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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

845避難民のマジレスさん:2022/05/14(土) 14:38:03 ID:ZvNr5i4o0
ラマナ・マハルシとの対話 327

ホールの聴衆は、とても熱心に聞いていた。
その中の一人、シュリ・バガヴァンの誠実な帰依者は、それにとても感銘を受け、すぐに我を忘れてしまった。
彼は後に、その体験を次のように語った。

帰依者
 私は長い間、「流れ」はどこから始まるのか、体の中なのか、それとも別の場所なのかと考えていました。
 突然、私の体は希薄になり、やがて消えてしまいました。
 「私は誰なのか?」という探求が、非常にはっきりと、強制的に続けられました。
 「私-私-私」という音だけが持続していました。
 そこには一つの広大な広がりがあり、それ以外何もありませんでした。
 ホールで起こった出来事について、ぼんやりとした認識がありました。
 ヴェーダの詠唱が終わると、人々が立ち上がって敬礼したことに気づいていました。
 私も立とうと思いましたが、すぐにその思いは消えました。
 私はまた、一つの広がりの中に陥ってしまいました。
 その体験は、シュリ・バガヴァンの声を聞くまで続きました。
 それが自分を取り戻させました。
 そして、立ち上がって敬礼しました。
 不思議な感覚は30分以上続きました。
 私はそれを忘れることができません。
 今も私の頭から離れないのです。

シュリ・バガヴァンは彼の言葉に耳を傾け、何分間か沈黙していた。
彼の唇から、いくつかの見解がこぼれ落ちた。

マハルシ
 人は身体の外に出るように思えるかもしれませんが、身体そのものは私たちの想念以上のものではありません。
 想念のないところに身体はありえず、身体のないところに出たり入ったりすることはありえません。
 しかし、習慣によって、外に出るという感覚が生まれます。

 海面に落ちた雹の一粒が溶けて、海の中の水、波、泡などになります。
 同様に、微細な知性は、ハートから小さな点(自我)として立ち現れ、膨らんで、最後にはハートの中に入り、ハートと一体となります。

 たとえ牛乳が海のように広がっていても、あなたは海のように広い口でそれを飲むことができるでしょうか?
 あなたは、乳頭の小さな毛細管を通してのみ、それを吸うことができます。

 ヴィシュヌ派の聖者であるナンマルヴァールはこう言っています。
 「私の真我のみがあなたである」。
 これはどういう意味でしょうか?
 「私が真我を実現する前は、あなたを探してさまよっていた。
  今、真我を実現したことで、あなたが真我であることがわかった」。
 このことは、限定不二一元論にどう適合するのでしょうか?
 このように説明されるに違いありません。
 「真我に浸透しながら、あなたはアンタルヤーミー(内在する存在)として残存している。
  したがって、私はあなたの身体の一部であり、あなたはその身体の所有者(シャリーリー)である」。

 自分自身ではないとして身体を放棄したのに、なぜ別(神)の身体になるというのでしょうか?
 もし自分の身体が真我でないなら、他の身体もまた非真我なのです。

 限定不二一元論の反論者は、至福を経験するためには個人性が必要だと考えています。
 個人性、つまり「私」という性質が失われてはいけないと。
 嗚呼!真我は身体ではないのに、真我が神の身体となる!
 それは不条理ではありませんか?

 あるいは、もしあなたが神にプラパッティー(自分自身を明け渡すこと)をすれば、あなたは自分自身を彼に委ねたことになり、あなたは彼のものであって、もはやあなたのものではありません。
 もし、神が身体を必要とするのであれば、神に自分で探してもらいましょう。
 あなたが、彼が身体の所有者であると言う必要はありません。


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