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悟りスレ
76
:
隣のぽち
:2013/02/07(木) 22:59:45 ID:bZ8eBAjI0
そもそも悟り
ってなんすか?
77
:
隣のぽち
:2013/02/09(土) 22:46:25 ID:uFC7z2xI0
色即是空
空即是色
色かたちあるもな心が投影したもの
空とは心
ホログラムを表している
78
:
幸せな名無しさん
:2013/02/11(月) 20:41:46 ID:ytCpRqpg0
あれ、75削除されてる。
やっぱりいまここの阿部敏郎の信者が結構いるんだね。
騙されているのにね。
詐欺商法の邪魔をするなということやね。
インチキ瞑想
79
:
幸せな名無しさん
:2013/06/08(土) 22:16:01 ID:47MW6FnA0
悟りたい
頑張ってどうにかなるもんじゃないのはわかってるけど
悟りたいよー
80
:
ワカン
:2013/06/08(土) 22:22:53 ID:FBsUx2twO
悟りとは何か
今ここで具体的に教える
悟りとは他の人間とあなたが元々は同じ同一の存在であったことに気付くことである
それに気付くことにより人は業を作らなくなりやがて地球を卒業できる
81
:
ワカン
:2013/06/08(土) 22:40:07 ID:FBsUx2twO
始まりの時、人は男女に分かれたとある
これを具体的に言いかえれば
人間が現在のように別々の肉体に宿るようになる以前には男も女もなかった
言い換えれば
霊には自分、他人という区別が無かった
人間が現在のように自他を区別しだしたのは肉体に宿るようになってからのことである
この自他の区別がエゴを生み償却しなければならない業を作る
あなた方は業の法則によって地球に縛られている
だから何度も転生を繰り返さねばならないのである
あなた方は樹に生える葉のような存在である
また海に起こる波のような存在である
別々に見えて元々は同じ一つの存在なのである
82
:
幸せな名無しさん
:2013/06/08(土) 22:51:48 ID:FBsUx2twO
人は深い意識下で繋がっていると言われる
それは事実である
ある人間が経験し知っていることは深い意識下では他の誰もが知っている
より正確に言うならば
あらゆる場所で様々な経験をするために魂というものは分割されているのである
あなた方の本質は意識である
この肉体における意識、つまり顕在意識はやがて消え去る
しかし肉体意識が活動を停止すると
夢を見る深い意識が動き出すように
より深い意識は滅びることなく活動を続ける
あなた方は言うまでもなく元々は神の一部である
不滅の友となるべく分割され創造された永遠の存在なのである
83
:
幸せな名無しさん
:2013/06/08(土) 23:03:09 ID:47MW6FnA0
ワカンさん
ありがとうございます
万物は意識のレベルでつながっていることを、実感として知ることができるようになりたいです…
84
:
幸せな名無しさん
:2013/06/08(土) 23:10:27 ID:FBsUx2twO
人はどこから来てどこへ行くのか
この問いにも当然答えがある
人は死後どこへ行くか?
何のために?
具体的に言えば
別の次元に行くのである
その理由は地上で言われる才能と呼ばれるものを得るためである
この太陽系だけでいくつもの次元が存在している
人はそこから才能や素質と呼ばれるものを得て
またこの地上に戻ってくるのである
では地球を卒業した魂はどこへ向かうのか?
別の星系である
人は地球を卒業した後
アークツルスを通り北極星へと向かう
それとは別の場所へ向かうことも可能である
また地球に戻ることも可能である
85
:
幸せな名無しさん
:2013/06/11(火) 14:13:05 ID:r8rtSCBsO
答えは自らの内に存在している
自分自身の問いの答えは内なる神の中に在る
86
:
幸せな名無しさん
:2013/09/13(金) 21:53:47 ID:utm5tdMo0
先人のみなさんは、悟った時に何を感じましたか?
自分は「火の鳥鳳凰編」で主人公が悟りを開いた時に大笑いして、周囲から狂ったと思われてるシーンをどーしてもイメージしてしまいます。
私は悟りとは程遠いですが、それほど喜びが大きいんだろうなぁと思ってしまいます
87
:
幸せな名無しさん
:2013/12/25(水) 09:47:51 ID:Dac3FZgIO
これ悟ったことになる?
願望が叶う時って、その願望に対して恐怖も期待もない
いわゆる無の状態だよね。
願望と逆のことが起きたとしても、いつ叶うのかも、平気で気にならない
そんな状態。
この状態だと自愛も出来てるね。
だって自分の怖がってること「怖いぞw」って認めて全部受け入れてんだもん。
ここの状態でいればどんなものも受け取れる。
受け取れないって感じる願望には恐怖か過剰な期待があるってことで、
願望と逆のことが起こった時のことを考えて
感じる恐怖を湧き出る度に「怖い」と認めて
「でもわたしは○○を望む。○○の素晴らしさを知ってるから」
みたく願望に合わせれば願望の叶う状態になるってこと?
