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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
754
:
幸せな名無しさん
:2026/01/23(金) 14:15:17 ID:UzpWJZDA0
要するに自分と結ばれない限り相手も幸せになれないということなので、今は相手は自分のことは興味なさそうですが、いつか結ばれることを信じて待ちたいと思います
755
:
幸せな名無しさん
:2026/01/23(金) 16:40:59 ID:2h/d23sI0
反応ありがとうございます。えーと、そうだけど、そうじゃない感じです。
今ちょっとあれこれ書き込みが出来ないタイミングなので、また書きますが
お相手への期待は全て手放してください。
756
:
幸せな名無しさん
:2026/01/23(金) 16:47:31 ID:2h/d23sI0
あと、書き込み読んだらがっかりしてしまうかもです。ごめんなさい。
757
:
り改め りょうせい
:2026/01/23(金) 19:50:39 ID:c2uh3NRA0
>>743
お久しぶりです。(返信遅れて申し訳ないです。)なるほど。お気持ちお察しします。
限られた情報の中でのお話にはなりますが、
私なりにあなたの今の状況に対して思うところを書いてみます。
恋愛成就のためのアプローチは、状況やタイミング、相手の気分などの影響も大きく、
これをすれば必ずうまくいくという絶対的な正解を知ることはできません。運や流れの要素が強い分野です。
なので具体的なアプローチ方法やテクニック論よりも、前提となる心構えの部分についてお話しします。必要なところだけ参考にして拾ってください。
まず一つ目は、人の魅力は、緊張や恐れが強いときよりも、リラックス時に発揮されるということです。落ち着いているときのあなたの方が、良いコミュニケーションが発揮されます。
なので、相手にアプローチをする際、
不安が強い状態のときなら、まず一度落ち着きましょう。冷静さを取り戻してから対処することを少しだけ心がけてください。
二つ目は、何をするにしても自信が大切だという点です。
ただしここで言う自信とは、記憶や結果、過去の経験に基づくものではなく、
理由のない、根拠のない自信のことです。
原因や結果の「判断に縛られない自信」です。
ここで、意識についての話になりますが、
この不思議な自信の源は、
「本当の自己は、今起きている心の混乱や迷いとは無関係に、いつでも静かに存在している」
という事実にあります。
簡単に言えば、どれだけ傷ついたり恐れを感じていても、あなたの存在そのものは、無傷のまま在り続けているということです。
この感覚を少しずつ信頼していくことが、
結果的に心の安定につながります。
そしてそれが、真剣だけれどどこか遊び心を持って取り組める活動になるのか、
それとも、失敗が許されない焦燥感に追い立てられる活動になるのか、その違いに大きく影響を与えます。
三つ目。
恋愛において、人が相手を追いかけるとき、
そこには達成感やコントロール感を求める心の動きがあります。それ自体が悪いわけではありませんが、なぜ、達成感やコントロール感に過度に振り回されるとしんどいのか?
