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悟りスレ

1幸せな名無しさん:2012/06/19(火) 00:13:17 ID:WZ5a5mYU0
大元、根底の悟りについて語るスレです。
具体的な願望実現・達成についてはこのスレではなく該当スレへ。

126幸せな名無しさん:2014/03/13(木) 12:42:19 ID:wJTPoSU20
悟りを開くと「自分」という意識が消えて自他一如になるらしい
知識を蓄え実践した結果、思考や感情に振り回されにくくなり緊張することも減った

だが悟りに達したかといえばとてもそうは思えない
よく言えばまだ伸びしろがあるとも言えるが、これからどうなるか

127116:2014/03/13(木) 22:46:28 ID:ncX9CB2kO
自他一如ってそういう意味じゃない

128幸せな名無しさん:2014/04/29(火) 08:19:14 ID:df51d62o0
上から読んでないけど、、、

仏教−霊界的な表現=潜在意識に関するリアリティ

みたいな気がする。

如来や菩薩、仏弟子、登場者たちの名前とエピソードは、潜在意識の働きや人間の顕在意識、無意識層などとの関係を解く鍵の様な気がする。

釈尊の息子「ラーフラ」はサンスクリット語の意味では「足手纏い」という足を引っ張る者とか…

ラーフラ=自分の鏡=己れの無意識にある柵(しがらみ)=産まれ落ちて刷り込まれた家系の思考的な習慣(ジョセフ・マーフィーが心的態度と言ってる)

それは、不本意な実相の根本的な原因で幻覚を生み出してしまうから家系的な柵を

129幸せな名無しさん:2014/04/29(火) 10:43:56 ID:KzWrwWJ.0
>>128途中で送信してしまった

家系的な柵を表現するのに
「息子」「足手纏い」はピッタリだと思う。

仏説によく出る「この世が幻」ならイメージ力の強い達人が潜在意識を使いこなして、人生を楽しめるんだし。

直に接する親に原因を求めるより過去世の業にしておくのは方便と思った方が良いんだろうね。

130幸せな名無しさん:2014/05/03(土) 17:53:14 ID:thcmMWAA0
流れぶった切りですみません。
悟ったのか悟ってないのかわからないけど、ああそうだった!思い出した。忘れてたよ、何でだろう!という感覚に襲われた。それからは二度と眠れない眠りから覚めたような、右脳と左脳が開きっぱなしのような、ふわふわしたもやがかかったような離人感とはまた違う、もう一人の自分を感じてそれが徐々にひとつになっていくような感覚を体験しつづけている。ただ体験した瞬間は感じた事のない安心感と底なしの自由を感じた。だけどその後も日常はやってくる。あらゆる欲望は激減したけど無気力とも違う。あれから腹がたつ事や他人を否定する感情が起こらない。ただ時折幸福感がやってくる。これが悟りかどうか知る術もないけど、なんとなくこれん思い出す為に今まで繋がってたのだと思った。だからもう死んでもいいなって思ってそれから数週間経ったけど、その後もやっぱり死ななくて良かったと何度も思った。生きるのって楽しいね。本当に生きていてよかった。

132幸せな名無しさん:2014/05/03(土) 23:13:18 ID:zxy9wdWI0
>>130
言いたいこと解るよ。
言葉で正確に表せないね。
ただ感覚で、ただそれだけ。という絶対的安心感。
生きるも死ぬも同時にある。
ただ、今この瞬間に今に有り続けるだけ。って感じ。

133幸せな名無しさん:2014/05/04(日) 07:13:19 ID:hfs7Fy5I0
≫132
生きるも死ぬも同時、という感覚はまだ掴みきれていません。。その領域に意識を向けてないだけなのかもしれないし、もしかしたら私が感じた事は全然本質とは関係ないのかもしれませんww
だとしたら盛大にスレ違いですね。

131さんに言われたようにとうとう頭おかしくなったのかな?と少し思ったのも事実で、自分の感じた事を調べてみようと思いました。みんな同じような事を言っているので、もしや?と思いましたが結局何の確証も得られませんね。
ただこれを体験する前に感じていた、激情がもう起こらないような気が何となくして、少し寂しいです。
同じような体験をされた方はもう激情は起きないのでしょうか?やっぱり私のはただの離人感かもしれません。それでもいいと言えばいいんですが。

あと、夢の質が少し変化した気がします。これも時間が経てばまた変化するかもしれませんので様子をみたいと思います。

134幸せな名無しさん:2014/05/04(日) 10:18:20 ID:BHGJ1l960
おはようございます。


>>132さん

>>133さん

その体験をされている時に肉体というか身体的などこかに何か知覚された事はありませんか?

