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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
805
:
避難民のマジレスさん
:2022/04/28(木) 07:37:13 ID:egdLjUPU0
ラマナ・マハルシとの対話 311
1937年1月2日
マハルシ
立ち昇る「私」はまた、沈みます。
それは個の「私」あるいは「私」という観念です。
立ち昇らないものは、沈むことはありません。
それは在り、永遠に在り続けます。
それが普遍的な「私」、完全な「私」、すなわち真我の実現です。
午後5時30分、スイス人の女性がシュリ・バガヴァンに、瞑想をしばらく続けると頭が痛くなると訴えた。
マハルシ
もし、瞑想者と瞑想が同じものだと理解されれば、頭痛や同様の訴えはなくなるでしょう。
質問者
しかし、それらは異なっています。
どうして同じものだと考えられるでしょうか?
マハルシ
それは、あなたの視点のためです。
ただ一つしかなく、違いはないのです。
瞑想すれば、相対的な意識は消え去ります。
それが全滅ではないのは、絶対的な意識が生じるからです。
聖書には、「天の国はあなたの内にある」と書かれています。
もし、あなたが自分自身を身体だとみなしているなら、この言葉を理解するのは難しいでしょう。
一方、あなたが本当の自分を知っているなら、天の国もすべても、あなたの真我に含まれています。
それらは、自我が発生した後に生じた概念です。
ドリシュティン・ジニャーナマイーン・クリトヴァ・パシュエード・ブラフママヤン・ジャガト(あなたの目を内に向け、それを絶対化しなさい)。
その絶対的な自覚を実現した上で、外を見れば、宇宙は実現された絶対なるものと不可分であることに気づくでしょう。
あなたの視点は外に向けられているので、あなたは「外」のことを話します。
その状態であるために、あなたは「内」を見ることを勧められているのです。
この「内」は、あなたが求めている「外」に対して相対的なものです。
実際は、真我は外でも内でもありません。
天について語るとき、人は天を上か下か、内か外かのように考えますが、それは人が相対的な知識に慣れているからです。
人は客観的な知識だけを求めているので、このような考えになってしまうのです。
現実的に言えば、上も下もなく、内も外もないのです。
もしそれらが実在するならば、夢のない眠りの中にも存在するはずです。
なぜなら、実在するものは、連続的で永久的でなければならないからです。
睡眠中に「内」や「外」を感じたでしょうか?
もちろん違います。
質問者
私は覚えていません。
マハルシ
もしそこに何かがあれば、それは思い出されるでしょう。
しかし、あなたはそのときの自分の存在を認めています。
同じ真我が今話しているのです。
眠っているときには未分化だった真我が、現在の状態では分化しており、多様性を見ているのです。
真の実在とは、客観的な知識を欠いた唯一のものです。
それが絶対意識です。
それこそが、私たち全員が認める幸福の状態です。
その状態は、この起きている状態においてさえももたらされなければなりません。
それはジャーグラト・スシュプティと呼ばれます。
それがムクティです。
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