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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

897避難民のマジレスさん:2022/06/04(土) 20:28:15 ID:FUMr73XA0
ラマナ・マハルシとの対話 348

質問者
 人や物が、夢の中のように、ぼんやりとした、ほとんど透明な形をとるときがあります。
 人はそれらを外側から観察することをやめ、その存在を受動的に意識しますが、いかなる種類の利己心も積極的に意識しません。
 心の中には深い静寂があります。
 そのようなとき、真我に飛び込む準備ができているのでしょうか?
 それとも、この状態は不健全で、自己催眠の結果なのでしょうか?
 それは、一時的な安らぎを得る手段として奨励されるべきものなのでしょうか?

マハルシ
 心の中には静寂とともに意識があり、これがまさに目指されるべき状態なのです。
 それが真我であることに気づかずに、この点について質問が組み立てられるということが、その状態が確固たるものではなく、不定であることを示しています。

 「飛び込む」という言葉は、心が、外界の事物の水面下に潜るために、方向転換され内側に向けられる際の、外向的な傾向の状態にふさわしいものです。
 しかし、意識を妨げることなく、深い静寂が広がっているとき、潜る必要がどこにあるのでしょうか?
 もし、その状態が真我として認識されていないのであれば、そうするための努力は「飛び込む」と呼ばれます。
 その状態は、その点において、実現あるいは「飛び込む」に適していると言われるのです。
 したがって、最後の2つの質問は不要です。

質問者
 心は子供たちに対して偏愛を持ち続けています。
 ひょっとすると、理想を擬人化するために度々用いられる外観のせいかもしれません。
 どうしたらこの嗜好は失われるのでしょうか?

マハルシ
 真我を保持しなさい。
 なぜ子供たちや、彼らに対する反応について考えるのですか?

質問者
 今回のティルヴァンナーマライへの3度目の訪問は、私の中の自己本位の感覚を強め、瞑想をより容易でないものにしてしまったようです。
 これは重要でない一時的な状態なのでしょうか、それとも今後そのような場所を避けるべきというしるしなのでしょうか?

マハルシ
 それは想像上のものです。
 この場所や別の場所は、あなたの中にあるのです。
 そのような想像は、その場所が心の活動とは何の関係もないよう、終わらなければなりません。
 あなたの周りの環境さえ、あなた自身の意志ではなく、当たり前のようにそこにあるのです。
 あなたはそれらを超え、自分自身を巻き込まないようにしなければなりません。


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