したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

795避難民のマジレスさん:2022/04/23(土) 07:30:32 ID:hu6VhfHg0
ラマナ・マハルシとの対話 306

質問者
 瞑想するためには具体的な何かが必要です。
 どうやって「私」に瞑想すればいいのでしょうか?

マハルシ
 私たちは完全に形に根ざしてしまっているので、瞑想するための具体的な形が必要なのです。
 私たちが黙想するものだけが、最終的に残ります。
 あなたが黙想するとき、他の想念は消えてしまいます。
 あなたが黙想する必要がある限り、他の想念が存在します。
 あなたはどこにいるのでしょうか?
 あなたは、あなたが存在するからこそ、黙想するのです。
 なぜなら、黙想する者が黙想しなければならないからです。
 黙想は、彼が存在するところにしかありえません。
 黙想は、他のすべての想念を遠ざけます。
 あなたは自分自身を源に融合させるべきです。
 時には、睡眠、死、気絶などのように、私たちは無意識に源に融合します。
 黙想とは何でしょうか?
 それは、意識的に源に融合することです。
 そうすれば、死や気絶などに対する恐怖が消えるでしょう。
 なぜなら、あなたは意識的に源に融合することができるからです。

 なぜ死を恐れるのでしょうか?
 死が非在を意味することはありえません。
 なぜあなたは眠りを愛し、死を愛さないのでしょうか?
 あなたは今思考していないのですか?
 あなたは今存在していないのですか?
 あなたは眠っている間に存在しなかったのでしょうか?
 子供でさえ、よく眠れた、幸せだったと言います。
 しかし、それは無意識のうちに、眠りの中の自分の存在を認めているのです。
 つまり、意識こそが私たちの真の本性なのです。
 私たちは無意識のままではいられないのです。
 しかし、私たちは、制限された意識に注意を向けているため、「私たちは睡眠中に無意識だった」と言います。
 世界や身体などが私たちの中に深く入り込んでいるため、この相対的な意識が真我であると見なされるのです。
 寝ている間に「自分は無意識だ」と言う人がいるでしょうか。
 彼は今そう言うのです。
 これは相対的意識の状態です。
 したがって、彼は抽象的な意識ではなく、相対的な意識について話しているのです。
 意識は相対的な意識や無意識を超えているのです。

再びティルヴァーチャカムの話に戻り、シュリ・バガヴァンはこう言った。

マハルシ
 四大聖人はみな、最初の一節で自分の体験を述べています。(1) 無分別な崇拝 (2) 絶え間ない想起 (3)想念の生じない状態 (4) 自我はなく、真我がある。

すべて同じ意味です。

質問者
 しかし、この真理は実現されていません。

マハルシ
 いずれは実現されるでしょう。
 それまでは、「ほんの一瞬でさえも、あなたは私の心を離れることはありません」という献身(バクティ)があります。 
 彼が一瞬でもあなたのもとを離れるでしょうか?
 あなたの心がさまよいだすのを許すのは、あなたの方です。
 彼は常に変わりません。
 あなたの心が定まったとき、あなたはこう言います。
 「彼は一瞬たりとも私の心を離れることはありません」と。
 なんとばかげたことでしょう!


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板