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鬼和尚の経典解説まとめ

29避難民のマジレスさん:2024/07/06(土) 11:28:44 ID:Qt1Suj5.0
<解説:坐禅和讃>

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1407234590/800-810
より抜粋

798:避難民のマジレスさん:2014/12/17(水) 20:21:58 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚、白隠禅師坐禅和讃も止観の教えを説いたものでしょうか?
再々で恐縮ですが、もしよろしければ解説をお願いできませんか?_| ̄|○

wikiからコピペです。
※原文書き下し

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり


800:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/12/17(水) 21:57:53 ID:3LQWQGf.0

>>798 それは止観の止、座禅を勧めたものなのじゃ。
 座禅からサマーディに至り、悟りが本来のあり方と気付いたという教えなのじゃ。
  
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし

 一切の生物は本来、目覚めたものなのじゃ。
 それは水と氷の関係のようなものじゃ。
 水を離れて氷は無く、衆生の他に目覚めた者は居ないのじゃ。

 悟りとは人が進化したり、変化したものではなく、本来の在り方に戻ることなのじゃ。
 記憶に依存した習慣を厭離し、本来のあり方に戻るから、本来の智慧が起こり、死も無い自然の状態に戻るのじゃ。

 それは氷と水の関係のようなものじゃ。
 水からできたものが氷であり、衆生が目覚めれば仏陀なのじゃ。

衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず

 そのように衆生は自ら悟りに近い存在であると知らず、法を求めて遠くまで求めようとするのは無知の迷いなのじゃ。
 それは例えば水の中にいて、喉が渇いたと叫んだり、金持ちの家の子が貧乏な家に入って迷っているようなものじゃ。 

 悟りへの門、悟りへの道、悟りへの法は全て衆生自らの中にあるものじゃ。
 なかなか見ようとしない本心にそれらは全部あるのじゃ。
 近すぎて見えず、又執着や不安恐れの所為で観ようとしないだけなのじゃ。

 それは例えば水中で喉が乾いたと叫び、金持ちが貧乏の家に悩むが如くなのじゃ。
 ただ口を開いて水を飲み、財布を開いて金を見れば解決するような悩みを、延々と持っているようなものじゃ。

 悟りとはそれほど自らに近い、己の本心を見る事なのじゃ。
 しかしそれは自ら本心を観た仏陀の感じることであり、未だ迷いの中にある衆生には感知しにくい事じゃろう。


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