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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
91
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/16(木) 21:43:47 ID:y0myHUlI0
くまめも1-7-3
なぜ自己を充実させたいという欲望があるのか。何ものかになりたいという欲望は、 何ものでもないことへの気づきがあるとき、生じる。私は何ものでもない ・無であるから、私は不十分で空っぽで、内側で貧しいから、何ものかになろうと格闘する。外側でも内側でも、自己を充実させようと格闘する。その空虚を充たすことが、存在の過程全体。
逃げ出すこと、空虚を避けること、覆いかくそうとすることが、格闘、闘争、努力を伴う。
あるがまま-すなわち空っぽ、内側の不十分さの理解があるとき、その不十分さとともに生きて、それを充分に理解するとき、創造的真実、創造的智恵が来るし、それのみが幸せをもたらしてくれる。
行動は、ほんとうは反動であり、あるがままの否定、回避。しかし空っぽへの選択なき、非難や正当化なき気づきがあるとき、そのときそのあるがままについての理解に行動があるし、この行動が創造的存在。
あなたが行動しているままにあなた自身を観察しなさい。外側だけではなく、思考と感情の動きをも見なさい。あなたはこの動きに気づくとき、思考過程が、なるという観念に基づいていることがわかる。なるという観念は、不安定の感覚があるときだけ生じるし、その不安定の感覚は、内側の空虚に気づくとき来る。あなたはその思考と感情の過程に気づくなら、あるがままを変えよう、修正しよう、改めようとする常なる戦い、努力が続いていることがわかる。なることはあるがままの直接的回避。自己認識をとおし、常なる気づきをとおして、なろうとする闘争、戦い、葛藤が苦痛に、悲しみと無知につながることを、見つける。あるがままの理解とともに来る平静を発見するのは、内側の不十分さに気づいて、逃避せずにそれとともに生きて、それを全面的に受け入れてこそ。その平静の状態においてだけ、創造的存在がある。
(´・(ェ)・`)
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