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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

695避難民のマジレスさん:2022/03/02(水) 23:53:02 ID:bJevJn4s0
116.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第11章 精神修行について:存在は修行で達成できない ☆Part1-d②

Q:何年もの精神的訓練は無執着とリラックスを生み出すように思います。悟りの前に過程や進展があるのですか?

 真理は執着と無執着を越えている。執着しているものから無執着になると、他の何かに執着するものだ。だから、無執着は執着する他の何かが必要になるので、それは無執着ではない。執着は無執着に依存し、無執着は執着に依存している。

 本質は全ての概念を越えた所にある。それは想像を超えたものであり、進歩も過程もない。

 進歩するには誰かによって過去からの方法を与えられることだ。誰かが従った方法があなたに与えられる。そうして練習し始めるのだ。だからどんな方法でも、あなたが獲得したいものを頭に描いて練習を始める。何年後には達成することができるだろうと計画されている、前もって計画された達成だ。この計画はあなた自身の思考の産物だ。

 現実にはそれはすでに「ここ」にあるのだから過程はない。すでに「ここ」にないのなら、手段を通じてそれを手に入れてもいずれ失くすだろう。手に入れたものはいずれ失くすものだ。

 しかし、もし手に入れたものでないのなら、それを失くすことはない。なぜならいつも「ここ」にあって、いつも「ここ」にあり続けるからだ。

Q:本や練習は必要ないとあなたは言いますが、あなた自身多くの本を読んで、何千時間という*1サーダナをしたと聞いています。それならなぜこの助言をするのですか?

 理由は、私が7歳か8歳のときある体験をして、真理がそれ自身で姿を現した。私が努力したわけでもなく、訓練したわけでもない。それはただ、それ自身で姿を現したのだ。

 誰もこれについて説明してくれなかったし、どんな本にも書かれていなかった。後に多くの聖者が書いた本を、ギータ、バカバタム、ウパニシャッド、ベーダも含めて全て読んだが、私自身の経験とピッタリ一致するものは何もなかった。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)


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