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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

112避難民のマジレスさん:2021/01/11(月) 20:40:11 ID:Dp/qMVVc0
目覚めは間違いなく痛みを伴うが、それが唯一の苦行だ。この苦行、この痛みは、あなたの実際の罪深い状態、自己のろくでもない状態の現実に気づくことから始まる。あなたはこれ以上の幻想を抱くことができなくなる。現実が何であるかを、ありのままに知るのだ。それはあなたが皇帝として自分自身を見ている甘い夢を破壊するので、不幸を引き起こすだろうし、痛みを引き起こすだろう。皇帝は消え、乞食は光の中に立ち、美は消え、醜いものが現れ、善は蒸発し、悪が現れ、あなたの中の動物は裸になって目の前に立つだろう。

これはすべて必要なことだ。とても必要なことだ。この苦しみを乗り越えることは不可欠なのだ。それは出産の苦しみであるため、避けられない。そしてこの後でなければ、動物を直視した後でなければ、動物ではない者をはっきりと知ることはできない。

この動物を目の前で見る人は、動物とは違う存在になる。内なる動物を認識することで、動物との同一性が破られるのだ。観察は観察者と観察された者を分離させる。すると、覚醒の種が蒔かれ、それが完全に発達すると、自己実現へと花を咲かせるのだ。

罪から逃げること、闇から逃げること、動物から逃げることは、修行ではなく、修行からの逃避だ。それは現実からの逃避だ。それは砂の中に頭を隠し、敵を見ることができないので、敵は存在しないという考えに安心を感じているダチョウのようなものだ。これが本当なら、どんなに素晴らしいだろう! しかし、そうではない。敵が見えないからといって、敵が存在しないわけではない。それどころか、その方がもっと危険になる。目を閉じていれば獲物になりやすい。 敵の存在下では、敵について知ることは私たちの利益になるので、私たちの目はすべて広く開かれているべきだ。

無知は弊害以外の何物でもない。 このような理由から、私はあなたに自分の暗黒面を完全に見つけ出し、それを観察してほしい。すべての服を脱ぎ捨て、自分が何者であるかを見なさい。すべての原則や理論を脇に置いて、自分が何者であるかを見なさい。砂から頭を上げて、見なさい。

観察により自分を観て様々な苦を滅しているにも関わらず、自己観察を日に何度も忘れてしまいます。恐らく逃避もあることでしょう。めげずに気づいた時には観察に戻り、観察の時間を増やしていきます。


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