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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
843
:
避難民のマジレスさん
:2022/05/13(金) 18:02:07 ID:99qwrTUY0
プラハラーダが三昧に入ってたとき、ヴィシュヌは心の中で想いました。
「このアスラ(悪魔)が三昧に入っていることで、すべてのアスラたちは平和のうちにある。
戦いも、力試しも、力の探求も、力を得るための手段もない。
そのような力のための手段(ヤーガ"供物"、ヤグニャ"儀式"など)がない場合、すなわち神々は栄えなければ、新しい創造がないばかりか、いかなる存在も正当化すらされない。
ゆえに、私は彼を起こさせる。
そうすれば、アスラたちは立ち上がり、彼らの本来の性質が現れ、神々が彼らに挑戦する。
そうなれば、アスラや他の者たちは力を求め、その獲得のための手段を取る。
ヤグニャなどが盛んになり、神々が栄え、よりいっそうの創造が、いっそうの戦いが起こり、私は十分な仕事をすることができるだろう」。
そこでヴィシュヌはプラハラーダを起こし、彼に永遠の生命とジーヴァン・ムクティを祝福しました。
宇宙がその永遠の本性の中で続いていくように、デーヴァ(神)とアスラの戦いは再開され、旧秩序が回復されたのです。
質問者
どうして神ご自身がアスラの要素を目覚めさせ、絶え間ない戦争状態をもたらすというのでしょう?
純粋な善性が神の本性ではないのでしょうか?
マハルシ
善性は相対的なものでしかありません。
善は常に悪を暗示し、それらは常に共存しています。
一方は他方の裏面なのです。
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