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鬼和尚に聞いてみるスレ part23

1偽和尚★:2024/02/06(火) 23:01:01 ID:???0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。

ルールを守って使用しましょう。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part22
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1689947558/

541避難民のマジレスさん:2024/06/03(月) 22:37:34 ID:kVgxHecY0
>>540
教えていただきありがとうございます。
阿頼耶識はひたすら認識するだけ、とのことですが、
人にはそのように感じられるだけで、
実際には記憶を基に、この世界の生成を行っている、
という理解であっていますか?

542避難民のマジレスさん:2024/06/03(月) 22:55:11 ID:jkCSE3uI0
>>540

鬼和尚様

教えていただきありがとうございます。

543避難民のマジレスさん:2024/06/04(火) 13:16:58 ID:QkUMmq7o0
瞑想の時に、死によって今まで積み重ねてきたもの、今まで築き上げてきたものは全て失われる。死によって将来積み重ねるもの、築き上げることは全て失われる。死によって今積み重ねていること築き上げているものは全て失われると唱えています。
これは何か効果がありますか。

544避難民のマジレスさん:2024/06/04(火) 21:54:42 ID:/E.6Jbwo0
記憶や想像を認識しているのは、五感のどれでも無いと思います。
では、それらを認識しているのはどこでしょうか?

545鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/04(火) 22:25:44 ID:U1l9BDPU0
>>541 そのような理解でよいのじゃ。
 見ているという感覚があるのはまだ見る対象があるからなのじゃ。
 それも観念によって刹那に生成されているのじゃ。
 ただ見ているだけと感じても阿頼耶識は観念を投射しているのじゃ。
 忘我の境地からは自我が感じられないから見ているだけと思えるのじゃ。
 
>>542 どういたしまして、またおいでなさい。

546鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/04(火) 22:30:21 ID:U1l9BDPU0
>>543 効果はあるじゃろう。
 この世の欲に囚われなくなるじゃろう。
 すべて失うだけと知れば執着することもなくなるじゃろう。
 どんどん続けるとよいのじゃ。

>>544 場所は特にないじゃろう。
 人によっては脳とか胸の中に感じるかもしれんがのう。
 肉体にも記憶はあるものじゃ。
 
 意識が認識していると言えるのじゃ。

547避難民のマジレスさん:2024/06/04(火) 23:59:23 ID:kVgxHecY0
>>545
教えていただきありがとうございます。
阿頼耶識の存在に気づくには、忘我状態が前提条件となりますか?
もう一つ質問です。末那識というものがあるそうですが、
ネットによると、分別だとか、自我だとかいろいろ言われているようです。
末那識が自我であるから、これが遠離されると、忘我や無我になるのですか?

548避難民のマジレスさん:2024/06/05(水) 12:03:33 ID:HHofdRmw0
兜率天などで修行をする天人は観察はできますか?
天界で観察はできますか?

549避難民のマジレスさん:2024/06/05(水) 22:18:19 ID:/E.6Jbwo0
>>546 ありがとうございます。
よくよく考えてみると、五感は感覚器官であり、認識器官とは言わないですね。
五感で認識できるものもあるし、五感では認識できないものもある、という理解で良いでしょうか?

550鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/05(水) 23:09:36 ID:z6LBPbHw0
>>547 最低でも忘我でなければできないじゃろう。
 無我であれば容易にできるのじゃ。

 末那識は自我ではないのじゃ。
 自我とは実在しない観念であるからのう。
 分別もできないのじゃ。
 よく観察して見極めるのじゃ。

>>548 できるのじゃ。
 天の者は娑婆世界よりも強い能力をもっているからのう。
 むしろもっとうまくできるのじゃ。
 しかし天の世界は楽しすぎて離脱するため修行をしようとは思わなくなってしまうのじゃ。

551鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/05(水) 23:17:45 ID:z6LBPbHw0
>>549 そのような理解でよいのじゃ。
 仏教では心の働きは五感とは別に、意の感覚として認識されていることになっているのじゃ。
 意覚じゃな。
 それもまた脳とか心臓とかで感じるという者もいるのじゃ。
 自ら観察して確かめるのじゃ。

552避難民のマジレスさん:2024/06/06(木) 11:32:07 ID:kVgxHecY0
>>550
止の瞑想により、忘我以上になれば阿頼耶識に気づくことができると知れました。
ありがとうございます。
ところで末那識とはいったい何で、どのような働きがあるのでしょうか。
阿頼耶識と同じにように、止の瞑想により、
その存在に気づくことができる性質のものですか?

553鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/06(木) 22:02:26 ID:0jLXYdCA0
>>552 末那識とは自他を分別して執着する識というのじゃ。
 瞑想が深くなれば気づくこともできるじゃろう。
 自分への執着は誰でもあるからのう。
 実践して確かめるのじゃ。

554避難民のマジレスさん:2024/06/07(金) 10:17:09 ID:kVgxHecY0
教えていただきありがとうございます。
1末那識が遠離されると、自他の区別がなくなり無我となる、
という理解は間違っていますか?
2呼吸のみに意識を集中することを続ければ、忘我の状態になるとのことですが、
その仕組としては、それは文字通り、我を忘れる状態になるからですか?
3瞑想で気持ちよくなるのは、我を忘れられたから気持ちよくなるのですか?
それとも気持ちよくなるから、我を忘れるのですか?
質問が多く申し訳ございません。

555鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/07(金) 22:32:46 ID:Hn489CfI0
>>554 一 そのような理解でよいのじゃ。
 自我が他のもの分別されている瞬間を観られればそれも可能じゃろう。
 自我が観念に過ぎないことに気づくからのう。

 二 そうじゃ、他の集中と同じく、強い集中力で対象のみを認識すれば自我も忘れるのじゃ。
   自我も観念であるから、他の一つの観念に集中することで忘れられるのじゃ。

 三 忘我になる前から快楽はあるのじゃ。
   しかし快によって我を忘れるのではないのじゃ。
   他のものに強く集中するから忘れるのじゃ。 
  
   実践して確かめるのじゃ。
   どんどん聞いてよいのじゃ。

556避難民のマジレスさん:2024/06/07(金) 23:23:25 ID:qQiBLaPk0
どこに書いていいのか分からないのでとりあえずここに書きますが、
『鬼和尚書き込み集』の再開、又は配布はないのでしょうか?
過去スレも勉強してたので残念です。

557避難民のマジレスさん:2024/06/08(土) 00:16:27 ID:jux11mL.0
天河神社の柿坂名誉宮司様についてはどう思われますか?

558避難民のマジレスさん:2024/06/08(土) 08:09:59 ID:aq0UI6r.0
>>556
私も大変参考にしていた者です。ワード検索が出来て大変参考になるものでした。
おそらく管理者様はレンタルサーバーにお金を払ってさらに各掲示板のアップロードや検索システムを取り入れてサービス提供してくださってたようです。
今のところ復帰はないのではないかと思います。
とりあえずこれまでサービス提供をしてくださった管理者様の菩薩行に感謝をしたいと思います。

559避難民のマジレスさん:2024/06/08(土) 11:13:55 ID:kVgxHecY0
>>>555
自我が真相を見えにくくさせているように思いました。
止の瞑想で集中力を高め、忘我の状態になることを当面の目標にいたします。
教えていただきありがとうございました。

560避難民のマジレスさん:2024/06/08(土) 16:36:49 ID:L5KAe.kk0
量子力学の2重スリット実験を金剛経の教えに当てはめて観る時
(実験の粒子も波動も所詮、観念の内ではありますが法として観る時)

人の観測により電子の粒子の振る舞いを観た時、粒子は位置や移動ルートの特定される粒子ではなく、位置やルートも特定されない実体なき波であると観たならば
その時こそ粒子は粒子と呼ばれ、ありのままの粒子を観たということになりますでしょうか?

561鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/08(土) 21:32:34 ID:yUXQ3Ibw0
>>556>>558 ご苦労さんなのじゃ。
 残念なことじゃ。
 
>>557 名誉宮司じゃな。
 掃除人じゃな。
 神につかえるひとなのじゃ。
 日本神道の自然崇拝者じゃな。

562鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/08(土) 21:35:51 ID:yUXQ3Ibw0
>>559 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>560 それではありのままに見たことにはならないのじゃ。
 金剛経の法もまた観念を破壊する観念て゛あるからのう。
 観念による偏見が入っているのじゃ。
 悟りを得て全ての観念を滅しなければありのままに見えないのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

563避難民のマジレスさん:2024/06/09(日) 07:28:55 ID:LoI0waGY0
>>562
分かりました
結局悟りを得ないとありのままではないのですね
それまで精進します、ありがとうございました

564避難民のマジレスさん:2024/06/09(日) 19:20:33 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

「ラマナ・マハルシとの対話」の1巻を読んでいて、

自分は主体でも客体でもなく、身体があるから自分を主体だと思い込んでいる=主体に自我を投射しているだけで、自分というものは本当は存在しないのでは?

と思ったのですが、こういう解釈でよろしいでしょうか?

565鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/09(日) 21:56:40 ID:og7VVMJ20
>>563 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>564 そのような解釈でよいのじゃ。
 そもそも悟りを得ていない者は何が主体なのかも理解していないものじゃ。
 名前とイメージが主体であると認識しているのじゃ。
 実際にはそれらは何もしていないのじゃ。
 ただ投射されている観念なのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

566避難民のマジレスさん:2024/06/09(日) 22:15:45 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。鬼和尚様がいらっしゃるので安心して覚者の本を誤解せずに読み進められます。

567避難民のマジレスさん:2024/06/10(月) 20:09:26 ID:/E.6Jbwo0
以前、鬼和尚の仏教勉強会ブログで、現代は命の危険にさらされる事はないので怒りは不要な感情であると書いてありました。
孤独も同じと思いました。昔は集団から疎外されると命の危険があるため、孤立に対してネガティブな感情を感じるようになったのだと考えられます。
現代では孤独であっても命の危険はありません。よって、これもまた不要な感情と思います。
鬼和尚様は孤独の感情についていかがお考えでしょうか?

568鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/10(月) 21:55:07 ID:Y4sxEsgY0
>>566 どういたしまして、またおいでなさい。

>>567 そうじゃ、孤独も全く不要な感情なのじゃ。
 本来はないものじゃ。
 自分という観念によって起こり、逃避を作り出すもとになるものじゃ。
 完全に滅してよいものじゃ。
 実践して滅するとよいのじゃ。

569避難民のマジレスさん:2024/06/11(火) 02:13:44 ID:V.YE2/JE0
>>558
>>561
556です。ありがとうございます。あぁ無常でした
管理者だった菩薩さまも
いま金剛経やってる菩薩さまも皆様ありがとうございました

570避難民のマジレスさん:2024/06/11(火) 18:16:55 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

ラマナ・マハルシの本を読んでいるとマハルシはこの現実世界を「影の世界」と説明していますが、天界も影の世界ということになるのでしょうか?天界は楽しすぎて解脱の修行をする気が起きない影の世界ということになるのでしょうか?

