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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

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1231よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/17(日) 14:04:51 ID:nvfKujBc0
重文住宅所蔵の人形 初公開 吹田
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130317-OYT8T00091.htm

 吹田市内本町の重要文化財「旧西尾家住宅」に所蔵されている人形などを初めて公開する特別展「西尾家に伝わった人形たち」が16日、同住宅で始まった。4月7日まで。無料。

 明治時代に建てられた同住宅は2009年、国の重要文化財の指定を受けた。敷地内の蔵に納められていた人形などは非公開だったが、市立博物館の学芸員らが制作年代などを特定し、公開に踏み切った。明治中期から昭和初期にかけて作られた京都市の名高い人形師、四世大木平蔵が作ったひな人形や五月人形のほか、太刀などの器物計約50点が紹介されている。

 江戸時代に貝合わせの遊び道具として使われた2枚貝約50組も展示。貝の内側に金箔(きんぱく)や絵の具で平安時代の貴族の暮らしぶりが色鮮やかに描かれており、訪れた人々は顔を近づけるなどして、見入っていた。同市佐竹台、主婦湯川照子さん(65)は「貝の中の絵がすごくきれい。華やかな時代の様子が伝わる」と話していた。

(2013年3月17日 読売新聞)

1232よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/17(日) 14:13:07 ID:nvfKujBc0
特別展:「天下の城下町 大坂と江戸」 二つの城下町、対比させながら−−大阪歴博
毎日新聞 2013年03月14日 大阪夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130314ddf012040009000c.html

 特別展「天下の城下町 大坂と江戸」が、大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で開かれている。絵画や古文書、考古資料など約400点を通し、二つの城下町を対比させる試み。

 天下人による本格的な城下町は豊臣秀吉が造った大坂が最初で、徳川家康が征夷大将軍に就いた後は江戸へと移る。だが、大坂城は徳川幕府によって再興され、大坂の町は「天下の台所」として発展する……。そうした流れがつかめる。

 大坂は町人の町。徳川政権下の大坂城の普請でも、町人が諸大名を支えたことを記す古文書類も並ぶ。諸藩が米や特産物を売るために設けた邸宅・倉庫が蔵屋敷。発掘調査で出土したミニチュア土製品(像)の数々(江戸後期)も紹介している。布袋やサルなど多様。用途はよく分からないが、流通基地の意外な一面を浮かび上がらせる。

 25日まで(火曜休館)。同館(06・6946・5728)。【渡辺亮一】

1233よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/17(日) 14:24:50 ID:nvfKujBc0
「文楽 劇場に来て」百貨店でPR…大阪
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130317-OYO1T00220.htm?from=main3

 人形浄瑠璃文楽の演者らが16日、大阪市北区の阪急百貨店梅田本店で、大阪・国立文楽劇場の4月公演(6〜29日)をPRするミニ出張公演を行った。

 ホールなどを備えた〈劇場型百貨店〉をうたう同店が、文楽協会側に呼びかけて実現した。人形遣いの桐竹勘十郎さんら15人が、9階祝祭広場で名作「義経千本桜」の一場面を上演。店内を巡ってチラシも配り、同劇場への来場を呼びかけた。

 同劇場の入場者数に連動して、協会への補助金を増減する大阪市の新制度は、4月公演分からが対象となる。この日は2公演を延べ約1000人が観劇した。

(2013年3月17日 読売新聞)

1234よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/18(月) 20:51:00 ID:e99SF7m.0
境内に文化の薫り再び 御霊神社、多彩な催し好評
2013年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130318/20130318028.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれ、かつて境内に文楽の劇場が開かれたことで知られる大阪市中央区淡路町4丁目の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)。都心に広がる緑豊かな境内は日ごろから参拝者が絶えないが、近年では各種催しの会場としての利用が相次ぎ好評を得ている。文化の中心地としてとりわけにぎわった、かつての境内の風景を現代に再現しようと神職らが活用法に知恵を絞る。

 人形浄瑠璃の劇場「御霊文楽座」は1884(明治17)年に開設。1926(大正15)年の火災で焼失するまでの約40年間にわたり近世文楽の全盛期を彩った名所だ。跡地には神社創建1100年記念事業の一環として98年に儀式殿(約200人収容)が建った。「ゆかりの地で、にぎわいの歴史を受け継いで地域活性化に役立てたい」という園宮司の思いから、神事や結婚式と重ならない日に無料で貸し出している。

 これまでに能や雅楽、日本舞踊、落語、文楽といった格調高い伝統芸能が多数公演されており、場所柄「縁起がいい」「運がついた」と出演者にも好評。口コミで利用の申し出が増え、今後も多くの催しが予定されている。東日本大震災から2年目となった11日にはライア(竪(たて)琴)の歌姫として知られるマリアスさんらが境内を訪れ「水の神 瀬織津姫に捧ぐ平和への祈りの響きと舞」を奉納した。

 園宮司は「もともと神社は人々のよりどころだった。疎遠になった人と人を結びつけるのも神社の務め」と尽力し、総合的な地域のにぎわい再興に期待を寄せる。

 5月24日には境内でハイクオリティーな手作り雑貨のブースが多数並ぶ市場「グランデマルクト」の開催も予定されている。

 問い合わせは電話06(6231)5041、同神社へ。

1235よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/18(月) 22:50:11 ID:e99SF7m.0
五穀豊穣、産業繁栄 住吉大社「神米」お供え
2013年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130318/20130318031.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で17日、五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る「祈年祭」が執り行われ、参列者が玉串をささげるなどした。

 「としごいのみまもり」とも言われ、重要な大祭の一つ。境内にある御田で前年に収穫した神米の種をお供えし、1年間の豊穣を祈願する。この種は御田植神事の苗になる。

 真弓宮司が祝詞の奏上を行った後、御田講の山本英夫さん(86)らが代表して玉串を奉納。巫女(みこ)による神楽(神降・熊野舞)がささげられ、参列者とともに、居合わせた参拝者も興味深そうに見入っていた。

 山本さんは「きょうは暖かくいい天気でよかった。(御田は)今はレンゲがきれいに咲いている」と、6月の御田植神事を楽しみにしている様子だった。

1236名無しさん:2013/03/19(火) 02:01:47 ID:g4vavN2Q0
「泉布観」3年ぶり一般公開 ふるさと納税活用
2013年3月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130317/20130317030.html

 大阪市は、国重要文化財(重文)の洋風建造物「泉布観(せんぷかん)」(北区天満橋1丁目)の補修工事を終え、29〜31日の3日間、3年ぶりに一般公開する。4月12日からは同エリアの旧桜宮公会堂が結婚式場やレストランとして利用開始。泉布観の南側には「桜の通り抜け」でおなじみの造幣局もあり、春本番を前に、関係者は大阪の新しいにぎわいスポットとして期待を寄せている。
国重要文化財に指定されている泉布観(大阪市提供)

 泉布観は、造幣局の応接所として1871(明治4)年に建築。れんが造りでベランダを建物全体にめぐらすなど、幕末から明治期の日本の洋風建築の特色を色濃く残し、1956(昭和31)年に国重文に指定された。

 施設の老朽化に伴う工事のため、一般公開は2010年3月で一時中断。工事費の1億500万円はふるさと納税を活用した寄付によって全額賄い、屋根瓦や外観塗装、外観補修やライトアップ設備を整えた。

 旧桜宮公会堂は市民の寄付などにより明治天皇記念館として1935(昭和10)年に建築。正面玄関部分が国重文に指定されており、市立図書館やギャラリーとして活用されてきた。

 リニューアル後はブライダル業者のノバレーゼが管理。1階にレストラン、2階に式場を配し、レストラン部分は結婚式がない平日は一般も利用可能になるという。

 橋下徹市長は「多くの方々から多額の寄付を頂き本当にありがたい。水都大阪の象徴的な拠点になると思う」と話していた。

 泉布観の一般公開は午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。観覧無料

1237よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/19(火) 05:35:13 ID:G/zsG6zE0
箕面を訪れた有名人 足跡紹介する企画展 市立郷土資料館 大阪
2013.3.19 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130319/osk13031902000000-n1.htm

 箕面市を訪れた有名人の足跡を書物などの資料とともに紹介する企画展「大阪の奥座敷みのお〜訪れた有名人たち〜」が、同市箕面の市立郷土資料館で開かれている。5月13日まで。

 会場では、明治時代の首相、桂太郎が訪れた際に書いた掛け軸や、かつて箕面公園内にあり作家の夏目漱石も訪れた保養施設「朝日閣」の看板など約30点を展示。少年時代に箕面山に昆虫採集に訪れていた漫画家の手塚治虫ゆかりの資料なども展示されている。同館は「箕面は古くからの観光地。展示を見て魅力を再発見してほしい」としている。

 開館は午前10時〜午後5時。木曜休館。入場無料。問い合わせは同館((電)072・723・2235)。

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1239よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/20(水) 20:51:12 ID:Fp/3mRvc0
江戸時代のペーパークラフト 「茶室起こし絵図展」
2013年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130319/20130319054.html

 「重要文化財 中井家伝来 茶室起こし絵図展〜江戸時代のペーパークラフト〜」が大阪市北区天神橋6丁目の大阪くらしの今昔館で始まっている。茶室の起こし絵図を通じて茶の湯の文化の変遷がたどれる。4月7日まで。

 起こし絵図は、実測して作った平面図の上に厚手の紙を張り合わせて作った寺社や茶室などの立体模型。観賞用として、大名や天台座主といった僧侶らの依頼で作られていたと考えられている。

 中井家は、大坂城の建築などに携わった江戸時代の大工頭。小堀遠州や古田織部など茶人からの書簡や茶伝書から、茶人と交流を深めていたことが分かる。

 会場では、重文「大工頭中井家関係資料」に含まれる約20点の起こし絵図と80点の関係資料を展示し、茶湯の文化の変遷をわび茶の祖村田珠光の時代から起こし絵図とともに紹介している。実際の寸法で再現したセットもあり、天井や屋根の仕様、間取りなど起こし絵図に詳しく記されたメモが観察できる。