それは、達成感の追求は「未達成の記憶」によって支えられているし、コントロール感の追求は「思い通りにならなかった記憶・無力感の記憶」によって支えられているからです。
その構造に気づいておくと、必要以上に自分を責めずに済むかもしれません。
また、人生で起こる出来事は、最初の印象と、後から振り返った意味が一致しないことが多いです。たとえば、最初はつらく感じたけれど、時間が経ってみると、「あの経験があったから今があるな」と思えるものもあります。
逆に、最初は嬉しかったり楽しかったのに、
あとから振り返ると、実は苦しみの始まりだったと気づくものもあります。
そして中には、始まりから終わりまで、
どうしても苦しさとして体験され続ける出来事もあります。あなたの今の状況がどれに近いのか、正解を出そうとせず、静かに見つめてみてください。
それと大切な点として、執着が強くても弱くても、うまくいくときはうまくいき、いかないときはいきません。「休止/活動」含めて起こることが、起こります。
だからこそ、今の「諦めきれないけれど、これ以上嫌われたくない」という矛盾した感情を、無理に消そうとしないでください。
掴めば掴むほど、苦しくなるからです。
心というものは「掴もうとすると」苦しくなり、「与えようとすると」喜びや軽さを感じやすいものです。それでも、心の動きをコントロールすることはそもそも誰にもできないし、
また、本当は「心」はあなたではなく、
心の矛盾や揺れを生み続ける仕組みを可能にしている背景の「何か」こそが、あなたです。
あと最後に一番大切なことは、恋愛の過程は、成功か失敗かの判定のためだけにあるのではなく、さまざまな感情や自分の内側を広く深く知るための体験でもある、という点です。
光と闇、喜びと恐れ、期待と不安、涙と笑い。
結合と離別、友好と対立。
この全面性、トータル的な体験を含めて「恋愛や愛の運動」です。なので、今のあなたのその体験自体に、すでに価値も意味もあります。
結果を絶対視せず、すべての恋愛活動を「学びや気づきのある一つのプロセス」として、少し距離を取って眺めてみてください。
あなたにとってふさわしい流れや良き展開が起きることをお祈りします。
758
:
り改め りょうせい
:2026/01/24(土) 01:08:30 ID:OyEL3Buo0
>>744
745
お久しぶりです。ありがとうございます。
>私はつい頭を使いがちなので〜
あなたの言うとおり、たしかに直接理解が鍵ですが、直接理解が起きる前、また起きてからも含めて「熟考」の期間も大切なプロセスです。
ナイフと同じで、思考やマインドも使い方次第です。
受動的な思考は個人を悩ますこともありますが、
能動的な思考は個人を悩みから救うために役立ちます。
また、真我探求において、真我に向かうためのあらゆる努力や、活動、苦しみはどれも進歩のために繋がっていきます。
なので、探究者の「静まり⇔騒ぎだし」この繰り返しの螺旋上昇↑の道こそ、目覚めの道です。
>いつも、真ん中〜そこから外に出ると、やっぱり不足が目についてしまい、その引っ張りっこでずっと停滞しています。
そのしんどさは理解できます。それでも進んでいってください。笑
ドラゴンボールで亀仙人が悟空に重たい亀の甲羅を背負ったまま生活する修行をさせた話があります。そしてあるとき、「外していいよ。ちょっとジャンプしてごらん?」と言われて飛んでみたら、いつのまにかめちゃくちゃ高く飛べるようになっている。
あなたは10年くらい膠着と言いましたが、
その10年に一切の無駄もありませんよ。
(私なんかもっと長く膠着しましたからw)
>「在る」というのはつまり「在ると思っている私はいない」に気づいている状態ということですよね。
そうですね。「在ると思っている」
この「思い」自体が、「在る」という母体があるからこそ発出できるわけですね。
「私はいない」について言えば、
「想像された個人の私」は当然、想像の中にしかいませんが「想像」も、「私」「僕」「俺」などの第一人称も、どちらも「在る」という母体があるから発出できるわけですね。
>「私」がいないまま、稼いだり交流したり、その行動のための意図や何かを持つ、ということがよくわかりません。
世界を見てください。あらゆる者が、
あらゆることを思い、表現し、動いているように見えます。稼いだり、交流したり、意図や願望を持ち、
「私!」と言うことさえ起こっています。
・・「私」がいないまま。笑
そのため、マーヤ(幻想劇)は奇跡だと言われているんです。
>「ただ起きてくる」から、意図も特に持たないまま、目の前のことをしているだけの状態なのでしょうか。
10秒だけ時間を下さい。
私が「ストップ!」と言ったら、
10秒だけ、完全にすべてを停止させてください。石や木のように。
さあ、「ストップ!」
・・・・・
ほら、「起きてくるでしょう?」w