571避難民のマジレスさん:2024/06/11(火) 21:44:02 ID:/E.6Jbwo0
>>568 ありがとうございます。
自分という観念→自他の区別→切り離された不安→孤独
と感じているようです。何度も観察してみます。

572鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/11(火) 21:48:19 ID:W5POQhHc0
>>570 そうじゃ、天もやはり観念の世界に過ぎないのじゃ。
 影の世界なのじゃ。
 いずれは滅していくしかない世界なのじゃ。
 今ここで実践すれば永遠の安楽に至れるのじゃ。

>>571 善い観察なのじゃ。
 そのように恐れず観察すれば孤独も滅するじゃろう。
 さらに精進あるのみなのじゃ。

573避難民のマジレスさん:2024/06/12(水) 20:10:50 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。天界より苦界に生まれて良かったのかもしれません。

574鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/12(水) 21:59:05 ID:Dm4OQAZ20
>>573 そうじゃ、この娑婆世界でこそ輪廻の生が一切苦であると気づけるのじゃ。
 今こそ精進して永遠の安楽に至るとよいのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

575避難民のマジレスさん:2024/06/13(木) 20:17:44 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

悟り鑑定をお願いしたいです。
チャネリング本の古典として有名なメアリーマーガレット・ムーアさんがチャネリングしていた高次の意識体のバーソロミューは悟っていますか?

576鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/13(木) 21:57:52 ID:dv49FvDw0
>>575 悟っていないのじゃ。
 そのような神降ろしの神とか霊等はまだ輪廻の中にいるのであるから悟っている筈はないのじゃ。
 悟りを得て輪廻を解脱して涅槃に入ったならばもはや言葉も超えているから霊媒にも何も言わないのじゃ。

577避難民のマジレスさん:2024/06/13(木) 22:40:26 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。バーソロミューはAmazonのレビューが高評価で読んだら結構良いことが書かれてあったので悟ってないとのことで割とショックです。もう読むのはダンマパダとスッタニパータとラマナマハルシとプンジャジとマハラジとクリシュナムルティとOSHOとグルジェフと鈴木大拙の本ぐらいにしておきます。

578避難民のマジレスさん:2024/06/14(金) 16:43:50 ID:5qCc4P7M0
人に会う機会が少ないなど自分にできる物理的な善事が少ない時は、
他者への幸福を願ったり祈ったりすることは善事になりますか?

579鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/15(土) 00:07:48 ID:1TLZbNGI0
>>577 それがよいのじゃ。
 なるべく本人の肉声や原典に近いものを読むとよいのじゃ。
 他人がかかわるとそれだけで意味が歪んだりするからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>578 それも善事になるのじゃ。
 慈悲による行いであるからのう。
 他人の善事を称讃したり祝福するのもよいのじゃ。
 心が清められるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

580避難民のマジレスさん:2024/06/15(土) 13:13:20 ID:evm3V4uM0
>>579
分かりました。
ニュースで寄付や人助けをする人を知った時はその人達へ感謝と祝福をやってみようと思います

581避難民のマジレスさん:2024/06/15(土) 18:59:36 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

悟り鑑定をお願いしたいです。
OSHOの弟子のニロ・マルコフ・アシスタント(Niro Markoff Asistant)さんは悟っていますか?
ニロさんはパートナー経由でHIV陽性になったのですが、瞑想やヒーリングなどによってHIV抗体検査の結果が陰性になったそうです。
ニロさんのフルネームで画像検索したら彼女の顔を拝見できるのですが、悟った人の特徴の目が死んでいるのか私ではわかりません。

582避難民のマジレスさん:2024/06/15(土) 19:36:26 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

正しくは

Niro Markoff Asistent

さんでした。
スペルミスすみません。

583鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/15(土) 22:01:22 ID:W5POQhHc0
>>580 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>581 悟っていないのじゃ。
 オショーの瞑想をしたらエイズが治ったというだけじゃな。

584避難民のマジレスさん:2024/06/15(土) 22:26:09 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。現代の女性の覚者がいたら励みになると思ったのですが、テーリーガーターを読むことにします。

585避難民のマジレスさん:2024/06/16(日) 19:00:16 ID:znAG/Ztg0
願望の実現が他人とかぶった場合どうなるのかなと疑問なのですが、例えばこういう理解でよいでしょうか?

宝くじ一等賞一億円当選を願う人が二人います。宝くじが開催される機会がそうそう無いとします。
二人は過去生において宝くじ一億円当選に相応の布施をしていたとします。
今生での善行もどっこいどっこいだとします。
二人とも当選するに相応の因があるとします。
あとはその宝くじの使い途や当選した時の家族の心持ちや環境としてより、自他や全体への貢献になる方が願望が叶いやすいでしょうか?大金など当たらないほうが良い場合もありますので。

なかなかあり得ない例えですみませんが、願望実現のやり方を人に教えるのに善人の方が叶いやすいということを多少は理屈を交えて伝えたいのです。

586避難民のマジレスさん:2024/06/16(日) 19:06:54 ID:h5P9mv0k0
解脱を目指そうと言う気持ちになりやすい者にはどんな特徴があるのでしょうか?
例えば若い頃に死にかけた体験がある、生きることに楽しみを見出せない、前世から修行をしていたなど。
どう言った傾向の性格・資質、また特定の体験をしている者が解脱に興味を持ちやすいのでしょうか?

587鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/16(日) 23:10:57 ID:ieJYPhcY0
>>584 そうじゃ、どんどん読むとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>585 そうじゃ、自他や全体への貢献になる方が願望が叶いやすいといえるじゃろう。
 そのような者は心が清いのであるからのう。
 清い心の者に福楽もやってくるとお釈迦様も説いているのじゃ。

588鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/16(日) 23:15:21 ID:ieJYPhcY0
>>586 一番はやはり前世から修行していた者じゃな。
 それから死に掛けてこの世の無常を感じた者とかじゃな。
 他はなかなか難しいじゃろう。
 楽しみがこの世になければ単に自殺するとかのほうが多いじゃろう。

589避難民のマジレスさん:2024/06/17(月) 20:28:46 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

オショーの言葉に

愛は究極的には満足を与えることができない。ひじょうに長い道のりを行くことはできても、全行程を行くことはできない。最後にはあなたはそれを超えてゆかねばならない。愛することで、いかに愛するかを学ぶがいい。そしていつの日か、学んだことを生かして<全体><存在そのもの>と恋に落ちなさい。

というのがあるのですが、私が考えてもよくわからないので解説をお願いしたいです。

590鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/17(月) 23:15:16 ID:ieJYPhcY0
>>589 愛とはまだ個我の認識がある者が持つ感情なのじゃ。
 個我を滅する時にはそれも消えてしまうのじゃ。
 愛に執着すれば個我を失う恐れも起こるじゃろう。
 愛を超えていかなければ自我もなくならないのじゃ。
 愛を超えて進めば自我も滅して無我になるのじゃ。

 しかし他のものを愛することが無意味だったということではないのじゃ。
 その情熱は悟りを求める道にも通じるのじゃ。
 悟りの道によってかつて愛しあっていたが死によって別れた者たちも、全てとして再び繋がることもできるのじゃ。
 むしろひと時も離れていたことはなかったと気付くじゃろう。
 そのために愛もあったのじゃ。

591避難民のマジレスさん:2024/06/18(火) 12:29:44 ID:ZCCvFmQ60
>>588
そうしますと転生を繰り返す時点のどこかまたは今世で、死にかけ世の無常を感じ修行をスタートするまでは、解脱をめざすことはないということですよね

592避難民のマジレスさん:2024/06/18(火) 15:43:16 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。キリスト教系の本を読むと愛以外は全て幻想(最終的に残るものは愛しかない)などと書かれてあったので愛も消えるとは驚きです。

593避難民のマジレスさん:2024/06/18(火) 18:40:11 ID:nTFj7Fio0
鬼和尚さん

ちょっとした怒りはどうやって捨てたら良いですか?
ちょっとした怒りでも原因を探った方が良いですか?
それとも、すぐにそのことは考えないようにしたり、別のことを考えて忘れてしまった方が良いですか?

594鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/18(火) 23:05:09 ID:nRJAF7AE0
>>591 すべての者が同じ道を歩むわけではないのじゃ。
 お釈迦様のように死人や老人や病人を見ただけで修行する人もいるじゃろう。
 舎利仏や目連のようにただ不死の境地を目指す者もいるじゃろう。
 人によってかなり違うのじゃ。

>>592 悟りを知らぬ者には愛がすべてなのじゃろう。
 それよりも偉大な永遠の境地を知る者は愛さえも捨てるべきものと知っているのじゃ。
 すべてが一つであると感じれば愛さえも必要ないのじゃ。

595鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/18(火) 23:08:03 ID:nRJAF7AE0

 >>593 ちょっとした怒りでも原因を探った方が良いのじゃ。
 そうすれば自分を知り、観察の修行の鍛錬にもなるじゃろう。
 それによって観察力も強くなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

596避難民のマジレスさん:2024/06/19(水) 05:12:56 ID:FxoUtih.0
>>594
愛についてですが
家族の身を案じるのは愛だと思います
自分の身を案じることもあります
しかし自分が安泰であるときは自分の身を案じたりはしません。
すべてが一つで自他も一つで、更に自他も安泰だと思えたなら案ずる(愛)をする対象もありません
そのような対象がもはやなくなれば、世間で愛と呼ばれる以上の真の愛とも言えると思います
そんな感じでしょうか?

597避難民のマジレスさん:2024/06/19(水) 05:28:55 ID:s9PKrqNE0
>>596
あとは愛とは恋愛や親子愛などは会いたいとか一緒にいたいと欲がありますが、
悟ってない人でも普段、自分と会いたいとか思ってる人はいないと思います
それも自他が一つならそれと同じということでしょうか?

598避難民のマジレスさん:2024/06/19(水) 13:53:00 ID:maVMPz0s0
究極の悟りまで行くのは厳しい気もするので、「不死の境地」の片鱗だけでも体験したいと思うのですが、
①木蓮が目指した不死の境地とはどのようなものですか?
②肉体とは別に幽体のようなものはありますか?
③あると仮定して、YouTubeとかで浮幽霊にインタビューしているような動画の中には本物もありますか?
④幽体にも寿命かありますか?
⑤取り敢えず幽体だけでも体験したいのですがどのような訓練が必要ですか?

