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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
813
:
避難民のマジレスさん
:2022/05/01(日) 15:13:36 ID:hWvCue/c0
ラマナ・マハルシとの対話 314
1937年1月3日
甘露の滴
昨日の答えの中で、シュリ・バガヴァンは、真我は深い眠りの中の純粋な意識であると言い、また、実現の理想として、眠りから目覚めた状態へ移行する真我を示した。
このことを説明するようにと請われた。
シュリ・バガヴァンは快く答えた。
マハルシ
真我は眠りの中の純粋な意識です。
それは、移行期にはイダム(「これ」)を含まないアハム(「私」)として展開し、目覚めた状態では、アハム(私)とイダム(これ)として現れます。
個人の体験は、アハム(「私」)のみを用いて行われます。
ですので、示された方法で(つまり、移行期の「私」を用いて)実現を目指さなければなりません。
そうでなければ、睡眠体験は彼にとって重要ではありません。
もし移行期の「私」が認識されれば、基体が発見され、それが目標につながるのです。
また、睡眠はアジニャーナ(無知)であると言われています。
それは、起きている状態で蔓延している間違ったジニャーナ(知識)との関係においてのみです。
起きている状態が本当はアジニャーナ(無知)であり、眠っている状態はプラジニャーナ(完全な知識)なのです。
プラジニャーナとはブラフマンのことである、とシュルティ(聖典)は言っています。
ブラフマンは永遠です。
睡眠を体験する者はプラージニャと呼ばれます。
彼は3つの状態すべてでプラジニャーナムです。
睡眠状態の特別な重要性は、彼が知識に満ちている(プラジニャーナガナ)ことです。
ガナとは何でしょうか?
ジニャーナとヴィジニャーナがあります。
両方ともに、すべての知覚の中で作用します。
ジャーグラトにおけるヴィジニャーナは、ヴィパリータ・ジニャーナ(間違った知識)、すなわちアジニャーナ(無知)です。
それは常に個人と共存しています。
これがヴィスパシュタ・ジニャーナ(明確な知識)になると、それがブラフマンです。
睡眠中のように、間違った知識が完全に存在しないとき、彼はただ純粋なプラジニャーナのままです。
それがプラジニャーナガナです。
アイタレーヤ・ウパニシャッドはプラジニャーナ、ヴィジニャーナ、アジニャーナ、サンジニャーナはすべてブラフマンの名前であると言っています。
知識だけで構成されているなら、彼はどのように体験されるのでしょうか?
体験は常にヴィジニャーナを伴います。
したがって、プラジニャーナガナの体験のためには、移行期の純粋な「私」を保持しなければならないのです。
覚醒状態の「私」は不純であり、そのような体験には役立ちません。
それゆえ、移行期の「私」、あるいは純粋な「私」を使うのです。
この純粋な「私」はどのようにして認識されるのでしょう?
ヴィヴェーカ・チューダーマニは、「ヴィジュニャーナ・コーシェー・ヴィラサティヤジャスラム(彼は常に知的な鞘、ヴィジュニャーナ・コーシャの中で輝いている)」と言っています。
トリプラ・ラハスャや他の著作は、連続する2つのサンカルパ(観念や思考)の合間が、純粋なアハム(「私」)を表していると指摘しています。
したがって、純粋な「私」をとらえながら、プラジニャーナガナを有することを目的とすべきであり、そしてその試みの中にヴリッティが存在するのです。
これらはすべて、しかるべき各々の場と役割があると同時に、実現につながるのです。
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