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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

318避難民のマジレスさん:2020/10/17(土) 21:41:45 ID:U9XfzBUM0
最初と最後の自由 第二部質疑応答十三 憎しみについて 2

 私の関心事は動揺させられないことです。そして決して動揺させられない仕方を見つけようとしています。なぜ私は動揺させられるべきでないのでしょうか。見出すには、動揺させられなければならないのではないでしょうか。見出すには、ものすごい激変・変動、騒動、心配を経なければならないのではないでしょうか。私は動揺させられないなら、眠ったままでいるでしょうし、おそらくそれが、私たちのほとんどがたしかに欲しいものです-められ・静められること、眠りにつかされる(安楽死させられる・麻酔をかけられる)こと、どんな動揺からも逃げること、孤立、隔離(隠遁)、安全を見つけることです。私は動揺させられることを気にしないなら-本当に、ただ表面的にだけでなく、動揺させられることを気にかけないなら-なぜなら私は見出したいからです-そのとき憎しみに向かう、恨みに向かう私の態度は、変化を受けるのではないでしょうか。動揺させられることを気にかけないなら、そのとき名前は重要ではないのではないでしょうか。「憎しみ」という言葉は重要ではないのではないでしょうか。また人々に対する「恨み」も重要ではないのではないでしょうか。なぜなら、そのとき私は、その経験を言葉にすることなしに、恨みと呼ぶその状態を、直接に経験しているからです。
 憎しみと恨みがそうであるように、怒りはとても動揺させる性質です。私たちのほとんどは、怒りを言葉にすることなく、直接にそれを経験しないのです。私たちがそれを言葉にしないなら、それを怒りと呼ばないなら、確かに違った経験があるのではないでしょうか。私たちはそれを用語づけるから、新しい経験を縮小・削減したり、それを古いものの用語に固定させるのです。ところが、私たちがそれに名づけないなら、そのとき直接に理解される経験があるのです。この理解が、その経験に変容をもたらすのです。
(´・(ェ)・`)つ


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