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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

789鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/12/18(日) 00:14:04 ID:ew2h/pV60
 反対なのじゃ。
 なぜ出来ないのかと聞いたのじゃ。

 答えたのじゃ。
 命令の意味を表す接尾辞は、殺害や飲酒を表す語とともに認識されたときには、それらを命じているのじゃ。
 これが一般規則であるなのじゃ。
 
 だが、それらを命ずることは不可能なのじゃ。
 何故なら貪欲から生じたものだからなのじゃ。
 命令によって行ったものではないからだというのじゃ。

 否定詞が非定立否定を命じているということもないのじゃ。
 何故なら、無関心な 状態を本質とするそれ非定立否定は、存在が生ずる以前の非存在という形ですでに存在しているので、すでに成立しているからだというのじゃ。

 また否定詞が命じているのはやめようという努力でもないというのじゃ。
 何故なら、それは直接表示されていないので、間接に表示されていることになるが、直接表示の可能性がある場合には、間接表示は正しくないからなのじゃ。

 さらに、命令の意味を表す人称語尾が、貪欲から生じた活動に再言及しているので儀軌の対象となるのは不適当なのじゃ。
 従って「飲むべきである」とか「殺すべきである」という儀軌に再び言及したのち、否定詞がそれはするべきではないと禁止していることになるのじゃ。
 すなわち否定詞は、それが存在しないことを認識させはするが、否定詞の表す対象を命じているわけではないのじゃ。
 
 そして非存在は自己と対立する存在によって限定されているので、存在の影を宿しているのじゃ。
 非存在は潜在的に存在するものを示しているというのじゃ。
 そ のためあるものごとがすでに存在する場合には、非存在もすでに存在するかのように見え、また、存在がこれから実現しなければならないものであれば、非存在もこれから実現しなければならないものであるかのように見えるだけなのじゃ。

 従って否定詞の表す対象は、これから実現しなければならない存在との関係で、これから実現しなければならないもののように見えるだけなのじゃ。
 そうであるから否定詞の表す対象が行わなければならないことであるというのは、錯誤なのであるとシャンカラは言っているのじゃ。

 反対なのじゃ。
 否定詞はそれと関係づけられているものが存在しないことを認識させるのだ、としても活動しようとしている心や言語器官や身体が原因もないのにその活動を停止したりしないというのじゃ。


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