 茶室のなかには、災害などにより焼失したものや現存していても改修、改築により姿を変えたものもあり、担当学芸員は起こし絵図の資料的価値について「オリジナルの姿が知れる貴重な資料」と説明している。

1240よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/20(水) 21:07:44 ID:Fp/3mRvc0
“新”寺院を提言 光聖寺住職の秋田光哉さん
2013年3月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130320/20130320036.html

 光聖寺(天王寺区生玉寺町2)の住職で蓮美幼児学園(同)の園長、秋田光哉さん(52)が新書判「社会事業による寺院の再生−MBA僧侶の挑戦」を出版した。「宗教儀式だけが僧侶の仕事ではない」と言う秋田さんが、自身が経営する蓮美幼児学園での経験を基に、新たな寺院の社会事業のシミュレーションを提言している。

 秋田さんは1988年、檀(だん)信徒も少ない、尼僧が守っていた光聖寺に縁あって入り、94年に住職に就任。「社会貢献できる寺院にしたい」との熱い思いから、「蓮美幼児学園」を設立。現在は関西や東京で乳幼児教室や東京都認証保育所を運営。2005年には光聖寺が母体となり、認可保育所を大阪と東京で運営している。乳幼児教育施設は“関西のカリスマ保育園”として知られ、乳幼児を預ける保護者から信頼を寄せられている。

 本書は宗教法人の社会事業のあり方をより深めたいと、秋田さんが07年4月に立命館大大学院経営管理研究科に入学し、経営修士(MBA)を取得した修士論文を書籍化した。

 書籍では檀家の減少、信心の低下、葬儀や墓地の多様化、寺院経営の困難さを著した第一章「寺院を取り巻く現状」から「宗教法人(寺院)の会計と優遇税制」「大阪・生玉 光聖寺の再興計画」「社会事業への目覚め」「寺院の社会事業のケーススタディ」「新たな寺院の社会事業のシミュレーション」−の六章で構成。自ら社会事業で寺院再生を実践した事例を紹介し、いかに社会と結びつき、就労支援、福祉葬儀、福祉墓地、子育て支援、地域社会へのサービスなど社会貢献ができるのか、その事業が自主自立の精神で継続できるかを綴(つづ)っている。

 秋田さんは「経済的に自立し頑張ってやろうと、今日まで歩んできた。広く公益となるであろうさまざまな社会事業も、宗教法人の取り組むべきことがらだと強く思っている」と話している。

 発行は中外日報社、新書判208ページ、945円(税込み)。

1241よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/20(水) 21:13:02 ID:Fp/3mRvc0
浪華紙魚百景 

大商大商業史博だより

満津里俄貮篇
2013年3月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130320/20130320046.html

歌舞伎を題材の「にわか」

 先日から4月の文楽の公演ポスターを最寄りの駅や大阪の地下鉄の駅中で見掛ける。夜の部は『心中天網島』の通しが楽しみだが、昼の演目のうちの一つに歌舞伎の演目としても人気の『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』が入っている。

 乳母・政岡がわが子を犠牲に若君を毒殺から救う「御殿の場」は、彼女の息子千松が殺される衝撃的な場面はもちろん、政岡が若君と息子に食べさせる「まま」を御殿で自ら、しかも茶の湯の作法で料理する場面は、「腹が減ってもひもじうない」という千松のセリフとともに見せ場の一つ。こういう動作をしっとり見せるところに文楽や歌舞伎の良さがあり、それが緊迫した場面を盛り上げる。

 文楽公演に合わせて、今回は第20回で紹介した江戸時代のコントの一種「俄(にわか)」を集めた『満津里俄(まつりにわか)』から「政岡」を題材にした「習うに慣れ」を紹介しよう。

 「習うに慣れ」は、もちろん「習うより慣れ」が正しい。「あらたまって習うより、自然になれる方が効果がある。学んで覚えられないこともなれれば自然に知ることができる」と日本国語大辞典にある。「習うに慣れ」とは、逆に「自然に知るより習いなさい」ということになろうか。

 こちらの政岡は、鶴千代(文楽では鶴喜代)を守るため御殿でご飯を炊きながらぼやくのだ。給金は安いし、第一、1人や2人の場合は茶道具でお米を炊けても、大勢の場合は「政岡のままにあわん」。ここに「マサカのマにあわん」とルビが振られており、これがオチで、「まさかの間に合わない」と、損益が釣り合わない意味の「間尺に合わない」の両方が掛けられている。

 たくさんのご飯を普通に炊くのでは政岡の「まま」に合わないが、題の「習うに慣れ」とどうつながるねん。間尺に合わん。なるようになれ、だ。

 そういえば、以前に坂田藤十郎の政岡を見たのだが、その日は用事で開演時間に遅れてしまった。劇場に入った途端、内掛けの褄(つま)を両手でしっかり持ってすっくと立った赤い着物の藤十郎ににらみつけられた。そんな私には、烈女の政岡より、給金が安いとぼやくこちらの政岡の方がしっくりくる。

 とはいえ、今年の文楽公演も千客万来でありますよう。いやさかいやさか。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

1242よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/24(日) 20:07:16 ID:zrcSVFCI0
鋳物の歴史学ぼう あす、堺で映画など上映
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130323-OYT8T00170.htm

 堺市美原区の市立みはら歴史博物館で24日午後1時から、鋳物の歴史を学ぶイベント「鋳界(ちゅうかい)まんだら」が開かれる。参加無料。

 同区は、平安時代末期から室町時代に全国に鋳造技術を広めたとされる河内鋳物師(かわちいもじ)ゆかりの地。同区の広国神社に合祀(ごうし)されている鋳物師の氏神・鍋宮大明神の奉賛会学術部と、地域の歴史を研究する美原若松会が主催する。

 鋳造業の歴史と魅力、現状に迫ったドキュメンタリー映画「時を鋳込(いこ)む」(広島県鋳物工業協同組合製作、2011年)と、東大阪市の鋳物工場が登場するTVドキュメンタリー作品を上映する。

 同奉賛会と美原若松会の会長を務める光田榮宏(よしひろ)さん(84)(美原区大保)は「美原区と鋳物の関係を学び、故郷の魅力を再発見するきっかけにしてほしい」と話している。

 定員100人。問い合わせは光田さん(072・361・1350)へ。

(2013年3月23日 読売新聞)

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1244よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/26(火) 05:45:19 ID:i6mE1PjA0
明治の気風 香る天井画 30日、枚方で一般公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130325-OYT8T00080.htm

 明治から昭和にかけて府民らに親しまれた文化・娯楽施設「府立大阪博物場」(大阪市中央区)の中央館を飾った巨大天井画が30日、移設先の関西医科大教養部大講堂(枚方市)で一般公開される。巨大な龍と鳳凰(ほうおう)が鮮やかな色彩で描かれており、当時の大阪の活気を伝えている。(梶多恵子)

 府立大阪博物場に詳しい橋爪節也・大阪大教授(日本美術史)や関西医科大などによると、同博物場は1884年に開設され、中央館はその中心に、88年に建設された。大阪で最初の本格的な美術館で、府内初の洋画展が開かれた。

 天井画は中央館の象徴として飾られた。縦約15メートル、横約6メートルの巨大な楕円(だえん)形で、雄たけびを発する龍と、悠然と舞う2羽の鳳凰が描かれている。周りの壁面には、天馬や花鳥、十二支などの絵画22枚(各約3メートル四方)が配置された。日本画家、上田耕冲(こうちゅう)(1819〜1911年)を中心に、当時大阪で活躍していた画家らが、法隆寺の献納品や正倉院の宝物の図柄などを参考に完成させた。

 中央館では様々な展覧会が催され、多くの人でにぎわったが、建物の老朽化で1937年に取り壊された。その際、府などの計らいで、関西医科大教養部の前身・大阪女子高等医学専門学校(枚方市)が天井画と22枚の絵を譲り受け、天井画は大講堂に設置された。

 昭和戦争の混乱で美術史研究家の間で忘れ去られたが、97年に枚方市で開催された市制50周年記念の企画展をきっかけに、再評価されるようになったという。橋爪教授は「荘厳な天井画を見ていると、産業化に向かって勢いづく明治時代の大阪の意気込みを感じる。文化財としてはもちろん、歴史的資料としても価値がある」と話している。

          ◇

 天井画の一般公開は30日午前10時から正午まで。橋爪教授が説明する。無料。事前申し込みが必要。希望者は、枚方市生涯学習課(050・7102・3206)へ。

 ◆府立大阪博物場 勧業を目的に、大阪市中央区本町橋の初代府庁(幕末の西町奉行所、約9600平方メートル)を改修して1875年に設けられた博物場が前身で、84年に開設された。博物館や美術館のほか、大阪市天王寺動物園の前身となる動物檻(かん)など、様々な施設が整備された。

(2013年3月25日 読売新聞)

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1259よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/29(金) 21:05:27 ID:d6.0Cf520
文楽人形もお祝い 竹本座跡に案内パネル
2013年3月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130328/20130328027.html

 江戸時代に隆盛を極めた大阪・道頓堀の人形浄瑠璃劇場「竹本座」の跡地に27日、同座の由来などを紹介したパネルが設置された。除幕式には文楽座の吉田和生さん、桐竹勘十郎さんが人形と共に参加し、山村流家元の山村若さん、OSK日本歌劇団トップスターの桜花昇ぼるさんらと共に史跡観光スポットの誕生を祝った。

 同座は竹本義太夫が1684年に創設。座付き作家に近松門左衛門を迎え、1767年まで人形浄瑠璃の拠点として親しまれていた。来月20日に道頓堀ゼロゲートとして新たに誕生するビルの建て替え工事に伴い、上方文化再生実行委員会(今井徹会長)がこれまでポツンと建っていた竹本座跡の碑とともに2枚のパネルを設置して史跡観光スポットとして整備した。

 除幕は「伽羅先代萩」の政岡と「心中天網島」の小春の人形を遣って行われ、集まった観光客らの記念撮影に応じた。今井会長は「パネルをお披露目でき文化再生の第一歩になった。これからもミナミの人間が誇れる街にしていきたい」と話していた。

