりたい」と話していました。
また財前直見さんは「3世代そろって豆まきができておめでたいことだと思いました」と話していました。
..

1690よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 05:27:28 ID:KQ3kBsB20
「お化け」キタを練り歩き お水汲み祭り
2014.2.3 21:07
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140203/waf14020321100040-n1.htm

 大阪・キタの歓楽街北新地や堂島薬師堂で、節分の3日、早春の風物詩「節分お水汲み祭り」があり、飲食店従業員らが「お化け」と呼ばれる仮装をして街を練り歩いた。

 堂島薬師堂では、商売繁盛や1年の厄払いを願って、奈良・薬師寺で祈願を受けた「お香水」をくむ参拝客が相次いだ。

 北新地には節分の夜に鬼をやり過ごすために女性たちが仮装する花街の風習が伝わる。活性化に向け、祭りが平成16年に現在の形になって11回目。

1691よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 22:16:53 ID:NnhhKoe20
文楽人形遣いの吉田玉女さん、来春に二代吉田玉男を襲名
2014.2.4 17:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140204/wlf14020417160013-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女(たまめ)さん(60)が来年4月、師匠で人間国宝だった吉田玉男さんの名跡を継ぎ、二代吉田玉男を襲名することが決まった。4日、文楽協会などが発表した。

 「吉田玉男」の名跡が復活するのは平成18年9月に玉男さんが亡くなって以来、9年ぶりとなる。襲名披露公演は来年4月に国立文楽劇場(大阪)で、同5月には国立劇場小劇場(東京)で行われる。演目は未定。

 初代玉男さんは知的で品格の高い芸で、戦後を代表する立役(男役)の人形遣いとして活躍。「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、「曽根崎心中」の徳兵衛など、時代物から世話物まで幅広い役どころを勤めた。昭和52年に人間国宝に認定されたほか、平成12年には文化功労者に。その後も87歳で亡くなるまで舞台に立ち続け、多くのファンを魅了した。

 玉女さんは、昭和43年に入門した玉男さんの一番弟子。立役を中心に修業を積み、若いころから次代のホープとして注目されてきた。近年は由良助をはじめ、師匠の当たり役を次々と継承。特に骨太の時代物の主役の武将などを得意とし、存在感を見せている。平成24年、伝統文化ポーラ賞優秀賞を受賞。

 玉女さんは「偉大な師匠の名跡を継がせていただくことに、とまどいもありますが、師匠に少しでも近づけるよう頑張っていきたい。厳しい話題の多い文楽ですが、襲名を通して盛り上げていければと思っています」と抱負を語った。

1692よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/05(水) 23:14:19 ID:I6iCzs6o0
「ニサンザイ古墳」の後円部直径 10メートル超の“拡大”…全長300メートル超の可能性も
2014.2.5 22:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140205/wlf14020522540026-n1.htm

 宮内庁が陵墓参考地として管理する国内8番目の大きさの前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、堺市北区)の後円部の直径が、これまでの測量値より10メートル以上大きい約170メートルになることが分かり5日、堺市文化財課が発表した。今後の調査によっては全長も測量値の290メートルを超え、300メートル以上の結果が得られる可能性もあるという。

 調査では、墳丘の中心線から90度の位置にある後円部北側の周濠を発掘。周濠内の墳丘の端が確認され、直径を推定した。ニサンザイ古墳の後円部直径は、大正15年の測量で156メートルとされていた。

 また、墳丘の斜面には、約20〜30センチ大の葺(ふ)き石がまばらな状態で見つかった。市文化財課は「畿内の大型古墳では葺き石は6世紀ごろの築造になるとまばらになっており、『簡素化』が5世紀後半まで遡(さかのぼ)ることが伺える」としている。

1693よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/10(月) 00:39:50 ID:UhtU84TQ0
ニサンザイ古墳 後円部直径170メートルと確認
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140206-OYT8T00034.htm

.◇堺市、「定説」より14メートル大きく

 堺市の前方後円墳・ニサンザイ古墳(5世紀後半)について市は5日、後円部が直径約170メートルだったと発表した。濠(ほり)の水を抜いて行った調査で、長らく信じられてきた規模より、約14メートル長いことがわかったという。

 世界文化遺産の登録を目指している「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に含まれる古墳。皇族が埋葬されている可能性があるとされる。市が昨年12月から後円部北側で濠の水を抜き、ヘドロを取り除いたところ、従来の規模を上回る墳丘の裾部分が確認された。

 これまで後円部の直径は、当時の宮内省が1926年に行った測量で、約156メートルとされていた。

 同古墳については2012年11月、国内8番目の約290メートルとされてきた全長が、300メートル以上とみられることがわかっている。

 今回の調査では、墳丘の葺石(ふきいし)がまばらに敷かれていることも確認。市は「古墳築造のピークが過ぎ、葺石の敷き方が簡素化されたのではないか」とみている。

 後円部の正確な直径が判明したことについて、奈良県立橿原考古学研究所の宮川?(すすむ)・共同研究員は「古墳の正確な大きさがわかることで、当時の周辺王族との力関係をみる参考となる」と話す。

(2014年2月6日 読売新聞)

1694よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/11(火) 21:08:02 ID:I87QlkLc0
城東区の若宮八幡大神宮 75年ぶりに遷宮
2014年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140209/20140209025.html

 同宮は1939(昭和14)年に建てられ、周辺住民に親しまれながら地域を守り続けてきた。しかし老朽化に伴い雨漏りや白アリにむしばまれるなど、社殿の痛みがひどくなり、榊原宮司(50)が2008年4月から常駐して以降は修理の必要性に迫られていた。「いつかはやらなければいけない」と、時期をうかがいながら準備を進めていた。

 本格始動は昨年1月。準備委員会を発足させ、「少しずつ修理して10年後にまた修理というのではなく、やるからには思い切ってやりたい」という思いを氏子総代らと共有。約6千万円を投じて銅板の屋根をふき替えるなど「御社殿大修理」にこぎ着けた。

 遷座祭当日は榊原宮司がご神体を抱き、白い幕で囲って仮住まいとなる参集殿の床の間にしつらえた神座に遷す。2時間ほどの儀式となる予定で、榊原宮司も「宮司としても一生に一度あるかないかのご奉仕」と緊張を隠さない。同宮にとっても歴史の一ページとなる儀式で、「神様と息が合わないとできない」と一世一代の儀式に臨む。

 現在の屋根の銅板は青緑色のさびで覆われるなど歴史を誇り、貫禄を醸している。文献などが残っていないため、今の屋根の銅板に当時奉納した人の名前が刻まれているかは不明だが、今回、銅板は一口3千円から奉納可能で、名前を書いた銅板が御社殿の礎となり、歴史に名を刻むことができる。完成は9〜10月の秋口を見込む。

 「遷宮は地元の人たちにも関わってもらい、さらに地域に根差していきたい」と榊原宮司。地域のパワースポットとして「もっと親しんでもらえたら」と話していた。

 昨年は伊勢神宮(三重県)や出雲大社(島根県)でご神体を遷(うつ)す「式年遷宮」が執り行われ、パワースポットとして広い世代で脚光を浴びたが、大阪市城東区蒲生4丁目にある「若宮八幡大神宮」(榊原孝和宮司)でも、75年ぶりに遷宮が行われることになった。社殿の大修理に伴いご神体を移動させる儀式「仮殿遷座祭」が9日午後6時から執り行われる。

