したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の経典解説まとめ

46避難民のマジレスさん:2024/07/20(土) 10:26:43 ID:BSmT.fko0
718:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/12/01(月) 22:32:39 ID:zljf.XjA0
 今日も続くのじゃ。

「空」は何ものも頼まず
マハムドラーは何ものにも依らず
また労せず
ただゆったりと自然であることによりて
人はくびきを打ち壊し
解脱を手の内にするなり

 ここでは空とマハームドラーが、一つの系統に納まる事が示されるのじゃ。
 空とは何ものにも頼らず、無によってのみ表わされる。
 マハームドラーもまた何ものにも依らずと言う。

 それは他の縁に依って起こる心を観察する、縁起の法とは完全に異なっている事を示しているのじゃ。
 縁起と空は別の修行法であり、互いに相容れる事は無いというのがティローパの教えなのじゃ。
 他の修行者には縁起と空の融合を目指し、縁起空などという観念を編み出した者も居るが、ティローパの教えは完全に違うのじゃ。
 
 空とマハームドラーの観想によって、ものごとは一切が無によって表されるものと投射され、執着は無くなり、自然に厭離が起こる。
 それを長く修練が要らず、苦労する事も無い優れた法であると詠うのじゃ。
 
 執着を取り去り、囚われを無くし、自我をも厭離して解脱をも手にする事ができるものというのじゃ。 
 

もし中空を見つめて何も見ず
そのとき心をもって心を観ずれば
人は差別を打ち破り
ブッダフッドに至るなり

 空において無を見て、心に何ものも思い浮かぶ事の無い状態になったのならば、心を観よという。
 これは正に止観の法なのじゃ。

 集中ではなく、空を観想する方法でも心は鎮まり、観察に適した状態になる。
 そして心を観察する。
 それは正に観照を起こす方法なのじゃ。

 そして分別は厭離され、ブッダフッド、仏陀の境地に到達するという。
 ここには認識が厭離される事で仏陀の境地に到達する事が、明確に示されておる。

 それは唯識論でも示された事であり、一部の目覚めた禅僧も教えた事であり、そしてわしも語ってきた真の目覚めた者の在り方を示すものなのじゃ。
 正に認識が打ち破られる時、人は真に目覚めた者となるのじゃ。


 今日はここまでなのじゃ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板