もし有れば教えて下さい。

135幸せな名無しさん:2014/05/05(月) 00:50:39 ID:dJNqJYTA0
観自在菩薩とは、菩薩である自分を観るという意味でしょう。
菩薩の意味がわからなかったので調べたら修行者とある。
修行者が自分を観ると悟るということだ。
自分とは?
この思考を捉えて、この思考はどこにあるのか。
わたし、という思考を存在させているのは、そもそも誰なのか。
それには色や形があるのか。
男や女があるのか。
生まれてからできたものなのか。
体がわたしなのか。
わたしは、ここにいる。
ここにいるわたしは、誰なのか。
音が聞こえたら、この音を聞いているのは誰なのか。
問い続けるに従ってわたしの思考は解体していく。
なぜなら、どれもわたしではないからだ。
では、このわたしという思考はどういった存在だろう。
なにもかもわたしではない。
にもかかわらず、わたしは在る。
このわたしとはなんだろうか。

136幸せな名無しさん:2014/05/05(月) 00:57:08 ID:dJNqJYTA0
いまピンと来た。
修行者とは行い、行為を修めるもののことだ。
行為を止めて、ここに在るわたしを観るというのが、観自在菩薩かもしれない。

137幸せな名無しさん:2014/05/05(月) 06:26:49 ID:jx.FX1uY0
自分は「修業」と書くと業カルマを修める者でピッタリ来るんだけど。
カルマと言っても過去世、前世の業じゃ無くて、産まれ落ちてから身に付いた性質で。

過去世とか不可知の領域だし、持ち出すとややこしくなる。

138幸せな名無しさん:2014/05/06(火) 00:14:42 ID:IU7UiZZo0
>>134
132です。
あまり特別なことと考えすぎない方がよろしいかと思うのですが。
身体的になにか知覚があったかというと、真逆で身体のどこにも知覚する事が無くなる。
といった感じでしょうか。
内側に集中していく(内観というのでしょうか?)のと同時に外側に対しての感覚が広がる。
そんなイメージで。。。
肉体という境がぼやける。という表現が近いですかね。

139幸せな名無しさん:2014/05/06(火) 00:25:18 ID:ITH6meJg0
>>137
修行とか言うと、何やらやたらと厳しい世界に身を投じる行い。と私は思いますが。
べつに厳しい状況でも普通にしていても気付く時には気付きます。
確かに厳しい状況下の方が近道なのかもしれませんが、修行をする事で修行をする行為が目的になると本末転倒でしょう。
カルマという言葉の本意はわかりませんが、産まれ落ちてから…のくだりは同感です。
過去世とか前世とか知らん!しかし、今、私というパーソナリティが考え動き感じる全ての事柄に与える属性は、生まれ育ったうちに覚えた反応だと認識しております。
それらの反応を、静寂の中から観ているだけ。の状態…状態というとまた語弊があるが、上記136さんが書かれた観自在菩薩、ってやつですかね。

140幸せな名無しさん:2014/05/06(火) 08:20:07 ID:g1jTFhaQ0
>>139
やはり身に付いたカルマから脱け出すのは厳しいです。
「解脱」という言葉が有るけどプロセスとしてカルマを脱を出した後、身心にそれを理解出来る瞬間が、、、。

解れ始めた時に必ず訪れるプロセス遡行はそのカルマが刷り込まれた事象とほぼ同じ事を再体験させてられている様ですが相当に厳しいです。

だから、途中で何回も挫けそうになりましたが解れが少しずつ進んだ?からなのか経過を味わう余裕の様なものが現れ出した時に乗り越える事が出来そうな希望が芽生えた自覚が有ります。