1697よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/16(日) 10:48:04 ID:o9q/qwS20
堺環濠都市遺跡で17世紀の羽子板など出土
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140214-OYT8T01637.htm

◇「豊かな暮らしうかがえる」

 堺市の堺環濠(かんごう)都市遺跡(堺区櫛屋町)で、安土桃山時代〜江戸初期(16世紀末〜17世紀初頭)とみられる羽子板(長さ39センチ)や下駄(げた)(同21・2センチ)などの遊具や生活用品が出土し、市が14日、発表した。発掘場所は当時の堺の東側に当たる町外れだが、瀬戸(愛知県)や唐津(佐賀県)で生産されたとみられる陶磁器片も見つかっており、市文化財課は「当時、堺で暮らした人々の豊かな生活ぶりがうかがえる」としている。

 市立殿馬場中学校の校舎改築工事に伴い、昨年12月から約800平方メートルを調査。溝(長さ10メートル、幅0・6〜1・2メートル、深さ0・3メートル)などから、羽子板のほか、水指や茶わん、箸、漆器片、陶磁器片などが見つかった。羽子板は同遺跡では2例目で、片面に朱色の顔料を塗ったような跡があった。いずれも、使用後に廃棄したと考えられる。

 堺環濠都市は、堺旧市街地に広がる中世後期の湾岸都市。貿易港として繁栄したが、大坂夏の陣(1615年)の戦火で壊滅、江戸時代に再建された。今回の出土品は壊滅前のものとみられる。市は発掘調査の工期に余裕がなく、現地説明会は行わないとしている。

(2014年2月15日 読売新聞)

1698よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/18(火) 22:22:29 ID:CzPdrf8A0
5世紀の甲冑ずらり…大阪大が「倭の五王」展
2014.2.18 16:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140218/wlf14021816520023-n1.htm

 5世紀の甲冑がずらり−。大阪府豊中市の大阪大総合学術博物館待兼山修学館で、保存修復処理が終わった野中古墳(大阪府藤井寺市)の鉄製甲冑などを展示する「野中古墳と『倭の五王』の時代」が開催されている。3月22日までの午前10時半〜午後5時。無料。日・祝日は休館。

 野中古墳は、世界遺産登録を目指す古市古墳群のほぼ中央にある5世紀の中型方墳で、1辺37メートル。昭和39年に大阪大が発掘、大量の鉄製品など出土し中国の歴史書に記された「倭の五王」が活躍した5世紀を代表する史料として評価されている。

 11セット見つかった甲冑のうち、三つは襟がつき、全国的にも珍しいタイプ。

 発掘後に甲冑は薬品が塗られて、光沢が出るなどの弊害があったが、今回の保存処理で出土当時の姿がよみがえった。

1699よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 03:26:40 ID:bRoCc6rs0
金堂 南北11.84メートル、東西13.52メートル
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140218-OYT8T01514.htm

. ◇高宮廃寺跡 基壇を確認

 寝屋川市高宮の高宮廃寺跡(7世紀後半、国史跡)で金堂の「基壇」の一部と柱の礎石跡が出土し、市教委が18日、発表した。1979年に同廃寺の伽藍(がらん)の位置などを確認して以来、35年ぶりの発掘調査で、これまで不明だった金堂の正確な規模が確認された。

 今回の発掘調査は、同廃寺跡を整備、活用することを目的に、今年度から16年度までの予定で実施する。

 今回、新たに出土したのは金堂北東角の基壇と西側の柱の礎石跡。基壇はこれまで南西、南東角でも確認されており、今回の発見で大きさが南北11・84メートル、東西13・52メートルと確定した。礎石跡は建物西側の2か所で確認された。

 現地説明会は23日午後1時半から。問い合わせは市文化スポーツ振興課(072・824・1181)へ。

(2014年2月19日 読売新聞)

1700よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 15:42:47 ID:dAQqKbvo0
地下ホールに豊臣期の石垣…大阪城16年公開へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140222-OYO1T00255.htm?from=newslist

 豊臣秀吉時代の大坂城の石垣を公開する事業で、大阪市は21日、現大阪城(大阪市中央区)の本丸内に整備する公開施設の概要を発表した。大坂夏の陣から400年となる2015年に着工、16年の完成を目指す。事業費の一部には、市と読売新聞大阪本社が共同で進めている「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を充てる

 豊臣期の石垣は本丸の地下に埋もれており、現在発掘調査が進んでいる。

 施設は地上、地下の2層。石垣を展示する地下階のホールでは豊臣期の地層(深さ7メートル)から高さ6メートルの石垣を間近で見上げ、触ることもできる。石垣に連なる形で豊臣期の天守閣のイメージ映像も投影し、壮大なスケールをよみがえらせる。

 一方、出入り口のある地上階のガイダンスルームでは、豊臣、徳川両時代の大坂城の模型やパネルのほか、太閤なにわの夢募金の100万円以上の寄付者の記念芳名板、10万円以上の氏名板などを展示する。

 豊臣期の初代大坂城は夏の陣(1615年)で落城。徳川幕府がその上に2代目大坂城を再建し、現在の石垣はこの時に築いた。

 一方、地中に埋もれた豊臣期の石垣は、自然石を加工せずに積み上げる「野面積(のづらづ)み」と呼ばれる工法で築かれており、これまで、公開施設の場所を含め、数か所で見つかっている。

 太閤なにわの夢募金の目標額は5億円で、1月末現在で約2300件、計約7600万円が寄せられている。個人の場合は「ふるさと納税」の対象となり、所得税、住民税の控除を受けられる。また1万円以上の寄付者には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」の贈呈もある。

 大阪市の担当者は「多くの方の支援を得て、秀吉と大坂城の激動の歴史物語を肌で感じてもらえる施設にしたい」としている。問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年2月22日 読売新聞)

1702よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:15:19 ID:u7lBKGbE0
前期難波宮の造営は7世紀前半、「年輪セルロース酸素同位体比法」で確定 日本書記と一致 地球研・文化財センター公表
2014.2.24 21:26
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140224/wlf14022421280022-n1.htm


 前期難波宮跡(大阪市中央区)から出土した柱2本の伐採時期が7世紀前半だったことが、新たに開発された年輪セルロース酸素同位体比の年代測定法よって分かり24日、大阪府文化財センターが公表した。日本書紀に記された難波宮の造営時期とほぼ一致した。この測定法による世界初の実証例で、歴史資料の年代決定に大きな進展をもたらす可能性がある。

 前期難波宮は、大化改新につながる「乙巳(いっし)の変」(645年)を機に飛鳥から遷都し、652年に完成した。柱は平成16年、大阪府警本部の新築の際に出土した。直径約30センチのコウヤマキで、宮域の北限を東西に延びる塀を支えていた。

 年代を確定できる遺物が乏しく、同センターは当初、気候によって変動する年輪幅から木材の伐採年代を求める「年輪年代法」の適用を目指した。紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市)や池上曽根(いけがみそね)遺跡(大阪府和泉市)の造営年代を確定させた手法だが、測定可能な樹種がスギやヒノキなどに限られ、一定の樹齢以下のコウヤマキでは困難だった。

 ところが近年、総合地球環境学研究所(京都市北区)の中塚武教授が、木材の主要成分であるセルロースに含まれる3種類の酸素の「同位体比」値を年輪ごとに測定できる年輪判定法を開発。2本の柱で試みたところ、最も外側に残る年輪はそれぞれ583年、612年と確定した。

