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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
77
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/14(火) 19:42:59 ID:AToV857o0
くまめも1-7-1
努力すべては自己中心的な活動。それは必然的にもっと多くの葛藤・抗争、混乱、悲惨を産み出す。私たちは、自己中心的な努力の活動が私たちのどんな問題をかたづけないということを、悟っていない。反対に、それは混乱と悲惨と悲しみを増大させる。
私たちは努力をすることがどういう意味なのかを理解するなら、生の意義を理解するだろう。幸せは努力をとおして来るか。あなたは幸せであろうと格闘するが、幸せはないのではないか。喜びは抑圧をとおし、制御や耽溺をとおして来ない。耽溺→終わりに苦さ、抑圧、制御→隠れたところに闘争がある。私たちの生すべてが一連の抑圧、制御、後悔に満ちた耽溺。また私たちの激情、貪欲、愚かさとの、常なる格闘もある。それで、私たちは幸せを見つけたい、何か私たちに平和の感情、愛の感覚を与えてくれるであろうものを見つけたいと願って、奮闘し、格闘し、努力をする。けれども愛や理解は闘争によって訪れない。格闘、闘争、努力とはどういう意味なのかを理解することが、重要。
努力とは、あるがままをあるがままでないものに、またはあるべき、なるべきものに変えようとする格闘、という意味。すなわち私たちは、常にあるがままに向き合うことを避けようと格闘する。またはあるがままから逃げよう、変容させたり修正したりしようとする。真に満足している人は、あるがままを理解し、あるがままに正しい意義を与える人。それが真の満足。それは、所有物をほとんど持たないことや多く持つことに ではなくて、あるがままの意義全体の理解に関係している。そしてそれは、あなたがあるがままを修正したり変えたりしようとしているときではなく、それを認識、気づくときだけ、訪れうる。
(´・(ェ)・`)
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