599593:2024/06/19(水) 22:03:52 ID:tptE5h0s0
>>595
鬼和尚さん、ありがとうございます。
観察力をつけるために、ちょっとした怒りでも原因を探すようにがんばります。

600鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/19(水) 22:36:58 ID:WspkXoyg0
>>596>>597 そのような理解でよいのじゃ。
 すべて一つであればもはや他の対象への愛はないのじゃ。
 それこそ真の愛とも慈悲とも言えるのじゃ。
 自他の喜びも悲しみも一つと見るのじゃ。

601鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/19(水) 22:42:18 ID:WspkXoyg0
>>598 一 悟りの境地なのじゃ。
     そこまでいかなくては不死の境地とは言えないのじゃ。

   二 肉体も含めたすべてが意識なのじゃ。
     肉体がなくなっても意識はあり続けるのじゃ。
     それを感じればよいのじゃ。

    三 無いのじゃ。
      妄想なのじゃ。

    四 意識には時もないのじゃ。
      そうであるから永遠なのじゃ。

    五 瞑想が深くなれば肉体の外にも意識があることが感じられるじゃろう。
      無色界禅定にまで到達すればそれは感じられるのじゃ。
      それまで実践あるのみなのじゃ。

602鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/19(水) 22:43:46 ID:WspkXoyg0
>>599 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

603避難民のマジレスさん:2024/06/20(木) 15:07:01 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

ラマナ・マハルシの本に「行為者の感覚を放棄しなさい」と度々書かれてあるのですが、私は「行為者の感覚を放棄できるのは自分の自我を破壊した後では?」と思いました。鬼和尚様は修行のどの段階で行為者の感覚を放棄できたか教えていただきたいです。

604鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/20(木) 23:24:46 ID:xw2NPuZo0
>>603 おぬしの言うとおりわしもそんなことができたのは、無我になってからなのじゃ。
 
 無我になっていなくとも瞑想が深くなってサマーディに入ればできるじゃろう。
 それを放棄してサマーディに入るようにという教えなのじゃろう。
 瞑想が深くなっても行為者という主体への幻想があれば、サマーディには入れないからのう。

605避難民のマジレスさん:2024/06/21(金) 14:16:47 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。私が人生に疲れたとか働きたくないと思うのは私が身体の疲れや行為者の感覚に自己同一化しているからでは?と思ったのですが、やはりそうみたいですね。さっさと解脱して鬼和尚様やラマナマハルシやプンジャジのように行為者の感覚なしに働けるようになりたいです。

606避難民のマジレスさん:2024/06/21(金) 15:15:47 ID:kVgxHecY0
止の瞑想を行っていると達するというサマーディについて教えて下さい。
行為者という主体があるという幻想がなくなると、この状態になるとのことです。
これは、正しい姿勢により、丹田から発生した気が頭に昇ることで、
その幻想(観念)が忘れられるので起こるのですか?
それとも、呼吸への意識集中が極まることによって、観念が忘れられるから起こるのですか?

607鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/21(金) 22:34:03 ID:W5POQhHc0
>>605 そうじゃ、行為者があるという幻想があれば苦もあり続けるのじゃ。
 それが実はないものと気づけば苦も滅するのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

608鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/21(金) 22:50:32 ID:W5POQhHc0
>>606 基本的には集中力によるものじゃ。
 気が頭に上るのはその補助になるだけなのじゃ。
 強い集中力があれば気が頭に上らなくとも入れるのじゃ。
 自分を忘れるほど強い集中力が必要なのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

609避難民のマジレスさん:2024/06/22(土) 10:17:21 ID:kVgxHecY0
>>608
教えていただきありがとうございました。
集中力が最も重要とよくわかりました。
自分の現在の集中力を図る尺度として、
どのようなものが適切でしょうか。
何か尺度があれば進捗がわかり励みになると思います。

610鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/22(土) 21:44:37 ID:xw2NPuZo0
>>609 大体は集中していられる時間の長さで図られるのじゃ。
 初心者は一分も集中していられないじゃろう。
 集中しようとしても直ぐに雑念に流されてしまうのじゃ。
 一分集中していられれば初心者は卒業じゃな。

 二分から三分集中していられれば進歩したのじゃ。
 修行の門の入り口に入った入門者じゃな。

 五分も集中していられれば立派な修行者なのじゃ。
 オショーは五分も集中していられれば悟るには十分だといったのじゃ。
 
 五分以上も集中していられるならばもはや初禅に入ってもいるじゃろう。
 その後は仏教の禅定の階梯に倣うとよいのじゃ。
 初禅の次は二禅、次は三禅と続くのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

611避難民のマジレスさん:2024/06/23(日) 07:59:54 ID:maVMPz0s0
>無色界禅定にまで到達すればそれは感じられるのじゃ
①数息観を実践する
②感覚、雑念に囚われず観察する
③想念、風景、夢のようなビジョンが生じるが囚われず見る
④これらの事を体験しているものを観察する

このような感じの座禅でいいのでしょうか。私は③まで行きますが、④移行がよくわからないですね。
その先の⑤、⑥などがあれば教えてください。
ちなみにこう言う流れの中で無色界禅定はどこに該当し、体外離脱体験などはどのようにすれば出来るでしょうか
また、幽霊を見たり対話することは出来ますか?
そう言う能力を持った人は、普通に町中にゴロゴロ居て普通の人だが青白く透けて見えるから分かるとか言います。
鬼和尚もそう言った霊を見たり、話しかけられたりすることもありますか?

