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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

953鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2023/04/04(火) 00:34:41 ID:zrDxbZtE0
子桑戸;、孟子反、子琴張の三人がかたりあったのじゃ。
 無心でことにあたり、無為でものごとをなすものがいるのかと。
 また天に昇り、霧に遊び、物質を超越して跡もとどめず、生死を超越して永遠の境地に入るものがいるじゃろうかと。
 
 三人は笑いあい心合わせて友になったのじゃ。

 子桑戸は死んだのじゃ。
 まだ葬らないうちに孔子が子貢を弔いにいかせたのじゃ。
 するとみんな歌ったり琴をひいていたりしのじゃ。

 子貢は人が死んだのに歌うのが礼であろうかと、問うたのじゃ。
 二人は笑ってこれが礼の本当の意味だといったのじゃ。

 子貢が帰ってそのことを孔子にいったのじゃ。
 すると孔子は彼らは世間の外に住むもの、我は世間の内に住むものといったのじゃ。
 内のものは外のものにかなわんのじゃ。
 わしがおぬしを弔いに゛したのは間違いじゃった。

 彼らは造物主と同じ心で、天地が一つの境地に遊んでいるのじゃ。
 生を余計なもの、死をも腫れ物のように見るのじゃ。
 そのようでなければ生れるまえと死後までしることができないのじゃ。
 世間の外にあるものであり、無為の業をなすものなのじゃ。
 そうであるから世間の礼をして、人に見せることもないのじゃ。


 今度は生死も余計なものであり、体にできるできもの程度のものというのじゃ。
 俗世間から離れて天地も一気と見るものには、俗世間の葬式もしないというのじゃ。


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