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大日如来はブラフマン

10和井 恵:2013/05/28(火) 03:59:31 ID:GE8fIX9k

> 四念処の修行とは、観の瞑想の事でしょうか。

── そうですね。
「 止 」 ではなく 「 観 」 の瞑想です。
ただし、テーラワーダ仏教が説く 「 観 〈 ヴィパサナー 〉 」 とは異なります。
「 観 」 = 「 有尋有伺定 」 と 「 無尋有伺定 」 を指しているのです。
〈 「 無尋無伺定 」 = 「 止 〈 シャマタ 〉 」 です。〉


> これを継続する事により、五取蘊、
> つまりは今までの記憶や体験等による
> 現在の「識 名色」を滅する事に繋がると言う理解で、
> そしてこれは「木の根ごと根こそぎ引き抜く」作業、
> 慧解脱に通じる修行であり、
> 渇愛の大元である現在の私と言う
> 「識と名色」の滅尽に繋がる修行と言う理解で宜しいでしょうか。

そうですね、要するに、渇愛を生起させる「妄執想」を滅するのです。

中部5経「無垢経」に、

  また友よ、そのうち、無垢であっても〈私には内に垢がない〉と如実に知らない人には、
  次のような事が必ず起きるでしょう。
  すなわち、浄相〈貪りが生起する所縁となる〉を思惟しようとします。
  彼が浄相〈 = 常・楽・我・浄 〉を思惟すれば、貪りが心を堕落させます。
  彼は、貪りがあり、怒りがあり、愚痴があり、垢があり、
  心の汚れた者として、死ぬことになるのです。
  友よ、それは喩えば、店か鍛冶工の家から運ばれてきた、
  塵や垢に覆われている銅鉢があって、
  これを所有者が使用したり、綺麗に拭いたり、また塵の道に放置したりしない場合、
  友よ、その銅鉢が後にはいよいよ清らかになり、綺麗になるようなものです」

とありますが、この「浄相を思惟すること」が、妄執想を作り出す因となるのです。


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