「輪廻」というのはこの再体験を理解しないまま繰り返す事を言ってるんだと思っています。

観自在菩薩とは逆にそれを理解しつつ再び体験できるから甦る記憶で、その事象と対面する余裕の心当たりの様なものだと、、、。

心に何か当たるものが有るか無いかでモチベーションの変容の方向も違ってくるんでしょう。


>>138、上記の様な有り様で、やっぱり自分にとって自分自身の負の因を知ることは特別でした。

身体的な知覚に関しては何段階の「解れ」が理解しつつ脱出できた様で、貴方の言ってる事が仄かに判る様な気がします。

個人個人の背負う物の違いがあっても少しずつでもそれが有ったからから心に当たるのかも知れませんね。

コメントありがとうございました。

141幸せな名無しさん:2014/05/06(火) 13:18:20 ID:vexHh1Sg0
>>134さん
私はぼーっと横たわってましたが、身体的には特に何も感じませんでした(痛いとか痺れるとかは、という事です)
感覚としては、私も境界がぼやけるような感覚はありました!

142幸せな名無しさん:2014/05/06(火) 16:38:02 ID:OFh.bMhg0
>>141、そうですか。また何か思い出したりしたら教えて下さいね。

ありがとう。

143幸せな名無しさん:2014/05/08(木) 03:43:59 ID:98tKhAwU0
ジョセフ・マーフィーとホセ・シルバ、、、。
潜在意識に関する第一人者?この二人は仏教者じゃありませんが、仏教的に悟りを開いた方たちかも知れないと思ってます。


「ジョセフ・マーフィー」
潜在意識への正しいアプローチと言える「心的態度」というのは、菩提心を発心する菩薩行に通じるし。


「ホセ・シルバ」
不本意な現状をビジュアライズして、その画像を右側へスライドしその左に願いをイメージする。

これなんかは、西方浄土に「過去仏」と言われ成仏の象徴と言えそうな阿弥陀如来が。不本意な現状を成仏させるという意味か?
その対極に「宝憧如来」と、その名もぴっくりのピッタリぶりだし。
※仏教では東方を正面に捉えられていますが、自分はこのシルバのメソッドから自分の左が東、右を西と思ってます。


マーフィーが強調していた「感情」こそが菩薩の心だと思いますが、イメージしていて恰も達成したかの臨場感に如来的な万能の潜在意識が呼応し機能しだすと解釈してます。 

「如来」は古代サンスクリット語で「タタガター」の音訳だと言われているそうですが「来るが如し」とは漢字の意味も本当にピッタリだと思います。

連投、長文御免!

144幸せな名無しさん:2014/05/08(木) 12:19:30 ID:dF1IhjlM0
悟りを開いたら常に感情に巻き込まれなくなるのかな
さっきアタマに来る出来事があって見事に感情に巻き込まれてしまって凹んだ
俺の悟りはどこにある

145幸せな名無しさん:2014/05/08(木) 15:23:22 ID:RBSxPp0Y0
「悟り」はこの世界に「個として存在」しているからこそ「見つけられる」ものでっせ。
肉体と心があるから、
つまり「区分」があるから、
「悟り」という対象を認識できるのでっせ。
と同時に、
現象に対して感情を持ったり、
思考に振り回されたりするんでっせ。
それは至極当然のことなんでっせ。

無になることが悟りなら、
それは個の消滅を意味するから、
悟りを開くということは、
悟り自体が消滅するということなんでっせ。

つまりは、
この世界でいわゆる「無我の境地」なんてものを体験できるわけがないのでっせ。

だから安心して、
怒って、泣いて、笑って、生きたらいいのでっせ( ´ ω ` )

146幸せな名無しさん:2014/05/08(木) 15:54:27 ID:7gJ920wk0
>>143で、言った「成仏」ってのは心理学的に言うと「昇華」だと思います。
ゲシュタルト的な「気づき」禅宗で言う「小悟」を得た時に触発されるんだと。

潜在意識のメソッドではメンタルクリーニングと言われる事でしょうね。

147幸せな名無しさん:2014/05/08(木) 23:52:43 ID:2btRGjPs0
笑ってるときは無我ですよ

148幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 00:36:12 ID:PCKcyKv60
笑っている時は無我……。
なるほど。確かに( ´ ω ` )