プラス面もマイナス面も受け取ってゼロでいる。
つねにゼロでいれば特別な願望なんて持たないし(望んだ時には
既に受け取れる状態だから)
どんな出来事にも反応しない(負が起ころうとも既に受け入れてるし
叶うと知っているから)。
そんなことかなぁと。
あとは黙って実践してみます。
長々と失礼しました
88
:
幸せな名無しさん
:2013/12/25(水) 11:48:48 ID:mPxbppss0
悟りって、願望は勝手に実現するもので、今まで叶えようともがいて抵抗していただけだ、と気がつくことだと思っていた。
なんで願望が叶うかって、世界は自分から始まっていて、すべてつながっているから。
切り離された存在ではなかったと知ることが悟りだと思ってた。
89
:
幸せな名無しさん
:2013/12/25(水) 12:32:28 ID:Dac3FZgIO
以前からブッダとかイエスって引き寄せマスターだと思ってたから
彼等が語るところは全てこの「願わずとも何もかも叶う地点」のことかなって。
達人さんたちが教えてくれてるのもこの地点のことなのかな?って思って
じゃあ、願望が叶う状態の時って?と考えたら全てが繋がったというか。
いまはその先があることに気付いたから
悟ってなかった
>>87
はスルーしてください恥ずかしいw
90
:
幸せな名無しさん
:2013/12/26(木) 09:56:36 ID:cpBRoOHsO
お釈迦さまの教え潜在意識ちゃんねる置き換えバージョン。
読みたい人だけ読んでってください。
「自分が全て判断していることに気付け、そんで判断するな、自愛しろ、
道徳やら世間体で判断するな、恐れを知れば真実が見える、
物事の表も裏も受け入れれば対立はしない、
幸福で豊かに生きることを決意しなさい、
過去の苦しみを頭の中で再現するな、快なら続けろ、
願望を強く望むとその逆も強く掴んでいることに気付いて執着を手放せ、
心を静め思考を止めることを覚えろ(瞑想)、「いま」に意識を向けろ」
わたしの解釈だから違うと感じる個所があるのは当たり前ですよ。
「空」=全てのものはエネルギーであり、
エネルギーで満たされた中に自分もいる、は大前提です。
91
:
幸せな名無しさん
:2013/12/27(金) 17:21:05 ID:kcDAFECUO
悟りって苦がなくなるだけだ。
今まで生きてきて、親や学校、世間体や道徳、その他から身につけてしまった
判断基準の全てを捨てることだったんだ
92
:
幸せな名無しさん
:2013/12/31(火) 10:01:58 ID:KLSst19Q0
>>91
お釈迦様でいらっしゃいますか?
93
:
幸せな名無しさん
:2013/12/31(火) 11:28:24 ID:Dm3Kw3WkO
>>92
とんでもねぇ、あたしゃ神様だよ(志村)
94
:
幸せな名無しさん
:2013/12/31(火) 19:07:28 ID:Dm3Kw3WkO
ふざけてすみませんでした。
宗教で恋愛御法度なのは何でかなって思ってたけど
恋愛で悩んでる人たちのレスみてて気づいた。
他人(相手)や現実や諸々の思考に振り回されて
自分の内に意識がなかなか向かわないね。
向かっても維持するのが難しいようだし。
悟るなら自分の内に意識を向けなきゃならんから
それの邪魔になる恋愛を手っ取り早く禁止にしたんだろうな。
95
:
幸せな名無しさん
:2014/01/02(木) 03:09:03 ID:94EbPJdY0
>>94
おお、なるほど〜
さすが殿様!
96
:
幸せな名無しさん
:2014/01/02(木) 17:39:21 ID:wk6RX2YQO
他人の神(真理)を拝まずに
自分の神を拝みなさい。
自分の内に神を見つけなさい
97
:
幸せな名無しさん
:2014/01/03(金) 08:02:25 ID:YvWxTyc.O
白黒つけない、裁かない、自分の思いを押し付けない
喉の奥が詰まるような苦しい感じがする時は
相手や状況をコントロールしようとして押し付けになってないか確認。
この思いは自分のものだ、と認識。
98
:
幸せな名無しさん
:2014/01/04(土) 10:41:59 ID:sYdCjGCIO
悟ったと感じる瞬間は誰にでもある。
悟りに至った思考や意識が何モノにも動じないほど身についてなければ元に戻る。
99
:
幸せな名無しさん
:2014/01/06(月) 08:51:21 ID:bwXYx3lkO
お釈迦さまは「人生は苦である」とおっしゃいました。
「空」がエネルギーで愛や喜びのみの波動であるならば、
私達はあえて「苦しみ」を経験するためにいるのでしょう。
「源(ソース)」にいれば絶対に感じることの出来ない不快な感情、
それは肉体と思考がなければ経験出来ないからです。
これが理解出来れば不快な感情さえ、「今、生きている時のみ感じる」ことの出来る
貴重な経験として愛おしくなります。
そして不快な経験をしているにもかかわらず
「貴重な経験」として「味わい愛でる」ことが出来るので愛の波動を出すことが出来ます。
初めから「苦」などないとはこういうことかもしれませんね。
100
:
幸せな名無しさん
:2014/01/09(木) 12:19:31 ID:/V59SM3QO
恐怖心が刺激されるときは自分を守ろうとしてくれている。
「守ってくれてありがとう」
何に対して自分を守ろうとしたのかが分かれば無闇に恐がらなくなる
101
:
幸せな名無しさん
:2014/01/09(木) 16:18:10 ID:/V59SM3QO
何かを恐れる時は自分の内なる神と繋がり、対話しなさい。
102
:
幸せな名無しさん
:2014/01/11(土) 11:31:34 ID:56h2EFRQO
神に近付くためにいるのではない
もともと神であったと気づくためにいる
わたしたちは神と同じものなのだ
神と人は切り離された存在ではない
神とわたしたちは同一なのだから
103
:
幸せな名無しさん
:2014/01/11(土) 12:34:29 ID:56h2EFRQO
あなたの神は罰を与える神なのか?
何かをしないと願望を叶えてくれないような器の小さな神なのか?
