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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

45避難民のマジレスさん:2020/07/05(日) 18:43:38 ID:JXZBdWr60
くまめも1-5-3
観念は思考過程から出てきたもの。
まず、思考過程自体を理解する。思考は、神経的、心理的な応答の結果。それは感覚に対する感覚機能の即時の応答。または心理的な、蓄えられた記憶の応答。一定の経験に対する記憶の応答が、思考過程を作動させる。
侮辱された→記憶に残る→それが背景の一部を形作る。→その人物に会う。それが挑戦→応答は、その侮辱の記憶→記憶の応答、すなわち思考過程が観念を造り出す
ゆえに観念はいつも条件づけられている。
記憶はいつも過去、その記憶は挑戦により現在において命を与えられる。記憶は挑戦に直面するとき、現在に生き返る。休眠していてもすべての記憶は条件づけられている。
 ゆえに全く異なった接近法が必要。自分が観念に従って行動しているのか、観念作用のない行動はありうるのかを、内側に自分自身で見出さなければならない。観念に基づかない行動-それは何なのか。
 いつ、観念作用なしに行動するのか。経験の結果でない行動は、いつあるのか。経験に基づいた行動は制限する。ゆえに障害。思考過程が行動を制御していないとき、観念から出てきたものでない行動は自発的。それは、精神が行動を制御していないとき、経験に依存しない行動がある、という意味。
橋を、家を建てたい→技術を知っている。→技術は私にそれをどう建てるべきかを教える。それが行動。詩を書く、絵を描く行動、行政の責任の、社会的、環境的応答の行動。すべてが観念や以前の経験に基づいている。しかし観念作用のないとき、行動はあるのか。
(´・(ェ)・`)


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