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鬼和尚の経典解説まとめ

101避難民のマジレスさん:2024/09/10(火) 10:53:32 ID:cnSG28OY0
0059鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2022/01/11(火) 00:13:03.21 ID:1oEqxfGV

***
(十三)
「スブーティよ、如来が説いた法はあるだろうか。」

 スブーティは答えました。
「師よ、如来が説いたものは何もありません。」

「スブーティよ、この果てしなく広い世界の大地の塵は多いだろうか。」

 スブーティは答えました。
「師よ、非常に多いです。」

「スブーティよ、如来は大地の塵を大地の塵ではないと説く。それゆえに大地の塵と言われる。如来は世界を世界ではないと説く。それゆえに世界と言われる。」

***

 それからお釈迦様は自分が何か説いた法があるかと、須菩提長老にきくのじゃ。
 須菩提長老は何も無いと答えるのじゃ。

 更にお釈迦様は三千大千世界の塵は多いかと聞いたのじゃ。
 須菩提長老は多いと答えたのじゃ。
 何故ならば如来は世界は世界ではなく、地理は塵ではないと説いたからというのじゃ。

 そうであるから世界の塵は多いというのじゃ。
 先には如来は何も説いていないといいながら、世界は世界ではないと説いたというのじゃ。
 それが世界の説き方であるからなのじゃ。

 世界は世界ではないとお釈迦様は説いたのじゃ。
 そうであるから世界とよばれると、説いたのじゃ。
 それは説いたことではないというのじゃ。

 説いてはいないから、説いたことになるというのじゃ。
 このように幾重にも重なって、観念を破壊する般若の法は説かれるのじゃ。
 それは論理や知識で理解することではないのじゃ。
 理解しなくて善いのじゃ。

 むしろ理解してはいかんのじゃ。
 理解とは観念を記憶による既存の知識と照らし合わせて、それもまた知識として記憶の中にしまいこむことであるからなのじゃ。
 それでは観念は定着するばかりで、破壊されないのじゃ。

 矛盾のある理解できない観念であれば、決して知識としてしまいこまれることはなく、他の観念を破壊して自らも破壊されるのじゃ。
 それがこのような構造をとる意味なのじゃ。
 どこまでも矛盾した理解し難い法門を、繰り返し念じることで身につき、観念は破壊されるのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。


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