1260名無しさん:2013/03/30(土) 05:22:20 ID:J4nD8NLc0
本当は国立文楽劇場は道頓堀に移した方が
いいと思うんだけどな。

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1264よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/31(日) 20:21:26 ID:Dk7uSl/A0
最古の国道1400年で活性化 近鉄に記念列車
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20130330-OYT8T01619.htm

◆沿道12自治体が宣言

 日本最古の国道とされる「竹内街道・横大路」が整備されて1400年を迎えたのを記念し、沿線の県と大阪府の12自治体で作る実行委員会は30日、明日香村の近鉄飛鳥駅前で、街道のPRなどを推進するプロジェクトの共同宣言をした。

 竹内街道・横大路は、「日本書紀」に613年、推古天皇が整備したと記される「大道」のルートと重なり、節目の年に向け、沿線自治体が昨年2月、実行委を設置。この日、大阪府太子町の「たいしくん」らご当地キャラクター10体が同乗した記念列車が、近鉄大阪阿部野橋駅を出発し、到着した飛鳥駅前で、実行委副会長の山下和弥・葛城市長が「『古代の道からまちづくり』を共通理念として、ともに地域の活性化を推進する」と共同宣言した。

 その後、乗客ら約150人が、同村の石舞台古墳や高松塚古墳など約4キロを歩いて巡った。

 今後、沿線各地で様々な行事を行うといい、実行委会長の浅野克己・太子町長は「沿線地域の魅力を再発掘し、地域活性化につなげたい」と話した。

(2013年3月31日 読売新聞)

1265よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/31(日) 20:27:35 ID:Dk7uSl/A0
【昭和おおさか写真館】
大事件見守った“東洋一の警察署” 「曽根崎警察署」
2013.3.31 15:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033115010023-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033115010023-n2.htm

 曽根崎警察署の3代目庁舎で勤務した経験がある現役警察官はいない。

 そこで、昭和51年3月〜53年3月、直轄警ら隊隊長として曽根崎署で勤務した元大阪府警総務部長の高橋強さん(65)に話を聞いた。高橋さんは53年3月に発行した開設100周年記念誌「治安を守る 風雪100年の歩み 曽根崎警察署」の編集委員の一人だった。

 45年4月に警察官になった高橋さんによると、「かすかに覚えている」という3代目の思い出は取り壊し直前の姿だったという。

 記念誌によると、曽根崎署は明治10年10月、人員38人(平成24年現在約370人)で開設された。3代目庁舎が完成したのは昭和4年5月で、鉄筋コンクリート5階建て(高さ19・08メートル)の「スクラッチクリンカータイル張り」。斬新な外観と構造は当時としては珍しく、“東洋一の警察”といわれ、見物人が後を絶たなかったという。

 その3代目も37年ごろから、地盤沈下や地下街建設の影響で庁舎全体が北西に1・5度も傾いた。その後、業務に支障が出るとして建て替えが決まった。仮庁舎への移転は45年10月で、48年5月に今の4代目が完成した。

 4〜45年という3代目庁舎の時期には、曽根崎署管内でさまざまな出来事があった。陸軍と警察の対立から発生した8年の「ゴーストップ事件」や45年の「天六ガス爆発」。中でも大きな出来事の一つだったと高橋さんがあげるのが36年10月21日発生の「池永巡査殉職事件」だった。

 〈夜、パチンコ店から「指名手配犯(殺人未遂)の男が店に来ている」と連絡を受け、派出所の池永利春巡査が出動。御堂筋で男と格闘となり、刃渡り26センチの短刀で胸と腹に重傷を負った。池永巡査はそれでも逃げる男を追跡したが、待ち伏せの男に体当たりで左胸を刺された。池永巡査は拳銃を1発発射して気力をふりしぼり男の体に組み付いたが、左胸の致命傷のためその場に崩れ落ちた〉

 この事件には後日談があると高橋さんはいう。

 「当時、池永巡査には2人の子供がいた。ともに男の子だった。そして、その後、2人とも府警の警察官になった。1人はまだ現役の警察官。さらに、お孫さんも府警の女性刑事として頑張っている」

 悲しい事件に隠された、心を熱くしてくれる話だ。(野瀬吉信)

1266よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/31(日) 20:30:55 ID:Dk7uSl/A0
【昭和おおさか写真館】
こども汽車、ゴーカートが走る 浜寺公園の「交通遊園」 
2013.3.31 19:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033119000027-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033119000027-n2.htm

 子供たちが待ち構えるホームに「祝開通」のヘッドマークを付け、モールで飾った車両が入ってきている。笑顔で手を振る子供たちから、ワクワクする気持ちが伝わってくるようだ。

 堺、高石両市に広がる浜寺公園の一角に昭和40年、子供が交通ルールなどを学ぶ施設「交通遊園」がオープンした。オープンの少し後、ディーゼルカーが牽引(けんいん)するこども汽車「もず号」が交通遊園の目玉として走り始めた。

 「人口40万人程度の都市をモデルに、約2万平方メートルに理想的な都市づくりをした」「交通とはどんなものであるかをみて、遊びながら交通道徳を身につけるようにした」

 交通遊園について、当時のパンフレットにはこう記されている。敷地を市街地と郊外に分け、高層ビルや工場などの模型を配置、ゴーカートの高速道路を走らせミニチュア都市とした。街路には信号や踏切が設置され、交通体験ができた。

 東京ではオリンピックが開催され、大阪では万博が控えていた。高度成長期のただ中で、郊外も開発が進み、車の需要も急増した。交通死亡事故が多発していたことが開設の背景にあったという。

 もず号は、アイボリーと明るい赤色のツートンカラーの3両編成。新幹線のような流線形のデザインで、子供たちの人気を集めた。

 交通遊園を運営する大阪府公園協会の左官宣郎・交通遊園園長(48)は「線路もホームも本物に似せ、子供向けのサイズで作られていた。自分たちが主役の汽車の存在は、子供たちにとってうれしかったのではないか」と話す。

 左官さんも幼いころのもず号を覚えている。「身近だった南海電車の角張った車両に比べてスマートで格好良く見えた。万博で見たモノレールに似てると感じました」

 もず号は昭和57年、老朽化で引退する。後継には明治時代の機関車をモデルにした「浪花号」が登場した。現在も園内を走り、浜寺公園のシンボルになっている。公園協会ではミニチュアを作って商品化する計画も進めているという。

 せっかくなので乗ってみた。休日の車内は家族連れでいっぱいだった。最近は子供のころに乗った30、40代が自分の子供を連れて遊びにきているという。世代を超えて思い出を共有できる場所だと思った。(中井美樹)

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1268よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/03(水) 00:21:14 ID:ntwc9MT20
大阪勧進相撲発祥の地・南堀江で「ふれあい相撲」−ちゃんこ鍋も
http://namba.keizai.biz/headline/2502/

 大阪・南堀江公園(大阪市西区南堀江2)のグラウンドで3月31日、「高台ふれあい相撲」が行われた。

 イベントが行われた高台(たかきや)地区は、大阪勧進相撲の発祥の地といわれ、地元関係者らが約340年ぶりに土俵に上がる力士の勇姿を復活させようと企画した。

 グラウンドには、簡易土俵が設置され、地元の日吉小学校4〜6年生の児童が参加しトーナメントによる取り組みや、二子山部屋の元力士が所属する間口相撲クラブによる模範相撲や技の実演、ユーモアを交えて行われるパフォーマンス「初っ切り」などが行われた。会場では高台特製ちゃんこ鍋(100円)も振る舞われた。

 相撲大会の参加者らは「力士の筋肉がすごかった」「迫力があった」「また参加したい」などと感想を話す。高台ふれあい相撲実行委員会の堂前裕一さんは「伝統を伝えて、街の活性化につなげたい。今後も恒例化していきたい」と話す。

1269よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/07(日) 07:44:37 ID:tEjgI0g60
竹本義太夫300回忌追善公演 墓石、供養塔など修復資金募る 大阪
2013.4.6 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130406/osk13040602020002-n1.htm

 義太夫節の創始者で竹本座の創立者、竹本義太夫の300回忌を追善する勧進特別公演が5日、大阪市中央区日本橋の国立文楽劇場で行われた。同市天王寺区にある義太夫の墓石や供養塔の修復資金を募る目的で開催され、会場では、技芸員らが募金を呼びかけ、人形と記念写真が撮影できるコーナーが人気を呼んだ。

1270よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/07(日) 07:50:25 ID:tEjgI0g60
昭和初期 躍動する「なにわ」 大阪城天守閣で行事・祭礼の古写真展
2013.4.5 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130405/osk13040502010000-n1.htm

 昭和初期に大阪で撮影された古写真を集めた「古写真にみる なにわの行事・祭礼」が大阪市中央区の大阪城天守閣で開かれている。祭りや行事などの写真が展示されており、学芸員の宮本裕次さんは「約80年前の躍動する人々の姿を楽しんでいただければ」と話している。5月6日まで。

 古写真は、上方文化研究者の故・南木芳太郎さんが、明治から昭和にかけて急速に変わる町や人々の姿を撮影したり記録として収集したりしたもの。今回は約900点の写真コレクションの中から、約100点を展示している。

 大阪市住吉区の住吉大社「御田植神事」や、天王寺区の愛染堂勝鬘(しょうまん)院「愛染祭」、大東市の慈眼寺(野崎観音)「野崎まいり」など。昭和5〜10年頃の大阪を代表する祭りや行事を通じて、当時の町の様子や人々の姿が写真に生き生きと収められている。

 かつて大阪市北区にあった運河「天満堀川」でぎっしりと人を乗せた船がひしめき合う天神祭の一コマや、農作業の休暇に普段酷使している牛を花などで飾り、自由にさせてねぎらう「牛の藪入り」など珍しい情景に、訪れた人たちは興味深そうに見入っていた。

 宮本さんは「昔を懐かしむだけでなく、当時と現代との違いや共通点、人々の気持ちの高ぶりなどを感じてほしい」と話している。

 問い合わせは大阪城天守閣((電)06・6941・3044)。

1271よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/07(日) 21:00:47 ID:o08IYbWo0
閻魔地蔵など19件、文化財に 大阪市教委が指定
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201304060130.html

