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鬼和尚の仏教講読会 別館2

361避難民のマジレスさん:2021/03/16(火) 23:27:56 ID:pH6aTtb20
鬼和尚、いつもありがとうであります。
「生はらわたを離れる」とはどの様な意味でありましょうか?」

355
杜牧  1/2
誰記慈明老漢婆 誰か記す慈明老漢の婆
無能懶性甕呑蛇 無能のらんしょう亀じゃを吞む
工夫雪月吟魂冷 工夫雪月吟魂冷たし
閑唱桑間濮上歌 閑に唱ふ桑間ぼく上の歌

くま訳
誰が慈明老僧が同棲するお婆さんのことを詩に詠むであろうか(テーマ選択×)
参174の詩 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>980
詩の才能無くけだるい。のろまな地をはう亀に吞みこまれる蛇のようである。(言葉選択×)
工夫して雪月を詠んでも、詩情は薄い(感性×)
閑にまかせて歌うのは、傾国の淫靡な歌である。(作品下品)

*慈明:慈明禅師石霜楚円(986-1039)、北宋の臨済宗第七祖。
 修行時に睡魔に襲われると錐でその腿を刺して凌いだという逸話あり。数多くの法嗣がいたが、なかでも 
 黄龍慧南と楊岐方会はそれぞれ黄龍派と楊岐派の祖となり臨済宗の隆盛に大きく貢献した。
*杜牧(とぼく)803-853年晩唐の詩人。 
 晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と 
 剛健の両面を持つ。七言絶句に優れた作品が多い。
 長安の名門階級に生まれ。828年、25歳で進士に及第。官吏となる。833年、31歳の時に書記を勤めた。 
 このころ詩作を始める。揚州在任の3年間、毎晩妓楼に通い、風流の限りを尽くしたと言われる。835年、 
検閲官に任命され長安に戻ったが、以後各地で多くの官職を歴任するが、政変のため中央での出世は得ら 
 れなかった。杜牧は自分の経歴や処遇への不満を詩に表し始めた 。
 848年に勲功部の副長官に任命された彼は中央に戻り、役職を歴任、853年病に倒れ亡くなった。
 漢詩、賦、古典散文。歴史的な名所や神秘的な情景を描いた繊細で叙情的な絶句を得意としていた。離別 
 や退廃、無常観などを描く詩もある。古典的な形と口語的な語法や語順、言葉遊びなどを組み合わせたス 
 タイルを用いた。彼はまたストーリー性のある長編の詩や孫子の注釈も書いている。
 恋愛詩を作ったことでも知られている。しかし死ぬ前年にその恋愛詩の多くを自ら焼き払ってしまいった。
*桑間濮上(ソウカンボクジョウ):濮水のほとりの桑間という地の意。国を滅ぼすような淫靡(いんび)な
 音楽。また、淫乱であること。殷の紂王が師延(しえん)にみだらな音楽を作らせたが、殷は滅び、師延は
 濮水に身を投げて死んだ。後に、濮水のほとりで聞こえた曲を師涓(しけん)が写し取り、晋の平公のため 
 に演奏したところ、師曠(しこう)が亡国の音楽であるとして止めたという故事による。
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