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テスト

74白書さん:2009/11/07(土) 17:53:10 HOST:wcache2.waseda.ac.jp
地域銀行のコーポレート・ガバナンスに関する分析
早稲田大学大学院 森 祐司
地域銀行のコーポレート・ガバナンスについて、大株主の所有構造に注目して分析を行った。1990年代までは地域銀行の大株主は都市銀行や生命保険会社などであり、地域銀行の経営陣へのモニタリングはあまり有効に機能せず、経営陣が隔離される状態、いわゆる「エントレンチメント」の状態にあったと見られる。しかし、2000年前後からの株式持合い解消が進むにつれて、地域銀行の大株主として年金基金や外国人投資家などいわゆる投資収益志向型の「機関投資家」が地域銀行の株主構成の上位を占めるようになった結果、地域銀行のガバナンスにも変化がある可能性が予想された。
本分析は、1990年代と2000年代以降で地域銀行の大株主構成の変化に注目し、大株主からのガバナンスの効果について、両期間の比較分析・検証を行った。その結果、90年代はもちろん、2000年以降においても、都市銀行や生命保険会社等が大株主で上位を占める地域銀行はエントレンチメント状態にあり、経営指標はそうでない銀行よりも劣後することがわかった。年金や外国人などの「機関投資家」が大株主として支配的な地域銀行は、2000年代において、経営指標は良好であることも検出され、大株主からのガバナンスが有効になっている可能性が示唆された。

75白書さん:2009/11/07(土) 17:53:45 HOST:wcache2.waseda.ac.jp
地域金融の振興と地方銀行の役割などについての研究
玉川大学 高千穂 安長
地場企業への資金供給者であり、地域金融を担う存在であるため公共性が高い地域金融機関が融資の健全性確保の観点から、効率性、成長性、健全性による融資判断だけではなく、公共性の発揮の1例として、「目利き」などの能力の向上により担保、保証人などを徴求しないで融資を行うなどの奥深い活動が求められている。
そのような期待に応えるべく、金融庁はアクションプランを作成し、地銀等の実施すべきこと、金融庁として実施すべきことを指針として示した。
本稿では、研究対象を地域金融機関のうち地方銀行(以下、地銀)に限定し、先ず現状を把握した。この結果、地域総生産(県民所得)と地銀の自己資本比率、不良債権比率、預貸率、店舗数、中小企業融資残高、中小企業融資件数について有意な相関は見られなかった。なお、地銀と第二地銀では不良債権比率の分布に差はあるものの、分けて分析する必要性は見られなかった。
次に企業の活動を成功させる要因分析をヘスケット(2004)、シャイン(1999)などの組織についての先行研究を元に、地銀の活動を基に金融庁のアクションプランのテーマ毎に主要事項を、地銀の活動上、「組織体制」、「融資担当者のスキル」、「支店トップ」、「専門性を持つ外部との連携」に区分し、それぞれについて、地銀の置かれている現状を踏まえて研究した。
安全性、効率性、健全性という融資を行う際の基準の具体的指標として主要財務比率を一元的、画一的に融資判断を行うだけでは現在、地銀に寄せられている期待に応えられない。また、1地銀当たり平均融資件数108千件、1件当り平均融資金額13百万円といういわば多品種少量融資に対応するには、IT整備による事務効率の向上はもちろん、融資事務のみならず、風評など重要な情報を察知し、解読できるように人脈、業界、税務、法務などの知識の具備とともに、公共性という意識を涵養する必要がある。
そのために、地銀トップから支店トップまでのリーダーシップ、外部環境の変化を読み取り対応できる的確な戦略の立案、これらの遂行を可能とする企業文化の醸成が求められている。
行政が示しているアクションプランは、比較的短期の目標となっているが、個々の地銀が置かれている現状を把握すれば、短期・中長期的という区分がなされた改善計画とその着実な実施が求められている。
以上

