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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

264避難民のマジレスさん:2020/09/14(月) 19:13:57 ID:3QLePqvQ0
最初と最後の自由 第二部質疑応答五 修練について 2

 修練に含まれている意味は何でしょうか。私たちは修練するとしても、なぜ自分たち自身を修練するのでしょうか。修練と智恵は共存できるのでしょうか。ほとんどの人たちは、何らかの種類の修練をとおして、私たちのなかの獣性・残忍性、醜いものを、服従させたり制御したりしなければならないと、感じています。その獣性、その醜いものは、修練をとおして、制御できるでしょうか。私たちのいう修練とは、どういう意味でしょうか。報賞を約束してくれる [ところの] 行動の進路・道筋。もしも追求したなら、私たちに欲しいもの-それは肯定的であったり否定的であったりするかもしれない-を与えてくれるであろう [ところの] 行動の進路。もしも精出して・勤勉に、丹念に、とてもとても熱烈に実践したなら、最後に私たちに欲しいものを与えてくれるであろう [ところの]行いの様式 [という意味]です。それは苦痛であるかもしれません。しかし私はそれ [欲しいもの] を得るために、進んでそれ [修練] を経てゆこうとするのです。自己は攻撃的で、利己的で、偽善的で、心配で、恐れています-あなたはそのすべてを知っています-その自己が、私たちのなかの獣性の原因です- [その自己を]私たちは変容させ、服従させ、破壊したいのです。これはどのようにしてなされるのでしょうか。それは、修練をとおして [なされるのか]、それとも自己の過去-自己とは何か、それはどのようにして生じるのか、など-についての智恵ある理解 をとおして、なされるのでしょうか。私たちは人の獣性を、強制をとおして [破壊するのでしょうか] 、それとも智恵をとおして破壊するのでしょうか。智恵は修練の事柄でしょうか。聖者たちとその他すべての人たちが言ったことは、当分は忘れましょう。まるで私たちが初めてこの問題を見つめるかのように、自分たち自身で事柄に入りましょう。そのとき私たちは、その終わりに、他の人たちが言ったことのただの引用ではなく-それはすべてあまりに空虚で役にたちません-何か創造的なものを、得るかもしれません。
 私たちには葛藤-白に対する黒、無欲に対する貪欲など-があると、私たちは初めに言います。私は貪欲です-それは苦痛を造り出します。その貪欲を取り除くには、私は自分自身を修練しなければなりません。すなわち私は、自分に苦痛を与えるどんな形の葛藤にも抵抗しなければならないのです-この場合は、それを貪欲と呼びます。そのとき私は、それは反社会的である、それは非倫理的・不道徳である、それは聖人らしくない、などなどと言います-私たちはそれに抵抗するために、様々な社会的、宗教的理由を与えます。貪欲は、強制をとおして破壊されたり、私たちから片づけられるでしょうか。初めに、抑圧、強制、それを片づけること、抵抗することに関与している過程を、検討しましょう。あなたがそうするとき、あなたが貪欲に抵抗するとき、何が起きるでしょうか。貪欲に抵抗しているものは何でしょうか。それが最初の疑問なのではないでしょうか。なぜあなたは貪欲に抵抗するのでしょうか。そして「私は貪欲から自由でなければならない」と言う実体は誰でしょうか。「私は自由でなければならない」と言う実体もまた、貪欲なのではないでしょうか。今までは、貪欲が彼に報いてきました。しかし、今やそれは苦痛です。ゆえに彼は「私はそれを取り除かなければならない」と言うのです。それを取り除こうとする動機も、やはり貪欲の過程です。なぜなら、彼は、何か自分ではないものでありたいと思っているからです。無欲は今や利益になるのです。それで私は無欲を追求しているのです。しかし、動機、意図は、やはり何ものかであること、無欲であることです-確かに、それもやはり貪欲です。それもまた、否定的な形の「私」の強調です。
(´・(ェ)・`)つ


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