 【尾崎文康】大阪市教委は5日、市内を流れる川の清らかさを伝えた石碑「青湾(せいわん)碑」(都島区)や、地元住民から長年奉られている「閻魔(えんま)地蔵」(住吉区)など19件を新たに市文化財に指定した。

 市教委によると、大川沿いの毛馬桜之宮公園内にある「青湾碑」は、この地域のきれいな水をたたえて約150年前に建立された碑で、当時は地元の水で大規模な煎茶会も開かれていたという。また「閻魔地蔵」は約500年前に作られたとみられ、閻魔の姿をしているのに地蔵として熱心に信仰されてきた「全国的にも極めて珍しい」(担当者)石仏という。

 市指定文化財は「大阪の歴史や文化を理解するうえで欠かせない文化財」との趣旨で1999年度に始まり、今回の指定で計192件となった。

1272よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/09(火) 00:09:43 ID:wjjNnjrc0
現役で国内最古の木造園舎 愛珠幼稚園を一般公開
2013年4月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130408/20130408022.html

 大阪市は、国重要文化財(重文)の幼稚園「大阪市立愛珠幼稚園」(大阪市中央区)を20日、一般公開する。築112年にもかかわらず、今なお現役の国内最古の木造建築の幼稚園。当時の保育士らの意見を基に造られており、子育てへの配慮が随所に見られる。

 同園は、1880(明治13)年、北浜で創立。その後、1901(同34)年に保育士らの要望を基に園舎が設計され、現在の場所に建てられた。

 建築面積は770平方メートル。園舎のうち、遊戯室と玄関部分は2階建て。遊戯室を囲むように階段が配置されているほか、敷地は瓦ぶきの高い塀に覆われ、中の様子を見ることができないつくりになっている。

 遊戯室は壁面上部に窓を設け、採光と通気性を高めているほか、庭は廊下と同じ高さになるように盛り土をして園児のけがを防止する対策が講じられている。

 当日は、学芸員による解説のほか、100年以上前に設置したイルムラーピアノ(ドイツ・イルムラー社製)の演奏会も行われる。

 同園舎の一般公開は2007年6月の重文指定の翌年から、毎年、春と秋の2回開いている。

 問い合わせは電話06(6208)9030、市教委文化財保護担当へ。

1273よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/09(火) 00:10:51 ID:wjjNnjrc0
舞い散る桜めで 高津宮で琴やオカリナ演奏
2013年4月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130408/20130408023.html

 大阪市中央区の高津宮(小谷真功宮司)で7日、「高津宮桜まつりイベント」が開かれ、桜の舞い散る中、集まった人たちが琴やオカリナの演奏、紙芝居のパフォーマンスなどを楽しんだ。

 今年で16回目となる恒例行事で、小谷宮司が「神さまと人、人と人との仲とりもちというつもりでいつも取り組んでいます」とあいさつした。

 絵馬殿で行われた琴の演奏会では、市立南高の笋曲(そうきょく)部の卒業生と在校生が「さくら協奏曲」や「世界に一つだけの花」などを披露。時折強風の吹く中でも、息の合った演奏に、観客から大きな拍手が送られた。オカリナ演奏はオカリナグループ・アンサンブル土土呂(ととろ)が、紙芝居のパフォーマンスは劇団・シアターOM(オム)が担当し、同宮と縁があったり、地元で活動する団体がイベントを盛り上げた。親子3人で参加した中央区在住の女性は「子どもがオカリナに興味を持ったようで良かった」と満足した様子だった。

 境内では、呈茶でお菓子とお茶を楽しんだり、フリーマーケットで買い物をしたりする人も見られた。

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1282よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/11(木) 06:26:44 ID:ByBiw33g0
「文楽みにきてニャ!」 文楽劇場と大阪市交通局がタイアップPR
2013.4.10 17:14 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130410/wlf13041017160022-n1.htm

 大阪市交通局の「エンジョイエコカード」の提携先に4月から加わった国立文楽劇場(大阪市中央区)に9日、同局のキャラクター「にゃんばろう」が訪れ、観客に「エンジョイエコカードを使って文楽を見に来てにゃ!」と呼びかけた。

 エンジョイエコカードは市営地下鉄や市バスなどが乗り放題になる1日乗車券(大人は平日800円、土日曜・祝日600円)で、提示すると観光施設などの入場料割引などが受けられる。今月から国立文楽劇場も入場料割引の対象施設となった。

 「にゃんばろう」はこの日、2階楽屋入り口で、上演中の「新版歌祭文(しんばんうたざいもん)」に登場する「お染」と「久松」の人形と対面。1階エントランスロビーではチラシを配ったり、記念写真を撮ったりしてPRした。

1283よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/11(木) 06:28:03 ID:ByBiw33g0
適塾一新 展示3倍 洪庵の業績身近に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130410-OYT8T00111.htm

 江戸後期の蘭学(らんがく)者で医師の緒方洪庵(1810〜63)が開いた私塾「適塾」(大阪市中央区北浜)の展示が33年ぶりに一新された。精巧なレプリカを中心に展示物を従来の3倍以上に増やし、多くの人材を輩出した功績や、天然痘予防に力を尽くした姿をわかりやすく紹介している。管理する大阪大は「日本の近代化を進めた洪庵の人生や仕事を、より身近に感じられる展示になった」と来場を呼びかけている。(井口馨)

 大阪大によると、適塾は1964年に重要文化財に指定された木造2階建て。解体修理を終えた80年5月に公開されたが、展示パネルの文字が小さかったり、展示物が少なかったりして、十分に業績が伝わる内容ではなかったという。

 しかし、今年の洪庵の没後150年を機に、展示物を25点から約80点に拡充。学問に欠かせなかったオランダ語の辞書を塾生が書き写した文書や、洪庵が元塾生らに宛てた直筆の手紙などはこれまで展示が難しかったが、レプリカにすることで公開が可能になった。

 福沢諭吉や大村益次郎ら多士済々な塾生たちについては、新たに日本地図を添えたパネルを掲げ、出身地別に示している。

 洪庵らが1849年に天然痘の予防施設を設立し、種痘法を伝えようとした取り組みについては、「種痘に対して一般民衆の理解を得ることは容易ではなく、洪庵らの活動は困難を極めた」などと説明。洪庵が地方の医師にワクチンを与えた「分苗免状」(レプリカ)も添えている。

 大阪大適塾記念センターの廣川和花准教授(日本医学史)は「今後は建物の耐震化を進めるなどし、洪庵らの功績を大切に受け継いでいきたい」と話している。

 入館料一般250円、高校・大学生130円。問い合わせは、適塾(06・6231・1970)へ。

◆緒方洪庵 

 備中足守(岡山)の生まれ。若い頃、大阪や長崎で蘭学と医学を学ぶ。ドイツの医師フーフェランドが記した医学書のオランダ語版を翻訳した「扶氏経験遺訓」(30巻)は日本の医学の発展に貢献した。「病学通論」は日本初の病理学書として知られる。1838年に開いた適塾が、現在の場所に移転したのは45年。

(2013年4月10日 読売新聞)

1284よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/11(木) 23:37:59 ID:dl5Z5Ros0
大阪城公園に「ひょうたん時計」−大阪城東ロータリークラブ40周年で寄贈
2013年04月11日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1168/

 大阪城公園(大阪市中央区大阪城1)に3月29日、大阪城東ロータリークラブから寄贈された「ひょうたん時計」が設置された。

 「ロータリークラブ」はアメリカ発祥の団体で、世界各国・地域ごとにさまざまな業種の経営者らが会員となり「お互いの職業を通じてお互いを高め合い、社会に貢献する」ことを目的に活動する。1973(昭和48)年に創立した同クラブは、今年創立40年を迎えたことを受け「ロータリーとして広く地域に発信していこう」と今回の寄贈を決めた。

 15周年にも時計を寄贈している同クラブ。当時の時計が設置されていた大阪城ホール隣の噴水付近の同じ場所で「建て替え」を行った。「前回より少し大きくした」という時計の全長は5.5メートル。新たに大阪ゆかりの豊臣秀吉の馬印であるひょうたんを付け、「ロータリーのひょうたん時計」と名付けた。上部にはソーラーパネルを設置し、夜になると文字盤とひょうたん部分が光る仕組みにした。

 贈呈式では、城東区の細井敦子区長らが除幕、市立菫中学校の吹奏楽部による演奏も行われた。同クラブの大道一弘会長は「新たな待ち合わせスポットになれば」と期待を寄せる。

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1286よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/20(土) 00:51:31 ID:8sr0lAv60
維新先駆け天誅組参加 河内国の若者にスポット
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130418-OYT8T00109.htm

 明治維新の先駆けとされる幕末の尊攘急進派集団・天誅(てんちゅう)組の挙兵(1863年)から今年で150年にあたることから、ゆかりの地を訪ねる史跡ウオークが17日、河内長野市で行われた。天誅組は土佐藩出身の志士・吉村虎太郎らが有名だが、河内国から約20人が参加したことはほとんど知られていない。ウオークを主催した市は「河内の若者が新時代を切り開いた歴史にスポットを当てたい」として、秋にはシンポジウムも開く予定だ。(岡田英也)

 天誅組は孝明天皇の大和(奈良)行幸に合わせて倒幕を実現しようと、同年8月に約40人で京都を出発。大坂を経由して、現在の河内長野市を含む河内国南部に入り、庄屋の子息らが加勢。大和で武力蜂起した。

 河内国南部は後醍醐天皇を助けた楠木正成の生誕地で、勤王思想が根強かったとされる。同市内からは長野一郎や武林八郎、内田耕平ら9人が参加したが、多くは幕府軍の攻撃で命を落とした。

 日本史の元高校教諭で、天誅組を題材にした小説の筆者でもある芝田啓治市長は「天誅組が京都から直接大和に入らず、遠回りして河内国を経由したのは、人員や武器、軍資金を集めるのが目的だった」と見る。

