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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

28避難民のマジレスさん:2020/07/01(水) 00:01:48 ID:NWYNc3.c0
くまめも1-4-3
あなたが何であるかの歪みのない理解が、美徳の始まり。美徳があることと美徳を得る(育成する)ことには違いがある。美徳があることは、あるがままについての理解をとおして訪れる。ところが美徳を得ることは、延期すること-あるがままをあなたがありたいと思うものでもって覆い隠すこと。美徳はあるがままについての理解だし、ゆえにあるがままからの自由。古いものから離れて新しい世界、新しい構造を創造するためには、発見するための自由がなければならない。そして自由であるには、美徳がなければならない。道徳的でない人は決して自由でありえない。ゆえに真実が何なのかを決して見出せない。あるがままを理解するには、自由が、あるがままへの恐れからの自由が、なければならない。
 その過程を理解するには、あるがままを知ろう、あらゆる思考、感情、行動に付いていこうとする意図がなければならない。そしてあるがままを理解することは極めて難しい。なぜなら、あるがままは決して静止していないから。あるがままは理想ではない。なぜなら、理想は架空であるから。あるがままが現実だし、現実を理解するには、気づきを、とても鋭敏なすばやい精神を必要とする。しかし私たちはあるがままを非難しはじめ、咎めたり抵抗したりしはじめるなら、そのときその動きを理解しない。あるがままを理解するには、瞬間瞬間、自分が何を考え、感じ、するのかを観察しなければならない。他のどんな行動も、どんな理想やイデオロギ-的行動も、現実ではない。それはたんに何かでありたいという願い、架空の願望にすぎない。
(´・(ェ)・`)


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