76白書さん:2009/11/07(土) 17:54:17 HOST:wcache1.waseda.ac.jp
日本のプルーデンス政策
明治大学 黒田 晁生
本報告では、1996年11月の「日本版ビッグバン」構想、1997年6月の「日本銀行法」改正(1998年4月から施行)、1998年6月の金融監督庁設立(その後、2000年7月に衣替えして金融庁の設立)という一連の金融大改革を経て、日本のプルーデンス政策(および金融政策)の枠組みがどのように形成されてきたのかを簡単にレビューするとともに、アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発した今回の世界的な金融危機の後で主要国の金融当局や国際機関が一斉に金融規制監督を強化する方向に動きつつある中で、日本のプルーデンス政策(および金融政策)をどのように変えていくべきなのかについて若干の私見を述べる。
1.金融庁の果たすべき役割
旧大蔵省から分離される形で設立された金融庁は、金融行政の目的として、①金融システムの安定、②利用者の保護、③公正・透明な市場の確立と維持―の3つを掲げている。
旧大蔵省時代の金融行政がさまざまな競争制限的規制によって特徴付けられたいわゆる「護送船団行政」であり、「通達行政」とも称された裁量的な規制監督であったのに対して、金融庁の下での金融行政は、金融自由化と市場の育成を図る中で市場規律重視型へと変化してきている。また、最近では、ルール・ベースの規制監督とプリンシプル・ベースの規制監督の最適な組み合わせとしての「ベター・レギュレーション」を目指している。
旧大蔵省は、主要な金融機関のほとんどに対する監督官庁ではありながら、実際には「局あって省なし」と称されたように、銀行・証券・保険など業態ごとに異なる規制監督によって特徴付けられていた。金融庁への移行後においては、規制監督の網を更に広げることによって、ノンバンクなど一部を除けば、一元的な金融規制監督体制をほぼ確立している。もっとも、旧大蔵省時代に築かれた業態ごとの規制監督体制の残滓はいまだに見受けられるとおりであり、業態を超えた包括的な規制監督の構築は今後の課題といえよう。
今回の世界的な金融危機で明らかになったのは、金融危機の予防と対応の両面において、個々の金融機関の健全性確保を狙いとしたミクロ・プルーデンス政策のみでは不十分であり、金融システム全体の安定性を狙いとしたマクロ・プルーデンス政策も重要だということである。金融庁が日本におけるマクロ・プルーデンス政策の主体となることを求められているとすれば、海外当局や国際機関との連携、金融市場動向の把握などについて日本銀行とのより緊密な連携が求められよう。
(続)

77白書さん:2009/11/07(土) 17:54:52 HOST:wcache1.waseda.ac.jp
2.日本銀行の果たすべき役割
「日本銀行法」改正後における日本銀行は、旧「日本銀行法」の下でと同様に、「物価の安定」のために金融政策の決定と実行に当ると同時に、「金融システムの安定性・健全性維持(信用秩序の維持)」のために決済システムの運営管理、考査・モニタリング、「最後の貸し手」としての資金供給などを行っている。
旧「日本銀行法」下の日本銀行は、1980年代後半にはバブルの発生を食い止めることができなかった。プラザ合意移行における国際協調路線に基づいて内外政府から低金利の持続を求められたとの背景はあったが、日本銀行自身としても物価安定と経済成長が両立する状況下、あえて資産価格の高騰抑制には踏み切れなかったとのも事実であった。一方、バブル崩壊後の1990年代には不良債権処理の遅れから金融システム危機を招来し、デフレーションが長期化するに及んで、日本銀行はゼロ金利政策から量的緩和政策にいたる異例の金融緩和を余儀なくされた。
日本銀行の金融政策の目標として物価安定と並んでバブルの防止を採用することは、物価安定こそがバブルの温床となる可能性があることを考慮すると実際には実現困難であろう。また、バブル防止の観点から金融システム全体のレバレッジなどをチェックするマクロ・プルーデンス政策の運営については、日本の場合、金融庁が中心となるのが素直な考え方であろう。
一方、今回の世界的な金融危機では、システミックな流動性危機に際しては、中央銀行の果断な流動性供給策が有効であることが改めて確認されたといえよう。もちろん、「最後の貸し手」機能の乱発が借り手のモラル・ハザードを招く危険性には十分に配慮する必要があるが、危機に際しての流動性供給については日本銀行としても今後は柔軟な対応が求められる。