意図や計画を持つ/持たない
活動/非活動
目の前のことをする/しない
つまり、意識の中では、なんであれ、あらゆることが起きてしまうんです。
>りょうせいさんご自身の、その②の状態のときの感覚をお聞きしたいです。
②の状態を描写するとこんな感じです。
あなたは眠っていて、夢を見ています。
夢の中では、それが夢だとは分かりません。
人物も世界も、すべてが現実として成立しています。やがて、ふと目が覚めます。
ただし、完全には覚醒していません。
まだ少しまどろんでいて、半分は目覚め、半分は夢の余韻の中にいます。これが真我探究の一瞥体験や気づきの深まりの過程です。
その状態で、あるとき突然アラームが鳴ります。
驚いて飛び起きた瞬間、完全に目が覚めます。
そのとき、どうなるでしょうか。
さっきまで確かに存在していたはずの
夢の人物や世界は、一瞬で現実性を失い、跡形もなく消え去ります。それと同じです。
完全に目覚めた状態では、世界や個がどれほど動いて見えても、それらは夢のように扱われます。そして、その目覚めそのものが=真我です。
世界が動いても、身体が動き、活動が起こっていても、真我はそのことさえ知らず真我のまま
何も変わりません。
これが、言うなれば「世俗の活動をしながら、真我にとどまる者」です。
759
:
り改め りょうせい
:2026/01/24(土) 02:10:06 ID:OyEL3Buo0
>>746
こちらこそ。それは良かったです♪
>気質…一人でも長時間過ごせるタイプなのでちょっと危険ですね。
1と2の「世俗放棄する/世俗活動する」の話は、期間や時期によって交互に起こりますが、
どちらにせよ、どのみち個人の「本当の強い欲望」の種は、いずれは爆発して具現化し、体験されるものです。
そして最終的には、1と2はどちらも一つに統合されていきます。なので、仙人モードが起きてしまっても、再び自然に活動モードになると思いますよ。
それと、「無欲のすすめ」や「執着は良くない」などの教えは、どちらかというと生き方論・精神論の話です。
「平和に生きるための心の知恵の話」として、
あまり欲望や結果に執着せず行動した方が、
比較的、傾向として心静かに平和に過ごせるよ、在るにとどまるためにも、たしかに有利にはなるよ、という観点の話です。
もちろん、探究者にとって良い方向の成熟の結果ではありますが、真理探究の観点で大切なのは、「いつでも変わらないものとは何か?」です。
ですが、逆説的に自己知識が深まると、
なぜ無欲や無執着が出てきやすくなるのかというと、あらゆるすべては、真相的には同価値の自己愛の表現だからです。
結局、どれも同価値だと、深いところでだんだん事実として分かってくると、必死になんとしてでも!というモチベーション自体が、成立しづらくなってくるわけですね。
あなたの内側で、それが浸透してきているのでしょう。そのため、自然な欲求を、自然に満たしていく、という感覚が増えてくるかもしれませんが、たとえ強い欲が止まらなくても、ダメというわけではありません。
無欲さや無執着に、とらわれすぎなくて大丈夫です。これも結果論ですし、これを目指すべき、という話ではありません。
自然と、はからずとも、そうなっていく、という点がすべてにおいての重要ポイントです。笑
>ところで昨日〜
>同時に、本当は何も起きていないことを見ました。
お、いいですね。
そうなんです。究極的には、一切何も起きていません。笑
>『「エゴに一気に引き戻された」って書いたけど〜(この感覚、先月から度々繰り返しています。)
ナイスです。
繰り返しに見えて、変容しています。
>2は、承認やコントロール欲求などから解放された状態で世俗の活動を行うことかなと思いました。
先ほど言ったように、
究極的には、一切何も起きていないので、
承認欲求やコントロール欲求だけでなく、
真のあなたは、あらゆることから解放されています。
ですが同時に、パラドックス的に、
意識の中では、あらゆることが起こり得ます。
承認欲求やコントロール欲求も、可能性として全然起こり得ます。
ただし、起きたとしても、それは「私のもの」ではないと見抜かれます。
そのスピードが、自己知識が深まるにつれて、
早くなっていくわけです。
言葉で言うとややこしいですが、笑
「私の」承認欲求や「私の」コントロール欲求ではないので、もし起こっても、
誰のものでもないがゆえに、次の瞬間に手放される、あるいは、その手放されるスピードが早まる、ということが自然に起こります。
ただ、起きなくてもかまいません。真相的には同価値です。
簡単に言えば、解放された状態で世俗の活動を行うとは、行為者なく、行為が起きる。
体験者なく、体験が起こる。
そんな感じですね。
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