 伐採年が分かる樹皮部分は残っていなかったが、612年の方は年輪の形状から樹皮近くまで残っていると判断、2本とも612年から間もない時期に伐採されたとみられるという。

 同センターの江浦洋事務局次長は「前期難波宮の造営の時期を決める科学的データを得られた意義は大きい。応用範囲も広く、古代史の謎が解き明かされる夢がある」と話している。

難波宮

 大阪・上町台地上に造営された古代の都宮。「乙巳の変」(645年)後の難波長柄豊碕宮(なおがらとよさきのみや)を前期難波宮といい、のち天武天皇も副都とした。これに対し、聖武天皇が神亀3(726)年に造り始めたのが、後期難波宮。2つの宮跡は重なり、考古学者の山根徳太郎氏によって遺構が確認された。近くからは西暦648年をあらわず「戊申(ぼしん)年」銘の木簡も出土している。

年輪セルロース酸素同位体比法

 酸素原子には重量の異なる3種類の「安定同位体」がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。

1703よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:34:07 ID:u7lBKGbE0
扇子手に軽やか 大阪天満宮にすずめ踊り奉納
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140224-OYT8T00011.htm

 約400年前に堺の石工たちが始めたと伝わる「すずめ踊り」が23日、大阪市北区の大阪天満宮で奉納された。参拝客が集まる本殿前で、法被姿で扇子を手にした踊り手や太鼓、笛など「堺すずめ踊り連盟」(堺市堺区)の会員約40人が、扇子を広げて跳びはねる軽やかな踊りを披露した。

 1603年、青葉城(仙台市)の築城を祝う宴席で、石垣工事に従事した堺の石工たちが、藩主の伊達政宗に即興で披露したのが起源とされる。跳ね踊る姿がすずめに似ており、仙台の伝統芸能として引き継がれてきた。

 同連盟は約10年前に堺で踊りを復活させ、本場の「仙台・青葉まつり」で披露。天神祭の船渡御を迎える船に飾られる「お迎え人形」の中に「すずめ踊り」がある縁で、同天満宮でも2年前から奉納している。

 同連盟の松村進一会長(31)は「東日本大震災の復興を願い、様々な行事で踊っていきたい」と話した。

(2014年2月24日 読売新聞)

1707よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/07(金) 21:17:27 ID:hhmlCOPQ0
太閤の石垣、ファン熱視線…大阪城で公開始まる
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140307-OYO1T00742.htm

 国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下から発掘された豊臣期大坂城の石垣の一般公開が7日始まり、多くの歴史ファンでにぎわった。9日まで。

 石垣は1984年の水道管の取り換え工事に伴って発見。調査後いったん埋め戻されたが、2016年に公開施設をつくるため、30年ぶりに発掘された。

 この日は、午前10時の公開開始と同時に約60人が集まり、その後も大勢の人たちが訪れた。大阪文化財研究所の担当者から「野面積(のづらづ)み」という技法が用いられていることなどについて説明を受けた後、熱心に見入り、写真を撮っていた。

 大阪市住之江区の会社員鎌田英雄さん(57)は「大坂夏の陣の頃と同じ風景を目の当たりにして感動した。公開施設の完成が楽しみ」と話していた。

           ◇

 読売新聞大阪本社は公開施設の資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を、市と共同で実施している。問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

(2014年3月7日 読売新聞)

1708よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 13:29:05 ID:IrwYCgVQ0
金熊寺で梅林見ごろ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140309-OYT8T00074.htm

 白梅を中心に約2000本が植えられ「大阪みどりの百選」に選ばれている泉南市の金熊寺(きんゆうじ)梅林で、梅が見頃を迎えた。訪れた人は、山あいを埋め尽くす白や桃色の花が風に揺れている間を散策したり、写真撮影をしたりと楽しんでいる。

 約270年前から栽培される白梅を中心に、段々畑に連なるように植えられている梅林。周辺住民が組合を作り遊歩道を整備したり、交配をして種類を増やしたりして、管理している。

 今年は冬の冷え込みが厳しく平年より1週間程度開花が遅れたが、金熊寺梅林組合の福本寛組合長(79)によると9日頃に満開になるといい、「満開後も1週間は楽しめる。ぜひ、足を運んで」と話している。問い合わせなどは市産業観光課(072・483・8191)へ。

(2014年3月9日 読売新聞)

1709よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 16:49:56 ID:6nt42Sw60
秘仏も開帳、地域と信仰再生へ 「十六羅漢祭」のにぎわい取り戻せ 大阪・貝塚
2014.3.8 15:25
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n2.htm

 白鳳時代(645〜710年)の開基とされる吉祥園寺(きっしょうえんじ)(真言宗御室派)がある大阪府貝塚市王子地区の住民が、寺に伝わる秘仏「十六羅漢(らかん)画像」を開帳する春祭り「十六羅漢祭」のにぎわいを取り戻そうと、初めての“例大祭”を今月16日に開催することになった。住民の高齢化などで担い手が減少するのに伴って年々規模を縮小せざるを得なかったが、「このままでは廃れてしまう」と、地域と寺が協力して立ち上がった。

 矢野寛耕住職(56)によると、十六羅漢画像は吉祥園寺に伝わる掛け軸の秘仏で、室町中期の画僧・兆殿司(ちょう・でんす)の筆とされる。大和絵系と呼ばれる技法で描かれており、現存する羅漢図では国内で2番目に古いうえ、16幅がそろっているのは全国的にも珍しく、市の文化財にも指定されている。

 地元の口伝などでは、秘仏を開帳する羅漢祭の始まりは1500年代後半の安土桃山時代。その後、五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する祭りになったが、江戸末期に中止したところその年泉州地域に疫病がはやり大飢饉(ききん)が起こったことから翌年復活。以降は無病息災なども祈願して実施されてきた。

 地元住民によると「戦前までは泉州一円から人が集まり、縁日の店もずらりと並ぶ盛大さで、『春の羅漢さん、秋のだんじり』と言われた」という。

 吉祥園寺は長らく無住寺だったため、地元住民が「十六羅漢講」という団体をつくって寺を支えてきたが、近年は若者の地元離れなどもあって担い手が減少。ここ十数年は、一部の住民が参加して法要を営む程度になっていた。

 今年は、もともと人気の高い恒例行事だった福引を復活。特別祈?(厄よけ、交通安全など)や願い事などを書いたのぼり奉納なども実施する。さらに地元のイベントともリンクし、貝塚市のゆるキャラ「つげさん」も参加し、グッズの販売をするなどお年寄りから子供までが楽しめる祭りにするという。

 矢野住職は「数百年も続いた行事を途絶えさせるわけにはいかないという地域の熱い思いが伝わってきました。これから手を取り合って、十六羅漢祭を盛り上げていきたい」と話している。問い合わせは吉祥園寺((電)072・423・1654)。

(藤浦淳)

      ◇

十六羅漢 仏教用語で聖者を意味する阿羅漢(あらかん、羅漢)のうち、仏法を守り、衆生(しゅじょう)を正しく導くことを誓った釈迦の16人の弟子(カナカバッサ、スピンダなど)をさす。仏像や石仏、絵画などとして全国各地に存在し、信仰を集めたり観光名所となったりしている。

1710よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/13(木) 22:04:14 ID:dy5AzadQ0
大阪の模擬原爆被害知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140311-OYT8T00046.htm

