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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

860避難民のマジレスさん:2022/05/19(木) 20:01:14 ID:TYl1LFRk0
 なぜこのような議論に時間を費やすのでしょうか?
 ただ、心を内側に向け、時間を有効に使いなさい。

 個人と至高なるものの融合においては、至高なるものは伝聞であり、個人は直接体験です。
 あなたは直接体験だけを利用することができます。
 ですから、自分が誰であるかを確かめてください。

 では、なぜイーシュヴァラが言及されるのでしょうか?

 それは、あなたが世界を見て、それがどのように生まれたかを知りたがっているからです。
 この世界は神によって創造されたと言われています。
 もし、神があなたや他のすべてのものを創造したと知れば、あなたの心は少し満たされ、そうでない場合よりも落ち着きのなさが減じられます。
 しかし、それは実現ではありません。
 それは、あなたが自分自身を実現する場合にのみ可能なのです。
 これが完全性や実現などです。

 議論を要約するために、ヴリッティ・プラバーカラの著者は、この本を書く前に35万冊の本を勉強したと言っています。
 それが何の役に立つというのでしょうか?

 それらが真我の実現をもたらすことができるのでしょうか?
 ヴィチャーラ・サーガラは、論理と専門用語でいっぱいです。
 このような膨大な巻が、本当の目的にかなうでしょうか?
 しかし、これらを読んで、自分の質問に答えてくれるかどうかだけを確かめるために、聖者を求める人もいます。
 それらを読み、新たな疑問を発見し、それを解決することが、彼らの喜びの源です。
 聖人たちは、それがまったくの無駄であることを知っているので、そのような人たちを奨励しないのです。
 一度奨励すれば、終わりはありません。

 真我への探究だけが役に立つのです。

 論理や、ヴリッティ・プラバーカラ、ヴィチャーラ・サーガラ、スートラ・バーシャ、あるいは同様の大作に親しんでいる人たちは、ヴァーサナが蓄積されているので、真我だけを、それも明白に扱った「明かされた真理」のような小作品を享受することができません。
 心の濁りの少ない人、あるいは純粋な人たちだけが、小さな、目的のある作品を享受することができるのです。


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