 ウオークには、市内外の歴史ファン約30人が参加。市や同市郷土研究会のスタッフの案内で、天誅組が必勝祈願をした観心寺や同寺内にある正成の首塚、天誅組が宿泊した「油屋」跡など8キロを巡った。

 研究会の椋本進会長は観心寺で「実質的な挙兵の地と言え、菊の御紋が入った旗が掲げられた記録がある」と解説。コースを歩きながら、天誅組に住民が茶を振る舞ったエピソードを紹介した。

 参加した同市のデザイナー木之下純子さん(64)は「河内長野の人たちが天誅組を支えた歴史を詳しく知ることができた。思い半ばに亡くなった若者たちの心情がしのばれる」と話した。

 市は9月29日に幕末研究家らを招き天誅組のシンポジウムを開催する。天誅組の拠点となった奈良県五條市でも同15日に150年祭のイベントがあり、河内長野市も物産品を販売する。

◆天誅組 

 孝明天皇の大和行幸を前に、公卿・中山忠光を擁して大和五條(奈良県五條市)で挙兵。幕府の天領だった五條代官所を襲撃して「新政府」を名乗ったが、公武合体派による京都の政変(八月十八日の政変)で状況が一変。行幸は中止になり、幕府により奈良県東吉野村で討伐された。

(2013年4月18日 読売新聞)

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1288よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:16:37 ID:MbhsPmfo0
大阪・住吉大社で島津家の祖・忠久誕生祭
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20130420-OYT8T01089.htm

 旧薩摩藩主・島津家の祖で、源頼朝の庶子と伝えられる島津忠久の誕生記念祭が20日、忠久の「誕生石」がある大阪市の住吉大社で初めて行われた。島津家第32代当主で照国神社(鹿児島市)宮司の島津修久(のぶひさ)さん(75)が斎主を務め、住吉大社や島津家のほか、関西鹿児島県人会総連合会、地元団体などから計約100人が参列した。

 この日は忠久の月遅れの誕生日。誕生石の前で神事が行われ、島津家の「丸十紋」入りの提灯と、同大社の宝物で行方が分からなくなっている「島津忠久誕生図」の写し(鹿児島市の尚古集成館所蔵)が奉納された。神楽と巫女(みこ)の舞が披露され、薩摩琵琶の弾奏と示現流の演武もあった。

 忠久の出生を巡っては諸説あるが、住吉大社の神社由緒書などによると、頼朝の側室の丹後局(たんごのつぼね)が、正妻である北条政子の嫉妬を受けて西国に逃れる途中の建久元年(1190年)3月20日、同大社の境内で忠久を出産したとされる。大雨が身辺を清め、稲荷神が狐火(きつねび)をともして母子を守ったと伝えられ、吉兆とされる「島津雨」と島津家の稲荷信仰の由来となった。

 江戸時代、大社には歴代薩摩藩主が参勤交代の折に参詣し、将軍家に嫁いだ篤姫も詣でた。丹後局が出産時に力石にしたとされる誕生石は、安産の神様として今も参拝者が絶えない。

 修久さんは終了後、「(記念祭が)氏子の方々や関西の鹿児島県人会の方々の心のよりどころとして、いよいよ盛大に行われるようになることを念願します」とあいさつした。

 関係者は今後、記念祭を続けて鹿児島と関西のつながりを見直す契機にするとともに、経済イベントを連動させて両地域の交流促進につなげたい考えだ。

(2013年4月21日 読売新聞)

1289よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:30:06 ID:MbhsPmfo0
福島区 「野田藤」見頃 住民が再生
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130420-OYT8T00102.htm

 大阪市福島区の野田地区周辺で、住民がボランティアで育てた「野田藤」が見頃を迎えている。同地区は、江戸時代には花の名所として吉野の桜(奈良県)などと並び称されていたが、その後衰退。近年、住民らが再生に取り組み、今では多くの花が咲き誇っている。20日には春日神社(同区玉川)で「のだふじまつり」が行われる。(井口馨)

 「優雅ねえ」「房が立派だわ」。女性らがビルやマンションに挟まれた一角にある神社近くの藤棚に目を奪われ、周囲には甘い香りが漂う。

 手入れをする「のだふじの会」(今井啓貴会長)によると、神社周辺のほか、下福島公園など福島区内の約20か所に約140の藤棚があり、約170本のフジが見事な花を咲かせている。

 一帯はかつては湿地帯でフジが群生。貴族が花見に訪れ、1594年には豊臣秀吉もフジをめでながら茶を楽しんだと伝わる。

 しかし明治以降の都市化で減少。さらに昭和戦争の空襲で古木が焼けたことがもとで、1960年代後半にはほぼ姿を消した。その後新たに株を植えたがツルが伸び放題になり、花は次第にきれいには咲かなくなった。

 2006年、「往時のような立派なフジを復活させたい」と住民約360人が同会を結成。樹木医の指導を受けながら水やりや剪定(せんてい)を始め、今では垂れ下がる房が長さ約1メートルにもなるものも。

 メンバーの自動車部品販売業、森本秀明さん(63)は「ビルの谷間で日当たりはよくないので、成長の早いツルをこまめに切って光合成がしやすくなるように心がけている。どの木にも個性があり、育ち方はそれぞれ違う」と話す。

 ここ数年は、見頃になると約1万人が訪れるといい、神社の総代、藤三郎さん(73)は「一つでも多くの花を咲かせたいという住民の努力のたまもの」と笑みを浮かべる。

 来週末ぐらいまで楽しめそう。「のだふじまつり」は20日と27日に神社周辺で開かれ、メンバーがつくった「なにわ福島 のだふじの唄」が披露される予定。午前10時〜午後3時。問い合わせは同会事務局(06・6441・6449)。

(2013年4月20日 読売新聞)

1290よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:36:36 ID:MbhsPmfo0
ろうそくが描く幻想風景 太子・叡福寺で聖燈会
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130421-OYT8T00057.htm

 約1万本のろうそくをともす「太子聖燈会(しょうとうえ)」が20日、聖徳太子の墓・磯長御廟(しながごびょう)のある太子町の叡福寺で開かれた。21日も午後6〜9時に行われる。

 住民有志らでつくる「太子聖燈会の会」が主催。辺りが暗くなった午後6時30分頃から、御廟前に並べられたろうそくがともされ、太子の教えの「和」や空想上の鳥「鳳凰(ほうおう)」などが闇に浮かび上がった。この日は、今年が日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道」敷設から1400年を迎えるのにちなみ、松井知事から山下和弥・奈良県葛城市長に「燈火」の引き継ぎも。約1000人の参拝客が、幻想的な風景に引き込まれた。問い合わせは同会事務局(0721・98・5521)へ。

(2013年4月21日 読売新聞)

1291よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:46:42 ID:MbhsPmfo0
行基の功績を振り返る 吹田で特別展始まる
2013.4.21 10:29
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130421/wlf13042110300014-n1.htm

 奈良時代、大仏造営に尽力した僧、行基(ぎょうき)の功績と生涯を紹介する特別展「大僧正 行基展〜なぜ菩薩(ぼさつ)とよばれたか」が20日、大阪府吹田市岸部北の市立博物館で始まった。6月2日まで。

 同博物館によると、7〜8世紀に活躍した行基は「次田(吹田)の堀川」といわれる運河や、旅人のための救護・宿泊施設「垂氷(水)布施屋」を設けるなど吹田とも深い関わりがあった。各地に出かけ、民衆のためのインフラの整備に尽力したという。

 特別展では、国重文の「行基菩薩坐像」(鎌倉時代=奈良・唐招提寺蔵)など約60点を展示。初日の20日は、オープニングイベントとして中牧弘允(ひろちか)館長の講演や舞楽、古代の食体験などが行われた。

 期間中、ワークショップ「大仏さまのお面をつくろう」(27、28日)など多彩なイベントも行われる。問い合わせは同博物館((電)06・6338・5500)。

1292よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:48:07 ID:MbhsPmfo0
古民家で能楽囃子を堪能 吹田の「浜屋敷」
2013.4.21 10:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130421/wlf13042110540015-n1.htm

 古民家で伝統芸能の世界に浸る「能楽(のうがく)囃子(ばやし)の世界」が20日、大阪府吹田市の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で開かれた。

 面(おもて)や装束を着けて舞う本格的な能楽ではなく、笛、鼓の囃子と謡をバックに紋付き袴のシテ方がクライマックスシーンを舞う簡素な様式美を楽しむという趣向。今年は「能・人の世を寿(ことほ)ぐ祈り」をテーマに天女が優雅に舞う能「羽衣」など7曲が披露された。

 まず、天下太平、五穀豊穣(ほうじょう)、国土安穏を祈る能のルーツ「翁(おきな)」が演じられた。能の代表的な祝言(しゅうげん)曲「高砂(たかさご)」では森田流笛方、斉藤敦さんや大倉流小鼓方、上田敦史さんらの囃子と謡で観世流シテ方、山中雅志さんが「住吉明神」をリズミカルに舞うと客席から大きな拍手がわいた。

 同センターは、江戸時代の庄屋の屋敷を再利用した文化施設。台所の板間の障子をはずして舞台とし、5つのかまどがある土間にいすを並べて客席を整備しており、ファンたちは「質素な雰囲気で趣がありますね」と話していた。

1293よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:49:32 ID:MbhsPmfo0
現役バリバリ! バリアフリーも 重文の愛珠幼稚園が一般公開 大阪
2013.4.21 11:07
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130421/wlf13042111070016-n1.htm

 国内最古の“現役”幼稚園施設として知られる国重要文化財の大阪市立愛珠(あいしゅ)幼稚園(大阪市中央区)が20日、一般公開され、市民ら520人が訪れた。

 同幼稚園は明治13年に船場北部の連合町会が創立。現在の園舎は同34年に完成した。

 同園は、敷地のまわりを瓦ぶきの高塀で囲み、大名屋敷などに用いられる門を置くなど寺院を思わせる外観。遊戯室には高窓や格子状の天井、シャンデリアが設置されたほか、バリアフリー設計も採用。当時の最先端の西洋技術が取り入れられたという。