自分の内の神を信頼しなさい
104
:
幸せな名無しさん
:2014/01/21(火) 08:29:36 ID:4rGr3J6sO
まずはあなたから救いなさい
あなたの世話はあなたにしか出来ない
あなたが満たされてから他人に手を差し延べなさい
自分が満たされずにいるのに犠牲にしてまで相手に与えるのは歪みが生じる
105
:
幸せな名無しさん
:2014/02/15(土) 07:57:50 ID:e031i3ggO
本当に世界には自分しかいなかったよ
他人って思考で分離してただけだった
全て自分に循環してるんだよ
106
:
ワンネス
:2014/03/03(月) 05:44:56 ID:gsrfZs/s0
大いなる一つであることを早く体感したい
瞑想して準備するしかないかな?
でもいくら瞑想しても、そのタイミングも結局、決まってるのかな?
107
:
幸せな名無しさん
:2014/03/03(月) 06:11:38 ID:LQ1kmXVw0
106
さぁ
取り敢えず 行動しよう
悟るのは
準備がととのったから
準備も整わないのに悟はずはないのです
悟りが目的ではないのです
悟りは 目的達成の後についてくるのです
108
:
幸せな名無しさん
:2014/03/03(月) 09:32:26 ID:7O9CdZZsO
>>106
大いなるひとつって、「あなたは地球の一部」というのと同じこと
今すでにその状況にあるけど、いつ「ああ、自分は地球に存在していて、地球の一部で、自分も地球だ」と気付くか?
それに気付いてどうするのか?
気付いても、気付かなくても、事実は変わらない
けど気持ちは変わるかな
気持ちを変えたいのかな?
109
:
幸せな名無しさん
:2014/03/03(月) 09:53:42 ID:7O9CdZZsO
>>1
には「お釈迦様」と「愛」を並べているけど、これは明らかにおかしい
なぜならお釈迦様は「愛」を欲と見て、煩悩のひとつに数えているから
お釈迦様をたとえに出すなら、「慈悲」だろう
110
:
ワンネス
:2014/03/05(水) 02:45:48 ID:/tBOqiWY0
>>107
いや、かれこれ10年くらい瞑想してるんだ。禅寺で座禅も。
>>108
体感したいんだ。覚者って人達が体感したっていう、絶対の安心やらなんやら。
生活が変わることは求めてない。今の自分に満足してる。
ただ、唯一、物心ついたころから死が怖い。無になるのが怖い。
無にならない、初めから生まれてもいない、死なないってのを頭じゃなく知りたいんだ。
111
:
幸せな名無しさん
:2014/03/05(水) 02:52:29 ID:XbZMPXdQ0
>>110
1日何分瞑想してるの?
113
:
108
:2014/03/05(水) 13:19:15 ID:fhxBLkmAO
>>110
怖くないというより、死ぬのは仕方ないなってなる
私は自殺未遂してからからフラットになった、ある種の邪道だけど
瞑想は死ぬことと似てる
だから生きながら悟れるんじゃないの?
どうして無になるのが怖いの?
114
:
ワンネス
:2014/03/06(木) 20:31:06 ID:YDKzzcPg0
>>111
昔は休日だけ、瞑想会や寺の座禅に。30分くらいもあれば2.3時間も。
今は平日はほぼ毎日寝る前や風呂で20分くらい。休日は軽い登山とジョギングで歩く瞑想。
無心にはなれてると思うくらい、その時間の記憶がないことは多い。でも、他の人が言う歓喜は訪れないね。
>>113
自殺未遂したときには、何も特別な体験はしなかった?
無が怖いのは、物心ついてからだから具体的な理由がないんだな。ただ、ある日突然、普通に歩いてたら崖から落ちるような、そんな恐怖感がある。
115
:
ワンネス
:2014/03/06(木) 20:39:12 ID:YDKzzcPg0
長かったんで分割。
で、その恐怖が、人生につきまとって離れない。大病の手術したときはこれで麻酔で眠って2度と目が覚めなかったら、って思ってたせいで、麻酔の効きが悪くて医者が驚いたくらいw
で、まあ生き延びたけど特別な体験もしなかったんで、やっぱ死んだら終わりなのかよ?って。
そう考えたらますます怖くて、他の何かに没頭してるときは忘れてられるけど、あと瞑想中も。
いわゆる本当の幸せが、いまここってやつを味わう妨げになってるし、例えば仕事で止むを得ず使うけど、旅客機が怖い。落ちるかもとさ。
で、それどころか最近の脱線事故なんか知ると、電車すら怖い。
人生を、自我の恐怖心で支配されてるから、ここから自由になるために、まあ近道がないかな?と。
瞑想、座禅、ヘミシンク、退行催眠、まあ色々やったけど、求めても執着し過ぎでダメなのか。
116
:
108
:2014/03/08(土) 01:27:14 ID:giReCJSEO
>>115
夢は見たよ
いわゆる不思議体験ではないし、今は記憶の曖昧な部分もあるから書かないけど
意識が途切れるのが怖いのかな
悟りって「考えても仕方ねえや!」って投げることだと思う。どうしようもないことを。
答えじゃなくて投げ方を求めてみたらどうだろうか
もうすでに色々やり尽くしてるようだが…
蛇足ですまない
117
:
ワンネス
:2014/03/11(火) 13:17:55 ID:OrAGpgI20
>>116
いやいや、蛇足じゃないよ。ありがとう。自分がブログやら講演会やらで知ってる悟り経験者は、みんな絶望のどん底で全てを投げ出したときに経験してるって言ってたわそういえば。
>>116
が悟れたのも、自殺って自我を捨てようとする行為でもあったからかなとふと思った。
投げる方向ね。うん。
118
:
幸せな名無しさん
:2014/03/11(火) 19:27:36 ID:bj1y9pbQ0
横から失礼だけど「死」怖いって気持ちは無いな。
死んだら「あるべきところ」へ還るだけって思ってる。
ただ、死ぬ間際に起こるかもしれない苦痛への恐怖はあるな(事故とかの場合だけど)
あと、残して逝く家族への申し訳なさとか未練はあるかも・・・
でも「死」自体に恐怖は感じてない・・・と思う。
だから身内の死にもあまり悲しみを感じなくて「あの子は情が薄い」と言われたこともある。
119
:
ワンネス
:2014/03/12(水) 17:49:38 ID:bmQj/qhY0
>>118
もしかして、悟り経験者?