612避難民のマジレスさん:2024/06/23(日) 09:21:59 ID:YwmvUkeQ0
>>611
無色界禅定まで入ったことのある者です。自在には入れませんが。
入ったことのあるものは未だ少ないでしょうから鬼和尚さんの回答とは別に分かることを回答いたします。

体外離脱や幽霊との対話はしたことありません。幽霊だと思う物が出てきたら魔境であると戒めます。
世間的にみて不思議といえは不思議な体験は多々ありますが、あくまで個人的に不思議なだけであり、それも何を見ても囚われないのが修行の基本であると戒めます。
それでも、不思議さが気になることもありそれは何だったのか、やや年月を経て分かりましたことは敢えて言葉で説明するなら、平等性智によりありのままの姿を垣間見た故に不思議体験が起こったと言うことです。
如来にはまるで及びませんが自我が薄れた時に平等性智はおこります。
また後ほど続きを書きます

613避難民のマジレスさん:2024/06/23(日) 11:37:07 ID:kVgxHecY0
>>610
教えていただきありがとうございます。
集中、ということについてもう少し教えて下さい。
今回の場合の集中とは以下のどれに相当しますでしょうか?
1、思考が出て一瞬、意識は思考にフォーカスするが、すぐにそれに気づき思考をスルーする
2、思考が出たとしても完全にスルーする
3、そもそも思考が出ない
あと、私の場合ですが思考がない状態なのか、単に寝てしまっているのか
区別がつかない場合があります。
思考はでませんが、呼吸へ意識を置いている、という感覚も消えます。
呼吸へ意識を置いている、という感覚が途切れた場合、集中が途切れたとみなすべきですか?

614避難民のマジレスさん:2024/06/23(日) 18:09:24 ID:D9f0lBZw0
>>612

五 瞑想が深くなれば肉体の外にも意識があることが感じられるじゃろう。
      無色界禅定にまで到達すればそれは感じられるのじゃ。
      それまで実践あるのみなのじゃ。


これは事実です。
最近見かけない近所の野良猫を案じその者の幸せを一心に願っていたところ、何日か色界に入っていたようでした。
そしてある日の昼に軽く幸福感が高まり、居ても立ってもいられない気持ちになり窓に駆け寄りました所、その者がちょうど通りかかるのを観ました。
その者は基本は家の外に出た時にやってきたりするので窓から見かけることは殆どありません。
私はその者が窓の外を通ることは顕在意識では予知できません。理由もなく窓に駆け寄りたい気持ちが高まり居ても立ってもいられない気持ちになっただけです。
これはその者と意識上繋がっているから分かったとも言え、同時に近所のそのあたりの空間も私自身なので通りかかるのも無意識で分かったのだと思います。
身体の手足の先までが己という感覚は錯覚に過ぎず、己はもっと広い範囲の空観にも渡っているのが無色界禅定にはいれば分かるでしょう。

615避難民のマジレスさん:2024/06/23(日) 21:58:15 ID:zMA.Jx3g0
鬼和尚さん

私は最近、欲が増えている感じがします。
苦しいほどではないですが、ネットでおいしそうなものや楽しそうなものを見ると何となく欲しくなります。
得したいとか楽しみたいという気持ちがあります。
その気持ちを自然だと思ってしまいます。
修行者はどうやってこういう気持ちを滅するのでしょうか?

616鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/23(日) 23:09:13 ID:rGoDu/1s0
>>611 集中の瞑想では三まででよいのじゃ。
 そのうちに肉体をも忘れる時がくるのじゃ。
 そのときには肉体だけでなく外にも意識はあることが実感できるじゃろう。
 それが無色界禅定なのじゃ。

 対外離脱などはその意識の一部が自分であると錯覚しているだけなのじゃ。
 実際には自分もなく広がっているだけなのじゃ。

 死者は意識としてどこにでもいるのじゃ。
 たいてい寝ているのじゃ。
 夢の中であったり話しもできるのじゃ。

617鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/23(日) 23:18:28 ID:rGoDu/1s0
>>613 それもまた入門からの階梯じゃな。
 
 入門したばかりのものは一じゃろう。
 完全にスルーできれば修行者じゃな。
 思考がとまるのは粗雑な心の働きが止まるのであるから、初禅となるのじゃ。
 
 それが認識できているのであるから初禅じゃろう。
 完全に寝ていたらなにが起きているのかもわからないのじゃ。
 それを認識している意識を感じるのじゃ。

618鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/23(日) 23:25:56 ID:rGoDu/1s0
>>615 その心の働きを観察して滅するのじゃ。
 欲があるのも原因があるからであり、原因から欲が起こることを観察するのじゃ。
 原因がなければ欲もないことも観察するのじゃ。
 修行者はそのようにして欲を滅して歩むのじゃ。

619避難民のマジレスさん:2024/06/24(月) 00:44:47 ID:kVgxHecY0
>>617
教えていただきありがとうございます。
自分の場合なのですが、思考がない状態をリアルタイムで認識してないようです。
タイマーをかけていて、タイマーが鳴った後、その前の記憶がないため
思考がないのか、寝てしまったのかのどちらかだろう、
と後から予想している、というのがより正確な表現になります。
初禅とは、思考が止まった状態をリアルタイムで認識できる状態をいいますか?
あるいは、粗雑な心の動きが止まると意識がなくなったように感じることはありえますか?

