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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

564避難民のマジレスさん:2022/09/12(月) 06:20:41 ID:b9y8PlGw0
(つづき)   p306-307
  そののち、このようなプラザンキヤーナ念想一[その]特徴は永遠なものと無常 なものとを識別するところにある一から、現世と来世において利益を享受したいという欲求を捨てることか(ら)生ずるのである。[ここで利益というのは]、求められている もの、望まれているものという意味、すなわち果報等の意味である。[そして]、それ (利益)を捨てることとは、[その利益を]享受しないことを本質とする無関心な気持ち (buddhi)のことである。それから、心の平静・心を馴らすこと等の手段を得ることが [生ずる]。というのは、食欲等の汚れという酒に酔った心(思考器官,manas)は、感覚器官をそれぞれの対象に様々に向かわせ、善悪という果報を生みだす様々な活動を 生じさせて、人を輪廻という火山一[それは]様々な苦しみという業火の混ざり合っ たものである一の中に供物として投げ込むのである。しかし心(思考器官)は、プラサンキヤーナ念想を反復することで得られた離欲が完成する(熟する)と、食欲等の汚れという酒の酔いから醒めて、人に克服すなわち制御されるのである。[そして]、離欲を原因とする、まさにこの心(意)の克服が、心の平静(śama)とも「心の制御と 呼ばれているもの」335とも言われるのである。そして、克服された心(思考器官)は、 真理という対象に対して適応しやすくなる。まさにこの[適用]しやすさが、心を馴らすこと(dama)なのである。たとえば、「この若い牛は飼い馴らされている」というのは、「鋤や荷車などを運ぶのに適すようになった」ということである、と理解するようなものである。[『註解』本文中の]等という語には、対象を捨てようという欲求 (titiksā)、それ(対象)から退くこと(uparama)、真理を信ずることが含まれる336。 同じ趣旨で、「従って、[このように知る者]は、平静で、心が馴らされており、[対象 から]退いていて、[対象を]捨てたいと望んでおり、信仰をそなえた者となって、自己の中にアートマンを見、すべてをアートマンの中に見るのだ」337という天啓聖典旬がある。この心の平静・心を馴らすこと等の手段を得ること、すなわち[それらの手段が]優れたものとなることが、心の平静・感覚器官の制御(あるいは心を馴らすこと) 等の手段を得ることなのである。そののち、この人(優れた人)に、輪廻の束縛から解脱したいという欲求が生ずるので、[師シャンカラは]、解脱を求める者であることであ ると言っているのである。そして、ブラフマンー[それは]本性上永遠で、清浄で、 悟っており、解脱しており、真実である一の知識が解脱の原因であると聞いて、ダルマの考究の前であろうと後であろうと、この人(優れた人)に、それ(ブラフマン)を 知りたいという欲求(考究)が生ずるのである。従って、[ブラフマンの考究は]まさ に、それら(永遠なものと無常なものとを識別すること等の四種の条件)の直後であって、ダルマの考究の[直後]ではない。だから[師シャンカラは]、というのは、これらが云々と言っているのである。そして、[これらの四種の条件がそろっていれば]、単 に考究だけでなく知識も[生ずる]というので、知ることが[できる]と言っているのである。[そして最終的に]結論づけて、従って云々と[言っているのである]。

脚注
335 336
337ここではUpanisadの原意よりBhāmatī の解釈にあわせて訳した。
(´・(ェ)・`)つ


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