それとも、何も経験してないけど、最初から、あるべきところへ還るって感覚というか、それが当たり前だった?
ちなみに、これは経験じゃなく人に聞いた話だけど、完全に悟って大いなるものに還ると分かってる覚者でも、やっぱり死ぬ前の痛いのは嫌だってw
情が薄いって言われるのは現代の死生観で生きてる人達にはそう見られるだろうね。インディアンだっけか、誕生を喜ばず、死を悲しまない。
120
:
幸せな名無しさん
:2014/03/12(水) 18:15:46 ID:DRf6TvuU0
なんだよ
1日中 瞑想してたんじゃないのか
つまんねー
121
:
幸せな名無しさん
:2014/03/12(水) 18:17:20 ID:DRf6TvuU0
内容の薄い瞑想百年しても
無意味な見本だね
122
:
118
:2014/03/12(水) 18:36:04 ID:cv9aG8c.0
>>119
悟った事は無いです。
道を求めてるワンネスさんには申し訳ないけど、今の世で「悟った」と言う人は嘘っぱちだと思ってる。
もともと身内の死にもあんまり悲しいと思わない方だったけど死んだら「あるべきところ」へ還るだけって思ったのは
スターウォーズでマスターヨーダがアナキンに言った言葉に納得したから。
「死を悲しむでない、フォースにもどるだけじゃ」っだったけ?
拍子抜けさせてすみません。
123
:
幸せな名無しさん
:2014/03/12(水) 18:55:46 ID:3vvQLaZA0
「悟った」って自覚できるものなんですかね?
それならはっきりそれと分かるものがあるはずですよね
124
:
118
:2014/03/12(水) 19:04:09 ID:cv9aG8c.0
>>123
どうだろうね〜。
そもそも、古今東西、本当に「悟った」のってお釈迦様しかいないんじゃないのかな?
再現性が無い以上、「悟り」を体系化するのは無理なのではないかな?と言うのが個人的な意見です。
さらに不届きな事を言うならば「悟った」のがお釈迦様だけだとしたら、「悟り」自体信憑性があるのかな・・・なんて思う事も・・・
125
:
116
:2014/03/12(水) 22:58:33 ID:sfp7U/ccO
>>117
絶望って、希望を持ってるから抱くものだったんだよ
希望が無い≠絶望だった
絶望のどん底って、希望を捨てること
だから楽になる
私は「生きたい」っていう希望(自我)を一度捨てたからかもしれないね
126
:
幸せな名無しさん
:2014/03/13(木) 12:42:19 ID:wJTPoSU20
悟りを開くと「自分」という意識が消えて自他一如になるらしい
知識を蓄え実践した結果、思考や感情に振り回されにくくなり緊張することも減った
だが悟りに達したかといえばとてもそうは思えない
よく言えばまだ伸びしろがあるとも言えるが、これからどうなるか
127
:
116
:2014/03/13(木) 22:46:28 ID:ncX9CB2kO
自他一如ってそういう意味じゃない
128
:
幸せな名無しさん
:2014/04/29(火) 08:19:14 ID:df51d62o0
上から読んでないけど、、、
仏教−霊界的な表現=潜在意識に関するリアリティ
みたいな気がする。
如来や菩薩、仏弟子、登場者たちの名前とエピソードは、潜在意識の働きや人間の顕在意識、無意識層などとの関係を解く鍵の様な気がする。
釈尊の息子「ラーフラ」はサンスクリット語の意味では「足手纏い」という足を引っ張る者とか…
ラーフラ=自分の鏡=己れの無意識にある柵(しがらみ)=産まれ落ちて刷り込まれた家系の思考的な習慣(ジョセフ・マーフィーが心的態度と言ってる)
それは、不本意な実相の根本的な原因で幻覚を生み出してしまうから家系的な柵を
129
:
幸せな名無しさん
:2014/04/29(火) 10:43:56 ID:KzWrwWJ.0
>>128
途中で送信してしまった
家系的な柵を表現するのに
「息子」「足手纏い」はピッタリだと思う。
仏説によく出る「この世が幻」ならイメージ力の強い達人が潜在意識を使いこなして、人生を楽しめるんだし。
直に接する親に原因を求めるより過去世の業にしておくのは方便と思った方が良いんだろうね。
130
:
幸せな名無しさん
:2014/05/03(土) 17:53:14 ID:thcmMWAA0
流れぶった切りですみません。
悟ったのか悟ってないのかわからないけど、ああそうだった!思い出した。忘れてたよ、何でだろう!という感覚に襲われた。それからは二度と眠れない眠りから覚めたような、右脳と左脳が開きっぱなしのような、ふわふわしたもやがかかったような離人感とはまた違う、もう一人の自分を感じてそれが徐々にひとつになっていくような感覚を体験しつづけている。ただ体験した瞬間は感じた事のない安心感と底なしの自由を感じた。だけどその後も日常はやってくる。あらゆる欲望は激減したけど無気力とも違う。あれから腹がたつ事や他人を否定する感情が起こらない。ただ時折幸福感がやってくる。これが悟りかどうか知る術もないけど、なんとなくこれん思い出す為に今まで繋がってたのだと思った。だからもう死んでもいいなって思ってそれから数週間経ったけど、その後もやっぱり死ななくて良かったと何度も思った。生きるのって楽しいね。本当に生きていてよかった。
132
:
幸せな名無しさん
:2014/05/03(土) 23:13:18 ID:zxy9wdWI0
>>130
言いたいこと解るよ。
言葉で正確に表せないね。
ただ感覚で、ただそれだけ。という絶対的安心感。
生きるも死ぬも同時にある。
ただ、今この瞬間に今に有り続けるだけ。って感じ。
133
:
幸せな名無しさん
:2014/05/04(日) 07:13:19 ID:hfs7Fy5I0
≫132
