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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

444避難民のマジレスさん:2020/12/24(木) 11:40:24 ID:Fdz43.Xw0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三四 些細な・取るに足りないことについて 2

 そこで、私の精神が些細であり、些細なものごとに携わっていることに気づくと、それはこの条件から自由になれるでしょうか。精神は、まさにその本性そのものにより、些細ではないでしょうか。記憶の結果を除いて、精神とは何でしょうか。何についての記憶でしょうか。どう生き残る・生き延びるのかについて [の記憶]-身体的にだけでなく、また心理的に、一定の性質、美徳の発達 [をとおし] 、経験を貯えておくこと [をとおし] 、それ自身の活動においてそれ自体を確立することをとおして [どう生き残るか]です。それは些細ではないでしょうか。記憶の、時間の結果である精神は、それ自体において些細です。それは、それ自身の些細なものごとから自由になるには、何ができるでしょうか。それは何かできるのでしょうか。どうかこれの重要性をわかってください。精神、すなわち自己中心的活動は、その活動から自由になれるでしょうか。明白に、できません。それがすることは何でも、やはり些細です。それは神について憶測できます。それは政治的体制を工夫・考案できます。それは信念を考案できます。しかしそれはやはり時間の領域の中に・圏内にあります。その変化は、やはり記憶から記憶へ [の変化] です。それはやはりそれ自身の制限に縛られています。精神はその制限を壊せるでしょうか。それともその制限は、精神が静かであるとき、それが活動していないとき、それ自身の些細なものごと-それらをどんなに偉大であると想像しようとも-を認識するとき、壊れるのでしょうか。精神がその些細なものごとを見てしまい、それらに充分に気づいて、そのためほんとうに静かになるとき- そのときだけ、
これら些細なものごとがなくなる可能性があるのです。精神は何に携わるべきかを、あなたが探究しているかぎり、それは些細なものごとに携わるでしょう-それが教会を建てようと、祈ろうと、神殿・聖堂に通おうと、です。精神自体が卑小で、小さいし、たんにそれは卑小であると言うだけで、あなたはその卑小さを解消しなかったのです。あなたはそれを理解しなければなりません。精神はそれ自身の活動を認識しなければなりません。そしてその認識の過程において、それが意識的、無意識的に築いてきた些細なものごとへの気づきにおいて、精神は静かになるのです。その静けさに、創造的状態があるし、これが、変容をもたらす要因です。
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