620615:2024/06/24(月) 21:48:28 ID:aNTyd8nI0
>>618
鬼和尚さん、ありがとうございます。
食べ物の写真を見てしまうと、いいなと思い、食べたくなります。
好みのものなら欲しいですが、好きではないものなら欲しくなくなります。

鬼和尚さんは以前、欲を捨てるためには好悪の感情を捨てると書いていましたが、好悪の感情を捨てるにはどうしたら良いんでしょうか?

621避難民のマジレスさん:2024/06/24(月) 22:06:28 ID:maVMPz0s0
5歳児の子供に「死んだらどうなるの?」と聞かれますが、どう答えれば良いですか?

622鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/24(月) 22:11:33 ID:wSxoryDc0
>>619 今思考が止まっているとわかる状態なのじゃ。
 おぬしは記憶が意識であると思っているようじゃ。
 そうであるから記憶がなければ意識もなかったと思うのじゃ。゛
 本当に寝てしまえば座ってはいられないのじゃ。
 意識はあり、思考はないが記憶できないから意識はなかったと思っているのじゃな。
 思考のない心の状態を意識して記憶できるように念じるのじゃ。
 
 実践あるのみなのじゃ。

623鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/24(月) 23:07:00 ID:wSxoryDc0
>>620 それもまた原因から観察できれば消えるのじゃ。
 だいたい好悪の感情は自分がよいことや、いやな事にあった記憶と結びついているのじゃ。
 りんごを食べておいしかったという記憶があれば好んだりするのじゃ。
 のどにつまらせて死ぬかと思った記憶があれば嫌ったりするのじゃ。
 そのような原因から起こる感情を観察するのじゃ。

>>621 何も変わらないというとよいのじゃ。
 すべては意識であり、死によっても変わらずありつづけるのじゃ。
 どこかにいくのではなく、今ここにあり続けるのじゃ。
 そのように答えるとよいのじゃ。

624避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 11:31:09 ID:kVgxHecY0
>>622
教えていただきありがとうございます。
初禅では、今、思考が止まっていると、自分でわかる状態であると知りました。
ところでその状態でも、息の数は数え続けられるものでしょうか?
あと、私は目を閉じて瞑想していますが、薄目にしたほうがよいと思われますか?

625避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 12:40:49 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

鬼和尚様のブログの2018年の2月の記事の「帰宅の喩」は法華経の「長者窮子の喩え」が元だと思います。記事に「悟るには自分の自我と愚かさと怒りと貪欲を捨てるように」とアドバイスしてくださっていますが、私はこの記事を初めて読んだ時に「怒りを捨てるってどうやるんだ?それが出来ないから苦労してるんだが」と思いました。そこでマハルシやプンジャジなど色々な覚者の本を読んで思ったのですが、

怒りを捨てるとはつまり自分の感情は本当は自分のものではないのに自分のものだと思っている(感情に自我を投射して感情と自己同一化している)ので、心の観察でそのことを明らかにしたら自我、愚かさ、怒り、貪欲を捨てることができる(感情との自己同一化をやめられる)ということなのかなと思ったのですが、この解釈で合っていますか?

626避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 12:41:21 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

鬼和尚様のブログの2018年の2月の記事の「帰宅の喩」は法華経の「長者窮子の喩え」が元だと思います。記事に「悟るには自分の自我と愚かさと怒りと貪欲を捨てるように」とアドバイスしてくださっていますが、私はこの記事を初めて読んだ時に「怒りを捨てるってどうやるんだ?それが出来ないから苦労してるんだが」と思いました。そこでマハルシやプンジャジなど色々な覚者の本を読んで思ったのですが、

怒りを捨てるとはつまり自分の感情は本当は自分のものではないのに自分のものだと思っている(感情に自我を投射して感情と自己同一化している)ので、心の観察でそのことを明らかにしたら自我、愚かさ、怒り、貪欲を捨てることができる(感情との自己同一化をやめられる)ということなのかなと思ったのですが、この解釈で合っていますか?

627避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 18:05:21 ID:sEaF72hU0
働かずに、環境の心配なく修行に専念できる環境を引き寄せるには布施はどんな感じでしたら良いですか?
普通の者はは収入の5%ですが私は修行者です。
毎月余った生活費を全て布施すると年間で足りなくなりますが、1〜2年間でかかる経費生活費は概ね把握し積立してます。
それ以外の収入は全部布施に回せば良いですか?
働くのが嫌というより、働いてるとキャパシティ以上に世間の人たちに関わらなくてはならないのが辛いです。
職場で雑談を聞くのが嫌だったり、飲み会とかBBQの誘いが来るのも嫌です。
雑談もごくわずかな限られた友人や血縁なら悩みや愚痴を聞いたり、たまに食事に行くのはいいです。毎日会うわけでなし、善行として友人の悩みを聞いています。
職場は毎日いろんな人に対面するので辛いです。

628避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 18:17:13 ID:0IlvGjy20
>>627
追記です
今思えばコロナ禍は出かけない理由をコロナのせいにして快適でした。
コロナ禍が来た時は「自分の親世代の若い頃に比べ、今は旅行だの飲み会だの盛んになっている。出かけ過ぎである。もっと世間の人は自己内省をするようコロナ禍が来たのだ」と思いました。
コロナ禍みたいな自粛の世界はもう来ないでしょうか?
とはいえ世間の人が遊び過ぎを咎めてるわけでも、病人が増えてほしいわけでもないです。
ただ世間が自粛が前提の世界だと自分が修行しやすいから望んでいます。