◇大空襲「語る会」久保さん 証言集を復刊

 1945年の広島・長崎への原爆投下直前、米軍が「訓練」として投下した模擬原爆で被害を受けた大阪市東住吉区田辺の住民たちの証言集が、戦争体験者の手で復刊された。初版は約20年前に出版されたが、その後、散逸して1冊しか残っておらず、失われつつある模擬原爆の記憶を後世に伝えたいと再編集した。(南部さやか)

 復刊したのは、「大阪大空襲の体験を語る会」代表の久保三也子さん(84)(大阪市福島区)で、自らも45年3月の大阪大空襲を経験している。

 模擬原爆は、B29爆撃機が投下後の衝撃に巻き込まれずに飛行するための訓練用として、実物と同じ重さ(5トン)で製造、火薬が詰め込まれた。45年7〜8月には全国約30都市の工場などを標的に、計50発が使用され、東住吉区田辺では7月26日午前9時26分、投下された。

 大阪市が戦後作成した資料によると、この時の爆撃の被害は死者7人、重軽傷者73人、被災家屋486戸にのぼったという。

 模擬原爆の存在は、91年に「春日井の戦争を記録する会」(愛知県)が、国立国会図書館(東京都)で米軍の資料を調査して明らかになった。当時、久保さんら、語る会のメンバー5人も田辺地区で体験者を捜し求め、2年がかりで23人分(男性15人、女性8人)の証言を集めて、93年に1000部を出版した。

 〈なんの予告もなく、ザーという落下音とともにすさまじい地響きがして、家の窓ガラスが音を立てて粉々に割れた〉〈直爆した料亭は跡形もなく、付近の家もつぶれ、大きな穴があいていた〉〈真黒な砂煙で夜のように暗くなった〉

 〈あちこちで、血で黒く染まった人が歩いていた〉〈人々が「新型爆弾や」と騒いでいた〉。体験者の証言はいずれも悲惨な状況を生々しく語っていた。

 しかし、その初版も、持っていた人が亡くなって廃棄されたり、散逸したりし、久保さんの手元にも1冊しか残っていない。証言した人の多くも亡くなり、調査をしたメンバーも久保さん以外は他界している。

 久保さんが復刊を思い立ったのは、「模擬原爆を知りたい」という研究者や教育関係者らが最近増えたことがきっかけだ。残った1冊をもとに今回、全国各地で50発を投下した米軍の訓練記録の一覧を追加して再編集し、300部(A5判、35ページ)を出版した。

 久保さんは「証言者が高齢化で少なくなる中、改めて模擬原爆の事実を知ってほしい」と話し、今後、ピースおおさか(大阪国際平和センター)などに寄贈する予定。一部は、希望者にも提供するという。

 模擬原爆を確認した「春日井の戦争を記録する会」のメンバーで元中学教諭の金子力さん(63)は「模擬原爆の被害があったことは、広くは知られていない。正確な投下場所や被害人数も分からない点があり、実際に見た住民の証言は非常に貴重だ」と話している。

(2014年3月11日 読売新聞)

1711よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/13(木) 22:33:24 ID:dy5AzadQ0
大阪大空襲から69年 当時の生徒ら出席し“幻の卒業式”
2014.3.13 21:46
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140313/wlf14031321510041-n1.htm

 大阪大空襲から69年となる13日、大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)で、当時の国民学校の生徒を対象とした“幻の卒業式”が行われた。第1回大空襲は昭和20年3月13日深夜から14日未明にかけて。14日は同市内の多くの国民学校で卒業式が予定されていたが、空襲直後で開催できなかった。

 この日は、当時の国民学校の生徒で卒業式を迎えるはずだった3人が出席。同館の岡田重信館長が、当時の国民服姿で卒業証書を手渡した。

 桜川国民学校(浪速区)に在籍していた大阪府岸和田市の田中(旧姓・川本)芳子さん(81)は、証書を受け取り「当時のことを思い出しました」と感極まった様子。空襲時は近所の子供たちと学校に逃げ込んで難を逃れたという。「学校を休んだことがなく皆勤賞だったので、卒業式が迎えられなかったことが心残りだった。ほっとした」と話してた。

1712よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/14(金) 19:27:17 ID:vLSSQSuA0
常光寺本堂など 市文化財に指定 八尾市教委 大阪
2014.3.13 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140313/osk14031302020003-n1.htm

 八尾市教育委員会は、常光寺(同市本町)の「本堂・阿弥陀堂・行者堂」と、薗光寺(おんこうじ)(同市水越)所有の「木造 阿弥陀如来立像」を市文化財に指定した。

 常光寺は、府内でも珍しい臨済宗南禅寺派の寺院。また河内音頭発祥の地とされ、流し節正調河内音頭が披露される地蔵盆踊りや大般若絵(だいはんにゃえ)、狂言「八尾」でも知られる。

 薗光寺の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に多く制作された「三尺阿弥陀像」。西方極楽浄土から迎えに来るときの印を結び、右足をわずかに前に踏み出し、やや前傾して蓮花座上に立っているのが特徴だ。

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1713よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/16(日) 17:08:00 ID:yTpqvOJs0
生駒山に春の訪れ 東大阪で戸開式
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140316-OYT8T00030.htm

 修験道場として知られる東大阪市東豊浦町の髪切山(ごぎりさん)慈光寺(槙尾実英住職)で15日、生駒山に春の到来を告げる儀式「戸開(とあけ)式」が行われ、約100人が山の安全や無病息災を祈った。

 同寺は修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、約1300年前に開いたとされる。役行者が生駒山中で悪行を繰り返していた鬼を捕らえて髪を切り、改心させて家来にしたという言い伝えから「髪切」の名がついたという。

 槙尾住職から役行者をまつるお堂の鍵を受け取った鍵役が、鬼にふんした山伏らと石段を上って扉を開け、柴灯(さいとう)護摩も行われた。

 同市立花町、主婦森本美砂子さん(69)は「ウグイスの鳴き声が聞こえ、春の足音を感じた。健康に過ごせるように祈りました」と話していた。

(2014年3月16日 読売新聞)

1714よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/16(日) 17:50:21 ID:yTpqvOJs0
礼儀正しく「仕舞」体験 豊中不動尊能舞台で「こども教室」 大阪
2014.3.16 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140316/osk14031602020000-n1.htm

 子供たちに伝統芸能・能楽の「仕舞」体験を通して、日本文化のすばらしさを感じてもらう「能楽・仕舞(しまい)こども教室」が15日、豊中市緑丘の豊中不動尊能舞台で開かれた。

 文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」の一環として、豊中こども能楽塾(山本博通代表=観世流シテ方)が開催した。

 仕舞は、能の演目の一部を面、衣装をつけず紋付袴(はかま)や着物で舞う。伴奏は地謡(じうたい)のみで、簡略化された能のエッセンスを楽しめる。

 教室には小学生ら29人が参加し、今年1月から8回にわたり、仕舞の基本的な舞い方や謡いの発声方法を、能楽師らの指導で稽古してきた。

 最終回のこの日は、稽古の成果を披露する発表会形式で行われた。

 着物に着替えた子供たちは、神妙な表情で能舞台に立ち、ひとり約1分間、春の到来や長寿を祝う「老松(おいまつ)」などを元気な謡いとともに熱演した。

 保護者らは「伝統文化に触れ、正座ができるようになるなど礼儀正しくなった」と喜んでいた。

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1715よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/19(水) 05:42:34 ID:xlhhN.wA0
「郷墓」の変遷明らかに 八尾・神宮寺墓地
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140318-OYT8T00051.htm

