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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
314
:
避難民のマジレスさん
:2020/10/14(水) 18:29:43 ID:zs4KrBZM0
最初と最後の自由 第二部質疑応答十二 退屈と興味について 2
私たちはそれをしてきました。私たちはほんとうに消耗する時点に到るまで、感動から感動へ、興奮から興奮へ向かって行きました。そこで、それを悟ると、それ以上進まないでください。一休みしてください。静かにしてください。精神にそれ自体で力・強さを集めさせましょう。それに強いないでください。土が冬の時期の間に自ずから蘇生するように、精神が静かであるのを許される・静かにしておかれるとき、それは自ずから蘇生するのです。しかし精神が静かであることを許す・精神を静かにしておくこと、このすべての後で、それを休ませておくことは、とても難しいのです。というのは、精神はいつのときも何かをしていたいからです。あなたは、あるがままの自分であることを-退屈して、醜く、恐ろしい・忌まわしい、何であろうと-自分自身にほんとうに許している地点に至るとき、そのとき、それを取り扱う可能性があるのです。
あなたが何かを受け入れるとき、あなたがあるがままの自分を受け入れるとき、何が起きるでしょうか。自分があるがままの自分であることを、あなたが受け入れるとき、問題はどこにあるでしょうか。私たちがものごとをあるがままに受け入れないで、それを変容させたいと願うときだけ、問題があるのです-それは、私が満足することを弁護・擁護しているという意味ではありません。反対です。私たちはあるがままの自分たちを受け入れるなら、そのとき、非常に恐れたもの、退屈と呼ばれたもの、絶望と呼ばれたもの、恐れと呼ばれたものが、完全な変化を受けたことが、わかるのです。私たちが恐れていたものの完全な変容があるのです。
そういうわけで、私が言いましたように、私たち自身の [考える] 過程、考え方を理解す
ることが重要です。自己認識は、誰をとおしても、どんな書物をとおしても、どんな告白・自白や心理学や精神分析者をとおしても、集められません。それはあなた自身により見つけられなければなりません。なぜなら、それはあなたの生であるからです。その自己についての知識を広げることと深めることなしに、あなたが何をしても、どんな外的、内的境遇、影響を改めても-それは常に絶望、苦痛、悲しみの飼育所・を生み育てる温床であるでしょう。精神の自己閉鎖的活動を越えてゆくには、あなたはそれらを理解しなければなりません。そしてそれらを理解することは、関係-ものごととの、人々との、観念との関係-において行動に気づくことです。その関係において-それが鏡です-私たちは、どんな正当化も非難もなしに、自分たち自身がわかりはじめるのです。そして私たち自身の精神のやり方についての、そのより広くより深い知識から、さらに進むことが可能です。精神が静かであること、真実であるものを受け取ることが、可能です。
(´・(ェ)・`)つ
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