 現在、70人の園児が在籍。昭和6年に園庭に設置された「廻旋すべり台」も変わらず使用されている。

 一般公開のこの日は、遊戯室で明治42年に購入した独のグランドピアノ「イルムラーピアノ」やバイオリンの演奏が披露。山口加津子園長(58)は「建物だけでなく、子供たちが今もここで教育を受けていることを知ってもらえたら」と話していた。

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1295よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/24(水) 21:22:11 ID:U01tGM860
「巨大古墳の世紀」に迫る 奈良・大阪中心に51遺跡 橿考研付属博物館
2013.4.24 14:33
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130424/wlf13042414340017-n1.htm

 奈良、大阪両府県内で5世紀に築かれた遺跡の出土品などから、当時の政治実態を探る特別展「5世紀のヤマト−まほろばの世界」が、橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で開かれている。両府県を中心に51遺跡の埴輪(はにわ)や鉄剣などの出土品約940点を展示している。6月16日まで。

 大阪平野南部の百舌鳥(もず)・古市古墳群などで、墳丘の長さが200メートルを超える巨大な前方後円墳が次々と築かれ、「巨大古墳の世紀」と呼ばれた5世紀をテーマに、その実像に迫るのが狙い。

 応神天皇陵とされる誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市)近くの狼塚(おおかみづか)古墳で出土した珍しい導水施設形埴輪のほか、死者の魂を運ぶ葬送儀式で用いられたとされる、津堂城山古墳(同府藤井寺市)や巣山古墳(広陵町)の水鳥形埴輪などを展示。

 両府県内の遺跡で見つかった5世紀の有力豪族出現を示す大型の木製扉や刀装具なども紹介している。

 入館有料。月曜休館。問い合わせは、同館((電)0744・24・1185)。

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1297よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/26(金) 02:38:24 ID:p7BvKF9A0
四天王寺 盛り上げろ 地元若者がグループ結成
2013年4月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130425/20130425023.html

 和紙を使った体験や物販を通じて四天王寺かいわいを盛り上げようと、地元出身の若者たちが、参道沿いに会場を設け、月に1度イベントを開いている。町ぐるみの活動になるよう、さらなる発展を目指している。

 活動しているのは、天王寺中の同窓生で、建築やイラストなどに携わる5人。参道に訪れる人が年々減っていると感じ、にぎわいに一役買おうと昨年夏に、グループ「そら−四天王寺は謡う−」を結成し活動を始めた。

 イベントは「お大師さん」の名で親しまれる毎月21日の四天王寺の縁日に合わせて開催。メンバーの一人、和紙の卸売会社に勤める大上博行さん(26)の協力で和紙をそろえ、毎回、和紙と“何か”をかけ合わせたコラボ企画を実施している。過去には、和紙を活版印刷したり、参道沿いの商店主を写した写真を印刷したりした。

 20、21日は、近所の洋服屋の協力を得、和紙と“縫う”のコラボイベントを開催。和紙をミシン縫いして作ったトートバッグを展示し、小物入れ作りの体験会を開いた。

 活動開始から半年以上が過ぎ、なじみの顔が増えてきた。大上さんは「四天王寺に来るのが楽しくなったと言ってくれる70代の人もおり、手応えを感じている。和紙を、若者とお年寄りの交流のツールにし、いろんな人を巻き込んで面白い街をつくっていきたい」と話している。

 イベント情報はフェイスブック(https://www.facebook.com/shitennoji.sora)で発信している。

1298よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/26(金) 02:40:21 ID:p7BvKF9A0
「島熊山桜能」幽玄の美 大阪・豊中
2013.4.26 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130426/osk13042602000003-n1.htm

 豊中市緑丘の豊中不動尊で25日、新作の面を使った「島熊山桜能」が行われ、約200人のファンが幽玄の世界にひたった。

 不動尊近くにある島熊山(116メートル)で旅人が険しい山道に苦労した様子を詠んだ歌が万葉集にあり、歌碑が不動尊境内に立っている。桜能は山の歴史、風情をしのぼうと6年前から開かれている。

 本堂前に能舞台が特設され、観世流シテ方、山本博通らが、平家の武将で笛の名手といわれた平清経(たいらの・きよつね)とその死を嘆く妻の葛藤を描く能「清経」を舞った。

 清経と妻の面は昨夏に不動尊で開かれた能面祭での優秀作品が使用された。また、大蔵流狂言方、善竹忠重らの狂言「蚊相撲」も同様で、口をとがらせたユーモラスな表情が観客の笑いを誘っていた。

1299よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/29(月) 00:42:42 ID:kr41MsKo0
大阪・御堂筋:1000人がパレード 親鸞関連行事
毎日新聞 2013年04月28日 20時13分(最終更新 04月28日 20時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20130429k0000m040045000c.html

 大阪市中央区の北御堂(みどう)(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)間の御堂筋約600メートルを結ぶ約1000人のパレードが28日、約30年ぶりに復活した。南御堂であった浄土真宗の開祖、親鸞の750回忌の関連行事。両御堂は御堂筋の名前の由来でもある。

 大谷派、本願寺派両派系列の高校から幼稚園まで約10校の児童生徒ら約500人がブラスバンドの演奏に合わせて行進。先頭では南御堂のキャラクター、ブットンくんがオープンカーに乗り、法要をアピールした。僧侶が法要前に同ルートを歩く「参堂列」の行列も続き、約500人が雅楽を伴奏にしずしずと歩いた。

 このパレードは、両御堂共催の「御堂まつり」の一環として1965年に始まり、資金などの問題で82年に中断。翌年、このパレードをちょうど引き継ぐような形で、大阪の風物詩、御堂筋パレード(2007年まで)が始まった。

 11月には北御堂主催のパレードもある。南御堂の実質的責任者、五辻(いつつじ)信行輪番(59)は「北御堂と協力して、御堂筋と両御堂の歴史などを広く市民にアピールしていきたい」と話した。【鈴木英生】

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1300よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/29(月) 00:56:05 ID:kr41MsKo0
大坂夏の陣「道明寺合戦」 チャンバラ参加者集え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130428-OYT8T00017.htm

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から2年後で400年を迎えるのを前に、藤井寺市の商店主らが、同市道明寺であった「道明寺合戦」のPRに力を入れている。歴史ファンに人気のある真田幸村(豊臣軍)と伊達政宗(徳川軍)が戦ったが、知名度が低いためで、5月3日には「道明寺合戦まつり」を開く。

 市内の商店主らでつくる道明寺まちづくり協議会や、阪南大、市などが昨年8月、実行委を組織。400年に合わせた企画を練り、11月に古戦場を巡るウオークなどを実施した。

 第2弾のイベントとなる同まつりでは、大人や子ども約200人が真田軍と伊達軍に分かれてチャンバラ合戦を展開。参加者は腕に紙風船を付け、おもちゃの刀で風船を割られると討ち取られたことになり、生き残った人数で勝敗を決める。参加費500円が必要で、当日参加できる。

 さらに阪南大国際観光学部の来村多加史(きたむらたかし)教授らが合戦をテーマにしたトークショーを開催。NPO法人「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」(吹田市)や大阪芸術大忍術研究会(河南町)は居合などを披露する。

 今後は400年となる15年に向け、年に1、2回、イベントを企画する予定。同協議会専務理事で、かまぼこ店経営の篠田朋宏さん(50)は「様々な企画を実現して、歴史の舞台としての道明寺を広く知ってもらい、地域おこしにつなげたい」と話す。

 同まつりは午前10時〜午後8時。チャンバラ合戦は午後2時からで直前まで受け付ける。問い合わせは、平日に同市商工観光課(0729・391・1111)へ。

◆道明寺合戦 

 大坂夏の陣の戦いの一つで、1615年5月6日、藤井寺市道明寺周辺の石川河川敷などであった。伊達政宗ら圧倒的多数の徳川軍に対し、真田幸村ら豊臣軍も果敢に応戦したが、天王寺方面に撤退。その後、大坂城が落城した。

(2013年4月28日 読売新聞)

1301よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/30(火) 01:45:14 ID:uWAjRXIE0
僧侶ら千人練り歩く 親鸞750回御遠忌法要
2013年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130429/20130429036.html

 真宗大谷派・難波別院(南御堂)から浄土真宗本願寺派・津村別院(北御堂)まで御堂筋約600メートルのパレードが28日開かれ、両派の関係学校の生徒や門徒、僧侶ら約千人が練り歩いた。

 パレードは南御堂の主催で、宗祖親鸞の遺徳をしのび50年に一度執り行われる750回御遠忌(おんき)法要の一環として実施。北御堂の協力により、約30年ぶりの両派合同の行事となった。

 午前9時、真宗大谷派大阪教区の公式キャラクター「ブットンくん」が乗り込んだオープンカーを先頭に、パレードが北御堂からスタート。相愛中・高の吹奏楽部や大阪大谷中・高のバトントワリング部など学生らが行進を盛り上げた。

 同10時からは宗派の行事としての練り歩きが執り行われた。楽僧による笛の厳かな音色が響く中、稚児や門徒らに続き、赤色の傘の下を同宗派の大谷暢顯(ちょうけん)門首がゆっくりと進んだ。

 沿道から行列を見守っていた主婦(50)=京都市=は「先のことばかりに目を向けず、今日この一日を一生懸命、大切に生きようという気持ちを再認識した」と話していた。

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1303よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/03(金) 01:52:51 ID:p8LnLj1o0
荘厳「万部おねり」 大阪・大念仏寺で始まる
2013年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130502/20130502035.html

 25の菩薩(ぼさつ)たちが人々を極楽浄土に迎える様子を再現する法要「万部(まんぶ)おねり」が1日、大阪市平野区の大念仏寺で始まった。5日まで。

 正式名は阿弥陀(あみだ)経万部読誦(どくじゅ)・二十五菩薩聖聚来迎会(しょうじゅらいごうえ)。室町時代から始まった来迎の儀式と、江戸時代から行われる阿弥陀経一万部の読誦を合わせて執り行う。

