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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

60避難民のマジレスさん:2020/07/10(金) 21:28:13 ID:y27lq8Yo0
くまめも1-6-4
人は、安全でありたいという欲望から自由でありうるか。安全でありたい故に信念の壁を築くことにより精神的にも安全でありたい。それは、確実でありたいという渇望の表示。
安全でありたいというこの渇望から自由でないなら、私たちが争いの源。私たちは平和をもたらしていない。私たちは心に愛を持っていない。信念は破壊する。あなたの意図が信念から自由になることであるなら、明確に答えを示せる。あなたはそのとき、安全でありたいという衝動から自由になる手段を求めている地点に、必然的に至る。あなたが信じたいように、継続するであろう安全は、内側にはない。あなたを気をつけて見守り、あなたが何をすべきかを教えている神があるということを、あなたは信じたい。これは子どもっぽい未熟な考え、自身の個人的な好みのたんなる投影にすぎない。それは真実ではない。
 次の問題は知識。知識は真理の理解にとって必要か。私たちは情報は知っている。私たちは情報と経験、すなわち、自分たちの条件づけ、記憶、能力に基づいた情報と経験で充ちている。情報の常なる蓄積、色々な形の知識の取得、すべてが「私は知っている」という主張を構成する。あなたの知識は、欲望の過程と類似した過程が働いているもの。信念のかわりに私たちは知識を代用する。あなたはその裏に行き、それを分析し、もっと智恵をもって気をつけて見つめるとき、「私は知っている」という主張こそが、あなたと私を分離しているもう一つの壁であるということを見つける。その壁の裏に、あなたは避難し、慰め、安全を求めている。ゆえに精神は知識の重荷を負えば負うほど、理解する能力がなくなる。
(´・(ェ)・`)


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