それをいうなら、
泣いてるときも無我だよね。

けども屁理屈を言うなら、
面白いという認識、
悲しいという認識、
「無我」という認識をしているのは、
「我」があるからだからね( ´ ω ` )
本当に無我なら、認識もまた無しなんだもの。

よーするに、
無我夢中ってのは、無我に限りなく近いってことだ。
だから、無我夢中になるということは、
無限の可能性を持ってるってことなんだろーね( ´ ω ` )

149幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 01:05:46 ID:RiubPn8o0
無我だったのを確認するのは我だけど、無我の境地は体験してる。
笑ったり、うまいもの食べたりしてるとき、他にも毎日体験してますよ。
無我の境地がないと思うのは『我』だけです。

150幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 01:29:34 ID:EC/A2/mo0
そーですねー( ´ ω ` )

我がいるから、
四六時中、いろんな経験ができている。
幸せですなぁ( ´ ω ` )

151幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 07:47:25 ID:RiubPn8o0
我は煩悩を体験し、幸せを体験しない。
調べてみて下さい。
無我の境地が幸せなので『我』は一生懸命です爆笑
我がそれそのものに、例えば、笑いの中にいるとき幸せです。
我が消えることを実践して幸せになるのが悟りなのですよ。

152幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 09:45:09 ID:efmEs1Ys0
スポーツで言うところの、フロー状態とか、ゾーンってやつだよね>無我
マラソンランナーが走ってる最中、
ゴールする瞬間の自分の姿がなぜか脳裏にはっきり浮かんだとか、
サッカー選手が試合の最中、なぜか自分の斜め後ろから
自分の試合風景を見下ろしてるような感覚になるとか。

あるいは芸術家が言う「神が降りてくる」ってやつ。
何時間、何日、何週間かけて必死に考えても
さっぱり浮かばなかったアイディアが、なぜか突然完璧な形で
落ちてきたりする。

共通してるのは、物事に集中しすぎて『我』の存在を
完全に忘れた時、そういう出来事が起こる。

その際、もっとも邪魔になるのは、
「いい試合を見せたい」「完璧なプレーをしたい」
「他の選手より優れてると思われたい」
「素晴らしい作品を作って賞賛されたい」
「高く売れる作品を作りたい」
なんて考える『我』や『自我』だよね。

153幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 10:03:32 ID:ZJa3WYIQ0
マズローが提唱していた至高体験ってやつですね。それを悟りというのかは知りませんけど。

154幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 10:15:43 ID:w1EnaSzM0
なるほど〜( ´ ω ` ) "
いろんな捉え方、面白いです!

我が消えることを実践して幸せ。
我の存在を忘れるくらい集中して幸せ。

確かに( ´ ω ` ) "

155幸せな名無しさん:2014/05/09(金) 10:38:30 ID:efmEs1Ys0
悟りよりは、禅定の方が近いと思う>無我の体験

部派仏教では、智慧を身につけて
(この板風に言うと、潜在意識の法則の知識だね)
禅定を四段階経験すると、

預流向 → 預流果
一来向 → 一来果
不還向 → 不還果
阿羅漢向 → 阿羅漢果

と、悟りの段階がレベルアップしていくと言われている。
レベルアップするたびに煩悩がどんどん消えていき、
最終的には阿羅漢果に到達する(釈迦が生前辿り着いたのもここ)

一般的に言う『悟り』というのは、この阿羅漢果のことを指すらしい。

156黒斎と阿部:2014/05/10(土) 05:48:19 ID:R/pN8u/c0
この二人のブログにだいたい書いてあるよね。分かり易い。とくに黒斎のほうは仏教の話を噛み砕いて書いてくれてる

157黒斎と阿部:2014/05/10(土) 05:49:18 ID:R/pN8u/c0
ところで、阿部のほうフルネームで書いたらNG扱いだったんだけどなぜだ?