生きるも死ぬも同時、という感覚はまだ掴みきれていません。。その領域に意識を向けてないだけなのかもしれないし、もしかしたら私が感じた事は全然本質とは関係ないのかもしれませんww
だとしたら盛大にスレ違いですね。
131さんに言われたようにとうとう頭おかしくなったのかな?と少し思ったのも事実で、自分の感じた事を調べてみようと思いました。みんな同じような事を言っているので、もしや?と思いましたが結局何の確証も得られませんね。
ただこれを体験する前に感じていた、激情がもう起こらないような気が何となくして、少し寂しいです。
同じような体験をされた方はもう激情は起きないのでしょうか?やっぱり私のはただの離人感かもしれません。それでもいいと言えばいいんですが。
あと、夢の質が少し変化した気がします。これも時間が経てばまた変化するかもしれませんので様子をみたいと思います。
134
:
幸せな名無しさん
:2014/05/04(日) 10:18:20 ID:BHGJ1l960
おはようございます。
>>132
さん
>>133
さん
その体験をされている時に肉体というか身体的などこかに何か知覚された事はありませんか?
もし有れば教えて下さい。
135
:
幸せな名無しさん
:2014/05/05(月) 00:50:39 ID:dJNqJYTA0
観自在菩薩とは、菩薩である自分を観るという意味でしょう。
菩薩の意味がわからなかったので調べたら修行者とある。
修行者が自分を観ると悟るということだ。
自分とは?
この思考を捉えて、この思考はどこにあるのか。
わたし、という思考を存在させているのは、そもそも誰なのか。
それには色や形があるのか。
男や女があるのか。
生まれてからできたものなのか。
体がわたしなのか。
わたしは、ここにいる。
ここにいるわたしは、誰なのか。
音が聞こえたら、この音を聞いているのは誰なのか。
問い続けるに従ってわたしの思考は解体していく。
なぜなら、どれもわたしではないからだ。
では、このわたしという思考はどういった存在だろう。
なにもかもわたしではない。
にもかかわらず、わたしは在る。
このわたしとはなんだろうか。
136
:
幸せな名無しさん
:2014/05/05(月) 00:57:08 ID:dJNqJYTA0
いまピンと来た。
修行者とは行い、行為を修めるもののことだ。
行為を止めて、ここに在るわたしを観るというのが、観自在菩薩かもしれない。
137
:
幸せな名無しさん
:2014/05/05(月) 06:26:49 ID:jx.FX1uY0
自分は「修業」と書くと業カルマを修める者でピッタリ来るんだけど。
カルマと言っても過去世、前世の業じゃ無くて、産まれ落ちてから身に付いた性質で。
過去世とか不可知の領域だし、持ち出すとややこしくなる。
138
:
幸せな名無しさん
:2014/05/06(火) 00:14:42 ID:IU7UiZZo0
>>134
132です。
あまり特別なことと考えすぎない方がよろしいかと思うのですが。
身体的になにか知覚があったかというと、真逆で身体のどこにも知覚する事が無くなる。
といった感じでしょうか。
内側に集中していく(内観というのでしょうか?)のと同時に外側に対しての感覚が広がる。
そんなイメージで。。。
肉体という境がぼやける。という表現が近いですかね。
139
:
幸せな名無しさん
:2014/05/06(火) 00:25:18 ID:ITH6meJg0
>>137
修行とか言うと、何やらやたらと厳しい世界に身を投じる行い。と私は思いますが。
べつに厳しい状況でも普通にしていても気付く時には気付きます。
確かに厳しい状況下の方が近道なのかもしれませんが、修行をする事で修行をする行為が目的になると本末転倒でしょう。
カルマという言葉の本意はわかりませんが、産まれ落ちてから…のくだりは同感です。
過去世とか前世とか知らん!しかし、今、私というパーソナリティが考え動き感じる全ての事柄に与える属性は、生まれ育ったうちに覚えた反応だと認識しております。
それらの反応を、静寂の中から観ているだけ。の状態…状態というとまた語弊があるが、上記136さんが書かれた観自在菩薩、ってやつですかね。
140
:
幸せな名無しさん
:2014/05/06(火) 08:20:07 ID:g1jTFhaQ0
>>139
やはり身に付いたカルマから脱け出すのは厳しいです。
「解脱」という言葉が有るけどプロセスとしてカルマを脱を出した後、身心にそれを理解出来る瞬間が、、、。
解れ始めた時に必ず訪れるプロセス遡行はそのカルマが刷り込まれた事象とほぼ同じ事を再体験させてられている様ですが相当に厳しいです。
だから、途中で何回も挫けそうになりましたが解れが少しずつ進んだ?からなのか経過を味わう余裕の様なものが現れ出した時に乗り越える事が出来そうな希望が芽生えた自覚が有ります。
「輪廻」というのはこの再体験を理解しないまま繰り返す事を言ってるんだと思っています。
観自在菩薩とは逆にそれを理解しつつ再び体験できるから甦る記憶で、その事象と対面する余裕の心当たりの様なものだと、、、。
心に何か当たるものが有るか無いかでモチベーションの変容の方向も違ってくるんでしょう。
>>138
、上記の様な有り様で、やっぱり自分にとって自分自身の負の因を知ることは特別でした。
身体的な知覚に関しては何段階の「解れ」が理解しつつ脱出できた様で、貴方の言ってる事が仄かに判る様な気がします。
個人個人の背負う物の違いがあっても少しずつでもそれが有ったからから心に当たるのかも知れませんね。
コメントありがとうございました。
141
:
幸せな名無しさん
:2014/05/06(火) 13:18:20 ID:vexHh1Sg0
>>134
さん
私はぼーっと横たわってましたが、身体的には特に何も感じませんでした(痛いとか痺れるとかは、という事です)
感覚としては、私も境界がぼやけるような感覚はありました!
