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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

917避難民のマジレスさん:2022/06/09(木) 20:04:56 ID:lyR1iwAw0
ラマナ・マハルシとの対話 352

さまざまな信条

 想念は主体と客体として立ち上がる。
 「私」だけが保持されると、他のすべては消滅する。
 それで十分だが、資格ある少数の者にとってのみである。

 他の者たちが主張した。

 「全くそうだ。
  私が眠っている間に存在している世界は、私が生まれる前から存在したし、私が死んだ後も存在するだろう。
  他の者たちはそれを見ないのだろうか?
  私の自我が現れなければ、世界は消滅するというのだろうか?」
  
 世界の成り立ちや様々な学派は、そのような人々を満足させるためのものである。

質問者
 しかし、知性の産物でしかないので、それらが心を内側に向けることはできません。

マハルシ
 まさにこのために、聖典は「内を見ること」「一点集中して見ること」などについて語っているのです。

 真我は常に真我であるのに、なぜディーラだけに光が当てられるのでしょうか?
 それは勇気ある人という意味でしょうか?
 いいえ、ディー=知性、ラハ=注視、保護です。
 それゆえ、ディーラとは、心を弛めさせることなく、常に内側に向けたままにしておく人のことなのです。


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