[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
71
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/13(月) 20:23:10 ID:I6SFs6uk0
最初と最後の自由 第一部
第六章 信念 7
そこで私たちの疑問は-「精神が知識と信念から自由であることは可能でしょうか」かです。精神は知識と信念から作り上げられていないでしょうか。精神の構造は信念と知識ではないでしょうか。信念と知識は認識の過程、精神の中心です。過程は閉鎖的です。過程は意識的とともに無意識的です。精神はそれ自身の構造から自由でありうるでしょうか。精神は無くなりうるでしょうか。それが問題です。私たちが知っているような精神は、その裏に信念を持ち、欲望、安全でありたいという衝動、知識、強さの蓄積を持っています。その力と卓越性すべてをもってしても、自分自身で考えられなければ、世界に平和はありえません。あなたは平和について話をするかもしれません。あなたは政党を組織するかもしれません。あなたは屋上から [大声で] 叫ぶかもしれません。しかしあなたは平和を持てません。なぜなら、精神には、矛盾を造り出し、孤立させ分離させる基礎そのものがあるからです。平和の人、熱意の人は自己を孤立させながら同胞愛と平和について話をすることはできません。それはただ政治的、宗教的なゲ-ム、達成と野心の感覚です。これについてほんとうに熱心であり、発見したいと思う人は、知識と信念の問題に向き合わなければなりません。彼はその裏に行き、欲望-安全でありたいという欲望、確実でありたいという欲望-の過程全体が働いているのを、発見しなければなりません。
新しいものが-真理であっても神であっても何であっても、それが-起こりうる状態にあるであろう精神は、確かに、取得すること、集めることを止めなければなりません。それは知識すべてを脇に置かなければなりません。知識の重荷を負った精神は確かに、真実であり、測ることのできないものを、とうてい理解できません。
(´・(ェ)・`)つ
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板