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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
407
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/07(月) 17:43:36 ID:0XbLwQ/k0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
二八 知られたものと知られないもの 2
また、意図が正しくなければなりません。すなわち、私たち皆が内面的に、知られないものを欲しがるという迷信の停止がなければなりません。私たちが皆神を求めていると考えることは、幻影です-私たちは [求めて]いません。私たちは光を探し求めなくていいのです。闇がないとき、光があるでしょう。闇をとおして、光は見つけられません。わたしたちにできるすべては、闇を造り出すそれらの障壁を取り去ることです。除去は意図に依ります。あなたは光を見るために、それらを取り去っているなら、そのとき何も取り去っていません。闇の代わりに光という言葉を用いているだけです。闇を越えて・の向こうを見ることさえも、闇からの逃避です。
私たちは、自分たちを駆り立てているのは何なのかではなく、なぜ自分たちには、そういう混乱、そういう騒動、そういう闘争と敵対が-私たちの存在の愚かなものごとすべてが-あるのかを、考慮しなければなりません。これらがないとき、そのとき光があります。私たちはそれを捜さなくていいのです。愚かさが去ったとき、智恵があります。しかし愚かであって智恵を持とうとする人は、やはり愚かです。愚かさは決して英知になれません。愚かさが止むときだけ、英知、智恵があるのです。愚かであって智恵を [持とう]、賢くなろうとする人は、明白に、決してそうあることができません。何が愚かさなのかを知るには、表面的にではなく、充分に、完全に、深く、奥深く、それに入らなければなりません。愚かさの違った層すべてに入らなければなりません。その愚かさの停止があるとき、英知があります。
ゆえに、知られたものより何かもっと多くのもの、何かもっと偉大なものがあるのかどうかを、見出さないこと [が重要です] ・見出すのではなくて-それが私たちを知られないものへと駆り立てているのです-私たちの中で、混乱、戦争、階級差別、俗物性・根性、名声の追求、知識の蓄積[を造り出し]、音楽をとおし、芸術をとおし、こんなに多くの仕方をとおして逃避を造り出しているのは何なのかを見ることが、重要です。確かに、それらをあるがままに見ること、あるがままの私たち自身に戻ってくることが、重要です。そこから私たちは、進めるのです。そのとき、知られたものを脱ぎ落とすことは、比較的たやすいのです。精神が静寂であるとき、それがもはや何かを願って、それ自体を未来へと投影していないとき、精神がほんとうに静かで、深く平和であるとき、知られないものが生じるのです。あなたはそれを探し求めなくていいのです。あなたはそれを招待できません。あなたが招待できるものは、あなたが知っているものだけです。あなたは知らない客を招待できません。あなたは自分が知っているものを招待できるだけです。しかしあなたは知られないもの、神、真実-何であれ-を知りません。それは来なければなりません。それは、田畑が健全であるとき、土が耕されているときだけ、来れるのです。しかしあなたは、それが来るために耕すなら、そのときそれを得ないでしょう。
私たちの問題は、どのようにして知ることのできないものを求めるのかではなく、精神の累積する過程-それは常に知られたものです-を理解することです。それは困難な作業です。それは、そこに散漫の、同一化の、非難の感覚がない常なる注意、常なる気づきを、要求します。それはあるがままと共にあることです。そのときだけ、精神は静かでいられるのです。どれほどの量の瞑想、修練も、言葉の真実の意味で、精神を静かにさせられません。そよ風が止むときだけ、湖は確かに静かになるのです。あなたは湖を静かにさせられません。私たちの仕事・努めは、知ることのできないものを追求することではなくて、自分たち自身の中の混乱、騒動、悲惨を理解することです。そのとき、そのものがぼんやりと・かすかに生じます-そこに喜びがあるのです。
(´・(ェ)・`)つ
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