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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
922
:
避難民のマジレスさん
:2022/06/11(土) 20:36:11 ID:8gqKogHk0
質問者
私には睡眠中に何が起きるのか知りません。
それが、私が今尋ねている理由です。
マハルシ
その疑問は睡眠状態に関わっているので、そこで提起される必要があります。
それは覚醒状態に関わっていないので、それに明白な理由はありません。
実際は、睡眠中は制限がなく、疑問も生じません。
ところが今、あなたは制限を課し、自分自身を身体と同一視するため、この種の疑問が生じるのです。
質問者
私はそれを理解していますが、実現していません(つまり、多様性の中の単一性)。
マハルシ
あなたは多様性の中にいるので、単一性を理解している、閃光を得た、物事を覚えているなどと言うのです。
あなたはこの多様性を実在だと思っています。
それに反して、単一性は実在であり、多様性は偽りです。
単一性がそれ自体を、その実在を明らかにする前に、多様性は去らなければなりません。
それは常に実在です。
それは、この偽りの多様性の中に自身の存在の閃光を放つことはありません。
それどころか、この多様性が真理を妨げるのです。
それから他の者たちが会話を続けた。
マハルシ
無知の除去が実践の目的であり、実現の獲得ではありません。
実現は常に存在し、今ここにあります。
それが新たに獲得されるものであれば、実現は、ある時点では存在せず、別の時点では存在すると理解されなければなりません。
その場合、それは永続的ではないため、試みる価値はありません。
しかし、実現は永続的で不滅であり、今ここにあります。
質問者
無知を取り除くには恩寵が必要です。
マハルシ
その通りです。
しかし、恩寵はずっとそこにあります。
恩寵が真我です。
それは獲得されるものではありません。
必要なのはその存在を知ることだけです。
たとえば、太陽は輝きのみあり、闇を見ません。
とろこが他の人たちは、太陽が近づくと消える闇について話します。
同様に、無知もまた幻影であり、実在ではありません。
非実在であるため、その非実在性が見つけられれば、取り除かれたと言われるのです。
繰り返しますが、太陽はそこにあり、また輝いています。
あなたは日の光に包まれています。
それでも、あなたが太陽を知りたいなら、あなたはその方向に目を向けて、それを見なければなりません。
ですから、恩寵も今ここにありますが、実践によってのみ見つけられるのです。
質問者
絶えず明け渡したいという願望によって、より大きな恩寵が経験されることを願っています。
マハルシ
きっぱりと明け渡し、願望を終わらせなさい。
行為者の感覚が保たれている限り、願望があります。
それもまた人格です。
これが消えれば、真我は純粋に輝きを放っていることがわかります。
行為者の感覚が束縛であり、行為そのものではありません。
「静かにして、私が神であると知りなさい」
ここでの静けさは、個人性の痕跡のない完全な明け渡しです。
静けさが広がり、心の動揺はありません。
心の動揺が、願望や行為者の感覚や人格の原因です。
それが止められれば、静寂があります。
そこでは「知ること」とは「存在する」という意味です。
それは、知識、主体、客体という三位を伴う相対的な知識ではありません。
質問者
「私は神です」または「私は至高の存在です」という考えは役に立ちますか?
マハルシ
「私は私で在るものである(I AM that I AM)」。
「私は在る(I AM)」が神です。
「私は神である」と考えるのではありません。
「私は在る」を認識しなさい。
「私は在る」と考えてはいけません。
「私が神であると知りなさい」と言われているのです。
「私が神であると考えなさい」ではありません。
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