142
:
幸せな名無しさん
:2014/05/06(火) 16:38:02 ID:OFh.bMhg0
>>141
、そうですか。また何か思い出したりしたら教えて下さいね。
ありがとう。
143
:
幸せな名無しさん
:2014/05/08(木) 03:43:59 ID:98tKhAwU0
ジョセフ・マーフィーとホセ・シルバ、、、。
潜在意識に関する第一人者?この二人は仏教者じゃありませんが、仏教的に悟りを開いた方たちかも知れないと思ってます。
「ジョセフ・マーフィー」
潜在意識への正しいアプローチと言える「心的態度」というのは、菩提心を発心する菩薩行に通じるし。
「ホセ・シルバ」
不本意な現状をビジュアライズして、その画像を右側へスライドしその左に願いをイメージする。
これなんかは、西方浄土に「過去仏」と言われ成仏の象徴と言えそうな阿弥陀如来が。不本意な現状を成仏させるという意味か?
その対極に「宝憧如来」と、その名もぴっくりのピッタリぶりだし。
※仏教では東方を正面に捉えられていますが、自分はこのシルバのメソッドから自分の左が東、右を西と思ってます。
マーフィーが強調していた「感情」こそが菩薩の心だと思いますが、イメージしていて恰も達成したかの臨場感に如来的な万能の潜在意識が呼応し機能しだすと解釈してます。
「如来」は古代サンスクリット語で「タタガター」の音訳だと言われているそうですが「来るが如し」とは漢字の意味も本当にピッタリだと思います。
連投、長文御免!
144
:
幸せな名無しさん
:2014/05/08(木) 12:19:30 ID:dF1IhjlM0
悟りを開いたら常に感情に巻き込まれなくなるのかな
さっきアタマに来る出来事があって見事に感情に巻き込まれてしまって凹んだ
俺の悟りはどこにある
145
:
幸せな名無しさん
:2014/05/08(木) 15:23:22 ID:RBSxPp0Y0
「悟り」はこの世界に「個として存在」しているからこそ「見つけられる」ものでっせ。
肉体と心があるから、
つまり「区分」があるから、
「悟り」という対象を認識できるのでっせ。
と同時に、
現象に対して感情を持ったり、
思考に振り回されたりするんでっせ。
それは至極当然のことなんでっせ。
無になることが悟りなら、
それは個の消滅を意味するから、
悟りを開くということは、
悟り自体が消滅するということなんでっせ。
つまりは、
この世界でいわゆる「無我の境地」なんてものを体験できるわけがないのでっせ。
だから安心して、
怒って、泣いて、笑って、生きたらいいのでっせ( ´ ω ` )
146
:
幸せな名無しさん
:2014/05/08(木) 15:54:27 ID:7gJ920wk0
>>143
で、言った「成仏」ってのは心理学的に言うと「昇華」だと思います。
ゲシュタルト的な「気づき」禅宗で言う「小悟」を得た時に触発されるんだと。
潜在意識のメソッドではメンタルクリーニングと言われる事でしょうね。
147
:
幸せな名無しさん
:2014/05/08(木) 23:52:43 ID:2btRGjPs0
笑ってるときは無我ですよ
148
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 00:36:12 ID:PCKcyKv60
笑っている時は無我……。
なるほど。確かに( ´ ω ` )
それをいうなら、
泣いてるときも無我だよね。
けども屁理屈を言うなら、
面白いという認識、
悲しいという認識、
「無我」という認識をしているのは、
「我」があるからだからね( ´ ω ` )
本当に無我なら、認識もまた無しなんだもの。
よーするに、
無我夢中ってのは、無我に限りなく近いってことだ。
だから、無我夢中になるということは、
無限の可能性を持ってるってことなんだろーね( ´ ω ` )
149
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 01:05:46 ID:RiubPn8o0
無我だったのを確認するのは我だけど、無我の境地は体験してる。
笑ったり、うまいもの食べたりしてるとき、他にも毎日体験してますよ。
無我の境地がないと思うのは『我』だけです。
150
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 01:29:34 ID:EC/A2/mo0
そーですねー( ´ ω ` )
我がいるから、
四六時中、いろんな経験ができている。
幸せですなぁ( ´ ω ` )
151
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 07:47:25 ID:RiubPn8o0
我は煩悩を体験し、幸せを体験しない。
調べてみて下さい。
無我の境地が幸せなので『我』は一生懸命です爆笑
我がそれそのものに、例えば、笑いの中にいるとき幸せです。
我が消えることを実践して幸せになるのが悟りなのですよ。
152
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 09:45:09 ID:efmEs1Ys0
スポーツで言うところの、フロー状態とか、ゾーンってやつだよね>無我
マラソンランナーが走ってる最中、
ゴールする瞬間の自分の姿がなぜか脳裏にはっきり浮かんだとか、
サッカー選手が試合の最中、なぜか自分の斜め後ろから
自分の試合風景を見下ろしてるような感覚になるとか。
あるいは芸術家が言う「神が降りてくる」ってやつ。
何時間、何日、何週間かけて必死に考えても
さっぱり浮かばなかったアイディアが、なぜか突然完璧な形で
落ちてきたりする。
共通してるのは、物事に集中しすぎて『我』の存在を
完全に忘れた時、そういう出来事が起こる。
その際、もっとも邪魔になるのは、
「いい試合を見せたい」「完璧なプレーをしたい」
「他の選手より優れてると思われたい」
「素晴らしい作品を作って賞賛されたい」
「高く売れる作品を作りたい」
なんて考える『我』や『自我』だよね。
153
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 10:03:32 ID:ZJa3WYIQ0
マズローが提唱していた至高体験ってやつですね。それを悟りというのかは知りませんけど。
154
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 10:15:43 ID:w1EnaSzM0
なるほど〜( ´ ω ` ) "
いろんな捉え方、面白いです!