◇市教委が報告書、中・近世の石造物多数

八尾市の神宮寺墓地(来迎=らいごう=寺共同墓地)にある石仏や石塔などの石造物を市教委が調査し、報告書にまとめた。同墓地の中央部は複数の旧村(江戸時代の村、現在の大字)の人々が葬られた「郷墓(ごうばか)(惣墓=そうばか=)」で、鎌倉時代前期の五輪塔を始め、中世から近世の石造物が数多く残されていた。府内で郷墓の全体的な調査が行われるのは初めてで、市教委は「墓地も貴重な歴史遺産だと明らかになった」としている。

 同墓地は、奈良時代の高僧・行基が造ったとされる共同墓地「河内七墓」の一つで、八尾、柏原両市にまたがる。今回、古い石造物が多く残る八尾市側について、2010年度から3年計画で調査した。結果、石塔などの総数は約5500基で、明治時代以前のものは約1700基と判明。約150基に造立された年号が刻まれ、鎌倉時代前期〜江戸時代の石塔類の構成や時期的な変遷が明らかになった。

 市教委文化財課は「身近な文化財である石塔や石仏が、地域の信仰や歴史の解明に役立つことを知ってほしい」とし、河内七墓のうち市内にある垣内(かいち)、神立(こうだち)、植松の3か所についても今後、調査、報告する。

 白石太一郎・府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「近年の生活様式の変化によって、中近世以来の姿をとどめる墓地は大きく変貌しつつあり、記録化が急がれる。非常に重要な取り組みだ」と評価している。

 報告書はA4判、158ページ。800円(税込み)。問い合わせは同課(072・924・8555)へ。

(2014年3月18日 読売新聞)

1716よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/21(金) 05:28:38 ID:s.Xz6LEo0
重文に府内5点 文化審議会答申
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140320-OYT8T00043.htm

◇取水施設「木樋」など、登録文化財は4か所

  国の文化審議会が文部科学相に行った答申で、現存する日本最古の人工ため池「狭山池」(大阪狭山市)から出土した取水施設「木樋(もくひ)」など府内の5点が重要文化財に選ばれた。

 狭山池は7世紀前半の築造とされ、これまで飛鳥時代の木製の通水路(全長約70メートル)などが見つかっている。中世に池を改修した僧・重源(ちょうげん)が作った石碑や、江戸時代の取水施設も同時に選ばれた。「日本の高度な土木技術が確認できる希少な資料」と評価された。

 ほかに、桃山時代の絵師・狩野永徳の弟・宗秀(そうしゅう)の代表作「紙本金地著色四季花鳥図(しほんきんじちゃくしょくしきかちょうず)」、7世紀末に中国で刊行された伝奇小説の現存最古の写本「遊仙窟(ゆうせんくつ) 残巻(ざんかん)」、安土桃山時代の医学書「啓迪集(けいてきしゅう) 自筆本」、鎌倉時代の追善供養の実態がうかがえる「後伏見院庁諷誦文(ごふしみいんのちょうふじゅもん)」の4点が選ばれた。

 また、外国人建築家が和の様式を採り入れて建設した「カトリック豊中教会」(豊中市)などの建造物4か所、25件は登録有形文化財に選ばれた。府内の重要文化財(美術工芸品)は571件、登録有形文化財(建造物)は215か所、583件となる予定。

(2014年3月20日 読売新聞)

1717よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 06:32:57 ID:J/y31gqo0
戦国武将の書状など84点  大阪城で企画展
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140322-OYT8T00009.htm

 豊臣秀吉の生きた安土桃山時代から豊臣家が滅びた大坂の陣までの古文書を集めた企画展「乱世からの手紙」が21日、大阪城天守閣(大阪市中央区)で始まった。戦国武将の書状や誓約書など、同天守閣が収蔵品などからえりすぐった84点を展示している。5月6日まで。

 上杉謙信は、永禄10年(1567年)に美濃国(現・岐阜県)を平定した織田信長に送った書状で「比類なき活躍、めでたい」とたたえている。後に敵対関係となるが、勢力を伸ばし始めた信長と良好な関係を築こうとした謙信側の思惑が読み取れる。

 また、秀吉が晩年の文禄2年(93年)に授かった我が子・秀頼の乳飲み子の頃に書いた私信には「先日は見送ってくれて満足」などとつづられ、幼子への愛情が伝わってくる。

 寝屋川市の会社員山内康さん(33)は「武将の心の内や当時の様子が想像できて楽しい」と話し、展示品に見入っていた。

 無休。入館料は一般600円、中学生以下無料。



 大阪城天守閣は桜の季節や大型連休など春の行楽シーズンに合わせ、開館時間(通常は午前9時〜午後5時)を延長する。

 4月6日までは2時間延長して午後7時まで、同26日〜5月6日は1時間延長して午後6時まで。問い合わせは同天守閣(06・6941・3044)へ。

(2014年3月22日 読売新聞)

1718よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:05:11 ID:l/NPVHr60
大阪の町名は「まち」読みが多い? 地名守った商人魂
2014/3/23 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD11024_S4A310C1AA1P00/

大阪に転勤して間もない頃、タクシーで「『あわじちょう』まで」と言うと、運転手は一瞬どこだか分からない様子。しばらくして「ああ、『あわじまち』ですね。お客さん、どこから来たんですか」。運転手いわく「大阪では『ちょう』ではなく『まち』と言うので、よそから来た人はすぐに分かります」とのこと。本当だろうか。

  大阪市営地下鉄・御堂筋線の淀屋橋駅あたりから南下すると「伏見町」「道修町」「平野町」……と「まち」と読む町名が並ぶ。「淡路町」は同じ漢字の町名が東京都千代田区にもあるが、こちらは「あわじちょう」。「安土町」は滋賀県近江八幡市では「あづちちょう」と読む。大阪以外の地域では「ちょう」と読むことが多いようだ。

 もちろん、大阪市内でも「宗右衛門町」のように「ちょう」と読む町名はある。大阪市の地図を調べてみると、市内に「町」の字が付く町名は約150あり、半数が「まち」読み。しかし中央区に限ると、45のうち35が「まち」と読むことが分かった。市の中心部に集中しているため、「大阪は『まち』が多い」という印象を与えているようだ。

 東京都内では原則、大手町など武家屋敷のあったところは「まち」、鍛冶町など町人が住んでいた地域は「ちょう」と区別されているという。では大阪はどうなのか。

 「大阪『地理・地名・地図』の謎」などの著書があるノンフィクション作家の谷川彰秀さんに聞くと、「大阪天満宮や四天王寺の周辺などに『まち』が多く見られるので、寺町が由来ではないか」という。確かに寺社の周辺に「まち」は多いが、「ちょう」も存在する。中央区は特段、寺社が多いわけでもなく、この説では説明しきれない。

1719よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:06:26 ID:l/NPVHr60
>>1718

http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD11024_S4A310C1AA1P00/?df=2

 次に大阪歴史博物館の学芸員、八木滋さんを訪ねた。現在の中央区のあたりは、大阪城が築城されたのち、主に江戸時代に入ってから発展した。八木さんは「江戸時代から大阪は商人の町。武士はほとんど住んでおらず、身分や職業による区別はなかった」と話す。「ただ、江戸時代にはすでに『まち』と読む慣習が根付いていた」と言って、古い文献を見せてくれた。