 融通念仏宗総本山・大念仏寺最大の伝統行事で、大阪市の無形民俗文化財に指定される。

 金色の仮面などきらびやかな25の菩薩の姿をした僧らは、本堂の外側に設置された橋を練り歩き、本堂正面から入堂。かねの音や雅楽が鳴り響き、境内が荘厳な雰囲気に包まれる中、極楽浄土に往生する様子が表現された。

 二十五菩薩お練り供養は連日午後1時から行われる。

1304よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/03(金) 02:35:03 ID:p8LnLj1o0
「創立」祝い舞楽奉納 住吉大社で「卯之葉神事」
2013年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130502/20130502034.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で1日、住吉大神の鎮座を記念する祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が執り行われた。快晴の下、多くの関係者が神事に参列し、みやびやかな奉納舞楽などを見守った。

 第一本宮での本殿祭では祝詞奏上や奉仕者による献香、献茶がなされたのに続き、神前に卯の葉(ウツギ)の玉串がささげられた。この後、四天王寺、厳島神社とともに日本三大舞台として知られる境内の石舞台(重要文化財)で舞楽を奉納。天王寺楽所(がくそ)雅亮会の奉仕で、東西の楽舎から雅楽の音色が響く中、古式ゆかしい装束姿の舞人が次々と登場。舞楽の始まりに舞われる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ「桃李花(とうりか)」「綾切(あやきり)」などを繰り広げ、舞台前に集まった参拝者を魅了した。

 またこの日から境内南東にある「卯の花苑」で恒例の一般公開も始まり、来園者がタニウツギなど優美な花姿をカメラに収めていた。31日まで公開され見頃は中旬となる見通し。開園時間は午前10時〜午後4時。

1305よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/04(土) 20:40:52 ID:wCt4fX7Q0
幸村隊と政宗隊、激突 「道明寺合戦」追体験
2013年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130504/20130504021.html

 徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年を迎えるのを前に、人気の高い武将、真田幸村と伊達政宗が激突した道明寺合戦を追体験するイベントが3日、舞台となった大阪府藤井寺市内で開かれ、約300人がゲーム形式で“合戦”を繰り広げた。

 道明寺まちづくり協議会らでつくる実行委員会の主催。道明寺天満宮や石川河川敷を会場にさまざまなプログラムを展開した。河川敷で行ったゲーム形式の“合戦”では、約300人が豊臣側の真田軍と徳川側の伊達軍に分かれて参加。片腕に付けた風船を玩具の刀で割ると討ち取ったことになるルールで、子どもから大人まで楽しみながら迫力ある合戦の様子を再現していた。

 合戦について母親から教えられたという田中奨馬君(11)=同市=は「参加できてうれしかった」と喜んでいた。同協議会の森田剛浩会長は「400年の節目に向け、この地で合戦があったことを広め、町の魅力を高めていければ」と話していた。

1306よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/05(日) 07:28:36 ID:juV7tAo60
雨は降る降る古市で… 「竹内街道わらべ歌」1世紀ぶりに復活 5日に大阪・羽曳野で披露
2013.5.4 23:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130504/wlf13050423140021-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130504/wlf13050423140021-n2.htm

 飛鳥時代に整備され、日本最古の官道と呼ばれる「竹内(たけのうち)街道」が横切る大阪府羽曳野市で、大正期まで歌われていた「竹内街道わらべ歌」が約1世紀ぶりに復活。5日、同市で開かれる「第38回はびきの市民フェスティバル」で羽曳野少年少女合唱団が披露する。

 〈雨は降る降る古市で 傘を借る借る軽里で 馬に乗る乗る野々上で…〉

 手遊び歌の身ぶりで歌うわらべ歌には、羽曳野市から堺市にかけての街道沿いの地名が登場。街道の子供たちが歌っていたが、車道が整備されるにつれて忘れられていったという。

 復活へ動いたのは、同フェスティバル実行委の田仲基一さん(48)。今年が竹内街道の整備1400年となることから企画した。

 田仲さんの義理の母、立石雅子さん(71)が明治生まれの母からわらべ歌を教わっていたが、覚えていたのは冒頭部分だけ。実行委のメンバーと相談して情報を集めたところ、堺市西区の藤井一二三さん(87)が約15年前、歌詞を復元していたことが分かった。地元の高齢者から聞いたリズムと合わせ、羽曳野少年少女合唱団を指導する湊川和子さんが4月に復元させた。

 フェスティバルは市立峰塚公園(同市軽里)で開かれ、わらべ歌を披露する合唱団の公演は午前10時半。メンバーの芝田知里さん(17)は「自然に体が動く楽しい歌。覚えている人がいたら昔を懐かしんでほしい」と話している。

1307よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/06(月) 05:09:34 ID:6yEE2tfw0
勇壮「真田の赤備え」 志紀長吉神社で戦勝祈願祭
2013年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130505/20130505039.html

 大坂の陣で奮闘した信州上田の武将、真田幸村の威徳をたたえる行事「戦勝祈願祭」が4日、大阪市平野区長原2丁目の志紀長吉神社(鈴木理美宮司)であった。数多くの奉仕活動に取り組む大阪城甲冑(かっちゅう)隊をはじめ、長野県上田市から駆け付けた上田城甲冑隊のメンバーらが「真田の赤備え」で勇壮な行進や演武を繰り広げた。

 大坂夏の陣(1615年)の道明寺の合戦で伊達政宗軍と一戦交えた幸村が大坂城への帰路、同神社で戦勝祈願し軍旗などを奉納したことにちなんだ行事。

 約30人の甲冑隊は、多くの地域住民や歴史愛好家らが見守る中、ほら貝を響かせながら約200メートルの参道をゆっくりと行進。本殿前で軍旗奉納の様子を再現したほか、勇壮華麗な剣舞や試斬といった演武を披露した。地元から母親と訪れた柘植むつみさん(28)は「幸村公ゆかりの地とは知っていたが、歴史的な面でも興味がわいた」といい、境内の様子をカメラに収めていた。

1308よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/06(月) 20:16:09 ID:w/PIWQWg0
「適塾」展示品33年ぶり一新
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130506/4302101.html

福沢諭吉など数多くの人材を輩出した大阪・中央区の「適塾」の展示品が33年ぶりに一新され、日本の近代化を担った教育施設を知る史料60点が新たに展示されています。
福澤諭吉など日本の近代化に貢献した人材を輩出した大阪・中央区の「適塾」は今年創設者の緒方洪庵が亡くなって150年となることから、「適塾」を管理する大阪大学が33年ぶりに展示品を一新しました。
新たに展示された史料は60点に上り、このうち「適塾塾生等級別名簿」は1859年に在籍していた81人の塾生の名前をオランダ語の読解能力別にまとめたものです。
また、「頓宮篤弼宛緒方洪庵書状」は洪庵が、いまの岡山県で医師として活躍する門下生に病気の治療方法を書き記した手紙で、洪庵と弟子の交流が伺える貴重な史料です。
大阪大学適塾記念センターの廣川和花准教授は「緒方洪庵の人となり、多彩な人材を生んだ適塾の教育がわかりやすく展示されているので、多くの人に訪れていただきたい」と話しています。

05月06日 12時21分

1309よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/09(木) 05:23:27 ID:yNNOPxho0
わんぱく幸村 決戦にぎやか 天王寺でチャンバラ体験
2013年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130506/20130506082.html

 こどもの日の5日、大坂の陣(1614〜15年)で活躍した戦国武将・真田幸村にちなんだチャンバラなどの体験イベント「真田幸村 最後の決戦!!2013」が大阪市天王寺区の天王寺公園であった。参加した子どもたちは、おもちゃの刀を懸命に振り回しながら幸村顔負けの刀さばきを見せていた。

 14、15年が大阪の陣からちょうど400年に当たることから、同区が記念事業として企画した。

 園内のわんぱく広場では、子どもたちが日本殺陣道協会(西区)の指導を受けながら、敵役の同協会メンバーとの1対1の対決に挑戦。慣れない動きに戸惑いを見せながらも刀を数回ぶつけ合ってから相手の太刀筋をかわして思い切りよく腹に切り込んでいた。

 また水上ステージでは、天王寺区の水谷翔太区長が幸村に扮(ふん)したパフォーマンスショーを披露。抜いた刀をうまく鞘(さや)に収められず焦る姿に会場から笑いが起きていた。

 チャンバラをした近くに住む出水真輝ちゃん(5)は「ドキドキしたけどうまくできた。またやりたい」と息を弾ませていた。

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1316よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/13(月) 01:04:55 ID:e0Ckj1eg0
百舌鳥・古市古墳群の背景知る
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130511/4490051.html

世界文化遺産への登録を目指している百舌鳥・古市古墳群が、大阪に誕生するまでの背景を知ってもらおうと、古墳群が成立する前に作られたと見られる出土品を集めた展示会が大阪・河南町の博物館で開かれています。
堺市にある国内最大の前方後円墳、仁徳天皇陵とされる古墳などが並ぶ百舌鳥古墳群と、羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群は平成27年度の世界文化遺産登録を目指しています。
百舌鳥・古市古墳群は、いずれも4世紀後半以降に築かれたと見られていますが、府立近つ飛鳥博物館で開かれている展示会は、これらの古墳群が築かれるまでの歴史的背景を学んでもらおうと、古墳群が成立する前に作られたと見られる550の出土品を展示しています。
このうち、4世紀半ばに作られた「鰭付楕円筒埴輪」は、1.5メートルほどあり、百舌鳥・古市古墳群に大王の墓が築かれる前にも、大阪の地に一定の勢力を持った集団がいたことが裏付けられる資料だということです。
また、柏原市で出土された「歯車形碧玉製品」は、11個の突起物が珍しく、国の重要文化財に指定されています。
府立近つ飛鳥博物館の市村慎太郎統括学芸員は「百舌鳥・古市古墳群が成立する前の大阪南部が、当時、どういう地域だったのかを考えることができる貴重な物が展示されており、ぜひ見てもらいたい」と話しています。
この展示会は、来月30日まで開かれています

05月11日 12時20分

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1321よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/18(土) 05:06:55 ID:hUS4M8HE0
定説より200年以上前か 四天王寺の「宝蔵」再建
2013年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130517/20130517020.html

