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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
770
:
避難民のマジレスさん
:2022/04/12(火) 08:58:02 ID:s83mPz9Y0
マハルシ
あなたは今、眠っていたと言いますね?
質問者
そうです。
マハルシ
眠っている状態を覚えていない限り、どうしてわかるのでしょうか?
質問者
眠っていたとは言えません。
そのような存在を認めても、どこにも行き着きません。
マハルシ
人間は、眠りに襲われるたびに死んで、目が覚めたら蘇生しているということですか?
質問者
そうかもしれません。
神のみぞ知る、です。
マハルシ
それなら、神を呼んで、これらの謎の解決策を見出させましょう。
もし人が眠ったまま死ぬとしたら、人が死を恐れるのと同じように、人は眠りを恐れることでしょう。
しかし、実際には人は眠りを求めるのです。
そこに喜びがない限り、なぜそうでなければならないのでしょうか。
質問者
眠りには積極的な快楽はありません。
睡眠を求めるのは、疲労を取り除くためだけです。
マハルシ
そうですね、「疲労から解放されるため」というのは正しいです。
疲労から解放された人がいるのです。
質問者
そうです。
マハルシ
だから、あなたは眠りの中に存在し、今も存在しているのです。
あなたは眠りの中で、感じたり、考えたりすることなく、幸せでした。
同じ人[あなた]が今も続いているのに、なぜあなたは幸せでないのでしょうか?
質問者
どうして、幸せがあると言えるのでしょうか?
マハルシ
みんな、スッカマハマスヴァプサム(私は幸せに眠った/幸福に眠っていました)と言いますね。
質問者
私は、彼らが正しいとは思いません。
スッカ(至福)はなく、悲しみがないだけなのです。
マハリシ
あなたの存在そのものが至福なのです。
ですから、誰もが「私は至福の眠りについていた」と言うのです。
それは、人は眠りの中で原初の無垢の状態にとどまっているということです。
悲しみについては、何もありません。
眠りの中に悲しみがないと言うのなら、それはどこにあるのでしょうか?
現在、真我を身体と間違って同一視していることが、これらすべての誤解を生んでいるのです。
質問者
私が欲しいのは悟りです。
私は現在、自分が本来持っている幸福な性質を感じていません。
マハリシ
それは、現在、真我が非真我と同一視されているからです。
非真我もまた、真我から離れているわけではありません。
しかし、肉体が離れているという間違った観念があり、真我が肉体と混同されているのです。
幸福を実現するためには、この間違った識別を終わらせなければなりません。
質問者
私は自分ではどうすることもできません。
(エンジニアは師に帰依することを勧めました。)
質問者
同意します。
マハルシ
あなたの本性は幸福です。
あなたはそれが明らかでないと言っています。
あなたの真の存在から何が邪魔をしているのか見てみましょう。
その障害とは、間違ったアイデンティティであると指摘されています。
だから、その誤りをなくしなさい。
患者は、治るために医者の処方した薬を飲まなければなりません。
質問者
しかし、患者は自分ではどうすることもできないほど弱いので、無条件に医者の手に身を委ねているのです。
マハルシ
医者には自由にさせ、患者は何も言わずに黙っていればよいのです。
同じように、黙っていなさい。
それは努力を要しません。
質問者
それが最も効果的な薬でもあるのですね。
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