 1842年(天保13年)刊行の「大坂町鑑」。当時の大阪の町名約600について、「まち」と読む町名には「町」の字、「ちょう」と読む町名は「丁」と分けて記載している。当時の人々がどのように「町」を読んでいたのかが分かる。「ざっと数えたところ、3分の2程度が『まち』だった」と八木さん。「理由はよく分からないが、古い町名がそのまま残っているところが多いことが、中央区に『まち』が多い一因ではないか」と指摘する。

 1962年に「住居表示に関する法律」が施行され、全国的に古い町名を整理して新しい町名に変える動きがあった。住所を頼りに訪問先を探し当てたり郵便物を配達したりしやすくするためだ。大阪市中央区の南船場や難波などはいくつかの町が統合されてできた新しい町名だ。

 ところが中央区のなかでも、長堀通以北の旧東区と呼ばれる地域は、江戸時代からの町名がそのままというところが多い。薬問屋が集まる道修町や繊維問屋が集まった安土町、本町などは江戸時代、商いのまちとして栄えた。

 中央区道修町が本社のボンドケミカル商事の小西哲夫社長は、明治初期にこの地で創業したコニシの創業家。当時の事情について聞くと「この辺りには、江戸時代から続く料亭や商家が多く、地元への愛着が強い。古い町名を残すために団結した」と話してくれた。町内会長のような立場の人が中心になって、行政などへ働き掛けたのだという。

 道修町には今でも製薬会社の本社が立ち並び、「薬のまち」の面影を残す。船場大阪を語る会の三島佑一会長は「道修町は町内会で神社を造ってしまうほど、結束が強い」と話す。薬の神様をまつる少彦名神社は道修町に店を構えた薬問屋が造ったもので、毎年11月22〜23日に開く祭りには、製薬会社など約350社が加入する薬祖講が運営。祭りの日には各社からのボランティアが集まり、見物客が道路を埋め尽くすほどだ。

 最近は新しいマンションやオフィスビルが増え、古くからの住人や商店は減ってきた。町名の由来を知る人も少なくなったが、歴史のある古い町名には先人の思いが詰まっている。

(大阪経済部 小国由美子)

1720よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:29:35 ID:l/NPVHr60
澪標 ―みおつくし―

「生國魂造」二つの特徴

生國魂神社権禰宜 中村 文隆
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/140225/20140225033.html

 前稿では大阪の始まりの地が大阪湾に浮かぶ「難波埼(なにわのみさき)−現・上町台地−」であり、その三方を海で囲まれた北端の地の占有者が日本国の実質的な統治者であることを見てまいりました。これは大坂城築城より今日に至る400年だけを指すのではなく、神話と歴史の接点となった神武東征の物語から連綿と続く2700年間のことを指します。

 では、秀吉の築城に際し、同地を離れた生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)はその後どうなったのでしょうか。

 実は秀吉・秀頼父子は後の上町台地と呼ばれるようになった難波埼の中央部、現在の上本町界隈(かいわい)に約2万5千坪の代替地を寄進し、全国に8万社ある神社の中で唯一の建築様式である「生國魂造(いくたまづくり)」と呼ばれる社殿を普請しています。この無双の生國魂造には日本の歴史を反映した二つの特徴があります。

 まず一つ目は20メートルを超える巨大な本殿であるという点です。出雲大社など、神話の時代から大きな社殿を建てることを社是としてきた神社を除き、一般的に神社建築は大きな社殿を建てる必要がありません。ちなみに仏教は建築の技法や道具、職人、果てはそれらを包括する建築という概念そのものを伴って日本に伝来したため、寺院を建立すること自体に布教の側面があり、大きければ大きほど、立派であればあるほど信仰の大きさが見て取れます。

 一方、仏教伝来前、原初の神社大半は、神の社(もり)という字が示す通り、神や祖霊の鎮まる森や山などの場所や空間を指しました。ところが、文明の進展に比例し人間の感受性が鈍り、その場所の象徴が、老木や巨石からより人間の視覚に訴えやすい社殿という人工物に変遷します。しかし、人間側が社殿を通じてその空間に神を認識できれば事足りるので、殊更大きな社殿を構える必要性はありません。

 生國魂造の二つ目の特徴は、大神様のお鎮まりになる本殿と幣物などを献じる幣殿の二つの社殿が一つの大屋根で葺(ふ)き下ろされ、その上に三つの破風(はふう)が据え付けられている複雑な桃山時代の様式を今に伝えている点です。勘の良い方は既にお気づきのことと存じますが、大坂城築城とそれに伴う生國魂神社の遷座の経緯から勘案しますと、この複雑な建築様式の社殿は、先に見た特徴である巨大さと併せ、次期に継承された徳川期大坂城も含めて兄弟関係にあるといえます。

 長らく続いた戦国の動乱が収斂(しゅうれん)へ向かう過程で集約された力は、最終局面で大きなうねりとなって前例のない二つの巨大建築をここ大阪に生み出しました。天下統一の物的証拠が今もなお街の中央部に並び立ち、そこに多くの人が訪れるのも大阪が持つ根源的な街の魅力でしょう。

 徳川方が政権を継承して以降は戦のない天下太平の江戸時代が続き、安定した営みに立脚した町衆が力をつけ始めます。特に物流の中心となり、天下の台所と呼ばれた大坂の発展は目覚ましく、そこに暮らす町衆から次々と新しい文化が生まれます。その最大の集積地がいくたまさんで、近松門左衛門や井原西鶴、上方落語の始祖・米澤彦八などをはじめとした多種多様な人材が活躍し、上方芸能・上方文化が花咲く場所となりました。

 その後、明治維新を経て日本の中心的神社として再認識され官幣大社に列格しますが、以降も度重なる災害や戦火に見舞われます。

 しかしその都度、大阪市民の皆さんと共に困難を乗り越え、街と共に歩んで現在に至り、今も生國魂祭(いくたままつり)の渡御列(とぎょれつ)復興などの課題に取り組んでいます。

 大阪繁栄の象徴がいくたまさんのご社頭の賑(にぎ)わいであるならば、逆説的ではありますが、これからもその賑わいを絶やすことなく祈り続けてまいりたいと存じます。

 以上、昨年より貴重な紙面をお預かりし、いくたまさんという定点を通じて大阪から日本を俯瞰(ふかん)してまいりました。紙幅の都合上、やむなく割愛した部分もございますので、この続きは境内でお待ちしております。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)


2014年2月25日

1721よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 21:21:38 ID:6iplpaSg0
<上宮天満宮>サル、猫に癒やされる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/feature/osaka1391186241539_02/news/20140315-OYT8T00066.htm

 車道をまたぐ大鳥居をくぐり、丁字路の突き当たりの階段を上がると、目の前に開けた境内で、猫が大あくびをしていた。

 JR高槻駅から北約500メートルにある鎮守の森に囲まれた「上宮天満宮」。境内に居着いた野良猫の保護のため、作業小屋などに5か所の「居場所」を設け、昨年4月には猫を含めたペットの健康や長寿、死んだ後の鎮魂を祈る「守護天神」も完成した。

 本能寺の変(1582年)で織田信長を討った明智光秀を、豊臣秀吉は山崎の戦いで破った。その記念として、本陣を置いていたこの天満宮の社殿を美しく改修した。秀吉が現代の天満宮ののどかな様子を見れば、思わず目を細めるのではないだろうか。

 あまり知られてはいないが、秀吉は猫好きだった。

 秀吉の重臣・浅野長政が文禄2年(1593年)、同僚に宛てた書状に、秀吉がかわいがっていた猫がいなくなり、見つけるよう命じられたとつづられている。「見つかるまで、虎毛の猫1匹を借用したい」と書かれた文面から、長政が必死だった様子がうかがえる。