 境内が国指定史跡、鳥居や石舞台などの建築物が国の重要文化財に指定されている大阪市天王寺区の四天王寺で、境内に残る校倉造の「宝蔵」の遺構が、1812(文化9)年の再建時のものとされていた従来の認識から、約200年またはそれ以前にさかのぼる可能性が出てきた。

 再建時の年代は少なくとも豊臣秀吉、秀頼により再建された16世紀後半〜17世紀初頭以前。同寺所蔵の文書によると、従来通りに再建されてきたことは確実で、関係者は「極めて少ない双倉が残っているのは珍しく、貴重な遺構だ」と驚いている。解体修理に向けた事前調査の過程で分かった。

 「四天王寺式」と呼ばれる伽藍(がらん)配置を備える同寺は、593年の創建以来、16世紀後半には織田信長による焼き打ち、1614(慶長19)年には大坂冬の陣により焼け、1801(享和元)年には雷火で全焼するなど、戦災や自然災害による損壊と再建を繰り返してきた。しかし、宝蔵は境内の東端にあり、調査に携わる桜井敏雄元近畿大教授(工学博士)は「伽藍の端の端。焼け残る可能性は高い」とみている。

 宝蔵には聖徳太子ゆかりの宝物が収蔵されていることから、平安時代以降、天皇や上皇をはじめとする貴族がしばしば立ち寄ったとされ、通常は設けられることのない拝殿が備えられていたのはその証明だ。焼け残った要素として、倉への特別な意識があったという見方もある。

 建築技法に採用されている校倉造は、柱を用いずに木材を井型に組み合わせた様式だが、建物を支える12本の束柱について桜井元教授は「(上部で組み合わせる)校木に比べると決定的に古い」と話す。

 現在3間四方で残る宝蔵には過去に後方(東方向)へ伸びていた痕跡があり、建物が続いていたことを示している。本来は9間だが、3間の「仮宝蔵」として再建されたという記録が残っており、「江戸時代まで9間の双倉が残るというのは異例」(桜井元教授)だ。江戸時代に著された「新古建物間数書」によると、大坂冬の陣の際に「一部残さず焼けた」が、「この建物(宝蔵)は焼け残った」とある。建築様式は正倉院と同じで「摂津国四天王寺絵図」の図式が裏付けられた格好になる。

 焼けた形跡は解体してしまわないと分からないという。来年3月まで1年の解体修理で新たな事項が判明する可能性もあり、同寺管財課の山本修司課長は「しっかり調査し、後世に残していきたい」と話している。

1322よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/19(日) 02:42:03 ID:slkr89lY0
「住吉御文庫」すっきり 大阪、天日で蔵書を風通し
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201305170145.html

 【宮田裕介】住吉大社(大阪市住吉区)境内の「住吉御文庫(おぶんこ)」で蔵書を天日にさらし、風を通す「曝書(ばくしょ)」が17日あった。快晴で心地よい風が吹く中、法被姿の大阪出版協会のメンバーら30人が約1千冊を1冊ずつ虫干しした。

 御文庫は、1723(享保8)年に大坂、京都、江戸の本屋が発起人となり建立した。大阪最古の図書館ともいわれ、儒教や和歌など様々な種類の書籍が約5万冊保存されている。住吉大社の小出英詞権禰宜(ごんねぎ)(37)は「庶民がお金を出し合ってつくったことに意味があり、上方・町衆の心意気を感じる」と話す。

 参加したフリーアナウンサーの城井珠実さん(45)は「風を通して本が生き返ったような気がします」。出版社勤務の井沢伸吾さん(25)は「本の隙間に紙切れが挟まっていたり、読んだ跡があったり、どういう人がいたのだろうと想像しながら作業しました」と話した。

1323よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/19(日) 02:51:05 ID:slkr89lY0
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

住友銅吹所から太閤下水
2013年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/130517/20130517033.html

泉屋の繁栄と秀吉の功績

 今回は住友グループのルーツである泉屋の繁栄を垣間見るとともに、豊臣秀吉の時代に築かれた下水で現在も現役で使われている太閤(背割)下水などを巡るコースに参加した。この日はあいにくの雨模様となったが、すみよし歴史案内人の会のメンバーとして地元のガイドも務めている塚越圭子さん(66)と、西野林さん(69)に連れられ、傘を差して地下鉄鶴見緑地線「松屋町駅」を出発した。

 長堀通にほど近い場所にあるのが、住友銅吹所跡。江戸時代の日本は世界有数の銅の産地として知られ、塚越さんは「大坂は日本の3分の1の銅の生産量があった」と教えてくれた。その中でも住友グループのルーツの泉屋(住友家)は、最大規模を誇っていたとされる。現地には銅の精錬に使われていた小型の炉が展示されていた。

 同じ敷地内の一角にあるのが、元住友家本邸内ビリヤード場だ。1876年に銅吹所が廃止された後、敷地は住友家の邸宅となった。1879年には洋館やビリヤード場が建てられた。ビリヤード場は玄関がアーチ状で洋風の造りだが、屋根の部分は瓦ぶきという和と洋が混在しており、独立の建物のビリヤード場としては国内最古という。

 五月人形などが並ぶ松屋町筋商店街を歩き、一角にあるUHA味覚糖本社ビルに入る。ビルの2階には同社のサテライトショップがあり、ショップ前のロビーには、平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作した彫刻家・薮内佐斗司さんのオブジェがあり、こちらで一休み。

 その後、訪れたのは太閤(背割)下水の見学施設。豊臣秀吉の時代に築かれ420年以上たった今も、改良が加えられた約20キロが使われている。背割の名前は、道路に面した建物の背中に下水溝を掘ったことが由来とされ、今も残るうちの約7キロが将来にわたり保存が可能として大阪市の文化財に指定されている。

 コースの最後は南組惣会所跡。江戸時代の大坂は幕府から派遣された大坂町奉行のもとに北、南、天満の3組があり、総称として大坂三郷と呼ばれていたという。もっともある程度の自治が認められており、西野さんは「町人文化が発達していた」と当時の様子を解説してくれた。

 大阪検定を受けるための勉強にとコースに参加したという東成区の30代の男性会社員は太閤下水の存在に驚いた様子を見せ、「近所に住んでいても知らないことが多い」と話していた。

 ○…あいにくの雨だったが、塚越さんと西野さんの明るいガイドぶりで、傘を差しながらの2時間ほどのまち歩きを堪能した。コースの途中では6月に迫った大阪検定が話題に上ることも。まち歩きを楽しみながら試験対策にもなるのが、大阪あそ歩の魅力でもあるのを実感した。

1324よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/21(火) 00:56:31 ID:VmU308JI0
愛情包まれ お別れ 大阪天満宮で「人形祭」
2013年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130520/20130520018.html

 長年、愛情を注いできた人形を供養する「人形祭」が19日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。多くの人形やぬいぐるみが集められ、同宮の神職によって奉納された。

 府内では毎年秋に府人形問屋協同組合が四天王寺で人形供養を行っているが、「年に1度だけでは」と、節句人形を製作する20社で組織する関西節句人形工業協同組合が主催し、今年で3回目。

 境内には、午前9時の受け付け開始からひな人形をはじめ、フランス人形やこけしなどが寄せられた。同市東淀川区の平井起美代さん(70)は、幼い頃に祖母から贈られたひな人形から、親王以外の五人ばやしと三人官女の計13体を奉納。「私らの代で処分しなきゃと、春から少しずつ準備してきました。肩の荷が降りました」と穏やかな表情を見せていた。

 午後からは人形奉謝祭が行われ、神職らが玉串を奉納、祝詞をあげた。同組合の小出康雄理事長(70)は「作る以上、責任を持たなくてはいけない。今後もお役目を終えた人形たちの処分をお手伝いしていきたい」と話していた。

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1329よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/26(日) 23:08:40 ID:vrffU0KY0
北浜「住友ビル」保存へ…モダン建築の価値重視
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130525-OYO1T00614.htm?from=newslist

 三井住友銀行は、大正期に建設され、築90年近くになる大阪本店ビル(大阪市中央区)を建て替えず、保存することを決めた。大規模な改修工事にあたって、建て替え案も浮上していたが、歴史的な価値が高い建物を守るべきだと判断した。外観はそのままに内側に耐震板を設けるなどして耐震性向上を図る。

 大阪本店ビルは、関西の金融の中心地である北浜にある。地上6階、地下1階の建物は、延べ床面積約3万4000平方メートルで、重厚感にあふれる。住友財閥の本拠地として、当時の建築技術の粋を集め、1926年(大正15年)に完成。大阪市民には「住友ビルディング」として親しまれてきた。

 クリーム色の外壁は、美しく仕上げるため、古墳時代の石棺にも使われた兵庫県西部産の竜山石(たつやまいし)を粉砕してから張りつけている。現在では高価すぎて再現できない工法という。店内には、精巧な彫刻が施されたギリシャ建築様式の12メートルの柱が立つ。

 戦後の一時期は、建物の一部が、連合国軍総司令部(GHQ)の拠点になったことでも知られる。文化財には指定されていないが、建築家や研究者らが見学に訪れることもある。

 耐震性の向上やスペースの有効利用などを図るため、5年ほど前から、約50年ぶりとなる大規模な改修工事の検討が始まった。建て替える案や、東京・銀座の歌舞伎座のように後方に高層ビルを建てる案なども議論されたが、歴史的価値の高い建物をそのまま残すべきだという意見が多かった。

 95年の阪神大震災でも損傷せず、現在の建築基準に照らしても十分な強度があることがわかり、建て替えはしないという結論になった。同行の中田久義管理部長は「当時の危機管理意識の高さに驚かされた」と話している。

 今回の改修工事は、大災害があっても建物内で仕事が続けられるようにするためのものだ。内側から柱の間に板を渡し、耐震性をさらに高めるほか、川の氾濫に備えて高さ1・2メートルの防潮板を造ることにした。工事は今月から始め、2015年4月までに終える予定だ。近代建築に詳しい京都工芸繊維大の石田潤一郎教授は「モダンで洗練された大傑作で、次代に残すことは社会的意義がある」と評価している。

(2013年5月25日 読売新聞)


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