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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

413避難民のマジレスさん:2020/12/09(水) 17:42:28 ID:PfnRtg620
最初と最後の自由 第二部質疑応答 
二九 真理と嘘につい-て 1

質問
 あなたが言ってこられたように、真理は反復されるとき、どうして嘘になるのでしょうか。嘘とは、ほんとうは何でしょうか。嘘を付くことは、なぜ間違っている・悪いのでしょうか。これは、私たちの存在の水準すべての上で、奥深い、微妙な問題ではないでしょうか。

 これには二つの問いがあります。それで最初のものを検討しましょう-すなわち、真理は反復されるとき、どうしてそれは嘘になるのか、です。私たちが反復するのは何でしょうか。あなたは理解を反復できるでしょうか。私は何かを理解します。私はそれを反復できるでしょうか。私はそれを言葉にできます。それを伝達できます。しかし経験は確かに反復されるものではないでしょう。私たちは言葉に捕らわれて、経験の意義を逃し・見失います。あなたは経験をしたなら、それを反復できるでしょうか。あなたはそれを反復したいと思うかもしれません。それの反復、それの感動への願望を持つかもしれません。しかしいったんあなたが経験をしたなら、それは終わって・済んでいます。それは反復できません。反復できるものは感動と、その感動に生命を与えるところの付随する・一致する言葉です。不幸にも、私たちのほとんどは宣伝者なので、言葉の反復に捕らわれるのです。それで私たちは言葉を糧に生きているし、真理は否定されるのです。
 愛の感情を例に取りましょう。あなたはそれを反復できるでしょうか。「あなたの隣人を愛しなさい」という言葉を聞くとき、それはあなたにとって真理でしょうか。あなたが自分の隣人をほんとうに愛するときだけ、それは真理です。その愛は反復できなくて、ただ言葉だけ[が反復できるの]です 。けれどもあなたがたのほとんどは、「あなたの隣人を愛しなさい」や「貪欲であってはいけない」という反復でもって、幸せで満足しています。それで他の一人の真理、またはたんに反復をとおしてあなたがしたことのある現実の経験は、真実にならないのです。反対に、反復は真実を妨げるのです。たんに一定の観念を反復するだけでは、真実ではないのです。
 これの難しさは、対極という見地に立って考えることなしに、問いを理解することです。嘘は、何か真理と対立したものではありません。嘘や真理という対立において、対比においてではなく、言われていることの真理を見ることができます。私たちのほとんどは、理解することなく反復するということを、ただ見てください。例えば、私たちは感情などに名づけることと名づけないことの議論をしてきました。あなたたちの多くは、それが「真理」であると考えて、それを反復するであろうと、私は確信します。一つの経験が直接の経験であるなら、あなたはそれを決して反復しないでしょう。あなたはそれを伝達するかもしれませんが、それがほんとうの経験であるとき、その裏の感動は去っています。言葉の裏の情動的満足は全く消失しています。
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