 今も昔も、猫が好きな人は多いのだろう。その気持ちを知りたいと、阪急高槻市駅の近くにある猫カフェ「ねこの部屋 あまえんぼう」を訪ねた。上宮天満宮の境内と同じく、店内にはのんびりとくつろぐ猫が15匹いた。

 店員の中田愛里さん(25)は「犬猿の仲と言われるから、サルと呼ばれた秀吉さんも、犬ではなく猫をかわいがったのではないでしょうか」と笑った。

 長政が猫捜しに追われていた頃、秀吉は朝鮮に兵を出し、国内では関白職を譲った養子の秀次と不和になるなど、心がざわめく日々だった。権力者の孤独を、猫が癒やした。(上野将平)

 ◆上宮天満宮 平安時代の創建。学問の神様、菅原道真をまつる全国の天神社のうち、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に次いで、2番目に古いとされる。豊臣秀吉は1582年の山崎の戦いで、上宮天満宮の参道に本陣を置いた。近年では、1996年に本殿が火災で焼失した後、2002年に竹で再建された。JR高槻駅から北に徒歩10分。(電)072・682・0025

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

(2014年3月15日 読売新聞)

1722よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 02:02:12 ID:Fw9nCOM20
春場所“成就”に感謝 住吉大社で土俵まつり
2014年3月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140324/20140324040.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた23日、立浪部屋の宿舎となっていた大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で、土俵祭が執り行われた。参列した力士たちは相撲の守護神、住吉大神に、1カ月にわたった稽古の安全と修行成就を感謝した。

 境内の土俵で、神様を天に送る儀式「昇神之儀」を行い、力士15人が「エイエイオー」と声を上げながら、神様の象徴である御幣(ごへい)を抱いた神職を胴上げした。儀式を見守っていた約40人の地元住民からは拍手が起こった。

 このほか、参列者による神酒の乾杯や大阪締めが行われた。儀式の中で神職は「また明年会えることを待ち望み、たくさん白星をあげることを祈っている」と力士たちに声を掛けた。

 同大社は相撲と縁が深く、「横綱」の称号の起源の地と伝わる。同部屋の合宿は2007年の三月場所から受け入れている。神様を招く儀式「降神之儀」は2月20日に執り行われた。

1723よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 02:06:49 ID:Fw9nCOM20
1500年前の古墳 映像に
03月24日 19時20分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140324/3133681.html 

堺市は、世界文化遺産への登録を目指す地元の古墳群について理解を深めてもらおうと市の博物館に、古墳が作られた当時の様子を再現し、大型スクリーンの映像で紹介するミニシアターを設置しました。
「百舌鳥古墳群ガイダンスコーナー」と呼ばれるこのミニシアターは堺市博物館に作られ、あすのオープンを前に報道関係者に公開されました。
シアターは、30の座席を備え前方に縦2メートル40センチ横4メートル30センチの大型スクリーンが設置されています。
堺市が、大阪府などと世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」のうち、堺市内に点在する「百舌鳥古墳群」を12分間のビデオで紹介しています。
ビデオではこれまでの発掘調査などを元に再現されたおよそ1500年前の当時の古墳の様子などがコンピューターグラフィックスで紹介されています。
堺市世界文化遺産推進室の大村慶次長は「現在の古墳は森のように見えますが、作られた当時は、土の上に石を置いた構造物だったと見られています。多くの人たち見てもらい、百舌鳥古墳群について関心を高めてほしいです」と話していました。

1724よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 20:01:52 ID:LpBpZQOM0
山本能楽堂 改修完了へ 4月、一般向け内覧会
2014年3月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140325/20140325036.html

 2011年から実施してきた山本能楽堂(大阪市中央区)の改修が3月末で完了する見込みとなり、公益財団法人山本能楽堂の山本章弘代表理事は24日、同能楽堂を一般にお披露目する内覧会「花と芸能−春爛漫」を4月25〜27日の3日間開催すると発表した。

 同能楽堂は、1927年に設立され、大阪大空襲で焼失、50年に再建。2011年に始まった文化庁の「重要文化財建造物等公開活用事業」に初採択され、観光振興・地域活性化の拠点として、登録有形文化財建造物を効果的に公開活用するための整備に対し補助を受けた。補助金、自己資金、寄付が3分の1ずつで、総事業費は約2億円。

 安井建築設計事務所や、中之島を拠点に世界で活躍するデザイン事務所「graf」の服部滋樹さんが協力し、1670万色の色彩を表現できるLED照明や床暖房、資料室などを備えて生まれ変わった。

 内覧会では、能楽堂全体の空間を楽しんでもらおうと、東京五輪招致委員会などを担当したフラワーデザイナーの藤吉恒雄さんが、1〜3階を花で飾るほか、貴重な能の装束、当時の設計図面、てんぐが謡曲を楽しんでいる様子を描いた富岡鉄斎の掛け軸などを公開。文楽や落語、講談、舞踊、西洋音楽など、同能楽堂にゆかりのあるさまざまな演者が駆け付け、お祝いとして各種芸能を披露する。

 山本さんは「能を見るだけの場所でなく、この建物が何かの表現の場であり、社交の場になれば。ここをランドマークとして、海外旅行客を呼んだり、学校教育に生かしたりして、恥じない活動をしたい」と力をこめる。

 内覧会は25日午前11時〜午後8時(26日午後6時、27日午後4時半まで)、入場料2千円。問い合わせは同能楽堂、電話06(6943)9454。

1725よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/26(水) 22:30:05 ID:g4RgbTlo0
空から見る仁徳陵
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140325-OYT8T00043.htm

 ◇堺市博物館にミニシアター

 堺市博物館(堺区)に、墳墓として世界最大級の仁徳天皇陵古墳などで構成する「百舌鳥(もず)古墳群」の上空を飛ぶ疑似体験などが楽しめるミニシアターが整備され、24日、報道陣に公開された。コンピューターグラフィックス(CG)技術を応用し、20キロ上空から撮影した古墳群の眺めなどが楽しめる。

 市が博物館内に、同古墳群のガイダンス(案内)コーナーを新設。ミニシアターは約200インチ(縦2・4メートル、横4・3メートル)のスクリーンを備え、宅地開発などで消失した11基を含む55基や、古墳の壕(ほり)から墳丘を望む映像なども投影する。

 5世紀半ばに延べ680万人が作業したと試算される仁徳天皇陵古墳の築造当時を想像し、埴輪(はにわ)や土器で装飾されていた映像や、大阪平野の風景も再現した。上映時間は約12分。総事業費約7000万円。

 市は「古墳群の価値を理解してもらい、世界文化遺産登録に向けた機運を高めたい」としている。

 入場無料で、利用は午前10時〜午後4時半。問い合わせは市博物館(072・245・6201)へ。

(2014年3月25日 読売新聞)

1726よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/27(木) 20:41:13 ID:QjVGHqTs0
今城塚古墳築造の労力数値化 論文が懸賞最優秀に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140327-OYT8T00029.htm

◇延べ53万人動員、工期7年

  継体天皇の墓とされる今城塚古墳(6世紀、高槻市)について、築造の労力を数値化した論文が、同市の古代史をテーマにした懸賞論文の最優秀賞に輝いた。論文では、元ゼネコンの土木技術者が、現場監督の立場になって計算。使った土の量や当時の周辺人口などから、現在の市人口の1・5倍に当たる延べ53万人が動員され、約7年かけて完成させたとしている。(上野将平)

