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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
466
:
避難民のマジレスさん
:2021/12/07(火) 09:46:31 ID:E2QJIuaY0
34.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-b①
獲得することで失う啓示
Q:多くの探求者達がラクナウにやって来て、この状態を経験して西洋に帰ると、その経験が落ちて
しまうのはなぜですか?
それは決して起こるはずがない。それは決して起こりえない。自分自身を知った人が、どうして自
分自身を忘れることができるのかね。それは不可能だ。それは真実ではない。
海に流れこんだ河は河としての名前と形態に戻ることはできない。それは終わりだ。そのように、
マインドを源泉に解き放したら、マインドはもはやマインドではない。それは「それ」そのものだ。
マインドになることはできない。それはノーマインドと呼ばれる。これを明確にしなさい。
多くの人が西洋に帰るとそれを失くすと言うが、私はこれを信じない。その人達は「それ」を手に
入れなかったのだ。だから、彼らは「それ」を失くしたと考えるのだ。
しかし、あなたの手が空っぽなら損も得もない。何も得なかったのなら何も失うこともない。だか
ら、すべての欲望をマインドから取り除きなさい。一度空になったら、それは再び満たされることは
ない。
その人達はラクナウで以前には手にしたことがない、何か新しいものを手に入れたと考えている。
だから失うことになるのだ。
何かを獲得するのでも失うのでもない、あなたはすでに自由で悟っているのだと理解することだと
私は言っているのだ。
すでに悟っているのなら、モスクワでも、ワシントンでもラクナウでもすでに悟っているのだ。ど
のようにして何かをどこかで失うことができるのか?
これが私が話していることだ。何かを獲得しようとしないこと。むしろ、今までに得たものをすべ
て失くすことだ。読んだり聞いたりしたことをすべて後にすることだ。残されたものがあなたの真我
として、姿を現すだろう。これを知ったとき、それを失くすことはできない。
どんな獲得も失われる。獲得しなかったものを失くすことはない。ラクナウであなたのポケットが
空っぽなら、ニューヨークでも又空っぽだ。だからいつもポケットを空にしておきなさい。空っぽの
手の中にすべてがやって来るのだ。いつも何かを掴んでいると受け入れる許容性がない。手を空っぽ
にしなさい。そうすると再びすべてがやって来る。
だから宇宙の皇帝は空っぽのマインドだ。空っぽのマインドと空っぽの手という意味は思考がない
ということだ。思考を持たない人が領国の王だ。試してみなさい!
マインドを空にしてあなたは誰か感じなさい。これが平和とも、悟りとも、自由とも呼ばれる。し
かし、マインドに何の思考も保たないことだ。
Q:大変祝福された至福の状態を経験しましたが、失くしてしまうのではないかという恐れが忍び込
んできました。
この美しさをほんの瞬間見ただけでも、最愛の人はあなたを一人にしない。恐れと緊張を運んで来
るのはマインドだ。しかし、心配することはない。「それ」が、あなたを永久に捕まえるだろう。
あなたは「それ」を失くすかもしれないと考えているが、「それ」を失くすことはできない。ほん
の一瞬でもこの一瞥を持ったなら、それで終わりだ。
しかし、その一瞥に執着するとそこにあっても「それ」を見ることはできない。
真我はいつも現存している、
至福はいつも現存している。
それを獲得しようと努力する必要はない。
「それ」を見ることを妨げている障害をただ取り除くだけでよい。
障害は一つ、過去に対する執着だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
山居 二首 2/2
狂雲眞是大燈孫 狂雲真にこれ大燈の孫
鬼窟黒山何稱尊 きくつこくざん なんぞそんと称せん
憶昔簫歌雲雨夕 おもふ昔しょうかうんうの夕べ
風流年少倒金樽 風流の少年きんそんを倒せしことを
狂雲、本当は大燈国師の孫弟子なのである。
なのに、鬼の棲家のような暗い山奥に住むことの何が尊いものか。
昔は笛を奏で、歌って、ニャンニャンしてたのだ。(最近の表現を知らぬくまである)
風流な若者と、浴びるほど飲んで、酒樽をころがして楽しんだのだ。
*山居した山とは、49歳頃に住んだ、尸陀寺(じだじ)(大阪府高槻市と京都市との境の山間部)の
ことだとすれば、グーグルマップで見ると、大徳寺から30kmくらい、歩いて6時間くらいの山の中であ
る。この時は1年も辛抱できずに、都会へ戻ったのである。しかし、この5年後に再びここに戻り、
人生2回目の断食自殺をはかったが、勅命で中止させられたのである。原因は大徳寺内、僧侶数人の
投獄、自殺者まで出たこと、堕落した僧界に失望したことらしい。
(´・(ェ)・`)b
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