158幸せな名無しさん:2014/05/10(土) 12:11:34 ID:MQdp6IagO
なんでだろう?
禅定っていうんだ。
知識をもって理解していくと、どんどん幸せな人になれるんだね。
初期の仏教徒はみんな楽しそうにしていたらしい。
無所有なのに楽しそうにしてるから、なんであんなに幸せなんだろうと不思議だったでしょうね。

159幸せな名無しさん:2014/05/10(土) 14:06:24 ID:npyaDw1I0
>>158
原始仏教成立の頃のインド、ネパール、ヒマラヤ辺りと現代日本社会の違いも有るんでしょうかね。

160幸せな名無しさん:2014/05/21(水) 22:52:38 ID:SMGr9NvI0
現代日本社会で托鉢はできないもんね笑
欲望を落とせば悟りで、欲望を落とせば願望実現。
どちらにしろ幸せであること、幸せになること。

161幸せな名無しさん:2014/08/07(木) 23:48:21 ID:0G3MXHPk0
悟りを得た人というのは、義務感を全く感じないものなのでしょうか?「〜しなきゃいけない」から解放されているのですか?

162幸せな名無しさん:2014/08/28(木) 12:20:31 ID:NIchZ2TI0
>161
感じなくなる。
生きていく為の根本的な欲求(食欲とか排泄欲、睡眠欲)は残るけど、
他はわりとどうでもよくなる。

悟る=阿羅漢になると戒律を守らなくて良くなるのは、
「悟りたい」って煩悩すら消えるから。
やらなきゃいけない事なんて何もない。

163幸せな名無しさん:2015/04/13(月) 01:30:04 ID:L/3UxuCY0
別に特別な事なんかなんもないよwww

164幸せな名無しさん:2015/04/14(火) 16:08:26 ID:2I2J1wL60
すべては自分の中にあるからね。

165幸せな名無しさん:2015/04/17(金) 18:06:33 ID:3AyaEpN.0
うはっwww
悟ったったったwww
これでっwww
人生www
イージーモードwwwwwwwwwwww

166ああ:2015/05/10(日) 09:43:42 ID:Xd7Vowr.0
暇だから書いていいですか?
無視してね!
未来なんか訪れる訳がない
過去があったことはない
この世はエゴが何故この世があるのか?と疑問を持つことが目的
作ったというか自分が全部どうなるか知ってる世界
三大欲が邪魔するように設定されて
その欲を捨てない限り自分は存在してると勘違いして、何かしよう、あれしようなど行為者になってしまう
まあ、それが目的なんだが。
そこから抜け出したら
自分がいなくなる
いなくなった世界は
いる人には見れない世界
全部嘘だよ
うまくいかないのは嘘を見破れないから
この世は見破れるまで苦しみが設定されてる
見破ったら意識だけ一つ
要は始まりと同じ状態
だから快も不快もないよ
それ作ったの最初の自分だから
死もないし行くべき場所もないし
やるべきこともない
ちゃんと計算されてる
快楽を得るために皆生きてるが
皆も自分もいない
悟るためには本来の自分がエゴの自分に許可が降りて教えるまで
エゴの人生は続く
悟ることが目的でもない
けど人生行為者ずっとやってるとある時気付く、快楽と不快の振り子の繰り返しやん!?って
エゴはそこに気付きたくないから作るけどね。
人の為に生きて豊かでお金持ち、成功者、幸福な人像を
それすらも自分がエゴを生かし続けるために作った
自分は悟りなんて急いでひらきたくないのが本音
いつか開くんだから
開いたらこの仮想世界を作った意味がない

167幸せな名無しさん:2015/11/03(火) 19:42:39 ID:doX4mthY0
a

168幸せな名無しさん:2016/09/08(木) 16:51:13 ID:OGxnxhV.0
懐かしい悟りスレ(笑)、書き込んでた時から二年以上経ってたのが感慨深いなぁ。

その間いろいろ有った(しみじみと…)

ここで話した方々はお元気にされているのか、、、。

過疎してる様なのでsageておきます。

それにしても懐かしい。

169幸せな名無しさん:2016/09/09(金) 17:33:30 ID:y4H28g0A0
如来→来るが如し

菩薩→菩提心

この違いを解らないと悟りとか有り得ないんでしょうね。
解ったところで悟れるモノじゃ無さそう。
コンテクストが膨大過ぎる。
数々の如来や阿頼那識とか潜在意識の性質を言葉で顕すのには最適とは思うけど。
潜在意識と自分自身を繋げる心的態度がどうにもハッキリ出来そうに無い。