 東京都練馬区在住の高津和夫さん(84)の論文(A4判、16ページ)で、懸賞論文「いましろ賞」の応募作。

 論文では、主な作業を掘削や運搬、盛り土とし、当時の墳丘の高さや面積などから計17万5000立方メートルの土が使われたと計算。自身の経験から、1人が1日に掘ることのできる量を1・5立方メートルとし、運搬や盛り土も含めた作業には、延べ48万2380人が必要だったと推測している。

 さらに石棺や埴輪の製造・運搬にも、延べ4万4280人が関わったとした。

 1日の動員数は、周辺の水田面積や季節を考慮。農繁期は180人、農閑期は370人と時期による労働者の増減も計算し、工期は約7年と結論づけた。

 高津さんはゼネコン時代の大部分を現場で過ごし、現場監督も経験。ブルドーザーなどの重機が少なかった1960年頃まで、スコップなどを使った人力の作業を経験したという。

 1959年から6年間の大阪勤務で、仁徳天皇陵(堺市)をはじめとする百舌鳥(もず)・古市古墳群を見て、駆り出された民衆の気持ちになって研究を開始。退職後、奈良大の聴講生となり、報告書の書き方などを学んだ。

 今回の論文について、高津さんは「動員数は多いように思えるが、仁徳陵などの工事と比べると、余裕を持って築造したようだ。国力に見合った判断で、現場監督の立場としても感心させられた」と話す。今後は、土を採った場所や、水田面積などの詳細な計算を続けるとしており、市立今城塚古代歴史館の森田克行館長(63)は、「築造の様子や規模が目に浮かぶ論文だ。さらに研究を進める手助けをしたい」と話している。

(2014年3月27日 読売新聞)

1727よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/27(木) 20:46:55 ID:QjVGHqTs0
国立文楽劇場30周年で集い
03月27日 19時36分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140327/5969581.html

大阪の国立文楽劇場が来月、開館から30年になるのを記念する集いが行われ今年5月の公演を最後に引退する文楽の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんらが演目を披露しました。
大阪・中央区にある国立文楽劇場は文楽を上演するための劇場として造られ、来月、昭和59年4月の開館から30年を迎えます。
きょうは劇場で記念の集いが行われ招待客などおよそ700人が集まりました。
劇場を運営する日本芸術文化振興会の茂木七左衛門理事長は「伝統芸能の文楽を継承するためには若い世代を中心に観客を呼び込むことが必要だ」と述べました。
続いて地元の企業などから寄贈された新しい3つのどんちょうが披露されました。
このあと今年5月の東京公演を最後に引退する文楽の語り手の第一人者で人間国宝の竹本住大夫さんらが正月などに上演される演目 「寿式三番叟」を披露し集まった人たちが熱心に見入っていました。
..

1728よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/28(金) 20:39:20 ID:9J8UFdxE0
30周年、国立文楽劇場で開場記念のつどい
2014.3.27 21:31
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140327/wlf14032721360018-n1.htm

 大阪の人形浄瑠璃文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪市中央区)が今月、開場30周年を迎え、「記念のつどい」が27日午後、同劇場で開かれた。4月の文楽公演が大阪での引退公演となる人間国宝、竹本住大夫さんらの出演で、おめでたい「寿(ことぶき)式(しき)三(さん)番(ば)叟(そう)」が披露されると、招待された関係者やファンら約700人から大きな拍手がわき起こった。

 国立文楽劇場は昭和59年3月に開場。文楽をはじめ、日本舞踊、歌舞伎、邦楽、演芸など上方芸能の継承、発展の本拠地として親しまれてきた。

 この日行われた「記念のつどい」では、独立行政法人日本芸術文化振興会の茂木七左衛門理事長が「文楽は大阪の地に発祥し、大阪の風土とともに発展した世界に誇る伝統芸能。国立文楽劇場には文楽を後世に伝えていくという重大な使命がある」とあいさつ。

 青柳正規文化庁長官も「東京オリンピックが開かれる2020年には上方芸能の拠点としてさらに発展することを祈念している」と祝辞を述べた。

 新しい緞帳が披露され、同劇場の三十年間の歴史を懐かしい映像で上映。

 最後に住大夫さんをはじめ、人形遣いの吉田和生さんらの出演で「寿式三番叟」が上演、荘重な語りやリズミカルな人形の動きに場内は見入っていた。

1729よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/29(土) 22:11:21 ID:UUK3FAMg0
「学童集団疎開」から70年 関連書籍2冊発刊
2014年3月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140329/20140329033.html

 太平洋戦争末期の1944年6月に閣議決定された「学童疎開促進要綱」に基づき着手された学童集団疎開から今年で70年−。四半世紀以上にわたり毎年夏に戦争体験集「孫たちへの証言」の発刊を手掛けている新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)が「記憶を風化させてはならない」と学童疎開をテーマにした書籍2冊を刊行した。いずれも体験者の貴重な証言や資料を紹介し、子どもたちに暗い影を落とした疎開の実態に焦点を当てている。

 大阪の歴史や文化、産業など毎号特色ある特集を組む同社の「大阪春秋」(本体千円)は「国民学校と学童集団疎開」を特集した。

 元天理大学人間学部教授の赤塚康雄氏、国民学校と学童疎開を考える会理事長の奥村誠一氏ら体験者による座談会をはじめ、大阪市内各区別の他府県への疎開地と疎開児童数の推移、関連年表といった詳細な資料を紹介。疎開先の火災で児童16人が犠牲となった南恩加島国民学校(大阪市大正区)の児童を悼む「16地蔵」の由来や、疎開中に空襲などで家族と死別した戦争孤児が歩んだ過酷な戦後についても触れている。

 もう一つの「学童疎開」(本体1200円)は「孫たち−」第7集以降の中から疎開関連の証言を抜粋、補筆し、多くの写真やカラーの体験画も盛り込んでいる。

 福山代表(79)は「大阪府内郊外への学童疎開があったことや、各家庭に児童一人当たり月10円の費用が必要だったことなど、知られていない点も多い。幼い児童まで戦争の黒い渦に巻き込んだ史実をしっかりと検証する必要がある」と、2冊の編集に込めた思いを話している。

 問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1730よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/05(土) 22:44:08 ID:UvJUOOwM0
竹本住大夫さん 引退公演
04月05日 21時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140405/5631031.html 

人形浄瑠璃「文楽」の語り手の第一人者として長年活躍し、来月引退する人間国宝の竹本住大夫さんの地元・大阪での最後の公演が始まりました。
大阪市生まれで89歳の竹本住大夫さんは文楽の語り手「太夫(たゆう)」の第一人者として長年活躍し、平成元年には人間国宝に認定されましたが、体調などを理由に来月東京で行われる公演を最後に引退します。
大阪市の国立文楽劇場では地元・大阪での引退前最後の公演が5日から始まりました。
演目は、平安時代に都から九州の太宰府に左遷された菅原道真と周りの人々の人間模様を描いた「菅原伝授手習鑑」です。
竹本住大夫さんは、道真の家来の切腹の場面を描いた「桜丸切腹の段」で出演し、情感豊かに語る姿に観客から大きな拍手が送られました。
竹本住大夫さんの大阪での公演は今月27日まで行われ、引退公演となる東京での公演は来月10日から26日まで行われることになっています。
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