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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

900避難民のマジレスさん:2022/06/05(日) 20:37:12 ID:932BnNBU0
至福

名前と形の世界は、サットまたはブラフマンの付属物に過ぎず、それと異なるものではないことから、そのようなものとして否定され、そしてブラフマン以外の何ものでもないと肯定されます。
真我と至高者の同一性を宣言する、マハヴァーキャである、タット・トヴァム・アシという、グルによる弟子に対する指導がウパデーシャです。
それから、弟子は、絶対者である「私」、アハム・ブラフマンの至福の中に留まるようにと命じられます。
それにもかかわらず、心の古い傾向が厚く強く芽生え、(その至福の状態への)障害となります。
これらの傾向は三重であり、その根源である自我性は、ヴィクシェーパあるいは散逸(ラジャスによる)と、アーヴァラナあるいは包摂(タマスによる)の力によって引き起こされた外在化し分化した意識の中で繁茂するのです。

心を攪拌する

これらの力が破壊されるまでハートの中に心をしっかりと据えること、そして、 ── アハム・ブラフマスミ(私はブラフマンである)とブラフマ・イヴァーハム(ブラフマンだけが私である)という格言で表される ── アートマンの特徴である真の同質の傾向を、揺るぎない、絶え間ない警戒で呼び起こすことは、ニディディアーサナあるいはアートマーヌサンダーナ、すなわち真我への安住と呼ばれています。
これは、他ではバクティ、ヨーガ、ディヤーナと呼ばれています。

アートマーヌサンダーナは、バターを作るために凝乳を撹拌することに例えられ、心は撹拌棒に、ハートは凝乳に、真我への安住の実践は撹拌のプロセスに例えられます。
ちょうど凝乳を撹拌することによってバターが抽出され、摩擦によって火がつき、 ── 絶え間ない、油の途切れることのない糸状の流れのように ── 真我への揺るぎない油断のない安住によって、自然なあるいは不変のトランス、あるいはニルヴィカルパ・サマーディが生まれ、そしてそれが、知識であり体験であり、時間と空間を超えた、直接の、即時の、妨げられない、そして普遍的なブラフマンの知覚を容易に、自然にもたらすのです。

無限の至福

これが真我実現であり、それによって、フリダヤ・グランティまたはハートの結び目が切り離されます。
この結び目を構成している、無知の誤った妄想や、悪性の長年の心の傾向は、破壊されます。
すべての疑念は払拭され、カルマの束縛は断ち切られます。

このように、シュリ・シャンカラは、この『識別の宝冠』の中で、疑いと二元性を超えた解脱の無限の至福であるサマーディや超越したトランスを説明し、同時に、その達成のための方法を示しています。
この二元性から自由の状態を実現することが、人生の至高善です。
そして、それを勝ち取った者だけが、ジーヴァン・ムクタ(生きている間に解脱した者)であり、プルシャールタあるいは人間の努力の望ましい究極の目的を構成するものについて単に理論的に理解している者ではありません。

最終的な解脱

このように、ジーヴァン・ムクタは三重のカルマ(サンチタ、アーガーミ、プラーラブダ)の束縛から解放されていると宣言されます。
この段階に到達した弟子は、自分の個人的な体験を話します。
解脱した者は本当に好きなように自由に行動し、死すべき体を離れるときに赦免を遂げ、この「死である生」に戻ることはありません。

シュリ・シャンカラはこのように、解脱を含意する実現を、上記のように二重のものとして、すなわちジーヴァン・ムクティ(生きている間の解脱)とヴィデーハ・ムクティ(身体を離れた後の解脱)として説明しています。
さらに、グルとその弟子との対話形式で書かれたこの短い論説の中で、彼は多くの関連する主題を考察しています。


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