78白書さん:2009/11/10(火) 21:25:06 HOST:wcache1.waseda.ac.jp
1つの誤解を解いておきたい。:(1)以前に『週刊ダイヤモンド』のコラムにも書いたことがあるのだけれども、普通の人には、現金(紙幣)需要という概念はとても理解し難いところがあると思う。お金は、もらえるものなら、いくらでも欲しいはずだからである。それゆえ重要は無限大だと考えがち。
(2)しかし、かりに現金で1000万円もらったとしても、それをいつまでもそのまま現金で持ち続けることはないだろう。物を買ったり、銀行に預金したり、株に投資したりするだろう。最後まで現金の形態で持ち続けるのは、ごく一部のはずである。その部分が現金需要である。(3)この意味で、お金はいくらでも欲しいといっても、現金(紙幣)需要は有限である。したがって、現金需要を上回る現金を供給しても、超過分は銀行部門(最終的には、中央銀行)に還流してくる。還流した時点では、中央銀行にある民間金融機関の準備預金が積み上がることになる。
(4)準備預金(リザーブ)については、中央銀行は、その額を一応コントロールできるといっていい。しかし、紙幣供給量は、現金(紙幣)需要によって決まり、全く中銀に影響を与える術がないないわけではないけれども、受動的に供給するしかなく基本的にコントロールできない
(5)繰り返すと、政府紙幣を発行するなり、国債を日銀に引き受けさせて日銀券を手に入れて、政府が国民に配っても、最終的に増えるものの大宗は、準備預金である。現金(紙幣)需要を超えて紙幣供給量を勝手に決められるわけではない。決められないものについて増やすとか約束できない。
(6)かりに将来の紙幣発行を増やすと約束しても、空約束にしかならない。言うのであれば、準備預金額である。かつての日銀の量的緩和の場合も、目標は日銀当座預金残高である。米国で増えているのも準備である。なお、準備は、ベースマネーの一部ではあるが、マネーストックには含まれない。

有志が訳した「解説!量的緩和」というのを読んでみたけれども、ちゃんと「金融政策委員会が経済に直接的に貨幣を流入させるというのは、イングランド銀行券の発行を増やしていくことではありません」と書いてある。とりあえず増えるのは、準備金だと明記されている。
その後に、「そして最終的には、経済により多くのお金が出ていくことになる」と書いてあるのだけれども、そこが問題。準備預金に積み上がったままで止まってしまう可能性がある。俗に「ブタ積み」と呼んでいるけれども、貸出機会が乏しいと順を供給してもなかなか出て行かない。それが英国の現状

79白書さん:2009/11/16(月) 02:30:03 HOST:wcache2.waseda.ac.jp
恐らく長文になり、且つまとまりない文章になると思うのでご了承を。
あと、だいぶ個人的な感情も入ってます。


先週月曜日、入社以来初めて勤務中に体調が悪くなり、午後からホテルにて仕事。ただのクーラー病になったかと思ってた。

そしたら、実は月曜日にとても悔しいことが起こっていた。
ttp://www.waseda.jp/seikei/seikei/student/pdf/20090701_kiyono_fuhou.pdf

私のゼミ教授が、亡くなった。
研究室で一人で。
まだ、51歳なのに。
子供が中学生なのに。

政治経済学部に国際政治経済学科を作った経済側の代表者。
各方面の経済学分野ではとてもすごい先生。
清野の生徒ということで、日銀や政府系シンクタンクや銀行からもお声がかかるほど。
清野が亡くなったことで、政経経済は終わったとも言われているほど。(まじでそうかも・・・)
でも、実は漫画家になるのが夢だったり、ロックが好きな人。

学院⇒早大⇒東大卒で、各所からオファーがあるらしいのに、ここ20年弱早稲田で教えてた。
娘さん二人の名前を校歌から採るほど、早稲田好き。
早稲田が好きだから、早稲田のために物凄く働いてた。