629615:2024/06/25(火) 21:24:18 ID:HtiCNzhE0
>>623
鬼和尚さん、ありがとうございます。
好悪にも原因があるのですね。
詳しく観察してみます。
ありがとうございます。

630避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 21:51:16 ID:maVMPz0s0
>>621 何も変わらないというとよいのじゃ。 すべては意識であり、死によっても変わらずありつづけるのじゃ。 どこかにいくのではなく、今ここにあり続けるのじゃ。 そのように答えるとよいのじゃ。

私が分からない。(笑)
死んだら今もここもないのでは?
ただ、ハイデガーは、人間をダーザイン(今、ここ)存在であると言いましたね。
鬼和尚の話を聞くと、まるで悟っているかのような秀逸な定義ですね。

631鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/25(火) 22:02:08 ID:.nB1ib1w0
>>624 数えられるのじゃ。
 思考ではなくただ習慣の力で息を数え続けられるのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

 今までやっていたやり方でよいのじゃ。
 それで進歩してきたのであるからのう。
 おぬしに合っているのじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

>>625 そのような解釈でよいのじゃ。
 怒りに自己同一化していれば怒りは捨てられないのじゃ。
 自己同一化がなくなれば怒りも捨てられるのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

632鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/25(火) 22:09:24 ID:.nB1ib1w0
>>627 そのような環境を具体的にイメージしてそれが来るようにと念じながら布施をするとよいのじゃ。
 金額は5%でよいのじゃ。

 さらに付き合いも布施の実践としてやるとよいのじや。
 愛語や和顔で人を癒すのじゃ。
 そうすればその人々からよい話も聞けるかもしれんのじゃ。
 形にとらわれずに布施をするのじゃ。
 そうすればやってくる福楽も大きいと金剛経にも書いてあるのじゃ。

633鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/25(火) 22:12:01 ID:.nB1ib1w0
>>628 またくるじゃろう。
 今もコロナとインフルエンザが流行っているというからのう。
 いつでもそれを口実に使うとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>629 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

634鬼和尚 ◇Yj52hBkdLM:2024/06/25(火) 22:14:59 ID:.nB1ib1w0
>>630 悟っていなければ死んでも自分はあり、今もここもあり続けるじゃろう。
 寝ている時と同じなのじゃ。
 寝ても何かが変わるわけではなく目覚めれば今ここにいるとわかるのじゃ。
 死とはそのようなものというとよいのじゃ。

635避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 22:28:02 ID:maVMPz0s0
>>630 悟っていなければ死んでも自分はあり、今もここもあり続けるじゃろう。 寝ている時と同じなのじゃ。 寝ても何かが変わるわけではなく目覚めれば今ここにいるとわかるのじゃ。 死とはそのようなものというとよいのじゃ。

すると、悟っていれば、いまここは無いんですか?
余計わからなくなりました。
寝て起きるようなものだよと言えば、じゃあ起きたらパパとママとはもう会えないの?言われると思います。

636避難民のマジレスさん:2024/06/25(火) 23:25:49 ID:jkCSE3uI0
鬼和尚様

回答ありがとうございます。解釈が合っていて良かったです。ラマナ・マハルシの映画のスクリーンのたとえを読んでから、人生が自分の思い通りにならなくてイライラするのは映画を見ていてストーリーが自分の思い通りにならなくてイライラするのと同じことなのかもと思いました。もっと観察者の意識で生きたいと思います。

637避難民のマジレスさん:2024/06/26(水) 08:23:59 ID:jd68OdNo0
>>632
わかりました
布施をする時にアファメーションします
断れるイベントは断り、断りきれなかったものは修行としてやってみます
普段は和顔を心がけています。話すときは微笑んでいます。そうすると結構優しくしてもらえますね。
ある時気がついた時は大人になると笑顔が作れなくなる人が多いですね。
子どもみたいに笑顔ができる人のほうが圧倒的に少ないです。
楽しい冗談を言い合ってる人でも顔が笑えてない人もいます。
それなりに順風満帆そうにみえる人でもやはり無意識に心の苦しみが出てるのでしょうか?

638避難民のマジレスさん:2024/06/26(水) 10:54:28 ID:kVgxHecY0
>>631
わかりました。今までの方法を続けます。
たくさんのことを教えていただき、ありがとうございました。

639避難民のマジレスさん:2024/06/26(水) 12:28:52 ID:Puq5bFxs0
>>633
物理現象として各種感染症が増えている理由として、ITグローバル化、輸送技術発展、世界の経済成長などで人の移動が20年以上前に比べ激しくなってるからでしょうか?
昔のスペイン風邪も戦争で急な人の移動が原因と聞きます。
現代ではスペイン風邪以上に、これまでの人の移動量に対してウイルスへの人体の免疫対応に一旦限界が来たのではないかと思ってます。

再び緊急事態宣言時のように自粛の世相が来るまでは、ある程度の他者との関わりは辛抱します。なんなら友人とも会わなくても全く寂しくないです。修行に理解のある者とだけ関われば十分です。

640避難民のマジレスさん:2024/06/26(水) 21:29:35 ID:QkUMmq7o0
悟っても、その人の性質、たとえば、丁寧なタイプとか機敏なタイプとか残ると思いますが、悟ったその人自身も、私は丁寧なタイプだからこの仕事が向いてるなど、自己認識があるのでしょうか。
また自己認識があるとすれば、仕事を選ぶときには、その自己認識に基づいて、自然に選択するのでしょうか。


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