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大日如来はブラフマン
8
:
時
:2013/05/27(月) 12:26:31 ID:haDDP0xo
>ただ、「四句否定」をしただけで、ニルヴァーナ〈渇愛の滅尽〉へは到れません。
何処でずれたのか、どうも私は知らない間に大乗の教えを自ら学んでいたようですね。それでしたら、大乗の空が菩薩を多く目覚めさせる
目的を持ち、非想非非想処と同じ次元でこの有の世界では頂点(最強)だと言う意味も理解できます。
現在の「仮我」は、生まれてから現在までに積み重ねられた「無明→行」が基本となり存在すると仮設します。無明とは、四聖諦を知らない事。行とは、身口意の三行ですので、この場合は、無明故に正しくない三行を習慣的に行ってしまっていると言う事で、これを打ち破る為に、身念処=不浄想・受念処=皆苦・心念処=無常・法念処=無我の「四念処」の修行を実践します。これにより「識と名色」を滅する流れを作ります。身念処は、四大の観察と墓場の死体の観察等の、あるがままのものをあるがままに観察し続けると言う事で、これにより「一切において、これは私のものである」等の自他共にその仮我の抱く各種幻想から離脱し、身体と言う色は生滅変化しているだけなのだと観る。四念処の修行とは、観の瞑想の事でしょうか。これを継続する事により、五取蘊、つまりは今までの記憶や体験等による現在の「識 名色」を滅する事に繋がると言う理解で、そしてこれは「木の根ごと根こそぎ引き抜く」作業、慧解脱に通じる修行であり、渇愛の大元である現在の私と言う「識と名色」の滅尽に繋がる修行と言う理解で宜しいでしょうか。
9
:
和井 恵
:2013/05/28(火) 03:58:32 ID:GE8fIX9k
> 身念処=不浄想・受念処=皆苦・心念処=無常・法念処=無我の
> 「四念処」の修行を実践します。
> これにより「識と名色」を滅する流れを作ります。
「 四念処 」を、「 身 … 不浄・受 … 苦・心 … 無常・法 … 無我 」に当てはめたのは、
部派仏教のアビダルマ論者たちですので、あまりこのようなパターン認識はお勧めできません。
> 身念処は、四大の観察と墓場の死体の観察等の、
> あるがままのものをあるがままに観察し続けると言う事で、
> これにより「一切において、これは私のものである」等の
> 自他共にその仮我の抱く各種幻想から離脱し、
> 身体と言う色は生滅変化しているだけなのだと観る。
経典では、「 身 」 は呼吸の入出息と深く関わると説いてますから、
アーナパーナサティ〈入出息念〉を「身念処」と捉えた方がいいと思います。
経典としては、中部62経 「 大ラーフラ教誡経 〈 入出息念の修行法 〉 」 が参考になるでしょう。
「 受〈 苦・楽・不苦不楽の三受 〉」 にポイントを置いた瞑想は 「 四禅定 」 です。
これは、三毒の根本煩悩の全て〈 貪・瞋・痴 〉にアプローチします。
そして、それぞれの 「 受 」 の有無を、そのまま観察するのでする
「 心 」にポイントを置いた瞑想は「 四梵住〈 四無量心 〉 」です。
「 慈 … 怒り、悲 … 害心、喜 … 不平不満、捨 … 貪り 」にアプローチします。
そして、それぞれの「心」の有無を、そのまま観察するのです。
「 法 」 については、中部10経 「 念処経 」 などを読むと、
法 〈 五蓋・五蘊・六処・七覚支・四聖諦 〉 と、
「照らし合わせて」、自己の現状をチェックする … という感じですかね。
10
:
和井 恵
:2013/05/28(火) 03:59:31 ID:GE8fIX9k
> 四念処の修行とは、観の瞑想の事でしょうか。
── そうですね。
「 止 」 ではなく 「 観 」 の瞑想です。
ただし、テーラワーダ仏教が説く 「 観 〈 ヴィパサナー 〉 」 とは異なります。
「 観 」 = 「 有尋有伺定 」 と 「 無尋有伺定 」 を指しているのです。
〈 「 無尋無伺定 」 = 「 止 〈 シャマタ 〉 」 です。〉
> これを継続する事により、五取蘊、
> つまりは今までの記憶や体験等による
> 現在の「識 名色」を滅する事に繋がると言う理解で、
> そしてこれは「木の根ごと根こそぎ引き抜く」作業、
> 慧解脱に通じる修行であり、
> 渇愛の大元である現在の私と言う
> 「識と名色」の滅尽に繋がる修行と言う理解で宜しいでしょうか。
そうですね、要するに、渇愛を生起させる「妄執想」を滅するのです。
中部5経「無垢経」に、
また友よ、そのうち、無垢であっても〈私には内に垢がない〉と如実に知らない人には、
次のような事が必ず起きるでしょう。
すなわち、浄相〈貪りが生起する所縁となる〉を思惟しようとします。
彼が浄相〈 = 常・楽・我・浄 〉を思惟すれば、貪りが心を堕落させます。
彼は、貪りがあり、怒りがあり、愚痴があり、垢があり、
心の汚れた者として、死ぬことになるのです。
友よ、それは喩えば、店か鍛冶工の家から運ばれてきた、
塵や垢に覆われている銅鉢があって、
これを所有者が使用したり、綺麗に拭いたり、また塵の道に放置したりしない場合、
友よ、その銅鉢が後にはいよいよ清らかになり、綺麗になるようなものです」
とありますが、この「浄相を思惟すること」が、妄執想を作り出す因となるのです。
11
:
時
:2013/05/28(火) 04:45:36 ID:haDDP0xo
和井 恵 さん、今回は、ご解説有難う御座いました。
「 観 」 = 「 有尋有伺定 」 と「 無尋有伺定 」
「 止 〈 シャマタ 〉 」= 「 無尋無伺定 」と言う事ですので、「観」の瞑想(有尋有伺定と無尋有伺定)
を続けたいと思います。
今回は、大変勉強になりました。有難う御座いました。
12
:
和井 恵
:2013/05/28(火) 07:45:26 ID:GE8fIX9k
> 今回は、大変勉強になりました。有難う御座いました。
お役に立てたのなら、幸いです。
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