他の教授も手伝えよってぐらい。

ゼミの後輩は、早稲田政経が清野を殺したんだとも言ってた。これもマジでそうかも。
1、2講義ぐらい、代わりに受け持ってくれてる先生がいたら・・・。
学部の発表は、「お悔やみ」ではなく今後の授業及びテストについての「事務連絡」だし。


悔しい。


うちのゼミ、一般的なゼミとちょっと雰囲気が違う。
ゼミ生が少なく、歴代の中でも最盛期が5人。私も学年一人。
何故かって、講義・テストが難しくて、学生が入りたがらない笑

ということで、マンツーマンのこともあり、勉強も厳しいけど、かなりの生徒想い。
大学院に行くと言うと、早稲田好きなくせして、早稲田を絶対薦めない。
議論をする相手が大事だと言い、東大か一橋しか薦めない。
大学院に行くことを考えてたので、清野ゼミを選んだのだが、途中で社会人になることを決めた時も親身に受け止めてくれた。
だから、歴代のゼミ生は、先生への想いが篤い

母の体調が悪かった時には母を心配して、「早く大阪に帰れ」
今は、同い年の父を心配して、「早く大阪に帰れ」と散々言われた。
そのくせして、自分が娘2人おいて逝くなんて何考えてんのか。

学部生の進路相談を受けに行ったら、逆に私が先生に指摘された。
これから○○するべきだって。

お通夜にも告別式にも行った。
たくさんの人が参列してた。
著名な方も多かった。
先生の人徳だな。

先輩達と大酒飲んで、お酒が大好きだった先生を偲んだ
初めはただ騒いでたのだが、皆途中からダメになって…。
一人だったら、もっとダメだっただろうな。

寂しく、悲しいと同時に、怒りも混じっていた。


清野の顔を見た。
ただでさえ、小さいのに、更に小さく見えた。
心が張り裂けるというのは、こういうことだ。
でも、ちゃんと感謝の気持ちを伝えた。
タバコとレポート用紙がたくさん納められていた。

告別式後には、研究室にも寄った。
もちろん、開くはずないのだが。。
あの研究室どうなるんだろ。


どうして、こうも大事な人が、次々と。
奇しくも今日は2年前に祖母が突然亡くなった日。
ほんとうに、目の前から急にいなくなると怖い。

そろそろ勘弁してほしい。。

大好きな先生に、もう一度だけ「ばーかもーん」と言われたかったな。

80白書さん:2009/11/17(火) 01:34:10 HOST:wcache1.waseda.ac.jp
Proposed extensions of Godwin’s Law

Godwin’s Law ― which says that in any sufficiently long online discussion, someone will compare his opponent to Hitler ― is often interpreted to mean that if you do, in fact, start making Nazi comparisons, you’ve lost the argument and can no longer be taken seriously. I’m all for that. (Does this mean that we should no longer take any significant figure in the Republican Party seriously? Yes, it does.)

But there are a lot of moral equivalents of Nazi comparisons, and they should receive the same treatment. I propose that we officially declare that anyone who

1. Responds to calls for more government action in some area ― employment creation, health care, whatever ― by invoking the example of the Soviet Union

or

2. Responds to suggestions that moderate inflation and/or dollar depreciation is acceptable by invoking the example of Zimbabwe

or

3. Responds to any demonstration that projected debt levels, while high, are within the range advanced countries have successfully dealt with in the past by invoking the example of Argentina

be summarily consigned to the outer darkness.

Make it so.

81白書さん:2009/12/12(土) 09:08:34 HOST:wcache1.waseda.ac.jp
マルコフ過程(まるこふかてい)とは、マルコフ性をもつ確率過程のことをいう。すなわち、未来の挙動が現在の値だけで決定され、過去の挙動と無関係であるという性質を持つ確率過程である。このような過程は例えば、確率的にしか記述できない物理現象の時間発展の様子に見られる。なぜなら、多くの物理現象は過去によらない微分方程式によって記述されるが、この性質は系の粒子数が多くなり確率論的な解析を必要とする状態にも引き継がれるからである。


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