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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

426避難民のマジレスさん:2020/12/15(火) 18:47:10 ID:PVzkRgUY0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三十 神について 3

 あなたは私に、真実が何なのかを言って欲しいのです。叙述できないものが言葉に表せるでしょうか。何か測ることのできないものを、測れるでしょうか。あなたは自分の拳に風を掴めるでしょうか。あなたがそうするなら、それは風でしょうか。あなたが測ることのできないものを測るなら、それは真実でしょうか。それを定式化するなら、それは真実でしょうか。確かにちがいます。というのは、あなたが何か叙述できないものを叙述した瞬間、それは真実であるのを止めるからです。あなたが知ることのできないものを知られたものに翻訳した瞬間、それは知ることのできないものであるのを止めます。けれども、それが、私たちがあこがれている・恋いこがれているものです。いつのときも、私たちは知りたいのです。なぜなら、そのとき私たちは継続できるだろう、そのとき究極の幸せ、永久性を捕まえることができるだろうと、私たちは思うからです。私たちは知りたいのです。なぜなら、私たちは幸せではないからです。私たちは惨めに奮闘しているから、擦り切れて・疲れ切って、堕落しているからです。けれども単純な事実-私たちが堕落していること、鈍くて、疲れ切って、騒乱の中にいること-を悟るかわりに、私たちは知られたものであるものから知られないものへ移転・移動したいのです-それもまた知られたものになるし、ゆえに私たちは決して真実を見つけられないのです。
 ゆえに誰が悟ったかや、神が何なのかを訊ねるかわりに、なぜ自分の注意と気づきの全体を、あるがままへ向けないのでしょうか。そのときあなたは知られないものを見つけるでしょう。というよりむしろ、それはあなたに来るでしょう。あなたは、何が知られたものなのかを理解するなら、誘導されず、強制されない、あのとてつもない静寂を、それにおいてのみ真実が入り込める、あの創造的空っぽを、経験するでしょう。それは、なろうとしている、奮闘しているものには来れません。それは、ありつつあるもの、あるがままを理解するものに、来れるだけです。そのときあなたは、真実は遠くにないこと、知られないものは遠く離れていないこと、それはあるがままの中にあることが、わかるでしょう。問題への答えが問題の中にあるのと同じように、真実はあるがままの中にあるのです。私たちはそれを理解できるなら、そのとき真理を知るでしょう。
 鈍さに気づくこと、貪欲に気づくこと、悪意、野心などに気づくことは、極めて難しいのです。あるがままに気づくという事実こそが真理です。解放するのは真理です-自由であろうとするあなたの奮闘ではありません。こうして真実は遠くないのですが、私たちはそれを遠く離れて置きます。なぜなら、自己継続の手段として、それを使おうとするからです。それはここ、今、即時 [当面・目前]のものにあるのです。永遠のものや時間のないものは今です。今は、時間の網に捕らわれている人により理解されえません。思考を時間から自由にするには、行動を要求します。しかし精神は怠けています。それは怠惰です。ゆえに常に他の障害を造り出します。それは正しい瞑想によって可能なだけです-それは、連続的な行動ではなく、完全な行動という意味です。完全な行動は、精神が継続の過程、すなわち記憶-事実に基づく [記憶]ではなく、心理的な記憶- を了解するとき、理解されうるだけです。記憶が機能するかぎり、精神はあるがままを理解できません。しかし終わることの意義を理解するとき、自分の精神、自分の存在全体がとてつもなく創造的に、受動的に鋭敏になります。なぜなら、終わることの中に、新生がありますが、継続の中には、死がある、腐敗があるからです。
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