我が消えることを実践して幸せ。
我の存在を忘れるくらい集中して幸せ。
確かに( ´ ω ` ) "
155
:
幸せな名無しさん
:2014/05/09(金) 10:38:30 ID:efmEs1Ys0
悟りよりは、禅定の方が近いと思う>無我の体験
部派仏教では、智慧を身につけて
(この板風に言うと、潜在意識の法則の知識だね)
禅定を四段階経験すると、
預流向 → 預流果
一来向 → 一来果
不還向 → 不還果
阿羅漢向 → 阿羅漢果
と、悟りの段階がレベルアップしていくと言われている。
レベルアップするたびに煩悩がどんどん消えていき、
最終的には阿羅漢果に到達する(釈迦が生前辿り着いたのもここ)
一般的に言う『悟り』というのは、この阿羅漢果のことを指すらしい。
156
:
黒斎と阿部
:2014/05/10(土) 05:48:19 ID:R/pN8u/c0
この二人のブログにだいたい書いてあるよね。分かり易い。とくに黒斎のほうは仏教の話を噛み砕いて書いてくれてる
157
:
黒斎と阿部
:2014/05/10(土) 05:49:18 ID:R/pN8u/c0
ところで、阿部のほうフルネームで書いたらNG扱いだったんだけどなぜだ?
158
:
幸せな名無しさん
:2014/05/10(土) 12:11:34 ID:MQdp6IagO
なんでだろう?
禅定っていうんだ。
知識をもって理解していくと、どんどん幸せな人になれるんだね。
初期の仏教徒はみんな楽しそうにしていたらしい。
無所有なのに楽しそうにしてるから、なんであんなに幸せなんだろうと不思議だったでしょうね。
159
:
幸せな名無しさん
:2014/05/10(土) 14:06:24 ID:npyaDw1I0
>>158
原始仏教成立の頃のインド、ネパール、ヒマラヤ辺りと現代日本社会の違いも有るんでしょうかね。
160
:
幸せな名無しさん
:2014/05/21(水) 22:52:38 ID:SMGr9NvI0
現代日本社会で托鉢はできないもんね笑
欲望を落とせば悟りで、欲望を落とせば願望実現。
どちらにしろ幸せであること、幸せになること。
161
:
幸せな名無しさん
:2014/08/07(木) 23:48:21 ID:0G3MXHPk0
悟りを得た人というのは、義務感を全く感じないものなのでしょうか?「〜しなきゃいけない」から解放されているのですか?
162
:
幸せな名無しさん
:2014/08/28(木) 12:20:31 ID:NIchZ2TI0
>161
感じなくなる。
生きていく為の根本的な欲求(食欲とか排泄欲、睡眠欲)は残るけど、
他はわりとどうでもよくなる。
悟る=阿羅漢になると戒律を守らなくて良くなるのは、
「悟りたい」って煩悩すら消えるから。
やらなきゃいけない事なんて何もない。
163
:
幸せな名無しさん
:2015/04/13(月) 01:30:04 ID:L/3UxuCY0
別に特別な事なんかなんもないよwww
164
:
幸せな名無しさん
:2015/04/14(火) 16:08:26 ID:2I2J1wL60
すべては自分の中にあるからね。
165
:
幸せな名無しさん
:2015/04/17(金) 18:06:33 ID:3AyaEpN.0
うはっwww
悟ったったったwww
これでっwww
人生www
イージーモードwwwwwwwwwwww
166
:
ああ
:2015/05/10(日) 09:43:42 ID:Xd7Vowr.0
暇だから書いていいですか?
無視してね!
