[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
28
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/01(水) 00:01:48 ID:NWYNc3.c0
くまめも1-4-3
あなたが何であるかの歪みのない理解が、美徳の始まり。美徳があることと美徳を得る(育成する)ことには違いがある。美徳があることは、あるがままについての理解をとおして訪れる。ところが美徳を得ることは、延期すること-あるがままをあなたがありたいと思うものでもって覆い隠すこと。美徳はあるがままについての理解だし、ゆえにあるがままからの自由。古いものから離れて新しい世界、新しい構造を創造するためには、発見するための自由がなければならない。そして自由であるには、美徳がなければならない。道徳的でない人は決して自由でありえない。ゆえに真実が何なのかを決して見出せない。あるがままを理解するには、自由が、あるがままへの恐れからの自由が、なければならない。
その過程を理解するには、あるがままを知ろう、あらゆる思考、感情、行動に付いていこうとする意図がなければならない。そしてあるがままを理解することは極めて難しい。なぜなら、あるがままは決して静止していないから。あるがままは理想ではない。なぜなら、理想は架空であるから。あるがままが現実だし、現実を理解するには、気づきを、とても鋭敏なすばやい精神を必要とする。しかし私たちはあるがままを非難しはじめ、咎めたり抵抗したりしはじめるなら、そのときその動きを理解しない。あるがままを理解するには、瞬間瞬間、自分が何を考え、感じ、するのかを観察しなければならない。他のどんな行動も、どんな理想やイデオロギ-的行動も、現実ではない。それはたんに何かでありたいという願い、架空の願望にすぎない。
(´・(ェ)・`)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板