[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
672
:
避難民のマジレスさん
:2022/02/20(日) 00:20:34 ID:cWFmG.vo0
105.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第11章 精神修行について:存在は修行で達成できない ☆Part1-a③
一番良いのは、単に「私はブラフマンだ。」と知ることだ。
真の修行は今、ただ、存在そのもので「ある」ことだ。
何かを成就する為に、次の瞬間や次の思考や次の生を待っているのではない。
真の修行は、顔を真我に直面させることによって起こる至福だ。
真の修行は存在することだ。
与えられた修行は特別な何かになる為にエゴが要求され、エゴが強化される。
存在を練習することはできない、
あなたが「それ」なのだから。
誇りを捨てて、単に真我でありなさい。
「エゴ」の根元を断ち切らねばならないが、
エゴの為に、エゴによって行われる修行によってではない。
エゴー誇りをあなた自身の静寂ー平和ー真我ー存在に差し出しなさい。
真我探求によってエゴーマインドの源泉に行くことによって、それが可能だ。
マインドは動きでこれは波だ。真我は静寂でこれは海だ。
あなた自身を知る為には、動きを止めなければならない、
一瞬静かにすることだ。
「私は肉体だ」という概念は時間の概念だ。
全ての源泉に直面することで、時間の概念を後にしなさい。
全ての概念は境界線だ。
一つの概念を受け入れることは境界線を引くことだ。
もう一つの罠は、「私は無だ」と考えることだ。
それはエゴだ。
無の観念が起こって来るのは、
エゴーマインドの不在、有在に関係しているからだ。
だから、この無には至福がない。
唯一、無が存在する為には「私」がなくならなければならない。
全てが無であるとき、それに向かっていく過程がどうして存在するのか?
壁を取り除こうとする試みは、壁を強固にするだけだ。
だから、努力、方法、実践、過程はマインドがあなたを騙しているのだ。
「何もしない」ということを実践することでもないのだから、
マインドをきれいにしようとなぜ時間を無駄にするのか?
マインドは欲望にすぎない、そしてあなたは唯一真理にすぎない。
あなたの帰るべき家は、「今、ここ」にある。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板