未来なんか訪れる訳がない
過去があったことはない
この世はエゴが何故この世があるのか?と疑問を持つことが目的
作ったというか自分が全部どうなるか知ってる世界
三大欲が邪魔するように設定されて
その欲を捨てない限り自分は存在してると勘違いして、何かしよう、あれしようなど行為者になってしまう
まあ、それが目的なんだが。
そこから抜け出したら
自分がいなくなる
いなくなった世界は
いる人には見れない世界
全部嘘だよ
うまくいかないのは嘘を見破れないから
この世は見破れるまで苦しみが設定されてる
見破ったら意識だけ一つ
要は始まりと同じ状態
だから快も不快もないよ
それ作ったの最初の自分だから
死もないし行くべき場所もないし
やるべきこともない
ちゃんと計算されてる
快楽を得るために皆生きてるが
皆も自分もいない
悟るためには本来の自分がエゴの自分に許可が降りて教えるまで
エゴの人生は続く
悟ることが目的でもない
けど人生行為者ずっとやってるとある時気付く、快楽と不快の振り子の繰り返しやん!?って
エゴはそこに気付きたくないから作るけどね。
人の為に生きて豊かでお金持ち、成功者、幸福な人像を
それすらも自分がエゴを生かし続けるために作った
自分は悟りなんて急いでひらきたくないのが本音
いつか開くんだから
開いたらこの仮想世界を作った意味がない
167
:
幸せな名無しさん
:2015/11/03(火) 19:42:39 ID:doX4mthY0
a
168
:
幸せな名無しさん
:2016/09/08(木) 16:51:13 ID:OGxnxhV.0
懐かしい悟りスレ(笑)、書き込んでた時から二年以上経ってたのが感慨深いなぁ。
その間いろいろ有った(しみじみと…)
ここで話した方々はお元気にされているのか、、、。
過疎してる様なのでsageておきます。
それにしても懐かしい。
169
:
幸せな名無しさん
:2016/09/09(金) 17:33:30 ID:y4H28g0A0
如来→来るが如し
菩薩→菩提心
この違いを解らないと悟りとか有り得ないんでしょうね。
解ったところで悟れるモノじゃ無さそう。
コンテクストが膨大過ぎる。
数々の如来や阿頼那識とか潜在意識の性質を言葉で顕すのには最適とは思うけど。
潜在意識と自分自身を繋げる心的態度がどうにもハッキリ出来そうに無い。
最上級の自愛は「天上天下唯我独尊」とか
認識は唯識の末那識から菩提心阿頼那への道程なんだとか解るものの。
過去仏、現在仏、本仏、、、どういう事なんか、、、?
過去仏の御名に「尸」の文字が使われてるのも気になる。
尸
死体?精神が離れた肉体、、、。
難しい。
170
:
幸せな名無しさん
:2016/09/13(火) 09:54:25 ID:yUyG3lVY0
そんな中で凄い体感を得てしまった(笑)。人間の脳の力も想像以上やった(笑)。
171
:
幸せな名無しさん
:2016/10/12(水) 19:21:14 ID:TckFCf3M0
誰かお話しできませんか?
何度か気づきなどを繰り返して、自分が徐々に消えつつある途中です。
ですが、自分を通して行為をしたり、自分を通して世界に変化がもたらせる
つまり自分が現れる時、自分の年齢だけは外すことができません。
その自分が現れるので、やはり時間の概念が同時に出現するというか。
おそらくそこでストップがかかっているような感じがします。
今しかないのはもちろんわかっていますし、だからなにか不都合があるわけではないのですが
自分が全くいない状態では絶対に生活できないと思いますので
それに気づいてるまでが限界ですよね?
そうなるとやはり、行為者としての自分はいなくなりますが、自分は現れますよね。
そのときその自分は何歳だとみなさん思ってるのですか??
もし何歳でもないのであれば、鏡にはどのような自分が見えるのですか??
172
:
幸せな名無しさん
:2016/10/13(木) 09:46:03 ID:hVIgjFow0
悟ってますね
173
:
幸せな名無しさん
:2016/10/14(金) 07:05:58 ID:tcVasIKE0
誰かこないかなー
174
:
幸せな名無しさん
:2016/10/27(木) 00:16:47 ID:Bf1DOLLI0
かなり久しぶりに書き込みます。
だらだら長文になってしまいました。
潜在意識とか仏教とかの世界を知って、今になって思うことは、「悟り」とか「別の領域」とか言葉は何でも良いけど、その「何か」を特別視し過ぎだったなってことです。
ブッダも我々と同じ人間だったはずで、何も特別な人間ではなかったはずで、
もし人間の中では何かに秀でていて、そういう意味で特別だったとしても、所詮は人間で、その他大勢の人間と同じように死んでいます。
この点って、教科書のような決まり文句なのでスルーされがちですけど、すごく重要な点だと思います。
「ゾロ目のナンバーを見た」とか「元カレと復縁できた」っていうのは、本人にとって嬉しいなら嬉しいものであっても良いと思いますが、だからって何かが特別になったわけでは決してないです。
視点を変えて、ゾロ目のナンバーの運転手からすれば、ゾロ目のナンバーを見るのは当たり前のことですし、そんなにゾロ目が好きならナンバーをゾロ目にすれば毎日見られます。
復縁したなんて話は世間的にはザラですし、復縁なんて相手ありきのことなんですから、「自分の願いが叶った!」と喜んでしまうのは視野が狭すぎます。
そういう考え方って、まったく自己中心的で、自分目線を捨てきれていません。
この掲示板的に言うなら、自分を特別視したいという願いの現れであって、まさに、それが「自我」を自分として感じさせていると気づかず、「今度こそ本当の自分」という自我を作って「ゾロ目を見た、今度こそ本当の、素敵な、達人の私」というヘンテコな展開になっていくわけです。
そういう、無意識に展開している世界、無意識に受け入れてしまっている事柄に意識を向けて、客観的になることが、ブッダの悟りだったんじゃないか、と個人的に思います。
それはなんら特別なことではなく、冷静になって、生まれては死んでいく、何の特別な存在もない世界を直視することなんではないか、と思うのです。
途中、人によっては不快に思われることを書いてしまったかもしれませんが、持論を書くための材料としてご容赦ください。m(._.)m
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