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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

479避難民のマジレスさん:2021/12/11(土) 00:15:10 ID:vc0A5Fxo0
38.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-b⑤
獲得することで失う啓示

 思考があなたを対象に連れて行こうとするとき、あなたは思考と一緒に付いて行く傾向がある。心
に従う・・これはすべての人の習癖だ。
 往ったり来たりする思考を避けなさい。思考に従う人も避けなさい。ただ思考を見つめているので
はなく、内なる意識から外の対象へと思考に従っている人を見つめなさい。

      思考に従って行く人も又思考だ。
  思考に従って行く人は思考の中にいる。
  両方(思考と従っていく人)とも思考だということを知ったならあなたは家にいる。
  そうすると、思考が起こってもよい。
  思考に従って行くのもよい。
  あなたは不動で何事も気にかけない存在、「それ」として存在する。
  これが至高の理解だ。

これを理解するのは難しい。ただそれをやりなさい。波が海の上で動きまわっているように、思考
を起こらせ沈めなさい。海は波が立ったり沈んだりして遊んでいるのを気にしない。海は「波は私だ
から、波は決して私から離れることができない」と知っている。これが意味深長な理解とよばれるの
だ。

    これが事の終わりだ。
  サンサーラはそこにある。あらせなさい。
  顕現は真我の性質だ。
  真我そのものが静かにしていないですべての形態をとって現われる。
  すべての顕現が真我だ。
  波が海であるようにすべての顕現は「それ」だ。
   それ故に何も受けいれることはないし、
  何も拒否することもない。
  静けさを許し、マインドが遊びに行くのを許し、
  マインドそのものが楽しむのを許しなさい。
  違いはあなたは楽しんでいる人ではないということだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

諸所巡歴宣言 85歳 
退酧恩庵    しゅおん庵を退く
雲水江山我脚跟 雲水こうざんわがきゃくこん
殿堂幸有一乾坤 殿堂幸いにいちけんこん有り
常住物便私車馬 常住もつすなわち私の車馬
酧恩塔主不知恩 しゅうおんのたっす恩を知らず

くま訳
酬恩庵を退く
雲水として諸国山河を行脚するのだ、我脚で。(それが、わしの基本なのだ)
殿堂は、幸いなことに広大な天地があるのだ。
今までは寺の共有物の車馬を私用に使ったりしたのだ。
酬恩寺の塔主(一休)は恩知らずなのだ。

柳田聖山先生 訳
雲水や湖水や山々と自分の脚の赴くまま
幸いなことに寺院の殿堂も一つの天地だ
身の回りの品々も私用に備えた車と馬と
自由奔放なこの庵の主人は恩を知らない

*常住物(じょうじゅうもつ):寺の共有物。寺舎・田園雑具、また僧の常食など。
*塔主(たっす):塔頭を司る役。また、その僧。
 塔頭(たっちゅう):寺院のなかにある個別の坊。寺院を護持している僧侶や家族が住む。
*一休は、大応図師の塔主と名のっていたそうである。(一休が妙勝寺(→酬恩庵)を再建した際に
 大応国師の木像が安置した。)
63歳、大応国師の旧蹟妙勝庵を再建し、近くに「酬恩庵」をたてた。宗祖の恩にむくいる意味で「酬
恩庵」と命名。
73歳、応仁の乱が始まり、五山はすべて焼かれ、安国寺も大徳寺も燃えた。
77歳、森女と同棲。
81歳、天皇の勅命を受けて大徳寺の住職。 酬恩庵に住みながら、大徳寺の再建。
84歳、和泉の小島へ一時避難、
85歳 諸所巡歴、
86歳、『狂雲集』をまとめ。そして翌87歳の秋、マラリヤで生涯を閉じた。
(´・(ェ)・`)b


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