最上級の自愛は「天上天下唯我独尊」とか
認識は唯識の末那識から菩提心阿頼那への道程なんだとか解るものの。

過去仏、現在仏、本仏、、、どういう事なんか、、、?
過去仏の御名に「尸」の文字が使われてるのも気になる。


死体?精神が離れた肉体、、、。

難しい。

170幸せな名無しさん:2016/09/13(火) 09:54:25 ID:yUyG3lVY0
そんな中で凄い体感を得てしまった(笑)。人間の脳の力も想像以上やった(笑)。

171幸せな名無しさん:2016/10/12(水) 19:21:14 ID:TckFCf3M0
誰かお話しできませんか?
何度か気づきなどを繰り返して、自分が徐々に消えつつある途中です。
ですが、自分を通して行為をしたり、自分を通して世界に変化がもたらせる
つまり自分が現れる時、自分の年齢だけは外すことができません。
その自分が現れるので、やはり時間の概念が同時に出現するというか。
おそらくそこでストップがかかっているような感じがします。

今しかないのはもちろんわかっていますし、だからなにか不都合があるわけではないのですが
自分が全くいない状態では絶対に生活できないと思いますので
それに気づいてるまでが限界ですよね?
そうなるとやはり、行為者としての自分はいなくなりますが、自分は現れますよね。
そのときその自分は何歳だとみなさん思ってるのですか??
もし何歳でもないのであれば、鏡にはどのような自分が見えるのですか??

172幸せな名無しさん:2016/10/13(木) 09:46:03 ID:hVIgjFow0
悟ってますね

173幸せな名無しさん:2016/10/14(金) 07:05:58 ID:tcVasIKE0
誰かこないかなー

174幸せな名無しさん:2016/10/27(木) 00:16:47 ID:Bf1DOLLI0
かなり久しぶりに書き込みます。
だらだら長文になってしまいました。

潜在意識とか仏教とかの世界を知って、今になって思うことは、「悟り」とか「別の領域」とか言葉は何でも良いけど、その「何か」を特別視し過ぎだったなってことです。

ブッダも我々と同じ人間だったはずで、何も特別な人間ではなかったはずで、
もし人間の中では何かに秀でていて、そういう意味で特別だったとしても、所詮は人間で、その他大勢の人間と同じように死んでいます。

この点って、教科書のような決まり文句なのでスルーされがちですけど、すごく重要な点だと思います。

「ゾロ目のナンバーを見た」とか「元カレと復縁できた」っていうのは、本人にとって嬉しいなら嬉しいものであっても良いと思いますが、だからって何かが特別になったわけでは決してないです。
視点を変えて、ゾロ目のナンバーの運転手からすれば、ゾロ目のナンバーを見るのは当たり前のことですし、そんなにゾロ目が好きならナンバーをゾロ目にすれば毎日見られます。
復縁したなんて話は世間的にはザラですし、復縁なんて相手ありきのことなんですから、「自分の願いが叶った!」と喜んでしまうのは視野が狭すぎます。

そういう考え方って、まったく自己中心的で、自分目線を捨てきれていません。
この掲示板的に言うなら、自分を特別視したいという願いの現れであって、まさに、それが「自我」を自分として感じさせていると気づかず、「今度こそ本当の自分」という自我を作って「ゾロ目を見た、今度こそ本当の、素敵な、達人の私」というヘンテコな展開になっていくわけです。

そういう、無意識に展開している世界、無意識に受け入れてしまっている事柄に意識を向けて、客観的になることが、ブッダの悟りだったんじゃないか、と個人的に思います。
それはなんら特別なことではなく、冷静になって、生まれては死んでいく、何の特別な存在もない世界を直視することなんではないか、と思うのです。

途中、人によっては不快に思われることを書いてしまったかもしれませんが、持論を書くための材料としてご容赦ください。m(._.)m

175幸せな名無しさん:2019/04/16(火) 18:07:13 ID:52dVjhms0
眠剤依存からの断薬で糖質の陽性症状出た後に悟り?っぽいものを得たんだがアレは悟りだったのか?


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