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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
488
:
避難民のマジレスさん
:2021/12/14(火) 07:58:28 ID:VFqzM/UA0
41.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-c③
獲得することで失う啓示
Q:広大な空間を感じ続けていますが、その周りに縁がついているのです。
海には海岸線がない、誰が海岸線を見るのだ? 波だ!
波は自分の名前は波で、もはや海ではないと考えている。波はまだ同じ海だということを知らない。
波が海から分離しているのはその名前の為にすぎない。それに波には長さ、広さ、高さ、そして動き
がある。
彼女は永遠の父である海の胸座で動き続ける。彼女は自分が波だと考えて父を探し求める。波が海
を探し求める。誰も彼女が海だと教えることはできない。名前がある為に彼女はそれを認識すること
ができないだけだ。
しかし、実体は同じだ。このように、あなたは内なる実体で、名前や形態ではないということを理
解しなければいけない。名前のすべては無形態性からやって来る。
だから、この考えを海の底まで追って行って、「私は誰か」と探求しなさい。「私」は思考、
「私」は又魚だ。この魚はどこからやって来たのか? 追って行きなさい。どこから「私」がやって来
るのかそれを追いかけて行きなさい。
そうすると、あなたが決して離れたことのないその場所を見つけるだろう。これを隠しているのは
名前と形態にすぎない。名前と形態は海の中では存在しない。
海には名前がない。「海」という言葉でさえ海は知らない名前だ。あなたが海という名前をつけた
のだ。しかし、海そのものには名前がない。同じように真我には名前がない。
「私はこれをしたい」「私はあれがほしい」と考えるときに、それは「私」になる。そして、これ
やあれへの欲望が起こって「これ」や「あれ」の中で真我を見失ってしまうのだ。
Q:あなたが何度も言っているその空間に落ち込みましたが、いつも私はロープにぶらさがっている
のです。今私はこのロープから永久に手を放したいと熱望していますが、それをすることができませ
ん。非常に恐れているのです。どうかこのロープを切ってください。私は、もはやこの状態に耐える
ことができません。
最愛の人に会いに行きたいのなら、このロープを切らねばならない。 さもないと、何の役にもたた
ない。ロープというのは過去に対する執着だ。
あなたは井戸の中に深く飛び込んでいないということだ。ロープのついたバケツで井戸から水をく
むとき、バケツを引っぱり返すことができるように手にロープを持っている。あなたの意図はこのバ
ケツ一杯の水を家に持って帰ることだ。
ここでは、ロープが結びついていないバケツを井戸の中に投げこむようにと言われているのだ。そ
うすると何が起こるのかね? それは沈んでしまって、元に戻ってこない。
このように、マインドを自由という井戸に投げ捨てるのだ。「このマインドをこの目的に使う為に
残しておこう」というロープは切り捨てるのだ。これは一度に全部済ませてしまうことができる。世
間とのどんな関わりにも興味を持たないこと。飛び込む前にこのことをはっきりさせなさい。
Q:瞑想していると、青い火がよく出てくるのですが……
この青い炎の経験は、深い集中の結果だ。どんな思考もないとき、ハートにこの青い炎を見ること
ができる。あなたのどんな質問もこの炎が答えてくれる。
この経験は、すべての終わりではない。それは道の街灯のようなものだから、それも又拒絶しなけ
ればならない。あなたの目的地はそれではないのだからそれに執着すべきでない。
炎でもない、光でもない、どんな思考でもない。この炎を見ている人は誰か見つけなければならな
い。この経験が起ったなら、あなたのグルに告げるべきだ。そうするとこの時点で行き詰まることは
ないだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
2/2
雲門拈見識聞声 雲門は拈(ねん)ず見識聞声(もんしょう)
衲子機鋒折識情 衲子(のっす)のきほう識情を折る
信口道着底食籍 口にまかせて道着(どうじゃく)するていのじきせき
念頭起處太分明 念頭起こるところはなはだふんみょう
くま訳
雲門は「聞声悟道、見色明心」を、ちょぴっとひねって、話したのである。
修行僧の鋭い洞察により、分別心を打破すべきこと、(大なるものが、小なるものに含まれることを
悟る)に付いて説いたのだ。
口ばかり達者で、執着を離れられないものは、生活の為に修行しているようなものだ。
そのような者が、考えそうなことは、全く以ってあきらかである。
*聞声悟道、見色明心:自然の音を聞いて世界の真実を悟り、色を見てわが心がどういうものかを明
らかにすること。
(´・(ェ)・`)b
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